ぎりぎりで釣れたイーストエンド侯爵にヒューガが案内されたのは、披露の儀が行われている大広間のすぐ近くにある部屋。今回のように宴が行われる時の来客者の控室として使われる部屋の一つだ。
来客者に割り当てないで余らしている部屋なので、それほど豪奢な部屋ではない。イーストエンド侯爵が使うにしてはということであり、ヒューガはまったく気にしないが。
「こんな場所で悪いが、奥に行く時間の余裕がないのでな」
「いや、問題ない。奥に案内されるほうが面倒だ」
「……危害を加えるつもりはないぞ?」
「そうだとしても警戒を解くわけつもりはない」
来客者を迎える大広間の近くであるので王城の出口に近い場所にある。何かあった場合に逃げるには都合が良い。もっとも実際にそうなった時にその出口を使うとは限らない。ヒューガも城の中で生活していたのだ。さらにクラウディアを外に連れ出すにあたって、色々と調べてもいる。
「それはそうだな。まずは不快な思いをさせたことを詫びよう」
「謝罪はいらない。半分はわざとだからな」
「……半分とは?」
謝罪を口にしたイーストエンド侯爵だが、実際はサウスエンド伯爵との騒動はヒューガの挑発があってのことだと考えている。彼が思っている通り、ヒューガもそれを肯定したものの、半分という中途半端なもの。その理由が分からない。
「半分は実際にカチンときた。ああいう脅しは止めたほうが良いな。大国であればあるほど、腰を低くするべきだと俺は思う」
「それでは諸外国に舐められるだけだな」
「舐められないだけの実力は持ってるだろ? その上で恫喝をしたのでは、相手に過度の恐怖を与えるだけだ。過度の恐怖は相手に良い影響は与えないと俺は思うけどな」
「……覚えておこう」
こうは言ったがイーストエンド侯爵はヒューガの言葉を重くは受け止めていない。時間の無駄だと考えているだけだ。
「それで話とは何だ?」
それはヒューガも同じ。イーストエンド侯爵やパルス王国の心配をする義理はない。
「まずはアイントラハトの王と名乗ったな。その意味を聞きたい」
「そのままの意味だが?」
「アイントラハトとは何だ? そんな国の名は聞いたことがない」
「それはそうだ。大森林の外で国の名を名乗ったのは……二度目だな」
ドワーフ族の国、アイオン共和国でも名乗っている。
「エルフの国だな?」
イーストエンド侯爵の視線が少し厳しいものに変わる。大森林にエルフ族の国が復活した。普通に考えれば、それはパルス王国にとって良いことではない。
「いや、違う。国民はエルフ族だけじゃない。他にもいる」
「大多数がエルフ族であるのは間違いないだろう?」
「それでもエルフ族の国じゃない。どんな種族であろうと関係ない。そういう約束になっている」
「約束とはどういう意味だ?」
「エルフの王にはならない。そういう約束だ」
「……なるほど。それで王になって何をするつもりだ?」
さらっと尋ねたが、イーストエンド侯爵がもっとも聞きたいのはこの事だ。ヒューガが予言の王である可能性がある以上、その王が行おうとしていることを確かめておかなければならない。それがパルス王国に害が及ぼすようなものであれば、当然、イーストエンド侯爵はヒューガの排除に動く。
「何をと言われてもな……大森林の中で生きる場を作るのに精一杯というのが実際のところだ。個人の力ではどうにもならない。そして人の力を集めるにはまとめる者が必要になる。俺の役目はそれだな」
「ふむ」
ヒューガの答えはイーストエンド侯爵にとっては、やや期待外れのものだった。もっと何か特別な事をしているのではないかと考えていたのだ。だが生きるに精一杯というのは十分にあり得る話だ。ヒューガの国は大森林の中にあるのだから。
ただこのイーストエンド侯爵の考えは、実際とはズレがある。ヒューガが目指す生きる場所というのは、イーストエンド侯爵が考えるよりも遙かに大規模なものなのだが、それはもっと詳しい話を聞かなければ分からない。
「他に何かあるか?」
そしてヒューガに詳しい説明を行うつもりはない。イーストエンド侯爵は何もかも話して良い相手ではないのだ。
「さっきの兵を倒したあれはなんだ?」
ヒューガの行く手を塞ごうとした兵は突然倒れた。ヒューガと一緒にいたソンブに何かを行った様子は全くない。不思議に思うのは当然だが、イーストエンド侯爵には大体予想がついている。ただ質問の重要度を誤魔化すために、こんな質問を混ぜてきているに過ぎない。話が変わるのはヒューガにとっても好都合だと気付かないままに。
「魔法」
「無詠唱だったな?」
「ディアだって使えるだろ?」
この言葉はヒューガの探り。クラウディアは無詠唱に近い形で魔法を使えるが、完全な無詠唱ではない。
「そのようだ」
「それと同じだ」
イーストエンド侯爵の返事を聞いて、侯爵がクラウディアの魔法の詳細を知らないとヒューガは分かった。そうであれば真実を話す必要はない。
ヒューガも完全無詠唱の魔法は会得していない。きっかけをつかむ言葉は依然として必要としているのだ。兵を倒したのはヒューガではない。同行し、会場に入ったあとは別行動をとっていた忍びの者の仕業だ。だが、その人たちはヒューガが逃げる時の手助けをする役目を担っている。イーストエンド侯爵に伝えられることではない。
「全員が使えるのか?」
「何を?」
「無詠唱の魔法だ」
「エルフ族が使う魔法は精霊魔法だ」
「無詠唱は無理か」
実際には精霊魔法を使うエルフのほうが無詠唱に近い魔法を使える。精霊と心が通じ合っていれば声に出す必要はないのだ。エアルやカルポくらい結び付きが強ければ、軽い魔法に限定してだが、頭の中で「お願い」と頼むだけで魔法は発動する。
ただそれも精霊魔法。ヒューガは嘘をついたわけではない。
「話ってこんなことなのか?」
「他にもエルフ族について聞きたいことはある。だが、それは話さないだろう?」
エルフ族の奴隷解放。これについても興味はあるが、ヒューガが行ったことであることはもう疑いようがない。追及することに意味はそれほどないとイーストエンド侯爵は考えている。
「なるほど。ではそっちの話は終わりだな。こちらからも話がある。お願い事だな」
「願い事とは何だ?」
探る目をヒューガに向けるイーストエンド侯爵。ヒューガの側からお願いがあるというのは考えていなかったのだ。
「外の商人との取引を行いたい。それを公に認めて欲しい」
「もう行っているだろう?」
「あれは公じゃない。おかげで仕入れ値は高いし、一度に多くを運べない」
「……何を仕入れるつもりだ?」
ヒューガの話が事実であることをイーストエンド侯爵は知っている。知っていると思わされているが、正しい表現かもしれないが。
「食糧、それと衣料品だな。どちらかと言えば、今は衣料品のほうが需要は多いか」
「……認めると言う意味は?」
「商人と交易する場所を貸して欲しいのと、荷がパルス国内を動くのを邪魔しないで欲しい」
「ふむ……交易の場所はどこでも良いのか?」
「いや。ノースエンド伯爵領の東にある森林地帯のどこか」
「私の領地のほうが近いのではないか?」
「そっちの領地は色々とうるさい。それともそれを全て引き上げてくれるのか?」
これはイーストエンド侯爵配下の間者の動きを指している。エリザベートの調べに力を集中させる予定で、一旦大森林の監視は引きあげたのだが、その王都での調査は情報局がその役目を、結果として担っている。その為、イーストエンド侯爵配下の間者は大森林の監視に戻っているのだ。
「……いいだろう。間者は引き揚げさせる。その上で交易所は私の領地内としてもらう」
イーストエンド侯爵の判断は間者の引き上げ。商流から見えるものは大きい。その国が何を必要としているかで国内で何が起こっているかの、かなりの推測が可能になるのだ。イーストエンド侯爵はこれまで、ほとんど有益な情報を得る事のなかった間者の活動よりも、それを見える場所に置くことを優先した。
「荷の移動は?」
「それは何かするまでもない。正規の商人であればそんな心配は無用だ」
正規の商人の荷物の運搬を邪魔することは出来ない、というのは事実とは異なるが、建前ではそういうことになっている。
「なるほど。分かった。では俺の用はこれで終わりだ」
「クラウについては良いのか?」
「ディアに何か問題があるのか?」
イーストエンド侯爵がクラウディアの話を持ち出してきたことで、ヒューガは若干、表情を変えた。心配する気持ちがあることはそれで分かる。
「いや、ない」
「なんだよ。じゃあ、特にない。俺は元気だと伝えてもらうくらいかな?」
「……ずいぶんと冷たいのだな」
心配はしていても、ヒューガのほうから何かを求めることはない。この反応はイーストエンド侯爵には想定外だった。
「ディアがいつ俺の所に来ても良いように居場所は空けてある。でも、ディアに今その意思はないんだろ?」
「……そういえば確かめてはいないな」
改めて考えてみると、クラウディア本人にヒューガの下に行きたいという意思があるのか一度も確認したことがなかったとイーストエンド侯爵は気が付いた。その必要性を考えたこともなかった。
「じゃあ、今の言葉も伝えておいてくれ」
「……良いだろう」
「じゃあ、話はこれで終わりだ」
「外まで送ろう」
「いや、良いよ。ここに住んでいたこともある。出口までの道は分かってる」
こう言って席を立ち、とっとと扉を開けて外に出て行くヒューガ。
扉の外にはソンブが待っていた。一言二言、軽く言葉を交わして、そのまま真っ直ぐに出口のほうに向かう二人を、部屋を出たところで見つめるイーストエンド侯爵。
とりあえずは一安心という顔だ。ヒューガが必要としているのは食料と衣料。それは人が生活していく上で最低限に必要な物。いまはまだその確保に追われている状態という事が分かったのだ。
最後まで二人の姿を見送っていれば、イーストエンド侯爵のその安心もすぐに消え去ったかもしれない。だが彼はそれをしなかった。
◆◆◆
イーストエンド侯爵の目が二人に届かなくなったあとに、王城を出て行こうとする二人を追う人の姿があった。普段であればパルス王国では滅多に見かけることのないドワーフ族だ。
ドワーフ族とヒューガには繋がりがある。それは生きるだけで精一杯の国に必要な関係ではない。
「ヒューガ王!」
呼びかける声に振り返ったヒューガが見たのは、ドワーフ族の二人。ヒューガにとっては見知った二人ではないが、その素性を怪しむ必要はない。ヒューガを王と呼ぶドワーフ族はアイオン共和国民しかいないのだ。
アイオン共和国とヒューガのアイントラハト王国の間は、今ではちょっとした通商条約を結んでいるような関係だ。都市国家連盟の中で勢力を徐々に強めつつある商業部門はその取扱量を大きく増やしてきている。特にアイオン共和国にとってありがたいのは、今もっとも武具の需要のあるパルス王国相手の商売で、ヒューガの商業部門が大いに役立っている事。
アイオン共和国とパルス王国の間での商取引には両国で取り決められた、急激な価格上昇を抑える制限がある。一定期間内で上げられる価格の幅が決められているのだ。だが他国の商人を使えばその制約は受けない。直接取引の量を意図的に減らし、ヒューガの配下である商人を通してパルス王国に物を売ることで、本来であれば得られない利益をあげられている。
当然、パルス王国の婚姻の儀にアイオン共和国の代表として訪れるような立場の二人はその事実を知っているので、ヒューガに対する態度も自然と改まったものになる。
「いや、まさかこのような場でヒューガ王に会えるとは思いませんでした。我が国でお会いしているのですが、ご挨拶は初めてになります。私はタスカンと申します。そしてこの者は今回の副使であるメイドックです」
「初めまして。メイドックです」
「あの時はゆっくり挨拶するような状況じゃなかったからな。改めて、アイントラハト王のヒューガだ。そしてこの者はソンブという」
「ソンブです。よろしくお願いします」
お互いに挨拶を交わす四人。
「挨拶の為にわざわざ後を追ってきてくれたのか?」
それが終わったところでヒューガは用件を尋ねた。
「それもありますが、実はお願いがございまして」
「お願い? 何だろう?」
「受け入れる者をもう少し増やして頂けないでしょうか?」
「ああ、そのことか。それは今の十人はそのままで?」
アイントラハト王国で修行するドワーフ族が増えることは、ヒューガの側にとってありがたいこと。断る理由はない。
「はい。そうして頂ければありがたいです」
「人数は?」
「五十人です」
「五十人? 多すぎないか?」
ただ五十人という数は予想外だった。六十人という数字は今の六倍だ。
「無理でしょうか?」
「いや、こちらは大丈夫。建物にも余裕は出来たからな。でも鍛冶場は足りないか。一から作る事になるけど?」
「そのほうがありがたいです。鍛冶場を作るのも良い修行になります。一から作るという経験はそう何度もあることではありませんから」
アイオン共和国の鍛冶場の設備はこれ以上ないほど整っている。何もない状態から鍛冶の修行を始めるということは、あまりないのだ。
「そう。でも何でそんな人数を? 修行だったら自国でも出来るだろ?」
「いえいえ、鍛冶神が作られた剣を拝見させていただきました。あれは中々に作れるものではありません」
「ん? ああ、うちの商人のか」
「はい」
ブロンテースがハンゾウたち十勇士の為に作った刀。それと同じ物が徐々に情報部門に配布されている。情報部門と商業部門は実際には一体。商売をしている中でそれを持っていた者がいたのだ。
「あれ、ドワーフ族から見てもそんなに良い物なのか? ブロンテースは納得してなかったけど」
「それは素材の問題だと思います。あれは元の材料がそれほど良い物ではありません」
「まあ、量産品だからな」
「その素材であれだけのものを作られた。それはただ鍛冶神の技術が為せる技です。その技術を是非、若い者に学ばせたいのです」
「そういうことなら……じゃあ、せっかく会ったんだから、これも見てみる? 最近また作ってもらったんだ」
こう言ってヒューガは、城の出口で受け取って握ったままだった剣をタスカンに手渡した。ヒューガから受け取ったその剣をゆっくりと鞘から抜くタスカン。
「おおおおお」
その口から感嘆の声が漏れた。黒金色の刀身、その両刃には白銀の波がうっている。造りそのものに派手さはないが、黒光りする刀身と対照的な両刃の白銀の光がなんとも言えない雰囲気を醸し出している。
「最近のものだから、ブロンテースが一番納得しているものだと思う。実際、前に使っていたものと比べてもすごく扱いやすい。ブロンテースの剣で凄いと思うところはそこだな。剣の切れ味とか以上に全体のバランスにすごく気を遣っている気がする」
「そうですね。この刀身はどうやったらこのようになるのでしょう?」
「いくつかの材料を重ね合わせている。具体的にどうやったかは知らない。柔らかい金属、固い金属、それぞれを上手く組み合わせる事でブロンテースが言うところの、しなやかで、それでいて固い刀を作れるらしい」
「それは先に行った者たちも学んでいるのですか?」
「当然。その為に来てるんだろ?」
「素晴らしい! いや私も、もう少し若ければそちらに伺いたかった」
「一通り学べば戻る人も出てくる。それまで楽しみに待っていてくれ」
「そうですね」
修行を終えてアイオン共和国に戻った人たちがその技術を他の人たちに伝える。そうなれば国全体の技術力の向上が加速することになる。その日を思って、タスカンの顔に笑みが浮かぶ。
「五十人の受け入れはこちらから迎えの人間を出す。商売の傍ら移動する事になるから、ちょっと時間はかかるかもしれないけど、それは我慢して欲しい。さすがに五十人のドワーフ族の移動は目立つからな」
「分かりました」
「ああ、そうだ。こちらからもお願いがある」
「何でしょう?」
「商品にする前の材料を準備してもらえないか? 商売として普通に買うから」
「……それはまたどうして?」
大森林でが材料に困ることはないはず。わざわざ金を払って買う意味がタスカンは分からない。
「今は武具を全体に行き渡せる為に製造を増やさなければいけない。だが、そちらと違って、こっちは森林地帯だ。あまり採掘場を広げると木々に影響を与える。最低限にしたいんだ」
「なるほど。こちらで製造した物を買うのでは駄目なのですか?」
武器が欲しいのであればアイオン共和国から買えば良い。今のアイオン共和国であれば、他国よりも優先して供給する。そうタスカンは考えたのだが。
「それでは修行の機会がなくなるだろ? 武器は必要だけど、別に戦争をしようと思っているわけじゃないから切羽詰まってはいない」
「なるほど。御心遣いに感謝致します。必ずご要望通りのものを用意しましょう」
「よろしく頼む。じゃあ、これで。国王にもよろしく伝えてくれ。あと前国王にもな」
「はい」
ヒューガが会った時の国王は宣言通り、玉座から退いた。今のアイオン国王はヒューガが知らない国王だ。だがその国王も前王との約束をきちんと守ってくれている。きちんとした人物が王になったようだと、ヒューガは喜んでいる。
「想像以上に王は信頼されているのですね」
ドワーフ族が城に戻るのを見届けたところで、ソンブが口を開いた。
「ブロンテースの存在が大きいな。彼等にとってブロンテースは神だ。その神が仲間として認めている者、そういう事だと思う」
「……そうですね」
決してそれだけではないだろうとソンブは思ったが、ヒューガが自分を常に過小評価することを既に彼女は知っている。
「なんだかんだで忙しかったな」
「そうですね。イーストエンド侯との話し合いはいかがでしたか?」
「とりあえず商人の取引の邪魔をしないことは約束してもらった。交易所はイーストエンド侯爵領内になる」
「それでよろしいのですか?」
ソンブの懸念は取引の内容をイーストエンド侯爵に全て知られてしまうこと。イーストエンド侯爵の思惑など二人には分かっている。
「マンセルに期待だな。同じような条件で交易所を置かせてもらえれば、うまく分散してやれるだろ?」
「ではマンセルと?」
「……それはないな。マンセル相手ではあまり無理をする必要がない」
「パルスは駄目ですか?」
「あの態度じゃな。サウスエンド侯も重鎮の一人だろ? それにイーストエンド侯にも同じものを感じた。彼等は大国意識が強すぎる。あの彼らに国としての交易をなんて言っても、とても対等な相手とは認めない。下手すれば属国扱いだ」
ヒューガが今回、婚姻の儀に乗り込もうと思った目的はこれだ。商人との個別の取引だけでは限界がある。思い切って国と国とでの交易を出来ないか探ろうとしていたのだ。
だがその為にはアイントラハト王国を国として認めてもらう必要がある。それはパルス王国相手では無理だとヒューガは判断した。
「その可能性は最初から想定していましたね」
「ああ。でもパルスが認めれば他国も認めざるを得ない。一気に頂点を抑えてと思ったけど、さすがに甘かったな」
「ではどうしますか?」
「まずは力だな。それなりの国力を身につけないとダメだってことだ。やることは変わらない。あとは、東方同盟内の戦争が落ち着いたら考えようと思う」
「落ち着きますか?」
「落ち着くだろ? 少なくともマンセルを中心にした西部は。今回の最大の収穫はマンセルの宰相と直に話したってことだな。あれはなかなか曲者って感じだ。傭兵王も武力ではともかく、政治では敵わないんじゃないか?」
「そうですね」
「東方同盟の中の一つくらいにしか考えてなかった国にもああいう人物がいる。ちょっと認識を改めないといけないな。そうするとまたハンゾウさんたちに苦労させることになるか。商業部門でカバー出来る範囲とうまく切り分ければなんとかなるかな。あとは……」
自分の存在を忘れてしまったかのように一人で呟き始めるヒューガ。変わった王だとソンブは思う。臣下の前でも平気で自分の間違いや失敗を認め、それを反省する。それでいて反省する時には既に、次の対策が頭に浮かんでいるのだ。
最近になって彼女も分かってきた。何故、ヒューガの以前からの臣下たちは、熱心を超えて、命を懸けるようなやり方で自らを鍛えようとしているのか。
この王が大森林の中だけで収まるはずがない。皆、そう思っているのだと。
来たばかりの時は軍師の仕事と言っても軍制を整備し、部隊を鍛える程度だと思っていたのだが、ソンブが思っていた以上に自身は高く評価されていたようだ。ソンブが皆に求められるのは戦争において自国を勝利に導くこと。まさにソンブが求めていた軍師としての役割なのだ。
◆◆◆
婚姻の儀でのヒューガの姿を見てソンブが自分の責任を改めて感じていた頃、それとは別の所でヒューガに対する考えを固めようとしている者たちがいた。
エンド家の三人だ。
「きちんと説明してもらうぞ。あの小僧と何を話していたのじゃ?」
サウスエンド伯爵がイーストエンド侯爵にヒューガとの話し合いの内容の説明を求めた。
「あれの目的を確認していた。婚姻の儀に現れた目的。それと大森林で何をしようとしているかだ」
「……それで何と言っておった?」
「婚姻の儀に現れたのは交渉の為だな。商人との取引を邪魔しないようにと、交易を行う場所の提供を求めてきた」
「ほう。それで?」
「認めた」
「何故じゃ?」
無条件にヒューガを利するような約束を行ったのであれば、それを認めるつもりはサウスエンド伯爵にはない。それはウエストエンド侯爵も同じだ。
「商人との取引内容を知ることが出来れば、大森林で何が不足しているか、何を生み出しているかが分かる。それを知れば今までよりも遙かに中の様子を知ることが出来るからだ」
「……道理じゃ。だが、それを知る事は出来るのか?」
合意した理由はサウスエンド伯爵も納得のもの。問題は実際にそれが出来るか。これまでヒューガの動向はろくに掴めていなかったのだ。
「交易所の場所は俺の領内だ。ほぼ全ての内容を知る事が出来るだろう」
「よく相手が受け入れたな?」
「割と簡単に認めたな。それだけ窮しているのかもしれん」
「……大森林でのことは?」
「生きるのに精一杯といった感じだったな。まあ、分からなくもない。なんと言っても大森林だ。無事でいる事さえ驚きだろう」
「本当にそれだけか?」
探るような目をイーストエンド侯爵に向けるサウスエンド伯爵。イーストエンド侯爵の説明をそのまま受け入れる気にはなれないのだ。
「商人との取引で必要としているのは、食糧と衣服だ。それをわざわざ商人から買わなければいけないという状況を考えれば、間違った推測をしているとは思えん」
「つまり、今まで騒いでいたのはイーストエンド侯の買い被りだったという事じゃな?」
「結果としてはな。だが、大森林でまとまった数で生活しているのだ。それくらい警戒しても間違いではないとは今も思っている」
「先々は分からん、と……」
現状がどうであれ大森林にエルフ族が再集結したという事実は変わらない。いつか脅威となる日が来るかもしれないと、警戒するのは正しいことだ。だが、この当たり前のこともサウスエンド伯爵は素直に受け入れられない。
「商人との取引内容に変化が起こるようならな。だが、それは直ぐに分かる。それから対応を考えても遅くはないだろう?」
「……あとは?」
「それだけだ」
「嘘をつけ! 何が買い被っていたじゃ! お主は奴の銀髪を知っておったな!?」
サウスエンド伯爵がイーストエンド侯爵の言葉を疑うのはこれが理由だ。
「違う! 知ったのは今日が初めてだ! ただ……そういう可能性もあるかと考えていたことは認める」
「……あれはどういうことじゃ? 勇者を選び損ねたということか?」
「それは分からん。ある人物が言っていた。白銀というのが何を指しているかは分からんと。どちらが本物かなどは、この時点で判断出来るものではない」
これはバーバの言葉だ。イーストエンド侯爵もそのまま信じているわけではないのだが、サウスエンド伯爵への説明に使っている。
「……まあ、そうじゃな。それに誰が勇者かなど、今となってはどうでも良いことじゃ」
「まあ、そうだな」
勇者は魔王を倒すために召喚された。そう考えている人にとっては、勇者の役割は既に終えたものとなっている。あくまでも終えたのは称号としての勇者であって、その力はまだ無視出来るものではないが。
「それでもあれはマズいタイプの人間じゃ。儂も認識を改めることにした」
「……マズいとはどういう意味だ?」
「敵を持つことを恐れん。ただの無鉄砲なら無視しても良いが、奴はそうではない。あれは敵を潰すことに容赦のない人間だな。いつか必ず敵は消す。そういう信念があるから恐れることをしないのだと思う」
「……だったら何故、挑発するような真似をしたのだ?」
内心では何故、サウスエンド伯爵がヒューガをそこまで理解しているのか驚いているイーストエンド侯爵。だがそれを直接問うことは避けた。
「挑発したから分かったのじゃ。正直に言えば、あの時、一瞬で心が冷めたぞ。やばいものに手を出した。そう感じた」
「だったら、そこで止めておけば良かっただろ?」
「ちょっと意地になったのもある。だが、それよりもあのまま帰すのが怖かった」
「……怖かった?」
「ああ、怖かった。パルスが敵になるのか、と言った時の奴の顔。お主らは分からなかっただろうが、儂にははっきりと見えた。あの一瞬で奴は考えをまとめた。これなら大丈夫。そんな顔をしておった」
さすがにこれはサウスエンド伯爵の考えすぎ。ヒューガはそこまで読み切っていたわけではない。
パルスを敵にした場合に誰が味方になるか、もしくは同調できるか。それを頭の中で描いたに過ぎない。優斗と一緒に行動している魔族。あれは絶対パルス王国に対して何か仕掛ける。それをヒューガは確信している。
あとは気が進まないがネロの手助けをして、ユーロン双王国を押さえさせてパルス王国に敵対させる。南に向かった魔族と西のユーロン双王国。そこで何かが起これば、東のマンセル王国か傭兵王も手を伸ばしてくる可能性は高い。
三方で問題が起これば隙は出来る。そこまでの考えだ。
「そうか……」
「あれは何を知っているのじゃ? 儂らが知らないことを少し知っていると奴は言った。それは実はとんでもない事実なのではないか?」
「分からん。そんな話はしなかった。直接話したのはサウスエンド伯だろ? どういった話か当たりもつけられなかったのか?」
「……気になるのは、勇者が裏切られたような言い方をしていたことじゃな。あれが何を意味しているのか……」
サウスエンド伯爵は正しく気付いている。ヒューガが知っている事実はそれだ。だが全てではない。その結果、そしてそれによって将来引き起こされるかもしれない戦いの可能性までヒューガは知っている。
「それはアレックスに聞けば分かるだろう?」
「……間違いなく知っているだろうな。想像はつく。手柄を自分のものにする為に勇者を……もしかしたら殺したのかもしれんな」
「そうだとしても、それは大きな問題ではない。魔王を倒せば勇者は用無し。異世界人を王にするよりはアレックスのほうがマシだ」
「まあ、そうじゃな。それにそれだけではパルスに影響はない……では、奴は何を知っている?」
「……分からん」
今になってイーストエンド侯爵は、ヒューガを簡単に帰してしまったことを少し後悔している。ただ、拘束する以外に引き止めることは出来なかったことも分かっている。
「考えるだけ無駄か。とりあえず奴の状況は監視し続けるのじゃな」
「ああ」
「では、当面はそれで良いか」
彼等がこの時の会話を思い出すのは、少し先のことになる。ヒューガが知っていたのは、このことだったのかと。
この世界の混沌はまだ始まったばかり。それが本格化した時にパルス王国がどの方向に向かっていくのか、それはまだ見えていない。