戦争に向けて準備を行っているのはアルカナ傭兵団だけではない。人知れず動いている組織がある。黒狼団だ。ベルクムント王国との戦いが始まると聞いたロートは、情報集めに動いた。太い情報源は今はまだいない。それでも食堂の、エマのかもしれないが、評判は王国騎士や傭兵団員にも届いており、客として訪れる者たちは何人もいる。それらの人たちから、それとなく情報を聞き出すのは慣れたものだ。相手のほうも、出陣が公表されたあとということで、警戒心は薄い。平騎士や従士である自分が知っていることは、たかが知れているという思いもあり、実際そうだが、ある程度の情報は手に入った。
「集めた情報から考えるとシュバルツたちは主戦力とはなっていないようだ」
いくつかの情報をまとめると愚者は先軍にも中軍にもいないことが分かる。両軍が主力であることは明らかであり、そこにいないヴォルフリックたちは主戦場には出ないことになる。
「それは良いことなの?」
エマとしてはヴォルフリックが危険な目に遭わないのが一番。ただ主戦力ではないという話だけでは分からない。
「戦闘に参加する機会が少ないということは良いことだ。ただ……」
「ただ、何?」
「あいつを外すかな? 上手く猫をかぶっている可能性はあるが、それでもな」
ヴォルフリックの戦闘力を戦争に活かさないのは愚かなことだとロートは思う。アルカナ傭兵団が彼の正しい実力を把握していないのであれば、あり得るかもしれないが、それも考えにくい。任務で派手にやらかしていることをロートは聞いているのだ。
「……別に何かあるということ?」
「可能性は否定出来ないな。ただ、それが何かはまったく分からない」
「直接聞くしかないわね」
出発する時にヴォルフリックの話が、一方的にだが、聞ける。そこで情報を得るしかないとエマは考えた。
「そこから動いて間に合うか」
「でも、何をすれば良いか分からなければ、どうしようもないわ」
「そうだけどな……」
そのようなやり方ではトールは納得しない。情報を得て、ヴォルフリックが何を求めているかを先読みして動けるようになりたいのだ。
「……じゃあ、一番の目的は何?」
エマにもロートの気持ちは分かる。ヴォルフリックの指示を待つだけでは、彼を支えているとは言えないのだ。
「生き延びさせることだな」
なにより大切なのはヴォルフリックとブランドの無事。戦争の勝敗などロートたちにはどうでも良いことだ。
「戦争に介入することは出来ない……負けた時に何が出来るかね?」
戦争の結果に影響を与えるような力は黒狼団にはない。そうであれば、結果が出たあとに必要な、最善のことを行うだけ。それが何かをエマとロートは考えた。
「上手く逃がすこと……いや、それもどうだ?」
ヴォルフリックたちがどこに行くのか分からないが、他の部隊もいるはずの場所から彼らだけを逃がすのは難しい。その拠点に浸透している必要があるのだ。
「いっそのこと同行する?」
打てる手が見つからない。そうであれば、直接支援するしかない。
「戦場に? それをやるとしても、足手まといになる奴は連れてはいけない」
「…………」
ロートが自分のことを言っているのはエマにも分かる。兄であるロートだからこそ、遠慮することなく、こうしてはっきりと言えるのだ。
「紛れ込むことを考えるか……その上で逃走路を確保する。戦いがすぐに始まるとは限らない。準備期間はあるかもしれないな」
浸透出来ていないのであれば、軍勢がそこに入るのと合わせて潜り込み、そこから準備を行うしかない。着いてすぐに戦いが始まるのでなければ実現の可能性はあるとロートは考えた。
「足が必要ね……馬に乗れる人いる?」
「……馬車だな。それは現地調達だな」
ノイエラグーネ王国には黒狼団の拠点がある。商売の為だけの小さな拠点だが、物資を調達するくらいは出来る。
「戦争となると事が大きすぎて、何も出来ない」
逃げるための馬車を用意して、それが本当にヴォルフリックの役に立つのか。戦争に対して黒狼団が出来ることはほとんどない。仕方のないことだ。国同士の争いに影響を与えるなど裏社会の一組織に過ぎない黒狼団に出来るはずがない。
「突っ走り過ぎなんだ、あいつは」
戦争なんて大事に巻き込まれるヴォルフリックが悪い。打つ手が見つからないロートとしては、ヴォルフリックに文句を言うしかない。それでもやれることはやろうと黒狼団は動き出す。今回、無力を痛感することになったとしても、それで終わるわけにはいかない。力がないのであれば、必要な力を得れば良い。そうしないとヴォルフリックに付いて行けないのであれば、やるしかないのだ。
◆◆◆
先軍と一緒にヴォルフリックたち愚者も出発した。進むルートは途中までは同じなのだ。ブラウヴァルト王国を抜けて、ヘァブストフェスト王国に入る。それぞれの国でその国の軍勢と合流しながら先へ進んでいく。ヘアブストフェスト王国内の移動に少し時間をかけたが、作戦変更の連絡は届かなかった。ベルクムント王国の侵攻先はノイエラグーネ王国。これに変わりはないと判断して、さらに南下。途中、ベルクフォルム王国軍と合流して、ノイエラグーネ王国に入った。
各国軍が合流した先軍の進みは自然と遅くなる。これは想定されていたことで、ノイエラグーネ王国に入ったところで、中軍が合流してきた。それであれば、自分たちももっとゆっくり出来たのではないかとヴォルフリックは不満に思ったが、それにも理由があってのことだ。ベルクムント王国の動向を確かめながら、アイシェカープで数日の休息。移動の疲れを取ってから戦場に向かうという計画だった。そうであってもヴォルフリックの不満は消えない。時間が出来れば鍛錬を行うだけ。疲れを取るということにはならない。
さらにヴォルフリックを、不満というより困惑させることが起きる。
「……はっ?」
「だから、パラストブルク王国の軍勢を率いてフルーリンタクベルクに向かえ」
「率いて、というのは?」
増援と一緒にフルーリンタクベルクに向かうのは分かる。現在百名しかいない守備戦力を最大三百にするという話は、任務の説明を受けた時に聞いている。だが、ヴォルフリックはアーテルハイドの「率いて」という言葉が気になった。
「それが、パラストブルク王国のゴードン将軍の強い意向で」
「ゴードン将軍が、もしかすると前線になるかもしれない場所に自国の兵を送ってくれるって?」
親切なことだ、とはヴォルフリックは受け取らない。彼の中でゴードン将軍は使えない人物。わざわざ自国の兵を損なうリスクを負うはずのない人物なのだ。
「正確には、お前に任せたい、だ」
「はい?」
「全部説明する。ゴードン将軍はわずか二百の軍勢しか連れてこなかった。それだけではない。国が混乱している中、長く離れるわけにはいかないので、すぐに戻る。残していく軍勢はお前に任せると言って、実際に帰ってしまった」
「……何故、俺?」
もしかすると、国内の混乱を理由にして軍を出してこないかもしれないと思われていたパラストブルク王国だ。数が少ないことも、ゴードン将軍自身が自国に戻ろうとするのも分からなくはない。問題は何故、ヴォルフリックに残していく自国軍を任せようと考えたのか。
「それは私も聞きたい。任務の時に何かあったのか?」
「……心当たりはまったくない」
ヴォルフリックは、もし自分が国王であれば全軍を任せたいというゴードン将軍の言葉を聞いていない。聞いているクローヴィスたちも、まさか本気で、全軍ではないが、ヴォルフリックに預けるなんて思っていない。
「とにかく、パラストブルク王国の意向。そして数も、まるで知っていたかのように、ぴったり二百だ。ゴードン将軍の望む通りにすることに決めた」
「……率いるって何をすれば?」
軍勢を率いたことなどヴォルフリックにはない。せいぜい二中隊程度の数であっても、何をどうすれば良いかなど分からない。
「それは……こちらはパラストブルク王国軍のラルース中隊長だ。彼と相談しろ」
答えに困ったアーテルハイドは、ゴードン将軍が残した軍勢の中で、最上位のラルース中隊長をヴォルフリックに紹介した。実際は彼がパラストブルク王国軍を指揮することになる。そう考えているのだ。
「ラルースです。よろしくお願いします」
「……こちらこそ」
明らかに年下の、それも他国のヴォルフリックに対して、丁寧に挨拶をするラルース。第一印象としては悪くない。実際は第一印象ではないのだが、それはまだヴォルフリックには分かっていない。
「では、あとは頼む。ただ二日以内には出発するように」
「分かった」
なんとなく面倒ごとを押し付けられたような気分。ヴォルフリックとしては面白くない。そして、それは他国の人間に率いられることになったラルースも同じだろうと考えたのだが。
「本当に良いのか?」
「将軍の命令ですから。それに貴方の下で働ける機会を得たことを個人的にも喜んでいます」
「……話したことはないと思うけど?」
何故、ラルースが喜ぶのか。自分の上に立つことになった相手に媚びを売っているのだと考えて、ヴォルフリックの印象は悪くなる。ゴードン将軍の部下であれば、あり得ることだと考えたのだ。
「はい。貴方の話を聞いているだけでした……敵側で」
「えっ?」
「私はローデリカ様と共に反乱軍として戦っていました」
ラルースは反乱に参加していた。反乱軍の一人として、ローデリカと戦ったあとのヴォルフリックの話を聞いていたのだ。
「どうして反乱軍にいた人間が?」
「我が国の現状については、あまりご存じないのですか?」
「大規模な反乱に発展しそうな暴動があちこちで起きているという話は聞いた」
「はい。ローデリカ様の死を無駄にしない為に、自らの死を覚悟して活動しました……貴方の言う通りでした。我々はローデリカ様に全てを丸投げしていた。最初から本気で我々が動いていたらと思うと……」
大きなうねりを作ることが出来ていたら、ローデリカが死ぬことはなかったかもしれない。実際は死んでいないが。それを教えるつもりはヴォルフリックにはない。彼女は自由になるべきだ。またラルースのような人たちの期待を背負わせるべきではないと考えている。
「……事態の収束に動いたのはゴードン将軍です。あの方にとって都合の良い方向に物事を進めました」
「ゴードン将軍の都合の良い方向って?」
「我々の批判は国王を討とうとした逆賊に向けられているもの。国王のことを思っての行動だということにしました」
「……なるほどな」
これによってゴードン将軍が反乱側を擁護しても、国王の為の発言だということになる。では何故、反乱側を擁護しなければならなかったのかとなると。
「国王の威を利用してゴードン将軍は黒幕であったニコラオスを追求。彼を罪に落とし、死刑にしました。さらにニコラオスの背後にいた王太子も失権。王位継承権を奪われています」
二人は反乱の首謀者だ。当然の報い。王太子の命が助かった分、軽い処罰と言える。
「それでゴードン将軍は軍の頂点に立ったのか……」
「それだけではありません。王太子の失権は、国王にも衝撃を与えました」
「なんで?」
王位継承権の剥奪は国王が決定したこと。それに衝撃を受けるのはおかしいとヴォルフリックは考えた。
「大切な跡継ぎを失ったわけですから。反逆者を軽い処分で終わらすわけにはいかない。ただ本音では処分などしたくない。その葛藤のせいか、国王はかなり気持ちが衰えたそうです。ゴードン将軍としては重しが取れた気持ちではないでしょうか?」
「すごいな。あの人がな」
軍を掌握し、国王も以前の勢いはない。パラストブルク王国においてゴードン将軍の権力はかなりのものになったのだと、ヴォルフリックにも分かった。ヴォルフリックの知るゴードン将軍からは想像出来ない見事な権力奪取だ。
「口先だけで将軍になったなんて言われていた方です。もともと頭はかなり良いのです」
「……それで? その頭の良い人は俺に貴方たちを預けて、何を企んでいるのだろう?」
なんらかの形で自分を利用しようとしている。ラルースの話を聞いて、ヴォルフリックはこう思った。他国の、それも戦争経験のない傭兵に多くないとはいえ、自国の軍勢を預けるなど普通ではない。
「功績をあげたいのではないですか?」
「俺の下で戦うと功績をあげられるって、どうして思える?」
「私は無条件でそう思えますけど……ゴードン将軍にはそれなりに根拠があるようです。厳しい戦いになることを覚悟しろと言っていましたので」
「……どうしてそう思える、って同じ質問か……口先がなくても将軍になれる人だってこと?」
ゴードン将軍はヴォルフリックたちが守る砦が囮であることに気付いているのかもしれないと考えた。もしそうであれば、事前に知らされた全軍の配置について聞いただけで、それを見抜いたということになる。そうでなければ二百という数を連れてきたことの説明がつかない。
「どうでしょう? 軍の指揮は致命的に下手だと聞いています」
「現場には向かない人か……それでも、だな」
現場の指揮が苦手であったとしても、後方からの、それも全軍の指揮は得意なのではないかとヴォルフリックは思う。これまでその立場に置かれたことがなかったので、評価が低いままなのではないかと。
ゴードン将軍が実際にどのような人物であるかは、これ以上のことは分からない。とにかく、ヴォルフリックはパラストブルク王国軍二百を連れて、フルーリンタクベルク砦に向かうことになった。