アルカナ傭兵団が最後の交渉として城を訪れてから、すでに二週間。検討の余地があることを感じさせたはずの相手からは、何の連絡もない。ローデリカの側もすでに提示された条件から相手が譲ることがなかった場合に備えて、色々と検討しなければならないのだが、それを進めることは出来ないでいた。今後のことはローデリカの独断で決められることではない。では皆と相談すれば良いのかといえば、そうでもない。この街にこもっている人たちだけでは決められないことなのだ。
何もなすことが出来ずに、ただ時間が過ぎるに任せていたこの二週間。変化は突然やってきた。
「討伐軍の陣容が変わるですって!?」
「はっ! 今いる討伐軍はすべて王都に帰還! 代わりの軍勢が送られてくることになるようです!」
「どうして、そのようなことになるのです!?」
このような事態を招かないように細工をしてきたつもりだった。それは上手く行っていて、国王は討伐軍の戦果に満足していたはずなのだ。
「アルカナ傭兵団の進言を陛下が受け入れてしまったようです」
「アルカナ傭兵団が進言?」
何故、そのような真似をしたのか。何を進言したのか。この時点のローデリカには、まったく見当もつかない。
「まず討伐軍の指揮官であるニコラオス将軍は、アルカナ傭兵団と協力して戦うことを望んでいないと。非協力的な味方は敵よりも恐ろしいと申して、陛下に交代を願い出たそうです」
「……それで?」
「さすがに陛下もすぐに了承しなかったようですが、さらに傭兵団の側から三ヶ月間も攻め続けて城を落とせないのはそもそもどうなのかという話が出て」
「まさか、それを受けいれたのですか?」
もしそうであればこれまでの工作は何の意味もなかったことになる。国王はニコラオス将軍を信頼していたはずなのだ。
「いえ。それに対しては陛下は怒りを見せたようです。自国軍が弱いと言われているようなものですので、当然の反応かと」
「それから?」
だが結局は討伐軍の陣容は変わることになった。国王を説得する何かがあったのだ。
「傭兵団はこれまでの戦果を尋ねました。反乱軍の誰を討ち取ったのかと。一方で自軍はどれくらいの死者を出しているのかと」
「答えは悪いものではないはずです」
「それが……名のある騎士は誰も討ち取られていないわけで」
それはそうだ、王都にまで名前を知られるような騎士の死は偽装出来ない。論功行賞の対象になるのは間違いなく、その為にはたしかに有力騎士を討ち取ったという証が必要だ。だが、そんなものはないのだ。
「……死者については?」
「死者がいないことに対して傭兵団は、それは本気で討とうとしていないのではないかと疑問を向けました。ローデリカ様を討とうと思えば、死者が出るのが当たり前。ニコラオス殿が指揮を執る前はどうだったのかと聞かれて……その場にはゴードン将軍もいたようでして……」
「ゴードン将軍は自己弁護の為にアルカナ傭兵団の主張を支持するわね」
ゴードンはニコラオスの前に討伐軍を率いていた将軍。そのような話の展開になれば、自分はローデリカを討つ為に全力を傾けていたと主張するに決まっている。その結果、多くの死者を出してしまったのだと。
「ゴードン殿の存在を知った傭兵団は、共に戦う意思があるかを尋ね、それに対して当然ですが了承が返されました。さらに傭兵団から、もし前回の任務が不本意なもので終わったのであれば、汚名返上の機会を与えてはどうかとの陛下への進言があり、それが受け入れられたとのことです」
アルカナ傭兵団だけでなく、自国の将軍も討伐軍の交代を申し入れてきた。ゴードンはもともと国王の信任厚い将軍。だから最初に討伐軍を任されたのだ。そのゴードンが説得に加われば、国王も受け入れる方向に考えを改める。
「……反対する人はいなかったのですか?」
「王太子殿下から、大きな失敗のない将軍を交代させるのは士気に関わるとのお話があったようですが」
「それは受け入れられなかったのですね?」
「傭兵団から、それであれば三ヶ月もの長きに渡って戦っている騎士や兵士に休養を与えるという名目にすれば良いと提案がありました。戦果をあげた討伐軍を王都に迎え入れ、陛下がそれを称える場を用意すれば、軍の士気はあがり、王都の住民たちも安心するだろうと」
「……あの男が喜びそうな提案ね」
王都の住民たちの前で高らかに勝利を宣言して自身の威を誇示し、さらに夜には華やかなパーティーを開いて楽しむことが出来る。パラストブルク国王が喜びそうな提案だ。それを狙って行ったとすれば。自分に会いに来たヴォルフリックにローデリカは得体の知れなさを感じた。
「すでにゴードン将軍は王都を発っております。二、三日後には姿を現すことになるかと」
「分かったわ。皆に戦う準備をするように伝えて。それと住民たちに避難の指示を。戦いに決着がつくまでは街に近づかないようにとも」
「は、はい……」
深刻な戦いが始まる。住民たちを避難させるようというローデリカの指示を聞いて、部下はそれを知った。遅すぎる状況の理解。それが分かったローデリカの心に黒い影が広がっていく。
指示を伝える為に部屋を出ていった部下。ローデリカ一人がその場に残った。
「……彼は気付いている。どこまで?」
ヴォルフリックは、ローデリカはまだ名を知らないが、彼女とニコラオスが通じていることに気がついている。この状況がそれを示していた。問題はどこまで気がついているか。それを考えたローデリカであったが、あまり意味のないことだと途中で気がついた。
「……私が死ねば良いだけね。それで何もなかったことになる」
ヴォルフリックが深いところにまで気がついていたとしても、それを証明するものは何もない。ローデリカが死ねば証言をとることも出来ない。仮にそれを許したとしても、信ぴょう性がないものとして無視されるだけだ。
ナイトハルト男爵家の反乱は鎮圧され、パラストブルク王国はこれまで通りの治世が続く。ローデリカはもう変化を諦めていた。
◆◆◆
夜の酒場は多くの客で賑わっている。フロアのあちこちでグラスを傾け、仲間たちと談笑している客たちは、誰もが一癖も二癖もありそうな面構えの男たち。そんな客が、そんな客しか訪れない店なのだ。
その酒場の隅でテーブルを挟んで揉めている男たちがいる。周りの客はまったく気にしていない。口で揉めているくらいであれば雑談と変わらない。取っ組み合いの喧嘩を初めても、囃し立てることはあっても、止めることのない客たちなのだ。
「てめえ、マジでふざけんなよ! タダ働きさせようってのか!?」
「そ、そんなつもりはないい! ちゃんと報酬は払うって言っているだろ!?」
黒髪の男にものすごい剣幕で迫られて、それに少し怯えながらも相手の男は言い返している。
「今、金はねぇって言ったじゃねえか!?」
「金よりも、もっと凄い物で払うと言っているんだ!」
「……金より凄い物ってなんだ?」
相手の話を聞いて、黒髪の男は少し落ち着きを取り戻した。仕事の報酬をきちんと貰えるのであれば、男に文句はない。それが金よりも価値があるというのであれば大歓迎だ。
「まあ、見ろ。これだ」
男の客は懐から出したものをテーブルの上に置く。
「……これが報酬?」
男の目にそれはただのトランプカードにしか見えない。それも、せいぜいが十枚。トランプカードとしても成り立っていない。
「ああ、そうだ」
それでも客は自信満々にそれを報酬だと言ってきた。
「……てめぇっ! 俺を馬鹿にしているのか!?」
客の胸ぐらを掴んで、まだ怒鳴りつける男。完全に自分はからかわれているのだと思っている。それはそうだろう。
「ち、ちゃんと、最後まで、は、話を聞け」
「これ以上、何の話があるんだ!?」
「今から、話す。だから、手を、離せ。き、聞けば、分かるから」
「……じゃあ、話せよ!」
突き飛ばすようにして、手を離す男。解放された客は一度大きく深呼吸すると、前かがみになって口を開いた。
「驚くなよ。これは神意のタロッカといってな、神様の手によって作られたタロットカードだ」
声を潜めて男にカードについて説明する客。
「すげぇな。これが神様が作ったカードか」
「ああ、そうだ」
「……………………この野郎っ! んなわけねぇだろ!?」
大きく拳を振り上げる男。神の手にとって作られたタロットカードなんて話を信じられるわけがない。完全に相手は自分を舐めていると思って、言葉ではなく暴力で分からせることにしたのだ。
「ま、待て! まだ話は終わっていない! これからだから!」
自分を殴ろうとしている男を必死で止める客。それでも止まらなさそうと見ると、座っていた椅子の影に隠れてしまった。
「……じゃあ、続けろよ!」
そんな相手を追いかけて殴っては、自分がみっともなく見えると考えた男は、話を続けるように客に告げる。
「良いか? このタロットカードは、ほら、愚者のカードだ。そして他の九枚には何も書いていない。真っ白だ」
テーブルに置かれていたカードを手にとって、男に見せる客。客が言う通り、カードは愚者、なんてことは男には分からないが、とにかく道化た感じの人が描かれている。他のカードは真っ白だ。
「神に選ばれた人間にしか絵が描かれているカードは引けない。何度やっても真っ白なカードが出るだけだ」
こう言って、カードを裏返しにして、テーブルの上に広げる客。
「ほら、引いてみろ」
広げられたカードを両手で混ぜると男に一枚引くように促した。疑いの目を向けながらも、言われた通りにカードを引く男。
「…………あれ?」
「引けたじゃねぇか!?」
男が引いたのは愚者のカードだった。
「ま、待て! そんなはずはない! 俺も何度も試したんだ! もう一度、もう一度やってみろ!」
男からカードを奪うとまた両手で、今度は念入りに混ぜる客。
「今度はどうだ?」
「……引けた」
男が引いたカードはまた愚者だった。
「……もう一度やってみよう」
もう一度カードを、今度は手できった上で、テーブルに並べていく客。そして、男が引いたのは。
「嘘だろ……」
また愚者のカードだった。
「……今度はお前が引いてみろ」
男は自分ではなく、客にカードを引くように言ってきた。さすがに不思議に思えてきたのだ。今度は男がテーブルの上にカードを並べる。
「……真っ白だ」
客が引いたカードには何も描かれていなかった。
「もう一度。今度は上か下で選べ」
男は愚者のカードと何も描かれていないカード一枚を手に取ると、持つてを背中に回した。
「……上」
客が指定したカードをテーブルの上に置く男。カードは真っ白だった。
「もう一度だ!」
また同じように二枚のカードを背中に回す。
「下」
「……もう一度!」
何度やっても結果は同じ。客は愚者のカードを引くことが出来ない。それでも男はすぐには信じない。また自分を選ぶ役目にして、カードを重ねた状態で上から何番目かを言う。
選ばれたの愚者のカード。何度やっても、方法を変えても同じ。男は愚者のカードしか引けなかった。
「それそろ信じたか?」
「…………」
「ただ、まだ話は終わっていない。これだけなら手品くらいにしか使いみちのないカードだが、これの価値はそんなものじゃない」
「……何だ?」
客の言う通り、これだけでは仕事の報酬にはならない。人を驚かせて喜ぶ趣味もなければ。それで稼ぐつもりもない。男の仕事は傭兵なのだ。
「カードの種類は二十二種類ある。それを全て集めて、かつそのカードに選ばれた人間が全員揃った時、神様はなんでも願いを叶えてくれる。富でも権力でも、なんでも手に入れることが出来ると言われている」
「なんでも?」
「そうだ。なんでもだ。それが神意のタロッカの価値。神の意思が宿るカードと言われている所以だ」
「…………」
なんでも願いが叶うカード。おとぎ話の世界のような話をされても、男には実感が湧かない。
「正直に言うと、俺には何の価値もないカードだ。だがお前にとっては違う。お前はカードに選ばれた存在だ。こうして今日、このカードと巡り会えただけでも奇跡だと思わないか?」
客が依頼を出していなければ、その依頼を受けていなければ、その後に客が商売に失敗して金を失わなければ、こうしてこのカードが男の前に現れれることはなかった。奇跡は大げさだとしても、不思議な巡り合わせではある。
男はその巡り合わせを運命だと信じることにした。自分の未来を切り開く、きっかけにした。これが始まりの日。まだ若く、血気盛んだった頃の出来事だ――
◆◆◆
扉をノックする音。その音でディアークは過去の思い出から現実に引き戻された。当時のことを思い出すのはいつ以来のことか。分からないほど昔のこと。では今、何故、思い出したのか。これについては分かっている。当時の自分と同じように血気盛んな、それでいて当時の自分よりは大人かもしれない存在と出会ったからだ。
「……失礼します」
扉を開けて入ってきたのはトゥナ。珍しいことではない。古参の隊員たちにとってこの執務室は憩いの場。公的な場所ではないのだ。
「もしかしてお邪魔でした?」
「いや、ちょっと過去の思い出に浸っていただけだ」
「過去の思い出?」
ディアークには珍しいこと。正確には久しぶりのこと。亡くなったミーナとの思い出に浸っている場面に何度か出くわしたことがあるが、それももう十年くらい昔の出来事だ。
「まだ若く血気盛んだった頃。愚者と三、四歳しか変わらない年齢の時のことだ」
「そう……愚者と比較するのですね?」
年齢を比較するのであれば息子のオトフリートとジギワルドがいる。彼らとヴォルフリックは同年代なのだ。
「ああ……彼との会話を思い返していたのが、過去の記憶が蘇ったきっかけだからな」
「どのような内容か聞けるのかしら?」
「何をしたいのか分からないと言われた。カードを集めたいのか、覇権を手に入れたいのか、仲間を集めたいのかと」
ヴォルフリックが任務に出発する前に話した内容。それがディアークの心にずっと引っ掛かっているのだ。
「……カードと仲間を集めるのは、世の中を変えるための手段。彼にはそう見えないということですか?」
「そのようだ。贅沢だとも言われた。正直意味はよく分からなかったが、きっと愚者の育った環境はもっと切羽詰まったものなのだろうということは分かった」
「ラングトアの貧民街ですか……生きるだけで精一杯の……憶測で語ることではありませんね」
厳しい環境であることは想像出来る。だがそこで暮らしたことのないトゥナには現実は分からない。
「それで考えなくても良いのに、彼ならどうしていただろうと考えてしまった。俺と同じように愚者のカードに出会っていたらとな」
「……それ、答えを知りたいですか?」
「知っているような口ぶりだ」
「想像であれば」
「……想像でも知りたいな」
恐らくは自分にとって良い答えではない。それは自分で考えていた時から分かっていた。分かっていたから無意識のうちに答えを出すことを躊躇っていたのかもしれないとディアークは思った。それでも聞きたいとも。
「彼であれば、カードなんて無視して、世の中を変えようとするのではないかしら?」
「……どうやって?」
「どうやってでも。ひとつの手段に頼ることなんてしない」
「そうか……そうだな」
特別なことではない。目的を果たす為に、あらゆる手段を試みるのは当たり前のこと。だが、自分たちもそれが出来ていたとはディアークは言い切れない。神意のタロッカに拘り過ぎていた。そんな思いが頭に浮かぶ。
「……ルイーサさんがいないから言います。私たちも先を考える時期に来ているのではないですか?」
「分かっている。だがその先が見えない……」
自分の手で世界を変えることは出来ない。神意のタロッカの存在を無視すれば、こういう結論にならざるを得ない。だからこそ神意のタロッカに拘ってしまっていたのかもしれない。
ではどうするか。世界を変えるという想いを捨てるつもりはない。それはこれまでの自分の人生を、仲間の苦労を否定することになってしまう。それだけは受け入れることは出来ないのだ。