月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

四季は大地を駆け巡る #148 想いの強さ

異世界ファンタジー 四季は大地を駆け巡る

 クラウディアの日常において拘束される時間はイーストエンド侯爵と話し合う時間しかない。それ以外の時間は全て自由時間。やることがないという状況は、クラウディアに疎外感を覚えさせてしまうものであるが、今は仕方がない。公式には彼女は無役。仮に正式に王妃になったとしても、アイントラハト王国において、王妃の仕事はこれだ、というものはない。やることがないのは変わらない。
 退屈な時間をクラウディアは国内の見学で紛らわすことになった。ヒューガがそれを薦めたからだ。一緒にいてくれないことを寂しく思う気持ちはあるが、彼の異常な忙しさを知れば、我が儘は言えない。側にいて邪魔になってはいけないとも思う。クラウディアは薦められた通りに、あちこち見て回ることにした。
 すぐに、退屈を紛らわすという気持ちは薄れ、消えることになる。

「よし。この問題が分かる者はいるか?」

「はい!」「はぁい!」「はい! はい!」

 バーバラの問いかけに、子供たちが一斉に返事をし、まっすぐに手を挙げる。

「ふむ。ではラニ」

「はい! 十八!」

「正解じゃ」

 周囲の子供たちから小さなどよめき声が漏れ出す。クラウディアにとっては簡単な計算問題。だがその簡単な計算が出来ない人はパルス王国でも少なくない。クラウディアはそれを知っている。
 イーストエンド侯爵領では実現出来なかった学校が、アイントラハト王国では出来ている。ヒューガの国だからそれも当然と思いながらも、クラウディアは少し悔しくも感じてしまう。
 また別の場所では。

「権兵衛さん、これはどうすれば?」

「……ん」

 問われた権兵衛は顎を動かすだけ。それを受けて、指示された人は重そうな桶を担いで動き出す。

「ここで良いですかぁ!?」

「……ん」

 この問いにも権兵衛は軽く頷くだけ。それに文句を言うことなく相手は作業を始めた。
 意味のない光景、とはクラウディアは思わない。指示している権兵衛は人族で、その指示で動いている相手はエルフ族なのだ。権兵衛は極端な無口、ということを知らないクラウディアには態度の悪い人族にエルフ族が従っていると見えてしまう。

「あ、あの……」

「……ん?」

 クラウディアの問い掛けに対しても権兵衛の応えは変わらない。

「あの、もっときちんと」

「ああ、クラウディア様! 権兵衛さんはそういう人なのです! びっくりするほど無口ですけど、働き者で親切な人なので気にしないで!」

 クラウディアの誤解に気付いて、シェリルが権兵衛の説明をしてくる。

「そうなのですか?」

「……ん」

「……ごめんなさい」

 「ん」だけでは分からないのだが、一緒にいるシェリルが言うのだから、その通りなのだろうとクラウディアは考えることにした。少なくとも、人族の権兵衛に指示されることにエルフ族の人たちはまったく不満を感じていない。これは分かった。

「…………」

 また別の日に訪れた場所では、クラウディアは一言も発することが出来なかった。彼女の視線の先にいるのは見知った人たち。冬樹と子供たち、と言うにはかなり大人びて見えるようになった、が剣の鍛錬を行っている。
 クラウディアにも感じられる殺気。鍛錬の凄まじさに驚いたクラウディアは声をかけることが出来ない。冬樹は軽く手を挙げて挨拶をしてくれたが、子供たちは彼女の存在を無視。鍛錬に集中している様子だ。

「……凄い」

 クラウディアの口から洩れたつぶやき。感嘆の言葉ではあるが、それだけではない。冬樹も子供たちも並みの腕前ではない。剣は得手とはいえないクラウディアでもそれは分かる。特に冬樹に対しては、パルス王国の城にした時から見ていただけに、驚きは大きい。ここまでになる為に冬樹は、どれだけの努力をしてきたのか。どれだけの時を費やしてきたのか。
 それに比べて自分はどうか。クラウディアの気持ちは沈んでいく。強くなると心に決めてからずっと冬樹たちは、その為に全てを費やしてきたに違いない。彼らだけでなく、ここにはいない夏や他の子供たちも。
 また女の子たちに、貴女はヒューガ兄の為に何をしてきたの、と問われたらどうしようという思いがクラウディアの心に広がる。

「クラウディア様! ちょうど良かった」

 暗い思いを引きずって移動した先には、エアルがいた。会いたくない。でも話をしたい。クラウディアが複雑な思いを抱く相手だ。

「どうしました?」

「怪我をした人がいます。治癒魔法を使えるのであれば、お願いしたいのですが」

「怪我?」

「はい。油断してはいけないと伝えたつもりだったのですけど……申し訳ございません」

 クラウディアに向かって頭を下げるエアル。そんなことをされても、まだクラウディアは事情が分かっていない。

「どうして謝るのですか?」

「説明は後で。魔法は?」

「あっ、使えます。得意とは言えないですけど」

「ではお願いします」

 使えます、まで聞いたところでエアルはもう動き出していた。その後をクラウディアも慌てて追いかける。向かった先にいたのは怪我をした騎士だった。イーストエンド侯爵家の騎士だ。

「……ちょっと見させてください」

 すでに怪我をしたところには包帯が巻かれている。それを外して、怪我の様子を見ようとクラウディアのしたのだが。

「異物は入っておりません。傷口を洗った時に確認しております」

「……分かりました。ではすぐに」

 包帯を外してすぐに治癒魔法の詠唱を始めるクラウディア。無詠唱で魔法を使えるクラウディアだが、治癒魔法については別だ。効果をあげるには、より集中力を高める為の詠唱を行ったほうが良い。今はその為の時間の余裕もある。
 騎士の傷口が淡い光に包まれる。傷口は徐々に閉じていった。

「どうだろう? 一日、二日、安静にしていれば大丈夫だと思うけど」

 表面の傷は塞がった。奥のほうはどうかまでは視認出来ないので、安静に出来るのであればそうしたほうが良い。治癒魔法は万能ではないのだ。

「クラウディア様。ありがとうございます」

「御礼なんて。それよりもどうして怪我を?」

 原因にはエアルも関係している。そうクラウディアは思っていたのだが。

「訓練を受けておりました。今日は実戦形式の訓練で、魔獣が相手だったのですが……自分に油断があって怪我したところをエアル殿に助けて頂きました」

「助けて……じゃあ、謝る必要はありません」

 思っていたのとは少し違っていた。

「訓練中の事故ですから。管理者である私には責任があります」

「でも、この人は……どうして訓練を?」

 イーストエンド侯爵家の騎士が何故、エアルの指導で訓練を行っていたのか。クラウディアは疑問に思った。

「大森林で暮らすには戦う力が必要です。まして彼らは軍人ですから」

「でも……彼らは受け入れられていない」

「アイントラハト王国の民になりたいという希望は聞いていません。望まなければ入国審査は行われません」

 彼らはとりあえず結界内に滞在することを許されただけ。だがそれはイーストエンド侯爵がそれを望んだからだ。彼らがアイントラハト王国の国民になりたいと願うのであれば、入国審査を受ける資格はあるとエアルは考えている。

「……アイントラハト王国の民になると言っていない彼らに訓練を?」

「パルス王国に戻る彼らを待っているのは厳しい戦いです。やはり訓練は必要ではないですか?」

「そう、ですね……確かにそうです」

 彼らはいずれパルス王国に戻ることになる。イーストエンド侯爵はそのつもりなのだ。彼らだけではなく、アイントラハト王国の軍も連れてのつもりだが。
 だがアイントラハト王国がどう決断しようと彼らがパルス王国に戻ることは変わらない。魔族相手の厳しい戦いに戻るのだ。鍛えていたほうが良いに決まっている。

「どうしました? 何か気になることがありますか?」

「いえ。ありません。訓練に協力してもらってありがとうございます」

 自分に御礼を言う資格はあるのかとクラウディアは思う。彼らの今後を少しも考えていなかった自分に、彼らの代表者であるかのように振る舞う資格があるのかと。

「……疲れているようですので、お部屋に戻って休まれたほうが良いと思います」

 クラウディアの落ち込みを見て、心配そうなエアル。

「……どうして?」

「えっ? 何がですか?」

「どうして貴女はそんなに強くいられるのですか? 私のことを何とも思わないで、普通にいられるの?」

 堪えきれなかった言葉。エアルへの嫉妬。自分の不甲斐なさ。そんな思いが平静を装うことを許さなかった。

「……何も思わないわけではありません。ですが、クラウディア様がここに来ることは、ずっと前から分かっていたことです」

「そうだとしても……私も貴女の存在は前から知っていました。でも」

 エアルの存在は前から知っていた。だがクラウディアにはエアルのように割り切ることが出来なかった。こうクラウディアは思っている。

「……私とクラウディア様は違います。私は一度、死んだ身。こうしていられるのは王のおかげなのです。生きて、王の側で働ける。それ以上の何を望む資格が私にあるでしょうか?」

「死んだって……貴女はこうして生きている」

「私は……私は奴隷だったのです。貴族に飼われている奴隷。その時に私の心は死にました」

 少し躊躇ったエアルだが、かつての自分の境遇を話すことにした。この事実を知らなければ、自分の気持ちは理解されない。クラウディアには自分の思いを知ってもらわなければならない。必要のない嫉妬で、誤った考えを持たれてしまってはヒューガが困ってしまう。

「……ご、ごめんなさい」

 だがエアルの告白は、彼女が考えていたのとは異なる衝撃をクラウディアに与えてしまう。

「謝罪は必要ありません。私だけが不幸なのではありませんから、いえ、私は幸運なほうですね。今もまだ心の傷を完全には癒せていない人がこの国には何人もいます。療養所にはまだ行っていないのですか?」

「……はい」

「では、行くべきです。クラウディア様はこの国の影の部分も知っておくべきです」

 まだ将来に希望を持てない人がいる。それはアイントラハト王国の影の部分ではあるが、それが建国の基でもある。王妃になるクラウディアは知らなけれならない。今は明るく、未来に向かって進んでいる人たちの多くが、かつて絶望の中で生きていたことを。この国の光だけを見ていては道を誤る。エアルはこう考えている。

 

◆◆◆

 エアルの言う療養所は南の拠点にあった。しばらく南の拠点で過ごしていたというのに、クラウディアはその存在に気が付いていなかった。自分は何を見ていたのか。そう思ってクラウディアは、また落ち込んでしまう。
 ヒューガがエルフ奴隷の解放を行っているらしいことはチャールズから聞いていた。だがその規模は考えていたのとは大きく違っていた。全ての奴隷を解放する。その為にヒューガたちは全国で活動を行っていた。そしてそれはまだ終わっていなかった。エルフ族に限らず、非合法に奴隷にされていた女性たちが、アイントラハト王国と繋がりのある奴隷商人により買われて、南の拠点に送られてくる。療養所はそういった女性たちが傷を癒す場所。心身ともにボロボロになった女性たちの為の施設だった。それを聞き、実際に療養所にいる女性たちに会い、クラウディアは心を大いに揺さぶられた。エアルが何故、この国の影を知っておくべきと言ったのか、少し理解出来た。
 この国で暮らす人の多くは、エアルが言うように一度死んでいる。そう表現するのが正しいと思うくらいに、人生のどん底に落ちている。その状態の彼女らを救いあげたのがヒューガだ。療養所の管理責任者であるサキも、奴隷のような境遇に落とされ、瀕死の状態でいるところをヒューガに救われている。
 そんな彼女たちのヒューガに対する想い。恋愛感情ではないとサキは言ったが、そうであっても彼女の想いの強さに比べて、自分はどうなのかとクラウディアは考えてしまう。まして恋愛感情も持つエアルの想いは。

「……正直に言うと、私はエアルくんを応援しています。姫のことは大切ですが、それでも彼女のことを応援しないではいられません」

 クラウディアに、エアルとヒューガの出会いについて聞かれ、それを話した最後にヴラドは自分の正直な思いを告げた。クラウディアが詳しい事情を知ったからにはもう、本音を隠しておくべきではないと判断したのだ。

「……そうだね」

 ヴラドに文句は言えない。ヴラドは二人の出会いを、ずっと側で見ていたのだ。もし彼の立場であれば、自分も応援したくなるだろうとクラウディアも思う。

「だからといって姫が立場を失うわけではありませんよ? エアルくんは姫を尊重しています。誰よりも先にエアルくんは、玉座の隣に座るのは姫だと言っているのです」

「どうして? どうして、彼女は私に譲ろうとするの?」

「その問いの答えを私は持っていないのですよ。想像で語って良いことだとも思いませんね」

 奴隷であった自分を卑下して。ヒューガの為に命を捨てるつもりだから。ヒューガの幸せを考えて。思いつくことはいくつかあるが、それを語る気にはヴラドはなれない。エアルの想いは、他人が推測で語ることが許されるような軽いものではないと考えているのだ。

「……私は彼女のような想いを持てていない」

 好き嫌いを越えた強い想い。自分のヒューガに対する恋愛感情は、エアルの想いとは比べものにならないくらいに軽い。クラウディアはこんな風に考えてしまう。

「人への想いのは、他人と比べるようなものではありませんよ? それに本当にそうですか? パルス王都での暮らしは姫にとって、どのようなものでした?」

「王都での暮らし?」

「そうです。姫にとって。生きているのが辛いと思うような日々ではなかったですか?」

「……そうだけど……実際に死を覚悟するような境遇ではなかったわ」

 王都の日々のことなど、すっかり忘れていた。思い返せば、辛い毎日ではあった。そんな状況から救ってくれたのはヒューガだ。だがそれは、死が目の前に迫っているなんて切羽詰まった状況ではない。エアルたちとは違うとクラウディアは思う。

「同じです。エアルくんも死にたがっていた。ヒューガくんは死の恐怖から彼女を救ったのではありません。生きたいという気持ちを与えたのです」

「……そうか」

 だからこの国の人たちは生き生きとしているのだ。毎日、ヘトヘトになるまで働いていても、明るくいられるのだ。どれだけ大変な毎日であっても生きていられることが嬉しい。苦労の先にある喜びを信じられるのだ。

「だから姫もこの国でやっていけます。私はそう思います」

「……ヴラドさん。私に戦い方を教えてもらえますか?」

「喜んで」