ランスロットにとって、この数ヶ月は何だか夢の中にいるような気分だった。事態が次々と変化して、何が何だか分からないまま時間だけが過ぎて行き、気がついた時には、グレートアレクサンドロス帝国を取り巻く環境は一変していた。グレートアレクサンドロス帝国にとって最悪な形に。
「状況を説明しろ」
苛立ちを隠せないままに、ランスロットはボルドー宰相に説明を求めた。
「……はい。襲撃を受けた製造工場は十三ヶ所。火器製造工場が五ヶ所。製鉄工場が八ヶ所になります」
「どうして、これだけの被害になるまで放置していたのだ!? そもそも何故、これまで報告がない!?」
西部にある工場が何者かの襲撃を受けた。この報告がランスロットに届いたのは、今日の事だった。
「襲撃の報告が届いておりませんでした。物資が届かないという報告を受けて、調査した結果、分かった次第です」
ボルドー宰相も事態を把握したのは、最近の事だった。それでも、ランスロットに報告を届けるのが、今日では遅すぎる。だが、報告の遅れよりもランスロットは、言い訳の中身の方が気になった。
「……それも大問題ではないか? 何故、そのような重要な情報が届かない? 我が国の情報網はどうなっているのだ!?」
工場への襲撃という、大事件の報告が届かない。他にも届いていない重要情報があるのではないかと、疑うのが当然だ。
「調べさせているのですが……」
「何も分からないのか?」
「いえ。諜報部に所属する間者の、かなりの数との連絡が途絶えていると、報告が上がっております」
「……何だと?」
ボルドー宰相の報告は、ランスロットが思っていた以上の大問題だった。
「情報網は何箇所も途切れている部分があります。現在は、諜報部の情報網に頼る事は諦め、通常の伝令の数を増やす事で対応しております」
「それでは分からん。諜報部に何が起こっているのだ?」
ボルドー宰相の回答は、ランスロットの疑問の答えにはなっていない。知りたいのは、何故、連絡が途絶えているかだ。
「……離反者が出ている可能性が」
「どうして、そのような事になる!?」
ボルドー宰相の説明では、ランスロットは全く何が起きているのか分からない。驚きの事実が、次々と口から出てくるだけで、その原因が、何も語られていないのだ。
「分かりません。実際に離反者が出たのかも、はっきりとは分かっていないのです。ただ、何人かの間者から、情報が歪められているや、届いていないなどの証言が上がっているようです」
「……では、いつであれば、はっきりするのだ?」
情報が歪められているという証言も又、大問題だ。得られた情報を疑わなければならないとなれば、重要な決断など出来るはずがない。
「今の段階では、具体的な時期は」
「それで、どうやって物事を判断すれば良いのだ!?」
「申し訳ございません!」
謝罪しか口にしないという事は、時間が掛かるのではなく、ボルドー宰相の頭の中には、解決策がないという事だ。
「ランスロット。そんなに怒らないで。諜報部が駄目な分は、他で補完すれば良いじゃない」
マリアがボルドー宰相のフォローに入ってきた。これでボルドー宰相が失脚なんて事になれば、自分の影響力が益々、低下してしまうことを恐れているのだ。
「他で補完というと、悪党どもを使うのか?」
マリアが諜報部の代わりに裏社会の人間を使いたがるのは、いつもの事だ。裏社会との繋がりは、帝国ではなくマリアのもの。成功すれば、マリア個人の功績になるというのが理由だ。
「そうよ。もう、その手配は出来ているわ。ねえ、ボルドー?」
やや、自慢気にボルドー宰相に問いかけるマリアだが。
「それが……」
ボルドー宰相の反応は、良いものではない。
「何かあったの?」
「……他の仕事が忙しいと断られました」
「何ですって!?」
マリアの表情が一瞬でキツイものに変わる。自分の思い通りに動かない事が、マリアは許せないのだ。
「この件だけではありません。南部での情報操作も断られました」
リオンに暗殺者を送った事で、急速に悪化している南部での帝国の評判。これへの対応もマリアは依頼していた。
「裏社会の悪党風情が何を考えているの? 私に逆らって、帝国で無事にいられると思っているのかしら?」
自国の皇后に睨まれては、タダでは済まない。あくまでも、普通であれば。
「……これは、推測なのですが」
怒り心頭のマリアに対して、ボルドー宰相は、おずおずと言葉を発した。
「何よ?」
「南部で暗殺の噂を広げているのは、彼らなのではないでしょうか?」
「えっ?」
「暗殺は人知れず行うから暗殺なのです。では、その情報はどうして、世の中に漏れたのでしょうか?」
「こちらを悪者にする為に、傭兵団が流したのではないの?」
暗殺を指示したのだ。実際に悪者であるのだが、これはお互い様というところだ。
「実際に広めている者は誰かという話です。ヴィンセント党? 奴らの組織は、南部全体に噂を広められるほど大きいのでしょうか?」
「依頼を受けて、彼らがやっていると言うの?」
「その可能性は否定出来ません」
根本的なところを間違っている推測なのだが、事実を知らない段階では正しく聞こえる。マリアは、この推測が事実だと受け取っている。
「……フザケてるわね。私に歯向かう組織なんて、叩き潰してしまいなさい」
「彼らの実体は未だに掴めておりません。アジトが何処にあるかも分からないのです」
「悪党の居場所なんて、どうせ貧民街でしょ?」
「そう思って、調査の為に人を送りましたが、それらしき存在は見つかりません。ただ以前は、確かに貧民街を牛耳る組織があったそうです」
今もある。ただ、規模がかなり小さくなっている上に、表の顔に姿を変えているので、存在を知られていないだけだ。
「じゃあ、それがどこかに移ったのね。その組織の行方を追いなさいよ」
「……その組織の長は、どうやら、フレイという名だそうです」
ボルドー宰相は、マリアの言葉を無視して、もっとも重要な情報を口にした。ようやくグレートアレクサンドロス帝国は、この情報を掴んだ。掴まれても構わない状況に、レジスト側がなったという事だ。
「だから何よ?」
「分からないのですか? フレイはグランフラム王国の第二王子、つまり、リオン・フレイの本名です」
「えっ……」
マリアの顔が見る見るうちに青ざめていく。ようやくマリアにも、ボルドー宰相が何を言いたいのか分かったのだ。
「……つまり、こちらが便利使いしていた組織は、リオンの組織だったと言いたいのか?」
動揺で固まってしまったマリアに代わって、ランスロットが口を開いた。
「貧民街は彼の育った場所です。その可能性は高く、そして、今もそうなのだと、私は考えております」
「……本気で言っているのか?」
組織は、アクスミア家の簒奪とグレートアレクサンドロスの建国、その後のグレートアレクサンドロス帝国の拡張にも大いに役立っている。だからこそ、得体の知れない組織であっても、使い続けてきたのだ。
それがリオンの組織であるならば、リオンがグランフラム王国の崩壊に加担していた事になる。
「状況はそれが事実であると示しております。そしてその場合、リオン・フレイの暗殺は失敗どころか、試みられてもいないでしょう」
「……製造工場を襲った者の中に、リオンの姿はあったのか?」
「いえ、その報告はありません」
だからといって、無かったとは断定出来ない。届いている情報は信用出来ない情報なのだ。
「南部は? 不思議の国傭兵団は何をしている?」
「南部で我が国の軍と戦っているのは、オクス王国とハシウ王国の軍です。これは、確認が取れております」
では不思議の国傭兵団はどこに行ったのかという事になる。リオンを失って解散した。こんな楽観的に考える事は出来ない。
「一体、何をどこまで信じれば良いのだ?」
足元がガラガラと崩れていくような感覚が、ランスロットを襲っている。グレートアレクサンドロス帝国建国は、一体、誰の功績なのか。誰が、何のためにグランフラム王国を崩壊させたのか分からなくなっていた。
「最悪を考えた場合。我が国はかなり厳しい状況に置かれている事になります。組織は、我らが行った悪事のかなりの部分を知っております。これを暴露された場合、一等国民の中にも、不審を覚える者が出てくるかもしれません」
そして、その悪事の中には、ランスロットが知らない事実もある。これを話すボルドー宰相は、かなりの覚悟を決めている。このままでは、どちらにしろ、無事では済まないと考えた結果だ。
「北部への影響は?」
「人質としていた者のうち、かなりの数をその組織に売り払っております。その中には当然、北部に領地を与えた貴族の家族もおります」
「……グランフラム王国に残っている貴族は?」
未だに面従腹背の貴族が、グランフラム王国にはいる。情報収集と、いざという時の切り札とするために、裏切らせずに残しておいたのだ。
「恐らくは含まれているかと」
「何を考えているのだ!? 大事な人質ではないか!?」
人質とした令嬢などに、いかがわしい仕事をさせていた事はランスロットも知っている。だが、組織に売り払ったのはマリアの独断だった。気に入らない相手が、泣いて許しを請う姿を見るのが楽しかった。きっかけは、そんな下らない理由からだ。
「……申し訳ございません」
「……北部の貴族家がグランフラム王国につく可能性は、どれくらいだ?」
怒鳴っても何の解決にもならない。しかもボルドー宰相の反応から、どうやら人質の件は、マリアの仕業だとランスロットは分かってしまった。
「全てが寝返るとは思えません。どれだけかは結局、我が国とグランフラム王国のどちらが勝つと思うかだと考えます」
人質を取られているからといって、滅びる側に付くはずがない。家名を残すために、人質を切り捨てる貴族家の方が多いはずだ。
人質を取られているは、裏切りの言い訳として利用されていたのだ。
「グランフラム王国に勝てば良いだけか。そのグランフラム王国軍は、どうしている?」
グランフラム王国軍は、帝都の手前で行軍を止めていた。リオン暗殺の話を聞いて、混乱しているのだと思っていたが、今はそれが間違いだと分かる。
「最新の報告では、陣地の構築を行っているという事です」
「陣地だと?」
「キオスの街を本陣として、その周辺に柵など組んでおります。かなりの勢いで作業が進んでいるという事で、かなり以前から準備をしていたのではないかと」
「……誘いか?」
拠点戦であれば、グレートアレクサンドロス帝国に分がある。砲撃だけで、かなりの被害を与えられるはずだ。
「恐らくは。かなり広い範囲で、陣地を構築しているようです。まだ、分析は終えておりませんが、砲撃による、キオスへの直接攻撃は、難しいのではないかという意見が出ております」
「そうか……」
拠点攻防戦と思わせての、野戦への誘い。そうであれば、安易に出撃する訳にはいかない。
「分析結果が出次第、ご報告致しますので、それまで出陣の決断は、お待ち頂ければ」
「分かっている。ボールス、帝国騎士団の状態は?」
ここでランスロットは、問いをボールス・マルス帝国騎士団長に向けた。
「はっ。帝国騎士団の増員は、目標数には届いておりません。現時点で総数五千。但し、実戦に投入出来るのは半分と考えます」
「……ライオネル、帝国兵団は?」
続けて、帝国上将軍から帝国兵団長となったライオネル。
「選別した兵士は一万。使い物になるのは、やはり半分です。但し、残りの五千も、調練経験は有りますので、並の実力は持っております」
ライオネル兵団長の答えには、嫌味が込められている。帝国兵団では半人前でも、国軍兵士よりはマシだと言っているのだ。
「グランフラム王国本軍の編成は?」
「近衛騎士団五千。この中には、バンドゥ領軍の二千が含まれております。近衛騎士兵団が一万五千で、騎馬隊が三千、残りは歩兵部隊です」
「五千か……」
ランスロットが呟いた数は、アーノルドが直率するであろう近衛騎士団の数だ。正面決戦でアーノルドを討ち取る。これを考えたのだが、自軍の数が少なすぎる。
「騎士団の調練を急げ。グランフラム王国との戦いまでに、何とか鍛え上げるのだ」
かなり厳しい要求だとは分かっている。それでもランスロットは、ボールス騎士団長に要求しないではいられなかった。
「……はっ。ただ、一つ問題と言いますか、懸念が」
「無理を言っているのは分かっている。だが、やらないでいるよりはマシだ」
「いえ、鍛錬の事ではありません」
「……では、何だ?」
ボールス騎士団長が意見を述べるなど、珍しい事だ。その意外さが、ランスロットを不安にさせる。
「我が国のグランフラム王国に対する戦略は、帝都に敵を引き寄せ、撃退するという方針です。これを考え直すべきではないでしょうか?」
「……その理由は?」
「ボルドー宰相にお聞きしたい。南部の敵の総数をどれくらいですか?」
理由を問われたボールス騎士団長は、ボルドー宰相に問いを向けた。
「……確認出来ている範囲では、オクス、ハシウ、それぞれ五千。合計一万です」
急に質問を向けられた事に、少し戸惑いながらもボルドー宰相は答えを返した。
「そうですか……グランフラム王国は北部に貴族家軍を送ったはずです。その数は?」
「一万を超えるくらいかと」
これは北部に送られた時の数で、今現在、どうなっているかは分かっていない。
「南北で、それぞれ一万の敵軍が動いているわけです。それに対して、国軍の配置は?」
「……行政府軍が各五千。中央に三万が居ます。更にメリカ国境に三万、副都キヨトに一万が配置されています」
解り切った事を聞いてくるボールス騎士団長に、ボルドー宰相は、訝しげな眼差しを向けながらも、答えた。
「つまり、帝都決戦に拘っている間は、実に七万の軍勢が身動き出来ないでいるわけです」
「なっ?」
「違いますか?」
「そうかもしれませんが、行政府軍三万五千がグランフラム王国軍と……」
反論しようとしたボルドー宰相だったが、途中で、ボールス騎士団長が何を言いたいのか分かって、黙ってしまった。
「どういう事だ?」
会話が途切れたところで、ランスロットが問い掛けてきた。
「行政府軍は、自らが所属する行政区の防衛を図ろうとします。結果、グランフラム王国としては、五千の行政府軍を順番に打ち破っていけば良いわけです」
これでは、わざわざ各個撃破される為に、軍を配置しているようなものだ。
「……そんな馬鹿な」
「北部は二倍の兵力差があっても平気かもしれません。しかし南部は、しかも不思議の国傭兵団が加わっていれば、易易と打ち破られる事になる可能性が高くなります」
「何故だ? どうして、この様な事になる?」
中央にある帝都を押さえ、そこを鉄壁な防御拠点にすれば、それで戦略上の隙はなくなるはずだった。だが今の話では、隙がないどころか、その真逆になっている。
「まず野戦を恐れて、それを避けようとした事。これによって戦術の幅が狭まっただけでなく、軍全体の運用に齟齬が生じております。元々、行政府軍は治安維持、防衛の為の軍であり、敵の迎撃は中央軍を派遣する運用だったはずです」
その中央軍が野戦を恐れて、帝都に篭ったまま動かない。これでは敵に、一方的に攻められるままだ。
「第二に、敵の戦力を誤認していた事。当初、南部の敵軍は傭兵団二千だけだったはず。それが気付いた時には、オクス王国とハシウ王国に入れ替わり、しかも総勢一万の軍勢になっている。果たして今現在、南部はどのような戦況になっているのでしょう?」
すでにいくつかの行政府軍は打ち破られているかもしれない。そうでなくても、かなりの領地が敵の支配下に置かれてしまったかもしれない。
この状況が分かるのは恐らく、又、数週間後か、下手すれば一月以上先になるだろう。
「もし、この状況が一年も続くような事態になった場合、帝国の領地はどれだけ残っておりますでしょうか? そうなった場合、どれだけ堅牢な帝都であっても、それを守り切る事は出来ません」
敵の侵入を一切許さない堅牢な城であっても、食料が尽きれば、それで終わりだ。帝都には、かなりの蓄えがあるが、それだっていつかは尽きる。帝都の食料は、他の地域での収穫に頼っているのだ。
これは行政府も同じ。行政府がある拠点を頑張って守っていても、それ以外の領地を奪われては成り立たなくなる。北部のグランフラム王国貴族軍が、この方法を採っている事をグレートアレクサンドロス帝国はまだ知らない。
「……あの男の頭の中は、どうなっているのだ?」
ランスロットの口から、呟きが漏れる。
グレートアレクサンドロス帝国が野戦を恐れるようになった、きっかけは、カマークでの戦いだ。たった二人で万の軍勢を崩壊させたリオンの力を恐れ、野戦では勝てないと思い込んだのだ。
たった二人で戦うという無茶は、野戦に対する恐れを植え付ける為だったのではないか。こんな風にランスロットは思ってしまった。
「戦略の転換が必要です。そうしなければ帝国は……」
さすがに最後の言葉は、ボールス騎士団長は口に出来なかった。口にしなくても、この場にいる誰もが何を言いたいかは分かった。帝国は滅びる、ボールス騎士団長が躊躇った言葉はこれだ。
「……不思議の国傭兵団の行方を何としても探しだせ。一月以内に探し出せない場合は……北部と南部は放棄する。行政府軍、それと国境軍も出来る限り、帝都に呼び集めろ。全軍をグランフラム王国本軍との決戦に投入する」
「……はっ!」
ボールス騎士団長が思っていた以上に、大胆な方針変更。これをランスロットは決断した。
グランフラム王国との戦いに勝つ。これしかないのだ。勝ってさえしまえば、放棄した土地は、いつでも取り戻す事が出来るという判断だ。
最終決戦の時が近づいている。これまでとは違い、グレートアレクサンドロス帝国側も全てを賭けた、本当の決戦の時だ。