月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

悪役令嬢に恋をして 第101話 人生は出逢いで決まる

異世界ファンタジー 悪役令嬢に恋をして

 帝都防衛戦において多くの犠牲を出したグレートアレクサンドロス帝国は、軍の再建に専念しており、軍事行動を控えている。ただその期間は、グランフラム王国が考えているよりも、遥かに短くなるはずだ。
 帝国における軍の再建とは戦いで失った銃火器、そして銃弾や砲弾の補充なのだ。それが終われば、ほぼ元通りの戦力になる。三等国民である兵士を、帝国は弾丸と同じ消耗品としか考えていない。調練期間など必要としていないのだ。
 ただ短い期間だといっても、その間、何もしないでいられるほど帝国にも余裕はない。軍事がない期間は内政に力を注ぐべきで、実際に帝国は領内の統治を進める為に活動している。
 特に荒廃が進んでいる旧ウィンヒール王国領、北部の安定は急務だ。マリアは国民に階級をつけるなど、強権的な政策を進めているが、その一方で民衆の力を恐れてもいる。
 ファティラース王国で自分たちが引き起こしている民衆の叛乱と同じ状況に、北部がなったのでは洒落にならないのだ。
 
「さあ、皆さん! ささやかですが、食事を用意しました! お椀を持って並んで下さい!」

 北部の安定の為にマリアが考えた方策がこれだ。各地を回って炊き出しを行ったり、支援物資を届けたりして、民衆の慰安に務める。簡単に言うと人気取りだ。

「民が困っていれば助けるのが国の義務です! 私は決して、皆さんを見捨てるような真似はしません!」

 その人気取りも、グレートアレクサンドロス帝国ではなく、自分の人気を高める為だったりするのが、いかにもマリアらしい。

「……受けは良いようだな。お前が考えたのか?」

 炊き出しの列に並ぶ民衆の様子を眺めながら、親衛隊長のギルが隣に立っているアランに問いかけている。

「いや、マリア様が考えた。異世界の知識のようだ」

「なるほど。昔から人気集めが大好きだったからな」

 ギルもアランもマリアとは学院時代からの付き合いだ。その当時は、かなり真剣にマリアに惚れていたはずなのだが、今となってはマリアの優しさや誠実さが、上っ面だけの演技だと分かっている。
 ゲームが終わった後には、攻略対象への束縛も弱まるという事だ。

「好きなだけでなく、実際に成果はあげている。口コミとかいう情報操作も合わせての事だがな」

 マリアは自分の評判を高める為に、盛んに噂を広めさせている。この乱世に平和をもたらす為に異世界から召喚された救世主というお題目を中心に、とにかく自分こそが正義という内容だ。
 真実など知る術がない人々はこれを信じ、更にこうしてマリアの活動を目の当たりにした者が噂が事実だと広めていく。
 皇后であるマリアに、ここまでの事が必要なのかと思う者が出るような力の入れようだ。この場の二人も、その思う者だ。

「どっちに付く?」

「いきなり、それか?」

 ギルの問いにアランは渋い顔だ。答えたくない質問なのだ。

「考えておいたほうが良い。こうして帝都を留守にしている間に、色々と動き回っている奴らが居るはずだ」

 ランスロットとマリアを引き離そうとしている者たちの事だ。悪の元凶であるマリアさえ退けてしまえば、帝国は良い国になる。ランスロットには賢王になる資質があると考えている者たちは少なくない。マリアに脅される形でグレートアレクサンドロス帝国に従う事になった者たちが、その代表格だ。
 彼らは何とかランスロットの目を覚まさせようと動いている。帝国の中では地位が低く、あまりランスロットに会う機会がないその者たちにとって、マリアたちが不在の今は絶好の機会のはずだ。

「分かっているだろ? 俺たちに選択肢などない」

「誘惑されたは通じないか?」

「通じるはずがない。マリア様が滅茶苦茶な事をしても陛下が黙っているのは、一番苦しい、どん底の時を支えてくれたのがマリア様だという気持ちがあるからだ。それが陰で裏切っていたなんて知ってみろ。全員が死罪だな」

「死罪か……」

 ギルも分かっていた事だが、他人の口から言われると、なお一層落ち込んでしまう。

「嫉妬だけでそうなる訳ではない。全ての悪事を押し付けて、俺たち全員を始末する事で、他の臣下の忠誠を得られるなら、躊躇う必要はないだろう」

「……どうしてこうなったのだろうな?」

 ギルが遠い目をして呟いた。本来は主人公であるマリアを支えて、魔人からグランフラム王国を救う英雄になるはずだった者たちだ。元から悪党だった訳ではない。
 マリアに言われるがままに悪事に手を染め、正気に戻った時には引き返せない所まで来ていた。親衛隊のほとんどの者たちがそうだ。

「今更、後悔しても仕方がない。それよりも、今の状況を前向きに考えろ」

「前向きにか。確かに得た物は多い。真面目にやっていては、今のようにはなれないな」

 代わりに良心のほとんどを失ったが、金にも女にも不自由はしていない。

「このまま、うまく行けば、王に成れる可能性だってある」

 皇帝は王を統べる者とアランたちはマリアから聞いている。グレートアレクサンドロス帝国が大陸制覇を成し遂げれば、占領した国は、統廃合を行った上で、新たな王を立てる事になっているのだ。親衛隊の者たちが、その王の一人に成れる可能性はかなり高い。

「なるほど。男子たるもの、それくらいの野心は持たないとか」

「まあ、そういう事だ。これで、この話は止めにしよう」

 こんな感じで割り切らないと、マリアには付いていけない。少なくともこの二人はこう思っている。それにこれ以上、話を続ける訳にはいかなくなった。マリアが近づいてくるのが見えたのだ。

「何の話をしているの?」

 二人の所に歩いてきながら、マリアが問いかけてくる。

「このまま順調に行けば、王にも成れるかなと」

 アランは最後のやり取りだけを抜き出してマリアに伝えた。これ以外の会話の内容など、絶対にマリアには話せない。

「成れるわね。どこを治めたいか考えておいて」

「そうさせて頂きます」

「今日の宿は近くなの? ちょっと休憩したいわ」

 炊き出しは始まったばかりだ。確かに午前中は移動に時間を費やしてきたが、何度も行軍を経験しているマリアがこの程度で疲れるはずがない。飽きてしまったのだろうとアランは判断した。

「……宿はここの領主館です。ただ領主はとっくにおらず、館は荒れていると思いますので、片付けの者を先に送る必要があるかと」

「そう。じゃあ、すぐに送って」

「はい。片付けにはそれなりの時間がかかると思います。終わるまではこの場でお待ちを。それにまだ、街の代表者との挨拶も終わっていないのではないですか?」

「……じゃあ、呼んできて」

 うんざりした表情をマリアは隠そうともしていない。アランとしては頭の痛い事だ。善人を演じるのであれば演じきって欲しいのだが、グレートアレクサンドロス帝国の地位が確たるものになるにつれ、素の感情を表す事のほうが多くなっている。
 それに文句も言えないアランは、部下に目配せで、代表者を呼んでくるように指示を出した。

「帝都の方はどうなの?」

 ギルが用意した椅子に腰掛けたマリアが、アランに問い掛けてきた。

「マシューからは、まだ何の連絡も入っておりません」

「そう……主の留守中に、こそこそと動き出すようなネズミには、どんな罰が良いかしらね?」

 マリアと親衛隊が帝都を離れたのは、マリアに敵対する者たちを炙りだす為の誘いの意味もある。マシューを筆頭に情報担当の者たちは帝都に残って、敵対勢力の洗い出しに動いていた。

「マリア様、まだそういった事は口になさらないほうが」

「親衛隊には裏切り者なんていないでしょう?」

「それはそうですが……」

 マリアの問いに肯定で返すアランだが、絶対大丈夫とまでは言えない。マリアのやりように嫌気が差している者がいないとは限らないのだ。

「……疑わしい者が親衛隊にもいるの?」

 アランの答えがマリアは気に入らなかったようで、目つきが厳しくなっている。

「いえ。そのような事はあり得ません」

 今度は、はっきりとアランは否定の言葉を口にした。これで万一があった場合は大変だが、こう言わなければ猜疑心の強いマリアは、親衛隊に対して何を仕出かすか分からない。自分だけは絶対に大丈夫と思えるほど、アランは自信家ではない。

「じゃあ、問題ないじゃない」

「他の者の耳に入らないとも限りません。ほら、ああして、近づいてくる者もおります」

 タイミング良く、代表者を呼びに行かせた部下が戻ってきている。これでこの話は一旦終わりになるはず。アランはマリアに気づかれないように、ホッと溜息を付いた。

「これはこれは皇后陛下。この度は皇后陛下自らのお越し、大変ありがとうございます。陛下の民を思う御心の尊さを思って、私は感動で震えております」

 何とも大袈裟な言葉だが、マリアに対してはこれくらいの方が良いのだ。その証拠に、代表者の言葉を聞いたマリアは嬉しそうに顔をほころばせている。

「いえ。民を大切に思うのは皇族として当然の事。私のわずかな力では救える民は少ないとは思いますが、それでも、何もしないではいられないのです」

 代表者の言葉にマリアも、知っている者にとっては、実に白々しい言葉で返す。

「わずかな力などと、とんでもない。陛下の存在は我ら民の希望。子どもたちも第二の聖女様が現れたと喜んでおります」

「まあ、聖女様だなんて、私は……第二の?」

 アランとギルの表情が曇る。せっかく順調に進んでいたのに、言わなくても良い言葉を口にした代表者の愚かさに呆れている。

「はい。陛下がいらっしゃる前までは、リサ様が民への施しを為されておりました。それだけでなく、身寄りを失った子供たちの面倒もみておられて」

 代表者の方は自分の失言に気がついていない。更に余計な事をベラベラと話してしまった。

「リサさん……そう、そんな方がいるの。それでその方はどちらに?」

「リサ様であれば……ああ、あちらに。子供たちに囲まれている女性がリサ様です」

 代表者が指差す先には、多くの子供たちに囲まれて立っている女性がいた。

「……リサさんって、どういう方なの?」

「リサ様は元はストーク子爵家のご令嬢です。バルミ伯爵家に輿入れされたのですが戦争で夫を亡くされてご実家にお戻りに。ただご実家のストーク家も、この戦乱の中で散り散りとなってしまって」

「リサ・ストーク……聞いたことがあるわね。ギル、挨拶に行くから付いて来て」

「マリア様。ここでは、あまり……」

 人気取りの為に炊き出しなんて事をしているのに、揉め事を起こしては意味がない。

「何を心配しているの? 私は昔の知り合いに挨拶に行こうと思っているだけよ?」

「……はい。分かりました」

 そして、又、不幸な女性が生まれる事になる。それを考えると気が重くなるギルではあるが、結局は従うしか無いのだ。

 目的の女性は、貴族とは思えないような粗末な衣装に身を包み、子供たちの面倒を見ていた。薄汚れた格好をしていても凛とした雰囲気と、その立ち居振る舞いからは気品が滲み出ている。聖女と呼ばれる理由は、彼女の持つ雰囲気にもあるのだろう。

「リサさん、リサ・ストークさんよね?」

 そんな女性にマリアが声をかける。

「これは皇后陛下。このような格好で陛下の御前に出る無礼をお許し下さい」

 マリアが来ていることは当然、リサも分かっていた。とくに慌てた様子もなく、丁寧に挨拶を返す。

「そんな他人行儀な言葉遣いは止めて。リサさんは私の先輩じゃない」

「……学院時代の事でございますわ」

 それ以前に、リサにはマリアと親しかった覚えが全くない。他の令嬢がマリアと揉めていた事は知っているが、そういう事に関わり合いになりたくなかったリサは、マリアとは話したこともないのだ。

「真面目ね。でも私はリサさんのそういうところが好きよ」

「……恐縮です」

「ねえ、少し落ち着いて、お話が出来ないかしら? リサさんは子供たちの面倒を見ていると聞いたわ。私も戦災で親を失った子供たちを何とかしたいと思っているの。実際にそれをしているリサさんの意見を聞かせて欲しいの」

「……私の意見なんて」

「リサさん。自分で言うのもあれだけど、今の私には弱い人を守る力があるの。この力を正しく使いたいの。その為に協力してくれない?」

「……本当に子供たちを?」

 これまで頑張ってきたリサではあるが、子供たちを救う資金にも限りがある。このままでは限界が来ることは分かっているのだ。

「もちろんよ。すぐに動きたいのだけど、まずは何が必要なのか分からなくて。リサさんなら、それを教えられるのではなくて?」

「……分かりました。どれだけの力になれるか分かりませんが、知る限りの事をお伝えします」

「そう、ありがとう。じゃあ、すぐにこの街の領主館に行きましょう。そこでなら、じっくりと話せるわ」

「マリア様?」

 マリアの言葉に戸惑ったのはギルだ。領主館は荒れていて、片付けに人を送る必要があると、ついさっき話したばかりだ。

「ギル。十人ほどの兵士を連れて付いて来て」

 ギルの戸惑いにも構わずに、マリアは更に指示を追加する。これが又、ギルを戸惑わせる。

「……十人ですか?」

 片付けをさせるのであれば、もっと大勢を連れて行って、一気に終わらせる方が良い。そう思ったギルだったが、これは勘違いだった。

「ええ。若くて元気な兵士を十人。見た目はどうでも良いわ」

「……それは」

 片付けに見た目など関係ない。敢えて、それを言ったマリアの考えが、ようやくギルにも分かった。

「さあ。リサさん、急ぎましょう。話すことは沢山あるわ。あまり遅くならないうちに戻らないと子供たちが心配するでしょう?」

「え、ええ」

 何だか腑に落ちないものを感じているリサだが、マリアに強引に押し切られて、同行する事になった。マリアの悪意がどのようなものかなど、分かるはずがない。

 

◇◇◇

 目的の領主館までは、馬車を走らせれば五分とかからない。すぐにマリアたちは、目的の場所にたどり着いた。辿り着いたのだが。

「……貴方たち、どうしてここに居るの?」
 
 館の前にはいくつも荷馬車が並んでいて、何人もの怪しげな男たちが、館との間を行き来していた。明らかに怪しい者たちで、普通はすぐに捕獲か討伐に動くところなのだが、相手はマリアが知った顔だったのだ。

「これはこれは皇后陛下。このような場所でお目に掛かれるとは驚きです」

「驚いているのはこっちよ。裏社会の人間がこんな所で何をしているの?」

 男たちはマリアが時折使っている裏社会の組織の者だった。一人は貴族令嬢の人身売買で何度も顔を合わせている男だ。

「知り合いが忘れ物をしたってんで、取りに来てました」

「忘れ物って、ここは……さては泥棒ね?」

 裏社会の悪党連中が空き家となった領主館から荷物を運び出している。これ以外にはあり得ないだろう。

「いえ、忘れ物を取りに来ただけです」

 だが男は何食わぬ顔で否定してくる。

「……貴族に知り合いが居るというの?」

「貴族どころか、皇族の方に知り合いがいると思っておりますが?」

 男が言っているのはマリアの事だ。ここで男たちの罪を追求しても、何をする訳ではない。マリアは男の嘘を受け入れる事にした。

「一つだけ教えて。まさかこの辺で暴れている盗賊って、貴方たちではないでしょうね?」

「残念ながら。北部には足場がないので完全に出遅れてしまって、素人に先を越される始末です。悔しいのでこうして忘れ物を取りに来ている訳で」

 これを否定というのかは微妙なところだ。後から活動していようと盗賊である事には、間違いないのだから。

「……ねえ、さっきから言っている忘れ物って何?」

「貴族であれば、代々伝わる財宝の一つや二つあってもおかしくない。それはちょっとやそっとでは見つからない場所にあるはずで、それを取りに来ています」
 
 貴族の屋敷には隠し部屋や隠し金庫の一つや二つは必ずある。中身が入っているかどうかは別にしてだが。

「貴方たちには見つけられるの?」

 盗賊の手口とはいえ、彼らがやっている事となるとマリアは気になってしまう。とてもただの悪党とは思えないような働きをこれまでみせているのだ。

「知り合いが怪しい場所を教えてくれますんで」

 さりげなく男が向けた視線の先には、顔中痣だらけになって怯えている男がいた。ボロボロになっては居るが、服装は男たちが着ているものより上等に見える。

「……使用人ね。よく見つけられるものね?」

 今回の戦乱で多くの貴族家が崩壊した。その混乱の中で、決して少なくない使用人たちが、貴族家が残した財産を持ち去っている。彼らにしても職を失い、明日の糧を必要としての行動ではあるが、犯罪である事は間違いない。逃げ隠れしているそういった者たちを見つけ出しては、無理やり口を割らせているのだ。

「逃げ隠れしようとすれば、逆に俺らには目につく事になりますんで」

 犯罪者が逃げこむような場所こそ、彼らの領域だ。

「……ホント感心するわ。それで何を見つけたの?」

「大したものは。代々伝わっているという剣が一本だけで、これでは割に合わないので、家具を持ち出しているところです」

「そう……って、今日、私たちここに泊まるつもりなのよ?」

 荷馬車には確かに様々な家具が乗っている。大きなベッドまでだ。家具を根こそぎ持って行かれては、この館を宿にしようとしているマリアたちは堪らない。

「……では、その女と交換でどうですか?」

「あっ……そうね」

 ここでマリアは、リサを連れてきていた事を思い出した。

「家具だけでは足りなければ、金も払いますけど」

「後からで良いかしら? 今から、この女は大勢の男に滅茶苦茶にされる予定なのよ」

「えっ?」

 マリアの台詞に驚いたのリサだ。子供の救済について話したいと言われて付いて来たはずがそれは嘘だった。自分が騙された事は分かる。だが何故、そんな目に合わなければならないか分からない。

「聖女なんて呼ばれて良い気になっている貴女が、どれほど淫乱か確かめてあげる」

 マリアも聖女と呼ばれて喜んでいた。二番目と言われた事に気付いて、一気に不機嫌に変わったが。

「どうして私が……」

「私、貴女みたいな女、大っ嫌いなの。優等生振ってさ。何の努力もしていないくせに、誰にでも好かれて。そのくせ裏では男とよろしくやっている。知っているのよ?」

「私はそんな事はしていないわ!」

「それはすぐに分かる事よ。今から貴女の本性を暴いてあげる」

「冗談じゃないわ! そんな事をされるくらいなら、この場で死ぬわ!」

「言うことを聞かなければ、子供たちが死ぬ。それでも良いの?」

 どうすれば相手を従わせる事が出来るのか。相手の弱点を見抜く力は、マリアのちょっとした才能だ。

「……そんな」

 自分の命であれば、いくらでも投げ出すことが出来る。だが子供を人質にされてしまうとリサは、どうにも出来なくなってしまう。そんな女性だから聖女とまで呼ばれるのだ。

「さすがは皇后様。見事な悪党振りですが、そこまでにしてもらえませんか?」

 意外にも男がマリアを止めに入ってきた。

「どうして?」

「商品価値が下がります。その女の良いところは生真面目でお固いところ。それが恥じらいながら体を開くところに価値があるんで。少し開発されて、我慢しながらも、喘ぎ声を漏らしてしまうなんてなったら最高ですね」

「……ちゃんと、こっちの用が終わったら渡すわよ」

 あまりに露骨な男の表現に、さすがにマリアも恥ずかしくなって、先程までの勢いを失ってしまう。

「だから、恥じらいを無くしちまうと価値が半減するんですよ。こっちも商売なもんで、商品を無駄に傷物にされるのは、あまり気分が良いもんじゃあないです」

 言葉はまあまあ丁寧な部類だが、男の話にはわずかに恫喝の色が混じっている。ただの脅しであれば、マリアも反発するのだろうが、商売人としての言い分であれば、確かにそうだと理解出来る。それにあまり機嫌を損ねる訳にもいかない。組織の利用価値はまだまだあるのだ。

「……分かった。貴方たちに渡しても娼婦に落ちるのだから、同じような事ね」

「ええ。余計な手間が省けるだけですよ」

 男も何気にマリアの気持ちをほぐしにかかる。男の方にもマリアと決裂出来ない事情があるのだ。

「じゃあ、連れて行って」

「へい。言うまでもないだろうが騒がないように。子供とやらの居場所は俺らにはすぐに分かるからな」

 リサに対する男の言葉は完全な脅しだ。リサがどう思おうと結果は変わらない。子供の命を握られれば、リサには為す術はないのだ。
 結局、男たちは荷馬車に積んだ家具などは全てその場に置いて去っていった。それの片付けに十人の屈強な若い兵士が役立ったのは、ちょっとした皮肉だった。

 

◇◇◇

 絶望で顔を真っ青にしているリサ。目の前の男はそんなリサを見ても、無表情のままだ。
 男たちの馬車は、また次の目的地に向かっている。まだまだ北部には置き忘れられたお宝が眠っているのだ。

「一応、名前を聞いておこう」

「…………」

「素直になることだな。自分の為にも、子供の為にも」

「……リサ」

 結局、逆らうことなど出来ないのだ。この先の地獄を思うとリサは胸が張り裂けそうになる。

「えっと……ありゃ?」

 急に男が素っ頓狂な声をあげた。手元にはどこから取り出したのか、紙の束が握られていた。

「お前、もしかして、リサ・ストークって名前か?」

「……ええ」

 いきなりフルネームを聞かれたリサは、更に怯えてしまう。自分の事を知っている男が薄気味悪かった。

「父親の名は?」

「バイゼル」

「……正解と。学生時代に付き合っていた男がいたな。その男の名は?」

「どうして、そんな事を聞くのですか?」

「幸福と絶望の分かれ道ってやつだ。運が良ければ幸福。運が悪ければ、このまま最低の人生に向かう事になる。さあ、名前は?」

 男の言っている意味は全くリサには分からない。それでも一縷の望みを胸に、一つの名を頭に思い浮かべた。付き合っていたと言えるかは微妙だ。その相手に別に好きな人がいたのは確かなのだから。

「……リオンくん」

 それでも答えるのなら、リサにはこの名前しかなかった。

「あんたは最高の運を持っているな。まさかこんな場所で、しかもあんな状況で俺らと出会えるなんて」

「……それは、どういう意味ですか?」

 男の雰囲気が一気に変わった。それが良い事であるとリサには分かる。少しずつ心の中で期待が膨らんでいく。

「あんたの選択肢は二つだ。一つは一生暮らせる金を手にして、このまま自由の身になる。もう一つはある所で働く事だ。贅沢は出来ないが食べるものには困らない。仕事の内容は、主人に心からの忠誠を向けて仕える事。望むなら子供も連れて行って良い」

「……その主というのは?」

 男が後者を勧めている事は話の感じで分かる。だが仕事の内容がはっきりしないのが、リサには気になった。心からの忠誠といわれても仕える相手による。こう考えるところがリサの生真面目さだ。

「それは仕えるかどうか決めてからだ。いや仕える場所に着いてからだ。ああ、そういえば仕えるには一つ条件があった。それを最初に伝えておこう」

「それはどういうものですか?」

「惚れない事。惚れるなは無理ってものか。惚れても良いけど報われようとか、報われても一番になろうとは思わないこと」

 意味ありげな笑みを浮かべて、男は変わった条件を提示する。伝えたいのは条件内容ではない。

「……分かりました。その仕事、受けさせて下さい」

 これで相手が誰か分からないほどリサは馬鹿ではない。死んだと思っていたリオンが生きていた。そしてそのリオンが、どうやら自分と子供たちを救ってくれる。この奇跡にリサは心から感謝した。