桜木学園の園内にある寮、とされている特務部隊員の宿舎であるその場所は今、かなり人気が少なくなっている。強化鍛錬中の特務部隊員は、精霊科学研究所に留まっている為、残っているのは入隊前の候補生、そして尊と天宮だけなのだ。
候補生たちにとっては、ありがたいことだ。彼等にとって上級生のような存在の特務部隊員たちがいない今、学園は彼等の天下。年長者に専有されることなく、皆でわいわい騒ぎながら見たいテレビ番組を見ることが出来、やりたいゲームを楽しむことが出来る。そして、他にも特務部隊員の目を気にして出来ないことが出来る。
食堂で夕飯を食べている天宮のところに候補生の女の子がやってきた。
「……天宮先輩、ちょっと来て下さい」
「はい?」
普段話しかけられることのない候補生に話しかけられて、天宮は戸惑っている。
「いいから、ちょっと来て下さい」
「えっと、何の用?」
用件を告げずに、ただ来いと言われても、素直に付いていく気がしない。
「友達が話があるそうなのです。だから来て下さい」
天宮の反応にやや苛立ちを見せている女の子。一応、用件は告げたが、まったく中身が分からない。
「……それはここでは出来ない話なの?」
天宮の視線が正面に座っている尊に向く。視線を向けられた尊だが、彼の興味は候補生にはないようで、目の前に並ぶ食事を頬張るのに夢中で、天宮の視線に気付いていない。
「ここでは駄目です」
尊の反応を確かめる前に、候補生の女の子が答えてきた。
「……分かったわ。どこに行けば良いの?」
相手の女の子は、嫌だと言っても聞きそうもない様子なので、諦めて席を立つ天宮。
「こっちです」
ようやく行く気になった天宮に女の子は向かう先を案内する。食堂を出て、廊下を進む二人。どうやら体育館に向かうのだと分かった天宮だが。
「この先に友達がいますから」
「一人で行けってこと?」
「はい。私は別件があるので、じゃあ」
天宮が口を開く前に後ろを向いて、来た廊下を戻っていく女の子。その態度に少し苛立ちを覚えながらも天宮は,
言われた通りに、彼女の友達が待つという体育館に向かった。
実際に待っている人はいた。天宮にここに来るように言ってきた子と同い年くらいの女の子だ。
「……君が僕に用があるの?」
「は、はい」
さきほどの女の子とは異なり、待っていた子はかなり緊張した様子だ。
「えっと……用事というのは?」
「あ、あの……あの……あの…………」
「あの?」
「あの……」
真っ赤な顔をして口籠もる女の子。天宮には何が何だか、さっぱり分からない。同じ寮に住んでいるのだ。女の子のことは知っている。だが、顔を知っているというだけで、こうして向き合うのも初めてなのだ。
「用があるなら、話してもらわないと」
本当は、話がないのなら帰る、と天宮は言いたいのだが、かなり緊張した様子の女の子にこれを言うのは、さすがに悪いと思って言い方を変えた。
「……そうですね……あの……天宮先輩は……古志乃先輩と付き合っているのですか!?」
「はい?」
まさかの質問に驚く天宮。これが剣人あたりに呼び出されたのであれば、呼び出されても無視するだろうが、ここまで驚かなかったかもしれないが、候補生の女の子の口から、こんな質問が出てくるなど、まったくの予想外だ。
「いつも二人は一緒にいるじゃないですか。だから、そうなのかなって……」
「……えっと……もしかして……?」
この女の子は尊のことが好きなのだ。そう天宮は思った。
「……ずっと憧れてました」
「そう……」
尊を好きになる女の子がいた、ということには驚かない。月子の感情もそういうものだと天宮は知っている。ただ候補生とはいえ、特務部隊内にいるとは思っていなかった。
「あの、それで……?」
「……同じ分隊だから一緒にいるけど、付き合っているとかはない」
「本当ですか!?」
天宮の言葉を聞いて、女の子の顔がパッと明るくなる。その表情を見て、天宮は少し羨ましくなった。天宮は自分の感情をこんな風に表に出せないのだ。
「こんなことで嘘はつかないから」
「……じゃあ、これ! 受け取って下さい!」
「えっ?」
差し出されたのは可愛いラッピングが施された小さな箱。
「私、天宮先輩のことが大好きです!」
「……あっ、チョコ?」
ここまでくると、さすがの天宮も事情が分かった。
「はい! 受け取って下さい!」
「あの、僕は女性で……」
「いやだ、知ってますよ。でも天宮先輩はすごく格好良くて、私の憧れの存在なのです」
「……そう。ありがとう」
初めての告白は年下の女の子からだった。天宮は、複雑な思いを抱きながらも、好意は受け取ることにした。ここで拒否するのは可哀想という思いもあるからだ。
チョコを受け取ってもらった女の子は嬉しそうに駆けだしていく。そのあとを天宮は、ゆっくりと歩いて、食堂に戻っていった。
◇◇◇
天宮にとって幸いなことにチョコをくれた女の子は食堂にはいなかった。天宮が知ることはないが、自分たちの部屋で友達と成功を喜んでいるのだ。
テーブルの上にあったはずの食器はすでに片付けられているが、尊は変わらず、同じ席に座っていた。ただ違うのはその彼の隣に女の子が座っていること。友達が呼んでいると言って、天宮を連れ出した女の子だ。
女の子は戻ってきた天宮の顔を見ると、席を立って食堂を出て行った。友達が待っていたのは本当だが、なんとなく騙されたような気持ちに天宮はなった。
少し躊躇う気持ちがあったが、女の子と話していたからといって尊を避けるのも変な気がして、天宮は元の席に座った。
「ありがとうございます」
「えっ?」
座るなり、いきなり尊に御礼を言われて、戸惑う天宮。
「それ、僕にくれるのじゃないのですか?」
尊が指さしているのは女の子からもらった箱だ。
「これは……君にあげるものじゃない」
「なんだ……きっと貴女からも貰えると思っていたのに」
「そ、それは……どうして私が……」
尊が自分からチョコを貰えるものだと期待していたと知って、恥ずかしそうな天宮だが。
「薄情ですね」
「……そういう言い方をされる覚えはない」
尊の一言で恥じらいは苛立ちに変わる。
「だって病院であんなに反省していたのに。あれは口だけだったのですね?」
「そんなことない。僕は本気で君のことを心配して……」
何故、尊にこのようなことを言われなくてはならないのか。そういう思いがますます天宮を苛立たせる。
「まあ、良いです。退院のお祝いは別の人に貰いましたから」
「えっ?」
二つの言葉に引っかかりを覚えた天宮。
「でも、どうして退院のお祝いにチョコを送るのですか?」
「……チョコもらったの?」
尊の誤解を解くよりも、天宮は自分の疑問を解消することを優先した。
「はい。さっきも、候補生の女の子にこれをもらいました」
テーブルの上に置かれているハート型の箱。今更ながら天宮はそれに気が付いた。女の子が隣に座っていたのはこれを渡すためだ。ただ天宮が気になるのは、尊の言葉は別のチョコの存在も示している。
「……他にも貰ったの?」
「はい。送られてきたのがあります」
「送られてきた?」
「……宅配便で送られてきたみたいです」
「それって……」
妹の桜以外に身内はいないはずの尊にどこから、チョコに限らず、宅配便が送られてくるのか。天宮に思い付くのは一つしかない。
「怪我させた側にいる人が退院のお祝いを送ってくるのも、変ですけどね」
尊のこの言葉が、天宮の考えを裏付けた。宅配便でチョコを送ってきたのは月子だ。よく届いたものだと感心するが、中身がただのチョコであれば、特務部隊も止める理由はないのだろうと考えた。
「……襲撃されたこと、なんとも思っていないの?」
「僕は組織のことを、ある程度知っていますから」
『YOMI』の意思は統一されていない。ただ、今回のこれについては組織にいた時ではなく、最近知ったことだ。
「彼女は絡んでいないと信じられるのね?」
「もしそうするしかなくて、作戦に絡んでいるなら、現場に姿を現している。他人に任せるようなことはしない」
組織の都合で、どうしても自分を殺さなければならなくなれば、自らの手でそれを行おうとするはず。それは尊も同じだ。
尊と月子たちの間には、普通とは少し違っているが、信頼がある。そう天宮は感じた。
「……私だって」
尊に信頼を与えられるようになりたい。自分が尊を信頼しているように。
「あれ? もしかして用意してあるの?」
「えっ?」
「退院のお祝い」
天宮の言葉を、彼女にとって残念かそうでないかは微妙だが、尊は間違って受け取った。
「……それは……用意してあるけど……」
完全な間違いではない。退院祝いではないが、チョコは用意してある。お世話になっている同僚にあげる義理チョコという名目のものが。
「なんだ。だったらそう言ってくれれば良いのに。薄情なんて酷いこと言いました。ごめんなさい」
「別に気にしてない……」
「入院は退屈だったけど、ご褒美をもらえるのは良いですね」
「……去年はもらわなかったの? その……あの人に」
自分もチョコを渡さざるを得ない状況になったところで天宮は、尊が何故、退院祝いだと思っているのかを確かめようと考えた。
「もらった。よく分かりますね?」
「それで……どうして?」
去年のバレンタインも貰っていたのなら分かるはずだ。そう天宮は思ったのだが。
「怪我した理由?」
「えっ?」
「油断かな? ちょっとよそ見していたら、背後から襲われて怪我した」
「……襲われて? それは鬼に?」
「鬼……貴方たちから見たら鬼であることは同じか。そう」
特務部隊が総称するところの鬼。つまり『YOMI』のメンバーだ。
「どうして?」
「さあ? 理由は聞かなかったから」
「……そう」
相手は話したくても話せない状態になったのだ。『YOMI』には敵もいる。尊の言っていたこれは言葉通りの意味だった。
「あれ? そういえばその時は入院なんてしなかった。月子、間違って僕に教えたな。怪我が治った時のお祝いってなんて言うのですか?」
「……さあ?」
チョコを退院祝いだと勘違いしているのは月子のせい。月子は、きっと照れて、退院祝いなんて嘘をついたのだと天宮は思う。積極的に見えた彼女にそういう一面があるのが、天宮には意外だった。
「何でもいいか。チョコはチョコですから」
「……じゃあ、これ、私からのチョコ」
チョコはチョコ、なんて言葉が尊の口から出た流れで、軽い感じで自分からのチョコを渡したつもりの天宮だが。
「……私」
「あっ……」
一人称が僕ではなく私になっていることに気付いていなかった。それを尊に指摘された天宮の顔が朱に染まる
「最近、多いですね。こっちのほうが自然なら、無理に『僕』なんて使わなければいいのに」
「……君だと心配いらないから」
「それって……僕が貴女のことを好きになることは絶対にないという意味ですか?」
「それは……」
その通り。これで終わらせれば良いのに、天宮はその言葉を口にすることに躊躇いを覚えてしまう。
「……それはそうか。かなり年の差がありますからね?」
「……そ、そうね。おじさんだもの」
実年齢でいえば、尊と天宮は一回り違う。尊に関しては、何をもって実年齢というのかという問題があるが。
「おじさん……その自覚はないですね」
「浦島太郎みたいにならなくて良かったわね?」
「ああ、それはそうですね。浦島太郎と逆なのは良かったと思います」
「逆?」
浦島太郎が過ごした世界とは逆。尊がいた世界はそういう世界なのだ。
「……チョコ食べましょうか?」
「……そうね」
ただそれは詳しく話せることではない。尊の言葉の意味を天宮は正しく理解した。
「どっちを食べます?」
「他の人があげたチョコを食べるのは悪いから」
「そうなのですか?」
「そうなの」
少なくとも自分はそんなことをされると寂しくなる、と天宮は思う。
「分かりました。じゃあ、貴女から貰ったチョコを食べましょう」
天宮から貰ったチョコの梱包を外し、箱を開ける尊。その様子を、少し緊張して、天宮は見ている。
「……へえ、美味しそうですね?」
尊の顔に浮かんだ笑み。それを見た天宮の表情もほころぶ。
「どれを食べますか?」
「君にあげたのだから、君が最初に選んで」
「そうですか……じゃあ、僕はこれにします」
「じゃあ、私はこれで」
二人とも、それぞれ自分が選んだチョコを指でつまむ。お互いの様子を見ながら、同時にそれを口にいれた。
「……すごく美味しいです」
「良かった。私が食べたのも美味しい」
「じゃあ、次はどれにします?」
「そんなに一気に食べたら……」
せっかくあげたチョコがすぐになくなってしまう。それを天宮は少し寂しく感じた。
「じゃあ、止めときます?」
「……美味しいから、もう一個だけ」
だがチョコの誘惑が寂しさを上回る。またそれぞれ好きなチョコを選んで、同時に口に入れる二人。離れて見ていれば、誤解されてもおかしくない雰囲気だ。そして実際に。
「……やっぱり、あの二人付き合ってる」
「そうよね。天宮先輩のあんな顔、初めて見るもの」
「はあ、いきなり失恋」
「失恋って、貴女の場合は恋愛じゃなくて憧れでしょ?」
「違うわ。私は先輩として憧れているのじゃなくって、女性として天宮先輩が好きなの」
「……そっち?」
候補生たちは誤解していた。