マンセル王国の王都。パルス王国の王都に比べれば規模は小さいが、その賑わいは決して劣るものではない。ここ最近は優っていると言えるくらいだ。その理由はミネルバ王国を併合したことにある。ただ領土が広くなったということではなく、マンセル王国は戦いで傷ついた国力を回復させる為に復興に力を入れている。物資の移動が盛んになるなど、国全体が活気づいているのだ。
そんな多くの人が行き交う中をソンブは一人歩いていた。
(……これでは勝てるはずがない)
戦勝国の他の二国、マーセナリー王国とマリ王国の状況もソンブは知っている。それに比べると遙かにマンセル王国の動きは早い。
総合力では旧東方同盟の中でもマンセル王国は頭一つ抜けていた。そうソンブは思った。
(民にとってはマンセルに併合されたのは幸せだったのかもしれない。いえ、まだ結論を出すには早いですね)
旧アシャンテ王国の民にとってマンセル王国の政治はより良いもの。そう考えたソンブであったが、大陸の動乱はまだ続く。結果を判断するのは早いと思い直した。
城に近づくにつれて人通りも少なくなる。それとは逆に見張りの兵の数が増えてきた。マンセル王国の重臣たちの屋敷が建つ地域に入ったのだ。目的地はもうすぐだ。
「……行きますか」
あえて声に出したのは軽く気合いを入れる為。ソンブにとって目的地、マンセル王国宰相アルファス・シュトリングの屋敷を訪問するのは気軽なものではない。
屋敷の入り口に立っていたシュトリング家の護衛騎士に名を告げる。訪れることは伝わっていて、すぐに屋敷の中に通された。
玄関を抜け、来客用の応接室に通される。前回と同じ部屋だ。
「時間通りだ。意外とエルフ族は時間にうるさいのかな?」
部屋の中ではシュトリング宰相がすでに待っていた。
「うるさいというより時間がないのです。特に王は忙しいので、待ち時間を作るわけにはいきませんから会議などは定刻を遅れることはありません」
シュトリング宰相の冗談であろう言葉にソンブは真面目に答えてしまう。場を和ませるのも交渉術のひとつと思いながらも、それが出来ない自分に少し落ち込んでしまった。
「座ってくれ。そちらの王ほどではないだろうが、私も忙しくないわけではない。早速話に入ろう」
「はい」
シュトリング宰相の正面の椅子に腰掛けるソンブ。
「来てもらったのは交易の話ではない。別件で相談があったのだ」
「別件ですか」
今回、ソンブがマンセル王国を訪れたのはシュトリング宰相のほうから、交易所にいる担当者を通じて、会いたいという話があったから。
「マーセナリー王国の動きは掴んでいるかな?」
「おおよそは」
「おおよそ……まあ、良い。こちらから話そう。マーセナリー王国はレンベルク帝国を攻めようとしている。他国を誘って」
正面からソンブの目を見て話すシュトリング宰相。
「……はい」
その視線にソンブは気圧されてしまった。
「やはり知っていたか……どう思う?」
「どう思うというのは?」
「我が国も参加するべきか、止めておきべきかだ」
「それを私に聞くのですか?」
マンセル王国が参戦するかどうかで戦況は大きく変わるとソンブは思う。その重要な決定に対して、自分に意見を聞く理由が分からない。
「君個人ではなく、アイントラハト王国としてどう考えるかを聞きたいのだ」
「……国としてどうかは王のご判断が必要です」
「そうだな……」
シュトリング宰相の表情がわずかに歪む。失望させた。そうソンブは思った。
「ですので、私個人の意見として言わせて頂きます」
「……聞こう」
「参加するべきではありません」
「理由は聞けるのかな?」
次にシュトリング宰相の顔に浮かんだのは笑み。この意味はソンブには分からない。
「参戦することで得られる利よりリスクのほうが多いと思うからです」
「もう少し具体的に」
「……貴国が得る利の具体的なものは私には分かりません。金銭では傭兵と同じ。そんなものは利ではないでしょう。では領土。マーセナリー王国が渡す領土は貴国にとって魅力ある土地でしょうか?」
マーセナリー王国の領土は戦争で荒れている。その領土の一部を割譲されても復興に金と人手、時間がかかるばかりで、すぐに利になどならない。それどころか復興を待って、マーセナリー王国は奪い返しに来る可能性があるとソンブは考えている。
「リスクというのは?」
ソンブと同じことをシュトリング宰相も考えている。それでも決断に迷う理由があるのだ。
「迷われているのはマリ王国が参戦を決めているからですか?」
「……正式ではないが、まず間違いなく」
「参戦しない場合はマーセナリー王国とマリ王国の二国に攻められることになるかもしれない。確かにこれもリスクです。ですが私は参戦した場合のリスクのほうが大きいと思います」
「君が考えている参戦した場合のリスクとは?」
シュトリング宰相が考えているリスクはソンブが言うほどのものではない。レンベルク帝国に負けた場合。軍勢を東に送っている間にパルス王国が動くこと。どちらにしても可能性は低い。
「マーセナリー王国はレンベルク帝国を併合したあとは西に目を向けます」
「それは分かっている」
マーセナリー王国の思惑は分かっている。レンベルク帝国を併合して国力を充実させたあとは同盟は解消。マンセル王国とマリ王国に侵攻してくるつもりだ。
「マーセナリー王国は分かっておりません。レンベルク帝国と国境を接している国が自国の他にもあることを」
「……アイントラハト王国は動くのか?」
アイントラハト王国はレンベルク帝国以上に国外のことには不干渉。そうシュトリング宰相は考えていた。ただそれがいつまでも続くとも考えていない。だからこそ、こうしてソンブを呼んで話をしているのだ。
「それは王のご判断ですので今はなんとも言えません。ですが、傭兵王は大森林を放っておくでしょうか? 大森林に我が国があることを知って、友好的な態度をとるでしょうか?」
「……手出しをすれば、その瞬間にマーセナリー王国はアイントラハト王国の敵か」
大森林は宝庫。傭兵であればそう考える。傭兵王が、もしくはその部下たちが未だにそんな考えを持っていて、大森林を荒らすようなことになれば、アイントラハト王国がそれを黙って見ているはずがない。
「仮にそうなった場合、貴国は再度、マーセナリー王国からの参戦要請に応えるのですか?」
「……そうなる前に我が国はマーセナリー王国とマリ王国の二国相手に戦うことになる」
マーセナリー王国がアイントラハト王国との戦いに軍事力を割かれていればなんとかなるとシュトリング宰相は思う。だがそうなることなく全ての力を自国に向けてこられたら、防げるとは言い切れない。
「パルス王国に支援を求める手があります……が、その必要はないでしょう」
「必要はない?」
「レンベルク帝国は負けません」
「マーセナリー王国とマリ王国の二国に攻められてもか?」
「たとえ貴国が参戦して三国になったとしても」
まっすぐにシュトリング宰相を見つめて、レンベルク帝国は負けないと言い切ったソンブ。
「……そうか。レンベルク帝国は負けないか」
今回、気圧されたのはシュトリング宰相のほうだった。ソンブの自信の根拠となるものは何か。シュトリング宰相の頭にはひとつの可能性が浮かんでいる。
「あくまでも私見です」
言い過ぎた。そう思ったソンブは、慌てて個人の考えであることを告げる。
「ああ、最初からそういう話だった……アイントラハト王国ではどういう仕事をしているのかな?」
「軍師として戦略や戦術について王に助言する立場です」
「そうか……我が国は優秀な人材を手に入れる機会を失したようだ」
ソンブはマンセル王国が占領したアシャンテ王国出身。シュトリング宰相とも面識があった身だ。
「……御言葉はありがたいのですが、アイントラハト王国に仕える前の私には何の価値もありません」
「アイントラハト王国に行ってから学んだわけではないだろう?」
「そうですが、今も一人前にはほど遠い状態です。それを分かっていなかった以前の私は、人に認められないことを恨み、世の中に背を向けていました。そんな者が軍師など出来るはずがありません」
軍師は仲間を殺す覚悟を持たなければならない。これはヒューガにも言われたことだが、その重みをソンブは分かってきた。死を活かすこと。仲間の死を決して無駄にしてはならない。その為には仲間のことを良く知らなければならない。人を恨み、背を向けているような人物にそれが出来るはずがない。
「……君の父親と弟は生きている」
「……私は名を捨てた身。父も弟もおりません」
「恨んでいるのか?」
「恨んでいました。私の人生をねじ曲げ、母を殺した男です。恨まないではいられませんでした」
「……それでも過去形か」
「剣と軍学を学ぶ機会を与えたのは、その男です。見捨てられたあともなんとか認められようと勉強だけは必死で続けていました。今となってはそのことには感謝出来ます」
ソンブの父親はアシャンテ王国の将軍だった。一人娘であったソンブはある日から男の子のように育てられた。剣術や軍学を学ばされ、父親の後を継ぐのだと言われ続けた。
その生活が一変したのはソンブの母親とは別の女性に男の子が生まれてから。跡継ぎがその男の子に定められただけでなく、ソンブの母親は正妻の座から追われることになった。
それでもソンブは軍学を学び続けた。自分の価値が認められれば、母の待遇も元に戻るかもしれない。そんな思いからだ。
だがその努力が実を結ぶことはなかった。傷心の母はやがて体まで壊し、亡くなった。ソンブはその能力を一切認められることなく、勝手に嫁ぎ先を決められた。
そんな時だ。ハンゾウから誘いを受けたのは。迷うことなくソンブはそれを受けた。とにかく逃げ出したかったのだ。
「……それで恨みは消えた?」
「そうではありません。私の中で父だった人、義理の母だった人、その息子の存在はないものになっただけです」
「そうか……では、この話はもう終わりだ。君の意見は参考にさせてもらう。その上でまた話すこともあるだろう」
「そうなりますか?」
次に話があるとすれば、それはもっと深く踏み込んだもの。そこまでの判断をマンセル王国が行うのか、ソンブは疑問だった。
「この動乱の時代に生き残るには孤立していては無理だ。ひとつ手を離したのであれば、別の手を握らなければならない。それは我が王も分かっている」
「そうですか。では私も王にその可能性について伝えておきます」
「頼む。宿は?」
「いえ。すぐに発ちます。せっかく外に出ましたので、パルス王国を回って戻ろうと考えているのですが」
この先、戦場になる可能性のある場所。マンセル王国とパルス王国の国境もそのひとつだ。そういう場所を出来るだけ自分の目で見ておきたいとソンブは考えている。
「分かった。国境を超えられるように手配する。部屋を用意するから手配が終わるまでそこで休んでいるがいい。遠慮はいらない」
「ありがとうございます」
「ソンブ殿を部屋にご案内しろ!」
「はっ」
シュトリング宰相の指示にすぐに応える声。扉の外に控えていた護衛騎士だ。部屋に入ってきたその騎士はソンブを連れて、部屋を出て行った。
その二人と入れ替わるように別の扉から人が部屋に入ってきた。席を立って、礼をして迎えるシュトリング宰相。シュトリング家の使用人ではない。マンセル王国の王太子メルキオルだ。
「座って話そう」
「はっ」
シュトリング宰相はメルキオル王太子に座っていた席を譲り、自らはさきほどまでソンブが座っていた椅子に座る。
「……話はだいたい聞こえていた。どう思った?」
「アイントラハト王国とレンベルク帝国の間にはすでに何らかの交流があるのではないかと考えました」
「戦いに協力するくらいの交流か。かなり強い結び付きだな」
マーセナリー王国が攻め込んだ時、アイントラハト王国はレンベルク帝国に味方する。軍事的な協力を行う関係となるとそれはもう同盟だ。
「そこのところは正直分かりません。アイントラハト王国が他国の戦いに参加しても利があると思えないのです」
「レンベルク帝国を守ることが自国を……これだとレンベルク帝国がアイントラハト王国の盾か。それはそれでおかしいな」
レンベルク帝国は他国不干渉。アイントラハト王国を守る為の同盟を結ぶとはメルキオル王太子には思えない。
「……利は関係ないのかもしれません」
「情か義理で自国を戦いに参加させるとなれば、それはそれで深い関係だ。どこまでの関係か聞き出したいところだが」
「話さないでしょう。我が国とアイントラハト王国の関係は深いものではありません」
交易所の設置によって恩を売っているところはあるが、それだけだ。公式には二国の間には何もない。レンベルク帝国との間に同盟が結ばれているという重要情報を漏らすはずがない。
「……それを知るには我が国もレンベルク帝国と同等の関係になるしかない。だがそれを決断するにはレンベルク帝国との関係を知る必要がある。難しいな」
アイントラハト王国とレンベルク帝国の結び付きが強すぎることは、マンセル王国にとって良いことではない。
「それでもマーセナリー王国とどちらが信用出来るかとなれば、答えは明らかです」
「そうだな。あくまでもこれまで通りであればだが」
マーセナリー王国とレンベルク帝国を比べてどちらが信用出来るかなど考えるまでもない。ただしそれはレンベルク帝国が他国不干渉の方針を変えないのであれば。野心を持つことになれば、マーセナリー王国以上の脅威となる可能性もある。
「乱世においては孤立していては国は守れません。それはレンベルク帝国も同じかと」
シュトリング宰相はレンベルク帝国の方針は維持出来ないと考えている。レンベルク帝国も大陸の動乱に関係ないままではいられない。すでにマーセナリー王国によって巻き込まれようとしているのだ。
「……我が国は野心を持つべきではないか?」
「そうは申しません。ただ、過ぎた野心は身を滅ぼすという言葉もあります。少なくとも今は自国を守り切ること。その中で、少しでも国力を増すことを試みるまででしょう」
大陸制覇は今のマンセル王国には過ぎた野心。シュトリング宰相はこう思っている。
「……そうだな。全てを失うわけにはいかない。そう考えれば、すでに結論は出ているか」
全ての国を滅ぼすような野心を持つ国に力を持たせるわけにはいかない。今の時点ではだが、アイントラハト王国とレンベルク帝国にはそれは見えない。
「あとは陛下のご決断を」
「まずは私から話しておこう。ただ、なんとかアイントラハト王国を訪れたいものだな。どのような国か分からないでは、陛下もご判断出来ないだろう」
アイントラハト王国は謎の国。国内で信頼厚いシュトリング宰相がヒューガやソンブの話から高い評価を与えているので、友好的な対処を行ってきたが、さらに踏み込むとなるとそうはいかない。もっと情報が必要だ。
「今の段階で申し入れてよろしければ、ソンブ殿に伝えましょう」
「そうしてくれ……彼等の処遇はどうする?」
「ソンブ殿と縁がないのであれば、彼等は無価値です。それどころか、我が国で用いると先々害になる可能性もあります」
「そうだな……分かった。皮肉を感じるな」
「そうですね」
ソンブの価値を認めなかった父親は、彼女に身内として認められなかったことで自身の価値を失い、命を落とすことになる。そこにメルキオル王太子とシュトリング宰相は皮肉を感じている。
マンセル王国は外交上の大きな決断を行おうとしている。誤れば、これまで順調に進んでいた物事が、一気にひっくり返ってしまうような決断を。