月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

黒き狼たちの戦記 第33話 愚策であることも分からない愚か者たち

異世界ファンタジー 黒き狼たちの戦記

 三団対抗戦当日。会場となる王国騎士団の屋外鍛錬場の倉庫でボリスは、大きな体を丸めて、何やら作業をしている。流れる幾筋もの大粒の汗。それはすでにボリスの服を、びっしょりと濡らしていた。
 拳を握り、手に持った剣に打ち付ける。その度に金属音が響き、その音に怯えたボリスは、また大汗をかく。それの繰り返しだ。周囲の気配に怯えながら行っている作業は、なかなか捗らない。すでに予定時刻は大きく過ぎている。それがまたボリスを焦らせているのだ。
 彼にとっては寿命が縮まるような緊迫した時間。それもようやく終わりの時を迎えた。

「……大丈夫だよね。大丈夫なはず。僕は言われた通りにやっただけだ」

 失敗は許されない作業であるのだが、上手く行ったかどうかはボリスには分からない。大丈夫だと自分に言い聞かせて、その場から立ち上がり、外に人がいないことを確かめてから倉庫を出た、つもりだったのだが。

「あれ、何の鍛錬だ?」

「えっ!?」

 心臓が飛び出たかと思うくらいの大きな驚き。誰もいないと思っていた外に人がいた。

「あれで何が鍛えられると聞いているのだけど?」

「……ヴォ、ヴォルフリック、様」

 声の主は、恐らくはもっとも見つかってはいけない人物の一人。ヴォルフリックと主であるオトフリートの仲の悪さをボリスは当然知っている。

「何? 俺、何か悪いことしたか?」

「い、いえ! 急に話し掛けられたので驚いてしまって……」

「そうだとしても驚き過ぎだろ? それで? 答えをまだ聞いていない」

 ボリスにとって残念なことに、ヴォルフリックは問いの答えを重ねて求めてきた。

「……鍛錬といえば、鍛錬なのですが」

 なんとか良い答えはないかと必死で考えているボリス。だがそんなものはすぐには思いつかない。

「模擬剣、折れるのか?」

「…………」

 ボリスは顔から血の気が引いていくのを感じた。絶体絶命。そんな気分だ。

「聞いているのだけど? お前、特殊能力持ちだろ? お前の能力を使えば、素手で金属を折ることも出来るのか?」

「……はっ?」

「お前、頭悪いのか? 俺の言っていること理解出来ているか?」

 怪訝そうな顔で自分を見ているヴォルフリック。それを見て、ボリスは一安心。まだ生きる望みは繋がっていた。

「折ることが出来るようになりたいと思っています」

「それは今は折れないってことか……でも、お前の能力って、ああいうことで強化されるものなのか?」

 ボリスにとっての不幸は、強くなるという点についてヴォルフリックの好奇心は人一倍旺盛だということ。それが自分の役に立つか分からなくても、とりあえず知ろうとするのだ。

「それは…………強化されると信じてやっています」

「……もうちょっと根拠のある鍛錬に時間を使ったらどうだ?」

 強くなるかどうか分からない。そういった鍛錬に時間を使う気にはヴォルフリックはなれない。やるべきことは山ほどある。無断な時間など許されないのだ。

「色々、頑張った結果が今ですから……せっかくの特殊能力も、僕には宝の持ち腐れです」

 これはヴォルフリックを誤魔化す為の嘘ではない。ボリスの本心だ。特殊能力保有者であるのに、ボリスの扱いは雑用係と一緒。正当な評価を受けていないということではない。今のボリスはただ力が異常に強いだけ。戦いにおいて強いとは言えないのだ。

「持ち腐れなら捨ててしまえば良い」

「はい?」

「最初からないものとして、自分を鍛えれば良い。何をしても使えない特殊能力なんて、ないも同じだろ?」

「ないも同じって……」

 ボリスの表情に不満が浮かぶ。彼にとっては特殊能力だけが支え。それがあるからアルカナ傭兵団への入団が認められ、従士になれた。仕事を得られ、お金を稼げているのだ。それを否定されると自分自身まで否定されているように思えてしまう。

「自分で持ち腐れって言ったのだろ?」

「そうですけど――」

「ボリス! 何をやっている!?」

 反論しようとしたボリスを遮る声。ボリスにとってヴォルフリックと同じか、それ以上に怯えてしまう相手、オトフリートの声だ。

「ぼ、僕、もう行かないと」

「どうぞ。面倒なことになるのが分かっていて引き止めるほど、俺も暇じゃない」

「……じ、じゃあ」

 逃げるようにして、実際にボリスは逃げている気分だ、その場から駆け去っていくボリス。その背中を不思議そうに眺めていたヴォルフリックであったが、暇がないのは事実だ。
 三団対抗戦の開始時間が迫っている。ヴォルフリックもその場を離れて、集合場所に向かった。

 

◆◆◆

 三団対抗戦が開始された。第一戦は王国騎士団とアルカナ傭兵団の対戦だ。これに負けたほうが、次戦で近衛騎士団と戦うことになる。出来るだけ、第三戦を消化試合にしないようにと考えた組み合わせだ。
 対抗戦の為に設けられた対戦台の下に向かい合って並んでいる王国騎士団とアルカナ傭兵団の選手たち。三戦して二勝したほうが勝ちだ。そうなると対戦順も勝敗を決める重要な要素となるのだが、少なくともアルカナ傭兵団のほうは、充分に検討した結果ではない。オトフリートが大将がまず決まり、中堅に王子であるジギワルド、先鋒がヴォルフリックという決定方法だ。特に揉めることはなかった。ヴォルフリックは順番などどうでも良い。ジギワルドも、オトフリートへの対抗意識は無ではないが、我が強い性格ではないのだ。

「愚者が先鋒なのね?」

「分かっていたことですから、それに対して王国騎士団がどう組んできたかですか」

 傭兵団の順番について話すルイーサとアーテルハイド。対抗戦本番であるので、両騎士団の団長、副団長はもちろん、アルカナ傭兵団の幹部クラスも閲覧席で見学しているのだ。ディアークの左右に両騎士団が並び、前列に傭兵団幹部が並ぶ配席だ。

「それによって王国騎士団が三人をどう評価しているか分かるってこと?」

「そうだと思いますけど?」

 傭兵団の順番は少し考えれば分かること。王国騎士団側はそれに基づいて、誰をぶつけるかを考えることが出来る。二勝すれば良いのだ。捨てる対戦というのも作戦としてあり得る。

「聞いたら教えてもらえるのかしら?」

 答えは後ろに座っている王国騎士団長が知っているはず。その王国騎士団長にルイーサは問いを向けた。

「知らないほうが観戦が面白いのではないかな?」

「それはそうね」

 捨て試合だと分かっていては初めから見る気が失せる。対戦が始まればすぐに分かることであったとしても、退屈な時間は少しでも短いほうが良い。席を立つわけにはいかないのだから。

「始まります」

 いよいよ対戦が始まる。ただ傭兵団の幹部たちにとっては退屈な対戦になるはずだ。王国騎士団がとんでもない間違いを犯していない限りは。
 王国騎士団の先鋒が攻め、ヴォルフリックが受ける。その状況がしばらく続いたが、勝敗はすでに明らか。攻撃を受けているヴォルフリックは、まるで演武であるかのように型通りの動きを繰り返している。相手の攻撃がそれを許す程度のものであるということだ。

「……あれで、準備運動になったのかしら?」

「ルイーサさん」

 ルイーサをたしなめるアーテルハイド。後ろには王国騎士団長、副団長が揃っているのだ。侮辱と思われるような発言は、ルイーサとは異なり周囲に気を使うアーテルハイドの心臓に良くない。

「気にしないわよ。明らかに捨て試合でしょ?」

「そうですけど」

 王国騎士団はヴォルフリックとの対戦を捨ててきた。もっとも入団が遅いヴォルフリックであるが、その実績は他の二人よりも目立つもの。一番強いと評価されるのは当然のことだ。

「それより残りの二戦のほうが気になるでしょ?」

「それは……どうでしょう?」

 残りの二戦に対しては、アーテルハイドはコメントを控えたい。普通に考えればジギワルドのほうを高く評価しているはず。だがそれが、どちらが次代の王に相応しいか王国騎士団が評価した、という話に発展しては困るのだ。
 だが第二戦の結果からは王国騎士団がどう評価したか、はっきりとは分からなかった。ヴォルフリックと同様にジギワルドも相手を圧倒したのだ。

「……まさかと思うけど、一勝することが目標?」

 ジギワルドに一番強い相手を当ててこなかった可能性をルイーサは考えた。三戦全敗のリスクを取ることなく、一勝する為に一番強い騎士をオトフリートにぶつける選択を王国騎士団が行ったと考えたのだ。

「……戦術については答えかねる。まだ次戦もあるのでな」

 王国騎士団は答えを拒否してきた。まだ近衛騎士団との対戦が残っている。近衛騎士団長がいる場で、戦術について話せないというのは、もっともらしい理由であるが、そういうことではないと、この場にいる全員が受け取っている。
 ただそれに対する考えは微妙に異なっている。ずっと全敗が続くなかで、せめて一勝をという気持ちからの戦術と考える者が大半。だがアーテルハイドはそうではない。これでオトフリートが負けるようなことになればどうなるか。それを考えていた。
 大将戦が始まった。オトフリートが相手を圧倒する、ということにはなっていない。優勢ではあるが、明らかに前の二戦と比べれば実力差は少ない。

「……予想通りですね?」

 王国騎士団の大将は一番強い騎士。それを強調しようとアーテルハイドはこんな問いを口にする。

「……かなり研究もされているようだな」

 アーテルハイドの気持ちを察して、テレルもこんなことを言ってきた。まったくのデタラメではない。王国騎士団の騎士がオトフリートの戦い方に対処しているように見えるのは事実だ。
 オトフリートにとっては厳しい状況。二人がどれだけフォローしようと、周囲がどう見るかが重要なのだ。
 なんとか優勢な状況を継続しているオトフリート。対戦相手の隙を作って、試合に決着をつける為にはもうひと押しが必要だ。そのもうひと押しが、起こった。宙を飛ぶ金属片。対戦相手の剣が折れていた。

「……今のは?」

「審議に入るようね?」

 審判と対戦台の脇に控えていた副審たちが集まっている。剣が折れたのはオトフリートが特殊能力を使ったからかそうでないのかを話し合いっているのだ。

「剣と剣はしっかりと交差していたように見えたが?」

「こちらもそう見えました」

「そうか……君」

 審判は対戦相手を呼んだ。オトフリートの特殊能力は衝撃波。ヴォルフリックの炎のように、はっきりと目に映るものではない。空気の揺れ、それによって目に映る空間のゆがみのようなものは、審判と副審の位置からは確認出来なかったのだ。

「不審な点はあったか?」

「……いえ、ありませんでした。剣が打ち合った瞬間に折れたのだと思います」

「そうか。ありがとう」

 対戦相手の騎士は剣が折れたことに不審な点はないと証言した。そうであれば、これ以上、審議は必要ない。オトフリートの勝利で決まりだ。審判は中央に戻り、オトフリートの側に手をあげる。この瞬間に三戦全勝でのアルカナ傭兵団の勝利が確定した。
 王国騎士団の側から、わずかにうめき声が漏れる。計画通りの一勝。少し浮かんでいたその期待が、裏切られたことへの落胆の声だ。

「どう評価するべき? 当然の結果? ぎりぎりで合格?」

 これを言うルイーサの評価は低い。文句なしの勝利であれば、こんなことを聞く必要はないのだ。

「勝ちは勝ち。それだけのことです」

「そう。じゃあ、次の対戦に評価は持ち越しね」

「そう、ですね」

 アルカナ傭兵団の次の対戦相手は近衛騎士団。アーテルハイドの知る限り、個々の戦闘能力では王国騎士団より上だ。その近衛騎士団を相手にどう戦うか。それで評価が決まる、ということにはアーテルハイドはしたくないのだが、周囲の雰囲気はそういうものになってしまっていた。
 後ろを振り返ってディアークに視線を向けるアーテルハイド。アルカナ傭兵団の選抜を若手にしようと決めたのはディアークだ。その意図がどこにあるのか。このような事態を予想していたのか。アーテルハイドには分からない。

 

◆◆◆

 次戦が近衛騎士団と王国騎士団の対戦。アルカナ傭兵団には間がある。その時間を利用してヴォルフリックは観戦席に向かった。ブランドたちがいる席ではない。ボリスのところだ。

「もう一度聞く。あれは何のための鍛錬だ?」

 倉庫前で会った時とは異なり、厳しい視線でボリスに尋ねるヴォルフリック。

「…………」

「何のためだと聞いている」

「それは……その……」

 王国騎士団との対戦で相手の剣が折れた。そのあとでヴォルフリックはこうして問い質しに来たのだ。すでに自分が何をしたのか分かっているとボリスは考えている。

「オトフリートの指示か?」

「…………」

 何を聞かれてもボリスには答えられない。白状すればアルカナ傭兵団にいられなくなるのだ。

「……だんまりか。じゃあ、物を確かめてから、また聞きに来ることにする」

 対戦相手の剣を調べて細工した証拠を見つけてから、また問い詰めに来る。ヴォルフリックはこう言っている。

「何を怒っているのかしらないが、俺たちには関係ない。揉め事は他所でやってくれ」

 ヴォルフリックの言葉に反応したのはボリスではなく、別の従士だった。

「関係ない?」

「そもそも何を話しているのかも分からない。分からないことで騒がれても迷惑だから、他に行ってくれ」

「オトフリートも関係ないと言うのか?」

「だから何のことだ?」

 何を話しているか分からない人間が、こんな風に話に割り込んでくるか。よそに行けというが、ヴォルフリックはこの場を一旦、離れようとしていたのだ。この従士が言いたいのは、自分たちは関係ないということ。万一、事が発覚した場合は、ボリスに全ての罪を擦り付けて、逃げようとしているのだ。

「なるほど。あいつは最悪の部下を持っているな」

「なんだと!?」

「こういうことに証拠なんて必要ない。犯人側の言い訳になんて誰も耳を貸さない。噂の怖さっていうのはそういうところだ。そんなことも分からない部下が、最悪じゃなくてなんだ?」

「…………」

 実際には証拠はある。ボリスが細工した剣は一つではない。他の剣をよく調べれば、針で空けた小さな孔が見つかるはずなのだ。それが見つかった状況で、従士が勝手にやったことで通用するか。罪を負わされることはないかもしれない。だが、オトフリートの評価は地に落ちることは間違いない。その彼に仕えている彼らの未来は閉ざされることになる。
 愚臣。以前から感じていたことだが、このような従士に囲まれて、よくオトフリートは平気でいられるなとヴォルフリックは思う。彼らは信頼に値しない。仲間と呼べる存在とは思えなかった。