パルス王国が行方を捜している魔王軍残党は、パルス王国の予想を覆して、ノースエンド伯爵領の東にある森林地帯にいた。
魔族は森の奥をいくつもの小集団に分散して森林地帯を進んでいる。目的地はイーストエンド侯爵領の南方。東方同盟との国境にある森林地帯にある魔族の拠点で、かつて優斗たちが勇者として倒した魔族が拠点にしていた場所だ。
かなり危険な道のりではあるが、彼らの目的がドワーフ族の治めるアイオン共和国である以上、南に向かうしかない。そこを拠点にして離散した魔族を集める。それが当面の方針だった。
残念ながら彼らの中には戦略を練れる者がいない。行動も極めて単純なものになってしまう。だが、魔族がアイオン共和国を攻めようと考えていると気付いている者など誰もいない。結果としてパルス王国の裏をかくことになった。
今のところ移動はおおむね順調。といっても最大の山はいきなり最初に向かえている。
森林地帯までの経路に選んだのは海の上。筏というにもお粗末な木を何本も紐で括り付けただけのものを海に浮かべ、それに乗って南下した。それに乗れた者はまだましだった。材料の不足から最後の方は丸太にしがみついて海に浮かんでいるだけ。そんな状況にも魔族は文句ひとつ言わないで、次々と海岸線を南下し、森林地帯の北辺に辿り着いていった。
魔族だからこそ出来た業。生命力もあるが、彼等にとって力ある者の命令は絶対。嫌だと言えば殺されるだけという意識がある。だから命を捨てるような真似も平気で行うのだ。可能性が高いだけで確実に死ぬと決まっているわけではないから。
そして森林地帯に辿り着いた者から休むことなく、ひたすら南下を続けている。目的地はまだ遙か先なのだ。
そんな中で例外は優斗たち一行だ。優斗と美理愛は腹も減れば眠くもなる。一日の行程の中でも何度も休憩を必要とする。結果として休むことなく進み続けている魔族から大きく遅れる事になった。
だからといってそれを気にしている様子もない。特にユートは。美理愛のほうはまだ、イライラしているライアンを気にして申し訳なさそうな雰囲気は出している。だが彼女も腹が減れば食事をとるし、眠くなればしっかり寝る。ライアンのイライラは募るばかりだった。
そして今もまた、やや早めの夜営の最中。うす暗くなり始めた森の中。美理愛は二人から離れた茂みの中でしゃがみ込んでいる。
「失敗した。スマホを持ってくるべきだったな。この場面の為なら残ったバッテリーの全てを使ってもいい」
突然聞こえてきた声。パルス王国の兵に見つかったと思って、大声で助けを呼ぼうと思った美理愛だったが、この世界の人間であれば使うはずのない単語が含まれている事に気付いて、それを止めた。
相手を探そうと周囲を見渡しても誰の姿も見えない。
「……考えたらバッテリー切れたら画像見れないか」
もう一度聞こえてくる声。
「……変態」
その声を聞いて美理愛は相手が誰であるか確信した。
「変態って……だったら、早く立ち上がれよ。それともまだ最中か?」
「……終わっているわよ」
「あっ、拭きたいのか。だったら早くしろよ」
「……貴方が見ている前で出来るはずないでしょう? もう、お願いだから姿を現してよ」
「はいはい」
そうは言ってもまだ姿は見えない。
「どこよ?」
「後ろ」
美理愛がしゃがんだ姿勢のまま、後ろを振り向くと思っていた通りの男が立っていた。わざとらしく両手で自分の目を塞いでいる。それもあえて相手にわかるくらいに指の隙間を空けて。その隙間からのぞく琥珀色の瞳、銀色の髪。いるはずのない人物、ヒューガが立っていた。
「……後ろ向いて」
「残念。はい、もう見えない」
確かにヒューガが後ろを向いたのを確認してから、美理愛は手早く事を済ますと、服を整えて、彼に近づいていった。髪まで整えようとしているのは女性としての嗜みか。それともライアンに言われた事が心に残っている影響か。
「……こんな所で覗き見なんて何を考えているのよ?」
「覗き見しようとして来たわけじゃない。そっちこそこんな所で何してんだ?」
「私は……」
ヒューガの問いに躊躇いを見せる美理愛。
「ん? 話せないのか?」
「そんな事はないけど、話すと長くなるわ」
これは美理愛の言い訳。まさかドワーフの国を奪いに向かっているとは言えない。
「そうか。じゃあ聞いている時間はないな。こっちの用件を言おう」
「何かしら?」
「目的地だけ教えろ。詳細を言えなければ大体でいい」
「……南のほうよ。ここからずっと南」
美理愛の答えは方角だけ。それしか言えないのだ。
「……なるほど。じゃあ、問題ない。俺の用件は終わりだ。じゃあ」
だがヒューガにはそれで十分だった。
「ちょっと!」
方角を聞いただけで納得して、この場を去ろうとしたヒューガを咄嗟に美理愛は呼びとめた。
「何?」
「もう行くの?」
「……なんだ、そのすがるような目? ちょっとドキっとしたぞ。プリンセスと俺ってそういう関係だったっけ?」
「そんな目はしていないわ」
「じゃあ目は良いとして、手は離してもらわないとな」
ヒューガに言われて美理愛は自分が彼のまとっている真っ黒なマントの端を握りしめていた事に気付いた。だが、それに気付いても、美理愛はその手を離す事が出来なかった。それどころか更にもう片方の手でヒューガのマントの袖口を掴み、そのまま日向の胸に顔をうずめる。
「あれ? ちょっと?」
美理愛にそんな真似をされて、慌てて肩を掴んで離そうとしたヒューガであったが、自分の胸元で彼女が肩を震わせている事に気付いて、それは止めた。
宙に浮く両手。しばらく悩んだ後、自身のマントでそっと美理愛を包み込んだ。
「泣くのなら思いっきり泣いたほうが良いじゃないか? そんな泣き方じゃあ、楽になれないと思うぞ」
ヒューガのこの言葉を受けて、泣き声をあげる美理愛。
(本当に泣いちゃった。こんな所、やつらに見られたら後で何を言われるか分かったものじゃないな)
こう思いながらも、美理愛が泣き止むのを待ち続けるヒューガ。
どれくらい時間が経ったか分からない。ずいぶんと長かったような気もするし、それ程の時間でもないような気もする。やがて美理愛は下を向いたまま、ゆっくりとヒューガから離れていく。
両腕で顔に残った涙をぬぐい、顔をあげて彼を見つめる美理愛。
「……恥ずかしいところを見せてしまったわ」
「今更だな。しゃがんでお尻を見せている姿よりは恥ずかしくないだろ?」
「なっ……変態!」
「冗談だ。見えてないよ。気を紛らわせよと思って言っただけだ」
「そう」
ヒューガの冗談という言葉を信じたわけではないが、突っ込んでも自分が恥ずかしい思いをするだけだ。そう考えて、美理愛は話を終わらせることにした。
「……何となく想像ついているけど、何があった?」
「それは……」
どこまで話して良いものか判断がつかず、口ごもる美理愛。
「プリンセスが魔族と行動を共にしている事は知ってる。プリンスも一緒だな。魔族との戦いに行ったはずの二人がどうして魔族と一緒にいる?」
「……裏切られたのよ。アレックスや他の新貴族に」
「裏切られた? 二人が嘘の情報を教えられ利用されてたのは知ってる。それ以上の裏切りってなんだ?」
「……奴隷に」
「なるほど首輪か。良心が何とも感じなければ利用し続けるには一番の方法だな。よく助かったな?」
「貴方が外し方を教えてくれたでしょ?」
「……ああ、練習してたんだ。そういうところはやっぱ優等生だな。それで奴隷にならなくて済んだわけだ」
「今も奴隷だわ」
首輪に縛られていないが、結果として美理愛はライアンの奴隷にされた。一番信じていた優斗によって。
「ん?」
「何でもないわ。さすがにそれではパルスにはいられない。だから……」
「それで魔族についた? 魔族がよく簡単に受け入れたな……魔王は死んだんだよな?」
「ええ、死んでいたわ」
「それでなんで魔族が解散していない? 一緒にいるのは魔将だよな? それと一緒にいて何をしようとしてる?」
「それは……」
目的を聞かれても詳しい話は出来ない。そうである以上、二人の会話は続かない。
「……いいや。それが何かは聞かない……そう言えば話を聞くなって言われたんだった。よし引き上げるか。暗くなってきたしな……戻れるか?」
「……大丈夫よ」
ヒューガが行ってしまう。そう思うとまた美理愛は泣きたくなった。
「じゃあこれで」
振り返って、駆け去ろうとするヒューガ。
「ちょっと待ってもらおうか」
そのヒューガを引き止める声があった。
「ライアン!?」
ライアンの声だ。いつの間にか美理愛の後ろに立っていたライアンはゆっくりと進み出て、ヒューガの前に立った。
「……用があったのか? 見てるだけだから放っておいてくれるのかと思ってた」
「気付いていたか?」
「まあ」
「不用心だな。王自らこんな所に現れるとは」
「上手く事を進めるには俺が来るしかなかったからな。顔を知らない人間ではプリンセスと話にならない。冬樹はこういうの苦手。夏は会いたくないと言っている。なんか嫌われる事したのか?」
「……ごめんなさい。少し怒らせたわ」
「そうか。という事で俺が来ることになった。かなり反対されたけどな」
「それでもだ。こちらが危害を加えないとでも思っているのか?」
「ライアン、止めて!」
ライアンの手が腰の剣に伸びるのを見て、美理愛は慌てて二人の間に割って入る。
「健気だな。自分の身を盾にして愛する人を守ろうとするか」
両手を広げて、ライアンの前に立ちふさがる美理愛を見て、ライアンが口にした言葉。
「お前、馬鹿か? 何を勘違いしてんだ? それとプリンセス、それ必要ないから」
だがヒューガにとってはライアンの勘違いにしか思えない。美理愛の行動は、優等生ならではの正義感からのものに過ぎないと思っている。
「でも」
「俺に危険を冒しているつもりはない」
「ほう。俺に勝てるつもりでいるのか?」
「勝ちかどうか微妙だけど、今、この場所であれば、お前は俺を傷つける事は出来ないな」
「……結界か。いつの間にそんなものを?」
「前からだ。ここは俺達のちょっとした休憩所だからな。そこにお前らが勝手に入ってきたんだ。ここはエルフの結界の中。魔族なら言っている意味わかるよな?」
この森林地帯は西方からエルフを連れてくるときの移動経路となっていた。ただ隠れて移動出来れば良いとヒューガは考えなかった。危険を排除する為に、所々にこうした結界を張り、それは今も残っているのだ。
「魔族の契約はあくまでも大森林とだ」
「この結界は大森林の精霊が張った結界だ。そして権利者は俺。さて、この場合、契約はどう判定するのだろうな? まあ、俺自身も完全に自信があるわけじゃない。試すのも一つの手だぞ?」
「……最初からそのつもりはない」
駆け引きは通用しない。ただそれとは関係なく、もともとライアンが姿を現したのは争う為ではない。
「そうか」
「お前と話をしたかった。話を聞きたかったと言ったほうが正しいな」
「……悪いけど、それは出来ない」
「何故だ?」
「俺がここに来る条件だから。余計な話を聞けば変な事に巻き込まれる。俺の性格からして間違いないらしい。だから、話そのものを聞くなと言われた」
「ふっ」
「何が面白い?」
「お前とお前の臣下がだ。仕方ない。話は諦めるとしよう」
「ああ、でも俺の方からひとつ話があったな」
「お前からだと? それは何だ?」
「先生は生きているか?」
「……ああ」
「では何をするつもりかは知らないが、それに先生を巻き込むな。俺がここに来た理由はもうひとつある。もしかしたら先生がいるかもしれないと思ったからだ。でもどうやらいないようだ。魔王に殉じなかったのであれば、先生には生きる目的があるという事だ。それを邪魔させるわけにはいかない」
その目的もヒューガには分かっている。ヴラドはクラウディアの所に向かった。ヒューガはそう確信している。たとえそうでなくても、思う通りに生きようとしているヴラドの邪魔を、何人にも許すつもりはない。
「……否といったら?」
「全力で防ぐ」
「それは王としての言葉か?」
「先生に世話になった者は大勢いる。国として動かなくても協力してくれる仲間はいる」
「……確約は出来ない。誘うという事については、すでに約束しているのだ」
「誘うだけならいくらでも。それに先生が応じるとは思わないからな」
「……良いだろう。必ず引き込むとの約束はしていない」
優斗との約束はあくまでも引き込むように行動を起こすというところまで。ライアンもヴラドが共に戦うとは、優斗と約束した時から思っていなかったのだ。
「よし。じゃあ、これで俺の話は終わりだ。あとプリンセスにこれをやる」
そう言って日向が懐から取り出したのは、黒塗りの鞘におさめられた懐剣だった。
「これは?」
「貰ったんだけどそういうのって女性が持つものだろ? 俺にはちょっとな」
「ありがとう。でもどうして?」
「奴隷の身が許せないなら、それで相手を刺し殺せ」
「えっ?」
今も奴隷、そうつぶやいた美理愛の言葉をヒューガは聞き逃していなかった。
「首輪で強制されているわけじゃない。問題なく、それは出来るはずだ。間違っても、それで自害しようなんて考えるなよ? 生きる事だけを考えろ」
「……でも契約があるのよ」
「契約? ……そんなものは無効だ。この世界の理は調和と慈しみにある。奴隷なんてものをこの世界は許さない。だから契約を破ったからといって、この世界に罪を問われることはない。お前の人生はお前のものだ。奴隷なんて言葉に縛られる必要はないからな」
「……ありがとう」
「じゃあ、今度こそこれで……生きろよ」
「ええ」
去っていくヒューガの後ろ姿。その彼からもらった懐剣を大事そうに胸に抱いて美理愛はそれを見送った。
「くっくっくっ」
そんな美理愛を見ていたライアンは、こらえきれないといった様子で笑い出した。
「何が可笑しいのですか?」
「女が恋に落ちた瞬間を始めてみた」
「えっ……?」
「それと懐剣を大事そうに抱えているが、それは武器だぞ。それも俺を殺すためのものだ」
ヒューガはまさか美理愛が魔族の所有物になっているなんて思っていない。奴隷というのは優斗に縛られている事を指しているのだと思っていたのだ。
「……私はそんなことをするつもりはありません。だから」
「取り上げるつもりはない。大事に持っていろ」
「はい」
「しかし、失敗したな。組むならあの男とのほうが面白かったかもしれん。いや、敵に回してこそ面白いか。まあそれを考えるのは先だな。その前にやる事がある」
「あの……」
不穏な台詞をつぶやいているライアンに恐る恐る話しかける美理愛。
「何だ?」
「何故、彼を王と呼んだのですか?」
「……そうか。お前は知らなかったのだな。あれは大森林の王だ。臣下にはエルフも人族もいる。最近の噂では魔族もいるという話だな」
「本当の王なのですか!?」
臣下という言葉が出た事に美理愛は驚いた。王の意味は当然分かっている。だがヒューガが本当に一国の王になっているということが信じられないのだ。
「ああそうだ。国というには小さなものだろうがな。だがエルフの神に認められた奴が大森林の王である事は間違いない」
「…………」
完全に言葉を失う美理愛。ヒューガが尋常な人間ではないのは、ここ数回の出会いでなんとなく感じていた。だが、まさか一国の王になっているとは。
「この事はあれには言うなよ。あれの事だ。嫉妬で大森林に攻め込むと言いかねん。まあ一人で勝手に乗り込むのはかまわんが、協力しろと騒がれるのはかなわん」
ライアンは理性を吹き飛ばした今の優斗は欲求とプライドだけの存在であると考えている。優斗には、もともとそういう部分はあったのだが、タガがはずれた事で他人を気にしたり、自分を押さえたりする事をしなくなった。魔王と名乗ったのも優斗のプライドだ。自分を凄い存在と周りに示したかっただけ。その優斗が、同じ異世界人であるヒューガが自分のような自称ではなく周りから認められた王であると知ったら。起こす行動は推測できる。
「仮に優斗がそれをすれば?」
「まず死ぬな。結界の話を説明してやろう。彼が言っていたのは、前に話した魔族の契約の事だ。ここが大森林のエルフの領域の一部と認められれば、俺は契約違反でこの世の中からはじかれることになる。だから彼には斬りかかろうと思ったとしても斬りかかれない」
「でも彼も自信はないと言いました。それに魔族ではない優斗には無効です」
「俺に対してはそう言った方が引き下がると思ったのだ。だが奴は今と言った。それの意味は空を見ればわかる。すでに月が空にある。月夜の晩に月の精霊の加護を受けている者を、その結界の中で殺すことなど出来ん。ましてや本拠地である大森林の中ではな」
「月の精霊の加護ですか?」
「これも知らんのか。彼のことを何も知らないのだな、お前は。それで良く惚れられるものだ」
「…………」
「ほう。今日は否定しないのか。さっきのあれでは否定は出来んか。とにかく、彼はお前とあれが思っているような存在ではない。うかつに手を出せば大やけどするぞ……ふむ。お前の場合は既に彼への想いで胸を焼かれているか」
「焼かれていません!」
「しばらく楽しめるな。離ればなれの相手を想い、貰った懐剣を握りしめて、寂しさを紛らわす女。実に面白い」
「……悪趣味ですわ」
「なんとでも言え。俺は面白ければ何でも良いのだ。そろそろ戻るぞ。またあれが騒ぎ出すと面倒だ」
「……はい」
日向に貰った懐剣。美理愛はそれを胸元にしまいこんで、先を進むライアンの後を追った。
◆◆◆
一方で美理愛たちのいる場を離れて、大森林に駆け戻っているヒューガ。いつの間にか、幾人もの手の者がヒューガを守る形で周りを囲んでいる。
東の森林地帯から大森林へ続く道。ヒューガ自身、何度も通った道だ。夜の暗闇をまったく気にする事なく全力で森の中を駆け抜け、やがて大森林に辿り着いた。
そこから都まではあっという間。ルナたち精霊によって開かれた魔法の道を通り抜けると、そこはもう都の城の中の一室だ。
扉を開けると、そこには彼を待つ仲間たちの姿があった。
「戻ってきたね」
真っ先に声を掛けてきたのは夏。
「ああ、待たせたか?」
「ううん、それほど退屈してない」
「……そう。エアルは?」
「…………」
この場にエアルがいない事に気付いて、周りに問い掛けたが誰も答える者はいなかった。それを少し不審に感じながらも席に座り報告を始めるヒューガ。
「とりあえず先生はいなかったな」
「そうみたいね」
「……ん?」
「……どうぞ、続けて」
「プリンセスたちの目的は聞かなかった。でも何かしようとしてるな。結構ヤバそうな事を」
「そうね。魔族との会話からそれは想像ついた」
「ん? 何で会話を知ってるんだ?」
「しまった」
夏は実際にはそれほど「しまった」とは思っていない。どちらかというとヒューガに隠しごとに気付いて欲しかったのだ。そのほうが面白いから。
「何だよ、『しまった』って? 何か隠してるのか?」
「聞いてたの」
「何よ」
「ヒューガの会話を」
「はあ!? どうやって?」
「シルフが聞かせてくれた。声は風に乗る。少しくらい離れていても場所さえつかめれば聞けるのよ」
風の精霊であるシルフの能力。夏は少しくらい離れていてもと言った。だが東の森林地帯とこことではかなりの距離がある、通常は夏の言葉通り、少し離れている程度の距離でしか通用しないのだが、ヒューガがいたのは精霊結界の中だ。普段では無理な事が可能だった。
「ずっと?」
「多分、接触してすぐ後かな? こんな所でなにしたんだ? それが最初に聞こえたよ」
「そっか」
美理愛が用を足しているのをからかっていた事を知られていないと思って、ヒューガは少しほっとした。もしかして、それでエアルが怒っているのかと思ったのだ。
だが、そうなるとエアルがいない理由が気になる。
「……エアルは?」
「怒って出て行った」
「はあ?」
「嘘。聞いていられないからって出て行った」
「どう違うんだよ?」
「だってねぇ……好きな人が別の女とイチャイチャしているのを聞いていられないでしょ?」
「はあ? そんなことしていないだろ?」
ヒューガの認識ではそうだ。実際にも夏が言うほどの場面ではない。
「だって胸の中で泣くあの女を抱きしめたでしょ?」
「抱きしめたというより、泣き声が聞こえないようにしただけだ」
「またまたぁ。ヒューガの胸で泣いて、少し落ち着いた彼女はそのまま顔をあげてヒューガを見つめた。そんな彼女の一途な瞳に耐えられなくなったヒューガは、ゴメンとつぶやいて彼女の口に……きゃあー、もう嫌だぁー!」
(きゃあー!)
夏と一緒にはしゃいでいるのはルナだ。
「あのさ、声を聞いているだけでそんな事分からないだろ?」
「声のないところはシルフが実況してくれた」
「はあ、なるほどね。シルフ?」
やっと事情が分かったヒューガは、ルナの横でニコニコと笑っているシルフを軽くにらむ。
(ちょっと脚色してみたのねぇ~)
そんなヒューガのにらみにもシルフは全く動じない。いつもの口調で答えてきた。
「……なんで?」
(そのほうが面白いからなのぉ~)
「はあ?」
「いゃあ、驚いたね。まさかヒューガがハーレム属性を持っているとは思わなかった」
「そんなもの持ってない」
「だって、あの女を落としたんでしょ? しかも勇者に向いていた心を奪ったのよ。略奪よ、略奪」
「いや、だから……」
(ヒューガにかかればあんな女イチコロなのです)
精霊であるルナには恋愛感など元々ない。なんとなく精霊の結びと近いものだと思って、一時期はクラウディアに嫉妬していたのだが、最近は考えを改めた。ルナは多くの月の精霊の集合体。女性を自分たちと同じと考えれば、多くの女性がヒューガに群がる事は彼の力になる事。そう考えているのだ。
「ルナちゃんも言うわね。でもあの女はあれで元の世界ではあたしたちがいた学園の全男子生徒の憧れの存在だったのよ」
「それも正しくない。全男子生徒ではない。俺は憧れてないからな」
「そういう意味では俺もだな」
「冬樹はいいの。今はヒューガの話なんだから」
「はあ……」
「何か勘違いしてないか? だいたいシルフも脚色したって白状しただろ?」
「だって、ねえ?」
(ねぇなのです)
この二人いつの間にこんなに仲良くなったんだ。不思議にヒューガは思ったが、今はそんな疑問はどうでも良い。とにかく誤解を解かないと、そう思って懸命にそれは違うと皆に説明する。だがいくら説明しても誰も誤解を解いてくれない。
ヒューガは知らない。彼が去ったあとの美理愛とライアンとの会話を。そして、それを皆が聞いていた事を。
夏たちを相手にしていてもどうにもならないので、ヒューガはもっとも誤解を解かなくてはならない人を優先する事にした。
覚悟を決めて、エアルの部屋に向かうヒューガ。どんな修羅場が起こるかと周りは少しわくわくしていたのだが、しばらくして戻ってきたヒューガの「やっぱ、エアルはいい女だよな」としみじみ語る姿をみて、エアルの心の大きさを改めて認識するのだった。