月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

四季は大地を駆け巡る #91 大森林で生きるということ

異世界ファンタジー小説 四季は大地を駆け巡る

 冬樹が目覚めた。夏に三日遅れての復活だ。これは予想していたよりも早い。剣術一辺倒であった冬樹は魔力量はもっと少ないと思われていたのだ。実際は間違っていない。冬樹の魔力の絶対量は夏に比べるとかなり少ない。そうであるのに復活が予想より早かったのは、回復力が優れているからだ。
 ただこれは結んだウンディーネしか分からないこと。彼女から話を聞いていないヒューガや夏が意外に思うのは当然だ。
 たっぷりと休養を取って元気が有り余っている冬樹。腹を満たすとすぐにギゼンの下で鍛錬を始めたのだが、元気だからといって実力が著しくあがるわけではない。

「やっぱり、ギゼンさんは強いな」

「そうね。あれが剣聖の力というものなのかしら?」

 その鍛錬の様子をヒューガとエアルが見学している。夏も一緒なのだが、なかなか二人の会話に入っていけない。なんとなく入りづらい雰囲気を感じているのだ。

「ヒューガはなんでだと思う?」

 だがようやく夏も機会を得た。二人の会話を邪魔する機会を。

「何が?」

「ギゼンさんは鍛錬からずっと離れてたから剣は錆びついてる。それに体力も若い時の様にはいかないって言うの。でも、そういうレベルじゃないわよね?」

「……どうだろ?」

 全盛期に比べて力が落ちているのは事実だろうとヒューガは思う。

「私もそんな風には思えない。あれで錆びついているなら、ギゼン殿の全盛期ってどんなものだったのか。恐ろしいわ」

 エアルは夏の意見に同意を示してきた。目の前で見るギゼンの実力は、そう思えるだけのものなのだ。

「そうだな……でも先生と比べたら?」

「先生と……比べられない。先生の底が私には見えないわ」

 ヴラドの本気の実力をエアルは把握出来ていない。それを見極める力がエアルにはなかったのだ。

「ねえ、先生って?」

 先生と呼ばれても、夏にはそれが誰か分からない。

「俺たちの先生。ここに来たばかりの頃に俺たちを鍛えてくれた人だ」

「そんな人、紹介されたっけ?」

 ギゼンに並ぶか、もしかすると超える実力を持つ人物。そんな重要人物を紹介された覚えは夏にはない。

「今はもうここにはいない」

「じゃあ、どこにいるの?」

「パルスと戦ってるだろうな。先生は魔族だから」

「あっ、そう。えっと……」

 魔族が先生。そんな驚きの事実をサラッと言われても、夏は反応に困ってしまう。

「……強いの?」

 会話を繋げる為には、当たり前のことを聞くしかなかった。

「強いな。なんたって魔将第三位だから」

「魔将?」

「あれ? 魔将を知らないのか? 簡単に言うと魔族のトップフォー。先生はその一人だ」

「なんだかな……ギゼンさんとどっちが強い?」

 魔族の大物とまでヒューガは繋がっていた。それを知らされた夏は驚くより呆れてしまう。

「それをさっきから考えてる……本気の本気なら先生かな?」

「そんなに強いの?」

「あのな、魔将ってことは勇者と戦おうっていう立場だ。強いに決まってる」

「それはそうだけど……勇者は勝てるのかな? そんな相手に」

 優斗の実力も夏は分からない。勇者である以上は強いに決まっているのだが、感情的にそれを認めたくないのだ。

「強くはなってるみたいだ。アレックスって覚えてるか?」

「ええ、あのいけ好かない色男ね」

 夏はアレックスにも良い感情は抱いていない。そうなるような態度をアレックスが見せていたのだ。彼にとって夏や冬樹は取るに足らない存在。その思いがあからさまに出ていた。

「百回やって百回勝てるってプリンセスが言ってた」

「あの女と話したの?」

「ああ、ここに帰ってくる、ちょっと前に会った。まあ、実際に勇者がどれだけ強いかは分からない。アレックス相手なら俺でも、百回は無理でも十回のうち十回は勝てるな」

「どう違うの?」

 どちらの例えも勝率は十割だ。十回と百回の差が夏には分からない。

「実力差が開いていても、百回やれば一度くらい負けることもあるだろ? 何が起こるか分からないから。でも十回なら、実力通りでいける可能性が高い」

 十回と百回の差は、なんらかのアクシデントが発生する可能性の差だ。

「なんとなく分かった……ねえ、ヒューガも勝てるのね?」

「そう言ってるだろ?」

「アレックスも一応は剣聖だよね?」

「あれは偽物だ。あれでは魔将に勝てるどころか引き分けることも出来ない」

 ヒューガに勝てないアレックスが魔将に勝てるはずがない。ヒューガはヴラドに一度も勝ったことがないのだ。

「パルスで最強の剣士ってことになってるよ?」

「パルスが弱いのか、本当に強い人が表に出てないのか。後者だろうな。あれが最強だったら問題だ。大陸一の強国なんて恥ずかしいから言わないほうが良い」

 辛辣な言葉。ヒューガがそんな風に言うほどアレックスの実力はたいしたことないのだと夏は理解した。

「休憩でしょうか? 二人が戻ってきましたね」

「そうだな」

 エアルの言うとおり、冬樹たちが立ち合いを止めて歩いてきている。まだ歩けるということは休憩だと夏は判断した。ギゼンの鍛錬は、冬樹が倒れるまで続くのが常なのだ。

「お疲れ」

「まだ元気だよ。師匠がめずらしく、間に休憩を入れると言うから」

「冬樹も強くなったな」

「本気でそう思ってるか?」

 ヒューガに褒められたのに、冬樹の表情は曇っている。本人はまだまだ自分の実力に満足していないのだ。

「ああ、強くなったと思う」

「でも師匠には全然敵わない。見てて、どう思った?」

「……届いているのに届かないって感じかな?」

 ヒューガの答えはなんだか良く分からない曖昧なもの。それを聞いた冬樹の目の色が変わった。ヒューガの答えが曖昧であるのは、分からないからではなく何か分かっていて、それを上手く表現出来ない、もしくはわざとしようとしないからだと受け取ったのだ。
 パルスの王都で一緒にいた時に、何度かあったことなのだ。

「……もう少し詳しく言ってくれ」

「難しいことを……詳しく説明出来ないからこういう言い方になるんだろ?」

 この場合は上手く説明出来なかったから。ヒューガにはなんとなく感じるものがあるのだが、それを言葉には出来なかった。

「いや、そこを何とか」

「……強いて言えば、格? いや違うな。うん、やっぱ無理。説明出来ない」

「おーい。諦めるなぁ」

「無理だって」

 冬樹はなんとか聞きだそうとするのだが、ヒューガはそれに応えられない。

「……よろしければ、王も一手いかがかな?」

 そこに割って入ってきたのは、ギゼンだった。

「俺?」

「王とはまだ一度も立ち合ったことがない。この先、鍛錬を始めるにしても、一度手合せをしておいたほうが良いと思う」

「……確かに。じゃあ、やろう。ちょっと待って。体をほぐすから」

 ギゼンと立ち合いを行うことになって、ヒューガは嬉しそうだ。忙しい中でも鍛錬を続けているヒューガであるが、実力差のある相手との立ち合いは久しぶりのこと。それが楽しみなのだ。

「大丈夫?」

 そんなヒューガにエアルが心配そうに声を掛けた。

「相手はギゼンさんだ。心配はいらない。さて、始めようか」

「ああ。フー、ちゃんと見ていろ」

「……はい。師匠」

 わざわざ冬樹に声を掛けて、ギゼンはヒューガとの立ち合いに向かう。二人の立ち合いは、冬樹にとって、何か意味があることを、その行動が示している。

「本当に大丈夫かしら?」

 また心配そうに呟くエアル。

「大丈夫じゃないよね? だってギゼンさんが相手よ」

「そうですか……ナツ殿は回復魔法は得意ですか?」

「……得意とまでは言えないかな?」

 何故、この問いが向けられるのか。夏は疑問に思った。怪我をする可能性はなくない。だが、その辺りはギゼンが上手くやるはずだと思っていた。冬樹の時はそうなのだ。

「では、シルフを呼んでおいてください。風の精霊は回復魔法が使えるはずです」

「そこまでのこと?」

「……もしかして、ナツ殿たちは立ち合いに真剣を使わないのですか?」

「しんけん?」

「えっと、フー殿?」

「……俺は使わない」

 冬樹が立ち合いで使っているのは、刃を潰してある鍛錬用の剣だ。それでも骨を折るくらいは出来るが。

「先生との立ち合いでは真剣を使っていました。それに今も二人とも真剣を持っていきました」

「嘘だろ!?」

 いつも真剣を使っていたヒューガが持つのはまだ分かる。だがギゼンは違う。わざわざ、冬樹との立ち合いで使っていた鍛錬用の剣から真剣に持ち替えたということだ。

「……それで大丈夫かって、聞いたの?」

「ええ。ギゼン殿が強いのは分かります。でも斬りどころを間違えては、回復魔法では綺麗に治しきれない場合があります。今、王が寝込んでは問題ですので」

「そういう問題? ヒューガが斬られるのは良いの?」

「……鍛錬ですから」

 夏の問いに不思議そうな顔を向けるエアル。それを恐れていては立ち合いなど出来ない。というのがエアルの、ヴラドに教わった者たちの考えなのだ。

「始まるぞ!」

 二人が向き合って距離をとった。ギゼンはいつもの通り、剣をだらりと下げた構え。それに対するヒューガにも構えらしい構えはない。
 片手で剣を持って、剣先を真下に向けているだけ。冬樹と夏が王都で見ていたのとは違う。

「ねえ、あれって?」

「俺に聞くな。ヒューガの立ち合いを見るのは王都以来だ」

「エアル、あれがヒューガの構えなの?」

 冬樹から求める答えを得られなかった夏は、エアルに問いを向けた。

「王に決まった構えなどありません。あれはギゼン殿に合わせているだけです」

 エアルはヒューガの戦い方を知っている。夏の問いに答えを返した。

「相手の構えに合わせてるの?」

「いえ、たまたま同じような構えになっただけです。それが一番良いと感じたのではないですか?」

「そう……なかなか動かないね」

「いえ、動きますよ」

 動きがあったのはエアルがこの言葉を言い終わる前。夏の目には、一瞬でヒューガがギゼンの目の前に瞬間移動したように見えた。
 金属と金属がぶつかった甲高い音。それが聞こえたと思った時には、二人は元の位置で向かい合っていた。

「……強いな……あの野郎」

 冬樹が悔しそうに呻いている。彼は剣でヒューガの役に立つと決めた。そう決めてひたすら鍛錬をしてきたつもりが、相手は未だに自分の上にいる。そう思ったのだ。

「ねえ、ヒューガはどんな鍛錬をしてたの?」

「教えるのはかまいませんが、あまり役に立たないと思います」

「どうして?」

「今の王は、私が知る王より強いです。あれは鍛錬によるものではありません」

 ヒューガの動きはエアルの想像も超えていた。エアル自身もヒューガの本気は久しぶりに見たのだ。

「だとしたら、何?」

 また金属音が響く。今度は一度では終わらない。何度も何度も、剣と剣がぶつかり合っている。ヒューガはギゼンと互角にやり合っている。夏はそう思ったのだが。

「ああ、駄目ですね……やはりギゼン殿は強い」

 エアルの呟きはそれを否定するものだった。

「あたしには全く分からない。冬樹は?」

「ヒューガが押され始めたのは分かる。いや、堪えたか。ヒューガは守りを固めたみたいだ」

「そうですね……どうやら決着は長引きそうです。守りに入った王は、先生でも簡単には崩せませんでしたから」

 冬樹とエアルの説明を聞いて、夏も戦況が見えてきた。ギゼンが攻めて、ヒューガが受ける。その攻防が続いている。
 そんな二人の立ち合いを、周りで鍛錬をしていた全員が手を止めて見つめている。聞こえてくるのは刃を打ち合わす音だけだ。

「何が違うんだ……?」

 冬樹がポツリとつぶやいた。剣術を得意としない夏には、それに答えを返すことが出来ない。

「おそらくは……いえ、これは私の口から言うべきではありませんね?」

 エアルには感じるものがあるのだが、それを口にする気はない。

「なんで言えないの?」

「私が気付くくらいですからギゼン殿はとっくに分かっているはずです。それをフー殿に伝えていないということは、それなりの理由があるのではないでしょうか?」

「伝えない理由……」

 夏にはまったく見当がつかない。冬樹も、エアルの言葉を聞いて考え込んでいるが、結論が出た様子はない。眉間によった皺がそれを示している。

「……どうやら無事に終わったようです。ギゼン殿が引きましたね?」

 ギゼンは自ら間合いを取って、剣を降ろしている。立ち会いは終わったのだ。何かを話しながらこちらに歩いてくる二人の様子が夏の目に映る。

「お疲れ様」

 戻ってきたヒューガに声をかけるエアル。

「ああ、疲れた。やっぱりギゼンさんは強い。途中でもう駄目だと思った」

「でも堪えたわね?」

「ギリギリだ。守りに切り替えるのが、もう少し遅かったら死んでた」

 物騒な言葉。鍛える為の立ち合いで、真剣を使って、命を懸ける。夏には理解出来ない

「そういうことか……」

 だが冬樹はヒューガの言葉で理解したものがあった。

「なにか分かったの?」

「ああ、多分」

「説明して」

「……俺は立ち合いで師匠を殺そうとしていない。そういうことだ」

「……分かんない」

 立ち合いとはそういうものだ。と思う夏が間違い。普通の考えなのだが、ギゼンとヒューガが異常なのだ。

「うむ。それで合っている。本当はもっと違った形で気付いて欲しかったのだが、王が既にここまで強くなっていては、お前にいつまでも足踏みさせておくわけにはいかん。それで王に立ち合いをお願いした」
 
「えっと、出来たらあたしも分かるように説明して欲しいな」

「今の王と私の立ち合いは殺し合いだ。王に対して畏れ多いが、私の剣はそういう剣だからな。仕方がない。だがフーとの立ち合いは違う。フーはあくまでも私から剣を学ぼうとしている。倒そうとしていないのだ。それでは私を超えることは出来ん」

「……なるほどね。やっと分かった。つまり冬樹には覚悟が足りなかったのね?」

「そういうことになるな」

「あんなに頑張ってたのに……」

 冬樹がどれだけ必死でやってきていたかを夏は知っている。だがそれでも足りなかったのだとすれば、それは可哀想だと夏は思う。

「やってきたことは無駄ではない。実際、技術的には王とフーの間にそれほどの差はない。戦い方が根本的に違うので、単純な比較は難しいがな」

「じゃあ、二人の差は?」

「簡単に言えば、くぐってきた修羅場の数だな」

「実戦ね。でもそれだと冬樹は難しくない? 実戦なんてそうそうないでしょ?」

「「「…………」」」

 夏の問いに誰も応える人はいない。それどころか呆れた目で彼女を見ている。

「アタシ。何か変なこと言った?」

「夏、お前ここがどういう所だか理解してないんだな? 人相手の実戦は確かにないだろうけど、それ以外はいくらでもある。その気になれば、いつでも死を実感出来る」

 大森林の魔獣の強さは、外の世界のそれとは比べものにならない。食料を得る為の狩りでさえ、西部の狩り場であれば、まだリスクは低いが、それ以外の地では命の危険があるのだ。

「そっか。ここは大森林ね。でも普通に生活出来ているから実感がないのよ」

「……ここの拠点の外を見てみれば実感出来るよ。なかなか現れないから時間はかかるだろうけどな」

「どういうこと?」

「この北の拠点周辺は全拠点の中でもっとも危険な場所だ。都の周りが一番かと思っていたら違ってた。ここの周りの魔獣は桁違い。遠くから見てるだけで逃げ出したくなる」

「……大げさに言ってるよね?」

 いくらなんでも遠くから見てるだけで逃げたくなるはない。夏はそう思った。仕方がない。夏はまだ大森林の危険を実感したことが一度もないのだ。

「実際に見れば分かる。見ておいたほうが良いか。あれを見れば、間違っても興味本位で拠点の外に出ようとは思わなくなる」

「そう……あと都の周りが次なの?」

「ああ」

「ここに住むエルフたちはそんなに強いの?」

 国の中心がもっとも危険な場所。それは異常なことだと夏は思う。

「都の周りの魔獣には勝てないと思うな。先生で、一対一でなんとかって言ってたくらいだから」

「何でそんな危険な所に都があるのよ?」

「さあ? 元からあったから理由は知らない。でも守りという意味では便利だろ? 攻めてきても結界の場所が分からなければ魔獣にやられるだけだ」

「なんか難攻不落って感じ」

「そうでもない。大森林には致命的な弱点があるからな。火をつけられたら防ぐのは大変だ」

 大森林の弱点だ。これは対応策をとる必要性は感じているが、すぐにどうにか出来ることではない。

「怖いわね。人為的ではなくても火事って起こるんじゃない?」

 元の世界でも、夏には想像出来ないくらいの広範囲が焼けてしまう山火事のニュースを見たことがある。

「定期的に起こってるな」

「嘘でしょ?」

「本当。ああ、でもわざとだ。生命力の無くなった木々を、火の精霊たちが燃やしてるんだ」

「……なんか怖いんですけど?」

 その火が広がってしまえば大災害だ。それが定期的に起きていると聞くと、恐くなる。

「ちゃんとコントロールしてる。火が広がらないように防ぐのは水の精霊たちの役目だ」

「……なるほど」

「役割分担が出来ているんだ。土の精霊たちと水の精霊たちが草木を育て、風の精霊たちが種子を運んで新しい命を生み出す。火の精霊たちは役割を終えた木々を葬送する役目ってとこかな。そうやって自然を守っている。良い所だろ?」

「……良い所ねぇ」

 今の説明だけを聞けばそう思えないことはない。だが実際はそれが全てではない。一歩、結界の外に出れば生きることの出来ない危険極まりない場所なのだ。
 ヒューガは当然それを知っていて、それでも良い所だと言う。それが夏には驚きであり、納得だった。

「それでどうする? ここの魔獣見てみるか? 絶対に現れるとは言えないし、どんなのが現れかも分からないけど」

「見てみる」

「じゃあ、北側に行こう。うまく現れてくれれば良いけどな」

 アフリカのサバンナにでも行って、動物見学ツアーに参加しているような言い方。そんな風に思えるのも今だけだ。夏もすぐにこの場所の恐ろしさを思い知ることになる。

 

◆◆◆

 見ただけで逃げ出したくなる。ヒューガの言っていた通りだと夏は思った。
 拠点の北側に向かい外を眺めていると、それはそう待つことなく現れた。見た目は大きな花。足元にはいくつもの触手のようなものがうごめいている。そして花弁から伸びる人のような何か。これを魔獣と呼ぶのは違うと夏は思う。
 グロテクスな見た目。それ以上の恐怖をその存在は感じさせる。

「……あれは?」

「名付けてない。何度か見たことがあるから、割とこの近くが生息地なんだろうな」

「あんなのがウヨウヨいるの?」

 戦うどころか近づくことも無理。強い嫌悪感が夏の心に湧いている。

「ウヨウヨっていうほどじゃない。数が集まっているところは見たことないな。あれとは別のは、いくつか見たけど」

「たとえば?」

「二枚の羽を持っていて……」

「飛ぶの!?」

 自由に飛び回れるのなら、どこにでも現れることが出来る。それを考えて、夏はつい大声をあげてしまった。

「羽根はあってもボロボロで、とても飛べるようには見えなかった。実際、歩いているだけだったからな」

「そう……」

「全身ボロボロって感じが表現としては合ってるな。体は人に近い。でも、目らしきものは顔にたくさんあった。それが気持ち悪かった。あとは地上で生きているとは思えないようなのもいたな。半魚人って感じ。ああ、あれは数がいたな。あとは……」

「もういい。なんだか魔獣っていうより悪魔みたいね」

 ヒューガが説明するどれもが気味の悪い姿。絶対に魔獣とは違うと夏は思う。

「そっち系に近いかもな。北の半島は神獣が住む所って言われているらしい。神が住まう場所とも言われているから、案外、神なのかもしれない」

「あれが?」

「神様が人と同じ姿とは限らない。日本人ならわかるだろ?」

「日本人ならって……」

「八百万も神様がいれば、人と異なる姿の神様がいてもおかしくない。実際、いるし」

「そんなこと言われてもね……あの見た目の怖さは受け入れられないわ」

 元の世界であっても、それがたとえ八百万の神の一人だとしても、やはり恐くて受け入れることは出来ない。

「……それだけ?」

「それだけって?」

「見た目の怖さだけでなくって、恐れみたいなの感じない?」

「どう違うの?」

「そうか、感じないんだ……ふうん……なるほどな」

「だから何よ!?」

 一人で納得しているヒューガ。彼の場合は、これで話を終わらせてしまいかねない。そう思って夏は強く説明を求めた。

「恐れって恐怖だけじゃなくて敬意みたいなのもあるだろ? 畏怖って言えば、分かり易いか?」

「ああ、それなら分かる……あれにそれを感じるの?」

「エアルとカルポは感じている。そんな感想だった。だから、神とかそういうものに近い存在なのかと思ったんだ」

 本能的な畏れ。それをエアルとカルポは感じている。そうヒューガは考えている。

「ヒューガは?」

「全くないとは言えないけど、それほど強くはない。やっぱり世界が違うからかな? 同じ存在を見ても感じ方が違うのは」

「仮説は?」

「そんなのない。ただ漠然とそういう存在なんだろうなと思ってるだけだ」

 ヒューガにとって未知の存在、というだけでなく、自分が勝手にどういうものか決めつけてはいけないと考えている。エアルとカルポほど強く感じるものはなくても、そんな思いを抱かせる存在だということだ。

「だからその、そういうって、何?」

「俺たちがイメージする神とか悪魔。黙示録とかイメージすると、ああいう存在が出てきてもおかしくないとは思う」

「……妖怪大戦争とは違うわね?」

「似てるかも知れないけど……」

 夏には黙示録もイメージ出来ない。正確には、小説や漫画の中で表現されている黙示録しかイメージ出来ない、だ。

「それで、夏はあれの前に立てるか?」

「立てるわけないでしょ?」

「だよな。ああいう存在がいる。それがドュンケルハイト大森林だってこと」

「そうね……都の近くにいるのもああなの?」

 住んでいる場所のすぐ近くにもいると思うと、結界があると知っていても安心出来ない。神か悪魔のような存在であれば、結界など何の意味もなさないかもしれないのだ。

「ここのは桁が違うと言っただろ? 都の近くにいるのは普通だ。多いのは三つ首の狼、八本足の虎、双頭六足の熊、三面で六本の手を持つ手長猿。頭としっぽが二つずつある蛇。こんなもんかな?」

「狼と虎、熊に猿、そして蛇……普通ね」

 そんなはずがない。そんな魔獣を夏は見たことも聞いたこともない。

「ほとんどが象くらいの大きさだから、初めて見た時はかなりビビるけどな」

「……でしょうね」

 さらに巨大。絶対に結界の外には出ないと夏は誓った。

「さて、じゃあ戻るか。魔獣を見てるだけじゃあ、強くならないからな」

「ええ」

 ドュンケルハイト大森林に住む魔獣は外のそれとは桁違い。前から聞いていたこれが事実であることを今日、夏は思い知らされた。
 ここは魔獣の楽園。アフリカの大自然の中で動物たちが生きているのと同じ。大森林の雄大な自然が魔獣の暮らしを守っている。その魔獣たちとも共存共栄しなければならない。魔獣もまた守るべき自然の一部。ヒューガはそう考えているのだ。