ランカスター侯爵屋敷の一室にレスリーは呼び出された。呼び出したのは兄であるランカスター宰相だ。会議の場で健太郎が発した「恩賞としてアシュラムを」という要求。ランカスター宰相はそれを入れ知恵したとすればレスリーだと疑っていたのだが。
「私は知りません。勇者の反応が激しすぎたので、王になることを煽るのは止めると決めたではないですか」
ランカスター宰相の問いにレスリーは否定を返した。健太郎を王にすることで前例を作るという策はランカスター侯爵家ではとっくに放棄されている。健太郎のコントロールに自信を失ってきたからだ。
「そうなると自分で思いついたのか」
「聖女かもしれません」
「聖女だと?」
レスリーの予想はランカスター宰相には意外だった。そう思うのはランカスター宰相があまり結衣のことを知らないからだ。
「ケンはやたらと異世界の知識を振り回しますが、実際にはユイの方が余程多くのことを知っています。そのほとんどが理解出来ないし、理解出来ても実現出来ないようなことばかりですが」
「聖女か。そういえば異世界でも昔は、などと言っていたな」
レスリーの説明を聞いて、ランカスター宰相は健太郎の発言を思い出した。
「それは何ですか?」
「異世界も昔は同じように戦乱の世があったのだろう。隣国を攻め取り、その土地を恩賞として活躍した臣下に渡していたようだ。この世界でもなくはないが、国を丸ごととは」
これはランカスター宰相の勘違い。健太郎が一国を要求したのはゼクソン国王代行となったグレンに対抗するにはアシュラム王国くらい手に入れないと駄目だと思ったからだ。
「……それはもしかして帝国と同じなのでしょうか?」
「そうか。そういうことかもしれんな。エイトフォリウム帝国の統治の形は異世界の知識から来ていたのか」
「元々召喚の儀はエイトフォリウム帝国の物ですから」
勘違いから真実に辿り着くこともある。大した真実ではないが。
「それが分かったからといってな。それで間違いなく勝てるのだろうな?」
ランカスター宰相は無駄話を切り上げて、アシュラム王国との戦いについてレスリーに尋ねる。レスリーは健太郎の側にいて勇者軍の準備状況を全て把握しているのだ。
「間違いなくと言われると頷けません。ただ、それなりの準備はしています。新兵器も間に合いましたし」
「あれか……役に立ちそうか?」
新兵器の話は以前から聞いている。レスリーからだけでなく公式にも。その新兵器を製造する為の予算申請をランカスター宰相は見ているのだ。
「騎馬を主体とするアシュラムには有効だと思います。演習の様子を何度か見ましたが、騎馬部隊は手も足も出ないという感じです」
「そうか。それをゼクソンとの戦いでも活かしておけば良いものを」
「ようやく本気になったというところです」
「召喚されて何年が経っていると思っているのだ」
ウェヌス王国は負け続けだ。健太郎本人は口では懸命に否定するが、周囲が期待していた勇者としての活躍は一度も見せられていないのは事実だ。
「ケンは怠け者です。本気になったのも自ら奮い立ったのではなく、焦りからです」
「焦り?」
「勇者として思う様に活躍出来ていないことへの焦りです。そして、それを感じさせたのは、グレン王への嫉妬です」
「……焦りの次は嫉妬か」
ランカスター宰相にはどちらも良い感情とは思えない。それを聞かされて、新兵器の話でわずかに膨らんだ健太郎への期待がまたしぼんでいく。
「グレン王はウェヌス国内でも英雄視されています。平民の出から軍で頭角を現した。不幸にも捕虜になったが、そこから今度は敵国の将軍として大活躍をした。ここまでであれば憎むべき敵ですが、ゼクソンの反乱を収めて王になり、ウェヌスとの平和な関係を築いた。捕虜の返還も大きいですね。とどめがウェヌス王国一の美女と呼ばれたメアリー王女との結婚です」
「それは恨まれる理由になりそうだが」
自国の美姫を奪っていった男。それこそ嫉妬されてもおかしくない。
「知らないのですか?」
「何がだ?」
「グレン王とメアリー王女は、グレン王が勇者の騎士をしていた時に恋仲だったそうです」
「何と?」
この事実はランカスター宰相には初耳だった。それはそうだ。奥がそのような事実を表沙汰にするはずがなく、そもそも恋仲は事実とは違う。
「もちろん純愛で、王女と奴隷騎士の叶わぬ悲恋というものです。婚約が決まったメアリー王女。グレン王は戦争に旅立ち二人は引き裂かれた。そこに更にグレン王の戦死という悲劇が起こります。その報を聞いたメアリー王女の失意は激しく、一時は正気を失ってしまった」
「……あれはグレン王が原因だったのか」
メアリー王女が一時体調不良を理由にして表舞台から消えていたことはランカスター宰相もよく知っている。だが、その原因がグレンの死を知ったからだとは少しも考えていなかった。
「ところがグレン王は生きていた。捕虜になったのはメアリー王女との関係に嫉妬した騎士の裏切りによるものだと知ったグレン王は復讐を決意。部隊を率いて我が国と戦い、見事に復讐を果たしてゼクソン王国の英雄になった」
「……おい?」
グレンが捕虜になったのは嫉妬に狂った騎士の裏切りのせいではない。ランカスター侯爵家の謀略によるものだ。
「それを知ったメアリー王女は愛しいグレン王と結ばれる為に王女という地位を捨て、祖国を捨て、グレン王の下へ旅立った」
「レスリー、何だかそれは……」
「噂を通り越して小説になっています。国や個人の名前は変えていますし内容もかなり創作が入っていますが、今話した流れを聞けば、それが誰のことを書いているからは明らかです。中々手に入らないくらいに売れているそうですよ」
「……危険だな」
グレンを英雄視する小説が売れている。これはランカスター侯爵家だけではなく、ウェヌス王国にとっても良くない傾向だ。
「敵国の王を英雄にする本ですから。発禁にしますか? 私はあまりお勧めしませんが」
「何故だ?」
発売禁止にするのが当然の中身。レスリーがそれに否定的な意見を述べる理由がランカスター宰相には分からない。
「売り文句は『ジョシュア王も愛読している』です」
「……何だと?」
国王の愛読書。それを発売禁止にするというのはおかしな話だ。もちろん、それが事実あればであって、そんなはずはないとランカスター宰相は思っているのだが。
「本当かどうかは知りませんがそういうことになっています。発禁にしてもジョシュア王の意志でないと民は思うでしょう。そして問題はその本では、メアリー王女は純愛を貫いた女性として称えられていて、その純愛を支える兄が描かれている点です。ジョシュア王とエドワード大公の二人がいますが、間違いなくジョシュア王であると思わせる内容です」
「その内容とは?」
「実に無様に描かれています。グレン王の下に行こうとするメアリー王女を追おうとする者たちがいて、その追っ手の邪魔をしようとするのですが、腰にしがみ付くのが精一杯で、しかも引きずられて泥まみれになってしまうなどです」
「エドワード大公ではないな」
エドワード大公のイメージには全く合致する点がない一方で、ジョシュア国王だとすればそのままだ。ジョシュア国王だとランカスター宰相がはっきりと言わなかったのは宰相としての自国の王への礼儀だ。
「無様なのですけど、これが何故か泣けるのです。『これが兄としてお前にしてやれる最初で最後だ』なんて叫ぶところなんて」
「……お前、読んだのか?」
問いの答えは分かっている。読まないで台詞まで語れるはずがない。
「言い訳させて頂きますと持ってきたのは聖女で、読んだのは民への影響を考える為です」
「ではお前が考える影響は?」
「グレン王の英雄視だけでなく、ウェヌス王家への親近感を高めることになります。特にジョシュア王は元の印象が悪い分、無様に描かれていても愛すべき人という思いを抱かせるかもしれません」
「それは問題ではないか」
ランカスター侯爵家は王家の権威を失墜させようとしている。国民にこの王家では駄目だと思わせて、簒奪への反発を和らげるのが目的だ。ここでジョシュア国王に親近感など持たれてしまっては、これまでやってきたことが台無しになってしまう。
「そうかといって発禁すれば、発禁した者が民にどう思われるか。良い印象を持たれないのは確かです」
「……元を潰すか。発行元は」
「不明です」
「何?」
「明らかに無許可の写本が多く出回っています。本来の発行元がどこか分からないくらいです」
「…………」
もともと不法な出版物。それを発売禁止にしてもどれだけの効果があるか疑問だ。ランカスター宰相は打つ手が思い付かない。
「本当にグレン王の母親は死んでいるのですか? これが謀略の類だとすれば、相当に巧妙だと私は思います」
「……間違いない」
グレンの母親は間違いなく死んでいる。だが、その息子であるグレンは生きている。この当たり前のことの意味にランカスター侯爵家が気付くのは、もう間もなくだ。
◆◆◆
アシュラム王国の占領を目指して健太郎率いる勇者軍は出立した。その勇者軍がアシュラム王国との国境にある城砦への攻撃を間もなく開始するだろうという時期に、ランカスター宰相はエステスト城砦を訪れていた。同盟国であるゼクソン王国へ援軍を要請する為だ。
ランカスター宰相自身は当然、援軍の必要性など認めていない。逆にそれを阻止したい立場だ。そのランカスター宰相が使者としてエステスト城砦に現れた理由は二つある。
ジョシュア王臨席の会議の場で決定された以上は使者を送らなければならない。それであれば自分が使者として立ち、ゼクソン王国の参戦を最小限に押し止めようというのが一つ。そしてもう一つはさすがにランカスター宰相もグレンに不穏なものを感じ始めたこと。ランカスター宰相がグレンとまともに向き合ったのは、同じ場所で行われた同盟締結の席だけ。グレンという人間を見極めるには直接会って、会話を交わす機会がもっと必要だと考えたのだ。
そのランカスター宰相を迎えたのは、エステスト城砦を任されている元飛燕兵団の団長であったジルベール。将軍位は剥奪されている。
「ウェヌス王国の宰相殿自らのお越しとは。自分はエステスト城砦駐留部隊の司令官オットー・ジルベールです」
ジルベールはかなり緊張した面持ちで、自己紹介をしてきた。
「初めまして。ウェヌス王国宰相アルビン・ランカスターです」
「しかし、早い到着ですな」
「早いとは?」
ランカスター宰相にはジルベールに早いと言われることに心当たりがない。それどころか、すでにアシュラム王国との戦いが始まっている状況で共闘を求めに来るなど遅いくらいだ。
「まだ我が国の使者が貴国の王都に到着するかどうかという時期だと思うのですが?」
「貴国の使者ですか?」
ゼクソン王国の使者などランカスター宰相は知らない。
「ご存知ない? その件で参られたのではないのですかな?」
「私はアシュラム王国との開戦にあたって貴国への援軍をお願いに参りました」
「はっ? 援軍を求めているのはこちらですが」
ランカスター宰相の説明を聞いて、ジルベールは驚いた顔を見せている。
「……どういうことですか?」
ジルベールは援軍を求めているのはゼクソン王国だと言った。どうしてそのようなことになるのかランカスター宰相には理解出来ない。
「アシュラムは我が国に宣戦布告してきました」
「なっ!?」
「貴国との同盟をアシュラムは裏切りと受け取ったようです。すでに情報としては古いですが、自分が知る限りアシュラム軍は宣戦布告と同時に国境を越えたとのこと。とっくに交戦状態に入っているはずです」
「……戦況は?」
アシュラム王国がゼクソン王国に攻め込むなどあり得ないことだと可能性から除外していた。そのあり得ないことが現実に起きたということでランカスター宰相は混乱してしまっている。
「分かりません。その情報はまだ。外交官は宣戦布告を受けた直後に王都を発ったので、何も知りませんでした」
「しかし、その後の状況の報告があるはず」
「もちろん。ただエステスト城砦を守れという命令でしたので」
「何故、ジルベール司令官の部隊は戦争に参加しないのですか?」
「アシュラムとの国境に通じる街道は、ここから一週間もかからない位置にもあります。城砦を空にして、その隙にアシュラムに奪われてしまっては貴国からの援軍を迎えることが出来なくなります」
「……そういうことですか。しかし分からない。何故、アシュラムは貴国に攻め入ったのか」
ランカスター宰相の考えではアシュラム王国側にはまず勝ち目はない。仮に勝てたとしてもかなりの被害が出るはずだ。ウェヌス王国が攻めてくるのが分かっている状況で、ゼクソン王国との戦いに自ら踏み込む意味が分からない。
「それについては……いや、根拠のない情報をお渡ししては混乱させますな」
「いえ、構いません。教えてください」
自分が分からない答えをどうやらジルベールは持っている。そうであれば是非聞かなければならない。
「アシュラムは半ば自暴自棄になっているのではないかと」
「自暴自棄ですか?」
「何もしなければ、貴国と我が国に同時に攻められることになります。それではアシュラムに勝機などありませんな」
「はい」
「そうなる前に一方と戦うとすれば、ランカスター宰相はどちらを選びますかな?」
「……貴国を選ぶ」
これ以外に答えようがない。アシュラム王国にはウェヌス王国と、それもウェヌス王国領内に攻め込む形で戦う力などない。
「そうですな。貴国と我が国では国力が違います。一方で我が国とアシュラムには差がありません。勝てる方と戦い、あわよくば軍を吸収して貴国との戦いに臨む。これが我が王の考えです」
「……なるほど」
追い詰められた者の選択肢としては確かにあり得るとランカスター宰相も納得した。
「状況はこの通りです。すぐに援軍の手配を。それと先行して、この近くにいる貴国の辺境軍を援軍として城砦前に展開してもらいたい」
「それは不要です」
このランカスター宰相の話を聞いた途端に、ジルベールの顔は怒気に染まった。
「どういうことだ! 貴国は同盟を無視するつもりか!」
「違う! そうではありません!」
ランカスター宰相は慌てて、ジルベールの言葉を否定する。同盟を重んじるつもりなどないが、公にはそれを認めるわけにもいかないのだ。
「では何だ!」
「すでに我が国は軍を派遣しています! もうアシュラム国境に到着するはずです!」
「……既に?」
ランカスター宰相の説明でジルベールの勢いがしぼむ。
「はい。我が国はアシュラムへの侵攻を決定していました。勇者軍一万、後詰めとして国軍一万が出兵しています」
「それは援軍として働いてくれるのですな? 我が軍とアシュラムが戦っている間に利を得ようというものではなく」
「それは……」
ジルベールに痛いところを突かれて、ランカスター宰相は答えに詰まってしまう。ウェヌス王国は独自にアシュラム王国への侵攻を決め、それを実行に移しているだけで、ゼクソン王国の支援など全く考えていないのだ。
「それでは裏切りだ! やはりウェヌスは!」
ランカスター宰相が言葉を濁したところで、またジルベールは怒声をあげてくる。
「違う! もちろん、貴国の支援はする!」
「それであれば、こちらの国境にも援軍を。それは貴国の為にもなる」
「我が国のですか?」
「こちらの国境をアシュラムが突破しないとでも? 自分であれば間違いなく、それをしますな。宰相殿のお話では貴国は北方の国境に二万も送っている。地方軍は別にして、中央には一万というところですかな?」
「…………」
ジルベールが指摘する通り、中央の守りは薄い。アシュラム王国が万一、エステスト城砦を突破して領内になだれ込むようなことになれば、それを追い返すのは容易ではない。
「ここの守りには辺境軍か地方軍を援軍として三千程出して頂くだけで良い。エステスト城砦があれば、それで充分には守れます」
「……すぐに手配を致しましょう」
「よろしく頼みます」
ランカスター宰相が援軍の手配に同意したところで、ようやくジルベールの顔に笑みが浮かんだ。援軍を喜ぶ笑みではない。自分の役目をどうにか果たせたという安堵の笑みだ。
ランカスター宰相は知らない。かつてこの場所でウェヌス王国の使者を相手に行われた茶番劇を。それがシナリオと役者を替え、また行われているということを。