月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

勇者の影で生まれた英雄 #111 国境の攻防

異世界ファンタジー小説 勇者の影で生まれた英雄

 ウェヌス王国とアシュラム王国との国境にある城砦。その城砦に向かって大小様々な石が大量に降り注いでいく。勇者軍の投石器が発した石だ。
 健太郎が考えに考えた自軍の強化策。それは結局、各種兵器を大量に運用するというものだった。大国ウェヌスの国力を生かすという意味でこの選択は正しい。実際にその圧倒的な物量を前にアシュラム王国側は手も足も出ないでいる。
 それでも、本陣にいる健太郎の顔は不満気だ。

「落ちないな」

「攻城兵器への備えはそれなりにあるでしょうから。それでも、これを続けていればいつかは落ちます」

「それだと新兵器が使えない」

 この戦いにあたって健太郎が用意したのは投石器だけではない。本当に試したい戦術は別にあるのだ。

「……それはアシュラム領内に侵入してからで」

「それもそうか。しかし退屈だな」

「天幕の中で休まれてはいかがですか? 城砦の壁を完全に打ち崩すには、まだまだ日数が必要です」

 副官のカーライルは健太郎に天幕に入るように勧める。隣で文句を言われ続けるのが嫌になってきているのだ。

「誤算だったな」

「誤算?」

 だが健太郎は天幕に入ろうとしないまま話を続けてくる。まだ真っ昼間。しかも戦闘中だ。連れてきた侍女と逢瀬を楽しむのはさすがの健太郎も出来ない。カーライルと話すことが健太郎の暇つぶしなのだ。

「投石器を大量に用意したはいいけど、石を集めるのが大変だなんて」

「それは、まあ」

 何を当たり前のことを、と内心ではカーライルは思っているのだが、それを顔に出すことはしない。勇者親衛隊の時からの付き合いである。健太郎が馬鹿にされることを凄く嫌い、それを根に持つことをカーライルはよく知っていた。

「補給だな。これも考えないと」

「はい」

 ランカスター侯爵家を筆頭とする貴族の力で強引に奪い取った勇者軍の予算を利用して、健太郎は大量の投石器を揃えた。
 だが、それで撃つのは当たり前だが石だ。どこにでもあるものかもしれないが、大量の攻城兵器に行き渡らせるとなると話は別。重い石を駐屯地から大量に運んでくるのは困難であり、現地調達をしようにも大量に消費しては、すぐに辺りからはなくなる。調達場所が離れれば、それだけ準備に時間が掛かり、放たれる石の数は減り、攻撃は弱まる。それが現在の健太郎の悩みだ。
 考えると言ったがすぐに解決する話ではない。すでに調達はそれなりにきちんとしたやり方でやられているのだ。工夫が出来るところは少ない。まして勇者軍が布陣しているのは平原地帯だ。投石器の弾となるような石の入手ははなから困難だった。
 こんな事情もあって、初日の攻撃の勢いであれば三日もあればなどと思っていた城砦の攻略は、既に二週間を経過していた。

「少しは攻めて来れば良いのに。退屈しないで済むし、新兵器も試せる」

「なっ!?」

 まるで健太郎の言葉を聞いていたかのように、アシュラム王国側が攻撃を仕掛けてきた。
兵を出撃させるのではなく、石を降り注ぐという形で。

「何だ!? 敵にも投石器があるのか!?」

「まずい! 前に出ている投石器を下げろ! 急げ!」

 慌ててカーライルが命令を出すが、それは一歩遅かった。アシュラム王国側に全く攻撃の気配がないことで油断していたウェヌス王国軍は、命中率を上げる為に投石器をかなり前に出していたのだ。アシュラム王国軍から放たれた石は、その投石器に向かって降り注いでいる。

「そんな……」

 幾つもの石の直撃を受けた投石器が破壊されていく。アシュラムの反撃により四分の一を喪失するという大被害を受けてその日の戦いは終わった。

◆◆◆

 その日の夜の天幕はこれまでとは違って、重苦しい雰囲気に包まれていた。

「落ちこむことなんてないさ。四分の一が無くなっただけだ」

 そんな中でも健太郎は楽観的な姿勢を崩さない。この場合は、この方が良い形に影響するだろう。総大将の士気が高いのは悪いことではない。

「そうですが、問題は明日以降どうするかです」

「これまでと同じじゃ駄目なのか?」

「それはそうです。今日と同じ場所に投石器を配置すれば、また数を減らされることになります。それを避けるには設置場所を後方に下げなければなりません」

 同じ場所に設置すればまた攻撃を受けるだけ。敵の攻撃を受けないというわけにはいかないが、敵の投石器の命中率を下げるくらいの距離は空ける必要がある。

「じゃあ、そうしよう」

「後ろに下げれば威力は弱まります。城砦の壁を崩すのに必要な日数は増えるでしょう」

「そうか……」

 距離を空ければウェヌス王国側の投石器の威力も落ちる。さらに攻略日数が増えると分かって、健太郎は落ち込んでいる。

「しかし、何故、今日になって投石器の攻撃がきたのでしょう?」

 ここで軍議に同席していたレスリーが口を開いた。ランカスター侯爵家としては、この戦いは何としても成功させなければならない。お目付役として戦場に付いてきているのだ。

「こちらが近づいたからじゃないの?」

「そうかもしれませんが、これまで散々に我が軍は砦を攻撃していました。その攻撃をどうやって避けたのでしょう?」

 何故、敵の投石器は無傷でいられたのかをレスリーは疑問に思っている。

「じゃあ……どこからか運んできたと」

「どこからですか?」

「さあ? そんなことは分からないよ。でも飛んできた石の数の感じではこっちの方が多そうだ。撃ち合いになればこっちの勝ちだな」

「そうでしょうか?」

 健太郎の説明に対してレスリーは疑問の声をあげる。

「違うの?」

「これまでに我が方が撃ち込んだ大量の石は、敵の物であると考えた方が良いのではないですか?」

「……弾数が違うか。じゃあ、どうしよう?」

 投石器の数がどれだけ多くても飛ばす石がなければ意味はない。

「地道にいきましょう。時間が掛かるといっても、すでにこれだけ攻撃しているのです。かならず城壁は打ち破れますよ」

「でもさ、もう二週間も……」

「ケン、城砦を落とすのです。エステスト城砦は六か月を単独で守れると言われているのですよ」

 城砦攻略は国境を突破する為のものであって、決戦はアシュラム王国領内に入ってからだ。それまでは兵の犠牲は出したくない。そう思って慎重な攻撃を納得させようとしたレスリーの説明だが、それは失敗だった。

「……じゃあ、アシュラム占領っていつになるんだ? 会議では何年もかからないって」

「エステスト城砦であればです。目の前の城砦であれば、もって三ヶ月ではないですか?」

「三ヶ月?」

 エステスト城砦の半分の期間。だがそれでは健太郎は納得しない。

「いえ、それをケン様が用意した大量の攻城兵器を使って一ヶ月でとなっていたではありませんか。まだ半月しか経っていません」

 健太郎の反応を見て、すかさずカーライルが口を挟んできた。気分を損ねてしまうと健太郎が何を言い出すか分からない。それで苦労するのは自分なのだ。

「でも、その攻城兵器が」

「戦いに少しくらいの誤算はつきものです。一月が一月半になっても大勢に影響はありません」

「……ゼクソン側から攻めれば良かったな」

「それはケン様が反対されて」

「違うだろ? それをするとゼクソンが先にアシュラムに侵攻して、グレンが得をするって言うから」

「それを嫌だと言ったのは……いえ。もっと検討するべきでした」

 健太郎の目に不穏なものを感じて、カーライルは途中で話すのを止めた。自分の言葉が健太郎への批判となっていることに気が付いたからだ。

「今更そう言われてもな。仕方ない。我慢しよ」

「はい。お願いします」

 自分に何か策があるわけではないので、失策を人に押し付けたところで健太郎はそれ以上の話を止めた。その日はそれで終わり……となるはずだったのが、そうはならなかった。

 

◆◆◆

 夜も更けて戦場はすっかり闇に包まれている。そんな中、火の光に煌々と照らされて夜の闇に浮かび上がっているウェヌス王国の陣地。遠くからでも目を凝らしてよく見れば、深夜だというのに人々が慌ただしく動き回っているのが分かるだろう。

「大将軍! 起きてください、大将軍!」

 天幕の外から聞こえてくるカーライルの声。

「……何?」

 健太郎は面倒くさそうにそれに答えた。

「大将軍!」

 小さな声で返事をされても天幕の外までは聞こえない。カーライルはまた大声で健太郎を呼んでいる。

「起きてる! 何!?」

「夜襲を受けました!」

「えっ……!? すぐに出る!」

 まさかの報告に驚く健太郎。慌ててベッドから降りて、地面に落ちている服を拾う。

「いえ! もう敵は引き上げています!」

「……どういうことだ? いいよ! 入って!」

「はっ!」

 天幕の入り口を潜ってカーライルが中に入ってくる。その視線は横を向いている。健太郎のすぐ後ろのベッドにいる裸体の女性を見ない為だ。

「どういうことかな?」

 健太郎は服を身に着けながらカーライルに状況を尋ねる。

「攻城兵器が焼かれました」

「嘘?」

「全てではありません。はっきりとした数はまだ不明ですが、三分の一程度でないかと」

「何してんだよ。役に立たないな」

 夜襲への警戒は当然していたはず。そうであるのに敵にそれを許した部下に対して、健太郎は不満そうだ。

「申し訳ありません」

「三分の一ってことは半分になったわけか……分かった。下がって良いよ」

「あの?」

「何か出来ることある? 敵は引き上げたよね?」

「はい」

「じゃあ、また明日だ。お休み」

「……はい」

 その夜、カーライルを含む側近の騎士たちは夜通し被害状況の確認や、攻城兵器の再配置の指示などに追われることになった。

 

◆◆◆

 ――勇者軍が城砦攻略を開始して一月が経つ。未だにアシュラムの城砦は落ちていない。攻城兵器はかなり数を減らしているが、まだ充分と言えるだけの数は残っている。それでも城砦が落ちないことに勇者軍の中に徐々に苛立ちが募る。健太郎を除いて。

「よし! やっぱり戦車の威力は凄いな」

「はい。アシュラム軍の騎馬を全く寄せ付けません」

 前方で展開されている戦いを見て健太郎は上機嫌だ。城壁がこれ以上耐えられなくなってきたと見えて、遂にアシュラム王国軍は砦を出て戦うようになった。騎馬部隊を使っての攻城兵器の破壊がその目的だ。
 初めて出撃してきた時こそ散々にやられた勇者軍ではあったが、その後はアシュラム王国軍を圧倒していた。健太郎が戦車と呼ぶ新兵器の威力だ。
 ぱっと見は馬鹿デカい箱に車輪をつけただけの物。だが、その内部には馬が数頭いて馬車と同じようにその力で動くようになっている。それだけの物だが、それがアシュラムの騎馬兵に対しては絶大な威力を発揮した。
 戦車の上部は荷台のようになっていて、多くの兵が乗り込んでいる。その位置からウェヌス王国軍の兵士たちは騎乗のアシュラム兵士に向かって弓を射ている。アシュラム王国軍の騎馬部隊はそれに対して為す術がない。攻撃しようにも馬上からでは届かないのだ。
 その戦車が二百台も攻城兵器の前に展開していた。なんとかそれを突破して、攻城兵器に近付こうとするアシュラムの騎馬兵だがそれは叶うことなく弓に射られて、次々と落馬していった。

「このまま城砦に攻め込ませようか?」

「それは……」

「駄目かな?」

「戦車は野戦兵器です。城砦前まで辿り着けても、そこからは降りて攻めなければなりません」

「……そっか」

 城砦に近づくにはいいかもしれない。だがその先は戦車の中に留まっていては先に進めない。それどころか狙い撃ちにされるだけだ。戦車は移動しているからこそ、その力を発揮するのだ。

「このままアシュラム軍を削っていけば、城砦に攻め入るのが楽になります。その方が良い選択だと」

「そうだな。これは前哨戦だからな。戦車が活躍するのはアシュラム軍の本隊との野戦だ」

「はい。その通りです」

 物事がうまく行ってさえいれば健太郎は聞き分けの良い扱い易い人間なのだ。だがカーライルには可哀そうだがその物事の進みは、ここから一気に狂いだす。

「引き上げるようです。追わせますか?」

「……やめておこう。騎馬には追いつけないから」

「賢明なご判断です」

「当然だね」

 攻城兵器への攻撃を断念して、城砦に引き上げていくアシュラム騎兵。それが前線から、かなり離れたところでカーライルは異変に気が付いた。

「……何故、戦車から降りているのだ?」

「えっ!?」

 前面に展開している多くの戦車の上部から兵が次々と飛び降りている様子が見える。そして次に見えたのはその戦車に降り注ぐ大量の石だった。多くの戦車がその石の直撃を受けていく。

「どうして逃げない!?」

「分かりません!」

 これまでも投石器の攻撃は受けている。だが戦車は移動出来る。速さはそれほどでもないが移動し続けていれば投石器の直撃を受けるのは、少し不運な兵たちが乗った戦車くらいだった。
 だが今、多くの戦車が降り注ぐ石を避けることなく一カ所に留まったままでいた。結局、半分近い戦車をその場に残して、勇者軍は前線から撤退することになる。

 ――つい半刻ほど前の健太郎の機嫌の良さは、綺麗さっぱり消え失せていた。

「どうして早く気付かなかったかな?」

「気付いた兵は決して少なくありません。しかし、車輪に差しこまれた槍や杭を抜くためには戦車から降りる必要があります」

 アシュラム騎兵はただ一方的にやられているわけではなかった。戦車の足止めを試みていたのだ。

「降りれば良い」

「降りた途端にアシュラムの騎兵に討たれます。実際に多くの兵が討たれています」

 荷台の上からでは車輪には届かない。かといって荷台から降りれば、徒歩で騎馬に立ち向かうことになる。アシュラム王国軍は戦車の弱点を完璧に突いていた。

「……せっかく僕が作った戦車が台無しだ」

「対策を考えれば」

「どういう対策かな?」

「それは直ぐには……」

 戦車はこの世界では新兵器。その改良を考えろと言われても、すぐに思い付くはずがない。考えるのは戦車を考え出した健太郎の役目だ。

「遅いな。すぐに対策を考えないと。明日も戦いはあるのだからさ」

 だが健太郎はその責任を部下に負わせている。数々の失敗を繰り返した中で健太郎が身に着けたのがこれ。責任回避の方法だ。

「はい……」

「考えておいて。もう下がって良いよ」

「はっ……」

 戦車部隊の責任者を下がらせてからも、健太郎は不機嫌なままだ。

「君たちも考えてよ。明日からどうするかをさ」

「はい。ただ、その前に被害の報告を」

「……どうぞ」

「破損した戦車の数、今現在も放置してある戦車の数は八十八台を数えます。投石器による攻撃は続いていますので、いずれは全て破壊されることになるでしょう」

「そんな……」

 半分近くの戦車が破壊されることになる。その報告を聞いて、健太郎は事態の重大さにようやく気がついた。

「討たれた兵士、これは投石器によるものも含みますが、およそ五百」

「…………」

 ただ戦車が破壊されただけではない。その戦車に乗っていた多くの兵士も犠牲となっている。とっておきの新兵器であったはずの戦車の投入は、結果として惨敗を招く結果になったのだ。

「これは戻ってきていない兵士の数です。ただ怪我をして動けない状態で戦車の上にいては、やがては多くが死者に変わることになります」

「助けないと」

「それは進めております。ですが救援部隊を小出しにしていては思う様に進みません」

「じゃあ、もっと兵を出して」

「その出撃許可を。戻ってきた全戦車部隊。それに歩兵部隊二千の援護を付けて再出撃させます」

 戦車だけでなく歩兵部隊も出撃させるのは、また足止めされるのを防ぐ為だ。戦車に乗る兵士と合わせると三千を超える部隊を前線に出すことになる。

「それで助けられるのかな?」

「被害は出ると思います。それでも救える兵の数の方が多いと考えます」

 実際は数の問題ではない。さらなる犠牲を恐れて味方を見殺しにするような真似をしては兵士の士気は崩壊する。その時点で勇者軍の敗北は決まってしまうかもしれない。

「……じゃあ、どうして早く言わないかな」

「何度も進言しようとしました! 聞こうとしなかったのはケン様ではないですか!」

「あっ……」

 健太郎のいい加減さを良く知るカーライルもついに切れてしまった。多くの味方の犠牲がカーライルに耐えることを難しくさせたのだ。

「被害が出ることが分かっていて! しかも三千もの兵を出撃させるのです! それはケン様の許可が必要なのです!」

「……ごめん。じゃあ、すぐに出して」

「大将軍の許可が出た! 直ぐに出撃させろ!」

「はっ!」

 カーライルの命令を受けて騎士が天幕を出て行く。すぐに外で出撃の声が響き渡った。ほぼ同時に戦車部隊が動き出す気配も聞こえてくる。すでに待機していて指示を待つだけだったのが、それで分かる。

「後詰めの騎士団を呼びよせるべきです」

「どうして?」

「被害が大きすぎます。それに明日以降の対策も立っておりません。戦車の運用は諦めて、騎士団の騎馬でアシュラム騎兵に対抗させるしかありません」

「……じゃあ、戦車を解体して騎馬部隊にしよう」

 戦車の動力は馬。解体してその馬に騎乗して騎馬隊とすることも前から考えられていた。広い平原での戦いは戦車。起伏の激しい丘陵地帯では騎馬という運用だ。

「即席で作ってもアシュラム騎兵には敵いません。我が軍は歩兵と戦車。この二つの兵種に特化した調練をやってきたのです」

 だが考えていただけで、その準備は出来ていない。戦車の運用訓練をこなすだけで精一杯だったのだ。それに少しくらい鍛錬した程度でアシュラム騎兵に敵うはずもない。

「…………」

 打つ手が見つけられずに救いを求めてレスリーに視線を向ける健太郎。だがその健太郎の視線にレスリーは応えようとしない。いま健太郎の味方をすることは自分にも騎士たちの反感が向くと分かっているからだ。

「……じゃあ、僕が出る」

 健太郎が頼ったのは自分自身の武勇。 

「ご自身の立場を考えてください。ケン様は大将軍。この戦役の総大将というだけでなく、ウェヌス王国軍の頂点にいるのです。万一があれば」

「万一なんてあるはずがない! 僕は勇者だ!」

「それは分かっております! しかし、一万回に一回は負けることがあるかもしれません!」

「一万回って」

 一万回戦って一回負ける。さすがにそれも絶対にないとは健太郎は言えなかった。どうせ強がりなのだから、ここで正直になる必要などないのだが。

「万一とはそういう意味です」

「そうだけど……」

「大将軍!」

 天幕の外から健太郎を呼ぶ声が聞こえる。

「今度は何!?」

「伝令です! 後詰めの騎士団から使者が参りました!」

「騎士団から使者……」

 要請もしていないのに騎士団のほうから使者を送ってきた。内容を聞かなくても、健太郎としては気分が良いものではない。

「援軍要請を」

 一方でカーライルの表情には安堵が浮かんでいる。使者を出すことを健太郎に納得させる手間が省けただけで救いなのだ。

「でも」

「向こうから来たのです。こちらが要請しなくても現状を知れば同じだと思いますが?」

「……分かったよ」

 カーライルに強く言われて仕方なく、騎士団からの使者に援軍を頼もうとした健太郎だったが、相手の話はそれを言い出せる内容ではなかった。

「ごめん。もう一度言ってもらえるかい?」

「はっ。後軍は南下しゼクソン国境に向かいます。それを大将軍に伝えるようにと言付かって参りました」

「……普通、理由を言わないかな?」

「ゼクソン王国の援軍に向かうとのことです」

 これは健太郎でも分かる。知りたいのはなぜそれが必要かだ。

「どうしてゼクソン王国に援軍が必要なのかな?」

「はっ。ゼクソン王国からの要請を受けてのことです」

 この答えではやはり後軍が戦場を変える理由は分からない。伝令役にしては情報の伝達が拙すぎるのだが。

「どうして要請が? ああもう! 君、わざとだよね?」

「別に……」

 後軍から来た使者は健太郎に対して、冷めた視線を向けている。健太郎の言うとおり、わざと詳細を伝えないのだ。

「好き嫌いの感情で仕事に支障をきたすのは騎士としてどうかと思うが?」

 その様子を見かねてカーライルが口を挟む。

「……ご説明します」

 それを受けて、ようやく使者は説明する気になったようだ。カーライルの言葉ではなく騎士としてと言われたことを受けてだ。

「頼む」

「ゼクソン王国とアシュラム王国は四か月程前から戦争状態に突入している模様です。ただ四か月は我が国の王都に向かったゼクソンの使者の移動期間などから割り出したものであり、正確ではありません」

「そう……」

 途端に詳細な説明を始める伝令の騎士に健太郎の顔は苦くなる。嫌味で言ったつもりの『わざと』が本当だったと健太郎にも分かったからだ。

「ランカスター宰相が、我が国からゼクソン王国への援軍要請を行う目的でエステスト城砦を訪れた時にそれを知ったそうです。それがおよそ一月前のことです」

「そんな前?」

「……状況を確認して、すぐにエステスト城砦から後軍に伝令を送っても、それくらいは掛かります」

「そうだね」

 実際は移動だけであれば、もっと早いのだが、勇者軍の後備の役目を負う騎士団を動かすということの是非を検討する時間もあってのことだ。

「……ということです」

「ちょっと?」

「状況としては以上ですが、まだ何か知りたいですか?」

 何かと聞かれても健太郎にはすぐに思い浮かばない。その健太郎の代わりに口を開いたのはレスリーだった。

「戦争状態になった原因は?」

「アシュラム王国側から宣戦布告してきたとのことです。原因は我が国との同盟。それを裏切りと受け取ったようです」

「それで戦争とは驚きだ」

 ウェヌス王国と戦いになることが分かっていて、ゼクソン王国と戦線を開く。レスリーも兄であるランカスター宰相と同じようにそれを不思議に思った。

「伝え聞いたグレン王の考えでよろしければ、まだ説明出来ますが?」

「……頼む」

「我が国とゼクソン王国の二国に同時に攻め込まれるよりは、二国に攻め込まれる前にゼクソンを落とすことを選択したのではないか。ゼクソンとの戦いを早期に終わらせることが出来れば、我が国のみを相手にすれば良く、更にうまくいけばゼクソンの兵を戦争に投入できる」

「……都合が良すぎるな」

 ゼクソン王国との戦いが早期に、それも勝ちで終えられるはずがない。ウェヌス王国が敗れた相手なのだ。

「それでも戦う前から負けが見えている二国同時侵攻よりはマシです。かなり苦しいところですが一応は各個撃破を図っているわけですから」

「それはそうか。ゼクソンの戦況はどうなのかな?」

「それは全く分かっておりません。一か月前は少なくともゼクソン西部では戦闘は行われていない模様です。エステスト城砦死守の命令が出ていたとのことです」

「我が国の対応は? 後軍を援軍に派遣する以外に何か動いたのか?」

「ゼクソン国境に東方辺境師団を派遣した模様です。これはエステスト城砦の支援とアシュラムがゼクソン国境から我が国へ侵攻するのを防ぐ為です」

「何!?」

 使者の説明を聞いてレスリーは驚きの声をあげた。これもランカスター宰相と同じ。それはそうだ今回の件はランカスター侯爵家内で何度も話し合いがもたれている。その中で否定された可能性なのだ。

「後軍でも少し検討しましたが、可能性は充分にあると」

「しかしアシュラム全軍でも一万だ。それで我が国の侵略は不可能ではないかな?」

「領土の制圧は無理でも王都を奇襲される可能性はあります。王都には一万しか残っておりません。そして本来、その軍を指揮する大将軍は目の前にいます」

「…………」

 使者の言うとおり。本来、大将軍が前線に出ることなどない。ウェヌス王国全土の軍を統括するのが大将軍の役目なのだ。

「ただ一万も守備の軍勢がいれば王都が落ちる可能性はなく、恐らくは北上してこの地で戦うだろうと。例え半分の五千でも後背から奇襲を受けては負けることは充分にあります」

「僕の軍は負けないよ」

 使者の言葉を否定する健太郎。余計な一言というものだ。

「……勇者軍だけが残ってもアシュラム侵攻は成功しません」

「何だと!?」

 案の定、使者は健太郎を挑発してきた。

「早期に決着がついていてゼクソン軍が吸収されていた場合、アシュラムは二万に届かなくてもそれなりの数になります。国境の城砦側、後背、二方面から攻められて侵攻する余裕などあるのでしょうか?」

「出来るさ」

 相手を挑発するだけの意味のないやりとり。アシュラム王国が短期でゼクソン王国に勝つ可能性などないに等しく、二方面から攻められて侵攻出来るという根拠もない。

「ではご自由に。自分もすぐに後軍の後を追いますので、これで失礼させて頂きます」

「ご自由に」

「……ああ、一つ忘れておりました」

 騎士の挑発は終わっていない。これからが本番だった。

「何だよ?」

「ゼクソン王国が勝っている場合です」

「えっ?」

 充分にあり得るそれを健太郎は考えていなかった。それを考える余裕など与えられていなかったが。

「これはランカスター宰相からの御言葉です。勇者軍は速やかにアシュラム国境を突破して、アシュラム王都を落とすようにと。間違ってもゼクソン王国に先を越されるな、とのことです」

「……もちろんさ」

「自分は個人的にはゼクソン王国は間違いなく勝っていると思います。なんといっても、あのグレン王が軍を率いているのですから」

「……君はグレンを知っているのかい?」

「さすが大将軍です」

 この場に来て初めて騎士の顔に笑みが浮かんだ。決して好意的な笑みではないが。

「何が?」

「自分はかつて勇者親衛隊の騎士の従者でした。貴方の下にいた人間です。それを忘れている。いえ、最初から自分の顔など覚えていないのでしょう」

「…………」

 健太郎は使者が何故、自分に対して非礼な態度を取るのかが分かった。それを知ってしまえば、もう何も言えなくなる。

「つまり、グレン王の下で短いながらも調練を受けた身です。あの方の凄さは充分に分かっています」

「……そう」

「大将軍とグレン王の競争ですか……頑張ってください」

「あ、ああ」

「もう手遅れかもしれませんが。では失礼いたします」

「…………」

 最後にとびきりの嫌味を健太郎に残して、伝令の騎士は天幕を出て行った。

「ケン……」

「……明日、全軍で総攻撃を仕掛けよう。明日一日で城砦を落とす。そのまま一気にアシュラムの王都もだ」

「そうだね。そうするしかない」