今日は定例の従士試験の日。会場となっている王国騎士団の野外鍛錬場は見物客とその見物役目当ての露店、さらにその露店目当ての客で大いに賑わっている。いつものことだ。
ヴォルフリックにとっては二回目の従士試験。試験そのものはもっと行われているのだが、任務に出ている間のことであったので、こうして見学するのが二回目ということだ。
会場の中央で行われている対戦。その様子をヴォルフリックは眺めている。別におかしなことではない。上級騎士が新たな戦力を求めるのは当たり前のこと。実際、オトフリートとジギワルドもそれぞれ側近と共に試験の様子を見ていた。ただし、傭兵団の上層部はヴォルフリックの行動を他の二人と同じだとは受け取らない。仲間との接触を図る可能性があるとして、ルイーサに命じられた従士がヴォルフリックの行動を監視している。
そのヴォルフリックに動きがあった。露店が立ち並ぶ場所に向かって、歩き出したヴォルフリック。その彼に気付かれないように監視役の従士たちも移動する。
「……あの、大丈夫ですか?」
ヴォルフリックが問いかけた相手は女の子。ふわふわとした金髪が陽の光を受けて、輝いているように見える。
「あっ、大丈夫です。ただ……連れとはぐれてしまって」
「えっ、この状況で?」
周囲は大勢の人で賑わっている。街の住人ほとんどが会場に来ているのではないかという状況。さすがにそれはおおげさだが、そう言ってもおかしくない状態なのだ。
「はぐれた時の待ち合わせ場所は決めてあるのですが、方向が分からなくて」
「ああ、じゃあ、案内します。どこですか?」
「そんな悪いです……というべきですけど、お願いします」
「気にしないで。俺は関係者のようなものですから」
これは絶対に下心があるな、と監視役たちは思った。ヴォルフリックと話している女の子は、こんな娘が街にいたのかと驚くくらいの美少女なのだ。
女の子と一緒に歩き出したヴォルフリック。その姿を見て、監視役は驚いた。ヴォルフリックと女の子は手を繋いでいたのだ。なんと手が速い。いや、女の子もどうなのか、という思いが監視役たちの心に交差するが、少なくとも女の子に対する批判の気持ちはすぐに消えた。彼女は目が不自由であることが分かったからだ。
ゆっくりと、すれ違う人たちに声を掛けながらヴォルフリックは女の子を先導している。案外、良い奴だ。なんて思いがその様子を見ている監視役たちの心に湧く。
目的の場所はそう離れていなかった。
「あっ、いた! 大丈夫だったか!?」
女の子を見つけて駆け寄ってきたのは茶髪の男。ヴォルフリックとそう年が変わらないように見える男だった。監視役たちの心に湧いた嫉妬心。
「お兄ちゃん」
その嫉妬心は女の子のこの声でしぼんでいく。
「良かった。あっ、ありがとうございます! 妹を連れてきてもらって」
「いえ、たまたま見つけただけです。会えて良かった。もうはぐれないでください」
「はい。あっ、そうだ。良かったら何か奢らせてください」
「いや、良いです」
「そう言わずに」
奢らせてという女の子の兄とそれに遠慮するヴォルフリック。結果、兄のしつこさが勝って、三人は露店に向かい、裏に置かれているテーブルで買ったものを食べ始めた。美味しい店なのか、多くの客でにぎわっていて、三人の会話が耳に届かなくなる。
実際は周囲がうるさいからではなく、三人が小声で話しているからだが。
「来ちゃった」
「来るとは思ってた。思っていたよりもずっと遅かったくらいだ」
さきほどまでとは異なり、二人の口調には遠慮がない。十年近く共に暮らしていた仲なのだから当然だ。
「準備があって。皆にも迷惑かけた」
「寂しがってはいても迷惑なんて思っていないだろ? 家族がやりたいことを応援するのは当たり前のことだ」
「そうかな……そうだと良いな」
「とりあえず状況を教えてもらえるか?」
ヴォルフリックの問いは男のほうに向いている。エマは兄と呼んでいたがロートではない。顔バレしている可能性を考えて、別の仲間が来ているのだ。
「拠点は出来た。表通りから一本入った場所にある食堂だ」
「表に近いな」
「近いではなく完全に表の商売。この街、さびれていて歓楽街もない。俺たちには面倒な街だ」
潜むなら裏社会。よそ者が割り込むのは、それはそれで面倒だが、彼らが気を付けなければならないのはこの国そのもの。表の世界の目を逃れるには裏に潜むほうが良いのだ。だがこの街には裏社会そのものがなかった。
「それで表の食堂か……情報は手に入りそうか?」
食堂を選んだのは店の客から様々な情報を集めるため。聞かなくてもヴォルフリックには分かる。
「だから全然駄目。この国、大丈夫か? 旅商人も滅多に見かけない」
「……北は海だって話だから、海産物とか扱えそうだけどな。塩もあるか……いっそのこと商人も始めてみれば?」
「国の許可がいるだろ? 移ってきたばかりのよそ者がいきなり商人を始めますなんて、怪し過ぎないか?」
一か所にとどまっている食堂とは異なり、他国との行き来もある商家の許可は審査が厳しい。他の国で商家として登録しているのであれば、まだしも、一から始めるなんて申請を行えば、怪しまれるに決まっている。
「……じゃあ、こういうのはどうだ? まずは食堂で使う分として、仕入れを行う。それで現地との繋ぎをつけて、量を扱えるようであれば商家の登録申請を行う。人気が出たので他の街にも卸したいって理由で」
「……少しはマシか。食堂が繁盛しないと成り立たないな」
「エマが作れば繁盛するだろ?」
「この……まあ、良い。販売先も考えないとか……開拓する人手はあっても、伝手がない。ラングトアまで運べるか?」
伝手があるのは地元。ただ問題は海産物を遠いベルクムント王国の都まで運べるかだ。
「実際にラングトアでは魚が食えるのだから運べると思うけど……ああ、それよりも良い案がある」
「何?」
「ノイエラゲーネ王国の都。歓楽街に裏社会の人間が集まる酒場がある。そこの店主に相談してみれば良い」
「いつの間にそんな仲間を?」
「仲間ではない。ただ言うことは聞いてくれるはずだ。余程、無理な要求でなければな」
「なるほどね……海産物を買ってくれる店を紹介してほしいくらいであれば、裏切らないな」
ヴォルフリックの言葉で何か弱みを掴んでるのは分かった。だからといって無茶はしない。追い込まれれば人は自暴自棄な行動を取ることがある。それを知っているのだ。
「シュバルツ・ヴォルフェを名乗れ。それが合図だ」
「了解。当たってみる」
「……ブランドが合図している」
エマがブランドの合図を伝えてきた。どんなに騒がしくても良く知っている仲間の声であればエマは聞き取れる。それが分かっているので、ブランドも合図を送ってきたのだ。
「さすがに怪しまれたか……今はまだ自由に外に出られないけど、そのうち何とかする。当面は任務に出る時に食堂に寄るくらいだけど……」
毎回、それを行えばやはり怪しまれる可能性が高い。それでは拠点としての意味がなくなってしまう。
「平気。行動は私たちがもっとこの街に根付いてから。でしょ?」
「そうだな。じゃあ、俺は行く。また会おう」
席を立ってその場を離れていくヴォルフリック。エマたちもすぐに席を立って、会場を離れた。とりあえずヴォルフリックとの接触は図れた。それだけで満足するべきなのだと、エマも分かっている。
ただエマは分かっていない。自分がどれだけ人目を惹く存在であるかを。とりあえず、味は関係なく食堂が繁盛するのは間違いない。
◆◆◆
従士試験が終わって、しばらくは傭兵団施設は騒がしくなる。単純に新入団者が増えたからということではなく、その新入団者を勧誘する為に、普段は施設にいない上級騎士もしくはその従士が出入りするようになるからだ。それは食堂も同じ。実力を認められた新入団者を目当てに集まる人々で、いつも以上の賑わいを見せている。
「勧誘しなくて良いのですか?」
だがヴォルフリックは一切、そういった活動をしていない。それがクローヴィスは不満だった。愚者の従士はクローヴィスを含めて三人。他のチームの三分の一もいないのだ。
「絶対に勧誘しなければならないという規則はない」
「そうであっても、うちの場合は人数が少なすぎます」
「他にも従士が四、五人しかいないチームはあると聞いた」
「それは戦闘部隊ではないからです」
運命の輪のトゥナや審判のヨハネスのように戦闘任務に出ない上級騎士もいる。そういった上級騎士の従士は数が少ない。護衛役としての役割が主であり、それも王都を出ることなど滅多にあることではないので、数は必要ないのだ。
「俺も戦闘部隊を志願した覚えはないけどな」
「それ以外に何が出来るのです?」
「あっ、馬鹿にされた」
「戦いが一番力を発揮できると言っているのです」
ただ剣を持って戦うだけがヴォルフリックの能力ではないだろうことは、クローヴィスも感じている。だがそのすべてが傭兵団の一上級騎士の身で役立つことではないとも思っている。
「……忘れているみたいだから言っておく。俺は強くなりたいのであって、傭兵団で偉くなりたいわけじゃない。出世を望むなら他のチームに行けば?」
「私自身を含め、出世を望んでいる人などいません」
「いるだろ? オトフリートなんて必死だ。態度には出ないけど、ジギワルドだってやっていることは同じ」
もっとも熱心に新入団者を勧誘しているのは、この二人だ。二人の取り巻き、ではなく従士は二十名ほどだとヴォルフリックは思っていたのだが、実際はその倍はいた。控え組がいるのだ。
「二人が望んでいるのは出世とは違います」
「国王になろうとしているのだろ? 出世じゃないか」
「そう言われればそうかもしれませんが……」
この国の頂点に立とうというのだ。出世という表現も間違いではない。ただクローヴィスが言いたいのは、こういうことではない。
「二人の競争は止めさせるべきだな。非効率だ」
「……何が非効率なのですか?」
「わざわざ人数を絞って任務を達成しようとしている。遊ばせておく従士がいるなら、他の任務に回せば良いとも思うな」
一チーム二十名。これは上級騎士に与えられる報酬に基づき計算された、あくまでも参考程度の人数であって、その数で任務を行わなければならないという規則はない。大勢雇える財力があるのであれば、その全員を任務に参加させれば良い。ヴォルフリックはそう思うのだ。
「そこは……何かと比較されますから」
数を揃えばそれだけ任務達成は容易になる。必ずしもそうではないが、そういった場合のほうが多い。大人数で任務を達成しては、評価が低くなる。それを二人は嫌がっているのだ。
「だから出世競争は止めさせたほうが良いと言っている」
「……その問題と貴方が従士を雇わないことは別問題です。そういう考えであれば、尚更、大勢を雇うべきではないですか?」
ようやく話をすり替えられていたことに気が付いたクローヴィス。
「何故そんなに従士を雇わせようとする?」
「数が増えれば、与えられる任務の……まさか、これが分かっていてですか?」
ヴォルフリックが従士を増やすことを頑なに拒む理由。その理由のひとつにクローヴィスは思い至った。
「何のこと?」
「お二人が人数を増やしているのは、どのような任務を与えられても対応できるようにという理由もあります。貴方は逆に与えられる任務を減らそうとしているのですね?」
例えば軍と軍との戦いに送り込もうと考えれば、四名では決定的な活躍をするには少なすぎる、愚者のチームは選択肢から外されることになる。ヴォルフリックはそれを狙っているのではないかとクローヴィスは考えたのだ。
「今のところは減るどころか、増えているけど?」
月と太陽のチームと任務は同じであったが、担当した箇所は愚者のほうが多い。狙いはそうであっても、その通りには行っていない。
「この先は、本格的な戦争が始まるかもしれないのです。その時の為に数は増やしておくべきです」
「二十や三十で軍隊同士の戦いの戦況を変える?」
「それがアルカナ傭兵団の役目です」
数の差を質で凌駕する。アルカナ傭兵団に求められるのはそれだ。クローヴィスにとっては当たり前のこと。
「……それはアルカナ傭兵団にしか出来ないことなのか?」
「はい?」
「いや、良い。とりあえず、今のところは誘いたいと思える相手はいない」
アルカナ傭兵団を絶対的な存在だと信じて疑わないクローヴィス相手に、その在り方を議論しても話が長くなるだけ。結論が出ない議論に時間を使うのはもったいないと思って、ヴォルフリックは話を終わらせた、つもりだった。
「そうやって適当に誤魔化していれば、任務を回避出来ると考えているのか?」
割り込んできたのはクローヴィス以上に面倒な相手、オトフリートだった。
「回避出来るなら、それほどありがたいことはないとは思っている」
「貴様……」
ヴォルフリックの挑発的な答えにさらに怒りを募らせている様子のオトフリート。こうなることは分かっているのだから、割り込んでこなければ良いのだが、オトフリートにはそれが出来ない。
「なにか用か?」
「上級騎士としての義務を果たそうとしないお前に腹が立っただけだ」
「望んで手に入れた地位じゃないと言っても、納得しないのだろうな?」
「当たり前だ。お前は傭兵団の施設で何不自由のない暮らしをしている。その待遇に見合った働きをみせる義務があるはずだ」
上級騎士の地位は無理やり与えられたものであるとしても、ヴォルフリックはその地位によって得られる権利を行使している。権利には義務が伴うというのがオトフリートの考えだ。
「今のところは義務は果たしていると思うけどな?」
「……この先もそれが続くとは限らない。続ける為の努力をお前はしようとしていない」
「なるほど……なんか珍しく論理的だな? 熱でもあるのか?」
「ふざけるな! 俺は真面目に話しているのだ!」
論理的だと言われた、その瞬間に感情的になるオトフリート。ただこれはヴォルフリックが悪い。相手に論破する隙がないとみて、冗談で誤魔化そうとしているのだ。
「真面目に話しても結果は同じ。従士にしたいと思う人はいない。それともなにか? そちらの優秀な従士を譲ってくれたりするのか?」
ヴォルフリックも新入団者をまったく見ていないわけではない。実力を評価した上で、無理して雇うまでもないと判断している。その評価はかなり辛口ではあるが。
「……そんなこと出来るはずがない」
「そうか? まともに働かせていない人もいるみたいだけどな……まあ、俺のところに来たいという人がいないか」
周りの評価は弟より低いとはいえ、オトフリートは国王の長子。普通であれば王位継承権第一位保持者である立場だ。その従士の立場を捨てて、国王に反抗的なヴォルフリックの下につこうなんて、奇特な人はいるものではない。
「……当たり前だ」
「お前の立場で従士をかき集めるような真似をしたら、他のチームに回る人がいなくなる。いるとしてもそちらが不要と判断した人だ。そう思わないか?」
「それは……」
オトフリートの弱点を見つけて、そこを攻めにかかるヴォルフリック。オトフリートはそれにまんまと嵌ってしまった。
「少なくともこの件に関しては、お前に他者を非難する資格はない。それでも俺に文句を言いたいなら、勧誘の不公平をなくしてからにしてくれ」
「…………」
自分は優越的立場を利用して、従士を勧誘していた。ヴォルフリックに言われるまで、そんなことを考えていなかった。考える必要もない。これはオトフリートを黙らせる為に、ヴォルフリックがこの場で考えたもの。本気で不公平だなんて思っていないのだ。
「……ちなみに次はいつ頃になりそう?」
「次?」
「お茶会。お前の母親の説教を聞くのは大変だけど、出されるお菓子の美味さは、その説教の時間を我慢するに十分以上の価値がある」
「……俺には分からない。それほど楽しみなら、話をしておいてやる」
なぜヴォルフリックがいきなりこんなことを話し出したのか、その理由がオトフリートには分からない。戸惑いながらアデリッサに伝えることを約束した。
「ああ、頼む。それじゃあ、都合が合えば、またその時に」
「……あ、ああ」
最後は、何が何だか分からない感じで話は終わり。やや呆気にとられたような表情でオトフリートはこの場を去っていった。
「……優しいね?」
その背中が遠く離れたところで、ブランドがヴォルフリックに話し掛ける。
「何が?」
「別に」
ブランドとヴォルフリックの会話はこれだけで終わり。聞いている人がいても、ほとんど意味の分からない会話だ。かろうじて分かったのはクローヴィスとフィデリオ。だがその二人でも確信は持てなかった。
ヴォルフリックはオトフリートを気遣って、最後の会話を付け足したのではないか。そんな考えは信じられるものではない。