何かと周囲を悩ますリオンだが、その影響を受けた者がまた一人増えた。近衛騎士のソルだ。戦いを共にはしていたが、常に一定の距離感を保って、ソルはリオンに接していた。
何故かと聞かれてもソルは何も答えられない。敢えて答えれば、近づいてしまうと、ずっと自分が守っていた何かが壊れてしまうような気がしていて怖かった、となる。自分で考えても、何とも馬鹿馬鹿しい理由だ。
だが、近づいてはいないが、リオンの事は、ずっと観察し続けていた。
その結果分かったのは、能力だけで言えば、全体的にかなり優秀だという事だ。剣はまだまだだが、これから成長するのは間違いない。魔法は驚くべき才能を発揮している。部隊の指揮官としても優秀で、王国騎士兵団に入れば、すぐにでも千人を率いる将になれる。万人でも率いられる気もしているが、リオンに付いていける兵が万人いるかという事のほうが問題になりそうだ。
だが、リオンという人物は能力だけで語れない何かを持っているとソルは感じている。それが何かと言われれば、難しい。とにかく複雑で、色々な言葉が当てはまるのだ。その内の一つをあげると、良く言えば退屈しない興味深い人物で、悪く言うと、危なっかしくて、とても見ていられない人物となる。
これは正しくはない。ソルの評価は自分の気持ちを誤魔化しているのだ。危なっかしてく、とても見ていられないが、つい手を差し伸べたくなる。これが本当の評価だ。
だがソルはこの気持ちは認めるわけにはいかない。自分が支えるべき相手は、ずっと前から決まっているという強い思いがあるからだ。
その別の人物が、実はリオン本人であると知らないままに、今日もソルはリオンの危なっかしさに驚かされている。
王都への帰路につく初日から、リオンが馬鹿な真似を始めたのだ。
「……本気なのか?」
「魔物に出来て、人に出来ない事はない」
「いや、それは間違いだ。魔物だから魔獣を操れるのだ」
「それこそ間違い。魔獣と魔物は別もの。魔獣はちょっと凶暴な獣だ」
「あれを、ちょっと、と言うのか?」
ソルの視線が何本もの縄を掛けられた状態で木につながれている魔獣に向く。かなり、厳重に拘束してあるはずなのだが、そんな事は関係なしに、魔獣は拘束を解こうと暴れまわっている。
その魔獣にリオンが何をしようとしているかというと、ニガータの戦いで魔物が魔獣を馬代わりにしていた事を真似ようとしているのだ。
「捕まれば獣だって暴れる。同じだな」
「……どうして、そう考えられる? 自分には理解出来ない」
「俺とお前は別人だ。理解出来なくて当然だな。さて、無駄話をしている暇はない。とにかく、やってみることだ」
こう言って、リオンは恐れる様子もなく、魔獣に近づいていく。それがソルには信じられない。魔獣は確かに馬と似た姿形はしている。だが、その額には角が伸び、口には鋭い牙が並んでいる。口をあけた状態だと、漆黒の体躯に真っ赤な口が変に目立って、酷くグロテスクに感じる。
その魔獣にリオンは乗ろうというのだ。正気とは思えない。
「さて、始めるか……といっても、どうするかな?」
魔獣の近くまで行ったものの、リオンはどうすれば良いか分からずに悩みだしている。部隊を動かす時には、用意周到であるのに、こういう時は変に抜けている。ソルも既知の事だ。
「とりあえず、傷を治してやった。礼を言ったらどうだ?」
今度は魔獣に向かって、話しかけている。戦いで傷ついて、倒れている魔獣を助けたのは確かにリオンだが、それを魔獣が覚えているはずがない。そもそも言葉が通じるとはソルには思えない。
案の定、魔獣が大人しくなる様子は一向にない。
「……よし、じゃあ、今度は餌付けだ。この肉が欲しければ、俺を乗せろ」
いつの間に用意していたのか、リオンは肉の固まりを持っていた。それを魔獣に見えるように差し出して、話しかけている。それを見て、やはりソルは呆れた。獣であれば、餌付けは効くかもしれないが、それは一度や二度で、出来る事ではないとソルは知っているのだ。
「あっ!?」
突然、響いたリオンの驚く声。リオンが手に持っていたはずの肉が宙を飛んでいる。リオンの油断をついて、魔獣が額の角で跳ね上げたのだ。更に、器用に角を使って、肉を自分の足元に落とすと、首を伸ばして食べ始めた。
「この野郎。人が優しくしていれば調子に乗りやがって。こうなったら、力づくで言うことを聞かせてやる」
力づくとは何をするかと見ていれば、驚いた事にリオンは、魔獣をつなげていた縄を自分の剣で切り始めた。周囲が驚いているのも気にせずに、あっという間に全ての縄を切り払ってしまった。
「逃げるなよ。堂々と勝負しろ」
それを魔獣に言っても、とソルだけでなく周囲の全員が思ったのだが、何と魔獣はリオンの言葉が分かっているかのように、逃げる事をせずに、リオンと向かい合っている。
そこからリオンと魔獣の戦いが始まった。
角を振り回して、リオンに襲いかかる魔獣。だが、リオンは角の攻撃を見事に躱して見せている。元々、防御に関しては、それなりの技量を持つリオンだ。剣を躱すのと同じように、うまく角を避けている。
魔獣の隙を見つけて、リオンは魔獣の横をすり抜けて、懐に入る。すかさず、魔獣は前足を高く掲げて、そこからリオンを踏み潰そうとした。更にそれを避けたリオンは、一瞬で魔獣の背中に飛び乗った。
「よし!」
という言葉の一瞬の後。魔獣が、逆立ちかと思うくらいに、後ろ足を大きく跳ね上げた事で、リオンは地面に転がり落ちる。そこに魔獣の前足が降ってきたが、リオンは大きく後ろに飛び退る事でそれを避けた。
「……跨っても抵抗するとは。これは、どうやったら勝ちなんだ?」
こんな疑問を口から出されても、誰も答えなど持っていない。持っているとすれば魔獣だが、魔獣が答えるはずがない。
「よし、こうなれば意地でも俺の馬にしてやる」
諦めるどころか、ますます熱くなるリオン。こうなるともうリオンがちょっとやそっとの事では引かないと分かっているバンドゥ領軍の者たちは、長期戦を覚悟して、地面に腰を下ろし始めた。それを見た近衛騎士も、領軍の兵士に倣う。
実際にここからは長期戦になった。何度も何度も、魔獣の攻撃をすり抜けては、背中にまたがるリオン。その度に激しい動きで魔獣はリオンを振り落とす。何度振り落とされてもリオンは諦めない。何度も何度も魔獣の背に飛び乗っては振り落とされるを繰り返している。
「これはいつまで続くのだ?」
「リオン様が納得されるまでですからね。今日は出発出来ないかもしれませんね」
ソルの疑問の声に答えたのはキールだった。
「それでは行軍の予定が」
「狂いません。行軍の予定はリオン様の頭の中にあるのですから」
「帰りも続けるというのか?」
行きで実施していた行軍訓練。キールはそれを帰りも行うと言っている。
「リオン様は、我らの動きに納得していない様子でした。そんな状態で訓練を続けないと思いますか?」
「……そうだな」
納得するまで続ける。全ての事がそうなのだ。そうなると目の前の戦いはキールの言う通り、当分終わりそうもない。それだけの体力がリオンにあることも戦いに同行する中でソルは知っていた。
だが、今回に限ってはキールの読みは外れた。
「……今日は止めだ。お前、怪我から完全に回復していないだろ? そんなお前に勝ってもな」
魔獣にこう告げると、実際にリオンは戦いを止めて、戻ってこようとしていた。魔獣に完全に背を向けて。
「リオン様!?」
さすがにこれにはキールが焦った。リオンが止めたといっても魔獣が襲うのを止めるとは限らない。普通は、間違いなく襲いかかる。
「……嘘?」
だが、魔獣がリオンに襲いかかる事はなかった。それどころかこの場から逃げようともしない。
「出発の用意を」
周囲が魔獣の様子に驚いてる事など、リオンは全く気にしていない様子で、出発の指示を告げている。
「リオン様?」
「何だ?」
「あの魔獣はどうされますか? 又、縄で繋いで」
「ああ、それ無理。怪我人を出すだけだ。それに縄で繋いだままにしておいたら、勝負が出来なくなるだろ?」
リオンは諦めたわけではない。今日は、終わらせただけだ。
「しかし、どうやって?」
繋ぐことをしなければ、魔獣は逃げる。リオンがその気でも、再戦は出来ない。これが常識的な考えなのだが、リオンは違っていた。
「元気になったら向こうから挑んでくると思う」
「……どうしてそれが分かるのですか?」
「あの魔獣、多分、言葉が分かっている。目が俺の言葉に反応していた」
「魔獣が人の言葉を?」
「そういう魔獣が居てもおかしくないだろ? まあ実際にどうかは分からない。何となく、そんな気がしただけだからな」
「はあ」
人の言葉が分かる魔獣が存在する。これは、この日から数日後に証明される事になる。リオンの言う通りに、魔獣が自らリオンの前に姿を現したのだ。
その日から毎日、リオンと魔獣は、一刻ほど戦っては別れるを繰り返した。途中からは戦いとはいえない。誰の目にも、リオンと魔獣は遊んでいるようにしか見えなくなっていた。
それが数日続いた後、とうとうリオンは魔獣の背に跨って、周囲を駆けまわるようになっていた。それどころかエアリエルまで一緒に乗せたりしている。恐れる事なく魔獣にまたがるエアリエルを見て、似たもの夫婦だと周囲はあきれたものだ。
とにかく、魔獣を騎馬代わりにするというリオンの目的は果たされた。果たされたはずなのだが。
「どうして魔獣を逃がす?」
王都に近づいたところで、魔獣を放そうとしているリオンに向かって、ソルが問いかけている。
「逃がすって、今までもずっと捕まえていたわけじゃない」
「そうかもしれないが、馬の代わりにするのではなかったのか?」
「最初はそのつもりだったけど、止めた」
「だから、その理由を聞いているのだ」
言葉足らずのリオンにやや苛立ちながら、ソルは重ねて理由を尋ねる。
「ナイトメアは、繋いでおくのは無理だ」
「ナイトメア?」
「名前。格好良くないか?」
「……良くわからない」
「つまらない。聞いた相手が悪かったみたいだ」
ソルが良く分からないのは、魔獣に名前を付けようというリオンの考えなのだが、それはリオンには伝わらなかった。
「とにかくナイトメアを厩に繋いでおくことは出来ない。だからといって放し飼いも無理。魔獣と間違えられて殺されては困るからな」
「間違えられるも何も、実際に魔獣だな」
「……野良魔獣と間違われたら困る」
言うまでもないが野良でない魔獣などいない。
「危険である以上、仕方ないのではないか?」
「毎日現れていたナイトメアが誰かを襲ったか?」
「……いや」
「じゃあ、安全だ。怒らせたら知らないけど、それは怒らせた奴が悪い」
「……それほど大切なら、自分の魔獣だと分かるようにしたらどうだ? ここで放しても、どこかで誰かに討たれる可能性がなくなる訳ではない」
魔獣を庇うリオンは、まるで我儘を言っている子供のようだ。そう思ったソルはあまり深く考えずに、これを話したのだが。
「……お前、たまには良い事言うな」
「はっ?」
「そうなると、俺のだって証が必要だな。やっぱり首輪かな? でも首輪は嫌がりそうだな。ただの首輪じゃなくて、格好良い、装飾品のような首輪なら……」
ソルの言葉を受けて、どうすれば自分の魔獣であると示せるかを考え始めたリオン。こうなると、考えがまとまるまでは会話にならない。何度も、そういった状況を見ているソルも知っていた。
「はあ……貴女の夫は、大人なのか子供なのか分かりません」
会話を一方的に打ち切られて間が持たなくなったソルは、隣に居たエアリエルに愚痴っぽく話しかけた。
「リオンはまだ子供だわ」
「最近の彼を見ているとそう思います。仕事をしている時とは大違いです」
ソルから見て、戦いが終わった後のリオンは別人のようだった。実は、そう思っているのは、バンドゥ領軍の者たちもなのだが、ソルは知らなかった。
「疲れているのよ」
「それは当然です。それでも、他の者に比べれば、かなり元気なほうです」
「疲れているのは心。信頼出来ない相手とのやり取りに常にリオンは気を張っているわ。それに比べれば、魔獣の相手はきっと楽なの。だって、魔獣は本心を誤魔化すなんてしないわ」
「それは……」
「そのくせ、勝利の責任を全てリオン一人に負わせている。リオンを怪しんでいるなら、信用していないなら、頼らなければ良いわ。リオンは別に好きで戦っているわけではないの」
エアリエルは怒っていた。リオンが無邪気でいるのは、周囲を気にしている余裕を失っているからだ。それだけ今回の戦いは厳しかった。マリアたちに一切、活躍させずに全ての戦功を自分に持ってくる、という事だけをリオンは考えていたのではない。前回の失敗を絶対に繰り返さないと誓って、一人の住民の犠牲も出させないつもりでリオンは戦っていたのだ。プレッシャーに押し潰されそうになりながら。
リオンはまだ子供だ。この言葉の意味は、子供のリオンにどうして重荷を背負わせるのだという周囲への怒りだ。そして、自分もまた、リオンに背負わせているものがある事への悩みでもある。
「貴方は、忠誠を向ける相手を失ったというけど、本当にそれで苦しんでいるのかしら? リオンは何度も酷い目に遭わされて、人を信用する事なんて出来なかった。それでも信じられる人を渇望していて、兄に出会い、兄を信じ、全てを賭けて兄に仕えたわ」
「自分は……」
「貴方は? 貴方は忠誠を向ける相手を本当に求めているのかしら? リオンを知る私にはとてもそうは思えないわ」
「…………」
ソルは返す言葉が見つからなかった。エアリエルの言葉を否定する気持ちはある。だが、本気で求めていると言い切れるだけの行動をしてきたかとなると、正直自信がない。ただ仕えるべき人を失った事を嘆いていただけのように思えるのだ。
自分に比べて、リオンはどうか。仕える主が死んだ、今もなお、その主の為にリオンは行動をしている。恐らくは、相当に苦しみながら。エアリエルの怒りがそれを示していた。
「エアリエル」
考え事に没頭していたはずのリオンがエアリエルの名を呼んできた。
「どうしたの?」
「恥ずかしい」
「えっ?」
「そういう事を他人に話されるとすごく恥ずかしいから」
「……初めて、リオンに出会った時、私、リオンに言ったの」
リオンの言葉をどう受け取ったのか、エアリエルはソルにいきなり違う話をし始めた。
「エアリエル?」
「リオンの瞳を綺麗って言ったら、リオンも私の瞳を見つめて、ぼうっとしてたわ。リオンはきっとあの時に私を好きになったの」
「ち、ちょっと!? それ全然、話す必要ないだろ!?」
「あと、リオンは十才頃から何人もの侍女を抱いていたわ。子供のくせに体だけ大人だったの」
また、今話す必要など全くない話。それどころか、人に話すような内容でも、妻であるエアリエルが話して良い内容でもない。
「だから、一体何の話を?」
「リオンの恥ずかしい話」
「……どうして?」
「お仕置きだわ。最近のリオンはナイトメアの相手ばかり。私が相手では気持ちは休まらないと言うのかしら?」
「そんな事ない」
「じゃあ、今日から王都に着くまでは私だけを見て。私とだけお話をして」
「エアリエル……分かっ、痛っ!」
エアリエルが愛おしくて、手を伸ばして抱きしめようとしたリオンを邪魔するものが居た。背中に痛みを感じたリオンが振り返ってみれば、ナイトメアが角でリオンの背中を突いている。
「ねえ、リオン」
「えっ?」
「ナイトメアって、もしかして雌なのかしら?」
「さあ?」
「きっとそうだと思うわ……ねえ、リオン」
「何?」
「私は魔獣にまでヤキモチを焼かなければいけないのかしら? それとも焼かれているのかしら?」
「……まさか」
結局、ナイトメアがリオンのもとから離れる事はなかった。それが雌としての好意によるものか、友情なのか、または別の感情からなのかは分からない。
とにかくこの先、幾つも名付けられたリオンの通り名に『魔獣騎士』があったのは、ナイトメアが戦場のリオンの側に居たからだ。