月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

逢魔が時に龍が舞う 第15話 死者との出会い

異世界ファンタジー小説 逢魔が時に龍が舞う

 精霊科学研究所は富士山のふもとに広がる樹海の中にある。樹海の中を走る道路から少し奥に入ったところ。高い木々に囲まれた五階建ての雑居ビルのような建物だ。もちろんそれは偽装で本当の精霊研究所はその建物の地下深くにある。
 建物の中に入って、どこにでもあるような、やや古くささを感じさせるエレベータに乗り込む尊たち。同行してきた葛城陸将補がフロアボタンをいくつか続けて押すとエレベータが下がり始めた。精霊科学研究所が地下にあることを知らない尊と天宮はその感覚に少し驚いている様子だ。

「上の建物はダミー。実際の研究施設は地下深くにある」

 二人の反応を見て、葛城陸将補は研究所が地下にあることを説明した。

「どうしてこんな場所にあるのですか?」

 問いを返す天宮。すごく気になっているわけではない。緊張している気持ちをほぐす為に、何でもいいから話をしたかっただけだ。

「精霊力を研究するのに、この場所が適しているからだ」

「ここに何かあるのですか?」

「ここの地下深くから精霊力を採取している」

「えっ?」

 天宮は精霊力を身につけている。それは自然と得られたものだ。葛城陸将補が口にした採取するという言葉に違和感を覚えた。

「分かっていると思うが目に見えるようなものではない。だがここの精霊力は他の場所よりも密度が濃いらしい」

「……密度」

「まあ、詳しい説明は斑尾所長に聞くがいい。なんといっても精霊力研究の第一人者だからな」

 葛城陸将補は精霊力について全てを知っているわけではない。軍部に届く情報が全てではないのだ。精霊力について全てを知っているとすれば斑尾所長。この研究所の職員であっても全員がそのレベルにあるわけではない。
 こんな会話をしている間にエレベータは目的のフロアに着いた。

「ようこそ。精霊科学研究所へ」

 三人を出迎えたのは斑尾所長本人だった。

「所長自らのお出迎えですか。恐れ入ります」

 斑尾所長に応える葛城陸将補。これにはわずかに嫌みが含まれている。葛城陸将補も含め、軍の人間が訪れても、いつもは顔も出さないのだ。

「古志乃くんと天宮くんは疲れていないか?」

 斑尾所長が自ら出迎えを行った理由は当然、尊と天宮がいるからだ。葛城陸将補の嫌みを受け流して二人に話しかける。

「いえ」「大丈夫です」

「では早速案内しよう。私に付いてきなさい」

 こういって前を進む斑尾所長。その背中を尊と天宮は追いかけた。もちろん葛城陸将補も。
 エレベーターホールを離れると、すぐに廊下の左右にいくつもの扉が並んでいた。ただ窓はなく中の様子は一切見えない。廊下を歩くだけの退屈な時間ではあるが、それはそれほど長い時間ではなかった。目的の場所に辿り着いたようで斑尾所長は扉の前で足を止め、セキュリティ装置に手を当てている。
 カチャリというロックが外れる音がして扉が左右に開いた。

「さあ、ここだ。中に入って」

 尊と天宮に部屋の中に入るように促す。それに従って部屋に入った二人。その部屋は廊下を歩いていた時にはまったく想像していなかった広大さだった。

「驚いたかな? この研究所は広さだけが自慢でね」

 少し唖然としている様子の二人に斑尾所長が話しかける。広さだけが自慢なんていうのはただの謙遜だ。置かれている設備も、精霊科学という点では、最新のものが揃えられている。国の最高峰の研究所なのだから当たり前だが。

「……桜は?」

 尊が妹の居場所を斑尾所長に尋ねる。どれだけ立派な施設だろうと尊には興味がないのだ。

「それは後で。先に少し協力してもらいたいことがあってね」

 妹に会わせるという約束は尊をここに呼ぶ口実に過ぎない。斑尾所長は尊について色々と調べたいのだ。

「協力って?」

「普段と同じようにスピリット弾の訓練をしてもらいたい。難しいことではないだろ?」

「……分かりました」

 葛城陸将補のほうをチラリと見てから、尊は了承を口にした。お伺いを立てたわけではない。非難の意思を示したのだ。

「では少し待って、私が合図をしたら始めてくれ」

 こういって斑尾所長は部屋の中にある様々な装置が置かれているガラス張りの区画に向かう。葛城陸将補も、少し迷いながらも、それに付いていった。何らかの装置で尊の力を測ろうとしているのは明らか。それには葛城陸将補もおおいに興味がある。

「準備は出来ているか?」

 中で待機していた研究所員に斑尾所長は準備状況を確認する。

「はい。いつでも大丈夫です」

「では始めよう……古志乃くん。準備してくれ」

 後の言葉はマイクに向かって話した。外にいる尊にそれで聞こえるのだ。その声を聞いた尊は床に並べてあったスピリット弾の一つを手に取った。

「前方の床から標的がせり上がってくる。それに向かって攻撃をしてくれ」

 ガラスの向こうの尊は頷きで応えている。いよいよ実験の始まりだ。

「よし、始めろ」

「はい」

 斑尾所長の指示を受けて研究所員が機械のボタンを押す。それと同時に尊の前方の床から標的がせり上がってきた。
 それに向かって無造作にスピリット弾を投げつける尊。投げられたスピリット弾は途中で炎に姿を変え、標的を燃え上がらせた。

「どうだ!?」

 それを見て興奮気味に研究所員に問いかける斑尾所長だが。

「……何の反応もありません。適合率ゼロパーセントです」

「そんな馬鹿な!?」

 驚いた様子で研究所員の目の前のモニターをのぞき込む斑尾所長。だがすぐに信じられないという表情で起き上がった。じっくりと見るまでもなくモニターに映るグラフは全く動いていないのだ。

「……古志乃くん。悪いがもう一度頼む」

 斑尾所長はもう一度繰り返すように尊に伝えた。だが結果は同じだ。モニターのグラフは全く反応を示さなかった。

「……何でも良い。何か異常値はないのか?」

「確かめてみます」

 尊が行っていることは異常だ。そうであるのに何も検出しないということも、やはり異常だ。少しでも真相究明の糸口を掴もうと斑尾所長は他の計測値を確かめさせた。

「あっ」

「何かあったか!?」

「はい。しかし、これは……」

 何かを見つけた研究所員だが、すぐに斑尾所長の問いに答えずに考え始めた。

「余計なことを考えるな。異常値があるのであればその事実だけを伝えろ」

 だが自分が考えるほうが確実に真実に辿り着けると思っている斑尾所長にとっては余計なことだ。

「す、すみません。スピリット弾の数値なのですが、本来の値よりかなり上昇しています」

「……それはつまり威力が増しているということだな?」

 斑尾所長らしくない当たり前の問い。尊の常識外れに少し混乱、興奮かもしれないが、しているのだ。

「他の計測値には何の反応もないのにこれだけが変化するなんてどういうことでしょうか?」

 尊からは精霊エネルギーは発せられていない。他からエネルギーを得たわけでもないのにスピリット弾の威力は増した。その原因は研究所員にはまったく見当もつかない。

「……増幅能力というものなのか? いや、しかしどうやってスピリット弾内の精霊エネルギーに干渉出来るのだ?」

 斑尾所長であってもすぐには何も思い付かない。謎が深まっただけだ。

「……天宮くんは、あれは出来ないのかな?」

 悩む斑尾所長の目に天宮が映った。天宮も付いてきていたのだ。

「私には出来ません」

「だが彼は君も出来ると言っていた」

 特務部隊の本部に行った時のことだ。尊は天宮には出来ていると言っていた。それはつまり尊の行っていることが精霊力を操ることと同じという意味だと斑尾所長は受け取っている。

「あんなことは出来ません」

「……どうすれば出来るか方法を聞いてみたらどうかな?」

「……どうして私が?」

「私はすでに一度聞いている。同じ答えが返ってくるだけだ」

 尊の独特な面倒くさい性格を一度話しただけで斑尾所長は理解していた。斑尾所長の考えている通り、同じ問いを発しても同じ答えが返ってくるだけだ。

「でも……」

「彼と同じことが出来れば、それは自分の力を高めることになる。君は強くなりたくないのか?」

 斑尾所長は天宮のことをそれなりに調べている。強くなる。それは天宮の強い欲求だ。それを突いてきた。

「……分かりました」

 まんまとそれに乗せられて了承してしまう天宮。このあたりはまだ子供だ。
 部屋を出て尊のほうに歩いて行く天宮。それを見ながら斑尾所長はマイクの横のボタンを押した。

「ねえ。今のは、どうすれば出来るようになるの?」

 先ほどとは逆。ガラスの向こうの声が聞こえてきた。

「……聞かないと分からないの?」

「分からないから聞いているの」

「はあ……」

 わざとらしく大きくため息をつく尊。いつもは感情を表に出さない尊が天宮相手だとこうして悪意を向ける。この二人はどうしてこうなのだろうと葛城陸将補は苦笑いだ。

「分からないことを聞くのが悪いことなの?」

「そうじゃない。分からないことが悪いこと」

「……教えて」

「そうやって頼めば人は教えてくれると思っている。結局、君は自分が可愛いことを利用している」

「僕はそんなことしてない!」

 女性として褒められることは天宮にとって喜ぶことではなく嫌悪を感じること。すぐにこうして反応してしまう。

「君は本当に強くなる気があるのかな? そういう感情の高ぶりを彼らが嫌うことが分かっていない」

「……彼ら?」

「それを言う君には方法を教えても出来ない。教えるだけ無駄だね」

「ちょっと? それで終わらないで。僕は方法を知りたいんだ。君だって僕に強くなってもらいたいよね?」

 天宮が知る尊の唯一の弱点。どれだけ文句があろうと尊は天宮を支援しなければならない立場なのだ。

「……じゃあ、方法だけ教える。君たちが言う精霊力には意思がある。それに気付くことが出来れば自然と出来るようになる」

「……意思がある?」

「それを君は分かっていない。だから君は君の味方の力を完全に発揮出来ない。だから強くなれない。だから僕が困る」

「君は……何者なの?」

 精霊力に意思があると何故、尊は知っているのか。適合率ゼロパーセントの尊が何故、その尊が言う意思を感じることが出来るのか。

「僕の言うことが出来るようになれば分かる。多分ね」

「そう……」

 尊が初めて自分は普通ではないと自ら認めた。そういうことだと天宮は受け取った。そしてガラスの中で話を聞いていた人々もそう受け取った。

「彼は……いや、今はまだ何の結論も出せないな。妹だけでなく彼もまた常人ではない。こんなことは分かっていたはずなのだが……」

 斑尾所長は何らかの考えがあるようだが、それを自ら否定した。結論を出すには材料が少なすぎる。今の段階で何を考えてもそれは仮説に過ぎないと考えたのだ。立てた仮説を検証して真実を突き止めれば良いのだと。

「精霊力には意思があると彼は言いましたが?」

 葛城陸将補にとってはこちらのほうが重要だ。尊が常人でないことはもう何度も思い知らされている。今更どうこう考えることではない。

「……精霊と呼ぶくらいだからな。意思はあるだろう」

 渋々という様子で斑尾所長は尊の話を認めた。尊が話した以上、葛城陸将補に嘘をついても意味はないと考えてのことだ。

「つまり意思ある存在を鉄の弾に閉じ込めているわけですか?」

「非人道的なんて言うなよ? 精霊は人ではない。それに……まあ、これはあえて言うまでもないか」

 意思ある存在であろうとなかろうとその力を利用しなければ未来はない。精霊エネルギー研究を止めるわけにはいかないのだ。

「……そうですな」

 果たして精霊エネルギーは本当に人類を救うのか。葛城陸将補はそうは思っていない。平和利用だけで終わるとは思えないのだ。実際に兵器として、それがたとえ鬼と戦う為であっても、利用されているのだから。
 精霊エネルギー研究の闇。それに手を出すには自分はあまりに非力過ぎる。ガラスの向こうで天宮と話をしている尊を見ながら葛城陸将補はそう思った。

 

◇◇◇

 一旦は目的の実験を終えたところでようやく尊の約束は果たされることになった。妹である桜との面会だ。
 研究所の廊下を延々と歩いて辿り着いたのは見るからに頑丈そうな扉。それを開けて中に入るとまた同じような扉。そしてその奥にも。
 何度か扉を通り抜けたところで天宮の心に疑問がわき上がってくる。これは何を警戒しているのかという疑問。ここにいるのは尊の妹のはずなのだ。
 最後にこれまでよりも更に分厚い扉が開いたところで、その奥にガラスで仕切られた部屋が見えた。ようやく目的の部屋に辿り着いたのだ。

「桜!」

 妹の名を呼ぶ尊の声。ガラスの向こうに確かに女の子がいるのが見える。おかっぱ頭の女の子。黒目の大きな、尊と同じく本来の年齢よりもかなり幼く見える女の子だ。
 ガラスの横にある扉を開けて中に入っていく尊。女の子もその尊に向かって、嬉しそうに笑みを浮かべて駆け寄ってきた。兄妹の再会。微笑ましい光景であるはずなのだが。

「うっ……」

 天宮は口を押さえて苦しそうだ。

「どうした? 大丈夫か?」

「……か、彼女は」

「尊の妹の桜くんだ」

「そ、そうでは……ぐっ……」

 こみ上げてくるものを何とか抑え込む天宮。葛城陸将補のいう尊の妹。だが天宮の目にはその桜は生きている人には見えない。
 最初、大きな黒目と見えたそれは眼窩。目玉のないその穴の奥からは蛆がわいている。その頬も肉がそげ、骨が露わになっている。顔だけではない。手も足も。
 腐った死体。天宮の目にはその腐った死体が動いているように見えるのだ。

「大丈夫か?」

「……ち、ちょっと気分が……トイレはどこですか?」

 葛城陸将補には自分が見える光景が見えていない。それが分かった天宮は今この場で話すことは止めておいた。

「トイレ……斑尾所長、お手洗いはどこですかな?」

「ああ、その脇の通路を奥に入ったところにある。ロックはされていないはずだ」

 斑尾所長が示したのは桜と尊がいる部屋の脇にある狭い通路。そんな近くにあったことは天宮にとっては幸いだ。

 教わった通路を進むと確かにトイレがあった。その前にある扉。そこを進むと桜がいる場所に着くのではないかと思ったが、それをする勇気は今の天宮にはない。
 トイレに入って洗面所で口をすすぐ。さらには何度も顔を洗ったところで少し動揺も治まってきた。

「……よし」

 鏡に映る自分を見ながら気合いを入れると、トイレを出て正面の扉の前に立つ。そこで大きく一度、深呼吸。気持ちを落ち着かせて扉に手を伸ばす。

「止めておいたほうがいいね」

「えっ?」

 不意に掛けられた声に驚いて天宮が声のした方向に視線を向けるとそこには、見たことのない男性が立っていた。二十代後半くらいの、これまで見た研究所員とは異なり白衣ではなく黒い服を着た男だ。

「それに鍵が掛かっている。中には入れないよ」

「……貴方は?」

「君は天宮杏奈さんだね?」

 天宮の問いに答えることなく男は逆に問いを返してきた。

「そうですけど」

「……なるほどね。噂通りの人のようだ」

 上から下に視線を動かし、天宮の全身を無遠慮にながめる男。天宮にとって不快を通り越して強い忌避感を覚える視線だ。

「……僕のことを知っているのですか?」

「それはそうだ。君は有名人だからね。今日、研究所に来ていると聞いて会いたいと思ってここに来た」

「貴方は誰?」

 もう一度、天宮はこの問いを口にした。男からはどこか怪しげなものを感じる。本能的な警戒心がわいてくるのだ。

「そうだね。君には名乗っておこう。僕は――」

「天宮くん! 大丈夫か?」

 男の名乗りを邪魔する声。葛城陸将補の声だ。

「は、はい。特に何も」

 その声に天宮は視線を向ける。通路の向こうから葛城陸将補が近づいてきていた。

「気分はどうだ? 少しは楽になったかな?」

「えっ……はい。それは平気です」

 葛城陸将補の問いの意味を天宮は誤解していた。大丈夫かは話している男に対する問いだと考えていたのだ。

「そうか。それは良かった。でも少し休んだほうが良いな。帰りもずっと装甲車の座り心地が最悪な座席の上だからな」

 男のことを全く無視して話を進める葛城陸将補。

「はい。でも、この……あれ?」

 そんな葛城陸将補に天宮は男について話そうと視線を戻したのだが、その時には男の姿は消えていた。

「どうした?」

「声を掛けられる前まで男の人と話をしていたのですけど、いつの間にかいなくなっていて」

「……私には見えなかったが?」

「えっ?」

 葛城陸将補には男は見えていなかった。それを聞いて天宮は驚きの声をあげた。

「……隠し通路でもあるのかな? そうだとすると……油断も隙もないな。天宮くん。言っておくが研究所の人間には気を許すな。何を企んでいるか分からんからな」

「……はい。気をつけます」

 葛城陸将補に言われるまでもなく、先ほどの男には気を許す気にはなれない。あの男から感じる得体の知れなさ。それは尊のそれに似ていて、それでいて非なるもの。何故だか分からないが近づいてはいけない存在だと心の中の何かが訴えていた。