月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

四季は大地を駆け巡る #99 揺れる心

異世界ファンタジー小説 四季は大地を駆け巡る

 魔王城の奥深くにある寝室には対照的な男女が向かい合って座っている。興奮冷めやらぬ、といった様子で盛んに話しかけている男とその話を沈痛な面持ちで聞いている女。
 自らを魔王と呼ぶようになった優斗と魔族であるライアンの所有物となった美理愛の二人だ。

「パルス軍って弱いんだよ。僕が少し本気を出しただけで、全滅だからね」

「優斗……」

「あんな軍だったから、魔族との戦いに苦戦したんだね? ライアンの言うとおり、あんなの相手では本気になるほうが馬鹿だ」

 優斗は魔将であるライアン、ライアンの配下の魔族とともにパルス軍に夜襲をかけた。戦いが終わったと思い、すっかり安心しきっていたパルス軍については、正に寝耳に水。野営地は大混乱に陥った。
 率いる将が少なかったのも影響したのだろう。アレックスと同行せずに残っていた近衛の部隊は武器を取る事もせずに逃げ回るばかり。その近衛の混乱に巻き込まれる形で、国軍も統制が取れないまま、総崩れとなった。
 さすがに優斗が言う全滅というのは言い過ぎだが、今回の魔族との戦いで最大の犠牲を出して、パルス王国軍は魔王城の前から逃げ去って行った。
 ただ実際には戦いはまだ続いている。
 ライアンは配下の魔族に、逃げていくパルス王国軍の追撃を命じたのだ。統制の取れていない逃げ惑うばかりの兵では、まとまった反撃など出来ない。ライアンがどこまでを命じたかにもよるが、本当に全滅と言えるような被害を出す可能性はある。

「優斗の下で一緒に戦っていた彼等はどうなったの?」

 魔族との戦いの中で優斗が見出した兵たち。その優斗の気持ちに応える為にと、彼等は魔族との戦いにおいて彼を支えていた。

「……さあ? 見つからなかった」

 そんな彼等に対しても、優斗は何の感情も持っていない。「見つからなかった」だけで話を終わらせると、美理愛の手を引いて、自分に引き寄せる。

「優斗、お願い……」

「お願い? わかっているよ」

 今度は軽く突き放すようにして、美理愛をベッドの方に押しやる。

「そうじゃないの」

「何だい? 僕、ちょっと戦いのせいで興奮しているみたいなんだ。収めるのを手伝ってくれないか?」

「だからってこんな時に」

 多くの、元とはいえ、味方の死の話を聞いたばかり。しかも優斗はその彼等を殺した張本人だ。美理愛はそんな彼に抱かれる気にはなれない。

「こんな時だからだよ。女の美理愛にはわからないかな? 戦いの後って男はそういう気持ちになるんだよ」

「止めて」

「何を今更。今まで散々してきたじゃないか」

 今の優斗は美理愛の気持ちを思いやる事など考えていない。ただ自分の欲求に忠実であろうとするだけだ。

「嫌なの! 今の優斗は私が知っている優斗じゃないわ!」

 この美理愛の言葉に優斗は動きを止めた。分かってくれた。そう思って喜んだ美理愛の心は、次の瞬間にまた深く沈み込む事になる。

「……美理愛も僕を裏切るのかい?」

 優斗が美理愛を見る目は愛する人に対するそれではない。それは先ほどからそうだったが、今は更にそこに憎しみの色がわずかに混じっている。
 ここで拒否したら優斗は自分も殺すのか。そう思ってしまったことを美理愛は恥じた。優斗がどんな道を進もうと一緒にいると決めた。それを自分は忘れてしまっていた。そう思うと、もう美理愛に優斗を拒むことは出来ない。

「裏切らないわ。私が優斗を裏切るわけがない……良いわ、優斗の好きにして」

「……そうだよね。美理愛が僕を裏切るわけがない」

 そういってベッドに美理愛を押し倒して覆いかぶさろうとする優斗。

「その女を好きにして良いのは俺だけだろう?」

 それを制する言葉が扉のほうから聞こえてきた。

「……ライアンか」

「何を勝手な真似をしている? 契約を忘れたのか?」

「君に美理愛を好きにする権利があるのは覚えているよ。だからといって僕が美理愛を好きにしちゃいけないなんて契約はあったかな?」

「屁理屈だな。その女は俺の所有物だ。人の物を好き勝手に出来る権利は誰にも与えられていない。契約にあえて盛り込む必要はない」

「契約になければ問題ない」

 優斗にとってライアンとの契約はこの程度のもの。ライアンの協力を軽視しているわけではない。自分がそれに縛られるのが嫌なのだ。

「試してみるか? お前は契約というものを甘くみているようだ。お前の世界での契約がどういうものかは知らん。だがこの世界で契約は絶対だ」

「でも人族は平気で破るじゃないか」

「だから試してみろと言っている。前にも言ったが、お前は魔力が強い。それは契約の影響を強く受ける事を意味する。ただ本当のところはどうなるかは俺は知らん。何事も起こらないかしれんし、存在が消え去るかもしれん」

「……止めておこう。こんなくだらない事でリスクを冒す必要はない」

 くだらない事。優斗にとってはそうであっても美理愛にとってはそうではなかった。その言葉が美理愛を更に傷つけている事に優斗は気付いていない。

「じゃあ、とっとと止めて。これに着替えろ」

 ライアンは持っていた服をベッドのほうに放り投げた。優斗がこれまで身につけていた物とは異なり、粗末な服だ。

「どうして?」

「偽装だ。お前たちの存在はしばらく隠しておきたい。だからお前達はここで死んだ事にする」

「そんな必要ないよ」

「必要だ。お前はパルスを滅ぼすんだろ? だったら力を蓄えるまでは存在を隠しておいたほうが良い」

 優斗が生きていて、しかも魔族と行動を共にしていると知れば、彼を殺すとした者たちは警戒心を持つ。魔族の掃討に動くかもしれない。
 今の時点でパルス王国と戦いになることをライアンは望んでない。

「……思ったより慎重なんだね?」

「契約履行の為だ。いきなり躓いたのでは戦いにもならん」

「分かったよ」

 ライアンが持ってきた服にその場で着替える優斗。着替えが終わると脱いだ服を美理愛に渡した。

「人の物を侍女のように使うな」

「うるさいな、君は。これくらい良いだろ?」

「契約とはそんないい加減なものではない。そんな事をしていると契約に足元を掬われるぞ」

「……分かったよ」

 不満そうな顔を見せてはいるが、優斗は自分の服を美理愛から引き取った。

「女。お前の着替えは隣の部屋だ。とっとと行って着替えて来い」

「はい」

「それと」

「……何ですか?」

「お前が持っているそれ、首輪だな?」

 ライアンに指摘されて美理愛は始めて気が付いた。自分が外した隷属の首輪を服のポケットに入れたままでいた事を。長い鉄の板であるそれはポケットから、少しはみ出ていた。

「そうです」

「何故そんな物を持っている?」

「つけられそうになったのです。パルスは私たちを奴隷にしようとしていました」

「……ふむ。人族の考えそうな事だ。それを防いだのか?」

「はい。外し方を教わっていましたので」

「ほう。隷属の首輪をはずせるのか……さては……まあ、それはいいか」

 隷属の首輪はそれを付けたものにしか外せない。この世界ではそれが常識。本来であればライアンはもっと驚くべきだろうが、彼にはすでに心当たりがある。
 隷属の首輪を外し、エルフの奴隷を助けた人物。ライアンは実際にそれを見たわけではないが、教えてくれる者がいた。

「首輪を外したことを知っている者は?」

「皆、死にました」

「殺しただろ? つまり付けられているのが自然なのか。お前それを付けられるのか?」

「それは……」

「別に自分に付けろとは言っていない。そんなものが無くてもお前は既に奴隷だ」

「……はい」

「他人に付けれるかと聞いている。他人といっても死体だがな」

「……出来ると思います」

 首に巻くだけであれば特別なことはない。実際は事前、もしくは事後に所有者の登録などがあるのだが、美理愛はそれを知らないのだ。

「では着替えたら一緒に来い。お前らの代わりの死体にそれを付けてもらう。分かったらとっとと着替えろ」

「はい」

 隣の部屋に向かう美理愛。少し嬉しそうだ。嬉しいと言う程ではないのかもしれないが、少なくともここにずっといるよりは気が楽なのだ。

「はあ、困ったな」

「何がだ?」

「ねえ、魔族に可愛い女の子はいないのかな?」

「……俺の配下にはいないな」

「じゃあ、どこかで探してきてくれないか。美理愛が駄目なら他の子が必要だろ?」

「魔王の最初の仕事が女漁りか? そんな事に部下は使えん。勝手にやってろ」

 呆れた様子で部屋を出て行くライアン。そんなライアンにもかまわず優斗はベッドに寝転んだまま、上を見ている。いつの間にか寝息を立てて。

 

「お待たせしました」

 部屋に用意されていた服に着替えて美理愛が部屋を出てきた。黒一色に染められたローブ。乱れた髪も整えられ、口にはうっすらと紅も塗られている。

「ああ、待った。誰も見る者などいない。見てくれを気にしていないでとっと済ませろ」

 だれが見ても美人と思うその姿にライアンは関心を示すどころか、手間をかけた事を叱責してくる。

「すみません」

「では、行くぞ」

「はい」

 廊下を外に向かって進むライアン。魔王と魔将の遺体がいつの間にかなくなっていた事に美理愛は気付いた。

「遺体は?」

「埋めた」

「どこにですか?」

「お前が知る必要はないだろう?」

 取りつく島のないライアンの受け答えにそれ以上、美理愛は声を掛ける事を止めた。
 来た時に通った謁見の間も通り過ぎ、真っ直ぐに外に向かう。そんなライアンと美理愛の前に突然、透き通った女性と見える形の何かが現れた。

「ライアン様」

「どうした?」

「ご報告に参りました。パルス軍の追撃は命の通り、兵がまとまり始めたところで停止しました」

「思ったより早かったな。将を討ち漏らしたか?」

「いえ。主だった将は全て討ち取ったはずです。兵をまとめたのは一般兵と思われる者です」

「……そうか。一般兵がな。そいつの素性を調べておけ。後々、上にくるかもしれん」

 混乱を収める力を持つ兵士。そういう存在は敵としては厄介な相手だ。好敵手を求めるライアンの場合は邪魔に思うことはないが。

「すでに貼り付けております」

「わかった」

「では」

「ちょっと待て」

 報告を終え立ち去ろうとする配下をライアンが引きとめた。

「まだ何か?」

「お前のこの後の予定は?」

「特に何も命は受けておりませんが?」

「……では悪いが子供の面倒を見てくれ」

「子供ですか? 子供はさすがに我等の範疇ではありません」

「性格がだ。自分の欲求しか考えない愚かなガキだ。下手な動きをされると面倒だからな。仕事に支障がない程度に相手をしてもらいたい」

「……わかりました。その子供はどこに?」

「魔王様の寝所だ」

「……よろしいのですか? そのような場所で」

「かまわん。寝所は寝所に過ぎん。そのような事で魔王様は……もうお怒りになる事もない」

「……わかりました」

 話をしていた魔族と思われる何かが目の前から消え去るのを見て、美理愛は驚いた。二人の会話の内容もよく分からない。子供と言われているのは優斗の事であるのは分かる。奥の寝室に今いるのは優斗しかいないはずだから。

「あの、今の方は?」

「配下の者だ」

「あの方も魔族なのですね?」

 魔族以外であるはずがない。分かっていても、そういう聞き方しか美理愛には出来なかった。同じ魔族でも姿形が随分と違う。今更ながらそれを不思議に思ったのだ。

「大きく言えばな。魔族といっても実際はいくつもの種族がいる。あれは淫魔族の者だ」

「淫魔族ですか……」

 淫魔族と言われても美理愛にはよく分からない。だがその呼称とさっきの会話を結びつけるとライアンが彼女に何を命じたかは分かった。

「丁度良いだろ? あれは女を抱きたいのではない。ただ精を発したいだけだ。相手は誰でも良いのだ」

「そんな事を配下に命じて良いのですか?」

「ではお前に命じようか?」

「…………」

 美理愛は言葉が出なかった。それは拒否の気持ちが自分にあるから。優斗を拒否する自分にまた少し驚いた。

「……冗談だ。淫魔族と呼ばれていてもあれにとっては行為に淫なものはない。ただ精を必要としているだけだ。種族を残すためにな。苦労せずにそれを得る事が出来るのだ。あれにとっても良い事だ。それにあれは嫌なら嫌とはっきり言う」

「そうですか」

 言っている事は理解しきれているわけではない。だがライアンの最後の言葉で納得する事にした。そうなると少し変な考えが美理愛の頭に浮かんでくる。

「あのままなのですか? 透き通ったあの姿のままで」

「……変な事に好奇心が湧くのだな?」

「すみません……」

「種を残す為だ。それに必要な能力はある。あれは見る者によって形を変える事が出来る。相手が最も望む異性の形にな」

「そんな能力が……」

「一度見せてもらったらどうだ? お前の理想の相手が見えるかもしれんぞ」

「理想の相手ですか……」

 美理愛が興味を引かれている様子を少し冷めた目でライアンは見ている。異世界人といっても人族というものは。ライアンの気持ちはそんな感じだ。
 魔族にとって見てくれはあまり意味がない。そういう魔族から見て、人族の外見へのこだわりは異常に感じられるのだ。

「真面目なだけの女ではなさそうだ。興味深々といった感じだな? だが冗談だ。止めておいた方が良い。想像しているのと違った姿が見えたら、それはそれで面倒な事になるぞ」

「……そうですね」

 優斗の姿以外が現れると思えない。そうは思っていても、そう思っていれば尚更、違う姿が見えたときの動揺は大きいだろう。
 では優斗以外に誰がいるのだ。それを考えた美理愛の頭に浮かんだのは、銀の髪を持つ年下の男。久しぶりに見たその男の子は見違えるくらい立派な大人の男になっていた。

「……あり得ないわ。絶対にあり得ない。あんな変態あり得ないから」

 全力で首を振って頭に浮かんだ姿を振り払おうとする美理愛。動揺しているのか声を発している事に気付いていない。

「何をしてるんだ、お前は?」

「……すみません」

「お前ヒューガという男とは親しいのか?」

「えっ……?」

 頭に思い浮かんだ男の名がライアンの口から出てきたことで美理愛は動揺している。

「……何をそんなに驚いている?」

「心を読めるのですか?」

 美理愛が思い付いたのはこれ。ライアンは自分の心を読んだ。日向の姿を思い浮かべた自分の心を。驚くと共に恥ずかしさが美理愛の胸に湧いてきた。

「何を言っているのだ? そんな真似が出来るはずないだろう?」

 ライアンには美理愛の問いの意味が分からない。

「そうですか……」

「……お前……もしかしてヒューガの事を考えていたのか?」

「そんなはずがありません! どうして私が子供のくせに変態な男の事なんて考えるのですか?」

 大声でライアンの指摘を否定する美理愛。まったく否定になっていない。

「……すごい表現だな。ヒューガという男はそんなに変態なのか?」

「ええ、変態ですわ。人を騙して変な事を聞き出そうとするのです。それだけではありませんわ。今考えても恥ずかしいような言葉を私に言わせようと……すみません」

 じっと自分を見つめているライアンに気付いて、美理愛は話を途中で止めた。うろたえている自分に気が付いたのだ。

「それがお前の本来の姿か?」

「いえ、少し取り乱しました。普段の私はもっと落ち着いているつもりです」

「そうか……それでヒューガの事だ」

「彼を知っているのですね? 彼が言っていた魔族の知り合いとは貴方なのですか?」

 美理愛は日向から魔族の知り合いがいると聞いている。それはライアンのことなのだと考えた。

「いや、違う。別の者だ。俺はそいつからヒューガという男の話を聞いた」

「そうですか。どんな話でしょうか?」

「……細かな内容は話せん。だが同じ異世界人でもお前等とは随分と違うようだな」

「そうですね。彼は誰に頼ることなく、自分の力でこの世界で生きています」

 ヒューガは自分たちと違う。彼の考えや行動は愚かなことだと美理愛は以前考えていたのだが、今の状況は美理愛たちこそが愚かだったことを証明した。

「何故、一緒にいなかった? ヒューガと一緒にいたほうが、お前らにとっては良かったと思うがな」

「私たちはこの世界の事も、彼の事も分かっていませんでしたから。そう思えるのは今だからです」

「なるほど。いきなり召喚された身で、何に頼ることなく知らない世界で生きようなんて考えるほうが異常か」

「はい。いえ、何も考えていなかった私達にも問題はあったのだと思います」

「今からでもヒューガの下へ行く気はないのか?」

「行けるのですか? ……いえ、それは出来ません」

 ヒューガであれば自分たちを助けてくれるかもしれない。そんな気持ちが美理愛の心に浮かんだが、直ぐにその思いをかき消した。美理愛にはそれが出来ない理由がある。

「何故だ?」

「優斗はそれを認めません。元の優斗であればまだ可能性はあったかもしれません。でも今の優斗では……彼を頼る事は優斗のプライドが許さないでしょう」

「なるほど。子供だな。何が大切かを何も分かっておらん」

 優斗は自分の感情を何よりも優先させている。ライアンには理解出来ない。

「でも優斗を戦いの場に引き戻そうとしたのは貴方です」

「俺ではない。望んだのは向こうだ」

「……そうですね。パルスを滅ぼすことなど本当に出来ると思っているのですか?」

 この問いを発する美理愛は出来るはずがないと考えている。これは美理愛が特別ではない。可能と思える人のほうがわずかだ。

「やって見なければ分からん。可能性はなくはない」

「どんな方法があるのです?」

「本当はそれをヒューガに相談したかったのだがな。お前がヒューガと親しければそれが出来たかもしれないと思った」

 ライアンは美理愛が思ったようなただの戦闘狂ではない。戦をする上での策の重要性を、そして自分がそれを考えるのを苦手としている事を理解している。魔族の戦略・戦術を担っていたケイオス無き今、他の者に策を聞きたい。そう思うだけの謙虚さを持ち合わせているのだ。

「彼はそんな方法を知りません」

「そうかな? 少なくともお前等はヒューガの策に散々に苦しめられた」

「彼の策にですか?」

「砦の策だ。あれの考案者はヒューガだぞ。もっともヒューガは……自分の居場所を守るために考えたようだがな」

 大森林という言葉をライアンは自分の居場所に変えた。大森林は魔族であるライアンにとって不可侵である場所。美理愛に、美理愛を通して優斗に余計な情報を与えて、それに関わる事になるのを避けたかった。
 当然、美理愛がヒューガと親しいとなれば話は別だったはずだが。

「まさか、あの策をですか?」

 魔族が使った砦を使った様々な罠。空っぽの砦に敵を引き入れて火をかけてみせ、そうかと思えば、次は砦に本当に兵を込めて隠しておき、無視して通り過ぎる敵を後ろから奇襲してみたり。とにかくことごとく相手の裏をかこうとする悪辣な策だった。
 それにパルス王国軍は翻弄され、多くの犠牲者を出した。

「そうだ」

「あの変態! 変態なだけではなく根性もねじ曲がっているのですね! よくもあんな悪魔の所業を思いつくものですわ!」

 あれを考えたのがヒューガだと思うと、美理愛はどうにも許せなくなった。考えて見れば、あの自分から恥ずかしい言葉を引き出した悪辣な話術と同じような手口だ。相手を惑わし、思うとおりに動かしていく。それに気付くとさらに怒りが湧いてくる。それが戦いの時に感じた味方を殺した事への怒りとは少し違っている事には気づかずに。

「今も取り乱しているのか?」

「……すみません。少し」

「お前、もしかしてヒューガという男に惹かれているのか?」

「そんなはずありません!」

「案外、欲張りな女だな。恐らくはタイプが全く違う二人だろう? ユートに関して、なんであんな男をと思う相手だがな」

 美理愛の否定を無視してライアンは話を続ける。
 優斗の話になれば、美理愛はただ腹を立てているだけではいられない。熱していた気持ちは一気に冷め、いつもの落ち着いた自分に戻った。

「……今の優斗は本来の優斗とは違います」

「まあ、そうなのだろう。だがタイプが違うのは確かだな」

「そうですね」

「そしてヒューガの事を話す時のお前も普段のお前とは違う。案外、そっちが本来のお前なのではないか?」

「それは……」

 ライアンの言葉の意味を美理愛は真面目に受け止めた。日向と最後に話した時の自分。今、日向について話している自分。ライアンの言うとおり、人目を気にせず思うままにふるまう自分がいるような気がする。自分が彼に惹かれている。そんな事があるのだろうか。彼とはほんの少ししか接していないのに。美理愛の中で日向に対する想いがわずかではあるが膨らんだ。

「いつか会う事もあるかもしれん。その時までに自分の気持ちをちゃんと考えておけ。お前が一緒にいたいのは、本当はどちらなのかを」

「……私は」

「……ふむ。明らかに動揺しているな。澄ました顔をしているが、お前は浮気性なのだな。この程度の話でヒューガを好きだなんて思い込んでしまうとは」

 その台詞で美理愛は気付いた。不機嫌そうな顔で真面目な話をしているライアンが実は自分をからかっていた事に。

「貴方という人は……私をからかっていたのですね?」

「やっと気付いたか。どうにもからかいがいのある女だな。ちょっと刺激するとコロコロと気持ちを変える。ふむ。どうやら良い物を貰ったな。しばらく退屈せずに済みそうだ」

「いい加減にしてください!」

「ワッハッハッ。お前、やっぱりこっちのほうが面白いぞ。澄ましているだけのお前は退屈だ」

「もう、日向くんも貴方も最低です!」

 そう言いながらも美理愛は気付いていた。ずっと暗く沈んでいた自分の心が幾分明るくなっている事を。もしかして、この魔族は自分を元気づける為にこんな事をしたのだろうか。それを聞こうと思ったが、それを言えばまた今度は自分に惚れたのかと言われそうで止めた。魔族の言うとおり、自分は本当に浮気性なのではないかと不安に思いながら。