月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

四季は大地を駆け巡る #82 裏の顔

異世界ファンタジー小説 四季は大地を駆け巡る

 夏たちと別れて城に向かうクラウディア。その足取りは重い。ジュンに言われたことに胸を痛めているのだ。
 自分はヒューガと別れてから何も変わっていない。クラウディアにはその自覚があった。だが、変わる為に何もしていないと他人から言われると、ここまで落ち込んでしまう。自覚はあっただけで、本当の意味で焦りはなかったのだ。
 自分が何を行いたいのか。それがクラウディアには定まっていない。同じく定まっていなかったはずのヒューガは、とっくに動き出しているというのに。
 自分はどうすれば良いのかをクラウディアは改めて考えてみる。ジュンに言われた通り、強くなる為の努力をする。だがクラウディアは今日、ジュンたちを見て分かってしまった。彼女たちは自分よりも、ずっと魔法の才能があると。
 魔法では一番にはなれない。では他に何があるのか。

「クラウ!」

 クラウディアの名を呼ぶ声。考え事をしながら歩いている内に、城の近くまで辿り着いていたようで、チャールズが急ぎ足で近づいてきていた。

「どうしたの? 何かあったのかな?」

「……何もないよ。チャールズこそ何かあったの? どこかに出かけるの?」

 ここは城の外。クラウディアは、チャールズがどこかに行く途中で出会ったのだと考えた。

「違うよ。クラウが元気なさそうに見えたから、心配で迎えに来ただけ」

「えっ?」

「たまたまだよ。窓の外を見ていたら、クラウの姿がたまたま見えただけだ」

「そう……」

 城の窓から見て、元気がないのが分かってしまう。自分がどんな様子で歩いていたのか、クラウディアは少し心配になった。

「……やっぱり何かあった?」

「別に……」

 別に何もない、という雰囲気ではない。

「でも元気がないと感じたのは間違いなさそうだ。僕で良ければ話を聞くよ。大して役に立たないと思うけど、人に話して気が楽になることもある」

「でも……」

「良いから、話して」

「……私は何もしていないって」

 チャールズに重ねて言われて、クラウディアは話をする気になった。

「えっと……何もって何かな?」

 だがそれだけではチャールズには何のことかまったく分からない。

「何もは何もだよ。ヒューガの為に何もしていない」

「そういう話か」

「ジュンちゃんに言われたの。私たちは頑張っているのに貴女は何をしているのって。私、何も答えられなくて……」

「そんなことを言われたのか……でも、何かするにしても彼は近くにいないのだから、どうしようもないよ。責められることではないと思うよ?」

 クラウディアを慰めることを目的としているチャールズだ。その意見はどうしても彼女に甘くなってしまう。

「彼女たちはヒューガの為に強くなろうとしているの」

「じゃあ、クラウも強くなる努力をしてみる?」

「でも私は彼女たちとは違う」

 彼女たちと違って才能がない。頑張っても彼女たちを超えることは出来ない。それでは意味がないとクラウディアは考えている。

「それで良いのじゃないかな?」

「えっ?」

「クラウはクラウ。他の人と違うのは当たり前だよ。同じことをする必要もない。それに僕はこう思うよ。ヒューガ殿はクラウに何かして欲しいなんて望んでいない」

「そうなの?」

「そうだよ。相手からの見返りなんて求めない。それが本当に相手を想っているってことさ。もしヒューガ殿が何か見返りを望んでいるのだとしたら、それは……まあ、そういうことだよ」

 相手を想っているだけで満足。チャールズはそれが本当の愛情だと考えている。そう思いたいのだ。

「そっか……チャールズはやっぱり大人だね?」

「僕が大人? どうして、そう思うのかな?」

「だって、そんなことをサラッと言えちゃうってことは、チャールズはそういう想いを持っているってことでしょ?」

「……そうだね」

 チャールズの口からは、少し迷いながらも、肯定の言葉が出た。ここは否定するべきだと分かっていても、それが出来なかった。

「へえ、どんな人なの?」

「それは教えられないよ」

「どうして? 良いじゃない、どんな人かくらい教えてくれても」

 興味津々といった様子でチャールズを見つめているクラウディア。

「……その人は」

 その瞳を見つめ返して、チャールズはゆっくりと口を開いた。

「その人は?」

「とても可愛らしくて、優しくて、キラキラと輝いていて……僕にはとても手が届かない人だ」

 少し照れた様子でそう語るチャールズ。その表情に照れとは違う感情が混じっていることにクラウディアは気付いた。

「そんな人がいるんだ。でもチャールズで手の届かない人って、どういう人? もしかして、チャールズは辛い恋をしているの?」

 身分だけでいえばチャールズは、パルス王国の王女であっても妻にする資格がある。その彼が、手が届かないと言うからには、特別な事情がある相手なのだとクラウディアは考えた。

「いや、良い恋だと自分では思っているよ」

「そう。じゃあ、良かった。上手く行くと良いね」

 無邪気な笑みを向けてチャールズの恋を応援するクラウディア。その笑みがチャールズには辛い。

「残念ながら、その人は僕なんか眼中にないよ。他に大切な人がいるんだ」

「それでも辛くないの? ……そうだね。チャールズはカッコイイし、優しいから、きっといつかその人もチャールズのほうを振り向いてくれるよ。頑張ってね」

「……ああ」

 本当にそんな日が来れば良い。でも期待してはいけない。

「さあ、もうお城に戻ろう」

「良いのかい? さっきまで悩んでいたことは」

 いつの間にか話題は自分の恋愛になっていた。肝心のクラウディアの問題は少しも解決していないとチャールズは思う。

「チャールズのおかげで気持ちがすっきりした。ヒューガの為ってことに拘らないで、私は私がやるべきことをやれば良いの。自分を成長させる為に何をするか。それが、私が今考えることなの」

「……そうだね。それが正しいと思うよ」

「チャールズにも正しいと言ってもらえた。うん。これで良し。さあ、行こう!」

「ちょっと!?」

 自分の腕に手を回してきたクラウディアに、チャールズは驚いている。
 子供たちはいつもこんな風にじゃれ合っている。クラウディアはそれが少し羨ましかったのだ。自分の幼馴染み、味方であるチャールズと同じように仲良くしたいと思った。
 それは無自覚の子供たちへの対抗心。子供たちに負けないように頑張るという思いからの行動だ。

 

◆◆◆

 城に戻ったクラウディアとチャールズは、その足でイーストエンド侯爵の執務室に向かった。二人の戻りを待ち構えていた使用人がイーストエンド侯爵の指示を伝えてきたのだ。
 どのような用件かは分からない。そこまでは伝言を預かってきた使用人も知らなかった。珍しいことではない。使用人には教えられない重要な情報も中にはある。今回もそういうことだ。

「戻ってきたばかりで、すまない。少し話したいことがある」

「東方連盟で何か動きがありましたか?」

 チャールズは、話は東方連盟に関わることだと考えていた。それが今現在、イーストエンド侯爵家がもっとも注視していることなのだ。

「東方連盟に関係している可能性はあるかもしれないが、断言は出来ない」

 イーストエンド侯爵の話を聞いて、クラウディアは少しガッカリした。ヒューガに関わることではないと思ったのだ。だがそれであれば何故、自分も呼ばれたのかの疑問が生まれる。

「具体的には何が起きたのですか?」

「盗賊の動きが激しい。これほどの状況は、私が知る限り初めてだ」

「……どの程度なのでしょうか?」

 イーストエンド侯爵が初めて経験する事態。余程のことだということは分かっても、具体的なイメージまではチャールズには湧かない。

「確認出来ているだけで、集団としては十を超えている」

「そんなに? これまでそんな報告は上がってきていなかったと思います」

 領内の治安に関わる重要情報だ。兆候があれば、もっと前から情報として上がっていたはずだとチャールズは思う。

「ああ、それは私も確認した。つまり、いきなりそれだけの数が現れたということだな」

「……偶然ではないですね?」

「偶然のわけがない。何者かの指示で動いているのだろう」

 いきなり盗賊の数が増えた裏には、何者かの意思がある。これは明らかだ。

「……傭兵王ですね?」

「そうは言い切れん」

「そうなのですか?」

「傭兵王が何故この時期に盗賊を動かす必要がある? 奴の戦場は東方連盟の中央のはずだ。西の、それも我が国に今の段階で手を伸ばすのはおかしいとは思わんか?」

 傭兵王、マーセナリー王国にそんな余裕があるのか。仮にあるとしても、今はまだ傭兵王はパルス王国に手が届かない。盗賊を動かして隙を作ることに意味はない。

「確かに……ですが絶対に違うとも言えません」

「そうだな」

「とにかく、討伐軍を出さなければいけませんね。盗賊の住処は洗い出されているのですか?」

 裏が分かっていないからといって、放置しておくわけにもいかない。速やかに対処することで、今は見えていない意図を挫くことも出来るかもしれない。

「全てではない」

「分かっている所だけでも潰しましょう。数はどれくらいですか?」

「百人規模が二か所。三十人規模が五か所。分かっているのはそれだけだ」

「数的には問題ないですね。でも、七カ所か。離れていると面倒ですね?」

 少ない数ではないが、軍を動かすとなれば問題ない。問題があるとすれば位置関係だ。討伐は同時に行うほうが望ましい。余所で軍の襲撃があったことを知れば、アジトを変える盗賊もいるはずだ。

「当家の軍は百人規模の盗賊のアジトに向かう」

「……そのあとで残りですか?」

「それは傭兵ギルドに任せようと思う」

「三十人規模を五か所。傭兵の負担が大きすぎます。それに時間もかかるでしょう。時間がかかればその分、民に被害が出ます」

 イーストエンド侯爵領内で働いている傭兵の数は、王都に比べればずっと少ない。五カ所もの同時対応は出来ないとチャールズは考えた。

「領主としての特別依頼を出す。イーストエンド侯爵領で働いている一定以上ランクの傭兵は全員参加ということになるな」

「……あの、それはクラウもですか?」

 クラウディアも登録している。全員参加となれば、クラウディアも依頼を受けなければならなくなるはずだ。

「クラウは別にどうとでもなるだろ?」

「……では、彼らは?」

「参加することになるだろうな。ランクが適合していれば」

 三十人規模の盗賊討伐、それも五カ所となれば支店に活動登録している全ての傭兵が参加しても十分とは言えないはずだ。それでも領主からの特別依頼となれば、傭兵ギルドは無理をして受ける可能性が高い。まず間違いなく夏と冬樹、そして子供たちにも参加要請が行くことになる。
 わざわざそんなギリギリの対応を傭兵ギルドに求めるイーストエンド侯爵。何らかの意図があるのは明らかだ。

「……伯父様はヒューガがこの件に絡んでいると思っているのね?」

 クラウディアはイーストエンド侯爵の思惑を見抜いた。イーストエンド侯爵は夏たちを依頼に参加させたいのだ。それが何故かと考えれば、こういう結論になる。

「えっ? そんな馬鹿な。そんなことないですよね、父上?」

 その可能性に思い至らなかったチャールズは、クラウディアの話を聞いて、驚いている。

「……可能性がないわけではない。盗賊を使う手口はエルフの救出の時と同じ。そして我等パルスの人間はエルフの恨みを買っている。攻められる理由は十分にある。この時期に東方で動くのは傭兵王でなければヒューガ。そう考えるのが普通であろう?」

「そんな……」

「そう思っているのに、彼らを討伐に向かわせる理由は何なの?」

 きつい目でイーストエンド侯爵を睨むクラウディア。イーストエンド侯爵の考えに納得していないのだ。

「分かっているのだろう? ヒューガ絡みであれば、彼らが参加する討伐部隊は安全だ。そしてそれがヒューガが絡んでいるという証拠になる」

「絡んでいなかったらどうなるの?」

「普通に討伐依頼を完遂するだけ。心配するな。我が家の者を同行させる」

 では絡んでいると判断された時、その同行した人たちはどういう行動を取るのか。これもクラウディアにはすぐに分かる。

「私もその討伐依頼に参加します」

「クラウ!?」

「チャールズ、私も傭兵ギルドに参加しているの。参加しないわけにはいかないよ」

 これは口実。夏たちに危害を加えるような真似は許さない。これがクラウディアが依頼に参加する目的だ。

「でも、父上が言う通り、それはどうにでもなる」

「それをしてしまったら、もう彼等は私を受け入れてくれないわ」

 口実ではあるが事実でもある。イーストエンド侯爵家の特権を利用して、討伐依頼を逃れたと知られれば、子供たちは決してクラウディアを仲間とは認めないだろう。

「……ふむ。好きにすれば良い。別に私は彼らを始末しようというわけではない。彼等と同行する限り、クラウの身は安全だ。どちらの結果であろうとな」

「では僕も!」

「お前は領地軍を率いて別の盗賊討伐だ。そんなことは分かっているだろう? そもそもお前は傭兵ではない」

「そうですが……」

 チャールズに依頼を受ける資格はない。ただそれもどうにでもなるはずだ。同行するイーストエンド侯爵家の騎士たちも全員が傭兵登録しているとは思えない。

「討伐依頼はいつ?」

「もう依頼は出している。今日中に招集がかかるだろう。早ければ明後日には出発だな」

「さすが伯父様、動きが早いのね?」

「嫌味か?」

「嫌味くらい言わせてくれても良いと思うの」

「そうだな」

 まったくクラウディアに相談することなく、イーストエンド侯爵はこれを決めていた。今日この場に呼ばれたのは、事実を告げることだけが目的。この場でクラウディアがどれだけ反対しても、取りやめるつもりはなかったのだ。
 それにクラウディアは怒っている。だが怒っても、やはり事態は変わらないのだ。

 

◆◆◆

 イーストエンド侯爵領内で活動登録している傭兵に召集がかかった。イーストエンド侯爵の特別依頼による盗賊討伐がその任務。特別依頼となれば、傭兵ギルドから指名された傭兵に拒否する権利はない。依頼を拒否すれば除名処分だ。
 指名といっても、今回の特別依頼においては、ギルドには選抜するだけの数の余裕はない。一定以上の実力者は全員が参加。具体的にはCランク以上は全員参加だ。

「この時期に特別依頼って……やってくれるわね」

 夏たちにも当然、ギルドから参加指示が届いた。

「全員が対象だからな」

「シカトする? 登録抹消されてもかまわないでしょ?」

「駄目だろ? 除名になれば身分証を失うことになる。ずっと森に籠っているつもりなら構わないけどな」

 夏と冬樹、そして元貧民区の住人たちも、他に身分を証明するものを持っていない。近隣を動いている分には問題ないが国境を越えるなどは出来なくなる。

「……そうね。自由にこの世界を動けなくなるのは困るわね。冬樹にしては珍しく良いところに気が付いたわ」

「誰でも気付く。そうなると参加するしかないな。依頼は盗賊討伐だっけ?」

「そう。でも三十人の盗賊の集団。それも五か所よ。そういえばイーストエンド侯爵領に傭兵ってどれくらいいるのかしら?」

「イーストエンド侯爵領は広い。それに魔獣も他の地域よりも強いからな。百を超えるくらいは軽く集まるじゃろ」

 夏の問いに答えたのはバーバだ。ギルドは登録者数などを公表していないので、あくまでも推測だ。

「多いのか少ないのか分からないわ。たったそれだけって気もするけど」

「他に比較すれば多いはずじゃ。ただそれが今回の依頼を達成するに十分かは別の話じゃな」

「そうね。さて、どうする? 傭兵の数からいって、任務は一カ所だけで済みそうもない。任務が終わるには少し時間がかかりそうよ。バーバさんたちは先に行く?」

「おや? もう向かうことに決めたのか?」

 「先に行く」の行き先はヒューガがいるドュンケルハイト大森林。そこ以外にない。

「ええ、さっき決めたわ」

「それはまたどうして?」

「だって、おかしいわよ。盗賊が何カ所も同時に現れたから特別依頼。違うわよね? 普通は領地軍の出動でしょ? 聞いた話では領地軍も確かに出動するようよ。でも向かうのは二カ所だけ。そして残りは全部傭兵ギルドに押し付けた」

「ふむ。何か意図があってのことか」

「私たちに関係のない目的だったら良いけど、そうでなかったら? 私たちを依頼に強制的に参加させるとしたら、その先の目的はヒューガしかいない。それって盗賊を動かしているのはヒューガって考えてるってことじゃない?」

 夏はイーストエンド侯爵の意図をあっさりと見抜いてみせた。領主からの特別依頼なんてものは、滅多に出るものではない。まして盗賊討伐などでは。その為に領軍があるのだ。
 
「良く回る頭じゃな。ヒューガに似てきたのではないか?」

「あら、そうだとしたら嬉しいわね。とにかく、あたしは人の策で動かされるのが嫌いなの。そしてそれをしたのが領主様となれば、もうここにはいたくない」

「……どうやら侯爵は失敗したようじゃな」

 イーストエンド侯爵の策は夏に敵意を抱かせてしまった。余計な真似をしてしまったものだとバーバは思う。

「失敗したのかは分からないわよ? 何をしたいのか分からないもの。あたしたちをディアから引き離したいのなら大成功でしょ? 侯爵みたいな偉い人から見れば、あたしたちはディアに群がる虫みたいなものなのよ」

「……そこまで酷くはないじゃろ」

 夏の言い方はイーストエンド侯爵に対する悪意の存在を示すものだ。もっとも友好的である夏をイーストエンド侯爵は自ら遠ざけてしまった。

「どうでも良いけどね。話は戻るけど、どうする?」

「仮に儂らが先に消えたとして、それが気付かれたらどうなる?」

「あたしたちへの監視が厳しくなる。一緒に行ったほうが良いわね。依頼から戻って来られるのはいつかしら?」

 先行させてしまうと残った人たちの脱出が面倒になる。全員で向かうことになったのだが、それをいつにするか。夏はそれを考える為に、依頼の完了目安を冬樹に尋ねた。

「さあな。盗賊のアジトの位置が分からない。相手の強さもな」

「周りの頑張りに期待ってところね」

 同行する傭兵たちの頑張りによって完了にかかる期間は変わる。そう夏は考えたのだが。

「いや、師匠には全力で行って良いと言われた」

「違う。全力で行けと言ったのだ」

 冬樹の言葉をすぐにギゼンが否定する。意味が違ってくるのだ。

「ギゼンさん。周りには他の傭兵もいるのよ?」

 これまでは手の内を隠してきた。それを今回、気にしないで良い理由が夏には分からない。

「大森林に入れば魔獣との戦いしかないだろう。人との実戦を行う機会はこれを逃せば、次にいつあるか分からない」

 つまり人殺しを経験しろということ。こう夏は理解した。彼女がそうだったのだ。パルス王国軍でグレゴリー大隊長は最後の鍛錬として人殺しの経験を夏たちに積ませた。それを同じことをギゼンも考えているのだと。

「……分かったわ。やっぱり先に行っておく?」

「どうしてじゃ?」

「あたしたちが頑張って注目を浴びたら、それはそれで逃げ出すのが大変かも?」

「結論が出せないなら相談してみれば良いじゃろ? こういうのは専門家の意見を聞くのが一番じゃ。合図をしておけば、向こうから接触してくるのじゃな。儂らでどうするのが一番良いか相談してみる」

 分からないことを悩んでいても時間の無駄。移動の手引きはヒューガの側でしてくれるのだ。彼の部下に聞くのが一番だとバーバは考えた。

「そうね。さて出発は明後日か。みんな大丈夫?」

 子供たちに問い掛ける夏。夏はひどくショックを受けて、しばらく立ち直れなかった。子供たちが同じようにならないか不安なのだ。

「大丈夫って何がだ?」

 夏の問いにジャンが問いで返してきた。

「何がって……人と戦うのは初めてでしょ?」

「初めてなのかな? まあ、初めてか。でも俺たちも前に比べれば強くなったからな。そう簡単にはやられない」

「鍛錬通りに出来ればね。それが出来れば、相手がよっぽどじゃなければ大丈夫よ」

 ジャンたちは強い。盗賊相手であれば、平常心さえ持ち続けていられれば問題ない。ただその平常心でいられるかが夏は心配だ。

「おお、ちゃんとやる」

「……動揺しないように」

「動揺? 何で動揺するんだ? 戦いに臨んでは常に冷静に。ちゃんと師匠の教えは覚えてるぞ」

「そうだけど……」

 夏の心配は、ジャンには上手く届かない。ここはもっとはっきりした言葉で伝えるべきかと夏が考えた時。

「あのさ、夏……多分だけど、お前の心配は無用だと思う」

「……どういう意味?」

「少なくとも人の死で動揺することはないと思う。もしかしたら、経験があるんじゃないかな?」

「……嘘でしょ?」

 冬樹が言っている経験。それは人を殺した経験のことだ。子供たちにはその経験がある。にわかには信じがたい。上のほうの子は、夏が経験した時とそれほど変わらない年齢。だが、それは今そうだということであって出会った時は、当たり前だが、もっと幼かったのだ。
 夏に視線を向けられたバーバは、わずかに首を振っている。否定か肯定か。それだけでは分からない。

「えっと……人が死んだのを見たことある?」

「ん? あるに決まってるだろ? 毎日のように人が死んでいたからな」

「物騒な場所だものね?」

「ああ、危ない場所だからな」

 貧民区とその周辺の歓楽街はかなり物騒な場所だ。一時、貧民区で暮らしていた夏だが、表面を見ていただけでは本当の恐ろしさは分からない。

「どんな死に方を見たのかなぁ?」

「……ナツ姉は何を聞きたいんだ?」

「……人を殺したことある?」

 結局、ストレートに聞くしかなかった。どのような答えが返ってくるのは夏は恐い。

「う~ん」

「悩むことなの?」

 ジャンからはすぐに返事が出なかった。

「ヒューガ兄に、そういうことには答えちゃいけないって言われてる。でも聞いているのはナツ姉だからな。答えて良いのか駄目なのか悩んでた」

「あっ、そう。つまりヒューガは答えを知ってるのね?」

「もちろんだ」

「それで答えちゃダメと言ったと?」

「そうだな」

「じゃあ、答えなくて良いわ」

「そうか」

 殺しているのだ。そうでなければ口止めする必要はない。この事実は驚きであるが、問いを発した時にはほぼ分かっていたこと。それよりも夏を驚かせているのは、ヒューガも知っていたという事実だ。
 これが分かっていてヒューガは、ジャンに姓を与えて義兄弟のような立場になった。ヒューガの、そしてジャンの奥の深さを夏は感じた。だがこれで終わりではない。

「知ったところで意味はない」

「ギゼンさん……」

 夏の気持ちを見透かしたような言葉。実際に見透かしているのだと夏は思った。

「私が彼らに教えているのは人殺しの技だ。それはナツも同じ。ナツが身につけたものは人を救う魔法ではないだろ?」

「そうだけど……」

「問題はその動機。そして私は、人殺しを楽しむような者を弟子にした覚えはない」

「……そうね。この世界はそういう世界だったわ。魔獣の相手ばかりで私もちょっと気持ちが鈍っていたわね。覚悟を決めなければいけないのは、私だったわね」

 この世界は殺されたくなければ相手を殺さなければならない世界。以前、決めた覚悟を忘れていた自分に夏は気付いた。今度の依頼でまた夏は人を殺すことになる。子供たちがいる前で、前回みたいな無様な真似は出来ない。

「大丈夫か?」

「ええ、問題ないわ。でも冬樹は気付いてたのね?」

「ああ、なんとなく」

「何で?」

「立ち合いの時の様子だな。師匠の教えは一撃必殺。急所を確実に撃てだからな。子供たちはそれをよく理解している。人の急所ってものを」

「あら、そう」

 疑問は明らかになった。ジャンだけではないということだ。
 表に出さないが、夏は恐怖を感じている。あどけない子供たちを知っているから、尚更だった。そしてそれを普通に受け止めていたであろうヒューガにも。

(あいつ、本当に同じ世界で育ったのかしら? 今更だけど、元の世界でヒューガに喧嘩を売った馬鹿共が、どんな目に遭ったか知りたくなったわ)

 今度会った時にヒューガに聞いてみようと夏は決めた。恐怖は感じるが聞かないではいられない。怪談を聞くようなものだ。
 こんな風に考える夏も、かつての夏ではない。かなりこの世界の色に、影という表現が合っているかもしれないが、染まっているということだ。