月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

悪役令嬢に恋をして 第106話 帝国の混乱

異世界ファンタジー 悪役令嬢に恋をして

 まさかのメリカ王国侵攻作戦の失敗に、グレートアレクサンドロス帝国は浮足立った。先行軍として送り込んだ二万のうち帰還出来たのは、わずか四割に過ぎない。銃や大砲は全て戦場に放棄され、その損失もかなりのものだった。
 すぐに後続軍を送り再侵攻を図ろうという意見もあったが、それは皇帝であるランスロットによって止められた。状況の把握が不十分なままに後続の軍を送っては、更に犠牲を増やすだけと考えたからだ。

「帰還した兵の話から、戦いの様子が分かってきました」

 報告に立ったのはランスロットから侵攻作戦の分析を命じられた帝国上将軍ライオネル・ルッツ。帝国上層部では数少ない、マリアの取り巻き以外から登用された人物で、ランスロットの信頼が厚い人物だ。

「どのような状況だったのだ?」

「侵攻当初は戦いは優勢に進んでいたようです。足の遅さによって進軍を止められたのは想定通りで、そこから陣地を構築してメリカ王国軍を迎え撃つ形に戦術を変更しております」

「作戦計画にあった通りだな」

 大砲を運んでの行軍が遅いのは分かっていた事だ。グレートアレクサンドロス帝国は足止めされる前提で作戦を考えていた。

「はい。先行軍が堅牢な陣地を組んでメリカ王国軍を引き付け、他の国境線に隙が出来たところで後続軍が拠点を奪う。ですが作戦が思い通りに進んだのは陣地を組むまで。メリカ王国軍を十分に引き寄せる前に打ち破られております」

「敗因は?」

「……天候と言って良いのでしょうか?」

 敗因を聞かれて、急にライオネル上将軍の歯切れが悪くなる。

「調査は終わったのではないのか?」

 ライオネル上将軍の反応を、ランスロットは敗因の分析が終わっていない為だと受け取った。

「いえ、兵士から聞ける事は聞きました。ただその内容が、信じ難いものでしたので」

「……どういう内容だ?」

「突然、嵐に襲われたそうです」

「何?」

「急な暴風雨に対応が出来ずに火薬を湿らせてしまい、銃も大砲も使えなくなったようです。それによって陣地の防衛力が失われたところに敵の騎馬部隊の突撃を受けて、後はもう無我夢中で逃げるだけだったと」

「……銃はともかく大砲までか? 雨の対策は十分に考えていたはずだ」

 火薬の敵である雨対策はきちんと考えている。兵が持ち歩く銃は雨に濡れる事もあるだろうが、据え付けの大砲が雨にやられるとはランスロットには信じられなかった。

「雨囲いはきちんと組んでいたと聞いております。ただとてつもない暴風雨だったそうで、吹き飛ばされた囲いもあったようです」

「……メリカ王国ではこの時期でも、そういう天候があるのか?」

 銃火器を主力とする帝国軍だ。天候は気にして作戦計画も練られている。この季節は雨が降る事はまずない。だからこそメリカ王国への侵攻を開始したのだ。

「戦場は国境から五日も進まない位置です。メリカ王国だから特別という事はないと思うのですが」

 それはそうだ。暴風雨は天候ではなく魔法なのだから。火薬は水に弱い。火にも弱い。火薬というものを知らない、この世界の人たちにはない知識をリオンは、当たり前に持っている。

「運が悪かったと?」

「兵の証言から結論を出すと、そうなります」

「……違うと思っているのだな?」

 ライオネル上将軍の態度は、自分で口にしながらも納得出来ていない様子だ。

「数人の兵士が暴風雨の前に攻めてきた騎馬隊が、それまでの騎馬隊と違っていたと証言しております」

「騎馬隊が?」

「最初の方は歩兵に盾を持たせて銃を防ぎ、距離を縮めたところで騎馬を突撃させるという方法を採っていたようで、何度もそれを試みてきたそうです」

「グランフラム王国の戦術と同じだな」

 盾で銃を防ぐという方法は、グランフラム王国による王都奪回戦で行われている。それがあってグレートアレクサンドロス帝国軍は、大砲の近距離砲撃という対抗策を考えていたのだ。

「それが失敗に終わった後に出てきた騎馬隊は、歩兵など使わずに突入してきたそうです」

「……それで?」

 本来であれば的の大きな騎馬隊は、銃の格好の餌食になるはずだ。だがこれまでの話から、そうはならなったのだと分かっている。

「銃は全く当たらなかったと」

「……何?」

「理由を詳しく尋ねたのですが、驚く程、速かったという証言しか得られませんでした」

「それだけでは……」

 速いから狙えないは分かる。だがこれでは銃の兵器としての価値はなくなる。それにこれまでは問題なく、その力を発揮してきたのだ。

「単騎であった事も影響したようです。実際のところ銃は狙いなど定めておらず、ただ正面に向かって撃っているだけですので」

 狙いなど定めなくても数を揃えれば、それなりに敵に当たる。元々こういう使い方なのだ。

「単騎……まさかとは思うが単騎でヤラれたのか?」

「いえ、先行してきたのが一騎というだけです。それよりも気になる証言があります。これが、もっとも重要な証言ではないかと自分は考えております」

「それはなんだ?」

「馬には見えなかった」

「何だと!?」

「接近する前に目も開けられないような暴雨風に襲われたせいで、きちんと確認は出来ていないようですが、遠くから見ても、その体の大きさ、そして何より頭から伸びた何かは、ただの馬ではないと」

「……魔獣か」

 ランスロットの頭の中に、リオンが騎乗していた魔獣の姿が浮かぶ。

「恐らくは」

「メリカ王国は魔獣の調教に成功していたのか?」

 グレートアレクサンドロス帝国というより、ランスロットも騎獣部隊を作ろうと試みていた。断念した理由はメリカ王国と同じ。魔獣の捕獲と調教が出来なかったからだ。それに銃という武器を手にした事で、騎獣部隊の必要性が薄れたという理由もある。

「そういった情報は入っておりません。隠されていたのかもしれませんが、もう一つの可能性もあるのではないかと」

「……グランフラム王国、いや、バンドゥか」

 ランスロットが知る限り、騎獣部隊を保有していたのはバンドゥ領軍だけだ。魔神との戦いで全滅したと聞いているが、再編した可能性は考えられる。当然、誤解ではあるが、ランスロットが持っている情報だけでは、こういう考えになってしまう。

「もう一つ気になる情報があります。これについてはボルドー宰相からお話頂ければと思います」

「私ですか?」

 いきなりの指名にボルドー宰相は戸惑っている。ライオネル上将軍が何の話をしろと言っているのかも、ボルドー宰相は分かっていない。

「南部、旧ファティラース王国領での噂です。軍の耳に入ったくらいですから、ボルドー宰相が知らないはずがないのでは?」

「……それですか」

 ライオネル上将軍が何を言わせたいのか、ボルドー宰相にも分かった。その表情が曇る。

「何の話だ? 南部の話など聞いた覚えがないが?」

 ランスロットは知らない。ボルドー宰相が報告を止めていたからだ。

「……南部にわずかですが、不穏な動きがあります」

「不穏な動きとは何だ?」

「叛乱を唆している者がいるようです」

「……念の為に聞くが、それは誰に対する叛乱だ?」

 かつて南部で叛乱を唆していたのはグレートアレクサンドロス帝国だ。その南部で又、叛乱の兆しがあるという報告は、ランスロットには皮肉にしか聞こえない。その気持ちをそのままボルドー宰相にぶつけた。

「……帝国に対するものです」

「詳しく聞こうか。俺に報告されなかった理由もな」

「……はい。扇動の首謀者の名は掴めておりません。ただ平民で、元グランフラム王国学院の生徒である事は分かっております」

「学院の卒業生か……」

 自身も同じ卒業生だ。それだけではなく、学院時代の事を思い出すと何とも言えない複雑な感情が、ランスロットの胸に湧いてくる。良い時代でもあり、現状のきっかけを作った時代でもあるのだ。

「そして恐らくは、陛下とマリア様の同学年、もしくは一つ下くらいの人物かと」

「何だと? どうして、それが分かった?」

「ヴィンセント・ウッドヴィルの友人だと称しております」

「……何?」

 まさかこの場で聞くことになるとは思っていなかった名前。ランスロットの表情には動揺の色が浮かんでいる。

「扇動者の主張は、ヴィンセントが語ったという言葉に基いております。様々な言葉がありますが結論は、国を安定させ、民の暮らしを豊かにするには、貴族が必要だというものです」

「……どうして、それが支持される? 国民は平等を望んでいないのか?」

 人間は全て平等であるべき。マリアから吹きこまれ、異世界での常識とランスロットは信じている。理想ではあっても、本当の意味でそれが実現していない事を、ランスロットは知らない。

「平等よりも豊かな暮らしを求めているようです。民の暮らしを豊かにするのは貴族の責任で、その為に子供の頃から努力する義務がある。貴族は民への奉仕者で、民は貴族の協力者であると主張しております。ヴィンセント論などと呼ばれておりまして、これがかつてのヴィンセント人気もあって、人々に受け入れられているようです」

「ヴィンセントは、そんな事を語っていたのか……」

 ランスロットにとってヴィンセントは、ずっとその人格や能力を否定し続け、最後には死に追いやった存在だ。そのヴィンセントの言葉にランスロットは正義を感じてしまった。

「それは、いつものように噂をばら撒けば解決するわ。処理も頼んだのよね?」

 マリアにはランスロットのような感傷はない。そもそも今知った話ではないのだ。ファティラース王国の件は、躊躇いを見せるランスロットを強引に納得させて、マリアたちが進めた事。それがこのような事態になったので、ランスロットに知られないうちに解決しようとしていたのだ。

「それが、断られました」

「えっ?」

「成功が約束出来ない仕事は受けられないと言ってきております」

「……成功出来ない理由って? 彼らの得意技じゃない」

「彼らなりの理由があります。一つは扇動者自身には価値はなく、その語る言葉に価値があるので、別の者が簡単に受け継ぐ事が出来る。下手な事態は扇動者にまで、志に殉じた者としての価値を付けるだけだと」

「……彼らがそんな理由を?」

 裏社会の悪党としか思っていない者が、このような理路整然とした理由を告げてきた事にマリアは驚いている。使える組織として価値を認めていながらも、所詮は悪党という偏見がマリアにはあったのだ。

「もう一つは、扇動に乗っている者たちの心の中には前回の失敗の後悔がある。特に五等国民に落とされなかった者には後ろめたさがあり、それを自分は騙されたという言い訳で誤魔化そうとしている。貴族の否定など二度と受け入れる事はないと」

 情報操作はどのようなものでも成功する訳ではない。その時々で人々が受け入れやすい方向、内容を選んで、噂を浸透させていくのだ。今回、貴族の否定を繰り返しても、それを受け入れる者が出る一方で、逆に強く反発を覚える者もいる。その反発を覚える者が、ヴィンセント論の支持者になるのだ。

「じゃあ、どうするのよ? 軍でも送る? それとも警察隊に任せるしかないの?」

 軍を送っても表立った活動を押さえられるだけで、解決にはならない。まして警察隊に任せるなど。

「その件ですが、警察隊のやり方は強引すぎて関係のない国民の反感まで買っております」

「どういう事?」

「証拠もないのに、怪しい者を片っ端から引っ張って尋問しているようです。そのようなやり方ですので、中には無実の者も当然いるのですが、どうやらそれを揉み消す為に拷問にかけて、自白を強要しているようで」

「……そ、そんなの私は知らない。誰の指示よ?」

 さすがに警察隊の強引なやり方には問題があると感じたようで、マリアは無関係を主張してきた。

「問題解決に焦って、勝手にやった事だと思われます」

 確かに問題解決に焦った結果だが、それはランスロットの耳に入らないうちに速やかに解決しろ、というマリアの意向が影響を与えている。この事実をボルドー宰相は隠した。
 まず無いとは考えているが、万一マリアが失脚するような事態になれば、自身にも害が及ぶと分かっているからだ。

「警察隊はやっぱり前から言っているように、解散させた方が良いわね?」

「はい。その準備は進めております」

 警察隊の解散は以前から決まっている。そもそもメリカ王国への侵攻作戦に参加させる予定もあったのだ。この話を有耶無耶にしたのもマリアなのだが、これも言える事ではない。

 

「……結局、解決策はないのか?」

 マリアとボルドー宰相が話していても何も物事が進まない。ランスロットはボルドー宰相に結論を求めた。

「扇動者が何者かは分かっておりませんが、平民で、ヴィンセント・ウッドヴィルの友人だった者の多くはバンドゥ領で働いている事が分かっております」

「……この件もバンドゥに戻るのか」

「その可能性は高いかと」

「結局、急ぎすぎたという事だな。国内が固まっていないうちに、外に打って出たのが間違いだった」

 急いで外に打って出たのは、国内の問題から国民の目を逸らす為だったのだが、それで誤魔化せないくらいに国内の問題は大きかった。それを見極められなかった責任は。

「……申し訳ございません。私の失政です」

 ボルドー宰相に帰する事になる。中央政府の最高責任者であるのだから当然ではある。

「グランフラム王国が悪いのよ。諸悪の根源のグランフラム王国を先に倒すべきね」

 グランフラム王国を後回しにする事を進言したのもボルドー宰相だ。マリアの言葉は何のフォローにもなっていない。本気でフォローしているかは怪しいものだ。グランフラム王国は攻め落とすのではなく外交で屈服させる。このマリアの意向通りに、ボルドー宰相は進めていたのだ。
 マリアの言葉は、この事実をなかった事にしようとしているようにも、事情を知る者には聞こえる。

「……それぞれの意見を聞こう。軍としてはどうなのだ?」

 マリアの言葉に、すぐに迎合するような真似をランスロットはしなかった。異世界の知識はあっても、マリアには政治能力はない。以前から感じていた疑念が、事実だとはっきり分かったからだ。

「メリカ王国侵攻作戦での被害は多大でありますので、再編にそれなりの期間が必要となります」

「兵の補充はすぐに出来るじゃない。銃と大砲の在庫もあるわ」

 ライオネル上将軍の意見をマリアが否定してくる。失敗の責任を問われているような気になったからだ。ランスロットの態度も気になっての事だ。

「仮に騎獣と思われる部隊に銃が通用しない場合、我軍の戦力は大きく低下する事になります」

 グレートアレクサンドロス帝国軍のかなりの部隊は、銃火器の威力に頼って、ろくに訓練させていない兵で編成されている。だからマリアは補充はすぐに出来ると言っているのだ。
 銃が通用しなくなれば、それらの部隊は、素人に毛が生えた程度の弱兵部隊になってしまう。

「じゃあ、どうするのよ? まさか一から鍛えるなんて言わないわよね?」

「いえ、一から鍛えます。帝国騎士団の増員の許可を。更に下位組織としての帝国兵団編成の許可も頂きたい」

「何ですって?」

 ライオネル上将軍の意見にマリアが血相を変えている。これまでの帝国軍の主力は五等、もしくは四等国民で編成された部隊を、督戦隊もしくは親衛隊が率いる形だった。督戦隊も親衛隊もマリアの息がかかった者たちばかりなので、軍はマリアが掌握していたようなものだ。
 だが帝国騎士団は違う。騎士階級の者たちで編成されている騎士団の忠誠は、ランスロットにのみ向けられている。しかも素人であるマリアが、好き勝手に戦争を始める事を心良く思っていない。

「銃火器が通用しない以上は、通常戦力で戦う事になりますが、今の騎士団だけでは、グランフラム王国に対抗出来ません。速やかに増強を図るべきと考えます」

「通用しないなんて決まっていないじゃない!」

「実際に通用しなかったら、いかがするのですか?」

「……じゃあ、確かめてみましょうよ。私が軍を率いてグランフラム王国を攻めるわ」

 銃火器を否定される事はマリアにとって、自分を否定されるも同じだ。決して受け入れられる事ではない。

「ですから、それが失敗したら」

「騎士団の増員は増員で進めれば良いじゃない。まあ、無駄な事だって、すぐに分かると思うけどね」

「……陛下。いかがでしょう?」

 ライオネル上将軍は、皇帝であるランスロットに裁可を求めた。騎士団の増強が認められるのであれば、それで良いとの考えからだ。
 裁可を求められたランスロットの顔は苦り切っている。これは先程からずっとだ。
 貴族の多くが粛清された。謀反を試みたとなっているが政争の結果だと、ランスロットだって分かっている。それが終わったと思えば今度は、軍の中での主導権争いだ。
 広い領土を手にしても統治し切れているとは、とても言えない状況だ。そしてその統治を進めなければいけない中央政府の中も未だに纏まっていない。
 その原因を考えれば思いつくのは一つ。マリアの存在だ。そもそもランスロットがマリアに求めているのは妻としてであって、政治や軍事に口出す事ではない。それはどちらかと言えば迷惑なだけだ。

「帝国騎士団の増強および帝国兵団の創立を許す。但し予算額については、計画案の中身を審議してからだ。至急提出しろ」

「はっ!」

 騎士団の増強と兵団の創立には、ランスロットに全く異議はない。元々ランスロットは、グランフラム王国の侯爵家の人間だ。伝統ある王国騎士兵団には、それなりの敬意というか、憧れがあり、自国にも同じだけの組織を持ちたいと思っていたのだ。

「ねえ、私の出陣は?」

「……何もマリアが出なくても良いのではないか?」

「銃火器はこれまでと変わらず役に立つ。それを自分の手で証明したいの。良いでしょ?」

「……失敗したら、奥向きの事に専念してもらう。約束出来るか?」

「ええ。もちろんよ。妻としても、ちゃんと私はランスロットに尽くすわ」

「……分かった。では出兵を許可する。出兵計画を用意してくれ」

 答えは微妙にずらされている気もしたが、取り敢えずは出陣を許可する事にした。マリアの個人としての実力は飛び抜けている。敗戦となっても命を失うような事にはならないはずだ。周囲もそれを許すはずがない。
 本音は、あまり被害が出ない程度で負けてもらいたいとランスロットは思っている。そうなれば揉め事の種が減る上に、自らの出陣の口実も出来るからだ。
 アーノルドとの決着の時が近づいている。それは自らの手で、がランスロットの思いだ。だが決着を求めている者は他にもいる。それをこの時点のランスロットは分かっていなかった。