北部、旧ウィンヒール王国領に侵攻するだけの軍勢は今のグランフラム王国にはいない。領土拡大の機会ではあるが、それは諦めざるを得ない。その上でアーノルドは何か出来ないかを考えた。国の為ではなく民の為に。その結果、思い付いたのは。
「……北部に物資を送る。それは分かりましたわ。でもどうしてそれを私にお話されるのかしら?」
アーノルドに北部に物資を送りたいと相談されたエアリエル。そんな相談をさせる立場にエアリエルはない。
「何か方法はないかと思ってだ。北部は旧ウィンヒール候家の領地でもあるからな」
「……どうしてそのようなことをしようと考えたのですか?」
ウィンヒール侯家の領民たちを持ち出されては、エアリエルも相手にしないわけにはいかなくなる。
「最初に話した。北部は荒れ果てていて、そこで暮らす民は困窮している。その民に物資を届けたい」
「そうではなくて、どうして北部の人たちを助けようと考えたのですか?」
「……俺は王だ。困っている民を見捨てるわけにはいかない」
「…………」
答えを聞いたエアリエルは眉をひそめて、じっとアーノルドを見つめている。
「……甘すぎると思うか?」
「甘すぎるというより、今更ですわ。今の事態を招いたのにはグランフラム王国にも責任があると思われませんか?」
「そうだな……」
グランフラム王国の崩壊はランスロットの反乱が原因。だがそれを防げなかった責任がグランフラム王国にある。国を、民を守れなかった責任が。
「そうであるのにグランフラム王国は何もしようとしない」
「いや、せめて物資を送れないかと思って、俺は」
「それはグランフラム国王としての命令かしら?」
「命令ではない。頼んでいるのだ」
「そうではなくて、グランフラム国王として頼んでいるのかしら?」
「……そういうことか」
アーノルドの今の行動は国王としてのものではない。アーノルド個人としての考えで動いている。つまり、グランフラム王国は何もしていないのだ。
「国を動かせない国王では、この先も心配ですわ」
「……それは分かっている。国王といっても俺には何の力もない。だからといって諦めるわけにはいかない。それでは俺はリオンに永遠に追いつけない」
「どういう意味かしら?」
リオンの名を出されて、エアリエルの視線が厳しくなる。アーノルドに軽々しく呼んで欲しくないのだ。
「シャルロットに言われた。リオンであれば諦めることはしないと」
エアリエルの内心の思いに気が付くことなく、アーノルドは話を続ける。リオンについて話しているのは意識してのことではないのだ。
「……だから自分も諦めないと?」
「そうだ……エアリエルはどう思う? リオンであればどうしただろう?」
「リオンであれば、まず反乱なんて許さないわ」
それどころか、反乱をわざと起こさせて、その上で叩き潰すくらいのことは平気でしてのける。事が起こる前に、結果を作り上げる。それがリオンのやり方だ。
「……それはそうだな。それでもあえて聞きたい。今の状況でリオンはどうするだろうか?」
藁にも縋る思い、というとエアリエルに失礼だが、アーノルドは解決策を強く求めている。今の自分が何をするべきか、何が出来るかを知りたいのだ。
「私はリオンとは違いますわ」
「それは分かっている。エアリエルの考えを聞かせてもらえればいい」
「……北部に物資を送っても何も生まないわ。人々は喜ぶかもしれない。でもそれも一時的なこと。生活の基盤がなければ意味はないわ」
少し考えてから、エアリエルは話し始めた。アーノルドの為ではなく、困っている人々の為だと思って。
「生活の基盤?」
「日々の糧を得る為のお仕事よ。私は全ての人が困窮しているとは思わないわ。農地を持っていて、きちんとお仕事をしていれば食べていける。税を納めなくて良いから喜んでいるかもしれない」
「そうなのか?」
領地を治めるべき貴族がいない。それだけでアーノルドは領民は困窮していると思っていた。だがそうではない。
「貴族がいなければ人々が暮らしていけないなんて思い上がりではないかしら? もちろん困ることはあるわ。治安が一番かしら? でもそれは貴族のお仕事ではなく軍隊のお仕事だわ」
「……そうか」
貴族がいなくても、きちんと農作業をしていて、天候に恵まれれば作物は育つ。当たり前のことだ。ほとんどの貴族は農作業なんてしたことがない。彼らが行っていたのは収穫した作物を税として徴収していくだけ。
「そう考えると物資を送るというのも考えものだわ。届いた物資は盗賊たちに狙われないかしら?」
「狙われるな」
物資を運んでいれば目立つ。途中で奪われないように護衛は固めたとしても、領民に渡したあとはどうなのか。エアリエルの話を聞いて、アーノルドはそれに気付いた。
「治安を回復することは出来ないのですね?」
「それが出来る力があるのであれば、とっくに軍勢を送っている」
「じゃあ……呼ぶしかないのではないかしら?」
「呼ぶ? 誰を呼ぶのだ?」
「困っている人たち」
「……そんなことが……いや、出来ないと決めつけては駄目か……いや、しかし……」
北部の困窮している民を呼び寄せる。それがどれだけの数になるか分からない。バンドゥよりも遙かに広大な地域なのだ。
「調べる必要はあるけど、思っているよりは少ないと思うわ」
「何故、そう思う?」
「グレートアレクサンドロス帝国に付いた貴族家が、領主のいなくなった土地をいつまでも放置しておくとは思えないから」
「しかし貴族家による治安回復は思うように進んでいないと聞いている」
前回の戦いで北部の貴族家軍もかなりの損害を出した。少ない軍勢で盗賊討伐はままならないとアーノルドは報告を受けている。
「……それは本当かしら?」
「嘘だと?」
「全てが嘘とまでは言いませんわ。でも中には戦争に駆り出されるのが嫌だったり、領地を増やしているのを知られたくなかったりする貴族もいるかもしれません」
「そんな貴族が……」
自身の利の為に国を欺く。その行為に嫌悪感を覚えているアーノルドだが。
「民が強かに生きているのと同じように、貴族家も生き残りに必死。そう思えないかしら?」
「生き残りに必死……そうなのか?」
「実際のところは分かりませんわ。でも今回の戦乱によって貴族家は翻弄されていますわ。彼らは侯家の争いに引きずり込まれただけですもの」
王家と三侯家。グランフラム王国の四強が争うことになれば他の貴族家はそれに従うしかない。戦いたくなくても参戦するしかなかったのだ。
「確かにそうだな」
「話が逸れましたわ。全ての人を助けられないから諦めるなんておかしいですわ。助けられる人は助けるべき。そう思いませんか?」
「……そうだな。エアリエルの言うとおりだ」
完璧を求めても仕方がない。それが出来る力は自分にはないのだ。それを思って、少しだけアーノルドは気持ちが軽くなった気がした。
「それと相談は私ではなく、バンドゥの人たちに。グランフラム王国が動かなくてもバンドゥの人たちは動きますわ。それが正しいと思えれば」
「俺の行動は正しいか?」
「……施政者としては甘すぎるとは思いますが、間違ってはいないと思いますわ」
「そうか。分かった」
エアリエルがそう言うなら、自分の考えは正しいのだ。こうアーノルドは思う。そうであるからエアリエルはバンドゥの人たちに相談しろと言ったのだと。それがアーノルドには嬉しかった。エアリエルに、リオンに認められたような気がしたのだ。
◇◇◇
アーノルドの依頼を受けたバンドゥ党は動き出した。まずは黒の党による北部の実態調査。どこにどれだけ、どの程度、困窮している人々がいるかの調査だ。それと並行して、北部からの安全な移動ルートの確認も必要だ。かなりの時間がかかることが予想された。
それでもアーノルドは満足している。何も出来ないで鬱屈した思いを抱えているよりは、遙かに良い状況だ。
それに調査を行っている最中もやることはある。エアリエルの言った生活基盤。それをどうするか考えなければならないのだ。
「結局は人だと思うのだ」
「……人。人ね」
いきなりそんなことを言われてもシャルロットには何のことか分からない。それでも分かったような振りをしてみた。
「何をするにしても自分一人では出来ない。支えてくれる人材が必要だ」
「ああ、そうね。そうだと思うわ」
ようやくアーノルドが何を言いたいのかシャルロットにも分かった。分かったのは話の内容だけで、どうして自分にこんな話をしているからは分からないままだが。
「その人材採用を手伝ってもらいたい」
「……私が?」
「そうだ」
「そう言われても、私には何をどうすればいいか分からないわ」
人材採用のやり方などシャルロットは知らない。やはり、何故、自分にこんなことを言ってくるのか分からなかった。
「それはこれから説明する」
「……お願い」
「ファティラース王国に行ってもらえないか?」
「あっ……そういうことなのね」
ようやくシャルロットはアーノルドが話し相手に自分を選んだ理由が分かった。シャルロットの実家であるファティラース王国から人材を登用しようという意図だと。
「南部では民衆の叛乱が激しくなっている。俺も話で聞いているだけだが、信じられない規模のようだ」
「……もう駄目なのかしら?」
「押さえるのは難しいだろう。民衆に背かれては国が成り立たない。それが実証された形だ」
これまで国、そして貴族は民衆の力を侮っていた。力の無い、ただ大人しく従うだけの存在だと。だがファティラース王国の現状は、そんな考えを吹き飛ばすものだ。住民の叛乱によって国が滅びそうなのだから。
「馬鹿よね。守るべき民に背かれて、それで国を滅ぼすなんて」
「君の父上が悪いわけではない」
「でも父は国王だわ。名ばかりの国王だったとしても」
父親が国王を名乗ったことをシャルロットは納得していない。信念もなく、ただ成り行きでなった国王。そう考えているのだ。
「ファティラースの件は、アレクサンドロスの策略じゃないか。悪政を行っていたわけじゃない」
「えっ?」
アーノルドの話を聞いて、驚くシャルロット。
「知らなかったのか?」
それにアーノルドは驚いた。知っているものを思っていたのだ。
「ええ」
「俺はエアリエルに教わった。だから君も聞いているものだと思っていた」
「エアリエルは必要なことしか話さないから」
「そうなのか……大事なことだと思うが」
シャルロットの実家で起きている問題だ。当然、話されるべきことだとアーノルドは思う。
「知っても私には何も出来ない。そういうことだと思うわ」
マリアの謀略を止める力はシャルロットにはない。聞かされても悩むだけだ。
「……エアリエルにも止められないのだろうか?」
エアリエル本人ではなく、その影にあるであろう力。リオンが持っていた力を使えば、ファティラース王国の現状を何とか出来るのではないかとアーノルドは考えている。
「仮に出来たとして……エアリエルにそれを行う理由はないわ」
「しかし、それでは君の家族が」
「だから助ける理由がないの。それどころか……恨まれていてもおかしくない。これを言ってはいけないのかもしれない。でも……エアリエルはグランフラム王国が滅びても何とも思わない。いえ、滅びてしまえと思っているかも」
「……まだ恨んでいるのだな」
ヴィンセントを死に追いやったこと。リオンを助けられなかったこと。グランフラム王国がエアリエルに恨まれる理由はいくつもある。
「恨みが消える理由はない。いえ、少しは許されているのよ。だって私と貴方は、あっ、陛下は」
「直さなくていい。呼び捨てでもかまわない」
「でも……」
「そうして欲しい。国王としてでなく、アーノルドという一人の人間として……これは無理か。話しているのは政治だ。それでもこれまで通り、いや、昔のように話して欲しい」
学院時代のように。アーノルドにとって今それが出来るのはシャルロットだけなのだ。
「……分かったわ。少し許されたから私と貴方は生きている。そう思っているわ」
「個人は許しても国は許されないか……俺は許されたわけではないな」
「それでも、フラウを守る為に力を貸してくれたことには感謝していると思うわ」
フラウの件があるから。これは正しい。だが感謝しているからではなく、存在が必要だから生かしているだけ。そこまでのことはシャルロットには分からない。
「どうかな? 感謝しなければならないのは、こちらかもしれない」
「どうして?」
「エアリエルが自分の陣営にいる。それによってグランフラム王国はまだあるのかもしれない」
アーノルドは真実を感じ取っている。シャルロットに比べて、はるかに厳しい態度をエアリエルから向けられているアーノルドに、感謝されているなんて甘い考えはない。
「リオンくんが選んだ……エアリエルさんが選んだのかしら? とにかく、どちらも普通ではないわね」
「学院時代にそれに気が付いていたらと思う。後悔しても無駄だと分かっているが、どうしてもその思いは消えない」
「気が付いていたわよ」
「えっ?」
「私たちは二人が特別な存在だって気が付いていた。ただそれを認めたくなかっただけ。その思いが強すぎて……あんなことを……」
嫉妬。アーノルドとシャルロットが罪を犯した原因は、リオンとエアリエルへの嫉妬にある。嫉妬したくなる何かに気が付いていたのだ。
「……そうだった。駄目だな。結局、俺はまだ自分の罪と向き合えていない。あの時と変わっていない」
「そんなことはないわ。貴方は変わった。リオンくんを理解しようとした。自分を理解してもらおうとした」
「でも出来なかった。俺は……もっと出来ると思っていた。学院時代の俺は、やはり思い上がっていたのだ」
エアリエルの想いが自分ではなくリオンにあることを認められなかった。自分を選ばないエアリエルが許せなかった。自分はリオンよりも上。当時のアーノルドはそう思っていた。
「貴方は頑張っている。ただ、少し気付くのが遅かっただけよ」
「その少しが取り返しのつかないことを引き起こした」
「……そうであってもただ悔やんでいるだけでは駄目。次は後悔しないようにしないと」
過去を向いて後悔し続けても仕方がない。それでは未来も見失うだけだ。シャルロットはそう思う。そう思えるようになった。
「……次か。そうだな。同じ失敗を繰り返してはいけない」
「そうよ」
「……シャルロット。話がある」
「えっ、何?」
話なら、ずっとしている。そうであるのに改まって話があるというアーノルドに、シャルロットは戸惑っている。
「君が亡くなったリオンのことを想っているのは知っている」
「え、ええ……」
思いがけない方向に話が向いた。シャルロットの胸の中に、なんとも不思議な感情が湧いてきている。
「それでもかまわない。俺にケジメをつけさせてもらえないか?」
「ケジメって……?」
「君と俺は夫婦だ。今は形だけの夫婦だが、それを……本物にしたい」
「……どうして? どうしてそんなことを言うの?」
自分の気持ちはリオンにある。それが分かっていて、こんな話をするアーノルドの気持ちがシャルロットには分からない。
「俺は……エアリエルに想いを告げられなかった。きちんと、政略としてではなく、心から結婚を望んでいると伝えるべきだった。それで振られるべきだった」
「それは無理よ。エアリエルさんが断れるはずがない」
断れるならエアリエルはそうしていた。それが出来ないから不幸な出来事が起こったのだ。
「……それはそうか。そうだとしても自分の気持ちは伝えるべきだったと思う。だが俺はそれをしなかった。リオンに負けるのが嫌だったから、勝負を避けた」
「そうかもしれない……私も自分の気持ちを伝えるべきだった」
アーノルドに自分の想いを伝えていたら、どうなっていたか。それをシャルロットは考えてみた。もしかしたら、自分に都合の良い考えかもしれないが、上手く収まったかもしれない。そう思った。
「……それじゃあ振られた者同士になってしまうな」
「ああ……そうね」
当時の自分の気持ちはアーノルドにあった。それは口には出来なかった。それではアーノルドのプロポーズを受け入れたみたいになってしまうと想ったからだ。
「結論は急がない。とにかく気持ちを伝えておきたかった」
「……どうして私なの?」
「君といると楽だ。気を張る必要がない。理由は正直分からない……いや、今更、自分を飾る必要がないからかな? 君は俺の駄目なところを知っているから」
「そう……」
「もう一度言う。結論は急がない。逆に時間が欲しいくらいだ。今のままでは君を幸せに出来ないのは分かっている。それが出来ると思えるように頑張るから、その時まで結論を出すのは待ってくれ」
「……分かったわ」
シャルロットは内心で断らなかった自分に驚いている。リオンへの想いはそんなものだったのかと、自分を責めたくなる。だがその一方でアーノルドの言葉に共感している自分がいることにも気付いている。
自分を飾る必要のない相手。無理する必要のない相手。自分も本心ではそういう相手を求めているのではないかと。