会議が終わった健太郎を、いつもの様に結衣とレスリー・ランカスターは部屋で迎えた。
二人の前の椅子に座った健太郎。だが何も話をすることなく口を真一文字に結んだまま、じっと考え込んでいる。
その健太郎に焦れて結衣が文句を口にする。
「どうしたの? 何か話をしなさいよ」
「……メアリー様が」
「メアリー様? そういえば最近会ってないわね。元気なの?」
「グレンのところに行った」
「はい?」
「グレンと結婚することになった。しかも側室だってさ」
「なっ!?」「嘘でしょ!?」
レスリーと結衣が同時に驚きの声をあげた。当然二人が驚く理由は異なっている。
「本当。元々、ゼクソンへ嫁ぐ約束があって、今の王がグレンだから」
「そう。へえ、良かったわね」
結衣が驚いていたのはわずかの間。すぐに嬉しそうに笑みを浮かべてこう言った。
「あれ? そういう反応なんだ?」
健太郎は、この結衣の反応が意外だった。結衣はてっきりヤキモチをやくと思っていたのだ。
「メアリー様はグレンのことが好きだったのよ。想いが叶って良かったじゃない」
「そうだけど……側妃って話だ。他にも奥さんがいる」
結衣が普通に受け入れてしまうと、健太郎は反発したくなってくる。グレンが複数の女性と結婚したことに文句を言い出した。
「グレンも健太郎には言われたくないと思うわよ。ちゃんと結婚しただけマシだと思うけどね」
複数の彼女?がいるという点で健太郎にはグレンに文句を言う資格はないと結衣は言っている。
「複数の女性と結婚する方がおかしい」
それに対して健太郎は自分の方がマシだと言ってきた。複数の女性がいることを認めたようなものだ。
「やっぱり、あの女以外にもいるのね?」
「……うるさいな。今はグレンの話だ」
「グレンは王。複数の奥さんを持って、何が悪いのよ?」
「……それを言われると」
国王には側妃がいて当然。必ずしもそうではないのだが、二人はこう思っている。健太郎はグレンに対して文句を言えなくなった。
「良いな。結婚か」
健太郎を黙らせたところで、結衣はさりげなく結婚願望を口にする。
「そう思うなら、さっさとレスリーと結婚すれば良いだろ?」
それにまんまと健太郎は食いついた。必ずしも結衣は健太郎に食いついて欲しかったわけではないが、話の流れとしては悪くない。
「嫌だ、何を言っているのよ?」
白々しく惚けて見せる結衣。
「恍けるなよ。二人ができているなんてお見通しだ」
「何がお見通しよ。侍女が告げ口したのね」
「どうかな? でも事実だろ?」
お見通しだと言いながら、事実か確かめる問いを発する健太郎。
「……結婚は別よ」
結婚は否定しながらも付き合っていることは否定しない。これに対してレスリーもまた否定しなかったことで、結衣は内心でホッとしている。
「そんなこと言ってていいのか?」
結衣がメアリー王女に嫉妬しなかった理由は分かった。そうなると、今度はお節介をやきたくなる。
「まだ早いわよ」
まだ早い、と言うことで結婚そのものは否定しない結衣。
「あのさ。元の世界では許されるかもしれないけど、この世界での結婚適齢期はとっくに過ぎているじゃないか。結衣はもう行き遅れだ」
「だって……」
「ああ、レスリーが言い出さないからか。何、レスリーは遊びなのか?」
健太郎は見事に結衣のフォローをしている。このあたりの無意識の連携はさすがの二人だ。
「ケン。それはあんまりです。私はランカスター家に養ってもらっている身。妻を娶れる立場ではないのです」
レスリーは結衣と結婚出来ない理由を説明した。確かにレスリーは無位無官の身。妻子を養える状況ではない。あくまでもレスリー個人では。
「だから僕の軍に入れって言ってるのさ。給料はちゃんと出す。結衣だって養える」
「剣には自信がなくて」
「別に戦場で戦う必要はないよ。後方での仕事で良いじゃないか」
「そうですけど……何かやりたいことが見つかるのではないかと」
実際にはレスリーにはやるべきことはある。今はその時を待っているだけだ。だがそれは健太郎や結衣に言えることではない。
「そんな夢見る年じゃないよね? 一度ちゃんと考えておいて」
「自分のことは棚に上げて」とはこういうことだ。健太郎は自分もまた夢を見ていると気が付いていない。
「ええ。それで会議の話の続きは?」
「そうだった。ゼクソンとは同盟を組むことになった」
「何ですって?」
またレスリーにとって意外な言葉が健太郎の口から告げられた。
「こちらから申し入れたみたいだけど」
「……それをゼクソンが受け入れたのですか?」
「お兄さんと同じ反応だ。どうして不思議に思うのかな?」
レスリーの反応は兄であるランカスター宰相と同じもの。その理由を尋ねる健太郎は同盟が及ぼす影響を理解していなかった。
「我が国の次の目標はアシュラム王国。これは前に話しました」
「覚えてる」
「その戦いにおいてゼクソンに協力を求めることが可能になります」
「それってまた嵌められないかな?」
ウェヌス王国はゼクソン王国の裏切りで酷い目にあっている。また同じ轍を踏むことにならないか健太郎は心配している。
健太郎はゼクソン王国の裏切りの黒幕がランカスター家だと分かっていない。
「それを行えば同盟は破棄です。ゼクソンには国を立て直す時間が必要なはずで、その為の不可侵条約の要求だったはずです」
レスリーは実家の野心など話すつもりはない。全然関係のない理由でゼクソン王国が裏切る可能性が少ないことを説明した。実家のことを隠しているだけで内容は本当だ。
「そうか。でも、それじゃあ、アシュラムとの戦いに参加するなんて出来ないよね?」
「はい。ですが、それを断れば同盟を破棄する口実を我が国に与えることになります。それもまた意味がありません」
ゼクソン王国にとって不可侵条約から同盟に変更することにメリットはない。こう思うからレスリーは、兄であるランカスター宰相もグレンが受け入れたことを訝しんでいるのだ。
「じゃあ、ちょっとだけ参戦するのかな?」
「アシュラムがちょっとで許してくれますか? そもそもゼクソンとアシュラムも同盟関係にあるはずです。敵対する我が国との同盟はアシュラムを裏切る……もしかして裏切りたいのか?」
レスリーはゼクソン王国が同盟を受け入れる理由の一つに思い当たった。ランカスター宰相と同じ考えだ。
「それってどういうこと?」
「……いやしかし、それでアシュラムに攻められては。やはり意図が分かりません」
「そう」
結論を出すにはまだ早い。レスリーはこう思って、自分の考えを説明することを止めた。そもそも健太郎に説明することに意味はないのだ。
「兄は何か言っていましたか?」
「……そう言えば同じようなことを言っていた。ゼクソンはアシュラムを攻めるつもりなのかとも言ってたね」
「やはり、そう考えますか。それが出来るとは思えないのですが……」
「でもゼクソン王国軍は無傷で残ってる。戦えないことはない」
兵士がいても、それだけでは戦えない。健太郎も全く分かっていないわけではないのだが、今はそこまで細かい話をする気はない。
「それはそうですが……我が国の早期の侵攻を読まれているのかもしれません」
一方でレスリーは相手が誰か関係なく考えを巡らしている。グレンの考えを読めなければ、この先も出し抜かれる可能性がある。レスリーだけでなく、ランカスター家はグレンへの警戒を強めているのだ。
「そうだとしたら?」
「全土を奪う必要はないと考えているとしたら?」
「こちらが戦っている間に横から取っていくわけか」
「はい。それであれば。そして同盟期間で国力を高めて。いや、それは無理だ」
説明を途中で止めてレスリーは自分の考えを自ら否定した。まだ考えが纏まっているわけではない。探りながら話をしている状態だ。
「どうして?」
「東方の標的がゼクソンだけであれば、こちらは戦力を集中出来ます。エステスト城塞も役に立たない。それで防ぎ切れるとは思えません」
「あれ? やっぱり、ゼクソンも攻めるの?」
「……こちらが攻めなければゼクソンから攻めてきます」
「そうなのかい?」
「そうです」
「……それもそうか。グレンとは戦う運命だからな。そうなるとメアリー様が可哀想だな。慰めてあげないと。ああ、ゼクソンの前国王も……」
そしてまた健太郎はいつもの様に妄想を口にする。
「いい加減にしたら」
そんなハーレム妄想を語る健太郎に、結衣が呆れた声で文句を言ってくる。
「何が?」
「そろそろ危機感ってものを持ったらどうなの?」
「……危機感って何?」
「王族と平民。死別したはずの二人。敵味方に分かれたはずの二人。そんな叶わぬ恋が結ばれたのよ。誰が聞いてもグレンが主人公じゃない。健太郎、いつの間にか主人公じゃなくなっているのかも」
「……まさか」
結衣の指摘に健太郎は苦笑いで答える。それがまた結衣の癇に障ってしまう。
「まさかってさ。グレンと戦う健太郎はどうなの? ようやく結ばれた二人を引き裂く悪役じゃない。メアリー様はきっと恨むわね。ヒロインに恨まれる主人公って何?」
「…………」
黙り込む健太郎。健太郎も危機感を抱いていないわけではない。分かっていて、人前では強がっている面もあるのだ。
思うように活躍出来ない自分。それとは正反対にどんどん高みに上っていくグレンを知って、健太郎は焦りを覚えている。
「まあ、頑張れば良いのよ。グレンに負けないようにね」
健太郎が真剣に落ち込んでいる様子を見て、結衣は慌ててフォローを入れてきた。結衣も本気で健太郎を責めているわけではない。健太郎が調子に乗った様子だったので、少し意地悪したくらいのつもりなのだ。
「……ああ、そうする。僕はグレンには負けない。最後に勝つのは僕だ」
「その為にはアシュラムには圧勝しなければ駄目です。ゼクソンが付け入る隙を一切与えないくらいに」
すかさずレスリーが健太郎のやるべきことを告げてきた。
結衣はこうして時々、健太郎をその気にさせてみせる。これが価値観の違うこの世界の人々にとって案外難しいことなのだ。
これがランカスター侯爵家にとっての結衣の価値。結衣を上手く利用することが出来れば、健太郎を操れるようになるのではないかと思われていた。
◆◆◆
ウェヌス王都の裏町。その一角にある商店を装った建物でジャスティンとアンナは会っていた。かつてソフィアたちエイトフォリウム帝国の残党がアジトにしていた建物だ。
この場所で二人が会うのも、もう何度目か数えられないほどになっている。実際には必要な情報のやり取りはそれほど頻度が必要なわけではない。アンナが外出する日に必ず会うようにしているだけだ。頻繁に会うことで怪しまれる可能性はあるが、逆に会う目的を偽ることで、いざという時の言い訳にしようという魂胆だ。
「……あの、これ」
建物に入ってきたジャスティンは顔を真っ赤にしながら、先に来て待っていたアンナに大きな花束を差し出してきた。
「えっ、何?」
「あれだ、恋人を装うのだから、たまにはプレゼントくらいと思って」
ジャスティンとアンナは恋人同士が、それも許されない関係の二人が密会しているように装っている。それであれば人目をはばかるように会っている理由になると考えたのだが。
「馬鹿だね。花束なんて持って歩いている男は裏町になんていないよ。目立って仕方がないじゃない」
「あっ……そうだな」
全く人目を避けないというのは論外だ。
「でも……ありがと。嬉しいよ」
文句を言いながらもアンナは差し出された花束を受け取って、嬉しそうに笑顔を浮かべている。
「そうか。良かった」
その笑顔を見てジャスティンの顔にも笑みが浮かぶ。これでは、どれが言い訳なのか良くわからない。
「……ごめん。せっかくもらった花だけど、持って帰れない」
笑顔を見せていたアンナだが、その表情がすぐに曇った。さすがに花束を屋敷に持って帰るわけにはいかないと気付いたからだ。
「そうだった……」
アンナに言われてジャスティンの表情も険しくなる。アンナがどこへ帰るのか。それを思い出して、心に苛立ちが広がっている。
「そうだ! この部屋に飾ろうか? 殺風景な部屋だから丁度いいよ」
雰囲気が暗くなりそうになったところで、アンナは明るい声でこの場所に飾ることを提案してきた。
「そうだな。そうしよう」
もちろん、ジャスティンに異論はない。
アンナは花瓶に使えそうな器をいくつか見つけると、それに水を入れて花束をばらして器に挿していく。それが終わると器を部屋の隅の棚の上やテーブルの上に置いていった。
「いいね。華やかになった気がする」
「ああ、いい感じだ」
実際に花を飾っただけで部屋の雰囲気は随分と変わった。暗い、いかにも密会場所という雰囲気だった部屋が、明るく華やかに感じられる。気持ちの問題でもあるのだろうが、その気持ちを変化させたのが花であることには間違いない。
「さあ、話を始めようか」
「じゃあ……そちらからで良いか」
「ああ。最近少し気になることがある。勇者が少し真面目になった気がする」
「真面目に?」
「そう。あたいが思うにレン兄をかなり気にしている様子で、対抗心が芽生えたみたいだ」
「……どうしてそう思う?」
今更という感がジャスティンにはあるのだが、本当に健太郎の意識に変化があったとすれば、それは大きな問題だ。グレンが健太郎を警戒していることをジャスティンは知っている。異世界の知識がこの世界の現実に見合った形で活かされることになれば、それは脅威だと何度も聞かされているのだ。
「最近、レン兄への文句が多い。勇者は相手を馬鹿にすることで、自分の……」
「自尊心?」
「そう。自尊心を満足させようとする。以前はこの世界のこういうところが駄目だから異世界のほうが素晴らしいって話ばっかりだったけど、最近はそれがレン兄の話ばかりになっている」
「……それはそうだろうな。勇者がどこまで知っているか分からないが、ゼクソンでも実質的な国王だからな」
平民の身から国王にまで成り上がる。こんな人物は過去の歴史の中でしか聞いたことがない。英雄、場合によっては奸雄、と呼ばれる類の人物だ。
「前にも言ったけど、勇者は自分を主人公だと思っている。何の主人公が分からないけど、自分が世界の中心じゃないと気が済まないみたいだね」
「ああ、それは聞いた。いい加減に勘違いに……気付いたということか?」
勇者であったとしても、その武勇がどれほどのものであったとしても、それで世界の中心になんてなれない。所詮は使われる身だ。健太郎の変化はそれに気づいたからだとジャスティンは思った。
「自分が主人公だって思いはまだあるよ。でも、その力を見せつける必要があると思っているみたいで、必死で何かを考えてる」
根底は変わっていない。ただ何もしないで主人公として活躍できるほど甘くないとは分かったということだ。
「何かが何か分かるか?」
「戦争の道具だってことくらい。勇者の中でもこれだって感じじゃなくて、色々と考えているみたいだから。それに……」
「何?」
「……あたいは最近あまり……夜一緒じゃないから」
「……そうか」
ジャスティンの心に暗い影が広がっていく。健太郎やその周囲の情報を得ることは大切なことだと分かっている。それでも納得出来ない気持ちがいつの間にか生まれていた。
「情報必要だよね?」
「それは……無理しなくて良いのではないか?」
その情報を得る為にアンナが何をしようとしているかジャスティンには分かる。健太郎が考えているのが異世界の知識を使った兵器であるなら、何としてもその情報を手に入れなければならないことも。
二つを天秤にかけたジャスティンは私情を選んでしまった。
「本当に?」
「……メアリー王女殿下がゼクソン王国に輿入れした。国王代理である団長の妃になる」
「ええっ!? 王女様が!?」
ジャスティンの話はアンナの答えになっていないのだが、メアリー王女の輿入れの話はそれを気にする余裕がないほどの驚きだった。
「やっぱり驚くか?」
「それはそうだよ。裏町に住んでいたレン兄が王女様と結婚なんて信じられない」
アンナにとってメアリー王女は自国の王女様。その王女様と、貧困と犯罪の代名詞ともなる裏町で育ったグレンが結婚などあり得ない出来事だ。
「……結婚は気にならないのか?」
「気になるって何が?」
「あっ、いや、何でもない」
「何その反応? 変なの」
「だから何でもない。我が国とゼクソンの間では同盟が結ばれる予定だ。同盟が全てではないけど物事がうまく進めば……君はもう勇者の側にいる必要はなくなる」
「……ほんと?」
「いや、本当は正式に決まってから話すはずだったのだけど……とにかくこの先は無理する必要はない」
最後の言葉をアンナに告げたくて、ジャスティンはまだ正式に決まっていない情報を伝えてしまった。
「そっか……まあ、期待しないで待っているよ」
ジャスティンの表情から躊躇いを読み取って、アンナはこんな言い方をした。そうでなくてもアンナが何かに期待することなどない。期待しても裏切られるだけ。そう思ってしまう人生をアンナは過ごしてきたのだ。
「必ずうまく進むから。君は自由になれる」
「分かってる……他に話は?」
「それは……」
もしアンナが健太郎の側を離れることになれば、こうして二人が会う必要はなくなる。そうならない為に話したいことがジャスティンにはあるのだが、なかなか言葉に出来なかった。
沈黙の時が流れる。お互いに自分の胸の鼓動が部屋に響くのではないかと感じるくらいに緊張しているのだが、実際にそこまでのはずがなく、それが相手に伝わることもない。それを感じ取る余裕もなかった。
「……じゃあ、あたいは戻るよ。また今度だね」
その空気を嫌がったのはアンナ。素早く立ち上がって建物を出ようとする。
「ま、待ってくれ」
それを慌てて追いかけるジャスティン。咄嗟の行動がジャスティンの心から躊躇いを吹き飛ばした。
「……恋人のふりをしてるからって、こんな演技はいらないよ」
背中から自分をきつく抱きしめるジャスティンに向かって、アンナは振るえる声で呟いた。
「演技じゃない」
「……今日は時間がないからまた今度にしよう。いいよ、あんたなら抱かれてあげる」
「そうじゃない!」
「そうじゃなければ何なのさ!? 騎士様のあんたがあたいに何を求めるの!?」
期待なんてしたくない。裏切られるに決まっているから。こんな思いがアンナの気持ちを苛立たせる。
「……側にいて欲しい」
「今の仕事が終わったらね。でも、あんたにあたいを囲う甲斐性なんてあるのかい?」
「真面目に聞いてくれ! 俺は君を愛している! ずっと側にいたいんだ!」
「……嘘だ。嘘だ、嘘だ、嘘だ! そんなの信じない! あたいを騙そうとするな!」
涙を流しながら大声で怒鳴るアンナ。ジャスティンに向けての言葉ではない。自分に言い聞かせているのだ。信じるな。期待するな。悲しい思いをするだけだと。
「アンナ。俺を信じて欲しい。俺は君を裏切らない。ちゃんと結婚しよう。俺の妻になって欲しい」
「……無理だよ。あたいは裏町生まれで、その上、汚れている。騎士様の妻になんてなれない。周りが認めない。あんたもきっと後悔することになる」
「そんなことはない。俺は後悔なんてしない」
「……お願いだから、あたいを苦しめないで。もし本当にあんたがあたいを好きでいてくれたら、それは嬉しい。すごく嬉しいけど、それだけで充分。それ以上は期待させないで」
「アンナ……」
アンナもまた自分を好きでいてくれた。これが分かったジャスティンだが、それを素直に喜べなかった。今の自分はただアンナを苦しめているだけ。アンナに受け入れてもらうには、今のままでは駄目なのだと分かったからだ。
「……ありがとう。こんな嬉しい気持ちになれたのは久しぶり。でも、もうこの話はなし。今度同じ話をしたら二度と会わないから」
「…………」
ジャスティンの返事を聞くことなく建物を出ていくアンナ。ジャスティンはその背中を見つめることしか出来なかった。今のジャスティンには。
もし、二人のこのやり取りを見ている者がいたとしたら、許されない間柄の二人が逢瀬を重ねているのだと思うだろう。それに関しては二人の思惑通りではあるが、今の二人が望んでいるのはそんなことではない。