ノートメアシュトラーセ王国に戻ったヴォルフリックたちは鍛錬ばかりの毎日を過ごしている。新たな任務が与えられる気配はない。それは他の部隊も同じだ。
あとひと月もすれば感謝祭。ノートメアシュトラーセ王国だけでなく、大陸全土が休暇に入る。それは戦争も同様で感謝祭当日の前後一か月間は全ての争いが停止される。二大国であってもそれは例外ではない。
その条約を取りまとめたのは国とは別の権威。ランデマイスター大陸における唯一の宗教組織、それは建前で他にも存在しているが、である聖神心教会だ。その信者数、信仰心の強さは別にして、が持つ影響力は小さくない。大国といえども無視出来ず、大陸共通の慣習となったのだ。
そのような事情があって、新たな任務に送り込まれる部隊はない。逆に前線に出ていた部隊が戻ってくる状況だ。
「……剣術大会?」
「はい。もうすぐ対抗戦が行われることになります」
「対抗戦?」
「傭兵団、王国騎士団、近衛騎士団の対抗戦です」
「それをこんな時期に?」
大陸全土の休暇中、なんてことを言っているがヴォルフリックはそれを意識して生活なんてしていない。貧民街で暮らす人たちのほとんどは感謝祭を祝う余裕などなかったのだ。
「こんな時期だからこそです。他国の争いが起こることを気にする必要のない期間。そんな時でなければ軍部全体でのイベントなんて出来ません」
この期間に戦争は起こらない。継続中の戦争も休戦状態になる。それが分かっているので、少し前から戦闘は行われなくなる。拠点を奪ったのであれば権利を主張できるが、前線を進めた程度では停戦中に取り戻されてしまうからだ。
「そうか……休みなのに大変だな」
「他人事のように言わないでください。参加するのですから」
「頑張れ」
「そうじゃなくて、貴方が」
「嫌だよ。面倒くさい」
対抗戦なんて面倒なものにヴォルフリックは参加したくない。他の団との対戦に興味がないとは言わない。だがそれを多くが見る前でやる必要はないと思ってしまうのだ。
「面倒くさいでは済みません。これは軍部全体のイベントなのです。参加は必須。フィデリオさんからも話してください。これがどれだけ大事なイベントかを」
「ああ、いや、出たくないなら出なくて良いかな?」
「ええっ?」「ほら見ろ」
まさかのフィデリオの発言にクローヴィスは驚き、ヴォルフリックは得意げだ。参加しなくて良いというお墨付きをもらったくらいの気持ちでいる。
「そうはいかない」
だがクローヴィスの味方をする者が他にいた。当然、愚者のメンバーではない。ジギワルドだ。
「……他所の人は黙っていてもらえますか?」
「同じアルカナ傭兵団だ。このイベントは傭兵団の力を示す為の戦い。その参加を拒否することは、傭兵団の義務を放棄するのと同じこと。それなら団を辞めてもらえますか」
これまでにないキツイ言い方。ジギワルドには、ヴォルフリックへの態度を変える理由があるのだ。
「好きで入ったわけではないけど、今追い出されるのは困るな」
「そうであれば義務を果たしてもらう。アルカナ傭兵団の力を他の団にはっきりと分からせる為に戦ってもらう」
「……これって全員参加?」
「いや、選抜」
「だったら何故、俺? 他にもっと強い奴がいる。そいつらを出すべきだ」
「今回、傭兵団からは若手が選抜されることになっている。私と兄、そして貴方の三人だ」
「三枚のカードをきるなら皇帝、法王、女教皇で良くない?」
ヴォルフリックが知る中では上から数えて三人。これで傭兵団は確実に勝てるはずだと考えた。
「それでは勝って当たり前。傭兵団全体の力を示すことにはならない」
ヴォルフリックが考える通り、三人が出れば確実に勝てる。それでは対抗戦が成立しない。
「ちなみに負けたら?」
「負けることなど許されない。良いですか? 貴方は他国でアルカナ傭兵団の評判を地に落とした。この上、国内でも同じ結果になるなんてことは、絶対に許されない!」
ジギワルドがヴォルフリックに厳しい態度を見せているのはこれが理由だ。パラストブルク王国での任務で、ローデリカを殺したことになっているヴォルフリックの評判はすこぶる悪い。というのは任務を終えたばかりの頃の話で、今は彼が戦場で、パラストブルク王国の都で語った言葉が広まっていて、それが反乱の機運を高めているのだが、その事実はジギワルドには伝わっていないのだ。
言うべきことを言い終えた、と考えたジギワルドは仲間たちのところに戻っていく。
「……はあ、面倒くさい。若いってだけで押し付けられるのっておかしいよな?」
「おかしいって……若手が相手ということで王国騎士団も近衛騎士団も熱くなっているという話です。これまで以上にイベントは盛り上がると思います」
「これまでは負け試合が決まっていたってこと?」
「そうです」
両騎士団にとっては初めて巡ってきたかもしれない勝機。そう考えて、例年以上に気合いを入れて、対抗戦の準備に入っているのだ。
「……剣で戦うのに? まさか特殊能力を使って良いのか?」
「持つもの全てを使うのが戦いというものです」
「ズル! 何、その理屈? 圧倒的に傭兵団が有利じゃないか」
「そうはいっても制限は入ります。吊るし人のリーヴェス殿なんて能力を使うなと言われたら戦えないではないですか? そういう人を考えて特殊能力の使用は許可されているのです」
リーヴェスの特殊能力は軟体。長い手足を鞭のようにしならせて攻撃したり、相手の体に複雑に絡めての体術が武器だ。軟体を使うなと言われると何も出来なくなる。
「確かに。じゃあ、制限されるのは?」
「飛び道具に似た攻撃です……発火とか?」
「両騎士団の勝機って俺じゃないか。なんか、虐められている気分」
「そんなことはありません。オトフリート殿とジギワルド殿も同じです。衝撃波は離れた敵を攻撃するものです」
オトフリートとジギワルドの特殊能力は衝撃破。父親のディアークの持つ覇圧と同じで気を放つ能力なのだが、その威力の違いや当人たちの格の違いなどから、あえて特殊能力の名を変えられている。
「傭兵団チームに勝てる初めての機会ってことか。それは、はりきるだろうな。そういう熱い人たちは苦手だ」
「どの口がそれを言うのですか? 前回の任務ではかなり熱かったと思いますけど?」
パラストブルク王国でヴォルフリックが語った言葉。それは当事者ではないクローヴィスも揺さぶるものだった。ヴォルフリックがローデリカに向けた思いには、同情という言葉では足りない、もっと熱いものを感じた。
「お前、性格悪いな。人の恥をそうやって馬鹿にする」
「あれのどこが恥ですか? 人々の心まで熱くする…………まさかと思いますが、狙いました?」
「何を?」
「人々が反乱に立ち上がることを」
人々はヴォルフリックの言葉に刺激を受けて、行動を起こしたのではないか。クローヴィスはその可能性を考えた。
「そんなはずないだろ? あれは純粋に怒りから出た言葉だ。あれで反乱を起こすくらいなら、結果は違っていた」
「……そうかもしれませんが」
意図したものではなくても、それが全てではなくても関係はあるのではないかとクローヴィスは思う。ヴォルフリックは良くも悪くも人の感情を刺激する。その影響力は常人とは異なるものであることをクローヴィスは知っているのだ。
◆◆◆
三団対抗戦への参加が決まったからといって、ヴォルフリックのやることは変わらない。朝早く起きて軽く体をほぐし、そこから体力づくりの為に体を苛め抜く。その鍛錬についていくのは容易ではない。まして、体の動きに制限をかけられた状態では。
午前中の鍛錬の半分も消化しないうちに、クローヴィスとセーレンは地面に倒れて動けなくなっていた。
「ほら、だからいきなりは無理だって言っただろ?」
「し、しかし……ゆ、ゆっくりでは……」
「いつまで経っても俺たちに追いつけない? そんなことないから。これには限界がある。ある程度行くと、付けても付けていなくても変らなくなるそうだ」
ヴォルフリックが説明しているのは鍛錬用の魔道具について。それを常にヴォルフリックとブランドは身につけていた。クローヴィスには秘密にして。この魔道具はギルベアトがヴォルフリックたちに与えたもの。今となっては黒狼団の物なのだ。
それが気付かれたのはローデリカとの戦いの時。全力で戦う為にヴォルフリックが外した魔道具をクローヴィスは見ていた。それが何かを知れば当然、クローヴィスも装着を望む。その話を聞いたセーレンも。
「……貴方は、どうなの、です?」
「俺? まだ必要かな? 彼女との戦いの時に外したら、やっぱり動きが違った」
「では、私も付けなければ、さらに差は、広がるではないですか? もう息は戻りました。鍛錬は続けられます」
こう言って立ち上がろうとしたクローヴィス。だが息が整ったからといって、それで大丈夫というわけではないのだ。膝を立てたものの、足が震えて力が入らない。そこから先はまったく動けなかった。
「だから、考え方が間違っている。魔道具を付けているだけで強くなれるなんて都合の良い話があるわけないだろ? 魔道具はあくまでも補助。努力を不要とするものじゃない」
「……確かに」
強くなる為に、ヴォルフリックに追いつくためにこれまで以上に頑張るつもりだった。だが魔道具を楽に強くなれる道具と考えていなかったか。そうであれば、自分は大いになる間違いを犯していることになるとクローヴィスは思った。
「素の状態でも、午前中の鍛錬を完璧にこなせているとは言えない。まずはそこからだろ? それが出来るようになったら魔道具で負荷をかける。ただ負荷をかければ良いというものじゃない。それが必要な時と、そうじゃない時がある」
「その違いは?」
「それはその時が来たら教える。とにかくお前ら焦り過ぎ。土台をしっかり作らないで高くしても倒れるだけだ」
「……分かりました」
ヴォルフリックの言葉に納得して魔道具を外すクローヴィス。セーレンも同じ結論を選んだ。まだ動くのも苦しそうな状態であるが、魔道具を外そうとしている。
「……ん? 何?」
フィデリオがじっと自分を見つめていることに気付いたヴォルフリック。
「あの、その言葉はギルベアト様の言葉ですか?」
「今、二人に話したこと? そう。爺が俺の師匠だからな」
「……必要な時と、そうではない時というのは?」
「それをフィデリオさんが聞く?」
フィデリオも同じ魔道具をつけている。同じギルベアトを師匠とする身。ましてフィデリオは言ってみれば兄弟子だ。自分よりも詳しいとヴォルフリックは考えている。実際に上級の鍛錬法はフィデリオから教えてもらっているのだ。
「ちょっと聞いた覚えがなくて。かなり前のことなので、忘れてしまっているのかもしれません」
「えっ、大丈夫? 俺たちに大事なこと伝え忘れていない?」
「大丈夫だと思います。それで……?」
「暴れ馬の勢いは凄い。だが暴れ馬に乗る騎士を討つのは簡単だ。一方で勢いはそれほどでなくても、完璧に制御された騎馬を討つのは難しい。爺が言っていた言葉はこんな感じだ」
とんでもなく高出力のエンジンを積んでいても、止まれない車では道路を走れない。車に例えるとこんな感じだ。この世界に自動車は存在しないが。
「……ギルベアト様はそんな言葉を」
「体力作りも同じ。走る力だけが凄くても駄目。剣を振る力だけ強くても駄目。俺は最初、特殊能力を否定しているのかと思った。でも体が全部均等に動けないと結局、強くなれないってことが後で分かった」
「…………」
「大丈夫か?」
青ざめた顔のフィデリオ。ギルベアトの言葉を聞いて、何故そんな反応になるのかヴォルフリックには分からない。
「……私はギルベアト様から教わった大切なことを忘れていたのかもしれません。そう思ったら、動揺してしまって」
「昔の話だからな……もう一度聞くけど、今俺たちがやっているのは大丈夫か? 特に違和感はないけど」
「まだ型を作っている段階ですから大丈夫ですよ。ただ、この先の鍛錬については良く考えてみることにしますね」
ようやく笑顔が戻ったフィデリオ。少し安心したヴォルフリックだが、鍛錬については不安は残る。フィデリオがギルベアトに教わっていたのは、もう十五年以上前のこと。抜けている部分があるかもしれないと考えた。
「セーレン!」
そのヴォルフリックの思考を邪魔する声が鍛錬場に響いた。
「お父様!?」
声の主はセーレンの父親。力のテレルだ。ただその登場よりも、セーレンが父親をお父様と呼んだことにヴォルフリックは驚いているが。
「何をしているのだ!? 鍛錬などお前には必要ないだろ!?」
「鍛錬まで禁止された覚えはないわ!」
「では今、禁止する! 鍛錬は禁止だ!」
「ひどい! そんな権利はお父様にはないわ!」
「権利はある! 私はお前の父親だ!」
目の前で始まった親子喧嘩。家族の間のことなど放っておけば良いのだが、それが出来ないのがヴォルフリックだったりする。
「おい、おっさん」
「うるさい!」
「うるさいのはお前だ! おっさん!!」
「なんだと!?」
そしてすぐに相手の怒りの感情を自分に向けさせるのが得意であったりする。
「鍛錬の邪魔だ。親子喧嘩は家でやれ」
「貴様か? 貴様がセーレンを誑かしたのだな?」
「どうして、そういう話になる? 俺は彼女が一緒に鍛錬するのを許しただけだ」
「それが誑かしたというのだ! セーレンは貴様の従士になどならない! そんなことは私が許さん!」
「俺はそんなことを求めていない。彼女が強くなりたいというから一緒に鍛えているだけだ」
実際にヴォルフリックは従士にするとは言っていない。ヴォルフリックにとっては鍛錬と従士にすることは別なのだ。
「従士にならなくて、何故強くなる必要がある?」
「何故、強くなるのに従士になる必要がある? 誰であろうと、何を職業にしていようと強くなろうと努力することは許されるはずだ! それを否定する権利はお前にはない!」
「……わ、私は父親だ!」
「父親なら娘の人生を自由にして良いのか? 父親には娘の望みを打ち壊す権利があるとお前は言うのか? 俺には生んでくれた親なんていなかったが、そんなのが親じゃないことは分かる」
「貴様は……」
ヴォルフリックは孤児としてギルベアトに育てられた。これくらいのことはテレルも当然知っている。特に母親が悲劇的な最後を迎えたことも。
「彼女は強くなりたいと望んでいる。どうして家族であるお前がそれを応援出来ない?」
家族であれば応援するのが当然。家族というものを持たなかったヴォルフリックたちは、仲間たちを家族として、こう考えるようになった。家族を知らないからこそ、理想を追っているのだ。
「娘が心配なのだ。娘に万一のことがあったら、お前は責任が取れるのか?」
「……俺は仲間を死なせない」
「そう思っていても万一はある!」
「万一も許さない! 俺はもう仲間を死なせないと誓った! 皆で生きていくと誓った!」
仲間の死に一人で責任を感じることはしない。だからといって仲間の死を受け入れるわけではない。もう二度と同じ悲劇は繰り返さない。その為に皆で頑張っていくと誓ったのだ。
「……お前の言葉を信じることは出来ない。だが、まあ、今日のところは引いてやる。この場で死ぬほど愚かな娘ではないからな」
ヴォルフリックの剣幕に少し気圧されたテレル。だからといって父親が娘を思う気持ちが薄れるはずがない。娘を危険な目に遭わせるわけにはいかない。この気持ちに変わりはない。
それでもこの場は引くことにした。従士になることを認めるつもりは微塵もないが、ここまで熱くなる仲間が娘に出来たことは少し嬉しかったのだ。絶対にその気持ちを口にすることはないにしても。