ブルーメンリッターはグラスルーツに到着した。ブルーメンリッターと呼んでいるが、それはエカードの、まだ何も為していないが、功績を強調する為。王国騎士団の騎士、兵士をあわせて総勢一万だ。さらに後備として一万が編制されているのだが、これはまだ領境にとどまっている。軍を出す為の口実としてでなく、実際にまずは偵察。現地の状況を確認しなければならない。
到着してすぐにエカードたちは新事実を知って、驚くことになる。グラスルーツの規模に。街そのものは想像通り。領地の外れにある、交易所としてそれなりの数の商人を受け入れるだけのに大きさはあるが、どこにでもある街。だがその北側の防壁は、四公国の領境にある関所と呼ばれている城砦の規模を遥かに超えていた。ローゼンガルテン王国の公式な記録にはない防壁。魔人との戦いが始まったあとにそういうものが作られたことは知っていたが、これほどのものとは考えていなかったのだ。
「……これほどのものをどうやって?」
当然、これが気になる。エカードには王都の防壁以上に堅牢であるように見えるのだ。
「民の協力により。老若男女問わず、自分たちの命を守る為に必死で働いてくれました」
エカードの疑問に答えるヨアヒム。中身は嘘だ。この防壁工事の基礎はアイネマンシャフト王国の魔人たちによって行われている。種族それぞれの得意を活かし、常識外れの速さで作られたのだ。
「……ここにいる民だけで」
とても出来るとは思えない。ヨアヒムの説明では、エカードの疑問が解消することはなかった。
「今いる人たちが全てと思わないでください。逃げ込んできた当初、ここにはもっと多くの民がいました」
「それは……」
魔人に多くの人たちが殺された。ヨアヒムの話を、エカードはこう受け取った。
「……勘違いをしているようです。人が減ったのはこの場所だけでは生きていけないから。多くの民を養うだけの農作地がここにはありません」
「えっ、ですが」
グラスルーツに来るまでに見た田園風景。豊かな実りが感じられた。
「……リリエンベルグ公国に暮らす全ての民を、このわずかな土地で養えると思いますか?」
「全ての民、ですか?」
「もしかしてリリエンベルグ公国に暮らしていた人々は全て魔王軍に殺されたと思っていましたか? それも開戦当初に」
「……いえ」
ヨアヒムの言葉はローゼンガルテン王国に対する批判。エカードにもすぐに通じた。中心都市シュバルツリーリエを落とされたとはいえ、リリエンベルグ公爵が戦死したとはいえ、民の被害は少なかった。そうであるのに、ローゼンガルテン王国は救いに来なかったのだ。
「防壁の外でも多くの人々が暮らしています。このグラスルーツにいる何十倍、何百倍の人々の暮らしがそこにあるのです」
「危険では……いえ、危険なのは分かっているのですが、何故、人々は?」
防壁の外に出ていくのか。エカードには理由が思いつかない。
「さきほど申し上げた通りです。食を求めて、その食を作り出せる土地を求めて、防壁の外に出たのです」
「魔人に襲われる危険よりも食を優先ですか……」
そんなことがあり得るのだろうかとエカードは思った。どちらも命に関わることだが、魔人に襲われる恐怖のほうが強いように、彼には思える。
「殺されないと分かっていれば、当然の選択だと思いますけど?」
「殺されないのですか?」
「……魔人が何を求めて戦争を起こしたのか知らない?」
魔人は軍人以外の民の命を積極的に奪うことはしない。この事実はとっくに周知のものとなっているとヨアヒムは思っていた。魔人が求めているのは食料。その安定的な供給だ。生産する為の知識と経験を持つ人々を殺してしまっては、手に入らなくなる。
「……何を求めているのでしょう?」
魔人が何を求めているか。人族を滅ぼすこと。このユリアーナが語っていた戦争の理由以外を、エカードは考えてこなかった。ローゼンガルテン王国から教えられることもなかった。
「食料です。魔族全体を養えるだけの食料をずっと確保し続けることが魔人たちの目的。生産者である民を殺すことは、何か特別なことがなければ、ありません」
「……命は助かっても奴隷のように酷使されることになる」
魔人は悪。エカードのこの認識は変わらない。変るはずがない。彼は魔人と戦場以外で向き合ったことがないのだ。
「頑張って育てた農作物のほとんどを持って行かれてしまう。手元に残るのは、家族がかろうじて生きていけるギリギリの量だけでしょうからね?」
「そうです。王国の民をそんな目に遭わせるわけにはいかない。すでにそんな目に遭っている人たちがいるなら、なんとしても助けなければならない」
苦しんでいる人々を救う。その想いを口にしたエカード。彼は分かっていないのだ。ヨアヒムがまた皮肉を口にしたということを。領民は生かさず殺さず。そんな考えで重税を課している者は、ローゼンガルテン王国貴族に大勢いるということを。
「……エカード殿と同じような想いを抱いて、防壁の外に出ていった人たちがいます」
「それは、どういう人たちですか?」
「王国騎士、元というべきですか。王国騎士団を抜けて、この場所に辿り着いた人たちです」
ワルターたち、元王国騎士団についての話を始めたヨアヒム。話を切り出すには、良いタイミングだと判断したのだ。
「もしかして……その中に、ウッドストックという騎士はいましたか!?」
騎士団を抜けてリリエンベルグ公国に向かった人物。エカードが真っ先に頭に浮かんだのはウッドストックだった。
「一人一人のことは。彼らは私に仕えていたわけではありませんから」
「そうですか……」
「もし探している人がいるのであれば、北西に向かうと良いでしょう。彼らは北西のほうに拠点を構えています。物資の提供を求める使者が少し前に来たばかりですので、無事でいるはずです」
エカードの食いつきが良かったので、ヨアヒムは一気に西の拠点についても話をした。このままブルーメンリッターの目的地を西に変えられれば、目的は達成だ。
「北西に拠点? そんな話は聞いていない」
王都を出る時の説明に、こんな情報はなかった。あるはずがない。隠されていたのだから。
「一応、彼らに気を使ったつもりです。おそらくは、彼らは騎士団を勝手に抜け出して、この土地に来たはずです。本来は罰を受けることになるのではないですか?」
情報を隠していた理由を説明するヨアヒム。あらかじめ用意していた内容だ。
「いえ、そんなことはありません」
ただエカードの答えは予想外。ウッドストックだけに限れば、エカードの言う通りかもしれない。だが他の騎士たちは無断で、それもリリエンベルグ公国の民を救う為ではなく、キルシュバオム公爵家による国王弑逆を許せなくて、王国騎士団を抜けたのだ。その存在をキルシュバオム公爵が知れば、当然、罰しようとする。
「そうですか……では話してしまったことを気に病む必要はありませんね?」
「そう思うのであれば、何故、話したのですか?」
ヨアヒムは罰せられると思っていながら、騎士団を抜けた人たちについて話した。リリエンベルグ公国を守ってくれている人たちを売る行為。こう考えて、エカードは不快感を覚えている。
「貴方たちがここに来た時点で、もう隠すことは出来ません。彼らの要求に応じて物資を運びだせば、どこに送るのかと聞かれるでしょう? だからといって物資を送ることを止めれば、彼らは戦うことが出来なくなる。正直に話すしかないのです」
「正直に話すことが、その彼らを助けることになるわけですか……そうですね」
ヨアヒムの説明に納得した様子のエカード。彼の性格を理解しているジグルスとリーゼロッテが考えたことだ。この結果は当然のこと。エカードに比べれば、疑り深く正義感も乏しいレオポルドもこの時点で何かを言い出すことはない。せいぜいあとで、自分たちも情報を隠したと思われないように、実家かキルシュバオム公爵家に伝える手配を行うくらいだ。
「どうされるかは私が決めることではありませんが、防壁の外のことは彼らのほうが良く知っているのではないですか? その情報だけで、彼らには、かなりの価値があると思います」
「……その北西の拠点との連絡は簡単に行えるものなのですか?」
「こちらから使者を送ったことはありません。ただ拠点からの使者は、当たり前ですが拠点に戻っているわけで、物資も運べるのですから」
使者の往来は可能。ただし、成功する保証はない。ブルーメンリッターは、制空権を握っているアイネマンシャフト王国とは違うのだ。
「……分かりました。少し考えてみます」
この場で全ての結論をだす必要はない。計画立案時にはなかった重要な情報が加わったのだ。計画を変更するかどうかは、ブルーメンリッターの幹部たちとよく相談して決めるべき、エカードはこう考えて、話を切り上げることにした。
ヨアヒムとしても、これ以上、話すことはない。計画変更に繋がる情報は伝わった。これ以上、話を続け、進路変更を強く押しても余計な疑いを招くだけ。あくまでも結論を出すのはブルーメンリッター、エカードという形が望ましいのだ。
◆◆◆
結果、ヨアヒムの思惑通り、ブルーメンリッターは北西の拠点を経由するルートを選択した。先にリリエンベルグ公国に入り、魔人と戦っていた人たち。その彼らが持つ情報は貴重だ。さらに西に逸れるとしてもグラスルーツよりシュバルツリーリエに近い位置に拠点を得られるという点も、任務を遂行する上で、有利だ。さらに、これはエカードの個人的な感情だが、良く知るウッドストックがそこにいる可能性があるとなれば、向かわないという選択はない。
エカードは、半分の五千をグラスルーツ防衛に残し、ブルーメンリッターの中核メンバーほとんどと残りの軍勢を率いて北西にある拠点に向かった。
「……ヨアヒム様は何を考えているのですか?」
ブルーメンリッターの中核メンバーでグラスルーツに残ったのはクラーラ。今の彼女を中核メンバーと位置づけるべきかは、微妙だが。
「私は、王妃候補であるクラーラ様に、様を付けて呼ばれる身分ではありません」
クラーラの問いを躱すヨアヒム。クラーラについてヨアヒムは良く知らない。ただジグルスから気を付けるべき人物と聞かされているので、警戒しているのだ。
「候補であって王妃ではありません」
「そうだとしても近衛騎士が護衛に付く身分です」
クラーラ自身がどう思おうと、近衛騎士が護衛についている時点で、平民出身の騎士だという主張は通用しない。王家の人々を守るのが近衛騎士。クラーラはすでにローゼンガルテン王国から王家の一人として認められているということだ。
「……私が望んだことではありません」
「クラーラ様が求めているかどうかは、彼らには関係ありません。彼らは守るべき人を守っているだけです」
彼女の意思がどうであるかは関係ない。ヨアヒムにとってもどうでも良いことなのだが、会話を脱線させるには、都合の良い話題だ。クラーラのほうから話を続けてくれるのだから。
「では呼び捨てにしたら、質問に答えてくれますか?」
ヨアヒムにとって残念なことに、クラーラはそういうことに割とすぐに気付く。話を質問に戻してきた。
「お答えできる内容であれば」
「……何を考えているのですか?」
そう言われても呼び捨てはしづらい。クラーラは名を呼ぶことなく、同じ問いを投げた。
「それは誰が?」
「……意外と意地悪ですね?」
「すみません。ちょっとした冗談のつもりだったのですけど。気分を害されましたか? それでしたらお詫びします」
「大丈夫です。それよりも質問への答えを頂きたいと思います」
ヨアヒムはわざと話をはぐらかそうとしている。そう思ったクラーラは、なんとか質問の答えを得ようと話を戻した。
「考えていることは色々ありますが、一番は民の暮らしのことです」
「……そういうことではなく……では、まっすぐに聞きます。何を隠しているのですか?」
クラーラは意識して遠まわしに聞いていた。この場はヨアヒムと二人きりではない。護衛の近衛騎士も同席しているので、気を使ったつもりだ。
「仮に隠し事があるとして、それを話すと思われますか?」
「その言い方は隠し事の存在を肯定しているように聞こえます」
「はい。隠し事はあります。ただ、それは当たり前のことではありませんか? クラーラ様も私に隠していることはあるはずです」
隠し事の存在を正直に話すヨアヒム。だが存在を肯定しただけ。誰もが他人に隠していることがある。これを肯定しただけだ。
「私は、意図的に隠していることはありません」
隠し事はクラーラにもある。だがヨアヒム相手に意図して隠さなければならないことはない。こう思っている。
「では、ひとつ前提を定めましょう。王家の一員であるクラーラ様はリリエンベルグ公爵家の私に隠し事はないですか?」
「……同じことです。隠し事はありません。それに……王家の情報など私は知りません」
また話題が自分の身分に戻ろうとしている。そう考えてクラーラは、話を逸らされないように言葉を選んで、答えを返した。
「それは残念。知りたいことがあったのですけど」
「……それは、どのようなことですか?」
また話をはぐらす方向に持って行かれようとしている。こう思いながらもクラーラは詳しい説明をヨアヒムに求めた。おそらくは本当に自分が知らない情報。そうであれば問い返さないではいられない。
「父の安否です」
「どうしてそれを私が知っていると思ったのですか?」
内容は少し期待外れのもの。自分が知っているはずのない情報だとクラーラは考えた。
「クラーラ様はお城で暮らされている」
「はい」
「私の父はかなり前にお城に向かいました。王国に救援を求める為に、自ら足を運ぶことを選んだのです。生きて、城にいるのであれば、クラーラ様とお会いしている可能性もあると考えました」
「……私は奥にいますので、ほとんど人と会うことはありません」
クラーラは城の奥にいる。アルベルト王子以外では、奥で働く人たちとしか会うことはない。その事実をそのまま話しただけのクラーラだが、その心の内はヨアヒムの言葉の意味を考えて、多いに揺れている。
「それは分かっています。父が無事でいるとすれば、城の奥くらいかと考えて、確かめたかっただけです」
「……確かにお城に辿り着いたのですか?」
「ここまでの道中、危険な場所がありましたか? 仮に父に何かあったのだとしても、同行した者たちは何故、それを知らせに戻ってこないのでしょう?」
ローゼンガルテン王国の王城に辿り着けなかった可能性を否定するヨアヒム。真相を明らかにすることが目的ではない。こういう事実があることをクラーラに伝えようと思っているだけだ。
「……私には分かりません」
推論を口にすることは出来ない。この場にいる近衛騎士たちが、それを聞いて、どういう行動に出るのか。クラーラには想像が出来ない。
「そうですか……リリエンベルグ公国で暮らす人々、皆が真相の究明を求めていますので、何か情報があればと期待したのですが……残念です」
「……ご期待に沿えず、申し訳ありません」
クラーラの心の動揺がさらに激しくなる。ヨアヒムはリリエンベルグ公国に暮らす人々、と言った。それはつまり多くの人がヨアヒムの父、マクシミリアンの王都行きを知っているということ。救援を求めて王都に向かった彼が行方不明になって帰ってこない事実を知っているということ。それに対してヨアヒムは、リリエンベルグ公国の人々はどう考えているのかとクラーラは不安に思う。
ヨアヒムは「生きて」「無事に」という言葉を使った。王都に辿り着けなかった可能性を否定した。王都に着いたのに無事で生きていない。それはどういうことか。クラーラにも思いつくことがある。
同じことを考えているリリエンベルグ公国の人々は、ローゼンガルテン王国にどういう感情を抱いているのか。助けなくてはならない人々、守るべき人々。そう考えていた人々が内心では、リリエンベルグ公国に現れた自分たちのことをどう思っていたのか。
また何か自分たちは間違っているのかもしれない。この思いがクラーラの胸に広がっていった。