パルス王国とミネルバ王国との国境付近にある森林地帯。そこにある岩山に空いた小さな穴。人が二人で通れるかどうか程度の穴ではあるが、その穴の奥には驚くほど広い空間が広がっている。
先に進むにつれて幾つにも分岐する横穴。一度奥まで入ってしまうと二度と抜け出せなくなるのではないかと思うほどの複雑さを見せているが、その横穴をたいして迷う風もなく何人もが行き来している。ライアンの命を受けて集結した魔族たちだ。
始めはライアン直轄だった三百名程だけだったが、今は千に近い数が集まっている。だが、それでもライアンの渋い顔は変わらない。数もそうだが人材が足りないのだ。
「これではいつパルスと戦えることか」
「それを何とかするのが君の役割だよね?」
「お前が魔族討伐などするからだ。頭だった者のほとんどはお前に討たれていて、ここに来るのは一般兵程度の実力者のみ。頭がいない分、集まりは良いといえば良いが、一般兵だけでは戦争は出来ん」
魔族領侵攻の前に、勇者であったユートは名声を得ることと実力をつける二つの目的で、パルス王国内の魔族討伐を行った。それぞれの種族を率いていた長はその際にみんな討たれ、将として兵を率いる者がいないのだ。
「そう言われても、その頃の僕は勇者だからね。別にいいじゃないか。将の役目なら僕と君がいれば十分だよ」
「将だけではない。それ以外の役目を担う者もいない」
「それ以外……たとえば?」
「情報収集を統括する者。戦略、戦術を考える者。戦うに必要な資材の管理をする者だ」
その任は、情報収集についてはヴラドが、戦略、戦術についてはケイオスが、そして物資の管理は意外にもケルベスが担当していた。ケルベスは武一辺倒な振る舞いをしていたが、それは自身の好みの問題であり、才能は別のところにもあったのだ。
「……確かにいないね」
「情報については実働部隊として淫魔族の一部が協力しているからまだ良い。だが、それ以外はまったく目途が立たない」
「戦略なんているのかい?」
「ドワーフ族は俺が知る限り、子供や老人を除いても二万はいる」
「……それが全部兵ということかい?」
「武器を持てる者は全員が兵だと考えていい」
逆に言えば、兵士という役割を持つ者がいないのだ。アイオン共和国には領土欲などない。他国から見て、鉄鉱以外の資源は乏しいので、侵略しても得るものは少ない。長い時、戦争とは無縁であった国なのだ。
「二万か……でもパルスが攻めた時はもっと多かった」
パルス王国の魔族領侵攻軍は二万五千。アイオン共和国よりも数は多い。
「我等はその数の差を埋める為に策を用いた。それに守る立場と攻める立場では攻めるほうが兵数を多く必要とする。それなのに我等は、逆に少ない兵で攻めようとしているのだぞ?」
「それは困ったね……美理愛には何か案はないのかい? 奴隷に堕ちたといっても考える頭は残っているよね?」
優斗の美理愛に対する態度は日に日に冷たくなっている。
きっかけはヒューガと邂逅したあとのこと。戻りが遅かったことを尋ねてきた優斗に、二人はヒューガと会っていたことを隠す為に曖昧な答え方をした。それを優斗は、美理愛はライアンに抱かれていたのだと誤解したのだ。秘密を共有しているという気持ちの二人の態度が、優斗の誤解を生んだ原因でもある。
美理愛はもう自分の物ではない。それを実感した途端に優斗の彼女に対する気持ちが冷めた。
「私には戦争のことは分からないわ」
始めに優斗に奴隷呼ばわりされた時は、その場に泣き崩れたミリアであったが、それも何度か続けば動揺を表に出さない程度には慣れてくる。
「役に立たないな」
「この女を責める前に自分で考えたらどうだ」
「へえ、優しいね? それとも自分の物を傷つけられるのは許せない?」
「それはお前の気持ちだろ? まるでオモチャを取り上げられたガキだな」
「何だって?」
優斗の目が厳しくなる。人を侮辱するのは平気だが、自分が侮辱されるのは許せない。そんな風だからライアンにガキだと言われるのだが、今の彼はそれに気付けない。
「喧嘩しても何も解決しないわ。とにかく皆で考えないと」
「……それはそうだね? さすが美理愛だ。良いことを言うね」
優斗はとにかく感情の起伏が激しい。しかも、そのきっかけも曖昧なのだ。同じようなことを言っても、激しく怒る時もあれば機嫌が良くなる時もある。
これにも美理愛はずいぶんと慣れた。この場合は、気にしていても仕方がないと割り切ったという表現が正確だ。
「こちらの人数はまだ増えるのかしら?」
「増える可能性はあるが、それには時間がかかるな」
「それは何故でしょう?」
「お前らに攻められた中で生き延びた魔族は、各地にバラバラになって潜んでいる。それを探し出すには時間がかかるだろう」
「見つかれば参加してもらえますか?」
「参加しなければ個別に討たれるだけだ。実際、こうしている間にも傭兵に討たれている魔族はいるだろう。まるで魔獣の様にな」
一部を除いて、人族にとっては魔族も魔獣も大きな変わりはない。まとまって統率がとれていれば魔族。少数で固まっているだけであれば魔獣。その程度の認識だ。
以前から傭兵ギルドの討伐依頼の対象とされている魔族の数は少なくないのだ。
「……その人たちを救わなければいけないのですね?」
「救うなどと。死に場所を与えてやるだけだ。魔族に相応しい死に場所をな」
この場に集っても安住できるわけではない。戦争が待っているのだ。魔獣のように狩られるよりは戦場で死ぬ方がマシ。ライアンはそう思っている。
「……どれくらいの数になるのでしょう?」
「分からん。魔族の数など誰も把握していないからな。それが分かったとしても、どれだけが生き延びているか分からん」
「まったく想定できないのですか?」
「……三千。それが一つの目標だな」
「何故、その数なのですか?」
想定出来ないのに三千という具体的な数がライアンの口から出てきた。それを美理愛は不思議に思った。
「それだけの数がいなければどうにもならん」
「……どういう意味でしょうか?」
「少しドワーフ族の国であるアイオン共和国について説明しよう。アイオン共和国は険しい山に囲まれた中にある。その為、入り口は限られているのだ。入り口は三か所。この森林地帯から南に下った所にひとつ。都市国家連合に接している西側に一カ所、そしてその間だ。この三か所のうち、最低二か所は塞がなくてはならん」
「三か所全てではなくですか?」
「それをすればアイオン共和国内のドワーフ族全てが動けなくなる」
「わざと逃げ道を用意しておくのですね?」
「そうだ」
ライアンはたとえ戦いに破れてもドワーフ族の全てが大人しく従うなどとは思っていない。必ず最後まで抵抗を続ける者が出てくると考えていた。そういった者のほうが多いくらいだと。
そういった敵を制圧するのに、時間も人手もかけたくない。パルス王国との次の戦いを考えれば、アイオン共和国を取った後、速やかに守りを固めたかった。
アイオン共和国内に留めてずっと反抗されるくらいなら逃げて欲しい。それがライアンの考えだ。
「ねえ、それだとドワーフ族を配下に出来ないじゃないか?」
だが優斗はそんなことは全く考慮していない。ドワーフ族を下して配下の数を増やす。それだけの考えだ。
「全てを配下にすることなど不可能だ。目標は一万。それを押さえられる数が三千という数字だ。そして二か所を押さえるのに必要な数でもある」
「たった三千でと私は思うのですが?」
「アイオン王国に他国に攻められるという危機感はない。国境の砦にいる守備兵の数は少ないはずだ。奇襲であれば千もいれば十分だろう」
国境には当然、砦がある。山と山の間、谷間にある堅牢な砦ではあるが、守りは薄い。他国に迫られることなど考えていないからだ。
「二か所で二千。千、多いですね?」
「中央入り口の砦を落としたら、一気にアイオン共和国の王城を攻める。その数が千だ。これには二つの意味がある。ひとつはドワーフ族の主だった者の身柄を押さえること。もう一つは王城で東西を分断する為だ」
「人質ですね……?」
「そうでもしないと仲間にならん。ドワーフ族にパルスへの恨みはない」
「…………」
それを仲間というのだろうか。美理愛はそう思った。だがそれを口にする事はしない。仲間と呼ぶだけライアンはマシなのだ。優斗が必要としているのは仲間ではない。ただ自分に従順な者たちだ。
「なんだ。もう戦略は出来ているじゃないか。それで行こう」
「……戦略と呼ぶには荒すぎる」
「十分だよ。それでいつ三千は集まるんだい?」
「最短でも一年以上はかかるだろう」
今は多くの魔族が身を潜めて暮らしている。同種族相手であっても接触を断つくらいに。パルス王国の動きを見極め、警戒を緩めて、活動を活発化するまでにはそれくらいの時間がかかるとライアンは考えている。
「えっ? そんなに待つのかい?」
「そう思うならお前も手を動かせ」
「手を動かせって……何をすればいいのさ?」
「やる事は簡単だ。傭兵ギルドに行って討伐対象が魔族と思われる依頼を探す。見つけたらそこに行き、説得すれば良い」
魔族であるライアンとその配下では面倒な調査であるが、優斗であれば簡単に出来る。優斗の顔を知っている人がいなければという前提はつくが、パルス王国の王都にあるギルド本部以外であれば、そういった人がいる可能性は低い。
「あっ、なるほど。じゃあ、そうしようかな? ここでじっとしているのも退屈だ」
「……そうしろ」
「分かった。彼女たちも連れて行っていいかな?」
「一度に複数は無理だ。そうだな……誰か一人を常につけるようにしよう」
「OK。常に一人いてくれれば十分さ。同時に複数というのも試してみたいけどね。それはまたいつか。よし、話は終わりだね? 僕は部屋に戻って休むよ」
「……勝手にしろ」
ご機嫌な様子で部屋を出て行く優斗。その機嫌の良さは何から来るものか不安に思うライアンだが、それを確認するのも面倒だ。子供みたいにふてくされていられるよりは、ずっとマシだ。
「彼女たちというのは?」
優斗の姿が消えたところで美理愛が口を開いた。
「あれの相手をさせている淫魔だ」
「何人も相手をさせているのですか?」
「いや、今のところは一人だけだな」
「でも彼女たちって」
「淫魔は相手の望む姿に形を変える。相手をその気にさせる為に、もっとも魅力に感じる姿を見せるのだ」
優斗の前に現れる淫魔はその時々で姿が変わる。淫魔が意識して姿を変えているのではない。優斗が心の中で求める姿がその日その日で変わっているのだ。
それが意味するのは、優斗が望む形がひとつではないということ。自分への想いは完全に消え去っていることを美理愛は知った。
「……二人で大丈夫でしょうか?」
「心配いらないだろう。あれは強い」
「それはそうですが……」
「俺が言っているのは、お前が思っているよりも強いという意味だ」
「どういうことですか? 私は優斗とずっと一緒にいます。彼の強さは理解しているつもりです」
「たがが外れたのだな。人を殺すことに一切の躊躇いがなくなっている。パルスの軍を襲った時のあれは凄かったぞ? 俺には躊躇どころか喜んでいるように見えたな」
優斗には自分が強いという自覚がある。それが却って、彼の力を抑制していた。戦えば相手を殺すことになる。それを心の奥で恐れていたのだ。
だが、今の彼にはそんな気持ちなどない。実際に彼は喜んでいるのだ。人殺しそのものではなく、それによって自分が相手に恐れられることを。相手に侮られるよりは恐れられるほうが良い。優斗の歪んだプライドがそれを極端なものにしている。
「そうですか……」
「今のあれを殺そうと思えば軍隊の出番だ。最低でも大隊一つが必要になるかもな。さすがに傭兵でもランクAが何十人も束になってこられれば拙いだろうが、一つ所にそんなにいることはない。少々羽目を外しても問題ない」
「……実際に外すのではないですか?」
「かもしれんな」
「活動に影響が出ます」
「それほどでもない。少なくとも俺の目的は奴がいなくても問題ない」
ライアンの目的は自分が満足出来る戦いが出来ること。勝敗を考えなければ、優斗がいる必要はない。
「貴方はそうでしょうね?」
「あえて言えば、変な所に手出ししないでくれということだが……まあ、外で出会う事はないだろう」
「彼ですね?」
ライアンが心配しているのはヒューガと揉めること。美理愛にはすぐに分かった。
「ああ、そうだ」
「彼はそんなに強いのですか?」
「単純な力であればユートのほうが間違いなく強いだろうな。だがヒューガの怖さは力ではない」
「では何でしょう?」
「……場だな」
少し考えてライアンはこれを口にした。
「場……意味が分かりません」
「自分が有利な場、相手に不利な場を作り上げて、そこで勝負しようとする。勝負出来なければ、場そのものを壊す。分かり易く言えば勝てる場所、勝てる時にしか出てこないということだ」
「……分かったような気がします」
「ヒューガに勝とうと思ったら、その場から引き出すことだろうな。だが、その方法が難しい。ヒューガには既に大森林という自分に圧倒的に有利な場がある。そこから引き出す方法は、今は一つしか思いつかん。それもうまくいくかは微妙だな」
「あるのですか?」
「ああ。大森林のすぐ近くでお前を裸にひん剥いて、これでもかというくらいに辱める。出てくるまで続けるぞと言ってな。もしかしたら出てくるかもしれん」
「……また私をからかっているのですね?」
ライアンは、それこそ自分を辱めようとして、こんなことを言い出した。そう美理愛は受け取った。
「本気だぞ? ただ残念ながらお前がヒューガにとって、そこまでの存在になっているか自信がない。まあ、無理だろうな。せいぜい一つ壁を越えたくらいか」
「壁?」
「ヒューガを良く知る者が言っていた。あれの考えは仲間かそれ以外らしい。敵と味方ではないからな。大切にする仲間か無関心なその他大勢か。そういう事らしい」
「……それは私もそう思います」
ヒューガの態度は「俺には関係ないから好きなように」という突き放した感じがほとんどだ。自分さえ良ければ良い。そういう態度なのだと思っていたが、何度か接している中で美理愛の考えは変わった。自分のことだけを考えている人がエルフ族の為に命を懸けるはずなどないのだ。
「しかも、相手が望んでも簡単には仲間と認めない。何度も上に立つことを断っていたようだ。結局、なかば強引に下から押し上げられる形で今の立場になったようだな」
「それも分かります」
「ヒューガに受け入れてもらうにあたっては、越えなければいけない壁があるのだ」
「心の壁ですね?」
パルス王国にいた頃、ヒューガと話すたびに何を考えているか分からない思うことが多かった。あれは自分に本心を見せていなかったからなのだと美理愛は理解した。
「そうだ」
だがライアンは美理愛がその壁をひとつ越えたと言った。その理由が彼女には分からない。ヒューガがパルス王国を離れた後、彼に会ったのは二回しかないのだ。
「……私は一つ越えたのですか?」
「超えたのではないか? ヒューガがお節介をやくのは弱者に対してだろ?」
ライアンはヒューガが美理愛に懐剣を渡した事実をそういうことだと思っている。無関心な相手にヒューガがそんな真似をするはずがない。ライアンの考えは正しい。
「私は弱者ですか?」
「奴隷だからな」
「……そういう事ですか」
ヒューガの心の壁をひとつ超えられたのはライアンの奴隷になったから。それは美理愛にとって嬉しいことではない。
「相手の気持ちが同情だと思って落ち込んだか?」
「落ち込んでなどいません」
「お前、案外ずうずうしいな。他人が自分を好きになるのは当然の事だと思っているのか?」
「そんな事はありません」
「どこからその自信が出てくるのだ? 人族としては美形なのだろうが、エルフ族の中にはお前程度の外見の女はいくらでもいるぞ。全員と言っても良いな」
「そうなのですか!? あっ……」
思わず発した自分の言葉で、美理愛はライアンの言っていることは事実だと気が付いた。それも仕方がない。美理愛は幼い頃からずっと美人だと褒め称えられてきたのだ。男に告白されたことなど、それこそ数知れず。自分はモテると思わないほうがおかしい。
「女の外見など全く意味はない」
「……分かっています」
「本当に分かっているのか? ふむ……どうやらお前をからかって楽しむのも終わりのようだな」
「どうしてですか?」
からかわれるのは好きなわけではないが、あえてそう言われると美理愛も理由が気になる。
「お前では無理だ」
「ですから何がでしょうか?」
「ヒューガには本命の女がいる。さっきから言っているヒューガを良く知っている者はその女の側にいる。そしてそいつはヒューガと本命の女が幸せになることを願っている」
「……そうですか」
ヒューガに好きな女性がいると知って、美理愛は少なからずショックを受けている。
「そこにお前が割り込むとそれはそれで面白いと思ったのだが、どうやら無理なようだな」
元々ライアンは色恋沙汰には興味がない。ライアンが美理愛の心をヒューガに向けさせようとけしかけていたのは、生き残ったヴラドに対する小さな対抗心が生んだ娯楽だ。
美理愛にとっては迷惑かもしれないが、戦場以外ではライアンはとにかく退屈なのだ。
「……最初から無理です」
「そうでもない。ヒューガにはもう一人の女がいる」
「はい?」
「エルフの女だ。今、ヒューガの側にいるのはその女だ。本命の女と出会った後で、ヒューガはそのエルフと出会っている。割と大切にしているようだぞ」
さらに、さきほどとは少し違う意味で美理愛がショックを受ける事実をライアンは伝えた。
「そう……彼は二股をかけているのですね?」
「ん? 何を怒っているのだ?」
「二股なんて男として最低です!」
「……お前忘れているだろ? ヒューガは王だぞ? 王に側妃の一人や二人いて当然だ」
「それでも複数の女性となんて……」
自分以外に気持ちを向ける恋人。そんな存在は美理愛は受け入れられない。
「そう考える程度だからお前には無理なのだ。ヒューガの側にいるエルフは、ヒューガに本命の女がいると知っている。自分の立場をきちんとわきまえているとも聞いているな」
「そのエルフが異常なのです。そういう考えを持つ女性がいるから、この世界の女性の地位は低いのではないですか?」
「それはどうだか知らないが、お前はそのエルフには絶対に勝てない。並ぶことくらいは出来るかと思っていたが、それも無理だな」
「……何故ですか?」
ライアンの言葉がまた美理愛のプライドを刺激する。
「そのエルフはヒューガに己の全てを捧げている。ヒューガが死んでくれと言えば、喜んで死ぬだろう」
「そこまで……?」
「ヒューガに命を救われたという理由もあるのだと思う」
「命をですか?」
「ああ、奴隷にされていたそうだ。そのせいで死ぬ寸前だったらしい。お前は奴隷にされて弱ったエルフを見たことがないだろう?」
「いえ、あります」
ヒューガが連れていたエルフの女性たち。骨と皮だけになって、自分で歩くことさえ出来なくなっていた。美理愛は背負われている彼女たちを最初、死体だと思ったくらいだ。
「あるのか……俺はない。ずいぶんとひどい状態らしいな?」
「はい……」
「その状態だった時のエルフをヒューガは抱いた」
「はっ? 嘘ですよね?」
「本当だ。聞いた相手はずっとヒューガと一緒に暮らしていたのだからな。最初は仕方なくという感じだったそうだ。そのエルフは精神的にかなりおかしくなっていたらしいからな。だが、そんなエルフをヒューガは親身になって面倒を見、結局大切な存在として受け入れた」
「……そう、ですか」
美理愛には理解出来ない。性の対象としてみられるはずがない。そう思ってしまうのだ。
「もう一度言う。外見などに全く意味はない。ヒューガは心身ともに酷い状態のそのエルフを大切な存在としたのだ」
「そうですね……」
「俺は恋愛には一切興味がない。その俺でも二人の話を聞いた時には少し心が震えた。俺がヒューガという男に興味を持ったのは、王だなんだというより、この話を聞いたからだ」
ライアンが心惹かれたのは、恋愛というよりは二人に感じた無償の愛のようなもの。それは魔族である自分たちを愛してくれた魔王の心に通じるものがあったからだ。
そして女性に興味のないライアンが美理愛をかまうのも、彼女が魔王と同じ異世界からきた女性であるということが関係している。
「もっと言えば、お前が自信を持っている外見だが、それでも勝てないかもしれないぞ? 回復して元気になったそのエルフは驚くほど美形になったそうだ」
「…………」
「ということでお前の気持ちをヒューガに向ける遊びは終わりだ。また何かを探さなければならんな。まあ、当面はあちこち飛び回るのに忙しくて、退屈を覚える暇もないか」
これ以降、ライアンがヒューガのことで美理愛をからかうことはなくなった。
ライアンは気付いていない。無意識のうちにミリアの気持ちをまた一歩、ヒューガに向けさせたことに。ミリアは謙虚を装っているが、自分の容姿に心の奥ではかなり自信を持っている。だが、一方でそれがコンプレックスでもあるのだ。
自分に近づいて来る男は全員が自分の容姿目当て。本当の自分を見て、好きになってくれる男などいない。ずっとそう思ってきた。
だがヒューガであれば。美理愛は奴隷にされていたエルフのあの姿を思い出す。あんな姿のエルフをヒューガは愛する事が出来るのだ。そんな彼であれば、見た目にとらわれることなく、本当の自分を愛してくれるかもしれない。
ヒューガが自分を愛するという前提で考えるのは完全に思い上がりなのだが、とにかく美理愛はヒューガを他の男とは違う特別な男として改めて認識することになった。