グランフラム王国とメリカ王国の戦いは、結果としてグランフラム王国側の勝利で終わった。王都攻略を目指して、侵攻してきたメリカ王国側が、その目的を果たすことが出来なかった、というだけでなく、勝敗がはっきりと分かるほどの損害をグランフラム王国は、メリカ王国の侵攻軍に与えていた。
指揮官であるオリビア王女が居た本営が陥落した事で、指揮命令系統は崩壊。メリカ王国軍は、その混乱から立ち直れないままに、グランフラム王国軍からの攻撃を受ける事になった。待機していた迎撃軍と、魔人討伐軍を含む増援部隊による攻撃だ。
統制が取れているグランフラム王国側と、個々に戦っているだけのメリカ王国とでは、まともな戦いにならず、メリカ王国軍は自国を目指して撤退するしかなくなった。その撤退戦においても、散々に追撃を受けたメリカ王国側は、グランフラム国王が望んだ通り、甚大の被害を被る事になったのだ。
但し、これは迎撃軍の半分が全滅していないという前提での話であり、グランフラム王国は、その半数の安否を未だに掴めていなかった。
「……何故、見つからない?」
諜報部からの報告を受けた後も国王は、まったく納得していない。
「捜索は続けております。ですが、すでにメリカ王国軍の大半は自国に逃げ去っており、その状況で見つからないとなれば……」
南東部での戦いは、ほぼ収束している。そうでありながら、メリカ王国の後背に回ったはずの部隊の行方が分かっていなかった。それを諜報部は、メリカ王国に討ち取られた可能性が高いと報告してきた。
「では、遺体も見つからないのはどうしてだ?」
「捕虜にされた可能性はあります」
「万の軍勢が全て捕虜になったと言うのか?」
「それは……」
そんな状況は考えられない。仮にそうであったとしても、メリカ王国側が何か伝えてくるはずだ。負けた側のメリカ王国の損失は大きい。今は、逆にグランフラム王国の侵攻に怯える立場になっているはずだ。万の捕虜を手にしているのであれば、侵攻を防ぐ為の交渉材料として利用しないはずがない。
「諜報部は何をしているのだ!?」
戦いには勝った。だが、この所、ずっと国王の機嫌は最悪といえる状態だ。たかが迎撃戦で、リオンを失ってしまった事を国王は嘆いていた。国王としても、父親としてもだ。
国王にとって、何より辛いのは、悲しみに狂いそうになっている王妃を慰める術を持たない事だ。二度と会えないと思っていた我が子に会えた。その喜びが大きかった分、もう一度失ってしまった事への王妃の悲しみはとてつもなく深かった。
「……全力で情報収集に努めております。ただ今回の件で、諜報部もかなりの人的被害を受けておりまして」
迎撃戦での情報網を担っていた諜報部門の者たちも又、その多くの安否が不明になっている。
「ではお前は何故、ここに居る?」
「はっ?」
「人が足りないのであれば、お前が動け! そもそも、何故、お前は無事なのだ!?」
報告をしているのは、諜報部のトップであるジェイムだ。リオンの側に居たはずのジェイムが、何故、王都に戻って来れたのか。
「それはご説明致しました。各部隊との連絡が途絶えた為に、部下を率いて、確認に動きました。その間にメリカ王国が」
リオンたちの居た指揮所を襲った。運良く、その場に居なかったジェイムは襲撃に巻き込まれる事なく王都に戻ることが出来た。これが理由だ。
この事を、もう何度もジェイムは国王に説明している。国王のジェイムに対する態度は、八つ当たりのようなものだ。
「……メリカ王国を攻める。急ぎ、軍を編成しろ」
国王の視線が王国騎士兵団長に向いた。
「それは……」
「聞こえなかったのか!? すぐに軍を率いて、メリカ王国を滅ぼせ!」
「それは無理というものですな」
怒気を発している国王に向かって、平気でこのような言葉を発することが出来るのは、近衛騎士団長しかいない。
「……国王命令だ」
相手が近衛騎士団長とあって、国王もやや感情を押さえている。だからといって、すぐに命令を覆すつもりはないようだ。
「そうであったとしても、無理なものは無理と申すのが臣下の役目」
「何故、無理なのだ? 多くの敵を討ち取ったと報告を受けている」
「こちらも一万近くの兵が行方不明です。そして何より、まだ魔人討伐は終わっておりません。他国へ侵攻する余裕はありませんな」
魔人討伐を続けながら、メリカ王国への侵攻を行う。これが出来るようであれば、メリカ王国はそもそも攻め込んでこない。今回は勝った。だが、これで圧倒的な戦力差が生まれた訳ではないのだ。
「……攻められっぱなしで我慢しろと言うのか?」
「まさか。代償はきっちりと払ってもらうべきですな。ただ、それは軍事ではなく、外交によって奪うものです」
「それでは敵を討った事にならん」
「国と国の戦争で、敵討ちなど考えていたら、敵を根絶やしにするまで終わりませんな」
「そうではない!」
国王はリオンの敵討ちをしたいのだ。それが分からない近衛騎士団長ではない。分かっていて、惚けているのだ。そもそも近衛騎士団長は、リオンが死んだとは思っていない。
「仮に戦うにしても、まずは状況を整理してはいかがですかな?」
「状況の整理だと?」
「万に近い軍勢が行方不明。仮にそれが無事で居るとすれば何処に居ると思われますか?」
「……何だと?」
探せと言っておきながら、国王は多くが討たれたものだと思っていた。だが近衛騎士団長の言葉は、無事に存在している可能性を示している。
「万の軍勢が、探して見つからないなどという事があるでしょうか? それが全て死体になっているとなれば尚更です」
「では何処に居るのだ?」
「我が国を探して見つからないのであれば、残るは一か所しかありません。場所というには、少々広いですが」
「……メリカ王国内に居ると」
「可能性はなくはありません」
「……何を知っている?」
近衛騎士団長がこのような事を言い出すからには、何か根拠がある。当てずっぽうを口にする性格ではない事を、国王はよく知っている。
「バンドゥ領に兵がおりませぬ。フレイ子爵夫人も、随分と前から領地を離れているようですな。今の事態を伝えようとバンドゥ領に送った者が戻ってきて、そう報告しております」
「……どういう事だ?」
この情報だけでは、国王にはピンとこなかった。バンドゥ領軍が動いたのは分かるが、それと軍勢がメリカ王国に居るという事が結びつかないのだ。
「バンドゥ領軍も、国内では見つかっておりませんぬ。他領に入った形跡もない。彼らはどこに消えたのですかな?」
「……焦らさないではっきりと言え。そういう物言いはお前の悪い癖だ」
こんな言い方が出来る程度に、国王の気持ちは落ち着いてきている。何となく、状況が分かってきたのだ。
「少しは考えてもらいたいものですな。他領に入った形跡もないのに、自領から消えた。それが出来る方法は一つしかありません。国境を超えたのですな。では何故、国境を超える必要があったのか」
「だから、自分で話せ」
「……全く。予め申し上げておきますが、ここからは何の確証もない話です」
「構わん」
「当たり前ですが、バンドゥ領軍は領主であるリオンの命がなければ動きませぬ。国境を超えたとすれば、それはリオンの命令があったからとなります。これにより分かることが一つあります。リオンは今の事態を予測していたという事です」
近衛騎士団長の説明に、周囲がざわつき始める。純粋に驚きを表している者がほとんどの中で、何人かが、顔を青ざめさせていた。近衛騎士団長はさりげなく、そういった反応を確かめている。
「何故、そう思えるのだ?」
「一番は、今回の戦いにエアリエル嬢が同行しなかった事。危険だからなどという理由は、あの二人にはあり得ませんな」
これまでの戦い全てにエアリエルは同行し、実際に戦場に立っている。リオンの今回の任務は特殊ではあるが、それで同行を止めるとは近衛騎士団長には思えない。リオンもエアリエルも死を恐れるどころか、受け入れている雰囲気がある。近衛騎士団長はずっとそう感じていた。
「最初から、バンドゥ領軍を率いさせるつもりだったのか」
「軍を率いているかは分かりませぬ。ですがバンドゥ領軍と共に戦場に出るつもりだったのでしょうな」
「……しかし、バンドゥ領軍の主力は魔人討伐に出ていた。わずかな、それも予備隊のような部隊を率いて何が出来るのだ?」
「残っていた領軍が予備隊かは微妙ですな。情報では、近衛兵団と名乗っているそうです」
「リオンの近衛という事か……」
リオンの直率部隊というだけで、余程の部隊なのだと国王は考えてしまう。
「実力の程は分かりませんぬ。ただ、わずかなというのも、どうかと思います。バンドゥの国境の先にはどの国がありますかな?」
「まさか、オクス王国とハシウ王国が協力していると?」
これは少し問題だ。同盟とは名ばかりの臣従国が、いくら敵国相手とはいえ、勝手に軍を動かすなど見過ごして良い事ではない。
「先ほど申し上げた通り、この話は憶測に過ぎませぬ。ただ、リオンの為であれば、エアリエル嬢は、メリカ王国でさえ、動かしてしまいそうですな」
近衛騎士団長はわざと冗談めかして、話をした。オクスとハシウの話を問題にしない為だ。
「あの夫婦仲だからな」
国王もそれが分かって、近衛騎士団長の話に合わせてきた。
「すぐにメリカ王国に部下を向かわせます」
ここでジェイムが口を挟んできた。近衛騎士団長の話の裏を取るには必要な事ではある。
「今更だな。もし、リオンが軍を率いてメリカ王国で戦っているとしても、それは本気で侵攻を考えている訳ではない。あくまでも逃げ道を求めての事であろう」
「そうであれば尚更、所在を掴んで、救援の軍を送るべきではありませんか?」
「その救援の軍も向かっている。どのような戦いをしているか分からんが、あの男であれば無駄な戦いなどしないであろう。そうであれば、もうオクス王国の国境に辿り着いてもおかしくない頃だ。下手に動くよりは、連絡を持っていた方が良い」
「……承知しました」
不満そうな表情ながら、ジェイムは了承を口にした。近衛騎士団長の言う通りだとすれば、確かに手遅れだと分かったからだ。
「今は近衛騎士団長の考え通りである事を願うしかないか。そうなると外交交渉も出来る状態ではないな。宰相、戦場となった領地の戦後復興の話に移ろう」
「はっ。では、今回の……」
国王の雰囲気は、つい先程までとは違って、随分と柔らかなものになっている。近衛騎士団長の話を事実であると信じているのだ。それは間違いではない。実際にリオンはメリカ王国で戦っている。だが、近衛騎士団長はまだ全てを話した訳ではない。
この場では話せない話がまだ残っていた。それを聞けば、又、国王の気分は悪くなる話を。
◆◆◆
メリカ王国侵攻軍の本営軍。それは決して数が多いわけではなかった。あくまでも、総指揮官であるオリビア王女の護衛部隊であったからだ。
そうであった事がメリカ王国の不運。リオン率いるグランフラム軍九千によって、砦から叩きだされただけでは済まずに、散々に追い立てられて自国内を逃げまわる事になった。
だが、それもしばらくの事。
何といっても逃げまわっていたのは自国領内だ。その事態を知った周辺の貴族軍や、国軍の駐屯部隊が、続々と戦場に集まってきて、やがて数で圧倒するようになった。
そこからは立場は逆になる。グランフラム王国側が逃げまわる事になった、はずなのだが、事態はメリカ王国側の望むようには進んでいない。
「攻め立てろ! 今度こそ逃がすな!」
オリビア王女の激が戦場に響いている。グランフラム王国軍は後退を続けてはいるが、逃げ回っているとは程遠い状況で、実に統制が取れた動きをしている。
後退を続けながらも、隙を見つけては、激しく攻め立ててくる。メリカ王国軍が貴族領軍との混成軍であり、今ひとつ動きに纏まりがないとはいえ、その対応は実に見事なものだった。
「魔法部隊! 敵前衛を叩け!」
オリビア王女の号令を受けて、魔法部隊の魔法士たちが一斉に詠唱を開始した。そこに、グランフラム王国側からの、魔法が襲い掛かってくる。
決して数は多いわけではないが、詠唱中で無防備となっているところへの攻撃だ。何人かの魔法士が直撃を受けて、その場に倒れた。
「……又だ。どうなっている!?」
何度も同じ状況が続いている。魔法攻撃を行おうと魔法部隊を前に出すと、常に先手を打たれるのだ。数は圧倒的にメリカ王国側が多い。だが、確実にその差は縮まっているように、オリビア王女は感じている。自軍の魔法の勢いが減っている一方で、敵の魔法の数に一向に減る気配がないのだ。
攻撃を受けなかった魔法士から攻撃魔法が放たれる。だが、そのほとんどは敵に届く前に撃ち落とされた。そうでない魔法も敵にダメージを与えた様子はない。
魔法攻撃は絶対ではない。種類にもよるが中級魔法程度の威力であれば、騎士が持つ盾で防ぐ事も可能なのだ。では上級魔法を使えばとなるが、そうなると魔力の消費量が多くなり、数が討てない。絶対に敵に命中させる事が出来て、更に、有効なダメージを与えられるという機会でなければ使えないのだ。
これが個人戦では絶対的に優位である魔法が、戦争ではそれほどでもない理由の一つだ。
「一旦、前線を下げろ! 急げ!」
それでもオリビア王女は上級魔法を使うことを選択した。ここでグランフラム王国軍を逃がすわけにはいかないのだ。これまでの戦いは、オリビア王女にとって、経験した事のない屈辱の連続だった。敵に背中を向けて逃げまわる事など、これまで一度もなかったのだ。
ただ、これはまだ自軍の数が少なかったという事で言い訳が出来る。だが、その数が敵を上回る今となっても、状況に大差はない。さすがに自身が逃げまわる事はなくなったが、隙を見せた自軍の部隊が敵に追い立てられている姿を見せられると、怒りに体が震えてしまう。
「……敵を討て! アクアストーム!」
詠唱が終わり、宙に竜巻のような渦を巻く水属性魔法が出現した。それが大きくうねりながら、グランフラム王国軍に向かっていく。その魔法に巻き込まれ、多くの兵が宙に舞う、はずなのだが、グランフラム王国軍の前衛に届く前に、それは、たった一人の男によって、防がれる事になる。手の平で握り潰すような仕草をするだけで。
「……何なのだ。何者なのだ!? あの男は!?」
メリカ王国の苦戦は、この男一人のせいと言っても過言ではない。グランフラム王国軍の指揮官であり、驚くような魔法の使い手であるこの男によって、メリカ王国の攻撃は尽く防がれているのだ。
「リオン・フレイ。噂には聞いておりましたが、まさかここまでとは思いませんでした。見事なものです」
オリビア王女の近衛騎士であるユーリ・スチュワートが素直に感心している。
「……魔物とは思っていた以上の強敵という事なのですか?」
そんなユーリの様子に、オリビア王女も少し気持ちを落ち着かせたようだ。言葉遣いの変化がそれを示している。ユーリの狙い通りという所だ。
「それは分かりません。ただ、グランフラムに英雄が現れたという噂はそれほど誇張されたものではなかったようです」
リオンの噂はメリカ王国にも届いていた。グランフラム王国内で広がれば、それはメリカ王国の耳に入る。敵国の情報収集をメリカ王国は欠かしていない。だからこそ、今回の侵攻が成功すると考えたのだ。
誤算はリオンの力を見誤った事と、それ以前に、地方領主であるリオンが迎撃軍を指揮する立場になるとは思っていなかった事だ。
「これで逃せば、本物の英雄になってしまう。それを許すわけにはいきません」
「はい。分かっております。ただ焦りは禁物です。ここは確実に、リオン・フレイを討つことを優先させましょう」
「そうですね。奥の手は隠しておきたかったけど」
「一人残らず討ち果たせば、隠したままで済みます。では、相手方に伝令を送ります。予定の位置で後方を塞げば、逃げ道はない。リオン・フレイどころか、侵攻してきた全軍を討ち取れます」
「ええ。そうなる事を願います」
メリカ王国は隠しておいた奥の手を使う事を決断した。だが、彼らは分かっていない。それが奥の手ではなくなっている事を。リオンも又、奥の手を隠し持っている事を。