魔人との決戦に向けた準備は着々と進められている。やるべき事がはっきりとしたのだ。こうなれば、グランフラム王国の文武官には、それを着実に進める力はある。
ただ、この事と、決戦までにはまだ時間が掛かるという状況が、別の問題を人々の意識に上らせる事になった。リオンの問題だ。
魔人の事が最優先と、国王は先延ばしにしていて、人々もそれを当然と受け入れていたのだが、これが通用しなくなった。様々な場面で話題に上がることになったのだ。
それも、徐々に内容は怪しげな方向に向かっている。
「フレイ子爵に関して、一つ進言がございます」
定例会合の場で、宰相が話を切り出してきた。さすがに宰相には真実を知らせないわけにはいかない。宰相の進言はリオンが何者であるか知った上での内容に違いない。
「……何だ?」
いよいよ宰相まで、リオンの件を議題にのせてきたと知った国王はうんざり顔だ。
「新たな伴侶を用意するべきかと思います」
「はっ?」
宰相の口からこんな話が出てくるとは、国王は思っていなかった。
「相応しい者を何人か選んでおります。最終的に陛下に選んで頂ければと思い、資料を用意しました」
実際に宰相はリオンの花嫁候補の資料を用意していたようで、紙の束を国王に差し出した。
「ちょっと待て。フレイ子爵にはすでに妻がいる。それは宰相も知っているではないか」
「ですから、新たなと申しました」
「……どういう事だ?」
国王には宰相の意図が全く分からない。
「現在のフレイ子爵夫人は、元ウィンヒール侯家のご令嬢。これは問題です」
「……ウィンヒール公家との縁は切れている」
宰相の考えが、国王にも分かった。リオンが侯家と繋がっている事は望ましくないと言っているのだ。ウィンヒール侯爵のエアリエルに対する溺愛は、国王もよく知っている。宰相の懸念は全く筋違いとは言えない。
だが、国王はリオンとエアリエルの二人の仲も知っている。引き離す事は、更なる恨みを買うだけだ。
「いつまでも、罪人のままで宜しいのでしょうか? これも又、問題だと私は考えます」
「それは……」
宰相は難しいところを指摘してきた。エアリエルの罪は消してやりたい。だが、それを行えば王国の過ちを認める事にもなる。宰相の意見に国王は何も返答出来ない。
「ヴィンセント・ウッドヴィルとフレイ子爵夫人の両名の処罰は冤罪であったと、広く世間で信じられております。ここは敢えて過ちであったと認め、二人の名誉を回復する事が、王国の信頼回復に繋がると、私は考えます」
国民の間に広がる王家、そして侯家への不審は、ヴィンセントとエアリエルの二人の処罰がきっかけだ。その上で、リオンの活躍が人々の心を捕らえ、リオンの主であったヴィンセントと妻になったエアリエルの二人に対する評価は高まっていった。王家と、侯家の悪評はこれに反比例して、酷くなる一方。
この事態を何とかするには、悪評の根を取り除くのが一番。
宰相の説明は、国王の気持ちを揺らす事になる。
「しかしな……」
躊躇いを口にしながらも、国王の手は宰相が差し出してきた資料に伸びている。決断した訳ではないが、宰相がどういった女性を選んだのかを見る気にはなったのだ。
「……宰相、これは本気か?」
国王の手は最初の一枚を見た所で止まってしまっている。
「一番、問題のない女性を選びました」
「問題あり過ぎるだろう? マリア・セオドールは、ヴィンセントを殺した人間だ」
宰相の用意した資料の一番上はマリアだった。国王でなくても、宰相の正気を疑う所だ。
「彼女の実家には何の力もありません。これが一つ目の理由。フレイ子爵と彼女が婚姻などという事になれば、国民は和解の証と見て、噂は消えていくでしょう。これが二つ目」
「そして、婚姻の噂が人々に広まればリオンの評判は地に落ちる。これが、三つ目か?」
黙って話を聞いていたアーノルド王太子が、割り込んできた。さすがに黙っていられなくなったのだ。
「……王太子殿下の為です」
リオンがエアリエルを捨てて、マリアと結婚すれば、人々はそれを裏切りと受け取る。今の人気が高ければ高いほど、反発は強くなるだろう。そうなれば、アーノルド王太子の評判がこれ以上、落ちることはなくなる。これは、リオンが王族だと知れれば、尚更だ。王族の地位を優先したと看做されるだろう。
「俺の為になっても、我が国の為にならない」
「それは……」
宰相は、自分が王になるよりもリオンを王にした方が国の為になると、言っているのだと勘違いしている。宰相の反応を見て、アーノルド王太子は、すぐに誤解に気付いた。
「勘違いするな。俺は次期国王として、この国を今よりも発展させていこうと思っている」
「そうですか。では?」
「リオンを失うことは、我が国にとって損失だ」
「……失いますか?」
この辺が宰相は、思い違いをしている。自分が王族と知った事で、リオンの中に王家への思いが湧いただろうと、宰相は考えている。自分の両親が治める国なのだ。それは当然だろうと。
だが、リオンにはそもそも家族への愛情というものがない。愛された記憶がないのだ。リオンにとって、自分を愛してくれるのは、エアリエルだけ。エアリエルだけがこの世界でただ一人の家族だ。
「この話を知った途端に、どこかに消えるのではないかと思う。あとは行き先だが、それがメリカ王国でないという保証はない」
保証がないどころではない。リオンがグランフラム王国を出奔したと聞けば、メリカ王国のほうが放っておかないだろう。
「それでは……」
「失うだけであれば損失で済む。だが敵に回せば、それはもう災厄だ。リオンに対して、何もするなとは言わない。だが、強く刺激するような真似は控えるべきだと俺は思う」
「……不味いですね」
アーノルド王太子の話を聞いて、宰相の顔がしかめられた。
「まさか、もう動いたのか?」
「いえ、国としては何も。ただ、フレイ子爵に何らかの働きかけをしようと思っている者は、我らだけではありません」
評判の悪い王太子と、優秀で人気が高い次男。天秤にかけようとしている者は大勢居る。特にアーノルド王太子が次期国王になっては、陽の目を見る機会がない貴族たちは、一か八かの賭けにも出てもおかしくない。
リオンの素性が知れるという事は、こういう事なのだ。どれほど国王が否定しようと、継承争いは既に始まっていた。本人たちは全く望んでいないにもかかわらず。
「……人というのは欲深くて愚かなものだな」
呆れた様子でアーノルド王太子は呟いた。
「王太子殿下の立場でそのような事を考えてはなりません」
「しかし、実際にそうだ」
「実際にそうだとしても、人を蔑んでいて、どうしてその上に立てましょう? 人は愚かです。だからこそ、導く者が必要で、それが国王陛下という存在なのです」
「……そうだな。ありがとう。今の言葉は心に留めておく」
「はい」
アーノルド王太子の言葉を聞いた宰相は満足そうだ。少なくとも次期国王は臣下の言葉を受け入れ、それに礼を言える度量がある。市井の評判がどうであろうと、やはり、この王太子は優れた資質を持っていると思えたのだ。
「話を戻そう。誰がリオンに接触しているか分かっているのか?」
「把握し切れておりません。我が国の諜報部は未だ、本来の働きが出来る状態ではありませんので」
「そうか……」
諜報部が機能していない事で問題なのは、対外諜報だけではない。国内の諜報活動も影響を受けている。今はこちらの方が問題としては大きいくらいだ。
王国にとって、侯家に代表される大貴族は、臣下といっても信頼出来るものではない。謀反の恐れは、いつの時代にも存在し、実際に行動を起された事も過去に何度かある。その動向は常に注視していなければならない。
そして今は、そういった者たちの野心を大きく刺激する状況になっている。国民の間に王家の不評が広がっており、担ぐに相応しい旗頭も現れた。
宰相が、リオンとエアリエルを離縁させたいと思うのも、無理もない状況なのだ。
「この件については、バンドゥに人を送り込んでおります。少しは情報が得られるでしょう」
会議の場が暗い雰囲気になる中、近衛騎士団長が口を開いてきた。
「それは近衛騎士団からという事ですか?」
近衛騎士団は諜報とは無縁の組織だ。宰相が疑問に思うのも当然だが。
「そうだ。ソル・アリステスを行かせた」
「それは……」
ソルの事は宰相も知っている。リオンに去られて、酷く落ち込んでいるという話も。
「置いてきぼりにされたくらいで、諦める阿呆がいるか、というのだ。他人に言われなくても、自ら追いかけるくらいでないと、フレイ子爵には付いていけん」
「何だか、色恋沙汰のような」
「似たようなものですな。リオン・フレイとはそういう面倒くさい人物なのだ」
「なるほど」
「政治向きの話に口を出すのは、あれだが、王太子殿下の申される通り、フレイ子爵の事は焦って動かないほうが良いと思いますな」
「それは分かりますが、他の者共の動きが」
「フレイ子爵は他人に乗せられて動くような人物ではありません。まあ、乗せようとした貴族どもが逆に乗せられる可能性は否定出来ませんが、まあ、それも平気ですな」
「……根拠をお聞かせ願えますか?」
「バンドゥの者どもに伝えた『為すべきことを為せ』は、我らにも向けられた事ではないかと思っております。今は魔人の脅威を取り除くことが最優先。それに何か事を起こすつもりなら、バンドゥの者たちも連れて帰るでしょう」
「敢えて人質としてですか」
これは誤解だ。リオンにはカシスたちを自分の復讐に巻き込むつもりなど初めからなかった。カシスたちが、自分たちの力で、バンドゥの地位を高めようとしているのであれば、それを大事にするべきだと考えているに過ぎない。ただ、今の時点でリオンに何もする気がないのは事実だ。元から、ゲームストーリーが終わるのをリオンは待っていた。その上、今回の事があって、リオンは、ゆっくりと先の事を考える時間を必要としていた。
「何だか、あれだな」
不満そうな声音で、国王が話に入ってくる。
「どうかしましたか?」
「近衛騎士団長は、俺よりもリオンの事を分かっている感じだな」
「……今、それを言いますか?」
リオンの事で、色々と悩んでいる時に、父親としての心情を口にする国王に宰相もさすがに呆れた様子を見せる。
「過ごしてきた時間が違いますからな」
「そんなに変わらないだろう?」
「バンドゥから王都まで一月くらいは一緒におりました。あれは気難しいくせに、おしゃべりも好きで。おかげで色々と分かりました」
「それがあったか」
「こんな事を話すと、また宰相が心配してしまうかもしれませんが、人を惹きつけるのも分かります。フレイ子爵は、その時々で別人のような表情を見せるのです。冷めているようで熱く、冷たいようで優しい。無愛想なようで人懐っこくもある。瞳の色の違いは、その二面性を表しているかもしれませんな」
「……そうか」
その瞳の色の違いが、今の事態を引き起こしている。リオンがオッドアイでなければ捨てられる事はなく、第二王子として育てられていたはずだ。だが、その場合、フレイ王子は、今のリオンとは別人であっただろう。
リオンは、貧民街で育ったフレイと異世界で育った亮の二人があって、初めてリオンなのだ。王子として育てられたフレイに同じ能力を持てたとは思えない。
それを知らないこの場の者たちは、リオンがオッドアイであった事を、ただただ悔やんでいる。
◆◆◆
リオンの素性が明らかになって、誰よりもショックを受けているのは、言うまでもない、マリアたち三人だ。
特にランスロットの動揺は激しい。ランスロットには、他の二人とは違って、致命的な失敗がある。リオンの暗殺を試みたことだ。エルウィンも試みてはいるのだが、幸いというのか、リオンの追跡に失敗し、襲撃まで至っていない。だがランスロットは違う。結局、誰一人戻る者がいなかった為に、真相は不明だが、まず間違いなくリオンに返り討ちにあったのだと分かっている。リオンの戦いぶりを見れば、見習い程度の者たちが、束になっても勝てる相手でない事は明らかなのだ。
しかも、暗殺未遂はこれだけではない。リオンが魔人であるという話を何人かに吹き込んで、戦場でリオンを討たせる策に協力させようと動いている。これは、本当の魔人であるゴランにうまく利用された形なのだが、それはそれで魔人に手を貸したと見られかねない事態だ。
王族の暗殺未遂。これが国家反逆罪にも劣らない大罪である事はランスロットには分かっている。事が露見すれば、待っているのは公開処刑だ。
そして、この事態を回避する方法がランスロットには見つからない。アーノルド王太子は頼るどころか、一言でも漏らせる相手ではない。では実家はとなると、これも頼れる相手ではない。
王妃はアクスミア侯家の出身。つまり、リオンもアクスミア侯家に繋がる者なのだ。国民の間で絶大な人気を誇るリオンを何とか自家に取り込めないか、アクスミア侯爵が懸命にその為の方策を考えさせている事をランスロットは知っている。ランスロットにも、リオンとの関係を深めろと命じてきているくらいだ。
これでリオンを殺そうとしたなどと知れれば、次期当主の座は間違いなく吹っ飛ぶだろう。それこそ、人知れず殺されてもおかしくない。侯家の当主ともなれば、家を守る為に、これくらいは平気で行う。
今のランスロットは為す術もなく、ただ事が露呈しない事を祈るのみ。それも当人であるリオン頼みという情けなさだ。父親が命じる通りに、関係を深められるのであれば、これほどありがたい事はないだろう。もちろん、そんな事になるはずがない。
そしてもう一人。エルウィンはというと、動揺したのはランスロットと同じだが、その後の気持ちはかなり異なる。実はエルウィンは、リオンと接した事がほとんどない。会話となると、挨拶を交わしたかどうかくらいだ。ヴィンセントとエアリエルの件においても、関わりはもっているが、公式には名前は出ていない。三人の中では一番恨まれているという自覚がないのだ。
更にエルウィンの場合は、ランスロットとは異なる事情がある。ウィンヒール侯家の跡継ぎはエルウィンしかいない事だ。この状況において、リオンが王族であった事は救いだった。リオンとエアリエルの間に子供が生まれても、その子は王族として育てられる。エルウィンの座を脅かす事にはならない。リオンが王族であった事で、逆にエルウィンは自分の地位が確たるものになって、喜んでいるくらいだ。
悩みがあるとすれば、アーノルド王太子とリオンが決定的に対立した時にどうするかくらいだ。リオン、そしてエアリエルには嫌われているのは間違いない。だが、ウィンヒール侯家とすれば、リオンに勝利してもらう事が自家の発展に繋がる。どちらを選択するか難しい。ランスロットが聞けば、怒り出すような贅沢な悩みだ。
ただ、今のところ、ウィンヒール侯爵は何の動きも見せない。エアリエルのウィンヒール侯家追放という処罰を、馬鹿正直に守るつもりのようだ。いい加減な性格に見えて、こういう事に異常に堅い所が、エルウィンのウィンヒール侯爵を常々不満に思っている点だ。
では、従属貴族の線からと考えたのだが、筆頭であるウスタイン子爵に相談しても、煮え切らない態度を見せるばかり。物事は何も進まなかった。
ウスタイン子爵が動くはずがない。リオンはエルウィンがウスタイン子爵の子である事を知っているのだ。王族であると分かった今でも、ウスタイン子爵はリオンを殺したいと思っているくらいだ。
エルウィンにはそんな事情は分からない。結局、エルウィンもリオンについて何も為すことなく、見ているしかなかった。
そして、最後のマリアは、今回の事態を多いに悔やんでいた。
リオンが実は第二王子であった。この事実を知った時、マリアの頭に浮かんだのは、やはりリオンは最高の隠しキャラであったのだという思いだった。
女性と見間違うばかりの美貌、戦力としても攻略キャラの中で断トツの力を持ち、その上、実は行方不明になっていた王子だった、なんて設定は、これ以上ない程の設定だ。
リオンを攻略出来ていれば、二人の力で魔人討伐を次々と成功させ、マリアも又、民衆に英雄と称えられる事になっていた。その実績と人気を買われて、アーノルド王太子の代わりに次期国王はリオンになっていたかもしれない。いや、きっとなっていた。そうなれば、マリアは望み通りに王妃になれたのだ。
もちろん、これはマリアの思い込みだが、全くあり得ない結末でもないところが隠しエンディングだとマリアに信じさせている。
だが、リオンの攻略に失敗し、優先させたはずのアーノルド王太子の攻略もまさかの失敗。ゲームは最高のハッピーエンドに向かっていない。
魔神が復活しなければ、ハッピーエンドなのだから、ゲームとしては成功なのだが、マリア自身がそれでは満足出来ない。最高の女である自分には最高の地位、つまり王妃の座を。マリアはこれを諦めてはいない。
だが、そこに至る方法が今は思いつかない。
リオンとの繋がりを取り戻そうと、シャルロットに頼んでみた。自分を虐めさせていた事実を知っていると匂わしながら。だが、はっきりと拒否された。アーノルド王太子に話すと脅しても、好きにすれば良いと、あっさりと返される。シャルロットはアーノルド王太子には、すでに事実を話している。例えそうでなくても、今のシャルロットが、どう思われるか気にする相手はリオンだ。事実が広まって周囲に蔑まれる事よりも、リオンに誠実である事をシャルロットは選ぶ。その覚悟がないと、リオンに本当の意味で許される事はないと、シャルロットは考えていた。
今のマリアには、リオンとの関係を修復、これはマリアの主観、する伝手がない。直接、コンタクトを取ろうにも、リオンは領地だ。魔人との決戦を控えて、マリアが王都を長く離れる事など出来ない。
魔人との決戦はもう間もなくなのだ。
最終決戦が近い、それはゲームの終わりが近いという事だ。だが、今のマリアは、ゲームのエンディングを、ただ成り行きに任せて迎えるしかなかった。