月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

悪役令嬢に恋をして 第91話 四年間の成果

異世界ファンタジー 悪役令嬢に恋をして

 ローランド王国の侵攻はメリカ王国軍に大いに衝撃を与えた。だがリオンの望むように、戦いを止めて撤退という事にはならなかった。
 そうしたくても東方諸国連合軍が追撃してくるのは間違いない。撤退戦の困難さをメリカ王国軍はよく理解しているのだ。敵国からの撤退となれば兵は命を惜しむ。元々命は惜しむものだが、戦功も守るものもない撤退戦では、その気持ちを押さえてこんで敵に向かう気力が奮い立たなくなるのだ。そうなれば、どれほど数で優っていても勝てるはずがない。
 それでも撤退を行おうとするならば、全滅覚悟の殿軍を置いていくしかない。メリカ王国軍はその選択を採らなかった。殿軍の犠牲を惜しんでのことではない。ローランド王国などよりもリオン一人の方が余程危険だと考えたからだ。
 大軍でこうしてリオンと正面から向かい合う場面は初めてのこと。そしてこれを逃せば、次の機会はいつになるか分からない。ここでリオンを討ち果たすべきとメリカ王国は判断した。
 東方諸国連合軍との決戦を前に、まずは全軍の中から五千程を後退させた。後背を塞がれる事を防ぐ為、万一の場合の撤退路を確保する為だ。これで兵の間に少しは安心感が生まれる。それにより、前面の東方諸国連合軍に全力で向き合えるようになれば、たかが五千の兵など、減らしてもどうという事はない。それでも、まだ二倍以上の兵力差があるのだ。
 更に、ペイン王国に居る軍を移動させて、逆に東方諸国連合軍の後背を塞ぐように指示をする。実際にどこまで塞げるかは別にして、この動きを知った東方諸国連合軍の兵が不安になってくれれば、それで十分に効果はある。
 このような指揮はハンス・サザランド上将軍の意向が働いている。ハンス上将軍らしい、堅実な作戦だ。

「敵の予備兵力の動向は掴めたのか?」

「はっ。自国の国境付近の防衛拠点に集結している模様です」

「そうか……」

 部下からの報告を聞いて、ハンス上将軍は不満そうな顔をしている。自分の思っていたような情報ではなかったのだ。
 東方諸国連合軍はおよそ二万。シエナにどれだけの軍勢が籠っているかは、はっきりしないが、見積もりを間違っていたとしても二万が四万になるとは思えない。東方諸国連合の総動員兵力を考えた場合、目の前の兵数が少なすぎると、ハンス上将軍は考えているのだ。
 もちろん部下の報告のように、自国の防衛任務に割いている人数も居るだろう。だがこの戦いに勝った方が、最終的な勝利も手にするだろうという決戦を前にして、そのような備えにどれ程の意味があるのかと考えてしまう。

「他に軍の動きは本当に無いのか?」

「タリア、ペインの国境には、かなりの斥候を送り込んでおります。その監視の目をすり抜けて、軍が移動出来るとは思えないのですが」

「それが出来るのがリオン・フレイだ。国境に貼り付けた斥候を戻せ。探索範囲はこの地点より半径五十キロ。不足する分は本軍が追加する。良いか、接近する部隊は、たとえどんな小規模でも報告させろ」

「はっ!」

 ハンス上将軍の命令を受けて、部下が天幕の外に出て行った。その背中を見つめるハンス上将軍は、まだ浮かない顔をしている。

「心配事ですか?」

 その様子を見て、オリビア王女が声を掛けた。

「先ほど申していた通りです。東方諸国連合軍の数が少ない。いえ、常識的な数といえば、そうなのですが、果たしてリオン・フレイがこんな当たり前の事をするのかと」

「彼であれば、この戦場での勝ちに全てを賭けると?」

「儂でもそうします。東方諸国連合には後はない。この場で勝つしかないのです」

「そうですね。でも、東方諸国連合がそこまで彼の言う事を聞くかしら?」

 自国の防衛を捨てて、全ての兵をタリア王国での戦いに投入しろ。これを言われて、素直に言うことを聞く国王がどれだけいるか。オリビア王女の疑問ももっともだ。

「普通は聞きません。だが……考えすぎですかな?」

 ハンス上将軍はリオンの力を恐れている。戦場の武に対してではない。少なくとも経験においては、ハンス上将軍はリオンより上だという自信がある。ハンス上将軍が恐れているのは、リオンの政治力と言って良い力だ。
 ローランド王国を動かした。こんな事がただの傭兵に出来るはずがない。だが実際にローランド王国はメリカ王国との戦いを決め、侵攻を開始した。それがどれだけ覚悟がいることかは、ローランド王国とメリカ王国との国力を比較すれば分かる。単独ではローランド王国は決してメリカ王国には勝てない。そう言えるだけの差があるのだ。
 ローランド王国が動いた要因として考えられるのは二つ。両国の国境近くにある城塞都市の裏切り。詳細はまだ掴めていないが、ほとんど抵抗する事なくローランド王国軍に降った事が分かっている。街そのものが裏切った訳ではないにしても、かなりの内通者が居た事は確かだ。
 もう一つは自軍の敗戦の噂が、かなり誇張されて周囲に広がっていた事。被害は確かに大きいが、負けたと言われるほどの敗戦はしていない。だが南部の諸国、そしてメリカ王国の民衆たちの間でも、侵攻軍は壊滅的な打撃を受けて、撤退も出来ない状況という事になっていた。あまりの広がりように第二、第三のローランド王国が現れるのをメリカ本国も恐れて、火消しに躍起になっているほどだ。
 今のところはローランド王国に続いて、メリカ王国に侵攻しようという国は現れていないが、もし現れる事になれば、侵攻軍はタリア王国を放棄して、撤退せざるを得ない事態になるだろう。
 本国はともかく、侵攻軍の上層部はあまりの都合の良さに、リオンの介入を疑っている。そして事実、リオンであった場合、その背後にどれだけの力があるのかを恐れていた。

「彼と戦うにあたって、警戒に警戒を重ねる事は良いことね。でも慎重になり過ぎるのはどうかしら? 彼はそれを狙っている可能性もあるわ」

「……なるほど。出来る事をしたと思えたら、後は自分たちを信じて戦うしかありませんか」

「それが正しい在り方だと私は思っているわ」

 そしてこれはリオンの在り方でもある。ありとあらゆる手を打った後は、少々の目論見違いなど気にせずに事を進めていく。目指す成果を少しずつ修正しながら。

「では、本格的な戦いを開始しますか。我軍は強い。それを信じて」

「ええ。勝つわよ」

「はっ」

 いよいよ、東方諸国連合軍とメリカ王国軍との決戦が始まる。

 

◇◇◇

 メリカ王国の軍は強い。数が多いというだけでなく、精強さにおいても、グランフラム王国と一二を争っている。だが少なくとも千人規模の部隊においては、その座を返上する必要があるようだ。
 戦いが始まってからずっと、不思議の国傭兵団の黒色騎獣兵団にメリア王国軍はヤラレっぱなしだった。

「敵の進路を塞げ! とにかく足を止めるのだ!」

 メリカ王国の指揮官の怒声があちこちで響いている。黒色騎獣兵団の強さは、その騎乗する魔獣にある。異常に速く、しかもスタミナもとんでもなくあるのだ。これに対抗しようと騎馬隊を出しても、追い付くことも出来ずにただ引き釣り回されて、何も出来ないまま馬が潰れてしまう事になる。
 魔法による攻撃もあまりの速さに的を捉えられず、無駄に魔力を使うだけで終わり。そうであるなら黒色騎獣兵団とはマトモに戦わずに他の部隊に兵を向けようとしても、当たり前だが邪魔をされて、うまく攻め切れない。
 負けているというほどではないが、どうにも決め手に欠ける状態がずっと続いていた。

「騎獣がこれ程のものとは……」

 ハンス上将軍が忌々しげに呟いている。メリカ王国でも騎獣部隊の編成は検討されている。オリビア王女が捕虜にされた時の戦いで、その存在は知っていたのだ。
 だが事は思うように進んでいない。まず魔獣を生きて捕らえるという事が困難な上に、それが出来ても飼い慣らす事が出来ないのだ。これの解決策が見つけられないままに、計画だけが残っているというのがメリカ王国の現状だ。
 だが敵の黒色騎獣兵団は千騎の部隊であり、その威力ときたら十倍の騎兵でも止められないのではと思うほどだ。今更ではあるが自軍にも同じ部隊があればと、ハンス上将軍は悔やんでいる。
 それでもただ悔やんでいるだけのハンス上将軍ではない。何とか対応策はないかと懸命に頭を巡らせている。

「全体を前進させたらどうですか?」

 立ち向かう部隊の規模が小さいと黒色騎獣兵団を止められない。そうであれば大軍で陣を組んだまま、敵との距離を詰めれば良い。オリビア王女の考えは単純だ。
 だがこのシンプルな思考が、大抵の場合は正しかったりするのだ。

「……半分を」

 だがハンス上将軍がそのまま受け入れなかった。慎重なようでもあり、中途半端なようでもある。

「半分も全軍も同じではないですか?」

 オリビア王女は中途半端だと判断した。

「敵の投石器の射程に入ります」

 距離を縮めれば、投石機や射出機の射程内に入ることになる。ハンス上将軍はこれを気にしていた。

「飛ばす石や矢は尽きたとの情報が入っています」

 メリカ王国軍は敵の情報収集にも注力していた。投石器などに使う石や矢は、かなり初期の段階で尽きているという情報がメリカ王国には届いている。

「そうなのですが、その情報が届いて以降は、街の中の様子は全く伝わってきておりません」

 シエナに送り込んでいた間者からの情報が途絶えている。これは異常事態だ。

「……情報を操作されていると言うの?」

「断言は出来ません。ただ、そうでないとも言えません」

「……ほんと面倒な男ね」

 判断材料となる情報が信用出来ない。それでは人の思考は止まらないまでも混乱する。導き出す答えに自信が持てなくなるのだ。

「中途半端なのは分かっております。ただ試してみないと真実が分かりません」

「もっと少なくしては?」

「それこそ中途半端です。敵に隠し玉を使わせるには、そうしなければならないと思わせる状況が必要になります」

「そうね。では二万を前進させて」

「はっ」

 オリビア王女の決断を受けて、二万の軍勢がゆっくりと前に出る。空からの投石器の攻撃と地を走る騎獣からの攻撃の両方を警戒しながらだ。
 そしてこの作戦は、ある意味では成功となる。かなりシエナに近づいた所で、外壁の向こう側から多くの石が飛んできたのだ。それが二万の前衛軍の兵の頭上に降り注ぐ。

「引け! 引くのだ!」

 投石器の弾である石は、やはり尽きていなかった。それが分かったメリカ王国軍は、慌てて後方に下がろうとするのだが、更にそこへいくつかの大きな石が放たれてくる。
 それだけではない。これまで陣に篭って守りに徹していた東方諸国連合軍から、騎馬隊が飛び出してきて、後退しようとしているメリカ王国軍へ追撃をかけようとしている。

「敵騎馬隊接近! 陣を組めっ!!」

 後背から襲われては堪らないと、メリカ王国軍は投石器の射程から外れたであろう場所で陣形を組み始めた。
 メリカ王国軍としては望むところだ。ようやく東方諸国連合軍と真っ向から戦える機会が訪れたのだ。
 だがメリカ王国側にとって残念な事だが、リオンが劣勢を承知で真っ向から戦うはずがない。メリカ王国軍が東方諸国連合軍の騎馬隊に意識を向けている間に、黒色騎獣兵団が戦場を迂回して、後方の本陣に向かって駆けていた。

「もっ、戻れっ! 本陣を守るのだっ!!」

 メリカ王国軍には一つの弱点がある。戦女神と呼ばれるオリビア王女の存在だ。彼女の存在は軍の士気を大いに高めるのだが、その分、前回のように捕虜にとられるような事態になれば、それで敗戦が確定する可能性がある。
 ハリス上将軍の同行はそういった事態を防ぐ為であり、オリビア王女本人も切り捨てられる覚悟は出来ている。だが上層部がどう考えていたとしても、一般の騎士や兵にとってはオリビア王女は別格な存在で、どうしても守らなければならない対象だった。
 東方諸国連合の騎馬隊を迎え撃つ為に組んだ陣形の後方が崩れていく。本陣の守りに向かったのだ。その乱れを黒色騎獣兵団は見逃さなかった。最初から、狙っていたのだから、当然だ。
 進路を本陣から、前線でまだ陣を組んでいるメリカ王国軍に向け、その後背から突撃を行った。守りの崩れた後方から襲われて、陣形が大きく揺らぐ。
 その乱れが前方にまで広がったところに、東方諸国連合の騎馬隊が突入した。

「やられたっ! 後軍を前に出せ! 前軍を支えるのだっ!!」

 前線の状況を見て、ハリス上将軍が慌てて指示を出す。それに応えて陣のあちこちから、前進の号令が響き渡っている。二万の後軍がゆっくりと動き始めた。

「本陣も後に続きます。孤立していては敵が何を企むか分かりませんから」

 本陣を構成するのはハリス将軍の直率軍三千と、オリビア王女の近衛二千の五千だ。オリビア王女の近衛も、近衛というよりは、直率軍のようなものだ。メリカ王国全軍の中でも精鋭といえる五千だが、それでも不思議の国傭兵団が相手では不安を感じてしまう。
 後軍二万に続いて、本陣の五千も前に出る。又、四万五千の軍勢が一つに纏まった。それと共に東方諸国連合の騎馬隊も、黒色騎獣兵団も自陣に引き返していった。

「……別働隊の合流を待つ手もあります」

 ハリス上将軍が言う別働隊とは、ペイン王国に駐屯していて、今は東方諸国連合軍の後ろを塞ぐように展開している軍の事だ。総勢二万で、これが合流すれば六万五千の軍勢になる。
 それだけの数が必要かもしれないと、ハリス上将軍は考え始めている。

「それで勝てるのであれば、私はいくらでも待ちますが」

「まさか勝てないというのですか?」

「……正直に言えば、今は少しそう思っています」

「何と?」

 オリビア王女の弱気に驚いたのは、ハリス上将軍だけではない。側近のユーリや他の近衛騎士たちもだ。オリビア王女の口から滅多にこの様な弱気が出ることはないのだ。
 だがオリビア王女の続く言葉は、彼らをこれ以上に驚かせる事になる。

「私の勘違いであれば良いのですが」

「何ですかな?」

「彼はこの戦場に居ないのではないですか?」

「なっ……?」

 ハリス上将軍は言葉にならない驚きの声を漏らした後、固まってしまった。

「私が知る限り、彼は常に前線で、それも先頭に立って戦おうとする。いつからかはっきりしないのですが、彼の姿が見えなくなっています」

「大軍同士の戦いです。後方で指揮を取っているのではないですか?」

 オリビア王女の言葉に異論を唱えてきたのはユーリだ。だがこれは忠心からのものではない。

「ユーリ。無理に否定しても何の解決にもなりませんよ? 貴方も分かっているはずです」

 ユーリの気持ちをオリビア王女はお見通しだ。リオンの居ない敵軍に一方的にやられていると認めたくないのだ。

「ではリオン・フレイはどこに居るとお考えですかな?」

 ハンス上将軍も動揺から立ち直ったようで、オリビア王女に問いを投げてきた。

「はっきりとは分かりません。ただ考えている通りだとすると、嫌な予感がします」

「……持久戦など考えている場合ではありませんか」

 ハンス上将軍にもオリビア王女の考えている事が分かった。戦場はここだけに限定されている訳ではない。他の場所にもメリカ王国軍は居て、恐らくはリオンはその軍と戦っているのだ。
 それがどこであろうとリオンが勝って戻ってきた場合、状況は今よりもかなり悪化する事は間違いない。
 これを防ごうと思えば、リオンが戻る前に東方諸国連合軍を粉々に討ち果たすしかない。

 この日から、メリカ王国軍の怒涛の攻撃が始まる事になる。東方諸国連合軍の陣を大きく後ろに後退させて、シエナの街に迫る。街からの投石器などの攻撃も、再度途絶え、いよいよ外壁への攻撃が始まったその時に、メリカ王国の本陣に恐れていた報が届いた。しかも複数だ。
 一つは別働隊がリオン・フレイ率いる騎獣部隊と東方諸国連合の連合軍に敗れたというもの。東方諸国連合軍は、恐らくは防衛拠点を守っていたはずの軍勢と考えられている。それ以外には居ないはずなのだ。
 そしてもう一つは不思議の国傭兵団の団長アリスが率いる騎獣部隊の攻撃によって、後方に回した部隊が崩壊したという報告。
 メリカ王国は完全に動きを読まれ、それを利用されたという事になる。
 だがこれ以上にオリビア王女たちを震撼させたのは、騎獣部隊がまだ他に居るという事実。どれだけの数かは、この時点でははっきりしていないが、その騎獣兵団もリオンとアリスと共にこの戦場に現れる。それもすぐに。魔獣の足がメリカ王国の伝令の馬のそれよりも遅いはずがないのだ。
 オリビア王女もハンス上将軍も、この時点で敗北を覚悟した。
 メリカ王国の失敗は、グランフラム王国に居た時のリオンの力を基準に物事を考えた事だ。国を離れたリオンはその力を大いに強めていた。それはリオン個人の力だけではなく、従う部下の力も、組織としての力もだ。
 東方諸国連合のどの国よりも力を持っているかもしれない。タリア国王とステファン将軍の考えは正しかったのだ。