どうしてこうなった。今のランカスター侯爵の気持ちを言葉にするとこれだ。万全の準備を整えて、動き出したはずだった。アシュラム戦役で軍部の実権を握り、戦争を自由に行えるようにする。
その後、ゼクソン王国を滅ぼして、その地に王を据える。ランカスター侯爵家の息のかかった者が望ましいが、そうでなくても構わない。臣下を王にするという実績が作れれば。それで良い。
ランカスター侯爵家の人間を王にするのは、その後のアシュラム王国でも構わない。それが駄目でも次の国で。
さらにゼクソン王国には政略も絡めた。政略結婚、ヴィクトリアとの結婚によって国を手に入れるという方法だ。一つの策が失敗しても、すぐに次の策が動き出す。
とにかく国を一つ手に入れれば良いのだ。後は謀略でその勢力を広げていく。それが出来る組織は整っているはずだった。
だが今、国を手に入れるどころかランカスター侯爵家の野望は大きく後退することになっている。軍の実権は奪い返された。簒奪を支える組織である銀鷹傭兵団も甚大な被害を受けた。攻勢に出る力を失ってしまった。
ランカスター侯爵家の人々が集まった部屋には、沈痛な雰囲気が漂っている。
「……王の動きは?」
じっと黙っていたランカスター侯爵が口を開く。
「特に変わったところはありません」
それに答えたのは次男のロイドだ。
「では大公の動きは?」
「動きは活発です。しかし、何を企んでいるかは掴めておりません」
「……軍部の動きは?」
「今のところは特に」
「本当か?」
「……それに答えられる情報を私は持っておりません。得る術を失ったのです」
ランカスター侯爵家にとっての諜報組織。銀鷹傭兵団はその活動をほぼ停止している。ロイドが手に入れた新しい情報はないに等しい。
「再編は不可能か?」
「懸命に進めておりますが、簡単ではありません。どこが切れているかも分からないのです」
味方にも全容を掴ませない為に、複数の系統に分かれていた銀鷹傭兵団。そのせいで再編が困難になっている。繋がりが絶たれてしまっている系統があるのは分かっていても、それがどれか分からないのだ。
「……再編は後回し。王とエドワード大公に関する情報収集に集中しろ」
「しかし」
「今は守ることが大事だ。表の力まで弱められては、どうにもならなくなる」
「それは分かります。分かりますが、グレンは良いのですか?」
王家を警戒する気持ちは分かる。間違いなく簒奪の意思は知られている。ランカスター侯爵家を潰そうと動く可能性はある。だが、それよりもグレンの動きのほうがロイドは恐かった。
「……良くはない。良くはないが、下手な動きを見せては、さらに被害が増すだけだ」
ことごとくグレンに策をひっくり返された。動けば動くほど、状況は悪化すると思ってしまうくらいに。
「放置しておけば、何をしてくるか分かりません」
「出来ることは限られている」
「何故、そう思うのですか?」
「表立って軍事行動を起こすことは出来ない。それを行えば、ウェヌス王国に対する敵対行為となる」
ランカスター侯爵領に攻め込めば、それはウェヌス王国に攻め込んだことになる。それは出来るはずがない。
動きがあるとすれば暗殺か政略。暗殺は守りを固めるしかなく、すでにそれは行っているつもりだ。政略については、グレンは直接的には何も出来ない。あるとすればジョシュア王、もしくはエドワード大公を通じてだとランカスター侯爵は考えている。
「……王家に何が出来るでしょう?」
「それは分からない。分からないから情報を集めるのだ」
ジョシュア王やエドワード大公が考えることであれば、ランカスター侯爵はこれほど警戒しない。その裏にグレンがいると思うから恐れるのだ。
「魔女の息子もまた、ですか」
「そういうことだ。魔女を殺したことで安心しきっていた我等の愚かさが招いたことだな」
グレンの能力を見誤っていた。鎖に繋がっているものと安心しきっていた。この事態を招いたのは自家の油断。そうランカスター侯爵は考えている。
「まだ挽回は出来ます」
「……そうだと良いがな」
らしくない弱気な返事。ランカスター侯爵には息子たちが持たない、持っていたとしても比べものにならない強い喪失感がある。長い年月をかけて準備してきたことが、全て失敗に終わってしまったのだ。
「とにかく王家に攻める口実を与えないこと。簒奪を図った証拠を掴ませないことです」
ランカスター侯爵家がランカスター侯爵家として存在し続けられるのであれば、もう一度やり直せる。ロイドがこう思えるのはランカスター侯爵との年齢差のおかげだ。
「証拠……その始末はどうする? それを行えば再編は不可能にならないか?」
正しくは証拠ではなく証人。銀鷹傭兵団のメンバーだ。
「持っている系統が分かれば用済みです。今後の管理は我が家で直接行うと決めていたではないですか」
「……そうだな。なるほど。再編を急ぐにはその理由もあるか」
銀鷹傭兵団の再編には生き残りの幹部から情報を引き出す目的もある。それぞれが知っている系統。その情報を全て得てしまえば、生かしておく必要はなくなる。
「再編作業は続けます」
「仕方ないな」
ロイドは自分ほど落ち込んではいない。そして恐らくは他の息子たちも。それはランカスター侯爵にとっては喜ばしいことだ。自分の気力が失われても、ランカスター侯爵家の野心が消えることはない。それが分かった。
だが、少し明るくなったその心を、また沈ませる情報が届けられる。まず耳に届いたのは扉を叩く音。
「……入れ」
入室を許可したランカスター侯爵。大事な打ち合わせを行っていることは、使用人も知っているはず。それを邪魔しても伝えなければならない用件があるということだ。
「失礼します」
扉を開けて入ってきたのはランカスター侯爵家に仕えている騎士。
「何かあったか?」
その表情を見ただけで、ろくな話ではないとランカスター侯爵は分かった。
「サッカスで暴動が起こりました」
「何だと?」
予想した通り、ろくでもない情報。だが内容は予想外のものだった。領内で暴動が起こるなど予想出来るはずがない。
「領民の暴動としては、かなりの規模ですが、鎮圧出来ないほどではありません」
「……では速やかに鎮圧しろ」
「領軍の出撃許可を頂いたと受け取って、よろしいですか?」
念押しをする騎士。この許可を求めにきたのだ。
「そうだ」
「承知しました。すぐに出撃させます」
命令を受け取れば、あとは行動に移すだけ。騎士は部屋を出て行った。
「……このような時に」
「鎮圧は可能と断言していました。問題はないでしょう」
「そうでなくては困る。起こるなら、王都で起これば良いのに」
民衆の暴動をきっかけにして、王家の権威を失墜させる。さらに暴動を広げられれば、また違う展開も考えられる。だが、起きたのは自領内だ。速やかに鎮圧させる以外に選択肢はない。
この考えも油断であるとランカスター侯爵家は気が付いていない。
◆◆◆
ランカスター侯爵家の次男。アルビン・ランカスター宰相はウェヌス王国の東南部にある小さな村にいた。ランカスター宰相の同行者よりも住民が少ない小さな村だ。
そのような場所を訪れているのは、そこがエイトフォリウム帝国、ルート王国が指定した会見場所だからだ。
「ウェヌス王国の宰相自らが、交渉の使者ですか。これはどう捉えれば良いのですかな?」
ランカスター宰相と向かい合っているのは、ハーバード。宰相に宰相が対しているのだから、おかしなことではないのだが。
「……国王陛下にお会い出来ると思っておりましたので、私が参りました」
ハーバードでは不釣り合いだとランカスター宰相は言ってくる。
「言い間違いではないですか? 我等が国に国王陛下はおりません」
ランカスター宰相の無礼ではなく言葉に対して、ハーバードは過ちを指摘する。
「……間違ってはおりません」
「いえ、間違っております。エイトフォリウム帝国の君主は皇帝陛下。国王ではございません」
「……では皇帝陛下にお会いしたい」
エイトフォリウム帝国であることを否定する言葉は発しなかった。あくまでも今の段階では、だが。
「……国王陛下がお相手であれば喜んで」
「我が国の陛下に、わざわざこの場まで来いとおっしゃるつもりか?」
「何か問題がございますか? 各国の王による帝国詣では、過去、当たり前に行われてきたことです」
ハーバードは引くことはしない。現在の国力など関係なく、かつての帝国としての立場を訴えている。
「たった一度、戦いに勝ったくらいで思い上がらないほうが良い」
「思い上がってなどいません。そもそも、この会談はそちらからの申し出で行っているもの。そうであれば、譲るべきはどちらでありましょう?」
「……では、話はここまでとなる」
「そうですか。そちらがそう思われるのであれば、それで結構。これでお開きですな」
こう言って、実際にハーバードは席を立つ。駆け引きではない。ランカスター宰相との会談など、ルート王国側は必要性を認めていないのだ。
「貴国には我が国と友好を深める意思はないと判断しますが、それでよろしいですか?」
「それは貴殿の考え。真実かどうかは別の話ですな」
「……しかし、そちらは会談を終わらせようとしている」
「話を歪めないで欲しい。会談を終わらせたのはそちら。我等はその言葉をそのまま受け取っただけのことです」
「そうだとしても、会談の終了に同意されている。話し合いを求めていないことは事実ではないですか?」
ランカスター宰相は、ウェヌス王国とルート王国の友好関係など求めていない。グレンと話はしたいが、それが出来なければ破談で良いのだ。あくまでもルート王国側の責任でだが。
「我々が求めていないのは、話し合いを求めていない御仁との話し合い。そのような方とはいくら時間を費やしても、進展はありませんからな」
「……何故、そのような強気な態度に出られるのですか?」
これはランカスター宰相の本音。取り付く島もないハーバードの態度には戸惑っていた。
「強気に出ているつもりはありません。ただ我々は交渉の必要性を感じていない。何も話し合いがなされなくても、かまわないのです」
「我が国との関係改善については?」
ルート王国は小さな国だ。ウェヌス王国との全面戦争など望んでいるはずがない。関係を友好なものにしようと考えるのが普通だとランカスター宰相は思う。
「関係改善はそれが可能な方とお話します」
「……私ではそれは出来ないと?」
「その問いに答える必要はございますか?」
つまりは、出来ないだ。それはランカスター宰相本人も分かっているはず。ハーバードはそう言いたいのだ。
「陛下とお話をさせていただきたい」
「それは貴国の陛下がお見えになられた時に」
「その前に誤解を解いておきたいのです」
「誤解……さて、何のことでしょうか?」
これは素直な問い。ランカスター宰相が何を言うとしているのか、ハーバードには分からない。
「ランカスター侯爵家は、貴国の陛下と友好な関係を築きたいと考えております」
「……ウェヌス王国ではなく、ランカスター侯爵家が、ですか?」
それでは国の使者ではなく、実家の為にこの場にいることになってしまう。ランカスター宰相の形振り構わぬ交渉の仕方は、ハーバードには意外だった。
「いくつか誤解があるようですので、まずはそれを解くべきだと思いました」
「それをこの場で聞く必要があるのかという疑問はありますが。良いでしょう。聞くだけは聞きましょう」
誤解について話す前に、ランカスター宰相は自らの誤解、誤りを正すべきなのだが、それをハーバードは話さないでいる。ランカスター侯爵家が何を考えているか、聞いておくのも良いと考えたのだ。
「グレン王のご両親の死に、ランカスター侯爵家は関わっていない」
「そうですか……」
なんとも白々しい言葉。だがハーバードはそれを指摘することはしない。
「あれは銀鷹傭兵団の内紛。これは事実だ」
「…………」
事実だと言われても、ハーバードは何も答えられない。
「妹君の件もそう。あれは勇者が自分の下心を満足させる目的で為したこと。ランカスター家は関係ない」
さらにランカスター宰相は、フローラの拉致も無関係と言ってきた。追い詰められての悪あがきではある。だが、ランカスター宰相ともあろうものが、このような悪あがきをするには訳がある。
「調べてもらえば分かる。いずれの件もランカスター侯爵家が関わったという証拠はないはずだ」
「……証拠ですか」
ランカスター侯爵家と銀鷹傭兵団の間に繋がりがあったという証拠はある。だが、二つの件をランカスター侯爵家が指示したという証拠は、今のところは、確かにない。
これが、ランカスター宰相が悪あがきと分かっていて、それを行う理由。
「野心までは否定しない。だが、それはウェヌス王国内の問題。陛下とランカスター侯爵家の間には、本来はなんの遺恨も生まれないはずだ」
「……それの真偽を判断することは私には出来ない。しかし、それが事実だとして貴殿は何を求めているのですか?」
「関係改善を。グレン王とランカスター侯爵家には協力し合える部分があるはずです」
「……なるほど」
敵対関係から一気に協力関係に変わることを求めている。グレンを相手にそれは無理だとハーバードは思う。
「これ以上のことはグレン王に直接お話させていただきたい」
「……そのほうが良いでしょう」
「では?」
「グレン王には皇帝陛下を通じて、お話をお伝えするようにします」
「……今なんと?」
ハーバードの説明はおかしい。それにランカスター宰相は気が付いた。
「我等が陛下は、グレン王とは親しい間柄。お話は確かにお伝えするように願い出ておきます。少し時間はかかるかもしれませんが、必ず」
「……陛下とは?」
「我等が国。エイトフォリウム帝国の皇帝陛下のことです」
「そうではなく……どなたが皇帝陛下なのですか?」
ランカスター宰相はようやく自分のミスに気が付いた。ハーバードはエイトフォリウム帝国の者として話をしていた。それはルート王国では交渉は成り立たないからではあるが、そうであると前提が色々と変わってきてしまう。
「聞く必要がございますか?」
「……ソフィア・ローズ・セントフォーリア様」
「ご存じではないですか」
「……グレン・ルート殿は?」
ローズが皇帝陛下だとするなら、グレンの立場は何なのか。それをランカスター宰相は確かめた。
「ゼクソン王国の国王代理。貴殿が知らないはずはないでしょう?」
「……どうして、そのようなことにされるのですか?」
ハーバードはエイトフォリウム帝国とグレンは無関係と言っている。そうする理由がランカスター宰相には分からない。グレンがいるからこそ、ルート王国を恐れるのだ。
もちろん、本当に関係がないはずはない。それは分かりきっている。分かりきっているから、この場の話を鵜呑みにして、油断することはない。
ランカスター宰相には、やはりハーバードの意図が分からない。
「ご質問の意味が分かりません」
「……戦闘の時、グレン殿は貴国にいたはずです」
「はい。武勇に優れた方ですから、お力を借りようと思うのは当然ではありませんか?」
ここでハーバードは小さなミスを犯した。話しすぎたのだ。
「力を借りる?」
「それが、何か?」
「……グレン殿のお父上は確か傭兵でした。力を借りるとは、そのような形でしょうか?」
「……さあ? 皇帝陛下とグレン殿は親しい仲と聞いております。そういった契約関係を必要としたかどうか」
ランカスター宰相の尋ねたいことは言葉通りではない。ハーバードは答えを誤魔化すことにした。だが返答までの間が、すでにランカスター宰相の求める答えだ。
「……そうですか。分かりました。交渉についてはこのままでは進展は難しそうです。一旦、私は引き上げますが、グレン殿へお伝えする件は忘れないで下さい」
この場で何を話していても意味はない。意味はないというより、手遅れになるかもしれないとランカスター宰相は判断した。
「ええ。必ず」
「……直接お話出来ると良いのですが。可能性はありそうですか?」
「さあ? それを決めるのは、ご本人ですので」
「……分かりました。では失礼します」
席を立って部屋を出て行くランカスター宰相。その歩みには、明らかに焦りが見られる。
「……気づかれたか。私としたことが。でも、まあ、間に合わないでしょう。すでに動き始めているはずです」
ランカスター宰相が王都に戻ることなく、まっすぐに自家の領地に戻ったとしても間に合わないはず。すでに戦いは始まっているはずだ。誰を相手にしているか、ランカスター侯爵家は気づかないままに。