ノートメアシュトラーセ王国城内の大広間。奥に置かれている玉座にはすでに国王であるディアークが座っている。その玉座の左右に並ぶのはアルカナ傭兵団の団員、その中でも上級騎士たちだ。進行中の任務もあり、この場に全員が揃っているわけではないが、それでも王国にとどまっている団員が全て集うことは滅多にあることではない。事情の良く分かっていない者たちは、これから何が始まるのかと思って、怪訝そうな表情を見せている。
その一方で事情が分かっている者たちの表情は様々だ。期待に胸を膨らませている者もいれば、呼び出されたことを不満に思っている者もいる。不満とは違うが無関心さを漂わせている者も。
では玉座に座るディアークはどうかといえば、その感情は、いつものことだが良く見えない。鋭い眼光を大広間の入り口に向けたまま、身じろぎもしないでいた。
やがて扉の外から女性の声が聞こえてくる。到着を告げる声だ。
ゆっくりと開いた扉。現れたのは女性と男性、そしてその間に挟まれている青年と呼ぶにはまだ若い男の子だった。その少年は睨みつけるような視線をディアークに向けている。
「……これは」「……なるほど」
その姿を見て、数人の団員の口から驚き、もしくは納得の言葉が漏れる。黒髪に青い瞳。少年は彼らが良く知る女性と同じ特徴を持っている。
ゆっくりと前に進み出る三人。少年の両腕、そして両足にはそれぞれ拘束具がはめられている。罪人のような扱いだ。
「団長。任務完了致しました」
大広間を半分ほど進んだところ、まだディアークが座る玉座とはかなり離れた所で立ち止まり、任務の完了を告げたのはルイーサだ。もうひとりのリーヴェスは、少年をその場に跪かせようと頭を押さえつけている。そうでなくても古参のルイーサのほうが序列は上。彼女が報告することに変わりはない。
「ご苦労だったな」
「いえ。ギルベアト元近衛騎士団長を連れ帰ることが出来ませんでした」
「それについての詳しい話はあとで聞かせてもらおう。それで、その子が?」
任務の結果は事前に伝書烏によって伝わっている。そうでなくてもギルベアトの件で、任務を終えた二人を責めるつもりはディアークにはない。ミーナの子供を連れてきた。それで成功なのだ。
「はい。前国王とミーナの息子です」
ルイーサの話を聞いて、今度、声を漏らしたのは詳しいことを知らないでこの場にいた者たち。王家の血を引く者、それも前国王の息子が生きていたと知って、驚いている。
「特殊能力保有者だと伝書に記されていたな」
さきほどよりも多くの声が大広間に広がった。任務の内容を知っていた者たちも、少年が特殊能力保有者であったことまでは聞かされていなかったのだ。
「はい。現地で確認しました」
ようやくその場にひざまずく姿勢になった少年。その姿を横目で見ながら、ルイーサは詳しい説明を行おうと思ったのだが。少年の足元には真っ赤な炎が広がっていた。
拘束具をほぼ一瞬で焼き切った少年は、両足を蹴って前に飛び出していく。
『動くな!』
それに一瞬遅れて、ディアークの声が大広間に響く。少年を止めるために動こうとしていた団員たち。ある者はディアークの覇気に圧せられて動きを止め、別の者は彼の指示に従って武器を放つのを止めた。
ディアークの声を無視して動き続けていたのは少年と、その少年を床に押さえつけているアーテルハイドだけだ。
「……操炎か。しかもいくら木の部分とはいえ、わずかな間で焼き切るとはかなりの強さだな」
操炎の能力を持つ者は他にもいる。少年の母もその一人だ。だが少年の炎はかなり強力な部類。通常はこんな簡単に拘束具が焼ききれるはずがない。といっても少年が炎に関する特殊能力を持つと知りながら、木底の拘束具を使ったのは、大広間に到着するまでに少年が暴れると面倒だから。拘束などしていなくても、今のようにディアークに近づけるものではない。ディアークが攻撃を制止しなければ少年は死んでいた可能性もあるのだ。
「恐れながら、強力な能力を持っていてもこれでは使いようがありません。速やかな処分が適切だと想います」
アルカナ傭兵団は特殊能力保有者を集めている。だからといってその能力を使ってディアークを殺そうとする者ではどうしようもない。
「……小僧。私を殺したいか?」
ディアークはアーテルハイドに答えを返すことなく、少年に問いを向けた。
「……お前は俺の母を殺した」
「それは間違いだ。屋敷に火を放ったのは愚王。我々ではない」
「知っている」
「なんだと……?」
ミーナを拘束し、部屋に火を放ったのは前国王の命令。この事実を少年は知らないと思っていたのだが、そうではなかった。
「お前が謀反なんて起こさなければ、母は焼き殺されることなんてなかった。きっかけを作ったお前も母の敵だ」
「私も、か?」
「そうだ。一番殺したい奴はすでに死んでいる。だからせめて、お前は俺の手で殺す」
「……ふっ」
ディアークの口元に笑みが浮かぶ。少年がこんな考えを持っているなど、まったく想定していなかった。それがなんだか可笑しかった。
「何が可笑しい?」
「お前は俺を殺すと言うが、現実には指一本触れられていない。それが可笑しいのだ」
少年の問いにディアークは、本心とは異なる答えを返した。少年を生かそうと決めた結果だ。
「……こいつが邪魔するから」
届くはずだった。だが炎を放つ間も与えられずに、いるはずのない者に床に押さえつけられていた。少年は知らない。それが特殊能力『神速』を持つアーテルハイドだからこそ、出来たことだと。
「言い訳か、情けないな」
「……分かった。認める。今の俺ではお前は殺せない」
少年はあっさりと敗北を認めた。すでに機会は失われた。次の機会を得るために相手の話に乗ろうと判断した結果だ。
「お前を生かしてやる。今よりももっと強くなれる環境も与えてやろう」
「だから?」
少年の思惑通りに話が進んだ。だからといって無条件で命を助けるほど、ディアークがお人好しであるはずがない。少年はそう考えた。
「アルカナ傭兵団に入れ。まだ未熟なお前では従士見習いというところだが、それでも任務はこなしてもらう。失敗すればお前は死ぬ。だが成功し続ければ、今よりも遥かに強くなれるだろう」
条件はアルカナ傭兵団で傭兵として働くこと。特殊能力保有者に対して求めることで、特別な条件ではない。つまり甘い条件ということだ。
「……分かった」
だが少年は無条件で命を助けられるとは受け取らなかった。傭兵にして酷使するつもりだと考えたのだ。
「では決まりだ。ただし今日は牢屋で過ごしてもらう。愚かな小僧にはお仕置きが必要だからな」
「…………」
何かを口にしようとした少年だが、声にはしなかった。何を言っても、ただの負け惜しみにしかならないことが分かっているのだ。
「では、小僧を連れて行け」
「……ヴォルフリック」
「ん?」
「俺は小僧なんて名前じゃない。俺の名はヴォルフリックだ」
一度は言葉を飲み込んだヴォルフリックだったが、小僧呼ばわりに対しては我慢がならなかったようで、自分の名を告げてきた。
「ヴォルフリック? お前の名は確か」
少年が生まれた時につけられた名はヴォルフリックではない。ミーナの息子だからというのではなく、庇護を受けている国の王子の名だ。ディアークもはっきりと覚えている。
「敵がつけた名など名乗れるか」
「……なるほど」
元々の名は前国王がつけた、正確には前国王に命じられた文官により王子に相応しい名として考えられたものだ。それが嫌で名を変えたとなると、ヴォルフリックは本気で前国王を敵として恨んでいるということになる。それともそう思わせる為の嘘か。
「試しの儀式は行わないのですか?」
それを考えていたディアークにアーテルハイドが問いかけてきた。
「試しか……」
「彼が特殊能力保有者であることは間違いのない事実。さらに生かして団に入れるとなれば、カードの試しを行うべきではありませんか?」
アーテルハイドの言う試しとはタロットカードを使った儀式のようなもの。ただのタロットカードではない。『神意のタロッカ』と呼ばれる不思議な力を持ったタロットカードだ。
二十二枚のカードとそのカードに認められる人物を全員揃えた時、願い事が叶うと言われているカード。ディアークがアルカナ傭兵団を設立したのはそのカードの一つを手に入れたことがきっかけだった。
「確かにそうだな」
アーテルハイドの言う通り、アルカナ傭兵団に加わる特殊能力保有者は神意のタロッカによる試しを行う決まりとなっている。入団時だけではない。それは定期的に行われている。団員の称号はその時に選ばれたカードの名前になるのだ。
ちなみにアーテルハイドはDer Papst=法王でルイーサはDie Päpstin=女教皇、リーヴェスはDer Gehängte=吊し人だ。
「では準備を」
試しの儀式の準備を指示するアーテルハイド。特別なことはない。『神意のタロッカ』を持ってくるだけだ。大広間から文官が走り出ていく。試しの儀式を行う人を呼びに行ったのだ。
その時にはヴォルフリックはアーテルハイドから拘束を解かれて、立ち上がっている。
「ギルベアトからはどこまでの話を聞いているのですか?」
ただ待っているだけでは退屈。アーテルハイドはヴォルフリックに問いを向けた。
「どこまで……お前らが叛乱を起こしてその玉座を奪ったこと。その際に殺された馬鹿王は俺と母親を焼き殺そうとしたこと。爺が炎の中で泣いていた俺を偶然見つけ、助け出したこと。これくらいか?」
「それを聞いてどう思いました?」
「……別に」
「何も思わなかったなんてことはないでしょう?」
「……俺は運が良いと思った。あとは母親の敵に会ったら絶対に殺してやろうってことくらいか?」
これがヴォルフリックの本心かは分からない。別にどうでも良いことだ。嘘をついているかどうかはすぐに分かる。さらに隠れた野心を持っているのであれば、それもいつか明らかになる。
「ギルベアトは何故、お前に剣を教えたのです?」
「……最初は暇だったからじゃないか? 途中からは俺が求めた」
「何故?」
「生きる為には力が必要だと思ったから」
「そうですか……どうやら来たようですね」
長く会話を続ける必要はなく、担当者の女性がやってきた。その彼女もアルカナ傭兵団の一員、Rad des Schicksals=運命の輪の称号を持つトゥナだ。長く伸びた金髪の前髪は目が完全に隠れるほどで、その表情はよく分からない。
「……あらあら、この少年ね。待っていたわよ」
彼女の言葉にわずかに周りが反応した。待っていたという表現は、ヴォルフリックが連れてこられるのを知っていたというだけの意味ではないと受け取った人々の反応だ。
トゥナは用意されていた台に立ち、持ってきたタロットカードを広げる。
「さあ、好きなカードを引いてみて」
試しの儀などと言われていてもこれだけのこと。彼女には何もする必要がない。カードが儀式を行うのだ。
「…………」
無言のまま、面倒くさそうに一枚のカードを選ぶヴォルフリック。
「ふうん。こう出るのね」
ヴォルフリックが選んだカードをめくったトゥナの口元がつり上がっている。笑っているのだ。
「カードはDer Narr。愚者のカードですわ」
手に持ったカードをディアークに見せる。ヴォルフリックが選んだのはDer Narr=愚者のカードだった。
「そんな馬鹿な!?」「まさか!?」「そんな……」
これには多くの団員が大きな反応を見せた。彼らにとってはDer Narr=愚者のカードは特別なものなのだ。
「もう一度だ! やり直しを要求する!」
はっきりと儀式のやり直しを要求してきたのはヴォルフリックと同じ年頃の男。彼はディアークの息子オトフリート。ディアークと、彼が前王から与えられた女性との間に生まれた子供だ。王子であるが団員でもある。Der Mond=月の称号を持つ上級騎士だ。
「あらあら。それは大変ね?」
オトフリートの要求に呆れた様子のトゥナ。儀式の結果を否定することは自らの称号も否定すること。アルカナ傭兵団を否定することにも繋がるのだ。
「神意のタロッカが示した結果を疑うなど愚かなこと。ただ父上が最初に選ばれたDer Narr=愚者のカードとなると、私も愚かになってしまいます」
次に声を上げたのもディアークの息子。国王になってから妃となった女性との間に生まれた子供ジギワルド。彼もまたDie Sonne=太陽の称号を持っている。オトフリートとは後継者の座を争う関係だ。
二人の王子がやり直しを要求してきた。そうなるとトゥナも呆れているだけでは終われない。ディアークに顔を向けて、判断を仰いだ。
「かまわん」
やり直しを了承するディアーク。彼自身も結果は決まっていると思いながらも、やり直しには興味がある。Der Narr=愚者のカードはディアークが最初に手に入れたカード。最初に選ばれたカードで、アルカナ傭兵団を結成するきっかけとなったカードなのだ。
ディアークの了解を得たトゥナは、またタロットカードを台の上に広げていく。
「どうぞ」
ヴォルフリックにカードを引くように促すトゥナ。さらに面倒くさそうな顔をして、ヴォルフリックはカードを選んだ。
そのカードを、今度は無言で、自分は見ることなく皆に見せるトゥナ。大広間にはうめき声が広がっていった。カードはDer Narr=愚者。同じカードだった。
「はい。もう一度」
カードをまとめ、今度は手に持ってヴォルフリックの目の前に広げてみせる。何度もカードを引くことを要求され、怪訝そうな表情を見せながらも彼はカードを引いた。
「……同じ。何だ、これ? さっきから愚者だ、愚者だって。俺は馬鹿だという占い結果か?」
引いたカードはまたも愚者。これが偶然であるはずがない。それはそうだ。だからこそ神意のタロッカと呼ばれるのだ。
「納得したかしら? 彼のカードは愚者よ」
誰も文句を言う者はいない。言えるはずがない。神意のタロッカはこれ以上ないほど自らの意思をはっきりと示したのだ。それでも否定すれば、今度はカードに自分を否定されかねない。
「……愚者。さきほどは従卒見習いと言ったが、騎士見習いに昇格だ。一晩、牢で過ごすことに変わりはないがな」
立ち上がってヴォルフリックに騎士見習いへの昇格を告げるディアーク。その口元は歪んでいる。それが不快さを示しているのではなく、笑いをこらえている時の彼の表情だと知るのは、古参の団員たちだけ。
それを見て彼らは苦笑いだ。ヴォルフリックが現れたことで、どうやら想像して以上に面倒なことになる。彼らにはそれが分かってしまった。