優斗率いる魔王軍によるイーストエンド侯爵家軍殲滅作戦は、成功と言える結果で終わった。たとえイーストエンド侯爵家軍に止めをさした最大の要因が、ルナの極限魔法による被害だったとしても。
ルナの極限魔法により甚大な被害を受けたのはイーストエンド侯爵家軍。魔王軍の魔族たちは、いきなり膨れ上がった正体不明の魔力を素早く感じ取り、その危険性を察知して、いち早く回避行動に移っていた。逃げ足も魔族のほうが比べものにならないくらいに速い。結果、イーストエンド侯爵家軍のほうがより多く逃げ遅れ、壊滅的な被害を受けることになったのだ。
戦力を残すことが出来た魔王軍はそのまま抵抗する力のないイーストエンド侯爵領を奪取。中核戦力を失ったパルス王国東部は優斗の手に落ちることになる。とはいってもそれはまだ少し先の話だ。反攻する力のない東部貴族は自領で居すくまっているだけであるが、支配地域としてはまだイーストエンド侯爵領だけ。東部全体を支配したといえる状態ではない。
「今頃、南部の多くはパルス王国に奪い返されているだろう」
イーストエンド侯爵家の領主館の廊下を歩きながら、ライアンは美理愛に現状を説明している。彼女が知りたがるので、優斗との打ち合わせ時間になるまでの時間つぶし程度のつもりで話しているのだ。
「そうなることは私も聞いています」
魔王軍は主力を東部攻略に向けた。南部はパルス王国に背いた南部貴族の軍が守っているだけだ。パルス王国の正規軍、貴族家の中では精鋭と呼べるウエストエンド侯爵家軍とノースエンド伯爵家軍の連合軍相手に互角に戦えているはずがない。
南部を奪い返されるのは計画通りのこと。優斗は最初から南部は捨てるつもりで、持ち出せるだけの財を全て持ち出して、東部に来ているのだ。
「東部を手に入れても南部を失ったのでは意味ないですね?」
成功に終わった優斗の作戦に対して、否定的な意見を口にする美理愛。今回の戦いで彼女の優斗に対する感情は、これ以上ないほどに悪化している。わずかに残っていた好意も完全に消えた状態だ。
「南部には何も残っていない。パルス王国は戦争と略奪で荒れ果てた土地を取り戻すことになる」
「……負担が増えるだけ、ということですか?」
「そういうことだ。南部復興にパルス王国は国力を消費することになる。それが出来なければ南部の人々はパルス王国を恨むことになる、という算段だ」
パルス王国への不満が高まれば、人々は新しい施政者を求めることになる。そうなった時にもう一度、南部を奪えば良い。奪い、今度は善政を施せば良い。南部から奪った財で、南部の復興を行うのだ。
「……東部でも同じことをするのですか?」
南部に向かえば今度は東部ががら空きになる。同じように東部の財を根こそぎ持ち出すのだと美理愛は考えた。
「それはまだ決まっていない。南部に不満が溜まるまでには時がかかる。その間に、南部を奪い返したパルス王国の軍勢がやってくるはずだ。それを討つというのも一つの手だ。その軍を殲滅させることが出来れば、もうパルス王国には戦う力はなくなるからな」
「……パルス王国全土が手に入る」
「上手く行けばだ。東部貴族がどれだけ寝返るか。多くの寝返りが出ても、南部の軍勢がひとつにまとまって来れば、殲滅は簡単ではないだろう」
魔王軍の弱点は数。魔族にとっては常のことだが、いつまでもそれを良しとしているわけにはいかない。パルス王国は広い。全土を制圧するには、それなりの数が必要なことはライアンも理解している。
「そういうのが貴方が望む戦いなのではないですか?」
強敵との対戦はライアンの望むところのはず。だがライアンの口調から、それを喜んでいるようには聞こえなかった。
「……パルス王国との戦いが最高とは限らん」
実際にライアンは喜んでいない。もっと心躍る戦いがあるかもしれない。そう思うようになってしまったからだ。
「まさか……日向くんと戦うつもり?」
「それは相手に聞いてくれ。こちらが嫌でも相手が求める可能性はある」
ヒューガは優斗を敵として認識したはず。その優斗と行動を共にしているライアンについてはどう考えているのか。それは本人に聞いてみなければ分からない。
「戦う必要はありますか?」
「だから相手に聞け。それにその時は来るとは決まっていない。パルス王国との戦いに勝利しても、すぐにユーロン双王国との戦いが始まる。別の国かもしれん」
パルス王国が戦力を、国を守る力を失う事態になれば、周辺国も傍観していない。パルス王国の領土を奪おうと動き出すはずだ。まずはすでに戦火を交えているユーロン双王国。それ以外の隣接する国も野心を露わにする可能性はある。
当然、優斗はそれを許さない。新たな戦いが始まることになる。
「……その戦いにも協力するのですか?」
「それも分からん。求める戦いを得られるのであれば協力するかもしれない。もしくは……」
優斗と戦うかもしれない。それは声にすることはライアンは止めておいた。美理愛が煩わしことを言い出すと思ったからだ。
「おや? これは四大魔将のライアン様ではないですか? あっ、元四大魔将と呼ぶべきですか? もうそんなものは存在しませんからね?」
いきなり声を掛けてきた人物。笑顔を浮かべ、言葉つきも丁寧であるが、その内容からは悪意が感じられる。
「貴様……こんなところで何をしている?」
ライアンの態度にも相手への悪意、というより敵意が見える。美理愛にも分かるくらいにあからさまな。
「魔王を名乗る馬鹿が現れたと聞いて、顔を見に来たのですけどね」
「ただ顔を見るだけに来たわけではないだろう?」
優斗を殺す為に来た。そういう相手であることをライアンは知っている。
「そうだったのですが……これが意外と話が分かる人物だったのでね。気が変わりました」
「……なるほど。クズ同士、気が合ったか?」
「なんだと? 下手に出てやってりゃあ、図に乗りやがって。人をクズ呼ばわりしてただで済むと思っているのか?」
ライアンにクズ呼ばわりされたことで、柄の悪い素を表に出してきた相手。ライアンにとってはチンピラがいきがっているようにしか聞こえない。実際にはチンピラ呼ばわりするほどの格下ではないにしても。
「ただで済まないというのは、どういうことか教えてもらおうか。今、この場で」
「……そうしてやっても良いが、この先、楽しそうなことが待っていそうなのでね。今日のところは引いてやる。また近いうちに嫌でも会うことになるだろうしな」
「こちらは二度と会わなくて済むことを願うが?」
味方にはしたくない相手。敵に回して、消し去りたいような相手なのだ。
「それは魔王様に聞いてくれ。前のとは違って話の分かる魔王様にな」
「……最悪だ」
「お前の最悪はこちらの最高。どうやら選択は間違っていなかったようだ。じゃあな。またその苦虫を噛み潰したような顔を見に来てやるからな」
最初とは違い心から楽しく思っているだろう笑顔を向けて、去っていく相手。ライアンのほうは相手が言った通り、苦虫を噛み潰したような表情だ。
「あの……あの人は?」
美理愛には相手が何者かの見当もつかない。魔族であることは分かる。だがライアンが魔族に敵意を向けるところなど初めて見たのだ。
「……すべての魔族が魔王様に従っていたわけではない。あいつはその一人だ」
「嫌いなのですか?」
「好きとか嫌いとかいう問題ではない。あれは……そうだな。同じ種類だ。強者は全てが許されると思っている。強者といっても勝つためには手段を選ばないという類の偽者だ」
ライアンとはまったく価値観が異なる、まったく受け入れられない存在だ。それと同じ種類だと思う優斗もライアンにとってそういう存在。優斗との戦いが頭に浮かんだのはこれが理由だ。
「……でも……強いのですね?」
相手が見せた傲慢さ。それはライアンの言う強者の側に立つ者の傲慢さだと美理愛は考えた。
「偽物だと俺は言った」
「……他にもああいう人が?」
前魔王に従わなかった魔族は他にも大勢いるはず。そういった魔族が全て、さきほどと同じ種類であるとすれば。
「……いる」
優斗は彼らを味方に引き入れようとするはずだ。すでにそういう話をしている可能性が高い。優斗と共にいては望む形の戦いが出来なくなる。その可能性が高まったことをライアンは知った。
◆◆◆
ヒューガとエアルを救出し、魔王軍を振り切ったアイントラハト王国軍はそのまま大森林に帰還した。帰還にあたって、イーストエンド侯爵家軍の一部まで付いてきてしまったことで、少し混乱はあったが、とりあえずその処遇は据え置き。結界内での滞在を許すことになった。イーストエンド侯爵家軍の中にクラウディアがいること。さらに処遇を決めるべきヒューガが何の指示も出さないでいるので、保留状態にするしかないのだ。
ギゼンの死、さらに春と秋の軍からも数名の犠牲者が出でいる。アイントラハト王国、というよりヒューガにとって大きな失敗。自分は完璧だなんて考えは持っていないが、今回の件は自分の身勝手さから起きてしまったこと。ヒューガの落ち込みは激しい。これまで通り、王として振る舞う資格があるのか、と思ってしまっているのだ。
「…………」
空に伸びる木々の隙間から覗く白銀の月。ヒューガはぼんやりとそれを眺めていた。大森林に戻ってきてからずっと夜はこうして部屋を抜け出して夜空を見上げている。眠れない夜を部屋の中で過ごすことを嫌ってのことだ。
ただ、ぼんやりとして過ごそうとしても頭の中には様々なことが浮かんでくる。ギゼンたち仲間の死、それを悲しむ家族や友人たちのこと。そういった人々に自分はなんと声をかければ良いのか。そもそも顔を会わせる資格があるのか。自分はこの先、何をすれば良いのか。
「……ルナ」
そしてルナのこと。夜空に浮かぶ月は、その光はルナを思い出させる。
「……ルナは死んでいないのです」
ヒューガの想いに応える声。少し不満そうな声だ。
「……それは……知っていたけど」
ヒューガの顔に大森林に戻ってきて初めて笑みが浮かんだ。ルナが完全に消え去っていないことは感じていた。だがこうしてルナの声を聞くのは、戻ってから初めてなのだ。
「ルナはちっちゃくなっちゃったのです」
ヒューガの周りを飛び回る小さな光。その姿は初めて二人が出会った時のようだ。手を顔の前まで上げて、手の平を空に向けるヒューガ。飛び回っていた光はその手の平の上に止まり、小さくはあるが、人の姿に変わった。
「初めてルナと、この姿で会った時と同じくらいかな?」
「そうなのです。ちっちゃいのです」
「ごめんな。俺のせいだ。俺のせいで大勢のルナが……」
ルナは存在している。だがルナは多くの精霊の集合体だ。存在を失ったルナも沢山いる。そのほうが多いのだろうとヒューガは考えている。
「ヒューガが謝る必要はないのです。ルナはルナの意思で行動したのです」
「でも俺の為だ」
「ルナはヒューガの為、ヒューガはルナの為に存在するのです。ルナたちは当たり前のことをしただけなのです」
ヒューガの為に犠牲になったという思いはルナにはない。
「当たり前のことだとしても、悪いことをしたと思えば謝りたいし、助けてもらった時は感謝したい」
「それは……きっと良いことなのです」
「ルナ……ごめん。そして、ありがとう」
ルナに向かって頭を下げるヒューガ。彼が最初に謝罪した相手はルナになった。
「ルナも反省しているのです。ヒューガの願いは全て叶えてあげたい。でも間違っているかもしれない時はどうすれば良いのか悩むのです」
「間違っていると思ったら、間違っていると言えば良い」
「でもヒューガの意思とルナの意思が異なるものになった時、二人の結びがどうなるのか、ルナは不安なのです」
ルナとヒューガの心は結ばれている。その二人の想いが異なる方向を向いた時に、関係はどうなるのか。それは精霊であるルナにも分からない。意思がすれ違えば結びつきは失われるのが普通だと思うのだ。
「……大丈夫。俺とルナの関係は変わらない。何があっても二人は一緒だ」
「……特別な関係?」
「そう。俺とルナの関係は唯一無二のもの。ずっと変わらないよ」
根拠があるわけではない。だが、ルナを安心させようと嘘をついているつもりもない。そういうものだと漠然と思っているだけだ。
ヒューガの言葉を聞いて、手の平の上から肩の上に飛び移ったルナ。そのルナに視線を向けようとしたヒューガの頬に何かが触れる感触があった。虫に刺された程度のわずかな感触。だがその感触はヒューガの心を温かくした。
「ヒューガの言葉でルナの心は温かくなったのです。だからお返しなのです」
「ああ……俺も温かくなった」
「ルナはまた頑張るのです。頑張ってまた大きくなって、今度はほっぺじゃなくて……恥ずかしいのです」
「その時が早く来るように俺も頑張る。また二人で一から頑張ろう」
「はい、なのです」
何を頑張るのか、ヒューガの心に決めたものはない。ただルナとの関係は続いている。ルナが成長するなら、自分も負けないくらいに大きくならなければならない。そう思うだけだ。少なくとも、同じ失敗を繰り返さないようになることは絶対だ。
ヒューガの歩みは続く。それを心に決めてしまえば、進むべき道はすぐに見えるようになる。多くの人々の期待がそれを示すはずなのだ。
「……エアル、どこ行く?」
ヒューガとルナから少し離れた場所にある木の影。ヒューガに話し掛けることなく、その場から立ち去ろうとするエアルをイフリートが呼び止めた。
「邪魔しちゃあ、悪いから」
「エアルは邪魔にならない」
「……今は邪魔。今、ヒューガの隣にいるべきなのはルナなのよ」
ヒューガの隣はクラウディアの為のもの。ずっとそれを忘れないようにしてきた。だが、それは間違い。誰よりもヒューガに相応しいのはルナ。二人の様子を見ていて、エアルはそう感じた。ヒューガのどのような状況であろうと、何者になろうとルナはずっとヒューガの側にいる。すでにヒューガの隣は埋まっているのだと。
「エアルの望みはヒューガの側にいること」
「……いいえ。私の望みはヒューガの剣に、いえ、彼の剣にも盾にもなり、彼を支えることだわ」
それがヒューガの側にいる為に必要なこと。望むではなく、望みを叶える為の手段だ。
「強くなりたいのか?」
「ええ、この世界の誰よりも強くなりたいわ」
もう二度と同じ醜態はさらさない。たとえ優斗相手であろうともヒューガの盾となって彼を守り、剣となって彼の敵を討つ。この気持ちは偽りではない。
「俺も、先輩の分も強くなるのが望み。エアルと一緒」
「そうね。イフリートと私の目指すところは同じ。一緒に頑張りましょう」
「おお」
今よりももっともっと強くなる。何者からでもヒューガを守れる強さを、何者であってもヒューガの敵を討つ強さを手に入れる。エアルとイフリートの歩みもこれまでと同じく、これまで以上に同じ意識を持って続いていくのだ。
◆◆◆
今回の件で、悲しみと後悔の念を抱いているのはヒューガとエアルだけではない。それぞれがそれぞれの立場で想いを噛みしめていた。ヒューガが見上げている夜空と同じ空の下、そことは離れた森の中で冬樹は荒い息遣いで、立ち尽くしていた。
「汗をかいたままでは体に悪いのではないですか?」
その冬樹の体を心配する声。ウンディーネのものだ。
「……精霊ってそういうことを気にするのか?」
「私自身は気にしません。ただ、こういう時にどう声をかければ良いか分からなくて」
ウンディーネの発した言葉は、冬樹の記憶の中にあった言葉。意味などどうでも良いのだ。夜の闇の中で立ち尽くしている冬樹に声をかけたかっただけ。
「ああ……心配させたか」
「私たちには人の心は分かりません。ですが貴方の心は分かります。吹雪のように冷たく、荒れた貴方の心は」
ウンディーネは結んでいる冬樹の心を感じている。それが彼女を不安にさせているのだ。
「俺は……何も出来なかった。何の力にもなれなかった」
「ただ出番がなかった。それだけのこと……では納得出来ませんか?」
「出番があっても何も出来なかったことが分かっているから」
自分がギゼンの役目を担っていても、ただ死者が代わるだけ。それどころかヒューガたちを救うことも出来なかったかもしれない。自分の無力さを冬樹は悔やんでいる。もっと何か出来たのではないか。本当に自分は強くなる為にこれ以上ない努力を続けていたのかと。
「貴方の戦いはまだ終わっていません。師の死を悲しみ、悔やむことは仕方のないことだと思いますけど、強くなることが出来なくなったわけではありません」
「分かっている。諦めるつもりはない。世界最強の剣士になる。この気持ちは一切揺らいでいない」
揺らいでいないどころか、なお一層、その想いは強くなっている。冬樹にとって剣聖の称号は憧れではなく、自らが手に入れなければならない目標に変わっていた。
「では私もそのお手伝いをしましょう」
「……俺が目指すのは最強の剣士だけど?」
「何か出来ることがあるはずです。それを一緒に考えましょう」
「……そうだな。頼む」
水の精霊であるウンディーネに何が出来るのか。それを疑うのは間違いだ。強くなる為であれば、あらゆる可能性を否定しない。全力で努力すると今さっき誓ったばかりなのだから。
何度か深呼吸をして乱れていた息を整え、拠点に向かって歩き出す冬樹。
(そうじゃないと私の存在価値が薄れますからね)
声に出すことなく、心の中で呟きを漏らすウンディーネ。その視線の先にあるのは、斬り刻まれた多くの魔獣の死体。ウンディーネが知る冬樹では倒せなかったはずの強力な魔獣の死体が、いくつも地面に転がっていた。
(失うことで何かを得たのか、たんに感情が強さを与えたのか……どちらにしても、人というのは面白いものです)
冬樹は何かを突き抜けた。ギゼンの死がそれをもたらしたのだろうとウンディーネは考えている。それでもまだ目指す高みには届いていない。冬樹が求める高みもまたさらに突き抜けたのだ。