パルス王国南東部。旧ミネルバ王国との国境地帯にある深い森。今となっては魔族の支配地域となっているその森の中に深い洞窟がある。自然に出来たものではない。住処とするために人工的に作られた洞窟だ。
その洞窟の奥にある一際広い空間で、ライアンはいら立ちを隠せない様子でいる。
「サウスエンド伯爵領を攻めるだと?」
「そう」
久しぶりに拠点に戻ってきた優斗がいきなり、こんな話を切り出してきたからだ。
「アイオン共和国はどうするのだ?」
ライアンたちの攻撃目標はドワーフ族の国であるアイオン共和国。その領土を奪い、出来るだけドワーフ族を従わせて勢力を拡大しようと考え、その準備を進めてきた。しかもこの案にもっとも積極的だったのは優斗だ。
「考えたけど、ドワーフ族は大人しく従わないと思う。それに比べて人族は力を見せつければ割と従順だからね」
「……誰に聞いた?」
優斗の考えは正しい。ドワーフ族はたとえ戦いに負けても素直に従わない。そんなことはライアンも分かっていたが、まずは拠点を得ることが大事と、優斗には話していなかったのだ。
「配下にした傭兵。割と物知りなんだよ」
「いつの間にそんな者を?」
「配下を集めろって言ったのはライアンだよね? 僕はそれを忠実に守っただけさ」
「俺は魔族を集めろと言ったつもりだがな」
「魔族だけじゃあ、足らないよ」
「そいつらが裏切らないと言う保証はあるのか?」
優斗の配下になったということは傭兵ギルドの規則を破った、もしくは最初から所属していない傭兵。信用出来る相手ではない。
「裏切ったら死ぬ。彼等はそれをよく分かっているよ。僕が分からせてあげた」
そのままクスクスと笑いだす優斗。何かを思い出しているようだ。
ライアンには想像がつく。力を見せつける為に何人か、他の人が恐れるようなやり方で殺したのだ。とんでもない事だ、と思うのは普通の感覚であって、ライアンにとってはなんということはない。力で他者を支配するのは魔族にとって当たり前のことだ。
「何人集まったのだ?」
「数えてない。でも全部に声を掛ければ千近くになるみたいだよ」
「千? それほどの傭兵がいるのか?」
千人の傭兵となると無視出来る数ではない。数だけでいえば、それだけで戦争で通用する部隊が編成出来る。
「詳しいことは分からないけど、東から流れてきたらしい。それに傭兵だけじゃない。盗賊もいる」
「盗賊まで……そんな奴らで統率は取れるのか?」
「統率? そんなものは彼らに必要ない。死にたくなければ相手を殺せ。それで十分だよ」
殺さなければ殺される。敵にではない。優斗に。優斗は傭兵たちを恐怖で支配した。
「……まあ、良い。それで標的を変える意味は?」
「情報を入手したんだ。傭兵ギルドって情報の宝庫なんだね?」
これは傭兵ギルドではなく傭兵同士の横の繋がりによるもの。特に戦争に関しての情報は早い。戦争は傭兵にとって危険度は大きいが大金を手にする絶好の機会なのだ。そして、戦争に参加しようとする傭兵は出来るだけ強い仲間とまとまって参加しようと考える。生き残る確率を上げるための措置だ。
ユーロン双王国とパルス王国との間で戦争が起こる。その噂は傭兵の間ではすでに広まっている。
「どんな情報だ?」
「ユーロンとパルスの間で戦争になりそうなんだって。パルスは兵を西方に集めようとしている。サウスエンド伯爵の軍もそれに参加するそうだよ」
「なるほど。それでサウスエンド伯爵領が手薄になると考えたわけか」
「そう」
「悪くはないが、それだけの領地をどうやって押さえるのだ?」
サウスエンド伯爵の領地はかなり広い。そして最大の問題はその多くが平地であり、移動が容易であること。ライアンがアイオン共和国の占領に同意したのは、険しい山々に囲まれたアイオン共和国は封鎖するのが簡単だからだ。
「それは一緒に考えてよ」
「魔族とその傭兵どもを合わせても五千か。せいぜい三か所だな」
「たった? もう少し増やせるでしょ」
「それをすれば兵力が分散する。各個撃破の対象にされるだけだ。中核の三千。これは一カ所にまとめておきたい。あとは千ずつで封鎖出来る街を選ぶことになる」
「まだ増やせるさ」
ライアンの話の通りではとてもサウスエンド伯爵領を手に入れたとは言えない。優斗はライアンのように戦いだけで満足するわけではない。彼が言うパルス王国への復讐とは自分の物にすることなのだ。
「どうやって?」
「人質を取る。家族を殺されたくなければ街をパルスから守れ。そう命令すれば良いだろ?」
「そんな手が通用するのか?」
ライアンには家族というものへの想いがない。だから人質というものの重さが分からない。
「通用すると思うよ」
「……まあ、勝手にするがいい。あとは街を落とす手はずだな」
「それも案がある」
「ほう。聞こう」
「傭兵をあらかじめ各町に潜り込ませる。潜り込ませるといっても、普通に傭兵として働かせるだけだから、目立つことはない。そしていざ戦闘になったら、内部から城門を開けさせる」
これは傭兵王が行った手と全く同じ。それはそうだ。ユートが話を聞いたのは、傭兵王に通じていた者たち。それが東から追い出されて、パルス王国に来ていたのだ。
傭兵ギルドの目を逃れ、盗賊まがいのことをして暮らしていたのだが、優斗の暇つぶしでアジトを潰され、忠誠を誓った。そうしなければ生きていない。
「悪くはないな。時期はいつ頃になる?」
「残念ながら半年以上先らしい」
街に馴染み、色々と調べ上げるまでの期間。それが半年だ。
「準備期間は充分だな。まずは落とす街の選定と傭兵の手配か」
「じゃあ、その間に僕はもっと仲間を増やしてくるよ」
「おい。傭兵の手配はお前しか出来ないだろ?」
これから準備で忙しくなるはずの時に、優斗は別のことを行うと言い出した。ライアンはそれを面倒な仕事から逃げる為の口実だと考えている。
「それは指示するだけだ。それよりももっと面白いことがあるんだ」
「面白いことだと?」
「うまくいけば仲間の数は五千どころか、一万を超えるかもしれないよ」
「説明してもらおうか」
何故それを先に話さない。不満の気持ちを押さえながらライアンは聞いた。
「パルスで反乱を起こす」
「ふむ」
「あれ? もっと驚いてよ。とっておきの策なのに」
優斗はこれを聞けばライアンが驚くだろうと思っていた。だが、彼の反応が自分の思っていたようなものでなかったことでガッカリしている。
「成功すればな」
「……つまらないな。やっぱり隠しておけば良かった」
「いいから説明しろ。誰を扇動するのだ?」
「新貴族派、元といったほうが良いね」
「……ふむ」
パルス王国の内情にライアンは詳しくない。情報そのものはヴラドが色々と調べていたので、耳にしているはずなのだが、それを活かすのは自分の役目ではないとして真面目に考えてこなかったのだ。
「元新貴族派の間には不満が渦巻いている。魔族領侵攻戦での恩賞は何も与えられていないに等しい。彼等は領地を欲しがっていたんだ。でも与えられたのはわずかなお金。僕も知らなかったのだけど、侵攻戦の準備にはかなり自腹を切っていたみたいだね。まったく割に合ってない」
「それが反乱を起こす動機になるのか?」
「あの戦いで息子を失くした人が多い。これは僕たちのせいだけど、それを教えてやる必要はないね」
新貴族派の子息。それはすなわち近衛の将たちだ。それを討ったのは実際には戦いが終わってからで、それを言い出したのはパルス王国の裏切りに切れた優斗。実際に手を下したのは魔族たちだ。
「ふむ」
「そしてトドメが新貴族派の失脚。今のパルスはイーストエンド侯爵を中心とした閣僚派とサウスエンド伯爵を中心とした王家派に分かれている。旧新貴族派で力を持たない人たちに割って入る隙間はない。王になったアレックスも彼らの相手をしてくれないみたいだ」
「……話は分かったが、やはり反乱にまで踏み切る理由が分からん」
「このままいけば、彼等は負債を抱えて破産だ。貴族が破産するって、罪になるんだね? それもかなり重い罪に」
貴族が破産するということは領地経営に失敗したということ。そして領地は王から貸与されたもの。それを破産に追い込むということは王への背信行為とされている。酷い時は死刑、軽くても名を奪われた上で流刑となるのがパルス王国の法だ。
「……それも傭兵に聞いたのか?」
傭兵風情にそんなことまで分かるはずがないと思いながらライアンは聞いている。優斗が隠していることを白状させたいだけだ。
「まさか。これは仲良くしていた貴族の女の子からだよ。偶然出会った。僕もパルスに裏切られたと言ったら、自分たちもだと泣きながら説明してくれた」
「女だけで分かることではないだろ?」
「……親にも会った」
ライアンの問いへの答えを躊躇う優斗。一応は駄目なことをしたという自覚はあるのだ。
「馬鹿か、お前は? 軽々しく自分の存在を明かすな」
「でも結果的に良かった。国に復讐しないかと遠回しに言ったら乗ってきたよ。密かに賛同者を増やすと言っていた」
「……それが増えれば、発覚の可能性も高くなる。信頼できる少数で押さえさせろ」
「でも、それじゃあ」
「事を起こしてから増やせば良い。大切なのはサウスエンド伯爵領を制圧することだ。実績を作れば反乱を悩んでいる者も一気にこちらに靡く。こちらに付けば勝てる。美味しい思いが出来るでも良い。そういう気持ちにさせることが大事なのだ」
いくつかの拠点を制圧したあとで、貴族を裏切らせて制圧範囲を増やす。この方法は悪くないとライアンは考えている。無駄な戦いで戦力を消耗することもない。
「なるほどね。それは良い考えだ」
「常識だ」
「……あまり僕を馬鹿にしないでくれるかな? 僕は馬鹿じゃない。人よりも頭はずっと良いほうだ」
頭が良くても使い方を知らなければ馬鹿と同じだ。この言葉をかろうじてライアンは飲み込んだ。結果オーライなところはあるが、かなりこちらに良い方向に向かっているのは確かなのだ。
そしてそれは優斗のおかげ。正確には優斗の女好きのおかげ。優斗はライアンに小さな嘘をついている。偶然出会ったのは嘘なのだ。その街にかつて関係を持った女性がいることを思い出した優斗は、その女性を待ち伏せして会った。そして十分に楽しんだ後に、寝物語に今の話を聞いたのだ。
これを話せばまた怒られる。精神的に子供に戻った優斗はそれを言い出せなかった。
「まあ、色々と問題はあるが、それがうまくいけば初動はかなり楽になるな」
「そうでしょ? 僕のおかげだよ」
「……そうだな。良くやった」
ここまできて、ようやく優斗の気持ちがライアンにも分かった。ようは何でも良いから、人に褒められたいのだ。なんで自分がこんなことに気を遣わなければならないのだと思いながらもライアンは優斗を褒めた。
「ふふふ。まあ、僕に任せておきなよ。なんといっても僕は……魔王だからね」
「魔王か……」
当初は勝手に名乗らせておけと思っていたライアンであったが、優斗のあまりの精神の未熟さを見てきて、今ではそれを後悔している。亡き魔王と同じ魔王を名乗る事がどうにも納得いかないのだ。
「魔王の世界征服。やっと異世界らしくなってきたね?」
ライアンの心の内を知るよしもない優斗は無邪気な言葉を口にする。
「世界征服なんて約束してないぞ?」
「分かっているよ。パルスを倒したあとは君は好きにすれば良い。あとは僕が勝手にやる」
「そうだな。勝手にやれ」
「じゃあ、僕はまた出かけてくるよ……そういえば美理愛は?」
「鍛錬か何かだろ? ここのところ、毎日それだ」
「今更、鍛錬? あいかわらず真面目だね」
「いつ戻るか分からんぞ」
「別に良い。どうしても会いたいわけじゃないからね。じゃあね。仲間を待たせているから」
女を待たせているの間違いだろ。そんな嫌味がライアンの頭に浮かんだが、それを口に出さずに優斗が去っていくのを見送った。
ライアンも優斗に隠しごとをしている。別にばれてもかまわない内容ではあるが、面倒事を引き起こしたくないライアンとしては優斗との会話をこれ以上続けたくなかった。
「……何故、目を離した?」
「油断しました。申し訳ございません」
ライアンの問いに謝罪を返したのは、優斗に同行していたはずので淫魔族。
「……油断していたとしてもか……まあ良い。あれはあれの好きにさせるか」
油断していたとはいえ、淫魔族の監視から逃れる力が優斗にあったことは意外だった。ただ優斗と一緒では満足出来る戦い方が出来ないのではないかと思い始めているライアンにとって、優斗がどうなろうとどうでも良いことだ。
事を大きくするだけであれば優斗は使える。そう考えて、勝手にさせることにした。
◆◆◆
ライアンが優斗に隠していたのは美理愛のこと。その美理愛は、木々の間に隠れるようにして、ある光景を眺めていた。
武装した兵士が大勢集まっているその中心で、何かを説明している金髪の女性。イーストエンド侯爵領軍の兵士に魔法を教えているクラウディアだ。
美理愛はクラウディアと面識はなかった。彼女が始めて見るクラウディアは、離れた場所からでも、その美しさが良く分かった。輝く金髪を腰まで伸ばし、白いローブを着た姿。ローブの間から伸びるすらりとした手足がスタイルの良さを感じさせた。
クラウディアは、ヒューガと別れた頃の幼さは薄れ、今ではすっかり成熟した女性に成長していた。
「あの人が彼の……」
その姿を見た美理愛はショックを受けていた。ヒューガが外見を気にするタイプではないとライアンから聞いていたが、彼自身がどうであるかは問題ではない。
女性の美理愛から見てもクラウディアは美しい。姿形というよりも立ち居振る舞いに品が感じられるのだ。さすがはパルス王国の王女だった人。彼女に比べると美理愛は良家に生まれたといっても、所詮は一般人に過ぎない。
ヒューガの本命という女性がどうしても気になった美理愛は、ライアンに一度見てみたいと頼んでみた。それに対してライアンは簡単に了承した。一度会ってみるのも良いか。了承した時のライアンの言葉の意味を美理愛は理解した。
身の程を知れ。ライアンはそう言いたかったのだと。もっともこれは美理愛の勘違い。ライアンはすでに美理愛の気持ちを揺らすことに興味を失っている。ライアンには別の思惑があったのだ。
「誰かと思えば聖女ですか。聖女がこんな所で覗き見とはあまり趣味が良いとは言えませんね?」
突然掛けられた声。辺りを見回しても、その姿は見えない。
「ヴラド様、お久しぶりです」
その声に答えたのは、美理愛をここまで連れてきた淫魔族だった。
「元気そうですね?」
ミリアが声のした方向を見ると、誰もいなかったはずの場所に男が一人立っていた。ヴラドという名であることが分かっていても、美理愛には彼が何者か分からない。
「なんとかやっております」
「ここへは何をしに来たのですか?」
「ひとつはこの女がヴラド様の姫をひと目見たいと言い出したからです」
「聖女が姫を? それはまたどうしてです?」
美理愛とクラウディアに接点はない。そうであるのに、わざわざこうして見に来る理由がヴラドには分からない。
「この女は身の程も知らず、ヴラド様の姫と張り合おうとしているのです」
「……姫と張り合う? 何を張り合おうというのですか?」
「ドュンケルハイトの王の寵愛です」
「ヒューガくんの? それはそれは……いつの間にそんなことに?」
美理愛がヒューガの愛情を求めてクラウディアと張り合おうとしていると聞いても、ヴラドはまったく気にしていない。勝負にならないと考えているのだ。
「少しドュンケルハイトの王に優しくされたことで勘違いしたようですね」
「ほう。ヒューガくんに会ったのですか……貴女、ずいぶんと聖女に厳しいですね?」
「この女、今はライアン様の所有物です。対等に接することは出来ません」
淫魔族の女性は別にミリアに悪意を持っているわけではない。物である美理愛を対等に扱っては、自分や周りの魔族を貶めることになると思って、冷たく接しているだけだ。
「所有物。それで一緒に行動を?」
「ご存じないのですか? ヴラド様ともあろうお方が」
ヴラドは魔族の間者の束ねだった者。自分たちの状況も当然把握しているものだと思っていた。
「魔王様を失ったあと、世俗への興味は失っています。特に何も調べていませんよ」
「そうですか。そうすると一から説明しなければいけませんね?」
「おおよその想像はつきます。聖女が行動を共にしているということは勇者も一緒ですね?」
「はい」
「勇者とライアンが組んで何かをしようとしている」
「パルスとの戦いをライアン様は望んでおられます」
「……あれでは満足できませんでしたか」
魔族領での防衛線。ヴラドも含めて三人の魔将はあれで区切りをつけた。正解には魔王の死によってではあるが。
「当然です。あんな腑抜けの軍を相手では、ライアン様が全力を出すまでもありません」
「そうですね。ライアンの望みはパルスの精鋭。エンド家との戦いですか……」
「はい。それを望んでおられます。そこで私がここに参りました」
「一応、聞きましょう」
彼女の目的はもう分かった。その結果も。
「ヴラド様にもご協力をお願いしたい」
「答えは否です」
「わかりました」
「早いですね?」
使いとして来たにしては、あっさりしている。困ることではないが、それで大丈夫なのかとヴラドは心配になった。
「ヴラド様が協力するはずがございません。それは私でも分かります。声を掛けたのは自称魔王との約定を果たす為です。誘った、そういう事実が欲しかったのです」
ライアンの命令であれば対応は違ったものになった。だが今回のこれは優斗との約束を果たす為。しかも必ず説得するというものではない。そうであればヴラドの意思が優先だ。
「自称魔王?」
「勇者は今、魔王を名乗っています。自分で勝手に魔王と言っているだけですので自称です」
「勇者から魔王ですか……名ばかりでは仕方がないことにまだ気付いていないのですかね?」
「はい。ただ少なくとも力は魔王に相応しいものです」
「ほう」
淫魔族の女性は、力に限ってのことだが、優斗を魔王に相応しいと認めた。それはヴラドには意外なことだ。
「自称魔王は人として狂っています。人を殺すことへの躊躇いは完全に失われ、代わりに喜びを覚えました」
「ライアン以上の戦闘狂……いえ、同じ部類にしてはライアンに失礼ですね」
「はい。あれは殺人狂です」
ライアンは自分が負けて、死ぬことになってもかまわない。そんなギリギリの戦いを求めている。一方で優斗は戦いの内容などどうでも良い。相手が自分に怯えながら死ぬのを喜んでいるのだ。
「そうですか……それで用件は終わりですか?」
「いえ。協力は不要ですが、邪魔はしないで頂きたい」
「それは約束出来ませんね。目標がパルス、それもエンド家であれば姫に危害が及ぶ可能性があります」
「それは先の話です。それに、そこまで辿り着く可能性は低いと思います」
「……勝てない戦に臨むつもりなのですね」
「そういった戦いをライアン様は望んでいるのです。当面の標的はアイオン共和国。そこでドワーフ族を引き入れ、パルスに戦いを挑む予定ですが」
この時点で彼女は方針が変更になったことを知らない。傭兵が味方になったことも、パルス王国の元新貴族派が国を裏切ろうとしていることも。
「無理ですね。ドワーフ族は死んでも言うことを聞かないでしょう」
「その通りです。魔族は集まっても四千。それでパルスを攻めることになります」
「サウスエンドを落として、それから北上。その頃には西も北も集まりますね。イーストエンドに到達する可能性はなきに等しい。あるとすればイーストエンド侯爵領軍と共に姫が出陣する事ですか……邪魔をしないは、姫を守ることを妨げるものではありませんね?」
「もちろんです」
「では、良いでしょう。邪魔はしないと約束します」
間者として役目を放棄したヴラドは知らない。パルス王国の西で戦乱が起ころうとしていることを。そして、優斗とライアンがそれと同時に南で戦乱を起こそうとしていることを。
それを知っていれば、ヴラドの判断はまた違ったものになっていたはずだ。
「ありがとうございます。これで用件は終わりです」
「あの……」
ずっと二人の会話を聞いているだけだった美理愛がここで口を開いた。
自分たちのやろうとしている戦いには勝ち目がないという会話の内容にも驚いていたが、それはなんとなく美理愛にも分かっていた。味方と敵の数をかぞえるだけであれば、そういう結論になる。
美理愛が声をあげたのはそれとは別の話。彼女の興味はそこにはない。
「なんですか?」
「ヴラドさんと……」
「物風情が馴れ馴れしくヴラド様の名を呼ぶな!」
美理愛がヴラドの名を口にした瞬間に淫魔から叱責の声が飛ぶ。
「……すみません。貴方とクラウディア王女の関係は?」
「昔馴染みというところですかね。姫が魔族の城にいた時、親しくしていました」
「それでここに?」
「魔王様が亡くなられた後、私の忠誠は姫だけのものとなりました。陰ながら姫を守るのが、今の私の役目ですね」
「そうですか。親しい仲であるならお願いがあるのです。お話し出来ないでしょうか……」
この図々しさは相変わらずのもの。すぐ横で淫魔族の女性が睨み付けているが、それを気にする様子もない。
「それは姫とですね? ……何を話すつもりですか?」
「少し聞きたいことがありまして」
「その内容を聞きたいのですがね」
「……彼のことを少し」
「彼とはヒューガくんのことですね?」
「彼とも親しいのですね? もしかして彼が言っていた魔族の知り合いとは貴方のことですか? 師匠だとも言っていました」
ヴラドがヒューガを君付けで呼んだことで、二人の距離の近さを美理愛は感じ取った。
「そうでしょうね。私の他に魔族で接点があるものはいないはずです」
実際にはリリス族もいるが、それもヴラドは知らない。
「そうですか。それでお話しできますか?」
「無理ですね。まず私は表に出られません。魔族である私が姫のそばにいることを他の者に知られるわけにはいかないのです。それがなくても貴方は、何と言って姫に会うのですか? 聖女が生きている事実はパルスの者は誰も知りません。それを知られることはライアンの邪魔をすることになります。私は先ほど約束したのですよ。ライアンの邪魔はしないと」
「……そうでした。では分かる範囲でかまいません。教えていただけませんか?」
「何をですか?」
「クラウディア王女が彼の本命というのは本当ですか?」
「そんなことですか? 貴方、本気でヒューガくんの寵を求めているのですね。ちょっと驚きました……本当ですよ。ヒューガくんの心には姫がいます」
何を当たり前のことを。ヴラドの態度にはこの思いが出ている。ただこの時点のヴラドは分かっていない。美理愛はヴラドが思っているよりも深いところまで考えている。
「彼にはもう一人女性がいると聞きました。貴方はその人を知っていますか?」
「……エアルくんですね。ええ、良く知っています」
エアルの名が出たことで、ヴラドは少し困った顔になる。美理愛にはそれは分からないが。
「その人はどんな人なのでしょう?」
「……美しい人ですよ。姫とはまた違った美しさを持っている。真っ赤な髪が良く似合う美しいエルフ女性です。始めは心も体も醜いと思っていたのですけどね。それは間違いでした」
ヴラドのこの話に驚いているのは淫魔族の女性だ。クラウディアが絶対であるはずのヴラドが、競争相手といえるエアルのことを文句なしに褒めているだ。
「彼のおかげですね?」
「そうでしょうね。元々美しい人だったのですよ。ヒューガくんがそれを取り戻させてあげたというところですかね」
「……心もなのですね?」
「そうですね。姫を誰よりも大切に想う私が、姫の競争相手であるエアルくんのことを応援してあげたくなりました。全身全霊を持ってヒューガくんに尽くしている。そんな女性ですね」
「そんな人ですか……」
「姫のことを気にするよりも、エアルくんを気にしなさい。もっとも貴女にエアルくんと同じ事が出来るとは思いませんね。つまり貴女は決して一番にはなれません」
「……別に一番でなくてもかまいません」
「貴女はそういう人間ではないでしょう? 貴女は自分が一番でないと気が済まない人です。だから姫やエアルくんを気にするのですよ。エアルくんであれば、ヒューガくんの心の中に誰がいようと、たとえ自分がいなくても、変わらずヒューガくんに尽くすでしょうね」
話を聞いてくうちに美理愛の中でのエアル像が固まった。今はとても敵う気がしない。だが、少しでも近づくことが出来れば、自分にも可能性が出てくるかもしれない。
エアルの全く知らないところで、彼女はミリアの指標となった。
「……最後にひとつ」
エアルが自身の指標となったと共に、美理愛の中でひとつの疑問が湧いてきた。
「何ですか?」
「何故クラウディア王女はここにいるのですか? 何故、彼の元に行こうとしないのでしょう?」
「それは……」
「ここに来てから、ずっとクラウディア王女を見ていました。彼女の近くに常にいる男。あれは誰ですか?」
鍛錬の間、ずっとクラウディアの側で親しげに話をしている男。ミリアの疑問はその男に対してだ。
「……イーストエンド侯の嫡男ですよ」
「質問を変えます。日向くんの一番はクラウディア王女かもしれません。でもクラウディア王女の一番は本当に彼なのですか?」
「……何故、そう思うのです?」
問いで返すヴラド。それは美理愛に痛いところを突かれたからだ。
「私だって少しは経験を積んだ女です。男性への態度の違いくらいは分かります。クラウディア王女のあの男への態度は、とても……その、慣れたものです。私の印象は間違っていますか?」
「……勘違いですね。親しくはありますが、変な関係ではありません」
ヴラドは答えに躊躇いをみせた。クラウディアを見守っているヴラドは知っている。二人の関係がどういうものかを。美理愛が思っているようなものではない。だがただの従兄妹というには近すぎる。
「体の関係が男女の……いえ、結構です。私の聞きたいことはもうありません」
体の関係はないかもしれない。だがそれが全てではないと美理愛は思う、思いたい。大切なのは心。クラウディアはその心に揺らぎがある。美理愛はそう判断した。
「今も姫の心にはヒューガくんがいますよ」
「それは私も同じです。私の心の中にはまだ優斗がいます。好きだったのです。そう簡単に気持ちは消え去るものではありません。でも、一番ではありません」
「……離れ離れの時間が長すぎたのですよ。それにヒューガくんと一緒だった時間は短い。お互いを本当に理解しあえたと思える時間ではありませんでした。姫は不安を感じているのです」
とうとうヴラドは美理愛の疑問を認めてしまう。クラウディアとチャールズは恋愛関係にあるわけではない。チャールズの好意は間違いないものだが、それをクラウディアは受け入れていない。
ではクラウディアのチャールズへの甘えはどういった感情から来るものなのか。もしチャールズがヒューガに遠慮することを止めて、クラウディアに気持ちを伝えた時、はたして彼女はどう答えるのか。ヴラドには分からない。
「……別に非難しているわけではありません。ただ少なくとも私がクラウディア王女を超える可能性は出てきました。共にいた時間なんて私にはないに等しい。そして、今度はいつ会えるか分かりません。それでも今の気持ちを私が持ち続ける事が出来たとしたら……」
「分かりませんね。なぜ貴女がヒューガくんのことを想えるのです? 貴女の言うとおり、共に過ごした時間なんてないですよね?」
「私にも分かりません。ほんの一時すれ違うだけだった彼をなぜこんなに想えるのか。でも、分からないからこそ想ってしまうのです。私はこの年になって初めて本物の初恋を経験しているのではないかと……」
「なんとも言えませんね」
「ええ。それで良いのです。人に判断してもらおうとは思いません。これが一時の気の迷いか、真実であるかは、いずれ私自身知る時が来ます」
ヒューガを巡る女の戦いが、関係者のまったく知らない、ただ美理愛の心の中だけで始まった。美理愛にとっての競争相手はエアルとクラウディアの二人。だがその二人に対する美理愛の意識はまったく異なっている。
エアルは美理愛の中での憧れの存在。ヒューガの側にいるに相応しい女性の理想像はエアルだと美理愛は思っている。一方でクラウディアに対する思いは対抗心。この女には負けたくないというものだ。
これがヒューガに影響を及ぼすのはずっと先の話……そもそも影響を及ぼすかも分からない。