マーキュリーとソルの決戦の日、と言うには少々大袈裟過ぎた。決着はあっという間についてしまったからだ。マーキュリーは、バンドゥの若手の中では一、二を争う使い手だが、如何せん相手が悪すぎた。
ソルは王国騎士の精鋭である近衛騎士の中で、いずれは最強の称号を得るであろうと言われている剣士だ。マーキュリーが敵う相手ではない。
勿論、今の段階で、と限定した話だ。マーキュリーがこの先、剣の腕を磨いていけば、互角かそれ以上になる可能性だって十分にある。なんといっても、マーキュリーの父であるキールや他のバンドゥ党首は、現時点でソルより強いのだから。
二人の差は、元地方豪族の者として日常で剣を学んできた者と、戦闘や戦争といった非日常を想定して鍛えてきた者の違いだ。簡単に言えば軍人と、そうでない者の違い。マーキュリーたちには、まだ甘いところが残っているという事だ。
「おい?」
マーキュリーとの戦いを終えた、ソルがリオンに声を掛けた。
「ん? 何だ?」
「何だ、ではない。忙しいのは分かるが、部下の立ち合いくらいは、きちんと見ていたらどうだ?」
立ち合いの場には出て来たものの、リオンはずっと手に持った書状を熱心に読んでいた。ソルはそれを咎めているのだ。
「俺だって、少しは上達して見る目は出来てきた。戦う前から結果は分かっている」
「そうであったとしても、部下の戦いぶりを見るのが主の責任ではないのか?」
「今回の目的はマーキュリーの戦いぶりを見る事じゃない。マーキュリーに、他の者たちにも、バンドゥの外にある現実を教える為だ」
キールたちのように、大人になってから王国の力を思い知って動揺しないように。知った上で、それでもマーキュリーたちが独立を目指すのであれば、それで良いとリオンは思っている。実現不可能な夢だと、リオンは笑える立場ではない。似たような無謀な目的をリオンも持っているのだから。
「マーキュリー!」
「……はい」
「いつまで落ち込んでいるつもりだ?」
「はっ、しかし、リオン様の近衛として……」
「少人数の戦いであれば、今でも俺は自分の身くらい自分で守れる。近衛として俺を守る者に必要なのは、俺に隙が出来た時にそれを埋める力くらいだ。それは、ただ体を張るだけだって出来るはずだ」
ただ体を張るだけとリオンは言うが、それは命を捨てろということだ。簡単に出来る事ではない。
「はい! もちろん、命は惜しみません!」
だが、マーキュリーは即答した。それも命を捨てるという正しい答えを返す形で。
「では、落ち込む必要はないな。そうだろ?」
「はっ!」
落ち込んでいた様子から一転、マーキュリーの顔は喜びで紅潮している。リオンの言葉は自分を近衛として認めてくれたものだと受け取ったのだ。
「では次だ。百騎を率いて模擬戦の準備をしろ」
「騎馬戦……承知しました! おい! 模擬戦だ! 馬を揃えろ!」
マーキュリーは張り切った様子で、他の警護隊員に指示を出していく。周囲が一気に慌ただしくなった。
「騎馬であれば勝てると?」
「さあ? ずっと領地を離れていて、警護隊を見るのは久しぶりだ。どこまで、きちんと鍛えているかは知らない」
「……きちんと鍛えていたら?」
「今度はお前が現実を知る羽目になる」
リオンが口にするからには、実際にそれだけの力があるという事だ。ソルの気持ちが引き締まった。
「……なるほど。若くてもバンドゥ武者たちか」
「そっちも準備をしろ。騎馬戦については、俺も楽しみにしている。目を逸らさずに見ていてやる」
「……俺はお前の部下ではない」
「知っている。でも色々と学ぶために同行したのだろ? そうであれば、俺も教える事を探してやらないとな。それとも、それは口実で、実際はただのお目付け役か何かか?」
「……良いだろう。その目できちんと見ていろ。ニガータの頃の我らとは違うと分かるはずだ」
バンドゥ領軍の戦いを知って、ソルも何もしないでいた訳ではない。同等か、超える動きを身に付ける為に、自分なりに同行した見習い騎士たちを鍛えていたのだ。
まだ短い期間とはいえ、動きはかなり変わった自信がソルにはある。その成果をリオンに見せつける絶好の機会だと考えて、ソルも又、気合いを入れて、模擬戦に望んだ。
だが、ソルは、バンドゥ領軍の隊長たちにリオンが告げた台詞を忘れていた。警護隊であれば、自分の思い通りに動かせるという言葉を。模擬戦の相手はその警護隊なのだ。
「足を止めるな! 左方向に全速!」
後ろに続く騎馬にソルが懸命に指示を出している。だが、実際の後続の動きは、指示の通りにはいっていない。左右に分かれた警護隊の、どちらを追うか迷い、馬の足を落としてしまっていた。
そこにすかさず、反転した警護隊の騎馬が襲いかかる。馬足が落ちた所で、更に後背を突かれた近衛騎士たちは、次々と、模擬槍に突かれて、馬から落ちていく。
「振り切れ! とにかく前へ!」
何とか後ろに居る警護隊を振り切ろうと、ソルは指示を出したが、その時は既に遅い。馬を駆けさせようとした所で、警護隊に前方を遮られて、更に隊列を乱してしまった。
その状況で、今度は真横から警護隊が突っ込んでくる。同数で戦いを始めたはずが、何倍もの敵を相手にしているような錯覚に、見習い近衛騎士たちは、襲われていた。
いくつもに分かれた警護隊に、隊列をズタズタに引き裂かれて、全く統制が取れていない。完全に足が止まった騎馬から、次々と撃ち落とされていく。
「一旦、散れ! 再集結地点は!」
思い切って部隊を散らそうとしたソルだったが、この指示も手遅れ。集結も何も、もう無事でいる騎馬はほとんどいなくなっていた。
「終わりだ! 警護隊の勝ち!」
リオンの声が響く。気を遣われて、全滅という事態になる前に、模擬戦を止めたのだとソルには分かった。これ以上ないくらいの完敗だ。
模擬戦の前のリオンの言葉が現実になった。自分たちの部隊としての未熟さをソルは思い知った。
「……どうだった?」
落ち込んだ様子のソルに遠慮なく、リオンが尋ねてきた。
「見ての通りだ」
「ああ、完敗だったな。でも、聞いているのはそういう事じゃない。次に戦う時は、どう戦う? 同じやり方を目指すか、それとも、あれを破る別の戦いを取るかだ」
「……それはまだ」
「えっ? 考えてないのか?」
「まだ終わったばかりだ」
ソルはリオンが負けた自分をからかっているのだと思った。だが、こういう時にリオンは、そんな無駄な事はしない。
「お前、負けが決まった時に何も考えなかったのか?」
「何?」
「途中でどう考えても勝てなくなっただろ? その時点で次の戦いの為に、相手を分析するとかしないのか? お前、諦めが早いんだな」
「それは……」
「役に立たないな。意見があれば参考にしようと思ったのに」
マーキュリーたち、警護隊に負けた事以上のショックをソルは受けた。これを言うリオン本人は、どんな状況でも次を考えているのだ。一度負けても、決して諦める事なく、次の勝利の為に。当たり前の心得である。だが、実践しているものは、王国騎士兵団全体でも、どれだけ居るのかとソルは思う。
リオンの側で色々と学ぶ、は近衛騎士団長に命じられた事だが、ソル自身もそれは望んでいた。リオンに学び、いずれはリオンを超える。そう思っていたのだが、今の自分のままでは、とても追い付けないとソルは思い知った。
それと同時に、バンドゥ領軍の者たちの気持ちが少し分かった気もした。果たして自分は、リオンに必要とされるのか。そう思いながら仕えるのは辛い事だ。少しでも自分に自信があった者は尚更だろう。
これが分かる事は決して良い事ではない。それもソルは分かっている。
「勝つ方法は見つけ出す。必ずな」
リオンのような諦めない気持ちが大切だ。
「そうか。まあ、頑張れ。言っておくけど、今日の戦い方は完成形じゃないからな。完成形は何かと今聞かれても困るけど、とにかく違う。それだけはもう分かっている」
こういう事なのだ。これで十分という事がリオンにはない。常に今よりも良くを考え続けている。追いつこうにも、リオンも又、全力で前に進もうとしているのだ。追う側としては辛い。
「……であれば、それも超える」
それでもソルは強気な発言を口にする。敢えて自分を追い詰めないと、リオンを超えられないと考えての事だ。
「おっ、そうくるか。何を考えるつもりかな。負けないように俺も考えないとだな。まずは今の問題を明らかにして、そこから……」
リオンはもう周囲が見えなくなるほど、思考の中に深く潜り込んでしまっていた。そのリオンを、ソルは複雑な表情で見詰めている。尊敬と恐怖、呆れと畏れ、様々な感情が入り混じった表情で。
◆◆◆
オクス王国からの友好の使者は、思っていた以上に早く訪れてきた。リオンたちにとっては迷惑な話だ。しかも、先触れが到着したのは、一日前となっては、ゆっくりと準備を整えている時間もない。
結局、格式張った対応は全て無しとして、普通に迎える事に決定した。相手にだって非がある事だ。それで文句を言うような相手であれば、はなから仲良くなど出来ない、という外交とは程遠い理屈によって。
結果として、これは全く問題なかった。少なくとも使者は、そういった事情をきちんと理解している相手だった。
「急な来訪で申し訳無い」
「いえ。こちらこそ、隣国の使者をお迎えするのに、十分なおもてなしも出来ずに申し訳ございません」
こんな挨拶から始まった。バンドゥ側としては、ホッとする状況だ。
「オクス王国の第二王子、アレックス・ダンテだ」
「バンドゥを任されておりますリオン・フレイです」
次に自己紹介。相手は第二王子を名乗った。本当に王子がやってきたのだと、バンドゥ側にやや緊張が戻った。過ぎたる使者はろくな事をもたらさないと、思っての事だ。ただ、この緊張も、アレックス王子の次の言葉で崩れる事になる。
「では、リオンと呼ばせてもらおう」
「……はっ?」
「フレイ子爵では他人行儀ではないか?」
「他人ですね」
「おっ、リオンは冗談も分かるか。これは良い」
アレックス王子は実に嬉しそうな笑顔を向けているが、リオンは笑えない。呼び捨てを怒っているわけではない。アレックス王子が子爵と呼んだ事が気に入らないのだ。隣接しているとはいえ、他国の一領主の、それも与えられたばかりの爵位を何故知っているのか。調べたからに決っている。
「王子殿下のご冗談で気持ちが少しほぐれたところで、ご用件をお聞かせ頂けますか?」
「……そんなに話を急がなくても良いではないか?」
「はい。少々無礼かとは思っておりますが、突然の隣国の公子のご来訪とあって、何事があったのかと我らは混乱しております。ご用件をお聞かせいただけないと、落ち着いて話も出来ませんので」
実際に何をしに来たのか、という疑問はある。だが、多くは口実で話を急いでいるだけだ。
「友好の使者と伝えていなかったか?」
「いえ、聞いております。ただ、外交など知らない我らですので、それをそのまま受け止めて良いのか悩んでしまいます」
「ふむ。そういうものか」
外交を知っていても、そのまま受け取りなどしない。オクス王国は形式上はグランフラム王国の同盟国だ。友好を深める相手として、一子爵家では釣り合いが取れない。アレックス王子には、公に出来ない目的があるのは間違いない。
「もう少し、お時間を頂ければ王都から、王子殿下のお相手を務めるに相応しい者を呼ぶ事も出来ましたのに。それとも、このまま王都まで?」
「いやいや、そこまでの大事にするつもりはないのだ。今回は本当に友好、まあ、分かり易く言えば、礼を伝えに来たのだ」
「礼ですか?」
「カマークの賑わいには及ばないが、我が国の国境の街も、それなりに活気を帯びるようになっている。これは、リオンが、街道の安全確保に素早く動いたおかげだ」
「いえ、こちらこそ、ご協力には感謝しています」
「いやいや、実際に魔物が出没する地を守るこちらの苦労に比べれば、我が国の行っている事など大した事ではない」
「……実際に魔物が出没する?」
アレックス王子の言い様におかしなものを感じて、リオンは、同じ言葉を繰り返して、疑問を示した。
「もしかして、知らなかったのか?」
リオンにとって、幸いな事に、アレックス王子には隠す必要のない事実だったようだ。そうでなければ、やりたくもない駆け引きをやらざるを得なくなる所だった。
「オクス王国には魔物は現れていないのですね?」
「ああ、そうだ」
「ハシウ王国もですか?」
「はっきりとは分からないが、魔物の被害があったという話は聞いていないな」
「そうですか……」
この事実が意味するものをリオンは考えた、のだが、じっくりと思考に沈む事は、今は許されない。
「そうであるから、物流が我が国を経由するようになったのは、リオンのおかげなのだ。メリカ王国も、盛んに隣接する貴国の領主に、働きかけているようだが、中々うまく行っていない。まあ、うまく行かれてはこちらが困ってしまうがな」
「まあ。ですが、いつまでも今のような景気が続くわけではありません。魔物討伐は順調に進んでおりますので」
「リオンの活躍でだな。これに関しては複雑だ。他国の不幸を喜んではならないと分かっているが、魔物の危険があるからこその、今の景気だからな」
「その景気がある間に、先の備えをしておく必要があります」
リオンの望む方向に話が移ってきた。先の備えの為には、隣国であるオクス王国やハシウ王国との協力が不可欠。この会談が、そのきっかけになればリオンとしては最高だ。
「そうなのだ。そこで、もう一つ、リオンに甘えさせてもらいたくてな」
「私に?」
「街道の安全だけがカマークに人を集めているのではないと聞いている」
「……そうであるように努力はしているつもりですが、どうでしょう?」
やはり、うまい具合に物事が進むはずがない。オクス王国が望んでいるのは協力関係ではなく、一方的な享受であるようだ。
「謙遜は不要だ。東部最高の歓楽街カマーク。この名は我が国にも聞こえている」
「……そのような事に興味をお持ちなのですか?」
歓楽街と言えば、まだ聞こえは良いが、その中身は女、バクチ、酒という、身を持ち崩す全ての要素を集めた街だ。一国の王子が考えるような事ではない。
「我が国は目立った産業もない貧しい国だ。その国を豊かにしようと思えば、他国とは違う事を行わなければならない」
他国とは違うと言いながら、カマークの真似をしようとしている。オクス王国はこういう事には何の抵抗もないようだ。ただリオンは必ずしも、それが間違いだとは思っていない。真似であろうと何であろうと、それで国が豊かになるのであれば良いと考えられるという事は、ある意味、優れた施政者だ。
「……オクス王国にも同じような街をですか? それでは共倒れになるような気がします」
但し、実際に国境の反対側で同じような街を作られてしまっては、客を取り合うことになる。バンドゥ側には害にしかならない。
「その心配は無用だ。同じような街は、別の場所に作る予定だ」
「例えば、メリカ王国との国境ですね?」
「……まあ」
オクス王国の国境は、グランフラム王国との国境であるバンドゥだけではない。北のハシウ王国と南のメリカ王国とも、そして更に東の国境もある。メリカ王国との国境がもっとも人の往来が多い国境なので、リオンは例に出したが、それだけで終わらせるつもりはオクス王国にはない事など明らかだ。
「それでも、やはり、我らの街に落ちる金が減りますね。オクス王国からやってくる商人の数は、一番多いですから」
「それはそうかもしれないが」
「ですが、歓楽街を作る事をわざわざ伝えに来る必要はないと思います。貴国が何をしようと、こちらが止める事は出来ません」
「……参考にさせてもらえないかと思ってな」
ただ歓楽街を作っただけでは、リオンの言うようにはならない。カマークは規模によって名を馳せているのではなく、サービスの質によって高く評価されているのだ。
アレックス王子は、その評価されているサービス、商売のノウハウを参考にしたいと言っている。実に虫の良い話だ。
「この街の商人のやり方をですか?」
「まあ、そういう事だな」
「……それはどうでしょう? 商人が自分のやり方を軽々しく教えてると思えません」
「そこをリオンの口添えで何とかしてもらいたい」
「私がですか? 領主ではありますが、それを強制する事は難しいと思います」
「どうとでも出来るであろう?」
「いえ、そういう訳には」
「そんなはずはない。商人相手であれば、商売の許可を取り消すといえば、間違いなく言うことを聞くはずだ」
「……なるほど」
少なくともアレックス王子はあまり信用出来る人物ではないようだ。なるほどに続く、この言葉は本人の前では口に出来ない。
「どうかな?」
「我が街への影響はどうされますか? 商人に恨まれるのを覚悟で口添えをして、その結果、税収まで落ちるでは、こちらは踏んだり蹴ったりです。例え、隣国の公子のお願いでも、お断りさせていただくしかありません」
「……それは、何らかの補てんは考える」
「では、我が街で商売をする者への関税をなしにして頂けますか?」
何らかで話を終わらせる訳にはいかない。リオンの方から、具体的な提案を出した。
「関税の撤廃か……」
ある程度は予測していた内容のようで、アレックス王子に驚きは見られない。
「関税がなくなれば、その分を我が街で使ってくれる商人も出てくるでしょう。それでも、全体の減収分を補えるかは微妙ですが」
「……その関税というのは、あれか? まさかグランフラム王国との国境における関税全てか?」
「いえ、あくまでも我が街で商売をしようという者たちへの関税ですから、他の国境においてもです」
アレックス王子が、さも大変な事のように表現した関税の範囲を、リオンは更に広げてしまう。交渉の始めのハードルを下げようとしたアレックス王子の企みはあっさりと不発に終わった。
「それは無理だ。他国との国境を超える段階で、バンドゥで商売するかなど分からないではないか?」
「後で返金する形を取れば良いのではないですか? こちらから証文を発行します。それを持って、貴国に戻れば払った関税が戻ってくるというやり方です」
「ふむ……」
リオンの提案をアレックス王子は真剣に考え始めた。譲れる可能性があるという判断だ。関税について、拘っているように見せているが、実際の所は、そうでもない。
オクス王国はグランフラム王国の同盟国という建前を持っているが実態は、臣従国であって、関税率は元々かなり低い。今回の件で、オクス王国はグランフラム王国以外の国との国境関税で潤っているのだが、それも今だけだと分かっているから、こうして次の対策に動いているのだ。あまり拘っても意味はない。
「いかがですか?」
「検討の余地はあるな」
「そうですか。では、結果をお待ちしております。次の来訪はいつ頃になられますか?」
「あっ、いや、関税の件は、大丈夫だ。陛下に諮らなくても、約束は可能だ」
さらりとリオンは会談の終わりのような言い方をしたが、それではアレックス王子は困ってしまう。協力を求めているのはオクス王国側だ。一度の会談で少しでも話を進めておきたいのだ。
「そうなのですか?」
「ああ。この程度の権限は、授かっている」
「そうですか。ですが、我が方は王都に諮らねばなりません。その時間が必要となりますので、やはり、自国にお戻りになられた方が宜しいかと」
バンドゥの側は全く急ぐ必要はない。南部のメリカ王国との交易路に人が戻るようになる前に、決着がつけば良いのだ。
「……そうか」
アレックス王子の表情はこれまでで一番落ち込んだ雰囲気を見せている。
「我が街の商人のやり方をお知りになりたければ、客になるのが一番かと思います」
「客に……」
「あっ、さすがに王子殿下を娼館にという訳には参りませんか。ではお供の方でどなたかを選んで」
「……伴の者といってもな」
一国の王子の伴だ。それなりの身分の者が同行している。仕事の為とはいえ、市井の娼館を訪れるには抵抗がある。
「娼館には出入り出来ませんか? しかし、我が街が東部最高と謳われるには、それなりの理由があります。たかが娼婦とお考えにならないほうが宜しいかと」
リオンはそれが分かっていて、誘っていた。そのオクス王国の使者たちの身分を求めているのだ。
「どういう事だ?」
「気に入らなければ、平気で客を袖にする。それが出来るだけのものを、この街の娼婦は持っております。もちろん、それは最上級の娼婦である、太夫に限っての事ですが」
「客を袖に?」
「簡単に言うと、気に入らなければ相手にしないという事です」
「それでは商売にならないではないか?」
「はい。金ではなく、誇り。これがこの街の太夫が一番大切にしているものです。これを逆に言えば、気に入られるという事は、それだけの男と認められたという事になります」
「ふむ……」
「バンドゥの太夫に認められた男という評判は、それだけで千金の価値があると思っております」
「……なるほど」
完全にセールストークなのだが、リオンがあまりに自信満々に言い放つので、アレックス王子は納得してしまっている。リオンの思う壺だ。
「試されてみますか?」
最後にリオンは挑発の言葉を口にする。この街の高級娼婦に認められる自信があるかとリオンは問うている。この挑発を、うまく躱す言葉をアレックス王子は見つける事が出来なかった。
そしてまた一つ、カマークの歓楽街に売り文句が生まれる。
一国の王子の、最後は側室にしようという誘いまで退けた娼婦がカマークの街に居る。彼女を落とすには金だけでなく、男としての器量も必要。自信がある者は、男として名を挙げたい者は、口説き落としてみるが良い。
そんな誘い文句と共に、噂は広がっていった。