アーノルド王太子たちは、魔人討伐軍本隊より、少し先行して王都に戻っていた。今回は凱旋式などなし。速やかに王都に入城するようにとの指示を受けての事だ。
実際に王都に入っても、勝利を祝う雰囲気はない。それどころか、どこか張り詰めた雰囲気が王都には漂っていた。その原因は、魔人討伐とは関係ないはずの騎士や兵士が、盛んに王都を出入りしているからだ。
それは新たなる戦いの気配を王都の住民たちに感じさせるものだった。
王都に入って、すぐにアーノルド王太子たちもそれを感じた。自分たちの知らない何かが起こっている。そう考えて大急ぎで城に入って見れば、城内の緊迫感は住民たちから感じたそれの比ではなかった。
魔人討伐の戦果を称える言葉を受ける事もなく、国王が居ると教えられた部屋に向かう。やや緊張して、部屋の扉を開けた途端に、アーノルド王太子たちは目の前に広がる異様な光景に、その場から動けなくなってしまった。
部屋の真ん中には、かなり大きなテーブルが置かれているが、その広いテーブルさえ埋め尽くすほどの様々な地図や資料が広げられている。広げられているのはテーブルの上だけではない。壁一面にも大きな紙、地図が貼られていて、様々な文字や記号がそこには記されていた。
その前で何やら難しい顔をしている国王。その場に居るのは国王だけではない。近衛騎士団長、王国騎士兵団の副団長、それ以外にも多くの武官が居並んでいた。
そして誰よりもアーノルド王太子たちを驚かせたのは、王国の軍部の重鎮たちのすぐ横で、椅子の背に頭を預けて、居眠りしているリオンの姿だ。
一体、何が起こっているか、アーノルド王太子たちにはさっぱり分からない。
「邪魔だわ」
不意に背中から聞こえた声。聞き覚えのある、その声に振り返ってみれば、お盆を持ったエアリエルが立っていた。
「……エアリエル?」
アーノルド王太子は益々状況が分からなくなる。
「通り道を空けてくださる?」
「あ、ああ」
アーノルド王太子たちが、退いた間を通り抜けて、エアリエルは部屋に入る。そのままリオンのところに行って、お盆をテーブルの上に置くと、ニッコリと微笑んでリオンの鼻をつまんだ。
「……んっ? んんっ?」
すぐに起き上がったリオンは、鼻をつままれたまま、エアリエルに視線を向けている。
「あっ、口を塞ぐのを忘れたわ」
エアリエルの表情は実に楽しそうだ。
「……口を塞がれたら、窒息するから」
「おはよう、リオン。お茶を入れてきたわ」
リオンの文句を軽く流して、エアリエルは入れてきたお茶をリオンに差し出す。
「ありがとう。おはようって、俺そんなに寝てた?」
「いえ、半刻も寝てないわ」
「……おやすみ」
またリオンは、椅子の背に頭を預ける姿勢になった。
「もう、寝させてもらえないと思うわ」
「えっ?」
「王太子殿下たちが戻ってきているもの」
「……あっ、そう」
扉の所にアーノルド王太子たちが固まっているのを見て、リオンは椅子に座り直した。だからといって、アーノルド王太子たちに声をかけるわけでもない。エアリエルが持ってきたお茶を飲んでいるだけだ。
「おお、戻ったか。そんな所に立っていないで、中に入れ」
代わりに声を掛けたのは国王だ。アーノルド王太子たちに中に入ってくるように言うと、自らは大テーブルの奥の席につく。リオンのすぐ近くだ。
「……俺の分は?」
「それは侍女に頼んだら如何ですか? エアリエルは俺の妻であって、侍女ではありません」
「そうだが、その……いや、それもそうだな」
その妻のお茶を飲みたいのだと、国王は危うく口にするところだった。目頭を押さえて、軽く揉むような仕草を見せる。国王も又、疲れているのだ。
「皆さんの分も入れてきますわ。ただ、一人では出来ませんので、侍女を使うお許しを頂けますか?」
「おお、そうしてくれるか」
エアリエルの提案を聞いて国王の表情に笑みが浮かぶ。そのまま嬉しそうにエアリエルが部屋を出て行くのを眺めている。
「気の回る良い妻だな」
「臣下の奥さんに手を出すような王はろくな終わり方をしなかったと記憶しています」
真実を知らないリオンは、エアリエルへの褒め言葉をこんな風にとらえてしまう。そんな事に関係なく、こんな風に思うのはリオンくらいだろうが。
「お前な……」
「まずは話を聞いたほうが良いのではないですか?」
「……それもそうだな」
国王の視線がリオンの先に並んで座っているアーノルド王太子たちに向いた。
「まずは討伐任務、ご苦労だった」
「ありがとうございます」
「さて……何から聞けば良いのだ?」
すぐに国王はリオンに向く事になる。この場の中心がリオンである事がこれでアーノルド王太子たちには分かった。
「……事実確認を」
「面倒だから、お前が聞け」
「はあ……」
わざとらしい溜息をついて、リオンはアーノルド王太子たちの方に体を向けた。その瞳は、一番遠くに座っているマリアを見ている。
「マリア・セオドール殿」
「あっ、はい」
「一つ教えて欲しい事があります。これは貴女にしか分からない事です」
「何かな?」
「メリカ王国が攻めてくるのはいつですか?」
「……えっ?」
まさかの問いに、マリアは驚きに大きく目を見開いている。リオンが求めていたのはこの反応だ。
「やはりご存知でしたか。さすがは勇者です。それで、いつですか?」
知っているという前提でリオンは話を進める。
「……どうして知っているの?」
これも又、求めていた答え。この言葉を口にしてしまえば、もう知らないとマリアは言えない。不意打ちを狙った結果は満足出来るものだ。
「メリカ王国との国境どころか、南部のかなりの部分で防衛線が乱れています。王都の守りも薄い。他国がそこを突いてくる可能性を考えるのは当たり前の事だと思いますが?」
「でも……」
メリカ王国の奇襲によって王都は落ちるはずなのだ。攻めてくる事を知っていて、どうしてそういう結果になるのかマリアには不思議だった。
「さて、勇者の知恵のおかげで懸念が事実であると分かりました。そうなれば、我々は対策を取らなければなりません。そこで次の質問です。どうやって防ぐのですか?」
「えっ?」
「貴女が王都の危機を救ってくれるのですよね?」
「…………」
マリアは王都陥落後の住民たちを救うのだ。リオンの質問には答えられない。
「……あれ? もしかして?」
マリアの反応で、リオンは王都陥落が冗談で済まない事が分かった。そして、マリアの悪意も。王都が落とされる事を知って黙っていたのだとすれば、それはもう罪に問われてもおかしくない。
「わ、私も相談したかったの!」
マリアのほうは、そう思われては不味いと、咄嗟に適当な事を言い出した。
「相談?」
「……王都が攻められるのは、私たちが新たな魔人討伐に出ている間なの。魔人討伐と王都の守りを二つ同時になんて出来ないから、どうすれば良いかと思って」
とりあえずは、話すのが遅れただけという体で話を始めるマリア。
リオンにとってはどうでも良い事だ。この時点で主人公のマリアを罪に落とそうとしても無駄だとリオンは考えている。
「そうですか。では魔人討伐を代わりましょうか?」
「えっ?」
「その方が楽、あっ、いや、やはり勇者に守ってもらうほうが王都の人たちも安心だと思います」
「……この先の魔人討伐は大変なの」
魔人討伐を軽く見られては、自分の価値が下がる事になる。マリアとしてはリオンの言葉は聞き流せない。
「はい。そうだと思います。でも、人を相手にするよりはマシです」
「どうしてそう思うの?」
「手段を選ぶ必要がない。例えば、犠牲者さえ出さなければ、魔物ごと街一つ丸焼きにしても酷く言われないですよね? これが人相手だと敵でも大虐殺です」
「…………」
返ってきた答えにマリアは何も言えなくなってしまう。とんでもない事をさらりと口にしたリオン。そんなリオンをマリアは、出会ってから初めて恐ろしいと感じた。
「それに魔人討伐であれば貴女から助言ももらえます。それであれば、私でも出来るかもしれません」
「貴方には……」
続く言葉が見つからなかった。魔法が使えないは通じない。属性もそうだ。マリアの水属性はリオンも使える。では、切り札の魔法の融合ではとなるが、それを話すことをマリアは躊躇っている。方法を知れば、リオンにも出来てしまう可能性が高いからだ。
そうなっては完全に自分の価値を認められなくなってしまう。ゲームとは関係なく王妃の座を狙うにしても、そうだからこそ、人々の人気が必要だとマリアは考えている。
簒奪者として、歴史に悪名を記すなど、プライドの高いマリアには我慢できない。
「勇者には申し訳ないが、国王である俺としては、フレイ子爵に王都の守りを考えて欲しいのだがな」
マリアの助けは意外な所から現れた。
「……すでに考えました。それは不合格となったはずです」
リオンが居眠りしていたのは、これが原因だ。
メリカ王国の侵攻の可能性を知った国王は、すぐに領地からリオンを呼び出した。詳しい内容を聞く為だけではない。その対策も考えさせる為だ。
大テーブルに並んでいる資料や地図はその為の物。王国南東部の様々な情報を記したものだ。リオンはその情報を片っ端から頭に詰め込まれ、防衛策を考えさせられていた。
しかも、メリカ王国はいつ侵攻してくるか分からない。それは明日かもしれないのだ。ほとんど寝る暇も許されない激務を、この数日、リオンは強いられていたのだ。
「防衛線を整えなおして、それを行った事をメリカ王国に分からせろ。これが作戦か?」
そして、リオンの最終案がこれ。国王はそれを受け入れていない。
「立派な作戦です。我が国に隙がないと分かれば、メリカ王国は侵攻してきません。それで戦争は回避出来る」
「一時的にだ。メリカ王国の野心は消えん」
「ずっと隙を見せなければ、野心だけで終わります」
「そうではなくて、そんな野心を二度と持てないように思い知らせる必要があると言っている」
「その為に無駄にリスクを負うことはないと思います」
「国王の命令だ!」
「主が誤っていれば、それを正すのが臣下の役目です!」
こんなやり取りがアーノルド王太子たちが現れる前から何度も行われていたのだ。国王はメリカ王国が侵攻してくる事を逆に利用して、徹底的に叩こうと考えている。他国へ侵攻するというのは、かなりのリスクだ。深入りしたところで、敗戦なんて事態になれば被害は甚大になる。
国王はメリカ王国にその被害を与えたい。こんな風に考えてしまうのはリオンであれば、それが出来るのではないかという期待があるからだ。
その国王の期待にリオンは応えるつもりはない。そもそも王都に居ることさえ嫌なのだ。領政はかなり順調にいっている。だからこそ、領地を離れたくなかった。もう一つ、二つ、何かを乗り越えられれば、バンドゥの経営は一気に軌道にのる。リオンは、そんな手応えを感じている。
国王の要求はそれを邪魔するものとしかリオンには思えない。叶うものなら攻めるメリカ王国側に立ちたいくらいのリオンなのだ。
「お茶の用意が出来ましたわ。少し休憩を取られては如何ですか?」
エアリエルの声が、国王とリオンの間の不穏な空気を一気に和らげる。国王側の一方的な感情だが。
「ふむ。それが良いな」
「では、皆さんにお茶をお配りして」
「はい!」
エアリエルの指示を受けて、侍女たちが持ってきたお茶を各人の前に置いていく。お茶だけでない。どこから調達したのか、お茶菓子も一緒だ。
やがて会議室にお茶の香りが広がり、それが人々の心を落ち着かせる。良い気分転換の時間になるだろう。
「……良い妻だな」
「ですから、エアリエルは誰にも渡しませんから」
「分かっている。俺は良い夫婦だと言っているのだ」
「……まあ」
◆◆◆
マリアにとって、まさかの状況だ。王都陥落のイベントを利用して、邪魔者を消そうと企んでいたところで、その邪魔者の中でも一番のリオンが、正に邪魔をしようとしているのだ。
王都陥落に巻き込もうとしていたリオンが、何もしなくても王都に来ていたという事実を良いほうに捉えようと考えたマリアだったが、それをしても気持ちが楽になる事はなかった。
メリカ王国の侵攻への対策に、既にあれだけ動き出しているのだ。とても王都が落ちるとは思えなかった。
王都陥落が実現しないとなれば、マリアが考えていたシナリオは大きく崩れる。企みだけでなく、ゲームストーリーさえ、どうなるか分からなくなるのだ。
そんな事はあり得ないと否定してみても、不安はどんどんと膨らむばかり。これまではゲームの進行に沿って、行動するだけのマリアだったが、今回はそれでは駄目だと、遂に自分の考えで動き出すことにした。
リオンの完全なる排除、その為の行動を。
「彼は危険な存在よ」
ランスロットと二人きりになった所で、マリアはこれを告げた。
今、マリアが働きかけられるのは、ランスロットとエルウィンしかいない。学院在籍中に、かき集めた仲間のほとんどは、近衛騎士兵団の軍勢を率いて戦う事になった時点で、ほぼ関係を絶っている。個人の武勇に優れる仲間は、もう不要と考えたのだ。王妃しか頭になかったので、身分の低い者の相手をするのが面倒になったというのが実際のところだが。
アーノルド王太子の事も含めて、色々と思うように進まなくなっている今となっては、マリアも後悔しているのだが、それは又、別の対応を考えるとして、今、利用出来る相手で現状を何とかするしかない。
「そうかもしれないが、今は、その力を利用するべきではないか?」
ランスロットの返事はマリアの望むものではなかった。
マリアとランスロットには、リオンに対する考え方の違いがある。それは立場の違いが生み出していた。ランスロットは王国の侯家の人間であり、グランフラム王国に対する忠誠心を持っている。リオンに王国の危機を救う力があるのであれば、それを利用するべきと考えているのだ。
マリアはそうではない。自分が王妃になれれば良いのであって、その国がグランフラム王国である必要はないのだ。目的の邪魔になるのであれば、滅んでもらった方が良く、事が終わったあかつきには、実際に、そうしたいと考えている。
その最大の障害がリオンだとマリアは考えている。リオンも、自分と似た思いを抱いている事も知らずに。
「それは駄目よ」
「何故だ? 魔人討伐と、王都防衛の両方を行うことは出来ない。代わりをしてもらう者は必要だ」
「彼に任せていては未来が変わってしまうのよ。その未来は、魔神が支配する世界になるわよ?」
「何だと?」
ランスロットをその気にさせる理由として、マリアが考えたのがこれだ。実際、ゲームストーリーは崩壊しかけている。嘘をついているつもりは、マリアにはない。
「魔人討伐の方法は全て私の頭の中に入っているの。その知識通りに進めていけば、必ず魔人討伐はうまく行くのよ。でも、彼はいつも私が考えている事と別の事をしてしまう。それでは、魔人討伐は失敗して、魔神が復活してしまうわ」
「……絶対に失敗するのか? あの男は、とくに知識がなくても二度の討伐を成功させている。あの男に出来るのであれば、俺たちにだって出来るはずだ」
マリアの言う通り。実はランスロットはこれに納得していなかった。それではマリアさえ居れば、他は誰でも良い事になってしまう。それはランスロットのプライドが許さなかった。
「彼の討伐は決して成功ではないの。それどころか、敵を強くする結果になっているわ」
「そうなのか?」
「そうよ。実は私、少し疑っているの。彼は魔神復活の為に行動をしているのではないかって」
「何だと!?」
マリアは、リオンが魔人ではないかと言っている。ランスロットは思ってもいなかった事実に驚愕している。当たり前だが、事実ではない。魔人に関してマリアの話す内容は、全て正しいとランスロットが思い込んでいるだけだ。
「確証はないわよ。でも、万が一、そうであったら大変な事になるわね」
「……しかし、証拠がなければ」
驚いてはいるが、ランスロットの反応は鈍い。今のリオンは嘗てのリオンではない。国王に防衛計画を任されるほどの信頼を受けている。ヴィンセントの件もあり、下手な告発をしては、ランスロットの方が罪を問われる可能性だってあるのだ。
「そもそも貧民街の孤児が、侯家に仕える事になったのが不自然じゃない?」
「それだけでは」
マリアの話には魔人との繋がりは何もない。
「オッドアイであるのに魔法が使えるのも異常よ。きっと魔神の力を借りているのよ」
「そうだという証拠がない」
魔神という存在は未知のものだ。リオンの力を調べる事には、魔道士団あたりは大喜びするだろうが、それで魔神との結びつきが証明されるとは思えない。
「……ランスロットは私の言うことを信じてくれないの?」
自分の話を全て否定するランスロットにマリアは焦れてきた。説得出来る話を出来ていない自分が悪いとは思わないのだ。
「俺は信じている。ただ証拠がなければ他の人が信じてくれない。それでは罪には問えない」
「相手は魔人よ。罪を問う必要なんてないじゃない。討伐すれば良いのよ。そうすれば、魔人であった事が明らかになるわ」
マリアの言っていることは魔女狩りと同じだ。死ぬような拷問にかけて、生きていればやはり魔女だとして処刑。無罪が証明された時には死んでいる。殺す為の口実であって、実際に魔女かどうかなど関係ない。
「しかし……」
「ランスロット。私は貴方との未来を守りたいの。私たち二人が一緒なら、きっとこの世界を今よりも良く出来ると信じてるの」
「マリア……」
結局、最後は色仕掛けという事になる。方法としては正しい。主人公であるマリアの最大の武器は攻略能力、男を落す力なのだから。これは後半パートになったからといって、失ったわけではない。
マリアは、自分が思い描く未来の為にこの能力を駆使していく。攻略の為ではなく、謀略の為に。
そんな勇者が、どの物語に描かれているというのか。