月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

悪役令嬢に恋をして 第113話 変わらない者、変わった者、変わってしまった者

異世界ファンタジー 悪役令嬢に恋をして

 グランフラム王国と不思議の国傭兵団の二度目の軍議。今回、不思議の国傭兵団からは、リオンとアリスだけが出席している。
 軍議といっても、まず最初に話し合われるのは報酬などの条件。グランフラム王国と不思議の国傭兵団の契約は、まだ結ばれていないのだ。

「報酬の件ですが、バンドゥの南の山岳地帯を超えた平地。南端は、サカミ川ではなく、その先のミクリ川としたい」

 報酬の条件を告げてきたのはセイド宰相だ。リオンに対する態度は、以前のそれと変わらない雰囲気になっている。会うのも二度目となって落ち着いた、というだけでなく、何か思惑があるのが透けて見えている。

「バンドゥは含まれない?」

 変えてきたのは態度だけでなく、報酬条件も。セイド宰相の説明には、バンドゥ領についての言及がなかった。

「南の平野部はバンドゥよりも豊かな土地。こちらとしては、良い条件に変えたつもりですが?」

 南の境界を支流のミクリ川までとした分、広くなっている。確かに、土地だけでいえば、条件は良い。あくまでも、土地だけでいえばだ。

「一つ疑問が。その地は全てグレートアレクサンドロス帝国領。報酬とするからには当然、グランフラム王国で奪回するのだな?」

 豊かさの議論は置いておいて、リオンは先に、この疑問をぶつけた。こちらの方が重要な問題だからだ。

「それなのだが、今言った領土の奪回は、そちらに任せたい。その代わり、王都奪回は我が国が主体で行う」

「……それであれば、我々を雇う必要はないのでは?」

 セイド宰相の考えが読めてきた。ため息をつきたくなる思いを堪えて、リオンは質問を続けた。

「アレクサンドロス軍を少しでも王都から引き離したい。南部の作戦は、その為のものだ」

 王都奪回にあたっての、陽動作戦をグランフラム王国は考えている。その陽動作戦に、不思議の国傭兵団を使いたいのだ。

「もう一度、確認する。我々は帝都での戦いに参加しなくて良いのだな?」

「その通り」

「……良いだろう」

 リオンの了承の言葉とともに、周囲に安堵の雰囲気が流れる。リオンが反発する事を恐れていたのだ。恐れるくらいなら、怒らせるような事をしなければ良いのだが、こういう考えは生まれないらしい。

「但し、約束通り、作戦計画は教えてもらう。失敗されては、陽動に出ている側が危険だからな」

「分かった。では、マーカス騎士兵団長」

 作戦計画の説明は、王国騎士兵団長であるマーカスからだ。セイド宰相に呼ばれて、マーカス騎士兵団長は立ち上がった。

「王都奪回の作戦計画について、概要を説明する。言うまでもないが、これは最高機密事項なので、くれぐれも、この場以外で話をしないように」

 これはリオンたちに向けての話だ。リオンとアリス以外で、この場に居るのは、グランフラム王国の重臣ばかり。作戦計画は、この面子で検討されたはずなので、すでに知っているはずだ。

「アレクサンドロス軍は王都まで後退する模様だ。結果、王都に辿り着く前に戦闘となる可能性は低い」

「途中の街は放置するのか?」

 帝都までにはいくつもの街がある。戦闘をしないという事は、それを放置する事になる。これがリオンには納得出来ない。

「攻め取っても、守りの兵を置く余裕がない。そうであれば,無視するのが一番だ」

「……貴族家軍は?」

「信用ならない」

「仮にそうだとして、放置するのと何が違う?」

 貴族が裏切っても、その街が帝国のものに戻るだけ。放置したままと、何ら状況は変わらないと、リオンは考えている。

「拠点を攻め落とすには時間がかかる。それはアレクサンドロスを有利にするだけだ」

 今回の戦いで、帝国は多くの銃や大砲を無にした。だが、それも、時間が経てば回復する。グランフラム王国は、その回復の時間を与えたくない。これはリオンにも分からなくはないのだが。

「だから、貴族家に任せておけば良いとは、思わないのか?」

 リオンが貴族家に拘るのは、グランフラム王国があまりに貴族家を軽視しているように思えるからだ。リオンは、貴族家に攻めさせて、見事攻め落としたなら、そのまま報奨として与えれば良いと思っている。それが忠誠に繋がり、信頼を生む。今のままでは、貴族家の裏切りを助長しているように思える。

「帝都を落とせば、途中の街は自然に靡く」

 確かにそうなる可能性は高い。元々、東部は小貴族ばかりで、街の規模は小さい。単独では、抗え続けられる防御力はないのだ。帝都が、グランフラム王国に復帰すれば、バンドゥとの間の街は、グランフラム王国に従うしかない。だが、そんな理由で従うようになった者こそ信用出来ない。情勢が変われば、又、帝国に靡くだろう。

「……先を聞こう」

 全く納得していないが、リオンは先を促した。グランフラム王国が結果を急いでいるという事だけは分かった。帝都まで、一つ一つ確実に街を落として、勢力範囲を広げていくという考えがないのだ。
 これがリオンには理解できない。帝都を急襲するのは賛成だが、それが失敗した場合の事を考えていない王国に、疑問を感じている。

「帝都の攻略作戦だが、別働隊による奇襲を考えている」

 これだけでは、作戦の内容を何も語っていない。あえて、マーカス騎士兵団長が、ここで言葉を切ったのは、リオンの反応を確かめる為だ。

「……失敗した場合の次策は?」

「なっ?」

 リオンは詳細を聞くこともなく、次の策を尋ねた。マーカス騎士兵団長が望んでいた反応ではない。それどころか、予想外の反応だった。

「失敗の可能性は高い。当然、次の策も考えてあるはずだ」

「……何故、中身も聞かずに、失敗すると思うのだ?」

 当然、マーカス騎士兵団長は納得出来ない。リオンに発言の理由を聞いてきた。

「自信があるという事は、地下からの奇襲ではなかったのか? それであれば申し訳ない。作戦の中身を教えてくれ」

「……地下からの奇襲だ。これのどこに問題があるというのだ?」

 リオンの言い方では失敗の可能性が高いどころか、必ず失敗すると言っているようなものだ。マーカス騎士兵団長は、馬鹿にされているような気持ちになってきた。

「本気で聞いているのか? では、こちらから質問だ。地下は魔人のアジトだった地下だな? その存在を知っている者は誰だ?」

「王国でも、ごく限られた者だけだ」

「……惚けているのか? その中には、帝国の皇帝と皇后も居るはずだ。どうして、彼らが、地下からの襲撃に備えていないと考えられる?」

「備えがあったとしても、地下では大砲は使えない。それだけで、我軍にとっては大きい」

「大砲がなければ勝てると?」

「そうだ」

「……なるほど」

 リオンは腕を組んで、目を閉じた。何事かを考え始めたのだと、周囲の者は思ったが、何を考えているかまでは分からない。分かるはずがない。分かる者が、この場にいるとすれば、たった一人だ。

「だから言ったでしょ? バッドエンディングになった時点で、グランフラム王国は終わっているの。そんな国を無理に残そうとする考えに無理があるのよ」

 ずっと黙っていたアリスが口を開いた。グランフラム王国の者たちにとっては、暴言と言って良い内容だ。周囲の者たちが、文句を言おうと口を開きかけたところで、先にリオンが言葉を発した。

「……立場が人を成長させる事もあれば、立場が人を駄目にする事もあるか」

 フォルスはカマークを任された事で、大きく成長した。だが、それとは正反対の者もいる。

「人が変わろうと国の意識は変わっていないの。大陸全体を見ても、下から数えた方が早いくらいの小国のくせに、意識だけは大国。まだ始まってもいないのに、もう勝った気分で先を考えてる。これも同じ」

 アリスの辛辣な台詞は、まだ続く。ずっと怒りを我慢していたのだ。それが言葉を発した事で、止まらなくなっていた。
 グランフラム王国の考えは明らかだ。リオンの帰還を喜んでいたくせに、気持ちが落ち着くと、欲が出たのだ。グランフラム王国を復興させるのは、若く優秀な新国王でなくてはならない。グランフラム王国の復興後を考えると、リオンに力を持たせてはならない。
 こんな考えが、リオンにバンドゥを、王都奪回という名誉を渡すことを拒ませた。まだ、何も始まっていないというのに。
 アリスにしてみれば、これ程、馬鹿馬鹿しい事はない。今のグランフラム王国の考えは、世界であった頃のアリスが散々に利用した悪意だ。それが今も消えていないという事実が、アリスを怒らせている。

「今回の件はなかった事にしてもらおう」

「何だと?」

「条件が合わない以上は、貴国の依頼は受けられない。契約は不成立だ」

 リオンは怒っているというより、呆れている。それも自分に対してだ。考えてみれば、この場に居る者たちのほとんどが、自分の存在を邪魔と考えていた事を思い出したのだ。結局、それは今も変わっていなかった。

「……本気で言っているのか?」

「当たり前だ。我々は、気に入らない仕事はしない。ずっとそうしてきた。今回もそうだという事だ」

 リオンにとって、契約に関する決め事は、個人の都合よりも優先する。傭兵の仕事をしているのは、リオンだけではない。誠実な仕事、誠実な契約は、傭兵という職業を、世の中に確立させる為の意味もあるのだ。

「依頼を断って、この先、どうするつもりだ?」

「それを教える必要はない。ここで聞いた話は、決して広言しない。守秘義務の順守も又、我が傭兵団が、顧客から信頼されている点だ。安心してもらおう」

「駆け引きにはのらない」

「駆け引きも何もない。もう契約は破談となったのだ。我々はこれで失礼させてもらう」

 こう言ってリオンは席を立つと、会議室の出口に向かって歩き始めた。止める者は居ない。グランフラム王国の者たちは、まだ勘違いしていた。今もまだ、駆け引きの時間なのだと。
 そう思わせているのは、アリスがこの場に残ったままだからだ。そしてアリスは、そう思わせる為に会議室に残っている。

「言いたいことがあるなら聞こう」

「…………」

 ずっと黙ったままのアリスに、セイド宰相が声を掛けた。だがアリスは、それには何も答えようとしない。

「残っているという事は、まだ話があるのではないのか?」

「…………」

 やはりアリスは答えない。黙ったまま、何かを探るような素振りを見せている。

「何とか言ったらどうだ?」

「うるさい」

 ようやく言葉を発したアリスだが、それはセイド宰相が思いもよらない言葉だった。

「うるさい?」

「何も話すことなんてないもん」

「……では、どうして、この場に残っている?」

「うるさいからリオンの気配が探れないじゃない。もう良い。私も帰ろうっと」

 椅子から飛び降りるようにして立ち上がって、アリスも出口に向かう。周囲の者には、何だったのか分からない。分かっているのは、リオンたちが、どこに行こうとしているのか分かっていないという事だ。

「……どこに帰る?」

「ん? 多分、東方」

「東方というのは?」

 まだ分かっていない。リオンが愛想を尽かすのも当然だ。

「東方諸国連合に決まってるでしょ? じゃあね、もう二度と会わない事を願ってる」

「ちょっと待て! 本気で言っているのか?」

 セイド宰相は、ようやく、自分たちの考えが間違っているのではないかと、思い始めた。

「……ほんと、君たちには呆れる。私が、君たちの依頼を断りたかったの分かっていなかったの? 分かっていれば、私がどうして残ったかも分かるはずなのに」

「……引き止めるのを邪魔する為に?」

 今もまだ依頼をご破産にしようとしているとすれば、こういう答えになる。グランフラム王国の交渉相手は、リオンしかいない。そのリオンは、この場を去って行こうとしているのだ。

「馬鹿ね、依頼交渉で、私たちは無駄な駆け引きなんてしない。こちらの誠意を見せた上で、相手が信頼出来るか出来ないか、見極めるだけなの。その試験に見事に君たちは落ちてくれた。くっだらない駆け引きを仕掛けるという愚かさによってね」

「……馬鹿な」

 恐ろしい策謀家。グランフラム王国の者たちのリオンに対する印象だ。確かにそうであるが、リオンが策謀家の顔を見せるのは敵に対してだ。依頼主に対しては、相手が裏切らない限り、誠実でいる事をリオンは心掛けている。それは相手がグランフラム王国でも同じだ。

「誠意に悪意で返した君たちの依頼を、不思議の国傭兵団は受けない。そういう決まりなの。こうなると思っていたけど、ほんと、思い通りに動きすぎて、逆に苛々した」

「……もう一度、交渉を」

「ええっ? この状況でそれが言えるって凄くない? その厚かましさに免じてと言いたいところだけど、こればっかりはねえ、どうしよっかなあ?」

 セイド宰相に向かって、考える素振りを見せるアリス。そんなつもりがあるはがない。

「セイド! それも時間稼ぎだ! 誰でも良い! 早くリオンの後を追え! それと城門を閉じろ! 緊急警報を鳴らしても構わない!」

「えっ? あっ、はい!」

 アリスの演技を見抜いたのは、アーノルドだった。少し遅きに失した感があるが、指示した対応は、大胆で的確なものだ。

「……ちぇっ、ばれちゃった」

「一つ、聞きたい」

「何?」

「断った理由は、こちらの駆け引きのせいだけか?」

 そうではないと分かっていての、アーノルドの質問だ。リオンは作戦内容の説明を求めたし、アリスが、グランフラム王国を否定する言葉を吐いたのは、作戦内容を聞いた後だ。駆け引きが理由であれば、もっと早く反応があったはずだった。

「違うよ。負け戦を勝ち戦に変えるのが私たちの仕事であって、負け戦に巻き込まれるのは仕事じゃないからね? 君は失敗が明らかな作戦を立てて、それを指摘されても修正する気のない味方と一緒に戦う気になる?」

「ならないが、そんなに酷い作戦だったか? 完璧とは言わないが、大砲を防ぐには有効だ」

「彼の言葉を聞いていなかったの? それが駄目なの。王になる前の君は、完璧とは思えない作戦で満足するような人だったの?」

「……俺の事だったのか」

 アリスの言葉を聞いて、初めてアーノルドは、立場が人を駄目にするというリオンの言葉が、自分を指していたのだと分かった。

「それも気づいていなかったなんて重症。そんな君に、作戦の問題というより、守る側の対応を教えてあげる」

「ああ、敵はどういう対応を取る?」

「あの女だったら、平気で大砲使うと思う。砲弾でも爆弾でも兵士に持たせて、突撃ってほうが有りかな? 自軍の兵士がそれで一緒に生き埋めになろうと、気にする性格じゃないもの」

「……そうだな」

 これまでの戦いを考えれば十分にありえる作戦だ。そもそも、敵が地下からの奇襲に備えていると、どうして考えられなかったのか。

「敵を下に見るのも、いい加減にしたら? 何度負けていると思っているの? 敵はあの馬鹿女ではなく、グレートアレクサンドロス帝国なの。帝国が全員馬鹿なはずないでしょ?」

 アリスの指摘は、必ずしも全て正しい訳ではないが、マリアを舐めているのは確かだ。卑怯な手を使ってくるから負けた。どこかでそんな言い訳をしていた事に、アーノルドは気が付いた。

「まだ間に合うかな?」

 緊急警報が鳴り始めている。カマークはすぐに非常事態体勢になって、外に出る事など出来なくなるはずだ。ただ、リオンもそうであるか、アーノルドには自信がない。

「報酬条件次第かな? それ次第で考えてあげる」

「例えば?」

「側室の離縁。親権は母親に。もう一人の母親代わりも一緒じゃないと寂しいね。当然、それに仕える者も」

「……それがリオンの条件か」

 分かりにくい言い方だが、要は、シャルロットとエアリエル母娘、それにソルたちを指している。この条件はもう、記憶喪失が嘘である事を認めているも同じだ。こうアーノルドは思ったのだが。

「リオンって誰? 今のは私の条件。私、女友達が欲しいの。彼女たちとは気が合うと思って、それに子供も欲しいし、面倒を見る者も必要だし」

 アリスは、まだ惚け続けている。

「……本気で言っているのか?」

「そればっかり。もちろん、本気、彼女たちも喜んでくれると思うな」

「そうか……」

 つまり、すでにエアリエルたちとは話がついているという事だ。おかしな話ではない。エアリエルがリオンの下に行こうとするのは当然だ。ただ、シャルロットもというのは、アーノルドにとっては、少しショックではある。

「返事は? 時間がないのは、そっちだと思うけど?」

「……分かった。その条件は飲む。但し」

「但し?」

「……いや、いい」

 条件交渉をしている時間はない。シャルロットの件はまた別の機会で話すことにした。なによりもまずシャルロットの気持ちを確かめなければならないのだ。

「じゃあ、追いかけてあげる。どこまで行っちゃったかな? なんて言っている時間もないか」

 本気で焦っている様子を見せて、アリスは会議室を飛び出していった。それは、緊急警報による閉鎖くらいでは、リオンが去っていくのを止められない事を示している。

「……結局、又、リオンに頼るのか。俺は、何をしてきたのだろうな?」

 アーノルドには、こんな思いもあった。困った時のリオン頼み。これでは、父である先王と変わらない。自分は、そのやり方を批判していたはずだったのに。

「まずは、国の復興を優先すべきです。その為であれば、使えるものは何でも使うくらいのお覚悟を」

 セイド宰相は、アーノルドを慰めているつもりなのだろうが、国の復興を優先するなら、リオンとの駆け引きなど不要な事だ。リオンのやりたいようにやらせれば良い。

「使えるもの……」

 そんな考えではリオンと上手くやれるはずがない。そう思っていてもアーノルドはそれを口に出来なかった。
 国王となったものの、アーノルドには何の力もない。臣下を繋ぎ止める為に差し出すものが何もないのだ。頼るのは、ただ忠誠心のみ。それで偉そうなことは言えなかった。

 

◇◇◇

 城を出ようとしていたリオンだったが、思わぬ人物に、足止めをされていた。母である前王妃が、いきなり目の前に現れたのだ。
 当然、リオンは予定通りに、記憶喪失で押し通そとしている。だが、それが前王妃には通じない。

「なぜ、そのような嘘をつくのです?」

 嘘である事を察しながら、あえて、それに触れないという駆け引きも、前王妃はしてくれない。ただ、自分の感情のままに、リオンを問い詰めてくる。

「何故と聞かれても、事実だとしか答えようがありません。私は、流れ者の傭兵であって、フレイなどという名でもありません」

「……母である私が、自分の子供を見間違うと思っているのですか?」

「それは私にとって、重要ではありません。私には貴女が母であるとは思えない。その私に息子として振る舞えと言われても、それは無理というものです」

 相手がどうであろうと、自分の記憶がない以上は、関係ない。リオンはとにかく、これを主張し続けるしかない。

「貴方に記憶があろうとなかろうと、私が母である事に変わりはありません」

「……それは、そちらの一方的な言い分です」

 リオンの気持ちの中で、苛立ちが徐々に、怒りに変わってくる。

「貴方を産んだの私なのですよ?」

「……産んだというだけで、ずっと母親でいられるものなのでしょうか?」

 前王妃の言葉は、リオンの怒りを更に刺激する事になった。

「何を言っているの? 親子関係は、永遠に変わらないわ」

「……私はこう思います。仮に、私に記憶があったとしても、やはり、貴方が母であるとは思えないのではないかと」

「……どういう事?」

 他人の話をしているような言い方だが、リオン本人の思いを語っていると、すぐに分かる。前王妃にとっては、納得出来ない言葉だ。

「もし母の記憶があるとすれば、それは、貧民街なんて危険な場所で娼婦までして、自分を育ててくれた女性の事だと思います」

「えっ?」

 リオンを育ててくれた女性が誰であるかは分かっていない。だがその女性が、ある日ふらっと、まだ赤ん坊のリオンを連れて貧民街にやってきたと、事情を知っていた貧民街の住人から聞いている。その女性が娼婦をして、生活していた事もだ。

「物心がついて間もなく、その女性は亡くなってしまったので、ほとんど記憶はありません。だから自分の境遇を嘆くだけで、その女性の事を考える事はなかった。でもここ数年は時間に余裕が出来て、色々考えているうちに、ようやく、こう思えるようになりました」

 その女性はか弱く、大人しい人だった。案の定、貧民街の暮らしに耐えられずに体を壊して、亡くなってしまった。その後、一人で貧民街で生きる事になったリオンは、女性の死をずっと恨んでいたものだ。
 だが自分の素性を知り、自分が捨てられた事情を知った後で女性の事を考えた時、自分の愚かさを恥じた。女性は自分が産んだわけでもないリオンを、自分の命を削って守ろうとしていたのだと、分かったのだ。

「貧民街を選んだのは、オッドアイである俺を世間の目から隠すため。そして、俺を育てる為に娼婦になった。俺の為に全てを、自分の命さえ、犠牲にしてくれた母に比べて、貴女は何をしましたか?」

 ずっと触れないでおこうと思っていた事実を、リオンは問いかけた。前王妃が決して答える事が出来ない問いだ。これを聞くことは、自分の意思をはっきりと示す事になる。
 自らの保身の為に自分を捨てた母親を、リオンは許していない。許すつもりもない。

「…………」

 がっくりと肩を落として前王妃は、力ない足取りで、その場から離れていく。その背中を見ても、リオンの心に憐憫の情は浮かばなかった。

「終わらせたんだ」

 不意に聞こえてきた声は、アリスのものだ。リオンが引き止められていたおかげで、城内で追いつけたのだ。

「いつかは、はっきりとさせなければいけなかった。それが今日だったって事だ」

「そう」

「そういえば、今まで何してた?」

「交渉。人質は取り戻したから。私のおかげね?」

「それが、エアリエルたちの事なら、いつでも連れ出せるだろ?」

 カマークからエアリエルたちを連れ出すことなど、いつでも出来る。それも、グランフラム王国に気づかれる恐れもなく。カマークの城や街には、グランフラム王国が知らない抜け道がいくつもあるのだ。

「……堂々と会えるでしょ?」

 リオンから、感謝の言葉がないので、アリスは不満顔だ。

「それはそうだけど、その代償に何を求められた?」

 リオンは、アリスがとんでもない事を約束したのではないかと疑っている。

「それは作戦への参加、だけど、交渉の余地は十分にあると思う」

「それが本当だったら、確かにお手柄だな。交渉はすぐに?」

「そう。だから戻って」

 どうしても、グランフラム王国の依頼を受けたい訳ではない。だが、目的を果たす為には、協力関係が無いよりは、有った方が良い。
 使えるものが何でも使う。これがリオンのモットーだ。