サウスエンド伯爵家の居城があるエルツシュロスは、当然だが、南部最大都市。サウスエンド伯爵家の家風もあって華やかさにはやや欠けるものの、南部経済の中心地として多くの人々が行き交う賑やかな街だ。本来は。
今現在、エルツシュロスを訪れる商人や旅人はほとんどいない。魔王を名乗るユートとその配下である、と人々が勝手に思っている、魔族に占拠されたのだ。普通の人は近づこうなんで思わない。エルツシュロスで暮らす人々も、出来ることなら、逃げ出したい状況なのだ。
だが逃げ出すことは許されない。東西南北にある四つの門は全て閉じられ、ユートに従った貴族家の軍が人の出入りを監視している。ユートは協力しているライアンのように、ただ戦うことが出来れば満足するわけではない。パルス王国に復讐を果たすことも口実であって本当の目的ではない。パルス王国の、最終的には大陸全土の支配者になって全てを手に入れたいのだ。空っぽの街を占拠しても意味はない。
それはユートに協力している貴族たちも同じ。彼らは今よりも広く、豊かな土地の領主になりたいのだ。領民がいなくなってしまっては税を徴収出来ない。南部から逃がすわけにはいかなかった。エルツシュロスを制圧したあとも、南部の各地で盛んに軍を動かしている。
「……色呆けもいい加減にしたらどうだ?」
打ち合わせの席、だるそうに椅子に座っているユートにライアンが文句を言ってきた。
「呆けてなんていないよ。ただちょっと、ほんの少しだけ疲れているだけさ」
その疲れている原因が、朝から晩まで、次々と相手を変えて情事を楽しんでいるから。それをライアンは色呆けと言っているのだ。
「貴族の軍が好き勝手に動き回っている。いつまで放置しておくつもりだ?」
「……彼らが満足するまで? 戦いに勝ったのだから褒賞を与えないと」
「そういうのは働きの良し悪しを確認して、それに応じて何を与えるかを、お前が決めることなのではないか?」
戦功を評価して、それに見合った褒美、領地であったり報奨金であったりを与える。そんな当たり前の論功行賞をユートは行っていない。貴族家に勝手に欲しい領地を奪いに行かせているのだ。
「面倒くさい。それにそのやり方だと絶対に不満が生まれる」
「だから満足するように自由にやらせると?」
「満足するかは分からない。しなくても良い。足りないのであれば次の戦いでも頑張って、勝てば良い」
「そんなことで勝てるか?」
貴族家の軍は強くない。パルス王国軍が出てくれば、二倍三倍の数を揃えても負けるとライアンは考えている。そんな頼りない軍に自由を許す意味が分からない。
「勝つのは僕だ。彼らではない」
「……なるほど。そういう考えか」
ユートも貴族家軍などどうでも良いと考えている。この先の本格的な戦いで彼らに期待するのは、少しでも敵を消耗させること。その結果、貴族家軍が消滅しても構わない。構わないどころか、そうなってくれたほうが領地を分け与えなくて済む、くらいの考えだ。
「役に立たない貴族なんて僕の国には不要。優秀な人材は他にいくらでもいるはずだ。そういう人たちを見つけ出して、抜擢する。実力主義の国にするんだ」
「それは勝手にすれば良い。お前の考えも分かった。だが南部の土地まで消耗して、無価値になっても構わないと考えているわけではないだろう?」
「そこまでにはならないと思うけど……なるのかな? 価値ある物は全て僕の物にするつもりだからね」
「……どういうつもりだ?」
ユートは分かっていて、わざと南部の統治を行っていない。彼の言い方でライアンにはそれが分かった。
「さっきも言った通り、役に立たない貴族に僕の国の一部でも任せるつもりはない。でも今は任せられる人もいない。だから南部は統治出来ない。あくまでも今はだけどね。僕がパルス王国を手に入れるまでの話」
「それまで南部はどうなる?」
「戦場になる」
「……なるほどな。異世界人というのは、性格が悪いのだな」
ユートの考えがライアンにも分かってきた。ユートは南部貴族だけでなく、南部の土地もパルス王国軍を消耗させる道具にしようとしているのだと。それは魔族がパルス王国との戦いでとった戦術の考え方と同じ。ヒューガの策と同じだと。
「異世界人を全部一括りにしないでもらえるかな? それに僕の性格は悪くない」
幸いというえべきか、ユートはライアンの言葉に込められている意味に気付かなかった。
「狡猾ではある」
「……勝つための策だ」
「狡猾であることを悪く言っているつもりはない。そうなると、パルス王国の出方待ちか」
南部を奪われたことに対して、パルス王国はどう出てくるか。どこからどのように攻めてくるか。それによって対応が変わってくる。敵を消耗させるという目的は変わらないが。
「だからその時を待っている。英気を養いながらね」
「精気を放ちながらだろ?」
「面白い表現だ」
「我々はただ待っているわけにはいかないな。不公平な気もするが、まあ良いだろう」
パルス王国がどう動くか。これを調べるのは魔族の役目だ。早い段階で動きを掴み、それの裏をかく。難しいことではない。諜報能力では魔族側がパルス王国のそれを上回っているのだから。
ユートにはしばらく好き勝手やらせておくことにして、ライアンは自分たちがやるべきことをやる為にその場を離れていった。
「……さて、どの娘が良いかな? 街に新しい娘を探していくのも良いな。よし、そうしよう」
ユートも自分がやるべきこと、ではなく、やりたいことをやる為に街に出ることにした。
◆◆◆
シュトリング宰相の判断でパルス王国に多くの間者を送り込んでいたマンセル王国。その成果は、想定外の結果ではあったが、割とすぐに得られた。南部貴族に不穏な動きがある。それを掴み、より詳細な調査を行おうとしたところで、パルス王国に送り込まれたマンセル王国の間者たちは魔族の襲撃を受け、ほぼ壊滅することになったのだ。ほぼ、であったことはマンセル王国の不幸中の幸い。南部貴族の不穏な動きには魔族が絡んでいる。その事実を隠す立場で。これで事態を把握するには十分だった。
報告を受けたシュトリング宰相は、すぐに間者たちの撤退を決定。被害は決して無視できないものであるが、それでも組織そのものが崩壊することはなく、役割を終えることが出来たのだ。
だがその後の動きは鈍い。パルス王国と魔族の戦いはまだ続いている。南部の小貴族が裏切って魔族に付いたようだ。だからといってパルス王国の敗北が決まったわけではない。ユーロン双王国との戦いを行っている最中で、南部で争乱が起こればかなり厳しい状況になるのは分かっているが、それでも絶対に負けると決まったわけではない。こんな主張がマンセル王国の決断を遅らせていた。
「パルス王国派といったところですか?」」
シュトリング宰相から話を聞いたソンブは、マンセル王国には一定数のパルス王国恭順派がいるのだと考えた。
「いや、そこまでのものではない。あえて表現するなら反宰相派、つまり私の対抗勢力だ」
「地位争いですか……」
「相手を悪とするつもりはない。どこの国でも競争はある。それが正しいあり方で行われていることは国の為になることだ」
自分が独善的な政治を行うようになった時、もしくは国王の方針と異なる間違った考えを持つようになった時、彼を止め、成り代わる存在が必要だ。シュトリング宰相はこんな風に考えられる人物だ。
「確かに……今回はそちら側が優勢ということですか?」
「どちらの考えにも決め手が欠けるというのが実際のところだな。パルス王国が滅びることが明らかであれば答えは簡単だが、私もそうは言い切れん」
「簡単には進まないものですね?」
パルス王国の南部で魔族による争乱が起こることが分かれば、それでマンセル王国はアイントラハト王国との同盟を決断するものだとソンブは考えていた。だがそれだけでは足りなかったのだ。
「変な話だが、少し疲れているのかもしれない」
「疲れているというのは?」
「東方争乱での決断は我が国としては、かなり思い切ったものだった。それがなんとか良い結果で終わった。そこでさらに大きな決断というのはな……慎重になる気持ちも分からないではない」
東方争乱でマンセル王国はもっとも成功した国といえる。それを超えるとすればマリ王国だが、その結果はまだ出ていない。マーセナリー王国を吸収して、統治を安定させることが出来ればマリ王国が勝者となるのだが、それが分かるのはまだ先だ。
マンセル王国としては、ここで間違った決断をして得た成果を失いたくない。こう考えてしまうのだ。
「決断をしなければ備えが遅れる。こうは考えないのですか?」
「私は考えている。王太子殿下もだ。ただ陛下の決断がな……言っておくが暗愚な御方ではない。ただ国の意思をひとつにまとめたいという思いが強いのだ」
「それは分かります」
マンセル王国がどちらの決断をしても、難しい対処を迫られる。情勢は良くなったり、悪くなったりとブレる。国の意見が割れていては対処できるものの出来なくなってしまう。
「パルス王国は勝つと思うか?」
「……結論は私にも出せません。ただ南北のエンド家の戦力は魔族との戦いで大きく損傷しています。これはかなり痛いと思います」
北の戦いでノースエンド伯爵家軍は劣勢を打開する為に、魔族軍に突撃を仕掛け、ノースエンド伯を失うほどの大きな被害を受けていた。数は回復していても質では劣る軍がユーロン双王国との戦いに参加しているのだ。
さらに今回、サウスエンド伯爵家軍も味方の裏切りによってほぼ壊滅。パルス王国は王国軍以外で精鋭と呼べる軍をふたつも失っている状況だ。
「そうだな……やはりかなり厳しいな」
「戦い方次第でしょう」
「……たとえばどんな?」
シュトリング宰相はパルス王国はかなり難しい状況だと考えている。滅ぼされる可能性があるほどの。その状況を打開できるとすれば、それはどのような策なのか。大いに興味を惹かれた。
「具体的なものは考えていません。ただユーロン双王国との戦いは、防ぐだけであれば、今ほどの戦力は必要ありません。かつてウエストエンド侯爵家軍だけで侵攻を止めたくらいですから。さすがに今は状況が違うでしょうが、戦力を減らせるのは間違いありません」
「確かに」
「南部は一時捨てるべきでしょう。戦力が足りないのであれば戦線を縮小すべきです。敵の侵攻を防ぐ為に守りを固め、あとは外交でしょうか?」
「裏切った貴族たちを許すのか?」
敵の戦力を削る為の策としては分かる。だが国としてそれを許して良いのかという思いがシュトリング宰相の心に浮かんだ。
「外交ですから他国です。交易を止め、経済的に締め上げます。南部に暮らす人々には土地を離れてもらう。それで魔族は別として、裏切った貴族たちは枯れていきます。魔族だけで南部全体を治めることなど出来ません。恐怖で支配すればより民の離反が加速するだけ。さらに勢力圏は狭まるでしょう」
「南部からの流民を受け入れるのは厳しいのではないか?」
「パルス王国の財政について私は知りませんので、そうかもしれません。ですが与える土地はあるはずです」
「流民に与えられる土地…………北か」
パルス王国には得たばかりでまだまだ未開発の領土がある。かつて魔族が支配していた北の土地だ。それに気が付いたシュトリング宰相は、じっとソンブを見つめた。
「……なにか?」
「いや……細かなところは詰める必要があるが、大きな流れは間違っていないような気がする」
「ありがとうございます。ただこれは王の考えを真似ただけです」
ソンブの策の考え方はヒューガの、アイントラハト王国の考え方。それを元にした結果の策なのだ。
「ヒューガ王の考え? それはどのようなものか聞けるのか?」
「土地ではなく人を得る。マーセナリー王国で実践しているものです」
「土地ではなく人を得る……なるほど、確かにそうだな」
はたして同じことがマンセル王国で出来るのか。難しいとシュトリング宰相は思う。農民は土地に固執する。代々、守ってきた農地だ。それを捨て、新しい土地に移れと言われても素直に従わないだろう。
だがアイントラハト王国ではそれが可能なのだ。国民の多くが生まれ育った土地を失った人たちであるから。そしてまたマーセナリー王国で同じ目に遭おうとしている人々を引き入れようとしている。乱世が続けば続くほど、アイントラハト王国は大きくなる。この時代に生まれるべくして生まれた国。ヒューガはそんな国を造った王だ。
自分はまだアイントラハト王国を過小評価しているのではないか。こんな思いがシュトリング宰相の頭に浮かんだ。
◆◆◆
魔族によるパルス王国南部の奪取。これにより影響を受ける国は少なくない。ドワーフ族の国アイオン共和国はその中でも直接的な脅威に晒される国のひとつだ。パルス王国南部と国境を接しているアイオン共和国にとって、今回の事態は自国の安全保障上の大問題。ドワーフ族と魔族の関係は決して悪いものではないが、近しいものでもない。お互いに干渉せずという関係だ。
はたして今回の事態においても、この関係性は継続するのか。これがアイオン共和国上層部の頭を悩ましている。
「主導者は元パルス王国の勇者。魔族ではない」
事実を改めて確認するアイオン共和国の王バンドック。アイオン共和国を悩ませている原因はこの事実。純粋に魔族がパルス王国との戦いを継続しているのであれば、影響が自国に及ぶ可能性は低い。ドワーフ族と魔族に争う理由はないのだ。
だが主導者が異世界人となるとその動きは読めなくなる。
「欲深い性質との話だ。人族の中でも」
ユートの動きを推察上でのヒントを口にしたのは、前国王であるゼンロック。
「それは?」
「アイントラハト王国からの情報だ。ヒューガ王は魔王を自称するユートとやらのことを少し知っているらしい」
ゼンロックに情報をもたらしたのはアイントラハト王国。国王を退いた後のゼンロックは、アイントラハト王国との交渉の窓口となっているのだ。
「接点があるのか?」
「一緒にこの世界に来たらしい」
「……はっ?」
「ヒューガ王も異世界人ということだ。一緒に来たといっても親しい間柄であったわけではないとのことで、それは今も変わらない。どちらかといえば関係は悪いという話だ」
「なんと……普通ではないのは分かっていたが……」
ヒューガが普通の存在ではないことはアイオン共和国の人々は皆、分かっていた。精霊と結べる人族など、これまで聞いたことがない。しかも擬人化出来るほど強い力を持つ精霊相手だ。
ヒューガが異世界人だと知って驚いたが、納得するところもある。
「刃の向き先はパルス王国であるのは間違いないが、警戒はしておくべきとの忠告だ」
「……魔族相手の戦いか」
個々の戦闘力は高いドワーフ族であるが、魔族相手となるとその優位性は薄れる。厳しい戦いになるのは間違いない。
「今のうちに戦えない者は避難させておくという選択肢もある」
「避難……それは、ドュンケルハイト大森林にか?」
「そうだ。ヒューガ王は受け入れてくれるはずだ」
かなり距離はあるが、一旦入ってしまえば、避難先として大森林以上の場所はなかなかない。ヒューガであれば何かを強いるということもないはずだという信頼感もある。
「……甘えるばかりでは申し訳ないが、そうするべきだな」
動くのであれば早い方が良い。バンドック王はそう考えて即断した。
「甘えるばかりにはならない。これまで以上に多くの物資の通過を許してほしいという申し入れがある」
「交易を増やしているのか?」
「アイントラハト王国の交易ではない。アイントラハト王国とは関係ない商人たちの荷物の運搬も引き受けようとしているらしい」
「……なるほど。商売上手なことだ」
パルス王国南部を塞がれたことで困っている商人は多い。商業が盛んな都市連盟の商人などはその代表だ。北に回り込んでも、そこは戦場に近い。パルス王国の西部国境付近はユーロン双王国と戦っている場所なのだ。
アイントラハト王国の商業部門はこの状況を逆に利用して、物流で稼ごうと考えていた。
「では運搬についての了承と、避難者受け入れの要請をすることで良いか?」
「かまわない。しかし……世の中の動きが激しいな」
「……恐らく、まだこれからだ。これからが始まりのように感じている」
大陸の東でも西でも戦争が行われている。南部でも新たな事態が起きた。それでもまだ事は入り口に差し掛かったばかりに過ぎないのではないかとゼンロックは感じている。動きの中心になるだろう人物はまだ表舞台に揃っていない。その人物が世の中に出てからが、本当の始まりなのだと。