ソルがエアリエルの部屋の前に辿り着いた時は、事態は少し落ち着いていた。そうは言っても、ただ刃物がしまわれているというだけで、扉の前に陣取る近衛侍女と、王国の近衛騎士たちの間には、睨み合いが続いている。
それを、騒動を引き起こした張本人であるアーノルド王太子が、何とか治めようとしているのだから、困ったものだ。
「誤解しないで欲しい。俺は別に変なことを考えている訳ではない。ただ、あまりにエアリエルの部屋の前が、物々しい様子なので、何事があるのか気になっただけだ」
「白々しい。物々しいって言うけど、近衛が主人の護衛を行うのは当然じゃない」
王太子に向かって、こんな口を効いているのは、ヴィーナスだ。この態度が、近衛騎士たちを怒らせているのだが、ヴィーナスは、そんな事にはお構い無しだ。
「それはそうだが……」
近衛侍女なんてものは、ヴィーナスたちが勝手に名乗っているものだ。アーノルド王太子にはピンと来ない。
「とにかく、他人の奥さんの寝室に近づこうなんて、不埒者は、それが誰であろうと許すわけにはいないの」
自国の王太子に向かっての言葉でなければ、言っている事は正しい。王太子相手でも内容は正しくはあるのだ。ただ言い方が無礼なだけで。
「……エアリエルの様子は?」
「それを貴方に教える義務はない」
きっぱりとアーノルド王太子の問いへの答えを拒否するヴィーナス。これが又、近衛騎士たちを苛立たせる事になる。
「言葉を改めろ! この場で切り捨てにされたいのか!?」
近衛騎士の一人が怒りを堪えきれずに、怒鳴りつけてきた。
「やれるもんならやってみなさいよ! 何が近衛騎士よ!? 魔物からは逃げるくせに、弱い者には強いのね!?」
売り言葉に買い言葉とばかりに、ヴィーナスも文句を言い返す。
「何だと!? いつ俺が魔物から逃げた!?」
「じゃあ、いつ戦ったのよ!? 誰一人として私たちを助けに来なかったじゃない!」
「それは……」
近衛騎士たちを責めるのは筋違いだ。彼らは別の戦場に居たのだし、間に合わないと思っていても、バンドゥに向かう事を諦めなかった者達だ。
だが、他に文句を言う者が居ないのだ。余所者は彼らしかいないのだから。
「ヴィーナス殿。それは言い掛かりというものです」
「……ソルさん」
ソルの顔を見て、ヴィーナスも少し落ち着きを取り戻した。
「この人たちは、別の場所で戦っていて、それでも真っ先に駆けつけてきた人たちです。それは認めないと」
「分かってる」
「王太子殿下。彼女の無礼をお許し下さい」
こう言ってソルはアーノルド王太子に向かって、頭を下げた。
「俺は気にしていない。それよりも、エアリエルは本当に大丈夫なのか? どうして、ここまで厳重な警戒をしているのだ?」
「お体は無事と申し上げました。お心の方が深く傷ついておりますので、安静にしていただいております」
「少しだけ顔を見ることは出来ないか? 扉から覗くだけでも良い」
ソルの言葉を聞いても、アーノルド王太子は納得出来ないでいる。ソルやヴィーナスの態度があまりに頑な過ぎるのだ。
「……女性の寝室ですが?」
「じゃあ、私をエアリエルちゃんに会わせて」
「えっ?」
突然、割り込んできた女性の声は、シャルロットのものだ。シャルロットの存在を忘れていたソルの失敗だ。
「同じ女性である私なら平気よね?」
「しかし……エアリエル様には安静が必要で……」
「少しの時間で良いの。ほんの少しでも彼女の力になりたいの。私がリオンくんの為に出来るのは、もうこれしかないから……」
エアリエルほどではないかもしれないが、心が傷ついているのはシャルロットも同じだ。これまでじっと黙って耐えていたシャルロットだったが、言葉を発した事で、感情が抑えきれなくなったのか、両眼からは大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちている。
こんな状態のシャルロットを拒む事は、ソルには出来ない。
「……では、少しだけ」
「ソルさん!?」
「大丈夫です。シャルロット殿は、リオン様を裏切るような真似はなさいません」
「……そこまで言うなら。じゃあ、こっちよ」
完全に納得した訳ではないが、ソルが大丈夫という相手を、ヴィーナスが拒否する訳にもいかない。シャルロットに声を掛けると、エアリエルの部屋に向かって先を進んだ。
ヴィーナスに促されたシャルロットがその後に続く。そして、その後に続こうとしたアーノルド王太子は。
「面会はシャルロット殿だけで。女性であるから特別に認めたのですから」
当然、ソルに止められた。
「……分かっている」
◆◆◆
シャルロットがエアリエルと面会している間、話し合いを再開する事になった。会議の為の部屋に戻って、今度はバンドゥの被害状況について話し合う。
復興に向けての動きは、バンドゥ領民によって始められている。具体的な方策を考える文官も居る。王国からの支援は必要ない。これがソルの結論だった。
だが、そういう訳にはいかないのが、政治というものだ。
「王都からの支援を受ける必要がある」
ソルの話を聞き終えた近衛騎士団長の第一声がこれだった。
「必要ないと自分は申し上げましたが?」
「必要があるのは、王国の方なのだ。魔神との戦いをバンドゥだけに任せた上に、復興の支援もしないでは、国民が納得しない」
まして、その戦いで英雄リオン・フレイを失っている。この事実だけで、国民の批判の声が、どこまで膨れ上がるのか、恐怖を感じる程だ。
「……そして又、バンドゥは中央役人の搾取の場になるわけですか」
人気取りという目的もあれば、復興支援という名目で、莫大な金が動く事になる。しかも必要ない金まで動くとなれば、中央の役人にとって、実に美味しい仕事だろう。
「そんな事は絶対にさせん」
「させるさせないの問題では無いのです。中央の役人がバンドゥを食い物にしていたのは、はるか昔の話ではないのです」
「それは……」
バンドゥの民の、中央役人、王国への不信は未だに消えていない。それどころか、今回の一件で益々、強まっている。中央から役人が送られてきたというだけで、反発が起こるのは間違いない。
「王都からの支援は必要ありません」
「しかしな……」
ソルが何を言っても、それに何の権限もない。新たにバンドゥ領主となる者が最後は決める事になるのだ。では、その新バンドゥ領主が誰になるのか。この件について、近衛騎士団長は、かなり懸念している。
「……俺がバンドゥの領主になる」
「何と?」
アーノルド王太子のまさかの立候補に、近衛騎士団長だけでなく、この場に居る全員が驚いている。
「これが一番の方法だと思う」
「しかし、陛下が何と言うか」
近衛騎士団長もアーノルド王太子がバンドゥ領主になるのは賛成なのだ。だが、これを国王が認めるかとなると、かなり微妙な所だ。
「王太子殿下は何故、バンドゥ領主を望まれるのですか?」
ソルは納得していない。アーノルド王太子の真意を疑っている。
「そうでもしないと、バンドゥ領主の座をめぐって争いが起きる事になる。領主の座を望む者はバンドゥを良くしようなんて考えている訳ではない。東方一の歓楽街と呼ばれるカマークの富を求めての事だ」
「……中央役人だけでなく、貴族まで」
「カマークの価値を多くの者が知ってしまったからな。国境の街というのは、軍事面での負担さえ何とかすれば、やはり価値があるのだ」
中央から派遣された役人たちが、真面目に仕事をしていれば、やはり、バンドゥは豊かな土地になれたはずなのだ。それを私腹を肥やすことだけを考えるから、本来持つ価値を活かせなかっただけだ。
「……領主になった場合、エアリエル様をどうなさるおつもりですか?」
アーノルド王太子の話はよく分かるが、ソルの大事はあくまでもエアリエルだ。
「それは……彼女の望むようにと思っている」
「そうですか……」
微妙な空気が部屋の中を流れる。周囲の者も、アーノルド王太子の考えが気になっているのだ。
リオンはもういない。だからといって、エアリエルを自分の側に置くような真似をすれば、すでに地に落ちているアーノルド王太子の評判は、遂に地に埋まる事になってしまう。
それは近衛として見過ごす訳にはいかない。
「……あの、殿下」
ランバートが意を決して口を開いた、その瞬間、部屋の扉が大きな音をたてて開いた。
何事かと全員が視線を向けてみれば、そこには、ランバートなどより遥かに決意を漲らせたシャルロットが立っていた。
「アーノルド様! お願いがございます!」
叫ぶような声で、こう告げると、シャルロットは真っ直ぐにアーノルド王太子の所にやってきた。
「……願いとは何だろう?」
アーノルド王太子は完全にシャルロットの雰囲気に圧倒されている。
「私と結婚してください!」
「……今、何と?」
「私をアーノルド様の妻にしてください!」
「はあっ!?」
シャルロットのお願いには、周囲の者もビックリだ。女性の方から、それも王太子に結婚を申し込むなど、前代未聞の出来事だ。
「私には彼女を守る方法がこれしか思い付きません! お願いです! 私に力を下さい!」
「……どういう事だ?」
彼女が誰を指しているかなど聞くまでもない。シャルロットはエアリエルを守る為に、アーノルド王太子の妻の座を求めている。そこまでしなければ、守れない事情がアーノルド王太子には見当もつかない。
「エアリエルちゃんの――」
「シャルロット殿!」「待たんか!」
シャルロットの言葉を遮ろうと、ソルと近衛騎士団長が同時に声をあげた。
「これから聞く話を黙っている自信のない者は、今すぐ外に出ろ」
先に口を開いたのは近衛騎士団長だ。厳しい視線で近衛騎士たちを見渡している。やや怯えた様子を見せる者も中には居るが、出ていこうという者は誰も居ない。
「……万一話が漏れた場合、きっちりとケジメを取らせてもらう。私自らの手によってな」
更に念押しをする近衛騎士団長。情報を漏らせば殺す、という完全な脅しだが、やはり出て行く者はいなかった。
「近衛騎士団長である私が責任を持って秘密を守る。いや、この場合は騎士としての方が良いかな?」
王国の人間としてではなく、一人の騎士として。この場合は、確かにこれが正しい。
「……分かりました」
ソルは近衛騎士団長を信じる事にした。万一の時は、自分の命を捨てて守り抜くという覚悟を、再確認した上で。
「それでエアリエルに何が?」
ソルの了承の言葉を聞いて、早速、アーノルド王太子が問いかけてきた。
「エアリエル様のお腹には子供がいます」
「何だって……」
うめき声が部屋に流れる。誰もがソルの言葉の意味を分かっているのだ。現国王の初孫が、英雄として国民に絶大な人気を誇った第二王子の子が、エアリエルのお腹の中に居る。これは重大な政治問題だ。
「エアリエル様も、生まれてくるお子様も、政治に巻き込みたくありません」
「気持ちは分かるが、それは無理だ」
王国が放っておいても、他の者たちが放っておくはずがない。女児であればまだ良い。もし男子であった場合、野心を持つ者にとっては、何としても手に入れたい道具だ。自分の言いなりになる王位継承権者など、滅多に居る者ではないのだから。
「ですから秘密を守る必要があるのです」
「それは確かにそうだが……シャルロット、さっきの話は? どうして俺の妻になる事が、エアリエルを守る事になる?」
アーノルド王太子が問いをシャルロットに向けた。リオンの子供と、自分との結婚がどう結びつくのか不思議なのだ。
「あっ、それは……私は秘密というより、エアリエルちゃんを守るにはどうすれば良いかと考えて」
「……それで?」
「今は全然分からないけど、いずれお腹が大きくなれば誰だって分かる。生まれた後だって、彼女が子供を連れていれば、誰の子かなんてすぐにバレるわ」
「確かに」
「ずっと外に出ないで隠れているなんて生活は、エアリエルちゃんにも子供にもさせたくないわ。それじゃあ、望まれないで生まれてきたみたい」
「……そうだな」
リオンがそうだった。望まれて生まれたはずが、オッドアイであるという事で望まれない子供となり、捨てられた。親子二代で、そんな境遇に遭わせる訳にはいかない。
「しかし、王太子殿下との結婚でどのように守れるのかな?」
近衛騎士団長も、シャルロットの考えている事は分かっていない。
「……奥であれば、誰にも知られないで産めると思って」
「確かにそうだな。奥向きの事が外に漏れることなど、まずない」
王妃や側室が住む城の奥。王太子妃の部屋もその奥の中に用意される。奥に出入り出来る者は極々限られた者だけ。働く者たちも、自由に外に出る事が出来ない閉鎖的な空間だ。
王族にとってのプライベート空間なので、情報の流出を防ぐために、徹底的な措置が施されている。確かに、秘密を隠す場所としては最適だ。
「しかし、生まれた後はどうするのだろう? 奥で子供を育てていれば、それは王族だと宣言しているようなものだ」
「でも、リオンくんの子供だと分からなければ変な揉め事にはなりませんよね?」
「何?」
「……私の子として育てようかと」
「な、何だと?」
あまりに突飛過ぎる考え。頭がおかしくなったのかと言われてもおかしくない考えだ。シャルロットが自分の事として育てるという事は、結婚相手であるアーノルド王太子の子として育てると言う事だ。男子であれば、王位継承権第二位であり、アーノルド王太子が王位を継いだ後は、王太子だ。
「あくまでも子供が大きくなるまでの話です。自分で自分を守れるようになったら、城を出て自由にすれば良いと思っています」
「しかし、王位継承権は」
「妻といっても側室です。王位継承権は正妃となる方との間に出来た子供だけに与えれば良いのです」
「つまり望んでいるのは肩書だけか?」
「はい」
側室の肩書で奥に住まい、リオンの子には王太子の子という肩書を与えて、変な政争に巻き込まれないようにする。色々と問題はあるが、発想としては悪くはない。少なくともバンドゥに置いておくよりもマシだ。
「……なぜ、そこまで? それでは誰も幸せにならない」
夫婦関係、親子関係、全てが偽装だ。とくにシャルロットは、アーノルド王太子への想いが本当にないのだとしたら、女性としての人生の大事な時期を他人の為に捨てることになる。
「子供が幸せになります。絶対に幸せにします」
「……そうか」
シャルロットの決意の台詞を聞いて、近衛騎士団長も問いを続けられなくなる。
シャルロットには一つ話していない事がある。自分の子供として育てるのは、一時的な事ではなく、一生なのだ。子供が無事生まれれば、リオンの後を追って、エアリエルは死ぬつもりだ。そのエアリエルの代わりに、子供を育てようとしている。
もちろん、そうならないようにエアリエルに生きる気力を取り戻してもらう努力をするつもりだ。だが、それでも駄目だった場合は、自分が面倒を見るしか無い。
侯家の令嬢という肩書以外には何もないシャルロットは、何とか力を手に入れなければならない。実家を離れても、エアリエルと子供を守れる力を。
結婚という手段は、結局はアーノルド王太子の力を借りるようなものだが、それでも実家に頼るよりはマシだ。リオンの子供を政争に利用しようとする筆頭の一つが、実家のファティラース侯家である事は間違いないのだから。
何故、ここまで。近衛騎士団長の問いが、今もシャルロットの頭に響いている。
リオンの事を愛しているから。それでここまでの決意が生まれるのか、自分でも不思議に思う。エアリエルが可哀そうだから。この気持ちもある。だが同情で自分の人生を捧げる気になるのだろうか。では罪滅ぼしか。そうなのかもしれないが、絶対にそうだとは言い切れない。
シャルロットには自分を動かすものが何なのか分からない。
運命。この言葉が一番しっくりくるような気がする。運命など理由でも何でもない。理由が見つからないから、運命で片付けようとしているだけだ。
それでもシャルロットは運命に乗る決意をした。そうしろと心の奥底から訴える何かを信じる事にしたのだ。