モンタナ王国における戦況が大きく動き始めた。事を急いでいたエドワード王にとっては喜ばしい報告であったのだが、詳細を知るにつれて、徐々に気持ちは暗くなっていった。銀鷹傭兵団の存在がモンタナ王国の人たちに知られてしまった。百歩譲って、まだそれは許容出来る。問題はその銀鷹傭兵団の背後にウェヌス王国がいるという話になっていることだ。
王弟を唆して内乱を起こさせ、支援の名目で軍を入れ、最終的にはモンタナ王国を支配する。これがウェヌス王国の企み。モンタナ王国内で広まっているこの噂は事実だ。この事実をモンタナ王国に、特に王弟に知られてもほとんど大勢に影響はないとエドワード王は考えている。その疑いは王弟が元から持っていたものであるはず。だが王弟はリスクを負ってでもウェヌス王国の支援を必要とした。ウェヌス王国の力がなければ勝てないと分かっているのだ。
王弟がハーリー大将軍に文句を言ってきたのは、周囲の目を意識してのこと。仮に事実であったとしても自分はその企みには関与していなかったということをアピールしたかっただけだ。こうエドワード王は考えている。エドワード王の懸念点はどのようにして、その事実が漏れたかだ。スパロウから知らされた裏切り者の存在。その範囲は考えていた以上のものである可能性が高い。
「一応は関係者へのヒアリングを行いましたが、そのような事実を知る者が誰もいませんでした。当然、証言が虚偽である可能性はありますが、現時点ではこれ以上の追及は難しいと考えます」
モンタナ王国で流れている噂が事実であるが、ギルバート宰相が調査を行った。形ばかりのものであることは彼も分かっている。容疑者が特定されていない状況では厳しい調査を行うことは出来ないのだ。
「これ以上追及しても結果は変わらない。充分だよ」
ランカスター侯爵家が滅びた今、陰謀の存在を知っているのはエドワード王だけ。他の者をどれだけ追及しても意味はない。エドワード王としては深く追及した結果、まずあり得ないはずだと思っているが、銀鷹傭兵団と自分自身の繋がりを知っている者が見つかっては困るのだ。
「モンタナ王国王弟ジェームズ様に対しては、噂のような事実はないと返しますが、それで納得するかは分かりません」
「彼には我が国の力が必要だ。納得しようがしまいが、我が軍を追い返すような真似は出来ないよ」
「はい。ただ、王弟本人はそうであっても、その周囲の者たちがどう出るかは予測がつきません」
王弟は引くに引けないところまで来ている。だが、そこまでではない人たちはどういう判断を下すのか。国王派へ寝返る人が出る可能性は高いとギルバート宰相は考えている。
「まんまとしてやられた感じだね?」
今回の一件で圧倒的に王弟有利であった情勢が変わるかもしれない。王弟だけでなく、エドワード王にとっても流れは良くない。
「なんとかして国王側の陰謀であることを証明出来れば良いのですが」
「……それは難しいかもしれない」
「それは分かっていますが、何らかの接触があったはずだと思うのです。その事実を掴めれば……もちろんただ掴むだけでなく、周囲が納得する証拠が必要ですが」
銀鷹傭兵団の関与、そしてその背後にはウェヌス王国がいると証言した人物は陰謀を進めていた側にいたはず。その人物こそが、最初に寝返った人物であるはずだとギルバート宰相は考えている。裏切りを決断するきっかけとなった何かがあったはずだと。
間違いではないが、考える方向はズレている。
「最初から決められていた可能性もある」
「……あえて国王は王弟に反乱を起こさせたということですか?」
「いや、そうじゃない。モンタナ王国を混乱させる目的で仕組まれた策略である可能性を私は考えている」
これは真実。銀鷹傭兵団の企みはモンタナ王国を混乱させて、介入する理由を作ることにある。これについては成功しているのだ。だがエドワード王は真実を語ろうとしているわけではない。
「国王の企みではないとお考えですか……モンタナ王国で動いている者たちはランカスター侯爵家の滅亡を分かっていない。そんなことあり得るのでしょうか?」
「さすがに知っているはずだね。そうであるのに銀鷹傭兵団は動きを止めていない。彼らを動かしている人物がいるのだろうね?」
それが自分であることをエドワード王はギルバート宰相に話すつもりはない。正直になることよりも、さらに騙すことを選んだのだ。
「それは……」
エドワード王が誰を考えているのかギルバート宰相にも分かった。だがそれを声にする気になれない。
「銀鷹傭兵団はもともと誰の者だったか。それを受け継ぐ資格がある人物は一人しかいない」
「……グレン殿が背後にいるとお考えですか?」
エドワード王にここまで示唆されてはギルバート宰相もグレンの名を出さざるを得ない。
「可能性は充分にある。これまでもグレンは、銀鷹傭兵団の謀略から国を守るという名目でその国で権力を得て、最後には王の座を奪っている。今回も同じことを企んでいるのではないかな?」
「モンタナ王国の内乱は我が国とエイトフォリウム帝国の代理戦争であると?」
グレンが陰謀の背後にいる。そう結論づければ、この先の戦いはグレン、彼が支配する国との戦いという位置づけになる。そうあって欲しくないギルバート宰相は、問いの形でエドワード王に返すことになった。
「……いよいよ牙をむいてきたということかな? そうであるなら、こちらも躊躇っていられない。そうじゃないかな?」
事態はもう戦いで決着をつける以外になくなっている。エドワード王はそう結論づけようとしている。間違ってはいない。エドワード王とグレンの決着は、そんな段階を迎えているのは事実だ。エドワード王の一方的な都合によるものであり、ウェヌス王国とグレン、エイトフォリウム帝国との関係とは異なるものに出来るとしても。
「戦争を決意されたということですか?」
エイトフォリウム帝国との開戦はギルバート宰相が決めることではない。臣下の間で議論はあっても、最後は国王であるエドワードが決定するべきことだ。
「……仕掛けてきたのは相手のほう。こちらはそれを受けるだけだよ」
「そうですか……承知しました。すぐに重臣会議を招集いたします」
会議を経て、正式にエイトフォリウム帝国との開戦が決まる。といっても国王であるエドワードが開戦を決めているのだから、重臣会議は形式的なものだ。ギルバート宰相としてはその前に、関係各所と話し合いを重ねて、開戦の形を決めておかなければならない。ゼクソン王国は同盟国。そのゼクソン王国に、建前としてどう対処するのか。ウェヌス王国が一方的に同盟を破棄した形にしない為にはどうするべきかなど、軍事とは異なる部分での調整が必要なのだ。
だがそれも結局は形だけのもの。開戦はすでに決まったのだ。おそらくは、大陸東部の覇権をかけたものになる戦いが。ウェヌス王国の存亡を賭けたものになるかもしれない戦いが。
ギルバート宰相は背負いきれない責任の重さに心が震えるのを感じていた。
◆◆◆
グレンは忙しく各地を行き来している。支配地域の守りの要である拠点二か所は押さえた。だがそれは比較的容易に落とせるであろう場所を選んだからこそ。第三勢力として国王と王弟に対抗するには、まだまだ勢力圏が狭すぎる。この先、さらに一歩も二歩も外に出ていかなければならない。それにはより堅牢な拠点の攻略を行う必要があり、なんとか奪い取ったあとも守り切るだけの軍勢が必要になる。数だけでなく質も高めなければならないのだ。
その役目は銀狼傭兵団が担っている。三百名の部隊を三つ編制し、それぞれの拠点に配置する。守備を担うだけでなく、義勇兵を鍛え上がることもその部隊の役目だ。グレン自身は残りの百を率いて、支配地域の中央に設置した義勇軍本部を含めた四か所を巡回。駐留部隊の練度、防御力を高める為の拠点の改修状況を確認。問題があればその対処を行うといった毎日を送っていた。
当然その間も軍事以外の物事は動いている。どこにいてもヤツやその部下たちが情報を届けて来るので、必要に応じてクリスティーナ王女の判断を仰ぎ、それが必要なければ自分の考えで指示を出していく。
グレンやヤツの組織にとっては何の苦にもならないこと。ルート帝国三国を飛び回っていた頃に比べれば、遥かに楽なのだ。
「お呼びだと伺って、戻ってまいりましたが?」
今日は義勇軍本部を訪れている。本来の予定とは異なっている。クリスティーナ王女から連絡を受けて、急遽やってきたのだ。
「忙しいところ申し訳ありません。グレン殿に是非会っていただきたい人物がおりまして」
「ラルクスタン男爵ですね?」
「ええ。彼です」
グレンを迎えたクリスティーナ王女のすぐ後ろにラルクスタン男爵は控えていた。
「ディーク・ラルクスタンです。よろしくお願いします」
「傭兵である私に敬語は不要です。自分を偽る仮面のつもりであれば、私がどうこう言うことではありませんが」
「……私のことを知っている?」
グレンの言い様は自分のことを知っているからこそ。ラルクスタン男爵としては、このような言われ方は不本意であるのだが、周囲にそんな風に思われている自覚はある。
「噂程度に。正直、誘いに応じられるとは思っていませんでした」
「思いあがっていると思われるのは嫌なのだけど、私だからこそ勧誘の使者を送ったのではないのだね?」
片田舎の小さな漁村にわざわざ使者を送ってきた。自分がいると知っていての行動ではないかとラルクスタン男爵は疑っていた。だが、グレンの言葉をそのまま受け取れば、そうではなかったということになる。
「王女殿下のご指示がなかったのであればそうです。恐らくはなかったと思いますが?」
クリスティーナ王女が勝手に指示を出すとは思えない。別の出しても良いのだが、今の彼女は独断で物事を動かすほどの自信を持てていないとグレンは思っている。
実際にグレン思っている通り、クリスティーナ王女は特別な指示は出していない。軽く頷くことでグレンにそれを示した。
「別に自分を特別扱いして欲しいというわけじゃない。私が暮らしているのは小さな漁村でね。そんなところまで勧誘の使者がまわっていることに驚いたのさ」
「ああ、回れるところは全て回ることになっています。お会いになった使者は忠実に任務を果たしているのだと思います」
「小さな漁村の領主でも味方として役に立つと考えているのかな?」
自分を味方に引き入れても個人としての力にしかならない。そういった小さな力を集めることは効率的とは言えないとラルクスタン男爵は考えている。
「肩書に関係なく、役に立っていただける方は大歓迎だと思います」
「数も必要だと思うけど?」
「必要最低限の数は。養えない数を無理に集めても人々は生活に苦しむだけ。王女殿下はこうお考えです」
人材を集めているのはクリスティーナ王女。グレンは彼女の考えとしてラルクスタン男爵の問いに答えた。
「そうだね……でも、それでモンタナ王国を奪い取ることが出来るのかな?」
「モンタナ王国を奪う、ですか……その必要がありますか?」
「問いの意味が分からないのだけど?」
「王女殿下はご自身が理想とする国を造ろうとしています。それがモンタナ王国である必要はないと思います」
クリスティーナ王女の国を造る。今のモンタナ王国がそうならないのであれば、別の国であっても良い。グレンはこう割り切っている。もちろん、現モンタナ王国の全ての民の為の国になれば良いとは思うが、それに拘るべきではないという考えだ。
「ゼクソン王国の後ろ盾があればそれも可能だと?」
「それはウェヌス王国の力を借りる王弟と何が違うのですか?」
「ゼクソン王国は、アシュラム王国もだけど、動かないということかな?」
ゼクソン王国の支配下に置かれることを否定する気持ちはラルクスタン男爵にはない。アシュラム王国のように自主を認められた上で、軍事的な庇護を受けられるのであれば、そのほうが良いと思っているくらいだ。
「勝ち目がないと思って、味方する気がなくなりましたか?」
「貴方は勝ち目がないとは思っていない」
「それは王女殿下と仕える人々の頑張り次第です。一応言っておきますと、綺麗ごとを語っているつもりはありません。味方はかなり不利な状況にあります。だからこそ信頼出来る人たちだけで味方を固めなければならない。そういった人々が自分たちのための戦いだという想いを強く持ち、勝つための努力を積み重ねなければ勝てないと考えているのです」
数は少なくとも全員が戦いを我が事と思い、努力を惜しまなければ勝利は得られる。それによって得られた勝利でなければ、良い国にならない。人の力で得た勝利は他人事。それで得たものを大切にしようという気持ちは薄れるとグレンは考えている。
「……つまり貴方は、私はそういった一人にはなれないと考えていた」
「すみません。貴方が王女殿下に仕える動機が思い浮かばなかったので」
クリスティーナ王女はラルクスタン男爵に自分が仕えるに値する人物と評価されるか。難しいとグレンは考えていた。クリスティーナ王女は才気あふれる人物ではない。人柄も正義感は強いが、今はまだそれだけだ。なにより内乱以前は表舞台に立ったことがない。評価が出来ない人物だったのだ。
「貴方は何故?」
グレンの言う通り、ラルクスタン男爵はクリスティーナ王女に積極的に仕えようという気持ちはない。彼女の陣営にはグレンがいることを知って、彼がどういう人物か、何故クリスティーナ王女に味方しているのかなど、興味を引かれてやってきたのだ。
「色々あった結果、クリスティーナ王女と思いが一致したからです。私にとってはモンタナ王国なんてどうでも良いのです。王女殿下を頼ってきた人々が安心して暮らせるような場所を作る。その手助けをしているだけです」
「人々が安心して暮らせる場所を作る為か……志としては立派だ」
かつて自分も似たような思いを持っていた。だが、形になることなくそれは失った。失わされた。
「人は志だけでは食べていけない。それでも志がある人生のほうが生きていて楽しいと思いませんか?」
「楽しいのかな?」
「さあ? 正直、志なんて考えたのは最近のことですので。ですが志を見失い、道に迷って死んでいった人を私は何人も見ています。ああいう死に方はしたくないとは思います」
銀鷹傭兵団の人たち。初めから全員が悪しき気持ちを持って、生きていたわけではない。世の中を変える。本気でそう思いながら、挫折し、違う道を選んだ人もいる。もっと早く、違う形で出会っていたら敵味方に別れて戦うことにはならなかったかもしれない人たちがいたのだ。
「道に迷ってか……」
自分も同じだとラルクスタン男爵は思った。志を諦め、隠居のような生活を送っていた。
「貴方の場合は道草を食っていた、ですか?」
「えっ?」
「戻りたかったのですよね? もしかしたら戻れるかもしれないと思って、ここに来た。そうであるなら王女殿下に味方してください。戻るというより、新たな道を作ることになりますけど、そのほうが辛くはあっても楽しいと思います」
ラルクスタン男爵について、ある程度は調べてある。彼に限った話ではなく、モンタナ王国の重要人物はヤツの組織が一通り調べ上げてあるのだ。役に立つ人物ではあるという評価だが、クリスティーナ王女の臣下として、彼女に限った話ではなく国王でも王弟でも同じだが、適正があるかとなると疑問符がつく。誘っても拒絶されるとグレンは考えていた。
だがこうして現れたのであれば、わざわざ手放す必要はない。
「それが出来るかな?」
「地位と報酬は期待しないでください。名だけの爵位であればいくらでも与えられますけど、そんなものは必要ないですよね?」
「遣り甲斐だけで働けと?」
「遣り甲斐を与えられる仕事が、現実にはどれだけあるでしょうか?」
求める仕事と与えられる仕事のギャップ。思い描いていた結果と現実の結果のギャップ。世の中には当たり前にあること。そうであることのほうが遥かに多い。
「……そうだね。破格の報酬かもしれないね」
「では報酬については条件は満たしたと。ちなみに王女殿下を一人前の王として育てるのも貴方の仕事です。支える組織を作るのも。今のところ内政担当は貴方一人ですから。人の上に立つとこれが結構、自分を押し殺す必要が出てきます。貴方自身の成長も必要になりますので、そのつもりで」
「それは……遣り甲斐がありそうだ」
大抜擢と表現するべきなのか。いきなりここまでの役割を与えられるとラルクスタン男爵は考えていなかった。国王となる人の教育係、内政の頂点という立場がどれほどのものなのか。国とは呼べない小さな組織であるので気負う必要はない。それは分かっていてもラルクスタン男爵は動揺してしまった。
「喜んで頂けて良かったです。丸投げでは申し訳ないので、何かあったら聞いてください。これでも貴方よりは経験があるはずですから」
「そうだろうね」
相手は国王。国の頂点に立っている人物だ。知識と経験において自分が勝っているなんて思いはラルクスタン男爵にも浮かばない。勧誘に応じたのは間違いではなかった。だが自分が考えていたものとは少し違っていた。
この先どうなるのか。読み切れないことがラルクスタン男爵は面白かった。