三百年ほど前までは、存在する全ての国の名前どころか数でさえも正確に把握している人は誰もいなかったであろうランデマイスター大陸も、長い争いの時を経て、大陸で暮らす多くの人々が国名を覚えられるくらいまでにまとまってきている。それだけ沢山の国が滅びたということだ。そんな戦乱の世を生き残っている国々の中でも頭ひとつ抜け出した国がある。
東西の雄。いつかはどちらかが大陸制覇を成し遂げるであろうと多くの人が考えている二国。東のオストハウプトシュタット王国と西のベルクムント王国だ。
両国は他国を凌ぐ軍事力で周辺国を次々と飲み込み、領土を広げていった。領土が広がれば国は豊かになり、その資金力でまた軍事力を高めていく。そんな二国に抗える国はなかった。一国を除いては。
大陸中央北部に位置するノートメアシュトラーセ王国。北の海で採れる海産物以外はこれといって資源のない小国。そんな国が何故、大国に対抗出来るのか。それは決して豊かではない小国家が保有するには強力過ぎる軍事力にある。ノートメアシュトラーセ王国はその軍事力を他国に貸すことによって二大国の中央進出を防ぐとともに、資金を稼いでいる傭兵国家と称される国だ。
実際に現国王を始め、軍の中核を担っているのは元傭兵だ。現国王が団長を努めていたアルカナ傭兵団はノートメアシュトラーセ王国と独占契約を結んでいた。まだアルカナ傭兵団が小集団であった時期にノートメアシュトラーセ王国とアルカナ傭兵団双方の思惑が一致して、そういう形になったのだ。
契約当時からノートメアシュトラーセ王国の方針は変わらない。二大国に対抗するには中央の小国家群は協力して、事にあたらなければならない。それでも二大国に及ばない軍事力を、アルカナ傭兵団を雇うことで補ったのだ。
契約当初は十人にも満たなかっらアルカナ傭兵団。だがメンバーの多くが一騎当千の強者たち。その力の源は彼らが保有する特殊能力にある。常人を超える力を戦場で発揮して、大国の中央進出を阻んできたのだ。
ただ、その形が崩れそうになったことが一度だけある。アルカナ傭兵団との契約を決断した国王の早すぎる死から三年後。今から十五年前のことだ。
次に国王の座に就いたエーゴンは、前王の子とは思えない愚人だった。性格は横暴。欲望をおさえることも出来ない。なによりも愚かであったのは大陸中央の同盟国を併合し、二大国に並ぼうという野望を抱いたこと。その為にアルカナ傭兵団を自国に縛り付けようと様々な画策を行ったこと。
結果は今の王国の姿を見れば分かる。アルカナ傭兵団の反乱を招き、玉座から転がり落ちるどころか、その首は処刑台の上を転がることになった。ノートメアシュトラーセ王国の国王には、若干の混乱はあったが、反乱を起こしたアルカナ傭兵団の団長であったディアークが就いた。周辺国家が強くそれを望んだ結果だ。反乱を起こしたことの処罰によってであろうとなんであろうと、とにかくアルカナ傭兵団がいなくなっては周辺国は困る。二大国に対抗する術を失ってしまうのだから。
ノートメアシュトラーセ王国も処刑された国王の野望が露わになり、周辺国に恨まれたままでは国を保てない。アルカナ傭兵団の団長を国王にすることで周辺国を納得させ、さらに自国に傭兵団を縛り付けることが出来る。表立ってアルカナ傭兵団長の国王就任に逆らおうとする者は少なかった。それどころか、軍部を除く主だった重臣たちは、自分たちの立場が守られることが分かっていて、積極的に推し進めようと動いた。
――それから十五年。二大国との戦いは決して楽観視出来る状況ではないが、ノートメアシュトラーセ王国の治世は安定していると言って良い状況だ。
「十五年……何を糧に生きてきたのだろうな?」
部下の報告を聞いて国王ディアークは、普段はあまり見せることのない感慨深げな表情を見せている。話の内容だけでなく、ノートメアシュトラーセ王国と契約を結んだ当初、まだ少数であった当時からの部下と二人きりという状況もあってのことだ。
「近所に住む貧しい子供たちに剣術を教えているようです」
国王に報告を行っているのはアルカナ傭兵団のナンバー2、ただ単に他の古参メンバーが団の取りまとめなどいう面倒な仕事から逃げているという理由であっても、と言っても良い人物、アーテルハイドだ。
「それは何の思惑があってのことか?」
「……我らを倒す戦力を整える為、なんて考えるほどギルベアト殿は愚かとは思えません。ましてただの好き嫌いだけで近衛騎士団長の座を奪った愚王のためにそんなことを考えるでしょうか?」
話の内容は元はノートメアシュトラーセ王国の近衛騎士団長であったギルベアトについて。反乱時に行方不明となっていたその人物の所在が分かったのだ。
「愚王であろうと正統な王家の血筋あることには違いはない。まして愚王本人ではなく、その息子の為であれば、あの男はそれくらいやりそうだ」
「やはり生きているとお考えですか?」
「そうでなければ何故、姿をくらます必要がある? あの男のことはそれなりに理解しているつもりだ。王家に殉じることはあっても、逃げ出すことなどない」
元近衛騎士団長のことをディアークは良く知っている。近衛という立場である為に、戦場を共にすることはなかったが、その実力、そして何よりも王国に対する強い忠誠心は、傭兵であった彼でも尊敬に値するものだった。その忠誠心からの諫言が、彼から近衛騎士団長の座を奪ったという事実も含めて。
「ではミーナも」
「……ギルベアトと一緒にいるという報告は届いていないな」
ミーナはアルカナ傭兵団の一員であり、前王の半ば脅しによって妃にならされた女性。反乱時に彼女がいたはずの屋敷は焼けてしまったが遺体は見つかっておらず、生死不明となっている。
その彼女が見つかった元近衛騎士団長と一緒に暮らしている可能性。それはかなり低い。無事であればディアークの前に必ず現れる。二人はそういう関係だったのだ。
「いるとすれば子供だけですか……」
「実際にどうだかは、もう間もなく分かる。向かわせたのはルイーサとリーヴェスだったな?」
「はい。失敗のない二人を選んだつもりです」
ただ腕が立つということではない。ルイーサが選ばれたのはディアークとミーナの関係を良く知っているからだ。はっきりと指示するまでもなく、前国王の子供だということで殺してしまうような人物ではない。
「……気を使わせたか?」
「私にとってもミーナは大切な戦友。彼女の子供に対して、その為人を知ることもなく、命を奪う気にはなりません」
逆に言えば大切な戦友の息子であっても、父親のような傲慢で欲望を抑えられない愚者であれば容赦なく殺すということだ。王国を奪ってから十五年。今の安定を乱すような真似をアーテルハイドは許すつもりはない。
アルカナ傭兵団が設立された目的を達成するまで、あと少しのところまで来ているのだ。
◆◆◆
西の大国ベルクムント王国の都ラングトア。大陸西部における最大都市。その規模は東の大国オストハウプトシュタット帝国の都カイザルパラスの他には並ぶ街ない巨大都市だ。周辺国を次々と占領し、領土と国力を増大させていくのに合わせて、拡張工事が行われてきたラングトアの街は、中央の王城を囲む防壁が幾層にも重ねられ、防壁と防壁の間は多くの建物で埋められている。
その層のもっとも外側。旅人が多く行き交う第二商業地域の近くにその建物はある。多くの商店が並ぶ表通りの賑やかさ、そのすぐ裏の歓楽街の華やかさとは打って変わって寂れた場所。貧しい人々が暮らす貧民街にあるボロ屋だ。
ただ今はもう深夜。周囲を覆う夜の闇を照らす光などないこの場所では、建物の粗末さなど良く見えない。寝静まっているこの夜中にその場所を訪れようなんて人たちにとっても、建物などどうでも良いことだ。彼らにとって大事なのは、その中にいる人物なのだから。
闇の中を、足音を立てることなく建物に近づいた影は四つ。黒装束に身を固めた彼らの姿は、夜の闇に溶けて見えない、はずだった。
「ぐっ……」
夜の沈黙を破る音。建物の内側から突き出された槍は壁に張り付いて中の様子を伺っていた影の体を貫いていた。
それに対して他の三人の反応は早い。無言のままではあるが、大きな物音を立てることを気にすることなく、窓を突き破って、扉を蹴倒して建物の中に突入していく。
「……なるほど。こんな夜中に誰かと思えば、お前たちか」
突然の乱入者にも動じることなく、話しかけてきた男。いつの間にか点けられていたロウソクの火が照らしているのは、髪も、長く伸びた顎ヒゲも真っ白な老人だった。
「久しぶりね。せっかく訪ねてきたのに、このおもてなしは酷くない?」
これまで沈黙を守ってきた襲撃者、アルカナ傭兵団のルイーサも口を開いた。こうなっては黙っていることに意味はない。奇襲は失敗したのだ。
「夜中に気配を消して近づいてくる輩を客として遇する気にはなれない」
「それはそうでしょうね」
旧交を温める為にやってきたわけではない。武器を向けられたのは、たんに相手が先手を取っただけだ。
「そう思うなら出直してくるのだな」
「そうはいかない。一応、ここは敵地だからね。何度も来たい場所ではないの」
ベルクムント王国にとってアルカナ傭兵団は野望の実現を阻む敵。存在を知られれば軍を差し向けてくるはずだ。
「では、さっさと帰るが良い」
「手ぶらでは帰れないわ。一緒に来てもらうわよ。貴方、だけでなくベッドの下に隠れている――」
ルイーサの言葉を遮ったのは、ベッドの下から吹き上がってきた真っ赤な炎。部屋を赤く染めた炎がルイーサに襲いかかる。それを大きく跳ぶことで躱したルイーサだが、攻撃はそれだけではなかった。炎にわずかに遅れて突き出されてきた剣先。老人のものではない。遥かに若い少年の攻撃だ。
「能力者だったとはね」
だがルイーサはその剣もあっさりと躱してみせると、隙を狙って槍を構えていた老人に話しかけた。その時には、ベッドの下から飛び出してきた少年は外に飛び出している。
「想定していなかったのか? 皇帝の息子二人も能力者らしいではないか。そうであれば彼が能力者であってもおかしくない」
「つまり、今の彼がミーナの息子」
特殊能力者の子供が全員能力持ちであるわけではない。だが、ギルベアトが言っているのは、こういうことだとルイーサは理解した。
「さすがにこちらは想定していたか。そうであろうな。そうでなければ、この老いぼれにわざわざ傭兵団員を送り込んでくるはずがない」
「……それはどうかしら?」
ただ余生を過ごしているだけであれば放っておいた可能性はある。だが元近衛騎士団長は少年以外の子供たちにも戦う力を与えているのだ。少年を旗印にして玉座の奪回を企んでいると考えられなくはない。
「理由がなんであれ、来てくれたことには感謝しよう」
「感謝?」
「戦いの中で死んでいくことが出来る」
「余計なことを考えていないのであれば、こちらに貴方を殺す理由はないわ」
元近衛騎士団長の為人と剣の実力はディアークも認めるところ。王位の奪還など考えていないのであれば、殺す必要はない。それどころか王国に戻って仕えて欲しいくらいなのだ。
「……それは困る。私には死ぬ理由があるのだ」
「戦いの中での死を求めるとしても、もっと良い機会があるはずよ」
「問答無用!」
ルイーサの説得を「問答無用」の一言で切り捨てると、ギルベアトは槍を繰り出してきた。鋭い突きがルイーサを襲う。それをバランスを崩さないように、わずかに体を揺らすだけで躱していくルイーサ。
「これのどこが老いぼれよ!」
だからといって余裕があるわけではない。ギルベアトの突きはルイーサに簡単には反撃を許さないだけの鋭さがあるのだ。
「技を磨くことを怠ってきたつもりはない! それでもお前たちには届かないのだ!」
老年と言われる年齢になり、体力はかつてに比べればかなり落ちているが、技そのものは衰えていない。それどころか、この十五年間、改めて鍛え直したつもりだ。
それでも槍先はルイーサには届かない。
「そう思うなら槍を置きなさいよ!」
「それをして、この先、私に何がある!? 私は武人として死にたいのだ!」
「貴方が死んだら彼はどうなるの!? 他に身寄りはいないのよね!?」
ギルベアトを説得する為に少年を口実にするルイーサ。その為に躊躇っていた問いも口にした。
「……ミーナ様は亡くなられた。子供を守る為に我が身を犠牲にした、のだと思う」
「そう……」
覚悟はしていた。そもそもギルベアトの所在が明らかになり、少年と暮らしているということが明らかになるまでは、母子ともに焼け死んだと思われていた。それでも一度心に湧いてしまった期待は、事実を知ったルイーサの心を傷つけてしまう。
「早く終わらせて外の戦いを止めろ。今はまだお前と一緒に来た団員に実力は遠く及ばないはず。こんなところで死なせるわけにはいかないのだ」
建物の外に飛び出していった少年の後を残りの二人、リーヴェスと彼の従士が追っていた。すでに争いが始まっている様子だ。
「貴方が武器を置けばそれで終わるわ」
「それでは……いや、分かった。では自分で終わらせよう」
「えっ!?」
ルイーサが止める間もなく、ギルベアトは手に持っていた槍で自らの喉を突いてしまう。武人として戦いの中で死にたい、という言葉とは結びつかない行動。まったく予想していなかった動きがルイーサの反応を遅らせてしまったのだ。
最後にカッと目を見開いて声にならない何かをつぶやくと、ギルベアトは、ゆっくりと仰向けに倒れていった。
「……どういうこと?」
何故、ギルベアトは死ななければならなかったのか。ルイーサに思いつく理由はない。考えても仕方がない。彼女が今為すべきことはギルベアトが最後に求めた、外で行われている戦いを終わらせることだ。
――その外の戦い。想定外の事態にリーヴェスは苛立っていた。特殊能力を持っているとはいえ、相手は少年。従士でも相手が出来ると考えて、鍛錬させるつもりで戦いを任せたのだが、結果は大失敗。従士は少年に斬られて、地面に転がっている。
アルカナ傭兵団にも少年と同じくらいの年齢の団員はいる。そうであるのに少年の実力を見くびったリーヴェスの判断ミスが従士の死を招いたのだ。
「このガキ」
しかも従士を倒した少年は、そのままリーヴェスに剣を向けている。黙って殺されるつもりのない少年にとっては当然の行為なのだが、従士を殺された苛立ちが、リーヴェスにその行為を侮辱と感じさせた。
冷静さを失っているリーヴェス。苛立ちを表す呟きを漏らしてしまっているのが、その証だ。
少年のほうは無言のまま。何を考えているか分からない表情で、リーヴェスを見つめている。その表情がさらにリーヴェスを苛つかせた。
「ちっ」
だからといって少年に付け入る隙を与えることはない。攻撃を受けて舌打ちしたのは少年のほうだ。一瞬で間合いを詰めてきたリーヴェス。動きを止めようと少年が展開した炎をかいくぐって、鞭のようにしなる足で蹴りを放って、相手の足を払う。
倒れるのをなんとかこらえた少年ではあるが、結果、その判断は間違い。その場に留まったままバランスを崩すことになり、リーヴェスに追撃を許してしまった。
息もつかせぬ攻撃を躱しきることが出来ずに、地面に倒れていく少年。リーヴェスは動きを止めることなく、倒れていく少年の腕を固めで体重を乗せていく。
「んぐっ!」
地面に倒れると同時に背中に食い込むリーヴェスの膝。その衝撃に耐えきれずに少年はうめき声を漏らした。
「終わりだ」
いつの間には手に持っていた短剣を少年の首に振り下ろそうとするリーヴェス。だがその短剣が少年の首に届くことはなかった。
「何をしているの?」
「…………」
短剣を止めたルイーサの問いに黙り込むリーヴェス。彼女の登場で一気に冷静さを取り戻したのだが、そうなると自分がしでかしてしまったことに怯えてしまう。
「特殊能力保有者を見つけたら必ず城に連れて行くこと。まさか忘れていないわよね?」
何者であろうと特殊能力保有者は生かして王国に連れて行く。そういう決まりになっているのだ。それがアルカナ傭兵団設立の元々の目的を実現することに繋がる。誰であろうと自らの意思で破ることは許されない。
「もちろん、忘れていない」
「じゃあ、短剣は横に置いて、そのまま彼を拘束して。物音を立て過ぎたわ。さっさとこの場から離れるわよ」
「あ、ああ」
ルイーサに指示された通り、リーヴェスは短剣をしまうと、長い腕を少年の首にまわして力を入れる。苦しそうにあえぐ少年。炎が立ち昇るかと見えたが、それもリーヴェスがさらに力を入れることで立ち消えた。意識を失ってしまったのだ。
「お見事……それにしてもミーナそっくりね。良かったわね? 母親似で」
少年の顔立ちは暗がりの中で見ても母親そっくりだった。黒髪と青い瞳。少し珍しいこの特徴だけでミーナを知る人は彼女の息子だと分かる。リーヴェスもそうであれば、冷静さを失うことはなかったかもしれない。
ただ残念ながら彼は反乱以降にアルカナ傭兵団の一員となった身。話としては聞いていたが、実際に見ていたわけではなかった。彼にとっての絶対的存在であるディアークが、普段は決して見せない態度をミーナに向けていたことを。彼がどれだけ彼女を愛していたかを理解していなかった。