街の中央広場に、多くの住人たちが集まっていた。普段はない柵の周囲に集まった住人たちは、不安気な表情で、中央に設けられた処刑台を見つめている。これから公開処刑が始まるのだ。
この街で公開処刑が行われるのは初めての事だ。まして、これから処刑されるのは平民。平民の処刑を公開するなど、どこの国でも、滅多にある事ではない。
では何故、今日この場所で、それが行われるのかというと、見せしめにする為だ。処刑される男は、今では、ヴィンセント党とも呼ばれている組織の一人。民衆にグレートアレクサンドロス帝国の支配体制の打倒を訴えていた者だった。
「……怪しい動きはないか?」
処刑台のすぐ近くの建物の二階。そこに、帝国軍の将校であるラヴェインは陣取っていた。ラヴェインは、グランフラム王国との戦いから離脱して、不平分子の鎮圧の命を果たすために、軍を率いて南部に来ていた。
その結果、ヴィンセント党の一人を捕らえたのだが、それで任務が終わる訳ではない。ヴィンセント党の全員を捕らえるか、殺すのが任務の目的だ。
「今のところ、報告はありません」
ラヴェインの問いに部下が答える。捕らえた一人を囮にして、仲間を引き寄せ、一網打尽にしようという策なのだが、今の所は、罠に掛かる様子はない。
「……さすがに、こんな単純な罠には掛からないか」
ラヴェインは策に対して拘りがない。元々、うまく行けば儲けもの程度で考えていた策なのだ。
「処刑を進めますか?」
「見物人の反応は、どのような様子だ?」
処刑台の周囲に集まった者たちのほとんどは、好きで集まった訳ではない。見せしめの為に、半ば強制的に広場に集められていた。
「……不満を口にする者はおりません」
そんな者が居るはずがない。不満を口にすれば、自分も罪に落とされる事になると、皆分かっているのだ。警察隊の無法から得た教訓だ。
「叛乱予備軍の炙り出しも失敗か。仕方がない。処刑を――」
「あっ、あれは!?」
罠を諦めて、刑の執行を進めようと決めた、その時。それは現れた。
宙に浮かんだ黒い影は、処刑台を囲む柵を、軽々と飛び越えて、音も立てずに地面に降り立つ黒い装束に身を固めた黒髪の男。この場に居るほとんどの者が初めて見る顔だが、それが誰だか、誰もが直ぐに分かった。
左右の色が違うオッドアイが、男が誰であるかを示している。まして今、目の前で見た光景は、吟遊詩人の唄に出てくる名場面にそっくりだ。
「……ま、まさか。生きていたのか!?」
処刑台の直ぐ近くに立っていた兵士が驚きの声を上げた。この兵士も知っているのだ。目の前に現れた男が、リオンであると。
「死んでいる訳にはいかないだろ? お前たちが処刑しようとしているデニス殿は、ヴィンセント様の師だ。そんな人を見殺しにする訳にはいかない」
「……ヴィンセント・ウッドヴィルの師?」
「知らなかったのか? 学院時代、ヴィンセント様には多くの師が居た。その多くは平民で、その人は、その中の一人だ」
「そんな……」
捕らえた男が、そんな大物だとは、兵士は思っていなかったようで動揺している。大物といっても実際は、ヴィンセントに勉強を教えていただけなのだが、この事実は兵士には分からない事だ。
「殺せ! 捕らえた男も、リオンも殺すのだ!」
建物の窓からラヴェインが叫んでいる。ラヴェインも、かなり動揺した様子だが、それでも何をすべきかは分かっていた。
ラヴェインの命を聞いて、兵士がデニスに向かって剣を振り上げる。
だが、それが振り下ろされる事はなかった。その前に、兵士の体を旋風が覆い、それはやがて真っ赤に染まっていった。
「お兄様が、お世話になった方に危害を加える事は、私が許さないわ」
次に現れたのは金髪翠眼の美女。周囲にどよめきが広がった。この美女の事も、皆知っている。吟遊詩人の唄の中でのヒロイン、エアリエルだ。
「……殺せ! 周りを取り囲んで、三人とも殺してしまえ!」
ラヴェインが命令を下すが、兵士たちの動きは鈍い。グランフラム王国の英雄に立ち向かう度胸など、一般兵に求める方が無理なのだ。
「銃隊! 三人を撃ち殺せ!」
そうであれば銃でと、ラヴィンは考えたのだが、銃が、それも近接戦で、リオンに通用するはずがない。兵士たちが構えに入る前に、火炎が兵士たちに襲いかかる。
一発の銃弾も放たれる事なく、次々と暴発する銃で、兵士たちは傷付く事になった。
「全兵士を広場に終結させろ! いくら強くても、万を相手に勝てるはずがない!」
次は数による力押しだ。確かにリオンを倒そうと思えば、この方がベストだ。だが街の外で待機している軍勢が、広場にたどり着くまでに、どれだけの時間が必要か、ラヴィンは考える事を忘れている。
「では軍勢が、たどり着くまでは、お前に相手をしてもらおう」
「なっ!?」
不意に背中から聞こえてきた声に、ラヴィンは慌てて、後ろを振り返った。そこに居たのは、グランフラム王国の騎士の格好をした男。
「グランフラム王国……」
「いや、それは間違いだ。グランフラム王国騎士の身分は、とっくの昔に捨てている。今は、そうだな、不思議の国傭兵団騎士というところか」
「貴様、何者だ?」
不思議の国傭兵団などと言われても、ラヴィンは何の事か分からない。
「今、話した。これ以上の会話は無用。不思議の国傭兵団騎士ソル・アリステス、参る!」
「なっ!?」
不思議の国傭兵団は知らなくても、ソル・アリステスの名は知っている。魔神と戦った中で、唯一の生き残りと言われていたソルなのだ。
剣を交わす事も出来ずに、ソルの一閃で、ラヴィンの首が宙に飛んだ。
「……弱い。これでも帝国の精鋭と言われる親衛隊の一員なのか?」
「帝国軍の中では、精鋭だって事だろ?」
「リオン様!」
いつの間にか、リオンまで建物の二階に来ていた。
「兵士の弱い事。マトモに調練を受けた兵士ではないって聞いていたけど、酷すぎるな。一万の軍勢でも、勝てるかもと思えた」
「そこまでですか」
「もう、ちょっと調べた方が良いかもしれないな。必ず、本当の精鋭部隊が居るはずだ。それを見極めておかないと、不意打ちを食らった時が心配だ」
元アクスミア侯家の騎士、それに、グランフラム王国の崩壊後に、グレートアレクサンドロス帝国に流れた騎士や兵士も居るはずなのだ。
「では、この後の計画は?」
「南部の予定は変わらない。派遣された一万は、今日潰すから、後は行政府の軍だな。国境に配置された軍はまだしも、行政府の軍が精鋭とは思えない」
南部における攻撃目標は軍だ。治安維持の為の行政府軍を潰してしまえば、南部で盛り上がる叛乱を、押さえる力を帝国は失う。リオンは、民衆の叛乱を、南部全体に広げようと考えていた。
バンドゥの南、ミクリ川までが、不思議の国傭兵団に提示された報酬だが、そんなものは関係ない。依頼を受けるという形にしたのは、グランフラム王国との共闘を考えての事だった。だが、やはり、グランフラム王国は信用ならないと分かった以上は、リオンは好き勝手にやる事に決めている。
「帝国軍、特にこれまで、あまり表に出ていないランスロットの直率軍を調べさせろ。恐らく、それが帝国最強の軍だ。決めつけるのも駄目だが」
「諾」
「なっ?」
突然、後ろから聞こえた声に、驚いて振り返ったソルが見たのは、跪いて、リオンに向かって頭を垂れている、黒装束に身を固めたチャンドラの姿だった。
「それとアインに伝令を。派遣軍一万は潰した。行政府軍の手の届いていない街から、行動を活発化させろと」
民衆の叛乱を拡大させるのは、アインたちの役目だ。扇動、そして武器、資金の提供など、やる事は多い。この為の準備を、アインはずっと行ってきていた。
「実際の行動にあたっては、機動兵団を支援に向かわせるとも伝えてくれ。以上だ」
更に不思議の国傭兵団の団員も、民衆に紛れこませて、叛乱活動を行わせる。これで言論による闘争が主だった活動は、一気に力への闘争へと変わっていく。ヴィンセント党と入れ替わるようなものなので、実体は全く別の活動だ。
「そういえば、助けた男と話さなくて良いのですか?」
リオンの指示を受けたチャンドラが、姿を消したところで、ソルが口を開いた。
「あの男の相手は、エアリエルの方が適任だ。彼にとって俺は、ヴィンセント様の従者に過ぎない。いきなり忠誠を向けられるとは思えない」
デニスが忠誠を向けているのは、ヴィンセントだ。そのデニスにとって、リオンは、自分と同格の人間という事になる。命を助けられたからといって、素直に何でも言うことを聞くとは思えなかった。
「エアリエル様は違うのですか?」
「エアリエルは、ヴィンセント様と違った意味で、人気があった……」
窓から、広場の様子を眺めていたリオンの口が、いきなり止まった。
「どうかされましたか?」
「……どうして、あの男は、エアリエルの手を握っているんだ? 女性への挨拶って、ああいう事じゃないよな?」
「はっ?」
リオンの話を聞いて、ソルも窓際に寄って、外を眺める。広場の中心では、確かにデニスが、エアリエルの手を握ったまま、興奮した様子で、何かを話している。
「……民の習慣というものではないですか?」
「握手だとしても、ずっと握っている必要はない」
「はあ……」
エアリエルに対する、リオンの想いの強さを喜ぶべきか、こんな時に、ヤキモチを焼いている場合ではないと窘めるべきか、ソルは悩んでしまう。
「……お前はどうして、俺の手を握っている?」
「えっ、だって、手を握りたいのでしょ?」
そこに更に事態をややこしくする存在が現れた。アリスは、リオンの腕を取って、体をぴったりと密着させている。
「そんな事言ってない。とっとと離れろ」
「良いじゃない。私、出番がなくて、退屈だったんだもん」
「全然、関係ないから。ほら、早く離れろよ! エアリエルがこっち見てるだろ?!」
という事で、アリスにまんまと嵌められたリオンは、後でエアリエルに、こっぴどく叱られる事になる。
リオンたちが、こんな茶番を繰り広げている間に、街の外で待機していた帝国軍一万は、広場に集結するどころか、移動準備をしているところを、不思議の国傭兵団の急襲を受けて、崩壊する事になった。
グレートアレクサンドロス帝国南部の争乱は、この日以降、激しさを増していく事になる。
◇◇◇
グランフラム王国侵攻での敗戦、それに続く南部の叛乱激化と、それまで順調過ぎるほど順調だった、グレートアレクサンドロス帝国の大陸制覇は、ここに来て大きな躓きを見せている。
この事態の打開を図る為に、帝都では、重臣たちが集まって会議が開かれていた。
「南部の叛乱は勢いを増しております。これまで叛乱側の手に落ちた街の数は五つ。これは中規模以上の街を数えた結果で、その周辺の町村は含まれておりません」
「……何故、そこまでの拡大を許したのだ?」
民衆の叛乱が、五つもの街が落ちる事態に発展するなど、ランスロットには理解が出来ない。この世界の大貴族家で生まれ育ったランスロットは、マリアと異なり、民衆の力など認めていない。
「密かに街に浸透していたようで、ほとんど不意打ちのような形で、行政局が襲われております」
「駐留軍は何をしていたのだ?」
街には治安維持の為の、部隊が配置されている。軍が民衆に負ける。これがランスロットには信じられないのだ。
「落とされた街のほとんどで、駐留軍は何も出来ないままに、終わったようです」
「何だと?」
これが事実であれば、駐留軍など何の意味もない。ランスロットの怒りは、益々、高まっていく。
「中央軍の補充、行政府軍の創設など、優先すべき事柄が多く、各街の駐留軍は、取り敢えずの数集めといった状況でした。指揮官も、兵の中から選抜した者が任されている事が多く」
数は集めても、調練を行える者も居ない。指揮官は居ても数は少なく、それが討たれてしまえば、兵士たちは何をすれば良いか分からなくなってしまう。あまりにも脆弱な組織だ。
そうであるからこそ、叛乱側に狙われたと言えるのだが。
「……では、行政府軍は何をしているのだ?」
部下の話を聞いて、ランスロットも、駐留軍だけを責められないと分かった。駐留軍の脆弱さは、中央の政策のせいなのだ。
「行政府軍は、グランフラム王国軍との戦いで精一杯で、それ以外には手が回りません」
「……リオンか」
「はい……」
バンドゥにリオンが現れた。この事実は、グレートアレクサンドロス帝国に衝撃を与えた。しかも、そのリオン一人に、正しくはアリスと二人だが、銃も大砲も打ち破られたのだ。このせいでグレートアレクサンドロス帝国は、戦術の根本的な見直しを迫られている。
「不思議の国傭兵団だったな。数はどれくらいなのだ?」
「正確な数は掴めておりませんが、およそ二千。全てが魔獣に乗った部隊です。騎獣兵団と称しております」
「二千の騎獣部隊か……強いのか?」
「野戦では、太刀打ち出来ないとの事です」
圧倒的な機動力を誇る騎獣兵団に、行政府軍の火力は、支給されている火器の数が少ない事もあって、ほとんど無力に近い状態だ。
「籠城戦か」
「はい。行政府がある街に、戦力を集中させております」
戦力を集中していると言うが、実際は、守りの堅い街を選んで、逃げ込んでいるに過ぎない。
「……国境軍を戦いに回す訳にはいかないのか?」
メリカ王国との国境を守る軍は、それなりに鍛えられた軍だ。その軍を、不思議の国傭兵団との戦いに投入する事を、ランスロットは考えたのだが。
「メリカ王国は、国境付近に軍を集めたままです。こちらの守りが薄くなれば、攻め寄せてくる可能性があると考えます」
メリカ王国との戦いは、未だに継続中だ。グレートアレクサンドロス帝国は、これまで、メリカ王国が攻めてこなかった事を、不思議に思うべきだ。
「グランフラム王国とメリカ王国が、同盟を結んだ事実はないのだろうな?」
「同盟はメリカ王国側から拒否したとの情報を入手しております」
「……では、どうするのだ? 南部に軍を派遣するのか?」
「グランフラム王国は、それを待っております。南部での活動は、中央を手薄にする為の陽動です」
グランフラム王国が考えた作戦は、グレートアレクサンドロス帝国に筒抜けだ。ただ、この件に関しては、陽動だと分かっていても、帝国は放置出来ない状況にある。
「それは分かった。その上で、どうするのかを俺は聞いている」
「……グランフラム王国本隊を帝都に呼び込んで、殲滅します。本隊が敗れれば、陽動側は意味を成しません」
「本隊はこちらが動くのを待っているのではないのか?」
その為の陽動だ。普通に考えれば、陽動が成功しなければ、本隊は動かないはずだ。
「軍を動かす振りをします。その上で、偽情報をグランフラム王国に掴ませる」
「……うまく行くか?」
「行かせます。その為の下準備は、とっくの昔に出来ております」
グレートアレクサンドロス帝国が、グランフラム王国に張った罠は、いくつもある。その中の一つを、使おうとしているのだ。
「……それがうまく行ったとして、確認しておかなければならない事がある」
ボルドー宰相の策の成功は、ランスロットも疑っていない。建国前から、そして建国した後も、ずっと工作を続けてきたおり、それはこれまで、うまく行っている。だが、リオンが現れた事で、ランスロットには、新たな心配事が出来た。
「何でしょうか?」
「アーノルドを討ち果たせば、グランフラム王国はリオンを担ぐかもしれない。リオンが王となったグランフラム王国を倒す算段は出来ているのだろうな?」
アーノルドをライバル視し、高く評価しているランスロットであっても、リオンが、そのアーノルドの上を行く事は認めざるをえない。以前からそうであったし、今もリオンが現れた途端にこの有様だ。
「……主力軍を殲滅してしまえば、グランフラム王国には何の脅威もなくなります」
「主力か。リオンが率いる傭兵団は、グランフラム王国の主力軍よりも実力で劣るのだな?」
ボルドー宰相の言葉は、ランスロットには強がりにしか聞こえなかった。
「優れた部隊であるとは思います。しかし、たかだか二千では、我が国の軍に抗えるはずもありません」
「そうであれば良いのだが……」
実際に、その二千に、行政府軍の万の軍勢が、押し込められている。やはり、ボルドー宰相の説明は、強がりにしか思えない。
「……これは、この様な場で、言うべき話ではございませんが」
ランスロットの感情を、感じ取ったボルドー宰相が、まだ策がある事を告げてきた。続けての失態で、現在、マリアの影響力は大きく低下している。ここでランスロットに能力を疑われては、失脚しかねないと恐れての事だ。
「何だ?」
「敵を倒すのは、軍同士がぶつかり合う戦場である必要はありません」
「……確かにそうだな」
別の策が何であるか分かったランスロットの表情が曇る。ボルドー宰相の策は、リオンの暗殺だ。ランスロットは、こういった後ろ暗い策を、否定はしないが、どこか恥ずかしく感じてしまう。
「そちらの手配を進めております。うまく行けば、それほど掛からずに吉報をお届け出来るかと」
「そうだと良いな」
「グランフラム王国に対する逆陽動作戦は並行で進めます。宜しいでしょうか?」
「ああ」
ランスロットが了承した事で、当面の対策は決定した。グレートアレクサンドロス帝国は、グランフラム王国軍の迎撃準備を加速させていく。
それから二ヶ月。グレートアレクサンドロス帝国に吉報が届く。グランフラム王国の進軍を伝える情報と、リオン暗殺の成功を伝える情報の二つだ。
いよいよ、二度目の帝都決戦が始まる。