月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

勇者の影で生まれた英雄 #96 王の背中

異世界ファンタジー小説 勇者の影で生まれた英雄

 ルート王国に戻った翌日。グレンはハインツたち三人を連れて軍の演習場に向かった。演習場といっても決められた場所があるわけではない。ルーテイジ周辺の空き地を利用して、調練は行われているのだ。
 目的の場所に向かって、のんびりと騎馬を進ませるグレンたち。

「王様! お戻りになられたのですか!?」

 そのグレンに、正面から歩いてきた農作業着を着た恰幅の良い女性が声を掛けてきた。

「ああ。昨日戻ったばかりだ」

「それは良かった」

「でも、しばらくしたら又、離れることになるから」

「そうなのですか?」

 嬉しそうに話していた女性の顔が曇る。グレンがまたどこかに行ってしまうと聞いて、寂しく思っているのだ。

「色々とやることがあって。でも王が暇を持て余しているよりはマシだろ? それだけ国に良くなるところがあるって証拠だ」

「まあ、そうですけどね。でも体には気を付けてくださいよ」
 
「ありがとう。そっちも頑張るのは良いけど、健康には気を付けて」

「ええ。でも国の為ですから。ここは頑張らないと」

「そうだな。俺がいない間のルート王国を頼む。それとソフィアのことも」

 農婦の言葉を聞いて、グレンの笑みがさらに明るくなる。国の為という意識を持って働いてくれていること嬉しくして堪らなかった。

「任せてください。でもソフィア様を寂しがらせてはいけませんよ」

「分かっている。離れていた分、昨日は頑張ったから」

「あらあら。仲の良いのは結構ですけど、そちらも程ほどにね」

「それは無理だな」

「王様ったら」

 農婦に向かってのろけて見せるグレン。この会話には後ろで話を聞いていたハインツたちも驚きを見せている。

「じゃあ、また今度」

「ええ。お元気で」

 農婦と別れてさらに進むグレンたち。農地に向かう者たちと途中で会う度にグレンはこんな会話を行っていた。
 人影が途絶えたところで、ハインツがグレンに向かって口を開いた。

「あの」

「何?」

「顔見知りなのですか?」

「彼らと?」

「はい」

「さすがに王の顔は知っているだろ?」

「そうではなくて陛下は彼らを知っておられるのですか?」

 国王と国民の間での会話とは思えない親しさ。それがハインツには驚きだった。小さな国とはいえ、王と平民であることに違いはないのだ。

「知っているけど名前は一致する人としない人がいるな。全員を覚える前にゼクソンに行くことになったから」

「そうですか……」

 グレンの答えを聞いて、ハインツはさらに驚くことになった。

「それが何か?」

「やけに親しげだなと。それに陛下が一人一人の民の顔を覚えていることにも驚きました」

「国王だからって偉ぶるような国じゃない。国民はたった千数百だ。その千数百程度だから覚えることもできる。ハインツだって覚えていただろ?」

「覚えて?」

 グレンの問いにハインツは心当たりがなかった。

「自分の兵団の兵士の顔は?」

「それは……完全には」

 グレンが聞いたのは自分の配下の兵士たちの顔を覚えていたか。覚えているとはハインツは答えられなかった。

「本当に? 命を預けてくれる兵士の顔も覚えていなくて、よく兵士に死ねと言えるな?」

 呆れた様子で問いを発するグレン。

「……申し訳ありません」

「まあ、どちらでも良いけど。覚えていないってのもありだからな」

「えっ?」

「何か認めるものがあった時に名を覚える。これはウェヌスのトルーマン前元帥のやり方。名を覚えられたというだけで、騎士は褒美を貰ったような気持ちになったみたいだ。それも上に立つ者としてのやり方だと思う」

 名を覚えないことを徹底すれば、それをする者が周囲から一目置かれる人物であれば、トルーマンのようなやり方も有りだとグレンは思っている。

「なるほど。しかし、陛下はその方法ではなく逆を為そうとされています」

「トルーマン閣下みたいな威厳はないから。俺では黙って立っているだけで兵は付いて来ない」

「そのようなことはないような……」

 そう言われても、立って声を発するだけでグレンは反乱軍を崩壊させたのだ。ハインツとしては、グレンの言葉をそのまま受け取れない。

「まあ、それぞれ自分に合った方法を考えるのが一番だな」

「はい」

 話をしながら、しばらく進んだところで、平原を駆け回る騎馬の姿がはっきりと見えてくる。それを見たハインツたちは茫然と立ち尽くすことになる。
 百騎単位に分かれて駆けている騎馬の集団。それが半分に分かれ、更に分かれて、十騎の集団に変わっていく。横一列に並んだと思えば、縦一列に変わり、また集まって集団を形成していく。一直線に並び、二つに割れ、それが交差していく。
 まるで曲芸を見ているかのような美しさを感じさせる騎馬の動きだった。

「……あれは?」

「騎馬の行動訓練だな。ウェヌス国軍の歩兵と同じように十騎で一小隊として、十小隊で一中隊として編成している。それの連携調練だ」

「群狼戦法を騎馬に応用したわけですか」

 グレンの説明を聞いてハインツは納得している。小部隊を縦横無尽に動き回らせる戦法はグレンの得意技だと思っているのだ。

「群狼?」

 だが当人であるグレンは群狼戦法の意味が分からない。

「猛牛との対抗演習でやられた戦い方です。ランガー将軍が名付けました」

「へえ、恰好良いな。じゃあ、そう呼ぶことにしよう。でも、あれは基本行動だから戦法とまでいえないか」

 目の前で騎馬隊が行っている調練は行動訓練。部隊毎に一糸乱れぬ行動を出来るようにするための訓練に過ぎない。

「ルート王国軍は騎馬を主体にされるのですか?」

「必ずしもそうではない。ただ数が少ないこの国の軍には騎馬の機動力が必要だ。全員が乗りこなせるようにはしたいと思っている」

「……あれは?」

 次にハインツの目に入ったのは、平原に立てられた幾つもの的を騎乗したまま弓で射ている集団だった。

「弓の訓練」

「それは分かりますが、馬に乗ったまま弓を射るのですか?」

「そう。そのうち駆けながら的を射ぬく調練に移るはずだ。今やっているのは、馬上での弓矢の取り扱いに慣れる基礎練習」

「……騎馬が矢を」

 騎乗から弓を射る。その奇抜な発想にハインツは驚いているがこれは間違いだ。

「そんなに驚くことじゃない。ああいう兵種は昔からあったらしい」

「そうなのですか?」

「騎士という身分が出来て騎馬が騎士だけのものとなり、騎士の武器が槍と剣に固定されたことでなくなった兵種らしい。育てるのも大変だからな」

「それを育てるのですか」

「やってみないと出来るはずがない。でも使い物になるかは、まだ分からないな」

 グレンはそういう兵種があると知って、それを自軍に取り込んでいるだけ。もちろん使い道があると思ったから採用しているのだが、まだまだ兵士たちの技術が足りないのだ。

「そうですか……」

「陛下。今いるのは元銀狼兵団ですか?」

 呆気にとられているハインツに代わって、口を開いたのはカール・イェーガーだ。

「そう」

「後から合流した兵は何をしているのですか?」

 カールたちと共に千人近い兵士がルート王国に来ている。カールはその兵士たちのことを聞いている。

「午前中は基礎体力調練だな。その辺を走っているか、開墾しているかだ」

「開墾ですか?」

「田畑を開墾するのって、かなりの力仕事だ。体力作りにはもってこい。その上、耕作地まで増やせる」

「なるほど」

「兵の調練の概要を説明しておこう。まずは基礎調練。これは徹底的に体を鍛える調練だ。合流した兵はまずこれをこなしてもらう。一定の基準に達するようになったら、次が基本調練。小隊や中隊単位の行動と騎馬、弓、槍の基本的な扱いを身に付ける」

「剣は?」

「ああ。剣は基礎調練から入っている。基礎調練ではひたすら素振り。それで基本を身に付けて基本調練では一対一、まあ立ち合いだな。そこから連携調練に入って、集団での戦いを身に付ける。ここまでが歩兵調練」

「そこから兵種ごとに分かれるわけですか」

「違う。上級調練だな。今目の前で行われている騎馬の集団行動、騎乗での弓、槍の扱い。歩兵で言うと槍か剣での一対多や多対多の戦いや対騎馬戦、対弓戦などの調練を行う。その上はない。ただただ技量を磨きあげていくだけだ」

 兵種ごとに分けるほど兵数がいないということもあって、ルート王国軍の兵士は何でも一通りこなせることが求められる。だが、その「一通りこなせる」の基準がグレンの場合、異常に高かったりするので兵士たちは大変なのだ。

「そこまで言ってルート王国では一人前ですか」

「そんな試験みたいなものではない。数が少ない分を質で補う。そうするしかないからそうしているだけだ」

「それは分かります。それで我らは何から始めればよろしいのでしょうか?」

「新しく来たのだから基礎調練だな」

「はっ?」

 基礎調練は走り込みと開墾作業。まさかそれをやらされるとはカールは思っていなかった。

「あれ、不満?」

「いや、不満というか……申し訳ありません。兵を率いるものと思っておりました」

「もちろん、そうなってもらう。その為の基礎調練だ」

「……どういうことでしょうか?」

 一兵卒からやり直せということではない。では何故、基礎調練から始める必要があるのか、カールは分からなくなった。

「ルート王国軍は数が増えたとはいえ、三千を欠ける。ゼクソンとの通常の伝令や、戦時の伝令部隊を作る予定だから、戦いに参加するのは二千。ウェヌス国軍の二大隊に過ぎない」

「はい」

「本陣を構えて後方からじっくりと指揮なんて出来ないから。大隊長となっても兵と一緒に行動することになる」

「……確かにそうなります」

「率いる大隊が歩兵の場合、徒歩で戦場を駆けることになる。それが出来るか?」

「徒歩で指揮するのですか?」

 将は騎乗して指揮をする。それがゼクソン王国軍では常識だった。だがルート王国ではそうでないとグレンは言っている。

「一人で騎乗していたら目立つだろ? ウェヌス国軍の弱点の一つは実はそれだ。中隊長、小隊長は兵に紛れていて一目見ただけでは誰がそうかは分からない。ところが大隊長となると騎士なので鎧兜が違う上に騎乗までしている。狙い討ってくれと言っているようなものだ」

「……なるほど。その大隊長を討てば、指揮する者がいなくなって烏合の衆と化すわけですか」

「本当は中隊長に権限を渡せば、ウェヌス国軍は大隊長なんていなくても戦えるだろうけどな。そういう制度に今はなっていない。勇者が何か変えているみたいなので、いずれは変わるかもしれないけどな」

 今はそうだからといって、この先も同じだとはグレンは考えない。ウェヌス王国軍はすでに何度も失敗している。それを反省すれば、改革を行うはずだ。グレンであれば間違いなくそうする。

「……我が軍は?」

「理想を言えば、大隊長が倒れれば次の者が。それが倒れれば、また次の者が。そういう軍にしたい」

「はい」

「それには個人の武だけでなく、将としての知識経験が必要だ。時間が掛かるだろうな」

「将を育てるわけですから」

 口でいうほど簡単ではない。それはグレンにも分かっている。軍が決して努力を怠ることのないように、あえて高い目標を設定している面もある。

「その基礎を作ってもらう」

「基礎ですか?」

「兵との調練以外の時間は将としての勉強をしてもらう。三人にはゼクソンでの将軍としての知識や経験を。ウェヌスの見習い騎士であったセイン、カイル、ミルコ、ポールたちにはウェヌスで学んだことを。お互いに教え合って、この国の形を作ってもらいたい」

「なるほど」

 両国の良いところ取りをしようということだとカールは理解した。

「ハインツはこの先どうなるかは決まっていないが、二人とセインたちの六人は二つの大隊長の座を競うことになるからな。それ以外は副官となって、大隊長に万一があった場合の代わりとなる」

「先ほど申された通りに」

「そうだ。二人に決めると言ったが本当はそうしたくない。六人が同じだけの技量を持ち、戦場や戦い方など、その時に応じて大隊長を決める。そういう風になってもらいたい」

「分かりました」

 グレンにはさらに理想がある。六人がそれぞれ得手を持つことで、戦場や局面にあった将を選べるようにすること。そして率いられる大隊はその将の特徴にあった戦いを出来るようにすること。
 将には特化した能力を、兵士にはどんな将に応じられるマルチな能力を求めることになる。とんでもなく高い目標だ。

「やってもらうのは、それだけじゃない」

「まだ何か?」

「実際にルート王国軍が単独で戦争をする可能性は少ない。あるとしてもこの場所での防衛戦だろう。それ以外はゼクソン軍と共同で戦うことになる」

「はい」

「視点としては大隊長以上のものを持ってもらう。二人は元々将軍だけど、それに満足せずに、この軍、そして新たに造り直すゼクソン王国軍を率いる将として物事を考えるように」

「総大将でさえ状況に応じて変える、ですね」

「そうだ」

「分かりました。陛下のご期待に沿えるように頑張ります」

「さて、こんなところかな。調練は明日から。今日は都内の防衛設備を理解してもらって、その後は早速、セインたちとの打ち合わせだ」

「「はっ!」」

 これを告げて、グレンは三人から離れて前に進んでいった。そのグレンの腕が天に真っ直ぐに伸ばされる。その途端に。

「集合!」

 調練していた兵の間から集合の声が上がった。調練を止め、隊列を整えながらグレンの前に集まってくる兵士たち。それが揃ったところで、グレンは声をあげた。

「久しぶりに見させてもらった! よく鍛えている!」

 そのグレンの言葉に兵士たちの顔が満足げなものに変わっていく。

「この国を守る力を! この国の民を護る力を! そして、どんな戦いでも生き残る力を身に付けてくれ!」

『おおっ!!』

「皆の健闘に期待する! 励め!!」

『うぉおおおおおおっ!!』

 兵たちのどよめきを浴びながら、腕を突き上げるグレン。それに応えて兵たちもそれぞれの武器を空に向かって、突き出している。グレンが取った僅かな行動で、兵の士気は最高潮にあがっている。
 それを見ながらカールが口を開いた。

「ハインツ」

「……はい」

「お前はあの背中を追い越そうとした。今もそれを目指すのか?」

「それは……」

 ハインツは以前ランガー将軍に言われた言葉を思い出した。現れるだけで戦場の雰囲気を変えたグレンを見てランガー将軍は「あれが将だ。シュナイダー将軍はあれを目指さなければならない」とハインツに言った。
 ハインツなりに意識していたつもりだった。だが、追っていたグレンは、わずかな間にさらに先を行き、王にまでなっていた。

「俺はあの背中を追う。今日、改めてそう決心した」

「簡単ではないぞ。付いて行くだけでも、これまでのような気持ちでは出来ん」

 ずっと黙っていたホルスト・ハスラーが、カールの言葉を受けて声を発してきた。

「では諦めるのか?」

「まさか。付いて行くさ。どんなに引き離されても諦めずに」

「そうだな」

 ポールやセインたちと同じ思いを、カールとホルストもまた胸に抱いていた。

「私は、どうするべきなのでしょう?」

 カールとホルストはグレンの背中を追うと言う。追いつき追い越そうという意味ではない。グレンに従うことを望んでいるのだ。
 彼ら二人にそう思わせる力が自分にないことはハインツも良く分かっている。自分はグレンのようにはなれないと、今のハインツは思っている。

「ハインツ。それはお前自身が決めることだ。ただ一つだけ助言をしよう」

「はい」

 カールに助言をすると言われて、少しハインツは身構えている。

「お前はヴィクトリア様に忠誠を向けていたと自分では思っていたかもしれん」

「思っていたとは?」

「あれは忠誠ではない。いつか妻になるであろう女性への思いやりだ。きつい言葉で言えば下心だな」

「そんなことは……」

 イェーガーの言葉を否定するハインツだが。

「反乱を起こした時の本心を考えれば否定は出来んはずだ」

「……はい」

 反乱の動機を、それも本心はどうだったのかと問われれば、認めるしかない。冷静に考えられるようになった今は、自分の愚かさをハインツは受け入れている。

「忠誠を捧げられるかどうか。そう思って陛下を見ていろ。それが答えになる」

「陛下に私の忠誠を」

「そうではない。俺は陛下に忠誠を捧げる、それに相応しい御方だと思っているからだ。だが、誰に忠誠を捧げるかはそれぞれが決めることだ。ハインツの忠誠は陛下に向くかもしれん。もしかしたら、ヴィクトリア様に本当の忠誠が向くかもしれん。別人かもしれん。それを探してみろと言っている」

「それが答えになるのですか?」

「この人の為に何かをしたい。そう思える方に出会えれば、何をするべきか自然と見えてくる。俺はそう思う」

「今日のカールは能弁だ」

 ハインツに向かって熱心に語るカールをホルストが揶揄ってくる。

「茶化すな。お前が無口過ぎるのだ。だが……まあ、そうだな。陛下を見て、心を震わすのは反乱の時以来だ。どうしても気持ちが浮き立つ」

「そうだな」

 満足げな顔でグレンの背中を見詰めるカールとホルストの二人。ハインツにとっては、その二人の姿を見ているだけで心が震えるようだった。

 

◆◆◆

 軍の調練や国都の状況の確認。そこら中を視察に回って、グレンの一日は終わった。
夜も更けた寝室のベッドの上。今晩もグレンは頑張っていた。

「……もう……ねえ……グレン」

「ん?」

 ソフィアに名を呼ばれて、グレンは顔をあげた。

「少し話をしようよ。昨日は久しぶりに会ったのに、疲れて寝ちゃうから話し出来なかったのよ」

「寝たのはソフィアが先だろ?」

「だって……」

 疲れるようなことを散々グレンがしたからだ。それで今日も元気なグレンがソフィアには信じられない。こんなことは初めてではないが。

「じゃあ、今日のところはあと一回で終わり」

「……回数こなしたって、子供出来ないから」

「……分かった?」

「当たり前でしょう? さては気を使っているでしょ?」

「それは……子供がいるほうがソフィアは安心かなと」

 ヴィクトリアを側妃にしたこと、そのヴィクトリアとの間に子供がいることに対して、グレンなりにソフィアに気を使っていた。

「そういうのは不要よ。それは少し不安になったけど」

「ほら」

「不安になったのは、私が正妃で良いのかってこと。私は何番目でもかまわない。最初から一番だったわけじゃないもの」

「……じゃあ、正妃でも良いのでは?」

「王族であるヴィクトリア様が側妃って。ちょっと違うのかなって」

 これを言うソフィアは元皇族。だが、そういう意識がソフィアにはない。

「別に良いだろ?」

「今は気にしていない。心配なのは王妃としての振る舞いだから。この国だと公式の場なんてなさそうだからね」

「あっ、それか。でも、それは俺も同じ。国王としての振る舞いなんて知らない」

「だから良いの」

「そう……でも子供は欲しいとは思わないのか?」

 グレンは、子供好きとはとても思えないヴィクトリアが自分の子供を可愛がっている姿を見て、女性には子供が必要なのだと受け取っていた。

「それは思うわよ。でもまだ早いと思っているのよ」

「早くはないだろ?」

「子供が出来れば、その子は王子か王女でしょ? 世話をする人も必要になる。身を守る人もね。今のこの国にそんな余裕ある? 人手の問題だけじゃなくて、外からの危険を防ぐ余裕よ」

「ああ、それは言えているな。子供が大切と思えば、それは弱点にもなるからな。俺はどうでも良いと思っていても、周りはそれを許さないだろうし」

「……どうでも良いって」

 グレンが時折見せる非情さ。それは子供に対してもそうなのだとソフィアは知った。グレンの歪んだ家族観を久しぶりに見せられたようにソフィアは感じた。

「例えばだ。でも、もう出来るかも?」

「多分平気」

「どうして分かる?」

「子作りの参考にってヴィクトリア様に教わったのよ。女性には子供が出来にくい日と出来やすい日があるらしいわね。今日の私は出来にくい日」

「……男として育てられたのに、よく知っているな」

「調べたらしいわよ。ゼクソン王国に伝わる奥の流儀とかいう書物を読んだって手紙には書いてあったわね」

「……違うところに労力使えよな」

 国王としてヴィクトリアには至らない点が多々あったとグレンは思っている。学ぶことは他に沢山あったはずだと。

「それだけグレンの子供が欲しかったってことでしょ」

「それに見事に当たったわけか」

 そして、それがきっかけでグレンはゼクソン国王代行になった。それを考えると何とも言えない気持ちにグレンはなってしまう。さすがに子供のことは母親の策のはずがない。それは分かっていても後ろめたさを覚えてしまうのだ。

「ヴィクトリア様ってどういう人?」

「…………」

 不意に発せられた問いに、グレンは眉をひそめて沈黙で返す。

「ヤキモチじゃないから」

「じゃあ何?」

「頻繁に手紙を送ってくるの。日常の出来事とか書いてね。すごく気を使ってくれているなっていうのが分かる。優しい人柄なんだろうなって」

「……ちょっと違うような」

 グレンの考えるヴィクトリアには優しい人柄というイメージはない。

「えっ?」

「男として育てられたから女らしさは感じないな。口調は男そのもの。自分のことを俺って言うし」

「はい?」

 ソフィアのイメージのヴィクトリアと、グレンの話すヴィクトリアは全くの別人だった。それはそうだろう。男口調の王女など、頭に思い浮かぶはずがない。

「すぐに怒る。段階があって、まずは眉が眉間による。そこから更に怒るとこめかみに青筋が浮く。それを超えると怒鳴り出す。あんなに感情を表に出して、よく国王なんてやっていられたなと思うくらいだ」

「印象が……」

「手紙は多分あれだ。ゼクソン王国の王族という拘りが凄くあったから、国王という荷を降ろしたら、今度は側妃とはこうあるべきって拘りに縛られているのだと思う」

 グレンの想像通りだ。ヴィクトリアは側妃としての自分を、ある意味で演じている。本人には演じている意識はないので、それが自然ではあるのだが。

「……よく男女の関係になったわね? グレンが嫌う典型的な相手みたい」

「拘りは言い方を変えれば、それだけ物事に真摯に取り組むってこと。怒り易いのは、それだけ感情表現が素直だってこと。受け入れられたのは、そういうところかな?」

 あえて理由をあげればだ。あの日、あの時、あの場所でなければ、今の様になっていないのではという思いもグレンにはある。

「美人なの?」

「……まあ」

「あっ、凄い美人なのね」

 グレンの反応は自分に気を使ってのことだとソフィアにはすぐ分かる。

「あのさ。ソフィアと側妃の話っておかしくないか?」

「そうだけど。ヤキモチを焼けないくらいに気を使ってくれるから気になって」

「落ち着いたら会ってみれば良い」

「それって公式のご対面ってことにならない?」

「そうなるか……でもリアも女性としての所作は怪しいからな。気にしなくても良いかも」

「へえ、リアって呼ぶのね」

「…………」

「だから、ヤキモチじゃないって」

「本当か?」

 ヴィクトリアのことにグレンはかなり敏感になっている。男女の感情ということではなく、いきなり出来た家族に対して、未だに気持ちを制御出来ていないのだ。

「本当」

「リアと呼ぶのは子供と名が似ているから。ヴィクトリアがリア。子供はヴィクトルでヴィー」

「……安直」

「それリアにも言われた」

「子供ってどうだった?」

「……生まれたことも知らなかったからな。はい、貴方の子供って見せられても自分の子供だって実感は湧かなかった」

 そしてそれは今も変わらない。これが普通なのか、自分は異常なのかもグレンには分からない。ソフィアとの間の子供であればもしかしたら違うのかも。こんな思いを胸に秘めていたりもする。

「でも可愛いでしょ?」

「赤ちゃんは誰もが可愛いから。何度か接しているうちに少しは実感湧くのかな?」

「……多分ね」

 こんな反応を見せられては、ソフィアが子供を生むことに不安を覚えているなんてこともグレンは分からない。

「まあ、今はただ可愛がっているだけだからな。鍛えるのは五年後くらいか」

「……それって自分がされたことをするの?」

「それしか子供の育て方知らない」

「だって、君の……同情するな」

 グレンの両親の育て方が正しいとはソフィアにはとても思えない。その理由は言葉には出来なかった。

「……気を使っているだろ?」

 だがグレンにはお見通しだ。

「何が?」

「今、母親の話題を避けようとした」

「ばれたか。少しは気持ちの整理が付いた?」

「まだ。実際のところが分からないから保留中。ただ聞いた話が真実で、俺の母が世界を混乱させているなら、それはやっぱり俺が何とかするべきだって気持ちには少しなれた」

「じゃあ、平気ね」

「平気なのか?」

「母親に勝つ気になったのでしょ?」

「そうなるか」

 逃げないで立ち向かう気持ちを持てた。それでもう大丈夫だとソフィアは思っている。やると決めた後のグレンに迷いはない。それをソフィアは知っている。

「だから平気。目的がはっきりすれば、君はもう大丈夫だからね」

「……なるほど。慰め方もそれぞれだな」

「それはヴィクトリア様のことかな?」

「あっ……」

 自分の失言に気付いてグレンは動揺している。

「だから気にするなっていうのに……何て言われたの?」

「自分で自分が許せないなら俺が許してやる」

「それ恰好良くない?」

「やっぱり? それでちょっと……」

「惚れたと」

「続ける必要ないだろ?」

「良いことだ。形だけの側妃よりは好きな相手である方が私は嬉しい」

「……そうなのか?」

「そうなの」

「やっぱりソフィアだな」

 これを言うグレンは感心した様子を見せている。

「何が、やっぱりなの?」

「器が大きい」

「それ嬉しくないから」

「……甘えられる?」

「それなら許す」

「じゃあ、もう一つも許してくれ」

「……じゃあ、一回だけだよ?」

「ああ」

 そして今晩もまだまだ頑張るグレンだった。