ロートが営む食堂。フロアの隅にあるテーブルでヴォルフリックたちは食事をとっている。クローヴィスもセーレンも、ボリスも一緒だ。彼らを黒狼団の拠点である食堂に連れてきたのには訳がある。もちろん、食堂が黒狼団の拠点だと正直に話すことではない。それを隠した上で、彼らを連れてくる、連れてきても問題ない理由が出来たのだ。
エマが作った食事だというのに、不機嫌そうに口に運んでいるヴォルフリック。クローヴィスたちがいるから演技している、わけではない。実際に機嫌が悪いのだ。彼の機嫌を悪くしている原因は。
「あの……ジギワルド様は決して変なことを考えているわけではないのです」
エマを城に連れて行ったことについて言い訳をしているのは、ジギワルドの従士ファルクだ。エマとロートに謝罪する為に食堂を訪れたファルクだったが、こうしてヴォルフリックに言い訳する羽目になっている。
「では何を考えていた? 街の食堂で働いている女の子を城に連れていくなんて普通ではないとアデリッサ様も言っていた。まるでクズと同じだと」
「クズ? さすがにクズ呼ばわりは無礼ではないですか?」
ジギワルドをクズ呼ばわりされたと思って、ファルクは厳しい顔になる。
「俺がクズと言ったのは前国王のことだ。そう言う資格が俺にはあると思うが?」
ヴォルフリックがクズと表現したのは前国王のこと。そうだとしても、やはり無礼なのだが。
「それは……そうだとしても前国王とジギワルド様が同じというのは……」
ファルクは前国王をクズ呼ばわりしようと無礼とは思わない。そういう評価なのだ。ただその前国王と自分が仕えるジギワルドを同じだと言われることには強い抵抗を覚える。
「お前こそ無礼だろ? クズであっても前の自分の国の王だぞ?」
「いや、そう言われても」
さきに言い出したのはヴォルフリック。ファルクはそれを受けて、話しているだけだ。
「とにかくアデリッサ様は王室の評判を落とすような真似は許さないと言っている」
ヴォルフリックはアデリッサに命令されたということにして、食堂にいるのだ。ジギワルドをエマに近づけない為という、これは口実ではなくヴォルフリックの本心だが、理由で。
「いや、ですからジギワルド様に変な考えはないと申し上げているのです」
王室の、ジギワルドの評判を落としたくないという点ではファルクも同感だ。だからこうして言い訳をしているのだ。
「そう誤解されるような行為さえ問題だってこと。それを分かっているのか?」
「それは……少々、軽率であったことは認めます」
こうして非難されるとファルクも確かに軽率な行動だったと思う。エマと同席を許したロートも自ら望んで城に行ったのではないことをファルクは知っている。無理やり連れて行かれたなんて話をされては困ると思ったから、こうして謝罪に訪れたのだ。
「幸いにもここのご主人と俺は仲が良い」
「はい?」
「……仲が良い」
「いや、いつの間に? ヴォルフリック様はこれまでほとんど外に出たことがなかったですよね?」
自分のほうが前から、そして頻繁にこの店に通っていたとファルクは思っている。正しい。これはヴォルフリックの設定ミスだ。
「意気投合したんだ。気が合うっていうのはこういうことを言うのだな」
「はあ……」
「とにかく、仲が良いから王室の評判を落とすような真似はしないで欲しいと俺から頼んで、快く了承してもらった」
「はい……」
自慢げに言われてもファルクは戸惑うだけ。彼が頼んだわけではないのだ。
「少しは感謝しろよ? アデリッサ様のおかげで評判を落とさなくて済んだのだからな」
エマとロートを助ける時のアデリッサは、見事ではあるがやり過ぎだともヴォルフリックは思った。この言葉はアデリッサをフォローする意味もある。
「……ウォフリック様はアデリッサ様と親しいのですね?」
「悪いか?」
アデリッサとの関係を言われてもウォフリックは何とも思わない。ノートメアシュトラーセ王国内でどれだけアデリッサの評判が悪くてもウォフリックには関係ない。彼女と親しいと思われることで不利益を被るとも思っていない。
「いえ、悪いとは言いませんが……オティリエ様の何が気に入らないのですか?」
ファルクがウォフリックと、ジギワルドがいない席で話すのは初めてのこと。この機会にジギワルドがいる場では聞きづらいこと聞いてみようと考えた。
「別に気に入らないと思っていない」
「ですがアデリッサ様とは親しくしています」
「……どうしてアデリッサ様と比べる? どちらかを選択しているような言い方をする? 俺はアデリッサ様と親しいかもしれない。だからといってオティリエ様を嫌いなわけではない。ただたんに親しくないだけだ」
ノートメアシュトラーセ王国の人々は常に二人を並べて考えようとする。アデリッサと仲が良いからオティリエと仲が悪い。こんな風に。ウォフリックにはそんな意識はない。アデリッサと親しいと周りから見えるのだとすれば、そうなる機会があったから。オティリエと距離があるように見えるとすれば、親しくなる機会がないからだ。
「どうしてですか?」
だがそれがファルクには分からない。ファルクだけでなく、ノートメアシュトラーセ王国の人々の多くが理解しない。
「どうしてって、何が?」
「オティリエ様とは一度会ったきりで終わっています」
その一度で普通の人はオティリエを好きになる。多くの人がこう考えている。これについてはウォフリックのほうが理解出来ない。たった一度、上っ面を見ただけで、どうして人を判断出来るのだと思うのだ。
「……会う必要がないからだろ?」
ウォフリックがアデリッサとの距離を縮めたのは彼女が本音を見せたから、その本音をウォフリックは嫌と思わず、その上でさらに彼女のほうが会う機会を作ったからだ。オティリエからはそういった働きかけがない。ウォフリックは基本、ノートメアシュトラーセ王国の人々と距離を取ろうとしているので、親しくなるはずがない。
「……ジギワルド様とも?」
ようやくファルクはそれに少し気が付いた。オトフリートと対抗する為にウォフリックとの距離を縮めるべきだと考えていながら、相手も忙しいだろうと気を使っていることを言い訳にして、何もしていないことに。
「会う必要あるか?」
「えっと……色々とお互いの考えについて語り合いたいという思いはあるかと」
「俺にはない」
「貴方はそうかもしれませんが……ジギワルド様はこの国、そしてアルカナ傭兵団に対する想いがあって、それを貴方にも理解してもらいたいという気持ちがあるのです」
これは事実。ウォフリックの力をこの先も、自分の代になってもこの国の為に役立てたいという思いがジギワルドにはある。悪い意味であってもヴォルフリックとの距離が遥かに近いオトフリートが持たない思いを、ジギワルドは持っているのだ。
「それは王子であれば当然だ。でもそうじゃない俺には関係ない」
「貴方だって……前王家ではありますが、王子です」
ファルクはジギワルドが気付いていない可能性に気が付いている。ジギワルドだけでなく、オティリエにとっても良くない可能性だ。それを自ら口にすることは決してない。
「それは元ってこと。今の俺はこの国とは関係ない」
「傭兵団員としての関わりがあります」
「あのさ、俺に何を期待しているわけ? 俺はいつかいなくなる身。期待しても無駄だ」
「いなくなるなんてことが……それは貴方の希望であって実現するかは分かりません。同じように我々が期待しても良いではないですか」
いなくなるなんてことが出来るのか。ファルクはそれを疑問に思う。そもそも言葉にしていることがウォフリックの本音かも分からないのだ。
「それは……確かに否定出来ないな。期待したければ勝手にすれば良い。ただ実現しないだけだ」
「ウォフリック様は世の中を良くしたいと思いませんか?」
「……思わなくはない」
この世の中を良くしたいという想いはヴォルフリックにもある。ファルクやジギワルドよりも想いは強いくらいだ。
「そうであれば共に戦うべきではありませんか?」
「その良い世の中って誰にとって?」
「誰って……人々にとってです」
ウォフリックが求めている答えはこんな漠然としたものではない。ファルクは答えを持っていないのだ、彼の想いもまた漠然としたものであるから。
「その人々って? なんて聞いても意味はないか。お前たちに対して俺が気に入らないことがひとつあるのを思い出した」
「……それは何ですか?」
「お前の言う人々の中に罪を犯した人は入っていない。これは最初に会った時に分かった。俺はお前たちが殺しても良いと考える犯罪者だからな。共に戦えるわけないだろ?」
「それは……」
一度きりで終わったウォフリックとの会食の場での話だ。今、ウォフリックが言ったことをファルクは、ブランドの口から聞いている。その時もショックを受けたが、こうしてまたウォフリックの口から語られると改めて違いを感じてしまう。
「さらに言うと、お前たち自身は罪を犯していないのか? お前たちが殺した人に家族はいなかったのか? その家族にとって、お前たちは人殺しの犯罪者じゃないのか?」
「…………」
「世の中を良くする。同じ言葉でも人によって中身が変わる。万人が納得する良い世界なんてないと俺は思う。必ず敵と味方が出来るはずだ。同じ言葉を語っていても中身が違えば敵味方に分かれることになるはずだ」
「…………」
ヴォルフリックの言葉に黙り込むファルク。返す言葉が見つからないのだ。絶対の正義などない。ある人にとっての正義は逆の立場の人から見れば悪になる。知識としては知っている言葉だ。だがそれを自分たちの志と重ねたことはファルクにはなかった。自分たちの想いは万民の幸せを実現する。それと同時に、万民の敵を作る可能性があることなど考えたことがなかったのだ。
ただファルク以上にヴォルフリックの言葉を受けて動揺している人たちがいる。ブランドを除く愚者のメンバーたちだ。ディアークの、アルカナ傭兵団の目指すものとヴォルフリックの目指すものが違うとしたら、本当に敵味方に分かれて戦うことになるのか。その時、自分たちはヴォルフリックに剣を向けることが出来るのか。答えを出せない問いが彼らの頭の中を巡っている。
◆◆◆
屋敷に戻ったヴォルフリックは愚者のメンバーたちと共に鍛錬を行った。日課を終えて、水浴びをして汗を洗い流したあとは、食堂からテイクアウトしてきたエマ手作りの料理を、歓談しながら皆で食す。それで一日は終わり。あとは本を読みながら、眠くなるのを待つだけ。いつもであれば。
だが今日のヴォルフリックにはまだ予定があった。人々が寝静まった頃、ロートとエマが屋敷を訪れてきたのだ。
「あれ、エマは?」
迎え入れたはずのエマがいないことに気付いたヴォルフリックは、ロートに彼女の所在を尋ねた。
「屋敷の中を歩き回っているはずだ。早く配置を覚えて、自由に動けるようになりたいと言っていたからな」
エマは屋敷内を把握する為にそこら中を歩いている。歩数や感覚を覚えてしまえば、目が不自由でも一人で歩き回れるようになる。早くそうなりたいのだ。
「一人で大丈夫か?」
「大丈夫かって……目印は付けてあるのだろ?」
「もちろん」
部屋の扉には、決められた位置に目立たないように印がつけられている。その扉が何の部屋のものか触るだけ分かるように、引っ越してきてすぐにつけたものだ。
「じゃあ、大丈夫だ。お前だって分かっているだろ?」
「まあ、そうだけど」
常に誰かが傍にいないと何も出来ない。そんな風になりたくなかったエマは、小さい頃から自分なりに考えた訓練を行っている。そのおかげで、建物の中など下が平らな場所であれば、一人でも問題なく歩くことが出来るようになっている。あとは間取りを頭に入れ、さらに家具の配置を把握してしまえば、生活に問題はない。
「そういえば……この間、あの女の人に何を言われた」
「何で?」
「エマが少し変だった」
気になっていた城に連れて行かれた時のことをヴォルフリックに聞くロート。エマがその気になれば、これさえも聞こえてしまうと分かっているが、彼女はすでにヴォルフリックとアデリッサの会話の中身を知っている。今更だと思って尋ねることにした。
「ああ……聞こえていたか。俺の気持ちは同情ではないかって言われた」
「なんだと?」
わずかに怒気を発するロート。ヴォルフリックの気持ちはそんなものではないという思いからの怒りだ。
「悪気はないから。多分、自分がそうだったから心配になったのだと思う」
「そうだったって?」
「これはあくまでも想像だけど……アデリッサさんは皇帝が望んで奥さんになったわけじゃない。クズ王に物のように交換されたんだ。そんな結婚だから、皇帝の彼女に対する気持ちが同情だったってことじゃないか?」
「……自分のように、か。なるほどな。優しい人だ」
エマはアデリッサを優しい人だと表現した。それと同時に残酷だとも。これをヴォルフリックに伝える気にはロートはなれなかった。
「人って難しいな。俺にはアデリッサさんは良い母親に思えるのに、彼女の評判はすごく悪い。王妃としては問題あるのかもしれないけど……」
「人の評価は見る立場で変わる。昼間、自分でこんなこと言っていただろ?」
「そういえば……余計なこと言ったな。まだまだ大人しく従っておかなければいけないのに……その従う話をしようか」
とりあえず大事な用件を済ませることにしたヴォルフリック。このまま朝まで愚痴や世間話で終わりそうだと思ったのだ。エマがリビングに来れば、他にも話すことは沢山あるので、その前にとも思っている。
「かなり難しい仕事か?」
「そう。以前、ベルクムント王国が盗賊団を中央諸国連合加盟国のあちこちで暴れさせた。それと同じことを今度はこっちがやる。軍を動かさなければと思うような規模で、さらにそれを返り討ちにして、ベルクムント王国軍を引きずりだせば成功。それさえ返り討ちにすれば大成功」
「……まさかそれをお前の部隊だけでやるのか?」
「全部出来るわけないだろ? ベルクムント王国は盗賊は雇っていた。ただ……結果は失敗に終わっている」
ベルクムント王国と同じことを行っても上手く行かない。ヴォルフリックはこう考えている。ではどこをどのように変えるかだ。それをロートと話をしながら考えようとしているのだ。
「俺たちが動いてどこまで出来るか」
「盗賊団はそれなりの規模じゃないと駄目だ。それに直接関わるのはな。従属国の軍でも百や二百は動けるはず。千を引きずり回せればそれはそれで成功だけど」
とにかく自国軍では対処出来ないと思わせること。二百程度の討伐軍は返り討ちにしなければならないとヴォルフリックは考えている。この時点ですでにベルクムント王国の策と違う。
「……リスクを考えると一か所。頑張っても二か所か。混乱させるって規模じゃないな。そうなると雇うしかないか……どこで?」
「人が多く集まる場所で、だろうな」
黒狼団が活動できる場所で、もっとも人が多く集まる場所。それはベルクムント王国の都ラングトアとなる。敵の足元で盗賊を雇おうというのだ。
「なるほどな……まずそれは決まりだな。そうなると欲張りたくなる。時間はあるのか?」
「何もしなくても一月は軽く。準備に必要といえば、二、三か月はいけるかな? さらに実際に活動を始めるのに一か月」
「長いとは言えないが……試してみるには充分な時間か。任務が始まってもそれで期限切れではないしな」
「そういうこと。とりあえず、やってみる。それで行こう」
具体的なことはまだ何も決まっていない。それでも方向性は見えた。あとは実際にやってみて、望む通りの成果が得られるか試してみることだ。そんな風にこれまでも黒狼団はやってきたのだから。