第二次アシュラム戦役の影響は思わぬところにも出ている。ただ、それを気にする人はわずかな数でしかない。さらに本気で困っている人はたった一人だ。
城内の食堂では、久しぶりに夕食会が開かれている。結衣の強い要望で開かれた、その会の参加者は健太郎、そしてジョシュア国王だ。夕食会というには少人数ではあるが、内容は豪華なものだ。なんといってもこの国の王であるジョシュアが参加しているのだから。
「共に食事するのは久しぶりであるな」
ジョシュア国王にも気まずい思いはあるのだが、それを表に出すことなく話をしている。王族としての礼儀というものだ。
「確かに。いつ以来だろう? 戦争の前だから……とにかく、かなり前だ」
ジョシュア国王が気を使う相手である健太郎だが、本人は特に気にした様子はなく、普通に話を返した。
「色々と忙しかったからな。ここまで忙しい毎日は我の人生で初めてだ」
健太郎がそんな様子なので、ジョシュア国王の気持ちも少しほぐれた様子だ。
「王様だからな。やっぱり、ジョシュア様でも大変?」
「……そのジョシュア様でも、というのは気になるが、大変ではあるな」
「ああ、ごめん。僕はアシュラムでグレンの働きぶりを見ているから。さすがにあそこまでじゃあないかなと思って」
アシュラム王国でのグレンは朝から晩まで働いて、さらに自分の鍛錬も欠かさないという、いつ休んでいるのか分からないほどの忙しさだった。さすがにそれは異常なことだと健太郎は思っている。
「そうか……ケンがそう思うほど働いているということか。我はまだまだだな」
「いや、グレンの全てを真似るのは無理だと思う。自分が出来る範囲で頑張ることだね」
「ほう。ケンはそう考えるのか。だが確かにそうだな。自分が出来ることを精一杯やるしかない」
自分はグレンとは違う。ジョシュア国王はそう思っている。僻んでいるわけではない。凡人、もしくはそれ以下の自分が背伸びをしても、良い結果にはならないと悟っているのだ。
「僕も。とりあえず僕には剣がある。まずは、そこから頑張ってみるつもりだ」
「そうか……そういう心がけは良いと思うな」
健太郎らしくない言葉。それを不思議に思っているジョシュア国王ではあるが、その思いを言葉にすることはしない。
「そういえば、僕の仕事は決まったのかな?」
「ああ、正式に決まるのはもう少し先であるが、おおよそは決まっておる」
「どんな仕事?」
こういうことは気軽に聞くものではない、という考えは健太郎にはない。過去の自分を反省していても、こういうところは変わらない。そもそもジョシュア国王へのタメ口も直っていない。
「近衛だ」
「近衛騎士?」
「そうだ。軍を率いることは出来ないが、個人の武勇は活かせる。適任と思わないか?」
部隊を与えては、また良からぬ動きをするかもしれない。勇者は勇者として使うべきで、指揮官にすべきではない。こういう考えから決められた処遇だ。
「戦場には出られないね?」
「近衛が戦場に出るとなると、我が戦場に出る時だ。かなり危機的な状況であるな」
近衛騎士は王族の護衛。国王が出陣する時は、直卒部隊として本陣を守ることになる。だがウェヌス王国のような大国で国王が戦場に出る機会などまずない。出陣するとすれば、それ以外に選択肢がない時。それだけ敵に追い詰められた時だ。
「……ずっと近衛のままなのかな?」
「不満か?」
「不満を言える立場でないのは分かっている。でも、戦場に立つ機会がないってことは、自分の力を活かせないってことだ」
「それはそうであるな……ただ、いきなりは無理だ」
勇者としての力を活かせない。ジョシュア国王も、それは勿体ないと思う。ただ軍部は勇者の力に頼ることを良しとしていない。期待もしていないのだ。
「しばらくは自分を鍛えることに集中出来るから良いかな。色々と考えることもあるし」
「……何を考えるのだ?」
健太郎が考えても、思い付くのはろくでもないことばかり。そう思っているジョシュア国王は、健太郎が何について考えるつもりか、かなり気になる。
「そうだ。ジョシュア様は僕とグレンの違いは何だと思う? 僕に足りないものって聞き方のほうがいいか」
自分に足りないものは何なのか。一応はジョシュア王にも聞いてみることにした。
「……人を見る目かな?」
「えっ? それは初めて言われた」
「そうなのか? 我はそう思うけどな……」
自分だけの意見だと知って、途端に自信なさげに変わる。
「人を見る目ってどういうところかな?」
「……まずはそのままの意味であるな。ケンはもっと周りに置く人を選ぶべきだ」
健太郎の取り巻きはろくでもない者ばかり。それは確かに健太郎にとって不幸なことだが、自業自得でもある。自分に甘い人ばかりを側に置いていたのだから。その甘さも虚偽だと気づかないで。
「信頼を向けることで人からも信頼されると思っていた。それは間違いかな?」
「そう考えていたとしても、一方的なものでは意味はないと我は思うぞ。信頼を向けられても、それに応えない者はいる。信頼を与えているとケンが思っていても、相手にとっては、そうでない場合もある」
「……なるほど。それはあるかもしれない」
思いの外、まともな答え。ジョシュア王を少し見直した健太郎だった。
「耳に痛いことを言う者こそ忠臣。こう言うではないか。我も人のことは言えないか。諫言は苦手だ」
「……グレンにはそういう人はいるのかな?」
「どうであろうな? 臣下にとって絶対的な存在であれば、それを否定することは難しい。話に聞くグレン王はその絶対的な存在に思える」
信頼であれば良い。だがそれが依存になっては問題だとジョシュア国王は思う。誰かに頼る組織を否定する考えは、実はトルーマンと同じだ。
「……でも本人はそれを望んでいない」
「そういう気持ちがあるのであれば大丈夫ではないか? 結局は上の者が聞く耳を持っているか。その姿勢を臣下に見せているかだ」
「……どうだろう? その場面は見ていなかった」
二ヶ月ほど近くにいたが、それで全てを見られたわけではない。さらに健太郎が見ていたのは、アシュラム王国でのグレンの仕事ぶりだ。ルート王国やゼクソン王国のそれとは違う。
少なくともゼクソン王国にはヴィクトリアが、ルート王国にはソフィアがいる。その二人に加えて、マリアもまたグレンに対して遠慮することなく、諫言を口に出来る存在だ。
「将来は分からんが、今は大丈夫であろう。ゼクソン王国がそれを示しているのではないか?」
「……そうなんだよな。どうすればグレンのように人の心を掴むことが出来るのかな? 僕に絶対的に足りないのはそれだ」
短い期間で部隊を造り上げた。反乱をあっという間に収め、しかも王権を握って、国を動かしている。人にそっぽを向かれるばかりの健太郎には、まるで魔法を使っているように思える。
「もう一つの人を見る目。これは人を見てやるということだ。人の行いを良く見てやり、良いことを行えば褒め、悪いことを行っていれば叱る。これが必要なのだ」
「……子供のしつけみたい」
「そうかもしれんが、大人に対しても大事なのではないか? この人はちゃんと自分の仕事を見てくれている。そう思わせることが信頼に繋がると我は思う」
「そうか。確かにそうだった」
グレンと文官たちとのやり取りを健太郎は思い出す。彼等の仕事の成果に対して、グレンは細かいところまで確認し、良ければ褒め、悪ければやり直させた。叱っても、次に期待していると思わせていた。
グレンと話したあとの文官たちのやる気に満ちた表情。ジョシュア王の言っていることは、ああいうことなのだと思う。
「分かったか?」
「分かった……けど、ジョシュア様も同じことをしているのかな?」
「……そうだとしたら、何だ?」
「臣下たちは……」
ジョシュア国王を信奉していない。知識としてあっても、実際に上手くいくとは限らない。臣下の気持ちを引きつけるには、テクニックだけでは足りないのだ。
「それ以上、口にするな。我だって分かっている。思うように行かないことに悩んでいるのだ」
「だろうね」
「……そこは、そんなことはありません、ではないのか?」
「……そうだね」
こんな風に二人が、真剣な話をしながらも、時々ほのぼのとした雰囲気を醸し出している、その横で結衣は苛立ちを押さえられなくなっていた。もともと言いたいことがあったから、この会を開かせたのだ。
「ちょっと? どうしてグレンのこと褒めているの? グレンは敵よね?」
「はい? いきなり、何?」
急に、それもかなり不機嫌そうな口調で、話に割り込んできた結衣に、健太郎は驚いている。
「健太郎はグレンのせいで大将軍を外されたのよね?」
「いや、それは僕が何も知らないで他国を攻撃したから」
「……じゃあ、アシュラム王国は? アシュラム王国で酷い目に遭ったでしょ?」
「酷い目には遭ったけど、それはグレンのせいじゃない。助けてもらったと言っても良いくらいだ」
「……グレンはアシュラム王国の王にもなった。それで健太郎は良いの?」
健太郎が思うような反応をしてくれない。今度は嫉妬心を煽ることにしたのだが。
「グレンは凄いよね。僕とは何が違うのだろう? そういえば結衣には聞いていなかった。結衣はどう思う?」
話が元に戻ることになった。
「ねえ、どうしたの? グレンとすごい差を付けられちゃったのよ? この世界の主人公はグレンかもしれないわよ?」
「結衣。人生はさ、人それぞれだと僕は思う。グレンの人生ではグレンが主人公で、僕の人生では僕が主人公だ。そう思わないか?」
「……何、格好つけてんのよ? 意味分かんない」
健太郎の考えていることが結衣は分からない。いつもの様に、その場の感情で適当なことを言っているのだと思っているが、それでは困るのだ。
「その人の人生においてはその人が主人公。うむ、ケンは良いことを言うの」
「そうだろ? こう思えることが大切なんだ」
ジョシュア王に褒められて、満足そうな健太郎。その態度が結衣をさらに刺激した。
「じゃあ、私の人生はどうなるのよ!?」
「えっ? 結衣の人生?」
「そうよ! 私の人生はどうしてくれるの!?」
「……結衣の人生は結衣のものだ。僕がどうこうするものじゃない」
「そういう建前は良いから。ねえ、ジョシュア様。ランカスター家はどうなるの?」
結衣は問いをジョシュア国王に向けた。本当は健太郎を味方に付けてから、ジョシュア国王に文句を言おうとしていたのだが、それは諦めた。
「……どうなると聞かれてもな。なるようになるのではないか?」
「そのなるようにって、どういうこと?」
「ユイ。何を聞きたいのだ。我には意味が分からない」
これは嘘。ランカスター侯爵家をこのままにしておくつもりはジョシュア国王にはない。そうしなければ王家が危うくなるのだ。
「惚けないで。レスリーに聞いたわ。ジョシュア様は今になって宰相が邪魔になったみたいだって。罪もないのに宰相の座を奪おうとしているって」
「……そのレスリーとは何者だ? そのようなデマを広めているとなると、放置しておけんな」
レスリーが何者かジョシュア王は知っている。惚けているだけだ。
「デマなのね?」
「罪もないのに宰相の座を奪うなど、そんなことが出来るはずがない」
結衣の問いを躱すジョシュア国王。ランカスター侯爵家に罪はある。罪があるからには宰相の座を追われるのは当然。それどころか簒奪を企んでいることが明らかになれば、死罪だ。
「……じゃあ、約束して。ランカスター侯爵家には何もしないって」
「どうして結衣はランカスター侯爵家のことを気にするのだ? ランカスター侯爵家との間に何かあるのか?」
結衣の望む約束など出来ない。結衣の言い方もずるいものだ。罪のあるなしが関係なくなっている。それに引っかかるほどジョシュア国王は愚かではない。国政会議の場で、はるかに厳しい駆け引きを経験してきたのだ。
「レスリーはランカスター侯爵家の三男。そして私の婚約者よ」
とうとう結衣はレスリーと自分の関係を口にした。そうしないと話が進まないとの判断だ。
「婚約……我は聞いていないな」
「話す必要はないわ」
「いや、話す必要はある。侯爵家の結婚となれば、色々と影響がある。国に報告する義務があるはずだ」
貴族家の結婚となると、その多くが政略結婚。侯爵家のような力のある家と、さらに別の有力貴族家が結びつくような結婚は、国としては見過ごせない。どこの家と結婚するのか報告を求め、場合によっては認めない時もある。その力があればの話だが。
「……内々の話だから」
それを婚約とは言わない。言うこともあるが、この場合はランカスター侯爵家側にその気はない。
「仮にそうだとして……いや、それを深く追求しても意味はないな。それよりもその話は、そのレスリーとやらに頼まれてのことか?」
「えっ?」
「そうだとすればランカスター侯爵家には何か後ろめたいことがあるのかもしれんな」
「……そんなことはないわ」
こう答えるしかない。ジョシュア王を愚者と侮っていた結衣の失敗。一国の王に、交渉ごとなど行ったことのない結衣が太刀打ち出来るはずがないのだ。
「では、どうして結衣はランカスター侯爵家を心配するのだ? 何もなければ何も起こらない。違うか?」
「それは……実家が大変で婚約が進められないとレスリーが言うから」
「やはり、レスリーに頼まれたのか」
「違うわ! 頼まれたわけではなくて、実家が大変な理由が知りたくて」
これは明らかに嘘。実家が大変だと聞いただけで、その原因がジョシュア王にあると考えられるはずがない。
「ランカスター侯爵家の事情は我には分からない。婚約者に聞くのだな」
真実を語らなければ、こうして躱されることになる。
「……でもジョシュア様が」
結衣も全てを知らされているわけではない。聞かされているのはランカスター宰相が罷免されそうということ。そしてランカスター侯爵家の立場が苦しくなっているということだけだ。
「ユイ。やはり我には話が分からない。どうしてもと言うのであれば、そのレスリーとやらに話をさせるのだな」
「何もしない?」
「いや、その問いの意味も分からない」
「何もしないと約束して」
「意味の分からない約束は出来ない」
「私の頼みを聞いてくれないの?」
最後は色仕掛け、のつもり。
「侯爵家のこととなれば、それは政治。ユイが口出しして良いことではない」
それも通用しない。通用するはずがない。たとえ、ジョシュア国王に結衣に対する下心があったとしても、別の男の為に、それも婚約者だと言う男の為の頼み事を聞くはずがない。
それ以前に、ジョシュア国王が言葉にした通り、これは政治。私情を挟むことはない。
「……実家とレスリーは関係ないわ。レスリーは何の役職にも就いていないもの」
今度はランカスター侯爵家とレスリーを切り離そうとしてきた。これは本来の目的ではない。結衣は自分の感情を優先したのだ。
「別に心配することはないのではないか? ランカスター侯爵家に何かあるとすれば、悪事を働いているからだ。それはないとユイは思っているのだろ?」
「ええ、思っているわ。何かあったとしても、それは間違いだって」
「…………」
何かあっても、それを間違いと決めつけられては話にならない。結衣を納得させるのは不可能だとジョシュア国王は判断した。
「何かあるはずがないわ。だって聖女である私の恋人なのよ?」
結衣が聖女と呼ばれていることと、ランカスター侯爵家が無実であることに関係性は全くない。いつもの思考だ。ヒロインである自分の恋人が悪者であるはずがない。そんな風に周囲から決めつけられとしても、それは困難を乗り越えて幸せを掴むというストーリーの中でのこと。
結衣は今も妄想の中で生きていた。現実と向き合っていなかった。