ジグルス率いるアイネマンシャフト王国軍とアース族のブラギ率いる魔王軍の戦いは一進一退の攻防が続いている。ジグルスの策略に嵌って怒り心頭のブラギは、それ以降、一騎打ちの誘いに応じることはなく、軍同士の戦いに徹している。相手が隙を見せなくなれば、アイネマンシャフト王国軍もそれに応じた戦いを行うしかない。拠点を巡る攻防となれば、基本は守る側が有利。攻める側のアイネマンシャフト王国軍には不利を覆すだけの数はない。逆に少ないくらいなのだ。
最初の拠点攻略に手間取ることになったアイネマンシャフト王国。旧リリエンベルグ公国領での戦況は魔王軍の優勢に傾いた。こんな観測が魔王軍側に生まれた頃。
「左だ! 左から……いや、違う! 右だ!」
部隊を指揮する魔人の指示。はっきりとしない内容では、部隊は混乱してしまうだけだ。
「守りを固めろ! 急げ!」
それでもなんとか陣形を右に傾ける。だが、やはり、その指示は間違いだった。
「新手だ!」
アイネマンシャフト王国軍の別部隊が、魔王軍の左翼に向けて攻撃を仕掛けてきた。完全に逆を突かれる形となった魔王軍。陣形が乱れたところに突撃を受けて、部隊は崩壊した。
「守りを固めろ! 陣地を守るのだ!」
こんな状況が魔王軍が守る拠点のあちこちで繰り広げられている。数は魔王軍が有利であるのだが、アイネマンシャフト王国軍の動きはそうとは思えないものだ。
この状況を生んでいるのはアイネマンシャフト王国軍の質の向上。それも指揮官の質の向上だ。何度も戦いを重ねていく中でアイネマンシャフト王国軍は、かつてのリリエンベルグ公国軍特別遊撃隊に劣らないくらいに部隊間の連携が高まっているのだ。その効果はリリエンベルグ公国軍の時を遥かに超えている。部族混成のアイネマンシャフト王国軍には部隊毎に特色がある。それぞれの得意を活かすことで、圧倒的な攻撃力を得られている。
「何なのだ!? 何なのだ、奴らは!?」
この状況が魔王軍を率いるブラギには納得いかない。集団戦では数に勝る自軍のほうが優勢であったはずが、いつの間にか状況が逆転している。こんなことはあってはらないのだ。
「……人族の戦い方を学んでいるのではないですか?」
ブラギの問いに答えたのは、深淵の一族のフギン。彼には自軍が劣勢になった理由は分かっている。戦術の差だ。魔王軍にも戦術がないわけではないが、アイネマンシャフト王国軍のように状況に合わせて、変えていくことが出来ない。個々の判断に頼る戦いになってしまえば、いくつもの部隊が連動して動くアイネマンシャフト王国軍には対抗出来なくなる。
「そんなことは分かっている! どうして、あんな恥知らずの真似が出来るのかと聞いているのだ!」
「はっ! 失礼いたしました!」
戦術の差。それはブラギも分かっている。分かっているが認めたくない。それは指揮官である自分が、ジグルスに劣っていると認めることになってしまう。
「……バルドルの息子の動きを止めろ」
「それは……どの様に?」
それが出来るのであれば、魔王軍は苦戦していない。アイネマンシャフト王国軍の動きは神出鬼没。その中でもケントール族で編制されているジグルスの近衛部隊の動きは一段上を行っている。
「どの様な手を使ってもだ! 奴の動きを止めれば、あとは我がなんとかする!」
「しかし……」
「やれと言ったら、やれ! 我に背くつもりか!?」
「……承知しました」
深淵の一族にとってブラギの命令は絶対。成功する見込みはなくても、試みるしかない。フギンは死を覚悟した。自らの死だけでない。この戦場にいる一族全員の死を。
◆◆◆
ジグルスは常に部隊を率いて、前線を駆けまわっている。後方に控えていては、自軍の持ち味である臨機応変な戦い方が出来ない。このやり方は、そもそも後方に控えていられるような身分ではなかったということもあるが、リリエンベルグ公国軍時代と同じだ。
この戦場でもそれは変わらない。何度も繰り返されている戦いで、徐々に敵の数を減らすことに成功しているが、元々、倍以上の差があったのだ。まだまだ余裕を持って戦えるなんて状況ではない。
敵の動きを見、味方の動きを予測し、自らも動く。時には他部隊に指示を出し、大きく戦術を変化させる。それを繰り返していた。
「……なんだ?」
そのジグルスが敵の新たな動きに気が付いた。ジグルスにとっては、不思議と思える動きだ。
「どうされました?」
疑問の声をあげたジグルスに、グラニがその理由を尋ねる。ジグルスを乗せているグラニも、ただ指示通りに動くだけではない。戦況を知り、どう動くべきかを常に考えている。それがジグルスの求める反応の速さを実現することになると信じて。
「敵の動きがおかしい」
「それは」
どのような動きなのか。残念ながらグラニは、まだそれを感じられなかった。
「王!」
不意に空から降ってきた声は有翼族の兵士のもの。この戦いでは、有翼族は空からの偵察を担っている。彼らも敵の動きに気が付いて、ジグルスに伝えにきたのだ。
「どういう動きだ!?」
「我々を包囲しようとしているように見えます!」
魔王軍はアイネマンシャフト王国軍を包囲しようとしている。その動きを有翼族は確認した。
「やっぱり……左右に回ろうとしている敵の数は!?」
「それぞれ、およそ三千!」
「そんなに……」
敵は総数のおよそ三分の一の数を左右に回している。やはり、ジグルスには納得がいかない。
「何が疑問なのですか?」
ジグルスが納得していない理由がグラニには分からない。もともと戦術とは無縁であったグラニ。まだまだ勉強中なのだ。
「倍の数がいるといっても、包囲するには十分な数とは思えない。しかも守る側が包囲に出るって」
「……なるほど」
魔王軍は陣地を出て包囲しようとしている。陣地の中で戦っているからこそ、なんとかアイネマンシャフト王国軍の攻撃に耐えてこれたと言えるのに、そこから出て戦おうとするなど自殺行為だ。
「……罠か……でも……悩む時間がもったいないな。全軍に伝令! 正面の敵を討つ! グウェイとウッドストックの部隊は退路の確保!」
敵の誘いである可能性はあるが、ジグルスは攻勢に出ることを決めた。敵が見せた隙は、この戦いの勝敗を決する絶好の機会でもある。いつまでもこの戦場にとどまっているわけにはいかないのだ。
ジグルスの命令を受けて、アイネマンシャフト王国軍が一斉に動き出す。左右合わせておよそ六千の敵が抜けた敵陣の守りは薄い。そこを一気に突破しようと突撃を開始した。
「ルー」
「……出番?」
「かもね。罠に嵌りそうだったらお願い」
「了解」
ルーはジグルスの切り札。いざという時の切り札らしく、実は継戦能力は乏しい。強大な力を発揮出来る時間が短い為に、長時間に渡る拠点攻略戦には不向きなのだ。
「来た……やっぱり、誘いかな?」
ジグルスの部隊に向かってくる敵の軍勢。ドワーフ族を中心としたその敵は物凄い勢いで、まっすぐにジグルスに向かってくる。敵の動きは、やはり自分を誘い込む罠。そう思ったジグルスであるが、これくらいでは引き返すつもりはない。
「突撃体制をとれ!」
グラニが部隊に指示を出す。ドワーフの勢いに負けるつもりは微塵もない。手に持った槍を前に突き出し、駆ける勢いはそのままで低い体勢をとる。その勢いを追い越していったのは背に乗るエルフたちが放った魔法。直撃を受けて吹き飛ぶドワーフたち。乱れた敵の隊列の隙間を狙って、ケントール族は突撃をかけた。
力と力のぶつかり合い。何人か足止めを食らった者もいたが、全体としてはケントール族の圧勝。敵ドワーフ族の部隊を突き抜けていく。
「前方!」
突き抜けた先にあったのは深く掘られた壕。二人が先行し、その壕を飛び越えていく。着地点に異常なし。それを確認して、後続も壕を飛び越えていく。
だがジグルスを乗せたグラニがそれを飛び越えようとした時、異変が起きた。
「なっ!?」
壕の中から跳びあがってきたいくつもの黒い影。それがグラニの足にしがみついてきた。
「邪魔だ!」
手に持った槍で足にしがみついてきた敵を払おうとするグラニ。だが槍に突かれても、敵は手を放そうとしない。それどころか、地面に降り立ったグラニに向かって、さらに多くの敵が群がってきた。
「敵接近!」
新たな敵の到来を告げる警告の声。またドワーフ族の部隊が駆けてきている。その部隊だけではない。他にもいくつもの部隊が陣地を飛び出して、攻め寄せてこようとしている。
完全にジグルス一人を狙った動きだ。
「……何を企んでいる?」
敵の意図がジグルスには分からない。自分を狙っている。それは分かる。分かるが、アイネマンシャフト王国軍はジグルスの部隊だけではない。他の部隊がジグルスに近づこうとして陣地を出た敵部隊に、逆に襲い掛かっていく。
「放せぇええええっ!」
ただグラニはかなり苦戦している。いくら槍で突いても敵は離れようとしない。それどころか縄を使った、自らの体をグラニに縛り付けようとしている。
ジグルスも黙って見ているわけにはいかない。グラニの背から降りて、彼にまとわりつく敵を引き離そうとしたのだが。
「げっ!?」
地中から伸びた手がジグルスの足首を掴む。振り払おうとしたジグルスに、地中から飛び出してきた何人もの敵がまとわりついてくる。その敵に向かって振るわれたのは、ルーの刃。深く背中を切り裂かれた敵。だがその腕はジグルスの体にしがみついたままだ。
「……なんだ、こいつら?」
敵はただジグルスに群がり、まとわりついて来るだけ。それがジグルスには不気味だった。両腕と両足を絡めてくる敵。当然、ジグルスを攻撃することなど出来ない。ジグルスに剣を突き立てられ、ルーに切り裂かれても、ただただ同じことを繰り返そうとしてくる。
その戦いに変化を生んだのは、空気を切り裂く刃。ジグルスよりも大きいのではないかという巨大な剣が、振るわれたのだ。胴体から真っ二つにされた敵。下半身が地面に転がり、力を失った上半身もゆっくりとずり落ちていく。
「……痛ってえ」
ジグルスも無傷ではなかった。腹部を押さえた手の隙間から血が流れ落ちていく。
「何をしている! 止めを刺す! 早くそやつを押さえつけろ!」
巨大な剣を振るってきたのはブラギだ。
「……ブラギ様」
そのブラギの命令にすぐに従う者はいなかった。ジグルスの動きを止めようとすれば、ブラギに切り殺される。それが分かっていて、すぐに反応出来る者はいない。
「さっさと動け! 我に逆らうつもりか!?」
鈍い反応に苛立ち、怒鳴りつけるブラギ。
「……う、うわぁああああっ!」「うおぉおおおおっ!!」
やけくそと思えるような雄たけびをあげて、敵はまたジグルスに襲い掛かってきた。敵の意図はもうジグルスにも分かっている。怪我の痛みを堪えて、ルーの助けも借りながら、敵を近づけないように動き続ける。
そこにまた巨大な剣が振るわれてきた。ジグルスの周囲にいる敵を切り裂く剣。ブラギは、自分の味方に容赦なく剣を振るってくる。
「ぐずぐずするな! ちゃんと働かないと犬死することになるぞ!」
「……お前……お前っ! 何を考えている! 味方だろ!?」
犬死すると言うが、そうさせているのはブラギ本人だ。味方を殺すことに、なんの罪悪感も持っていない様子のブラギに、ジグルスは強い怒りを覚えた。
「味方? こいつらは俺のしもべだ。どう使おうと俺の自由だ」
「他人の命を自由に出来る権利などお前にはない!」
「ある! こいつらは遥か昔から我が一族の為に生きてきた。我が一族の為にこの者たちの命があるのだ!」
ジグルスを囲んでいるのは深淵の一族。ブラギの血族に遥か昔から仕えている一族だ。
「傲慢な……」
「何を愚かなことを。お前にも冥夜の一族がいるではないか? 我らアース族は太古の昔から続く貴き血族。我らの血を、さらに後世に残す為であれば、虫けらのごとき者どもの命など惜しむ必要はない」
ジグルスの父バルドルもアース族。ただバルドルとブラギは同種族というわけではない。魔人の中でも遥か昔、神話の時代から続く数少ない血族を、総称としてアース族と呼んでいるのだ。
「……虫けら?」
「ああ、そうだ。こいつらは魔人もどきの半端者。何者でもない者たちだ。残す血のない者たちの命に何の価値がある」
深淵の一族も冥夜の一族も、ひとつの種族ではない。生まれつき強い力を持っているわけでもない。弱い人たちが技を磨き、集団での戦いを身につけることで存在価値を生み出してきたのだ。太古から続く血脈を誇りにしているブラギの考えでは、彼らの血には、命には価値がないということになる。
地面に倒れている深淵の一族に視線を巡らせるジグルス。自らが流した血だまりの中で、か細い声で何かを呟いている人たち。ジグルスの耳にはその声が「助けて」と聞こえた。
「……なるほど……アース族というのは沢山いるのか?」
「我の話を聞いていたか? 我らのような貴い血を持つ者たちが多くいるはずがない」
「そうか。じゃあ、皆殺しにしても大したことないな」
「……なんだと?」
ブラギにとっては、耳を疑う言葉。後世に残すべき貴い血を絶やすなんてことはあってはならないことなのだ。
「お前には彼らの顔が虫に見えるのだろ?」
「何を言っている?」
「この顔が! 生への強い執着を持った! そうであるのに死ななければならない悔しさに満ちたこの顔が! お前には見えないのか!?」
地に倒れている死体。ブラギの為に死ねることを喜ぶ顔などひとつもない。どの顔も死への恐怖に、理不尽な死の悔しさに歪んでいる顔ばかりだ。ジグルスたちは戦争を行っているのだから、死者はでる。だがその死は、虫けら呼ばわりされるような軽いものではない。
「人の命の重さを! 人の心を理解出来ないお前に何の価値がある!? アース族というのが皆、お前のような考えであるなら、そいつらも無価値だ!」
「馬鹿なことを言うな! 我らは何者よりも貴い存在! 太古の昔から続く血族なのだぞ!」
「それが何だ? つまりはお前たちが、お前たちの持つ古臭い、カビの生えた考えが、今の魔族の苦境を生み出したということだろ? 未来を変えたいと思うのであれば、まっさきに滅ぼすべきはお前たちだ」
受け継いだ血が、生まれ持ったものが全て。ジグルスがもっとも認められない価値観。アース族がその根源であるというのであれば、消し去らなければならない。未来に残してはならないとジグルスは思う。
「たわごとは聞き飽きた! その口を永遠に塞いでくれる! さあ、やれ! 今度こそ、そいつを押さえつけろ!」
深淵の一族に再び命令を発するブラギ。
「愚か者のたわごとこそ、もう聞く必要はない。大人しく見てろ。未来を変えたいと思うならな」
静かな口調でジグルスは自分を囲む深淵の一族に話し掛ける。それに対する応えはない。そのようなものは求めていない。ジグルスはブラギに向かって、歩を進めた。
無言のままの深淵の一族。だがジグルスの歩みを止めることもしない。
「……我に逆らうのか! 愚か者どもが! ならばお望み通り、まとめて葬り去ってくれる!」
ジグルスに、その周りにいる深淵の一族に向かって大剣を振るうブラギ。だがその剣は、誰も傷つけることなく、止まった。
「ば、馬鹿な?」
それに驚くブラギ。ブラギの剣を止めたのはジグルス。ジグルスが伸ばした手の先で、大剣は止まっていた。
「……貴様が誇る血を、一滴も残さず消し去ってやる!」
ジグルスの手から吹き上がる漆黒の影。炎のように揺らめくその黒い影は、生き物のようにうごめき、ジグルスの体に巻き付いていく。それと同時にジグルスの体から吹き上がる眩い光。漆黒の影と眩い光は絡み合い、ジグルスの全身を包んでいった。
「これは……まさか、これは!?」
驚きの声をあげるブラギ。彼には目の前で起こっていることに心当たりがある。だが、そうであるという確信はない。彼は実際にそれを見たことがない。古き昔から伝わる言い伝えに過ぎないのだ。だが、すぐにブラギの中に確信が生まれることになる。
ジグルスの全身を包む光と影。それは徐々にその形を変えていく。
「あぁあああああっ!」
叫び声をあげるジグルス。人々の目を眩ませていた光が収まった、と見えた瞬間、ジグルスの姿はその場から消えた。
地が揺れたかと思うような激しい衝撃音。土煙が周囲に舞い上がる。
「……バ、バルドル」
地面に倒れているブラギ。その口からジグルスの父の名が呟かれた。
「バルドルの息子、だろ?」
ブラギはジグルスのことをずっとバルドルの息子と呼んでいた。だが今のは、呼び間違えたわけではない。息子と呼ばない理由が、今のジグルスにはあるのだ。
ジグルスの腕に浮かぶ、蔦が絡まっているかのように見える黒い紋様。ただの入れ墨でないことはすぐに分かる。ついさきほどまでジグルスの腕にはそんなものはなかった、というだけではない。明らかに周囲の紋様とは異なる黒。ジグルスの手首にある黒い瞳が、ブラギを見つめていた。
「……負けん。貴様なんぞに負けてたまるかぁ!」
ジグルスの隙を見て、反撃に出るブラギ。地面から跳ね起きるとジグルスに向かって、蹴りを放つ。それを躱すことなく、受け止めるジグルス。地を蹴った足がブラギのこめかみに打ち込まれた。
宙を舞うブラギの巨体。さらにそれを追ってジグルスは拳を叩き込む。黒き炎を纏った拳。地面に打ちつけられたブラギの頭は、その勢いのまま、宙に跳ね上がる。
「……こ、こんな……い、嫌だ……死ぬのは……嫌だ」
朦朧とした意識の中、死への恐怖を口にするブラギ。
「少しは分かったか。でも……手遅れだ」
腕を振るうジグルス。その腕から伸びた影は、黒い大鎌となり、ブラギの首を斬り落とした。地面に転がる頭。首から吹き上がる血しぶきをまき散らしながら、ブラギの体は地に倒れていった。
『……………………』
ブラギの死。魔王軍の総大将の死だ。だが周囲は無言のまま。ブラギにまったく反撃の隙を与えずに圧勝したジグルスの強さに驚き、呆然としている。
「……ルー、なのか?」
自分の手首にある瞳に声をかけるジグルス。なんとなく見覚えがある瞳は、ルーのものではないかと思っている。自分の腕からルーの武器である大鎌が伸びたことでも、そう思ったのだ。
その問いへの答えはない。口がないので答えようがない。
「これで口もあったら……どこかにあるのか?」
自分の体をあちこち探ってみるジグルス。本気で探しているわけではない。そうやって自分の気持ちを誤魔化しているのだ。今の自分の姿は、誰が見ても普通の人ではない。自分が魔族の血を引いていることを示すものだ。種族融和を理想としていても、王であるジグルス自身の気持ちの整理が出来ていない。差別意識とは少し違う。ジグルスが心を揺らしているのは。
「……ジーク」
「リズ……」
リーゼロッテがこの姿を見て、どう思うかと不安に思っているから。魔族であることをはっきりと知らしめるこの姿を見て、リーゼロッテはこれまでと変わらないでいてくれるか。それを知るのが怖いのだ。
「……目」
「…………」
「あるのは額じゃなくて手首だったのね? それでは見つからないはずだわ」
ジグルスが自分には魔族の血が流れていると告白した時、リーゼロッテは冗談っぽく、第三の目を探してみせた。そんなことは関係ない。ジグルスにそう伝えたのだ。
「四つ。口もどこかにあるかも?」
「……それを捜すのはあとのお楽しみね。夜が待ち遠しいわ」
「人前でそういうことは言わない」
不安に思いながらも、信じていた気持ち。自分が何者であろうと。リーゼロッテの気持ちは変わらない。変わらず自分を愛してくれる。そういう人に巡り合えた幸運を、ジグルスは実感した。
それは周囲で二人の様子を見ていた人たちも同じ。この人が自分たちの王になって幸運だったと思う。その王の隣にいるのが、この女性で本当に良かったと思う。二人はアイネマンシャフト王国が掲げる種族融和の象徴。王であり、王妃であるべき人たちなのだと心から思えることが嬉しかった。