アーベントゾンネ攻略を試みるローゼンガルテン王国軍の本営。そこで今、指揮官たちを集めた作戦会議が行われている。特別な会議ではない。ほぼ毎日のように行われている定例会議だ。
会議に参加している人々の表情はどれも暗い。アーベントゾンネ攻略戦は予想を大きく外して、長期化している。今こうして作戦を考えていても、勝利への道筋はまったく見えてこないのだ。
「鍵となる穴倉は大きく三か所。この三か所を攻略することで、攻撃はかなり楽になるはずだ」
大きな会議机の上に広げられた戦場の図を使って、レオポルドが敵陣について説明をしている。赤い印がつけられている場所がレオポルドの言う三か所の重要地点だ。
「そうだとして、その三か所は落とせるのか?」
敵陣の重要地点は分かった。だが、落とせなければ意味はない。エカードはそう思っている。レオポルドが示している三地点の守りは固い。それは紙に書かれている戦場図を見ているだけで分かる。
「その方法を考える。三か所の穴倉の周辺には、いくつもの小さな穴倉がある。籠っている敵兵の数はそれほど多くはないはずだが、無視するわけにはいかない。後背に敵を残すことになるからね」
魔王軍の陣地は沢山の穴倉、防御陣地で構成されている。穴を掘った上で周囲を石などで囲み、その中に兵が籠って、近づくローゼンガルテン王国軍を攻撃してくるのだ。防御陣地はさらに地中深く掘られた地下道で繋がれていて、人が行き来出来るようになっている。数人しかいないと思っていた防御陣地から沢山の敵兵が現れた、なんてことはもう何度も経験している。
「結局、ひとつひとつ潰していくのか……」
一か所攻略しては、二度と使えないように穴を埋めていく。そしてまた次の穴倉へ向かう。これはこれまでとなんら変わらない。そうしている内に、敵陣の奥で新たな穴倉が作られていく。終わりの見えない戦いが続いていくのだ。
「三か所のうち、どれかひとつ落とすだけで、一気に効率はあがる」
レオポルドが示した三か所の重要地点も連携している。三か所には他にはない中距離攻撃装置、投石器や弩砲が置かれている。どれか一つを攻めようとすれば、その中距離攻撃装置で他の二か所からも攻撃されてしまうのだ。それを避けようと思えば、三か所同時攻撃を試みることになるのだが、それは敵の攻撃だけでなく味方の戦力まで分散させてしまう。攻撃力を落とす結果になってしまうのだ。
とにかくどれか一か所を落とすこと。それで戦力の集中が図れるようになり、敵防御陣地の攻略は楽になる。レオポルドはこう考えている。
「確かにそうだが……」
犠牲は大きくなる。実際にこれまで多くの死傷者を出した。レオポルドの提案は、攻撃目標を三か所に絞った以外は、これまでのやり方と変わらない。この先も多くの死傷者が出ることを覚悟しなければならない。
「勝つことだ。勝てば雑音は消える」
ただ犠牲を増やすばかりの戦い。彼らは以前にもこういった戦いを経験している。その状況を打開したのはリリエンベルグ公国軍。そのリリエンベルグ公国軍を実質、率いていた一人の男。
リリエンベルグ公国軍が、彼がいてくれたら。かつての戦いを知る兵士たちが漏らしている言葉。それをエカードたちは知っているのだ。
ローゼンガルテン王国を救った英雄として敬われるはずだった彼ら。その彼らは今、無策のまま兵士を死地に送り込む無能な指揮官と評価されていた。
◆◆◆
ゾンネンブルーメ公国での戦いは膠着状態。これはローゼンガルテン王国上層部が自分たちにとって都合の良い言い方をしているだけ。実際は膠着どころか、領内の入口で足止めをくらっている状況だ。
ただそんな風に事態を取り繕うとても意味はない。ずっと城内にいる一部の人は誤魔化せても、それ以外の人たちには通用しない。ローゼンガルテン王国軍が苦戦しているという事実は、広く世間に知れ渡っているのだ。ゾンネンブルーメ公国に通じる街道はずっと閉鎖されたまま。公国から逃げ出してくる人々についての噂もない。ローゼンガルテン王国軍が勝利したという、人々を安心させるような報告も届かない。現地の詳細な情報は分からなくても、戦いが上手く行っていないことくらいは少し考えれば誰にでも分かる。
この状況は、王国の実権を握るキルシュバオム公爵にとっては大きな誤算。魔人との戦いに勝利することは、簒奪を正当化する為に絶対に成し遂げなければならない。ゾンネンブルーメ公国を救うことが出来なければ、リリエンベルグ公国を見捨てた前国王と何が違うのか、ということにもなりかねないのだ。
「そういった批判を躱す為に、とりあえず私を王に、ということかな?」
「…………」
「違うの? さすがにそこまでの事情は聞かされていないか?」
「……あっ、あの……ん……」
アルベルト王子の問いに、クラーラは苦し気な様子で答えにならない声を返す。
「いきなり即位の話だからね。きっかけとしては、それくらいしか思いつかない。そうであれば……」
国王になっても実権は何も与えられない。キルシュバオム公爵が何らかの地位について、国政を動かすはずだ。それは現時点では仕方がない。問題はそれがいつまで続くか。飾り物であっても国王でいられる期間はどれくらいか。その間に何が出来るか。
「……あっ、も、もう……で、殿下……指を……」
自分の胸に置かれているアルベルト王子の指に手を重ねて、懇願するクラーラ。
「えっ? あっ、ごめん。考え事に夢中で。困ったな……やはり私は好色なのかな?」
周りの警戒心を緩める為。さらにクラーラに口を割らせるには、恥ずかしい思いをさせて思考を停止させることが有効であると知り、アルベルト王子は好色を装い続けてきた。
だがあまりにそれを続け過ぎて、目的が何にあるのか、曖昧になってきている。最近は、クラーラを辱めることを本気で喜んでいるような気がしてきたのだ。
「…………」
恥ずかしそうに顔を、体もピンクに染めているクラーラ。思いは彼女も同じ。嫌がる振りをしながらも、本心ではアルベルト王子の愛撫を喜んでいるのではないかと思えてきているのだ。
「……即位が決まると、君もあれだね?」
「あ、あれ……」
「覚悟は出来ているのかな?」
クラーラは好きでもない男性に嫁ぐことになる。王子であるアルベルトにとっては当たり前のことだが、彼女は元は平民。平民にはそういう義務はないとアルベルト王子は考えている。
「……覚悟、ですか……それは……」
クラーラの顔はピンクを越えて、真っ赤になる。覚悟の意味を、完全に間違いではないが、勘違いしているのだ。
「……いっそのこと、正式に決まる前にあれしようか?」
クラーラの勘違いに気が付いたアルベルト王子。今度はクラーラの思っている通りの意味で問い掛けた。
「えっと……」
そうしましょう、と誘う大胆さはクラーラにはない。かといって「嫌です」とも言わない。
「そういう関係になれば、君のことをもう少し信用出来るようになれるかな?」
「えっ……?」
「君は私の味方になってくれるのかな?」
クラーラを見つめて、これを問うアルベルト王子。彼にとっては少し踏み込んだ質問だ。自分の味方に。それは何の為にという疑問が、クラーラの頭に浮かぶことを覚悟しての問いなのだ。
「……殿下が求めているのは、本当に味方ですか? 利用できる道具ではなく?」
クラーラの頭に浮かんだのは、アルベルト王子は自分を利用としているのではないかという疑いだった。
「……それは君次第だね。君が本気で私のことを思ってくれるのであれば、君は味方だ。そうではなく命じられたまま、その立場を忘れないというのであれば……その場合は利用も出来ないね」
「私は……誰かの操り人形になりたくありません」
これはキルシュバオム公爵だけでなく、アルベルト王子に対しても同じ。逆らう力がなく、こうしてここにいるが、今の境遇に納得しているわけではないのだ。
「では君の意思を聞かせてくれるかな? 本心から私の妃になってくれるのか、そうでないのか」
自分は何を確かめようとしているのか。内心ではこんな思いを持ちながら、アルベルト王子は問いを発してしまう。
「それは……」
自分の意思と言われても、クラーラはすぐに答えを返せない。その意思が彼女の心の中で定まっていないのだ。
「……君の本音を聞くためには、やはり好色な私でないと駄目か」
クラーラの戸惑いをアルベルト王子は拒否と受け取った。それは当然だと。彼女に愛されている自信などまったくないのだ。馬鹿なことを聞いてしまった。そんな思いを誤魔化す為に、またアルベルト王子は好色な自分になろうとした。
「ち、ちょっと……それは……卑怯です」
「卑怯?」
ここで卑怯という言葉が出てくる。アルベルト王子はその言葉に違和感を覚えた。
「だって……私には好きな人がいます」
「そう……」
クラーラの口から出てきたのは、はっきりとした拒絶。それを聞いて、アルベルト王子は気持ちが落ち込むのを感じた。
「それなのに、私は……殿下に変なことされても拒めなくて……押しに弱いのかなと思うのですけど……本当にそれだけか分からなくて」
「えっ……?」
「……自分の気持ちが分からないのです。私が好きなのはウッドくんなのか、それとも……殿下、なのか……」
恥ずかしそうにうつむくクラーラ。そのクラーラをアルベルト王子は呆然と見つめている。クラーラの言葉の意味を考え、思いついたそれに驚いているのだ。
「…………えっと……それはつまり……私は、君がはっきりと好きだと自覚している人と同列にいると考えて良いのかな?」
「申し訳ございません」
「いや、そうじゃなくて……ああ、そうか……そうだったのか」
彼女の言葉を喜ぶ気持ち。自分はクラーラのことを好きになっていたのだ。アルベルト王子はそれをはっきりと自覚した。きっかけは分からない。このような状況で恋愛などしている場合かという考えもよぎるが、それで想いが消えるわけではない。
「で、殿下……だ、駄目……」
素直な気持ちのままに、クラーラを抱きしめるアルベルト王子。その彼の胸で、クラーラは小さく抗う。
「今は君の願いを聞けないな。君が想う彼を少しでも超える為であれば、私はどんな卑怯な真似でもしよう。それで君の気持ちが得られるのであれば、躊躇いはない」
「殿下……」
アルベルト王子の口から語られた、勘違いのしようがない愛の告白。自分を利用する為に騙しているのだとはクラーラは思わなかった。彼から伝わる熱がそれを思わせなかった。
上目遣いで自分を見るクラーラの唇に、アルベルト王子は自分のそれを重ねる。素直にそれを受け入れたクラーラ。この瞬間で、アルベルト王子はウッドストックを大きく引き離した。
◆◆◆
ゾンネンブルーメ公国領北部にある城塞都市。まだローゼンガルテン王国が今ほどの規模でない時代、ゾンネンブルーメ公国がまだ王国であった時代から存在する古い城塞都市だ。ローゼンガルテン王国の一部となって以降は戦略的価値を失い、必要最低限の補修は行われているものの、老朽化した城塞。それでもこの周辺地域の守りの要であるという位置づけに変わりはない。あえて他に作るまでもないという事情はあるにしても。
その城塞都市を今まさに攻めようとしている軍勢がいる。総勢六千ほどのその軍勢。掲げる旗はない。
「……出てきました」
城塞都市側からも軍勢が出てきた。数は二千ほど。その多くは、魔物だ。その城塞は魔王軍に占拠されているのだ。
「タバート殿、先陣は我らでよろしいか?」
「そうだな。任せる」
タバートの許可を得て、騎乗した兵士たちが前に進み出る。一斉に突撃、はしない。横に並んだ騎乗の兵士たちは、その場で詠唱を始めた。
まるで歌っているかのように聞こえる詠唱の声。その美しい声音が途絶えるのと同時に、駆けてくる敵に向かって魔法が襲い掛かった。敵の前衛をまとめて吹き飛ばすほどの強力な魔法。それを見た味方から驚きの声が漏れる。後方に残った味方の多くは、前に出た騎馬部隊の魔法攻撃をきちんと見るのは、これが初めてなのだ。
「突撃!」
さらに騎乗の兵士たちは前に駆け出して行く。横一列から縦一列へと変化していく隊列。まっすぐに敵に向かっていった騎馬隊は、敵勢と接触する前に進路を右に変えた。
馬を駆けさせながら次々と放たれる矢が、駅を撃ち抜き、足を鈍らせる。魔法と矢による攻撃で、敵は突進の勢いを失った。
「突撃、用意!」
それを見て後続が突撃の準備に入る。命令を聞いて、緊張した面持ちの兵士たち。
「さあ、始めよう! 君たちの戦いを!」
その兵士たちにタバートが声をかける。この戦いはその緊張した兵士たちの戦い。元ゾンネンブルーメ公国軍の騎士や兵士たちが、自らの意思で始めようとしているのだ。ゾンネンブルーメ公爵家の為でも、ゾンネンブルーメ公国の為でもなく、自分の為に、自分の家族や仲間を守る為の戦いを。名もなき勇者たちの戦いを。