総大将のブラギの死。それによりブラギ麾下の魔王軍は降伏。拠点はアイネマンシャフト王国軍のものとなった。力による支配が意識づけられていたブラギの軍。その彼を超える力をジグルスが見せつけたことで、魔王軍は戦意を失い、降伏を拒絶して抵抗する者が出ることもなかった。ジグルス一人を狙った無茶な攻撃の為に、継戦が難しいと思えるくらいの大ダメージを受けていた、ということも降伏がスムーズに進んだ理由だ。
問題は降伏した人たちの扱い。これまでの人たちは、一応、選択肢が与えられていて、自らの判断でジグルスに仕えることを選んだ。もちろん全員に意思を確認したわけではなく、部族や種族の長が判断し、それに従ったのであるが、降伏した魔王軍はそれとは少し違う。敗北したのであるから従う。これも本人の判断と言えなくはないのだが、ジグルスが同じに受け取らなかった。では捕虜として扱うのか、となるのだが、それはそれで面倒だ。生産性のない捕虜を何千人も養う余裕はさすがにアイネマンシャフト王国にもない。強制労働をさせるにも、監督する為にそれなりの人数を割かなければならなくなる。アイネマンシャフト王国は人手不足でもあるのだ。
その問題を解決したのは深淵の一族だった。副官として軍にいたブラギの息子。その彼にジグルスは深淵の一族を解放するように要求した。拒絶すれば死。ただ彼が死ねば、血族の別の者がまた深淵の一族の主になる。解放するには血族全員を殺さなければならなくなるのだが、ブラギの息子は自分自身の死の恐怖に耐えられなかった。深淵の一族の主として盟約からの解放を宣言。それで遥か昔から続く従属関係から深淵の一族は解放された。
ただ事はそれで終わりではない。自由になった深淵の一族はジグルスへの臣従を誓った。これまでと同じような立場での臣従だ。当然、ジグルスはそれを拒絶。受け入れてはブラギに成り代わっただけ。ブラギのように彼らを軽視することがなければ、それで良いだけの話なのだが、それで納得しないのだがジグルスの面倒なところ。彼らを自由にしないと気が済まないのだ。
そんなジグルスを説得したのは冥夜の一族。一族を従わせる者は、彼らの庇護者でもある。そういった存在がいるから、他のアース族は一族に手を出さない。彼らの里は無事でいられるのだとジグルスに説明した。だからこそ、一族はどのような命令にも従うのだと。
これを知ってしまうとジグルスも拒絶しづらくなる。敵である自分に仕えれば、尚更、危険なのではないかと指摘したが、敵味方関係なく庇護者のいる一族の里には手を出さないのが、アース族の掟だと教えられ、拒否する理由を失った。危険がない状況になった時に、解放すれば良い。ジグルスにはそれが出来るのだからとも言われ、彼らの臣従を許すことになった。
それを知った魔王軍の他の者たちも動き出す。深淵の一族は他に図ることなく、自分たちだけで臣従を決めた。それが許されるのだと知った他の人たちも、少数であっても何らかのまとまりで相談し、意思決定を行っていった。深淵の一族の解放と引き換えに自分の命を保証されたブラギの息子と彼に近しい者たちを除くほぼ全員が臣従を誓うという結果だとしても、それぞれの意思で選んだという形になったのだ。
さらに、事はそれだけでは終わらなかった。
「……戦うことなく負けを認めるってことですか?」
ブラギに従っていた人以外、それもアース族が降伏を伝えてきたのだ。
「その通りです。我々は降伏し、守っていた拠点を差し出します」
降伏を申し出てきたアース族のヘイムダルは、ブラギと同じく新たに大魔将に任命されたうちの一人。降伏は彼が守っている軍ごとということになる。
「条件は? なんの見返りもなく降伏するわけではないですよね?」
ブラギとは異なる尊大さを感じさせない態度。だが降伏の条件となれば求めるものは、とてつもなく大きい。そうジグルスは考えている。
「命の保証とそれなりの立場を」
「それなりの立場というのは? もう少し具体的に教えてもらわないと検討出来ません」
「アイネマンシャフト王国には貴族という立場はないのですか?」
「ありません。この先もそういう制度を作るつもりはありません」
求めるものは貴族という身分。だがそういった制度はアイネマンシャフト王国にはない。この先も作るつもりはない。全てを平等にと考えているわけではない。働きに応じて差は生まれるのは当然のこと。だが先の世代まで保証されるのは違うとジグルスは考えている。
「……暮らしの保証と敬意では?」
「貴族と何が違うのですか?」
生活に困ることなく、他の人たちから敬われる立場。それはつまり、貴族だとジグルスは思った。
「贅沢を求めているわけではないのです。なんというか……血を残すことを助けて欲しいと言えば分かりますか?」
「血を……貴い血だから、ですか?」
結局はブラギと同じ考え。態度は違っても同類なのだとジグルスは受け取った。
「……そうですね。貴方もアース族の一人。きちんと説明するべきでしょう」
「自分がアース族であるとは思っていません。それに俺の母はエルフ族です」
ジグルスは混血だ。そうでなくても自分たちの血を他よりも貴いと考えているようなアース族と一緒にされたくない。
「アース族に純血がいると? 太古の昔から今まで純血を保てるほどの数がいるとすれば、希少性など認められないでしょう」
「……確かに」
「古き時代から続く血族間で婚姻を繰り返してきた。そういう関係を持つ血族を総称してアース族と呼ぶのです。どの血族も古くから続いているという点で希少ではありますが、必要なのは血がつながっていることと一族の特徴を持っているということ。貴方はバルドルの特徴を見せたと聞いています。だから貴方はアース族です」
後を継ぐのは血族の特徴を色濃く残す者。混血であっても、血族の特徴が出ていれば当主を継ぐ資格がある。ジグルスがブラギとの戦いで見せた姿もそれ。アース族から見て、ジグルスは間違いなくバルドルの当主ということになった。
「バルドルの特徴?」
「ああ、教えられていないのですね? 光と闇の融合。黒き精霊と一体化出来るのはバルドルの一族だけです。ただ……」
「ただ?」
口ごもったヘイムダル。そういう反応を見せられると、やはり気になってしまう。
「実際にどういうものなのかは他の血族には分かりません。少なくとも、貴方の父親が黒き精霊と完全に融合したという話は聞いていません」
「……そうですか」
自分は特別、とはジグルスは思えない。ずっとモブキャラだと思って生きてきたので、いきなりそういう考えを持つのは舞い上がってしまっているように思えて、恥ずかしいのだ。
「とにかく、我々はとてつもなく長きに渡って、取り繕ってきたのです」
「……自分たちの価値を高める為に、周りを騙してきたってことですか?」
「そうです。明らかに血族とは異なる特徴を持った子供が生まれた場合には、そのような存在はなかったものにまでしてきました。アース族内だけの秘密……実際にどうかは分かりませんが」
「……自分たちの血にはそこまでの価値があると?」
存在をなかったものにするというのはどういうことか。それを考えたジグルスの胸に広がったのは嫌悪感。目の前にいるヘイムダルへの嫌悪感だけでなく、自分もその一員だと思われていることが許せなかった。
「……愚かなことだとは分かっています。ただ我々は、恐ろしいのです」
「恐ろしい?」
「自分の代で終わってしまうことが。終わったと周りに思われてしまうことが。神話の時代から続いてきた血脈を途絶えさせてしまうのが自分であって欲しくないのです。だからどんな形であろうと次代に繋げようとしてきたのです」
かろうじて血の繋がりがあるだけ。実際のところはそれも本当か分からない。自分の代を最後にしたくない。これ以上ないほどの不名誉を背負いたくない。そんな思いが非常識な考えを、非情な行為を生み出してきたのだ。
「俺には理解出来ません」
ジグルスには理解出来ない。家を守る。それは分かる。代々続いているということは尊敬の対象になり得るものだと思う。ただそれは元の世界での常識の範囲内。この世界のアース族の極端な血への拘り。実際は血への拘りではなく、体面を守りたいだけで、その為に血族を犠牲にするなど異常としか思えない。
「理解出来なくてもかまわない。ただ私は自分の代で終わりたくない。なんとしても次代に繋げたいのです」
「……貴方にも従う一族がいるのですか?」
「います」
「その一族の解放を。解放した上で、それでも貴方に仕えたいという人がいるのであれば、それはご自由に」
強制されたものでなければ主従関係を継続することを咎めることはない。仕える側の意思を尊重すれば、そういう選択も生まれる。
「……受け入れます。他に条件は?」
「それだけです。私への臣従は必要ありません。特権を持つ国民を作るわけにはいかないので」
「……それでは我が血族は生きていけません」
「国民としては受け入れられませんが、交流についてはそちらの意思に任せます。何かあれば言ってきてください。特別に優遇するつもりはありませんが、出来ることについては前向きに検討します」
貴族のような立場を求める相手を、国に置くわけにはいかない。だがそれを、自分たちの世界の中だけで行うのであれば、自由にすれば良いとジグルスは思う。他人の家の中のことまで口出しはしない。そんな気持ちだ。
「……分かりました。貴方の善意に期待します」
ここで拒絶した場合、ヘイムダルに残された道は戦いを継続するか、戦場を放棄して逃げ出すかのどちらか。戦いを継続するという選択はない。それで負ければ死。それは絶対に避けたいからこの場にいるのだ。では逃げ出すという選択になるのかというと、それも難しい。誰も味方がいない状態で、孤立することになってしまう。ジグルスの要求を受け入れ、支援を得られる可能性を残しておくほうが良い。
「善意には善意で応えるつもりです」
ヘイムダルの側に悪意がないのであれば、出来るだけの支援を行う気持ちはある。逆に悪意を向けられれば、その時は容赦はしない。
「末永く友好な関係が続くことを」
ジグルスの言葉の意味をヘイムダルは理解した。問題ない。彼は今の状況を窮地ととらえて、ジグルスに救いを求めに来たのだ。庇護を求めに来たと言っても良い。悪意を持って、ジグルスに接するつもりなど微塵もない。
ヘイムダルの、彼に従う軍の降伏はこうして決まった。アイネマンシャフト王国は二つ目の魔王軍陣地の奪取に成功したのだ。
◆◆◆
ゾンネンブルーメ公国の西の入口、アーベントゾンネ砦の攻防戦は泥沼の戦いといった様相になっている。なんとかして砦を攻略し、ゾンネンブルーメ公国領内への侵入を果たしたいローゼンガルテン王国軍。そうはさせまいと頑強に守り続けるユリアーナ率いる魔王軍。手を変え品を変え、様々な作戦を試みるローゼンガルテン王国軍だが、思うような成果があがらない。それどころか、魔王軍によって戦いの合間にも続けられている砦の工事によって、その守りはますます固くなっていた。
ユリアーナを良く知る、と思っているブルーメンリッターの面々にとっては、その堅実さと辛抱強さは予想外のこと。当然、ここまでの長期化は大誤算だ。
「……正直、ここまで保つとは思っていなかったよ」
驚いているのはフェンも同じ。アーベントゾンネでの戦いがここまで続くとは考えていなかった。
「堅牢な防御拠点と敵に勝る物量。これを揃えることが出来れば、個人の力に頼っているブルーメンリッターなんて少しも怖くないわ」
ブルーメンリッターと互角以上に戦えるのはユリアーナとフェン、そして巨王軍の中で一人か二人。上位実力者での比較ではローゼンガルテン王国軍に分がある。そう考えているユリアーナは、徹底的に守りを固めている。個の力が活躍する戦いにならないようにしているのだ。
「だから、それが意外だ。君はもっと前に出て戦うと思っていたよ」
上位実力者の総合力ではローゼンガルテン王国軍が勝る。だが個の戦いになれば、最強はユリアーナだ。そうであるのにユリアーナは自分が活躍出来る戦場を作ろうとしない。それがフェンには意外だった。
「最初に戦ったわ。あれで敵は私の存在を警戒して、無理のない戦いを行うようになった。こちらの思う壺ね」
様々な作戦を試みているつもりのローゼンガルテン王国軍だが、そのどれもがリスクを避けている。開戦当初にユリアーナの罠に嵌って、多くの犠牲者を出した。その経験から慎重な戦い方を選んでいるのだ。
だがリスクを取らない攻撃に怖さはない。守る側としては都合が良いのだ。
「……たいした戦術家だ」
「それは褒めすぎね。私が考える程度の作戦なんて、彼にかかったら簡単に破られてしまうわ」
「なるほど」
ジグルスが相手になると、途端にユリアーナは謙虚になる。それが戦いに良い影響を与えているのだとフェンは思った。
「自ら勝利の女神……女神は私ね。勝利の女神と軍神を手放したことを後悔すれば良いのよ」
自分とジグルスがローゼンガルテン王国の側にいれば、魔王に勝ち目はない。ユリアーナはそう思う。もともと自分は勝利を約束されている主人公であったのだから、ということではない。決められたストーリーがなくても、二人が協力すれば勝利は得られると信じているのだ。
「……その軍神だけど、その呼称に相応しい活躍を見せているみたいだよ?」
「どんな?」
「新しく大魔将になったブラギを討ち取った。もう一人、ヘイムダルは降伏してしまったようだ。その結果を受けて、残りの大魔将たちがはたしてどう出るか。それによって私たちにも影響が出そうだ」
旧リリエンベルグ公国領内での戦いの様子は、逐一、報告を受けている。この結果はフェンにとっても驚きだ。アース族の一人を討ち取り、一人は降伏させてしまった。そこまでの力をジグルスが持っているとはフェンは考えていなかったのだ。
「そう……大魔将を二人……どうやら私の出番が近づいてきたわね」
「その可能性はあるよ。彼と戦うことになるかもしれないけど、大丈夫かな?」
「その大丈夫かは、どういう意味かしら? 覚悟は出来ているかであれば、とっくに出来ているわ。勝てるかであれば……どうかしら? 絶対とは言えないわね。与えられる戦力次第」
「そうか……」
何故、ここまで高く評価しているジグルスと敵対する立場になったのか。この理由をまだフェンは知らない。ローゼンガルテン王国を見限った理由であれば想像がつく。旧リリエンベルグ公国領でのジグルスとの戦いがなければ、魔王軍はローゼンガルテン王国軍に勝てる。万一、魔王軍が負けることになったとしても、ジグルスのアイネマンシャフト王国にローゼンガルテン王国は勝てない。敗者になることに変わりはないとフェンは思う。まして、ユリアーナがジグルスの側にいれば絶対だ。
ユリアーナは勝ち馬に乗ったわけではない。では何故、魔王軍の一員として戦うことを選んだのか。考えても答えは出ない。