グランフラム王国に、いよいよ大動乱の波が押し寄せてきた。ランスロットが遂に積極的に動き始めたのだ。
アクスミア侯家の従属貴族の過半数が自陣営に流れたところで、ランスロットは強引な手段を取り始めた。従わない従属貴族の討伐に動いたのだ。
強硬姿勢を示す従属貴族を二家、討ち果たしたところで、日和見をしていた従属貴族家は一斉にランスロット陣営に流れた。これで三分の二がランスロット陣営に流れた事になる。
こうなるともうアクスミア侯爵陣営に勝ち目はない。ランスロットの復権を認め、家督もすぐに譲るという条件で決着をつけようとした。
だがランスロット側はこれを拒否。逆にアクスミア侯爵夫妻、そしてランスロットの弟の死によって従属を認めるという条件を返した。これにはマリアの意向が働いている。ここで許してしまえばアクスミア侯家が残る事になる。マリアが求めているのはアクスミア侯家の国ではなく、マリアとその夫であるランスロットの国だ。自分の権力を脅かす可能性のある存在を許すわけにはいかないのだ。
このような条件をアクスミア侯爵が受け入れるはずがない。だがランスロット側はアクスミア侯爵に条件を提示したつもりはない。アクスミア侯爵夫妻と弟の命を差し出せば命は救ってやると、他の者たちに示したのだ。
それにまんまと乗る者が出て、アクスミア侯爵夫妻と弟は殺される事になり、ランスロットはアクスミア侯家の全ての力を手に入れる事となった。
これで三侯の一つであるアクスミア侯爵家は、血筋はともかく、家名は途絶える事になる。
ランスロットはアレクサンドロス王国の建国を宣言し、ランスロット・アレクサンドロスと称した。
この事態に、グランフラム王国も手をこまねいていた訳ではない。アクスミア侯爵との交渉は続けていたし、アクスミア侯爵が殺された後は、従属貴族家にランスロットからの離反を働きかけていた。だがこれが思う様にうまくいかなかった。靡く貴族家はほとんどいなかった。
こうなるとグランフラム王国も策略ではなく、戦略の段階に移るしかなくなる。アレクサンドロス王国、グランフラム王国は認めていないが、との戦争準備に取り掛かった。
動員されたのは王国騎士兵団六万。これにウィンヒール侯家軍とファティラース侯家軍のそれぞれ二万が加わる事になる。総兵力十万、アレクサンドロス軍の三倍近い動員数だ。
アレクサンドロス側も、王国の動きに合わせて軍を進めて来る。戦いの地は王都から西方に三週間ほど進んだ所にあるコシウ盆地となる、予定だった。
だが戦いはグランフラム王国が思ってもいない場所で行われる事になった。
「城門を守れ! 敵の侵入を許すな!」
王城の廊下に近衛騎士の叫び声が響いている。ほぼ不意打ちの状況で城内は大混乱だ。
攻め寄せてきたのはアレクサンドロスとの戦いに参陣するはずだったウィンヒール侯家の軍。まさかの裏切りに、王都の外壁の門は呆気無く突破され、ウィンヒール侯家軍三万に王都への侵入を許すことになった。
ウィンヒール侯家軍は直ぐに王城を包囲。正門、裏門の両方から攻め立てている。守る王国騎士兵団、近衛騎士団にとって戦況は芳しくない。城に残っている王国騎士兵団の数は少ない。城に詰めていた近衛騎士団と合わせても四千が良いところだ。
それだけではない。ウィンヒール侯家は小部隊ではあるが、エルウィンが国王へ謁見するという名目で、裏切り前に王城に侵入していた。その小部隊が内側から、裏門に向かったウィンヒール侯家軍を城内に引き入れてしまったのだ。
「……陛下。お逃げ下さい」
近衛騎士団長が国王に城から落ちるように進言した。今の状況で敵を押し返すのは不可能だ。ここで国王が討たれるような事態になれば、アレクサンドロスとの戦いに向かった王国騎士兵団も自壊する事になる。
ここは一旦逃げて再起を図るしか無いと、近衛騎士団長は考えている。
「逃げるといってもどこへ逃げれば良いのだ?」
「まずは王都を出る事。それが出来たなら落ち着き先を決め、軍を集結させて王都奪還に動けば良いのです」
何処へなど、この時点で決められるものではない。王都周辺がどういう状況なのか、全く分かっていないのだ。
「それは分かるが……」
「時間がありませぬ。ご決断を」
近衛騎士団長は躊躇う国王に決断を促す。城を抜け出す方法はある。難しいのは抜けだした後に追っ手を振り切ることだ。その為には逃げた事を相手が気付くのは少しでも遅い方が良い。
「……分かった」
国王が王都から逃げることを決断した。この瞬間に王都の陥落が、グランフラム王国の分裂が確定した。
一方で、この機会を利用しようとしている者たちも居る。エアリエルたちだ。王都陥落となればグランフラム王国は、エアリエルたちに構っている余裕などなくなる。逃げ出しても追っ手がかかる可能性はかなり低いはずだ。
問題はどうやって城を、王都を抜け出すかだが、それについてはずっと前から準備をしてきている。それこそエアリエルが城の奥に住み始めた頃からだ。
その準備がいよいよ役に立つ日がやってきたのだが、思わぬ邪魔者が現れていた。
「ここに居ては危ない。城を出るんだ」
そんな事は分かっている、とはエアリエルは口にしない。お前が居るから逃げられないのだ、とも。
「では急いで準備をしますので、王太子殿下は先に逃げてください」
邪魔者はアーノルド王太子とその近衛騎士たちだ。アーノルド王太子はエアリエルたちを救おうと奥に駆けつけたのだが、エアリエルたちにとっては迷惑この上ない。
エアリエルが逃げるのはグランフラム王国からなのだ。
「そうはいかない。すでに城内に敵が侵入している。エアリエルたちだけでは危険だ」
「私などより王太子殿下の御身が大事ですわ。近衛騎士の方々、そうではなくて?」
アーノルド王太子の説得は不可能と判断して、エアリエルは話を、ランバートたち近衛騎士に向けた。
「それはそうですが、ここは全員で逃げるべきだと思います」
「私たちが一緒では足手まといだわ。良いのですか? 王太子殿下を危険に晒して?」
「それは……」
ランバートにとってはアーノルド王太子が一番の大事。エアリエルの言葉に揺らいでしまう。
「こんな事を話し合っている暇はない! もうすぐ奥にも敵がやってくるのだ!」
だがここで又、アーノルド王太子が話に割り込んできた。一般的にはアーノルド王太子の言い分が正しい。これを覆そうというエアリエルの方に無理がある。
「……どの様にして、城を出るのですか?」
エアリエルも分かっているので、一旦はアーノルド王太子たちに同行する方法も考える事にした。城を出てしまえば、いくらでも振り切る機会はあると考えてのことだ。
「城には王族しか知らない隠し通路がある。それを使えば敵に知られずに、王都を出ることが出来る」
「……それは本当に王族しか知らないのかしら?」
「何?」
「この王城が出来て数百年。ずっと秘密は守られてきたのかしら? 攻めてきているのは、侯家ですわよ?」
侯家は同じくらいの年月、いつか王家に成り代わろうと、野心を燃やしていた。王城を落す方法を、その為に必要な情報を調べていたとすれば、秘密が秘密で在り続ける事は難しい。この侯家の執念は、王家には分からない事だ。
「……いくつかある。全てが知られてはいないはずだ」
「つまり、全てが知られていないとは言えない。王太子殿下が使おうとしている隠し通路が、たまたま侯家にバレている抜け道である可能性もあるわ」
「しかし、隠し通路を使わなければ、城から逃げ出せない」
「……もう良いわ。ソル、逃げるわよ」
アーノルド王太子に付いて行く気にはなれない。議論を続けている訳にもいかない。エアリエルはうんざりした様子を見せながら、ソルに話を向けた。
「わかりました。では、すぐに逃げましょう」
ソルにも異存はない。まずは確実に城を抜ける事を優先するべきなのだ。ソルの言葉を聞いてヴィーナスたち、近衛侍女たちが動き始めた。城を逃げ出す準備を始めたのだ。
「急いでくれ。隠し通路は陛下の側の奥にある」
アーノルド王太子は自分の説得を聞いてくれたのかと勘違いしている。
「そこは使わないわ」
「何?」
「付いて来て。もっと安全な隠し通路に案内するわ」
「……何だって?」
驚くアーノルド王太子を尻目に、エアリエルはフラウを抱きかかえて、部屋の壁に作られている洋服ダンスに向かう。その扉はすでにヴィーナスたちによって開けられ、中に入っていた服が次々と床に放り投げられていた。
服が取り払われた洋服ダンスの奥の壁にはポッカリと穴が空いている。
「先行します。付いて来てください」
奥の暗闇から聞こえてきた声。潜んでいたブラヴォドの声だ。
この隠し通路は奥の改修のドサクサに紛れて、その後も四年近い歳月をかけて、黒の党が作り上げたものだ。途中は元々あった隠し通路も利用している。城の内側から調べれば、隠し通路は割と簡単に見つけられた。エアリエルが誰にも知られていないというアーノルド王太子の言葉を否定したのはこれが理由だ。
黒の党は新たに出口を設けて、そこから繋げている。出口で待ち伏せされる可能性は、限りなく低いはずだ。
「では先行部隊行きます」
近衛侍女の半分がタンスの奥に入っていく。どこに隠していたのか、全員が武装していた。
「では参りましょう。シャルロット殿も」
「ええ」
いつの間にかフラウを背負っているソルが、エアリエルとシャルロットに付き添って奥に入る。その後ろを近衛侍女の残り半分が続いた。
「……殿下」
呆然としているアーノルド王太子にランバートが声をかけた。ランバート自身もかなり驚いているのだが、アーノルド王太子を守る自分の立場を忘れるわけにはいかない。
「……そうだな。行こう」
アーノルド王太子はエアリエルたちに付いて行く事を決断した。エアリエルがリオンの妻であったという事を久しぶりに実感しながら。
◇◇◇
隠し通路を抜けて出た先は、王都貧民街のすぐ近くの建物の中。宿屋のように見えるが、実際には宿泊客など誰もいない。黒の党が王都の拠点として利用している場所だ。
貧民街の近くとあって、ウィンヒール侯家の軍の姿は見えない。現れるのは城が落ちてからだろう。目的は女。狼藉を働くか、きちんと金を払ってかは、それを率いるエルウィンの器量次第だ。エルウィンは馬鹿ではないので、王都住民の反感を買うような真似はしないと思うが、それが末端の兵まで徹底されるとは限らない。
建物を出て貧民街に入ると、貧民街の住民も、主に女性だが、逃げる支度をしていた。
「こちらです」
エアリエルの前に進み出てきた男が居る。
「……アイン。戻っていたのね?」
リオンを探しに出ていたはずのアインだ。もっともエアリエルが貧民街を訪れるのは、ほぼ四年振り。とっくに戻っていてもおかしくはない。
「はい。色々と備えて置かなければならない事がありましたので」
「そう」
レジストも今日の日を予測していた。アインの言葉はこれを証明している。
「……全員で宜しいのですか?」
「えっ?」
「バンドゥまでお連れします。ただ、全員を連れて行って宜しいのですか?」
アインが尋ねているのは、アーノルド王太子たちの扱いだ。
「アインと本人が構わなければ」
「こちらは構いません。知られて困るものではないので」
王都とバンドゥを結ぶ裏街道。主に訳ありなものを運ぶ時に使う行路だ。それをアインはアーノルド王太子に知られても構わないと言っている。いくつかある一つなのだ。
「……どうするのかしら?」
アインが良いのであれば、後はアーノルド王太子の気持ち次第だ。
「バンドゥまで行けるのか……」
バンドゥに行けるのははアーノルド王太子も望むところだ。アーノルド王太子はバンドゥの領主であり、バンドゥ領軍はアーノルド王太子の直率軍として鍛えた軍だ。戦争となればいち早く合流したい。
ただ国王がどう出るつもりかが、アーノルド王太子には分からない。常識で考えれば城を抜けだした後は、近くに拠点を設けて軍を集め、反攻に出るはず。その場に自分が居なくて良いのかという思いがあった。
「バンドゥに向かうべきだと自分は考えます」
悩むアーノルド王太子に、ランバートはバンドゥ行きを進言する。
「理由は?」
「万一の場合でもバンドゥは最後の拠点と成り得ます。バンドゥの地は攻めるに難しい地。しっかり固めておけば、陛下が反攻に出る場合も安心出来るのではないかと」
万一の場合とは国王が討たれた場合だ。エアリエルの話を聞くと国王が確実に城から抜け出せるとは思えない。無事に抜け出せたとしても十分に兵が集まらなければ、反攻戦において負けるかもしれない。
国王とアーノルド王太子の二人が討たれては、グランフラム王国は滅亡なのだ。
「……そうだな。分かった。まずはバンドゥに向かおう」
「話は纏まったのか? こっちも急ぎたいんだが」
アインが口を挟んできた。逃走路は確保しているといっても、それで安心しているようではリオンの部下など務まらない。それにアインに限らず、レジストの者たちはアーノルド王太子に良い印象は持っていない。
「ああ。バンドゥまでの案内を頼む」
「……じゃあ、付いてきな。では、姐さん、こちらです。お嬢も足元に気をつけて」
アーノルド王太子には素っ気なく、エアリエルは勿論、子供のフラウにも気を遣うという見事な依怙贔屓を見せながら、アインは一行を案内する。
「……ねえ、アイン」
エアリエルにはどうしてもアインに聞きたい事がある。この場で聞くことが適切ではないと分かっていても、黙っていられなかった。
「もう少しかかりますかね? まだ、準備が終わってないみたいで」
アインはエアリエルの気持ちを察して、周囲には分からないような答え方をした。あくまでもリオンが生きていると、はっきりと分かっていない者にはだが。
「……それって」
「必ず整います。それまで待っていて下さい」
「分かったわ」
エアリエルは涙を堪えるのに必死だ。ずっとリオンを信じていた。それでもどうしても不安は膨らんでしまう。何といっても四年以上も音沙汰がなかったのだ。
アインの言葉はその不安を払拭してくれた。「待っていて下さい」とアインは言ってくれた。準備が何かは分からないが、リオンが戻ろうとしてくれているのは分かった。それだけで十分だった。
◇◇◇
王都はウィンヒール侯家の手に落ちた。王族の城落ちが明らかになった時点で、国王側の騎士や兵は、国王との合流を図る為に王都から脱出していったのだ。
王都制圧を果たしたエルウィンは、その日の内にウィンヒール王国の建国を宣言する。
グランフラム国王は無事に王都を脱出出来たのだが、すぐに王都奪回に動く事は出来なかった。ランスロットの討伐に向かった王国騎士兵団六万が惨敗を喫して軍は崩壊。王都が落ちたという事態もあって、敗れた兵の大半が騎士兵団に戻ることなく逃げ去ってしまった。
このタイミングの良さは、ランスロットとウィンヒールの間に密約があった事を示している。
この状況を見て、更にファティラース侯爵も決断する。グランフラム王国を見限って、自らも独立を宣言して、ファティラース国王を名乗ることとなった。
グランフラム王国は四つに分裂、ここから更に動乱が広がる事になる。乱世はまだ、ようやく始まったばかりなのだ。