ウェヌス王国軍が領内から撤退したことを確認したところで、グレンはゼクソン王都に入った。王都に入ってすぐに状況の確認に取り組む。真っ先に行ったのは当然、今回の反乱に関わる情報の確認からだ。
その報告を行うのはクレインだ。
「まず今回の反乱の原因。これは言うまでもありませんね。ヴィクトリア様の御子が男子であったこと。そしてその御子に王位を譲ろうという意志が知れたことですね」
「それは分かっている。でもシュナイダーが首謀者であることが未だに納得出来ない」
シュナイダーには謀略の才はない。ただ祭り上げられただけだとグレンは考えている。その祭り上げた者が真の首謀者だ。
「それについては順を追って説明していきますよ。まず、御子が男子であったことについては、侍女が情報を漏らしました」
「侍女? 俺は信頼出来る者だけに」
情報漏洩元を知ってヴィクトリアが驚いている。身の回りの世話をしていた侍女の中に裏切り者がいたのだ。それは驚くだろう。驚くようなヴィクトリアだから、今回の結果になったともいえるが。
「それは甘かったと申し上げるしかありませんね。侍女は銀鷹の一員でした。ただ本人にそのつもりはありませんでしたね。うまく使われていたということですよ」
「侍女にまでか……」
国王であったヴィクトリアの侍女にまで銀鷹傭兵団が潜り込んでいた。全く予想していなかったことではないが、事実だと明らかになれば、やはりグレンも驚いてしまう。
「侍女を送り込んだのがハンマー将軍。最初は惚けていましたが、ハンマー将軍は自分が銀鷹の一員だという自覚を持っておりましたね」
「餌は地位?」
「金ですね。元々は不正の証拠を握られて、それで脅されていたのですよ。脅されたと言いましたが、実際には最初から金を掴まされていたようで、きっかけに過ぎませんね。まとまった金を手にして贅沢を覚え、それから抜け出せなくなった。典型的な取り込みの手口ですね」
「なるほど。目的は何だと思っていた?」
反乱を起こすことが目的ではない。反乱を起こした結果、得られるものが目的だ。
「それは分かっていませんでした。金の為、ただそれだけです」
「そうか」
グレンの顔にわずかに失望の色が浮かぶ。ゼクソン王国の将軍であるハンマーも銀鷹では末端に過ぎないと分かったからだ。
「まずはゼクソンの各将軍についての話を」
「そうだな。その方が分かり易い」
グレンがではなく、聞いている他の者たちがだ。会議の場にはヴィクトリアだけでなく、ランガー将軍とゲイラー将軍、そしてシャドウが同席している。
「シュナイダー将軍は陛下への嫉妬をうまく突かれたようですね。ヴィクトル王子を王位にという話も嘘で、恋に狂ったヴィクトリア様はゼクソン王国を陛下に差し出すつもりだと」
「まさか、それを信じた?」
ヴィクトリアが恋に狂っているかどうかなど、側で見ていれば分かるはずだとグレンは思う。
「驚くべきことに。そしてそれを吹き込んだのがギンガー将軍」
「……本人の意志で?」
「話したのは本人の意志です。しかしギンガー将軍もまた、その情報を吹き込まれているのですよ。ゼークト将軍ですね」
「……それは?」
ゼークト将軍もゼクソン王国を裏切ろうとしたが、だからといって銀鷹に染まっているとはグレンは考えていない。
「はい。それもまたイェーガー将軍にですね。この辺はもうぐちゃぐちゃです。将軍の間を情報が駆け巡り、どこが出元か分からない様になっているのですね」
「結局、大本は?」
「ハンマー将軍に戻ります。ハンマー将軍も人から聞いた話だとしており、それを証明する人もいましたが嘘ですね」
「どういうこと?」
「情報がぐるりと回るようにしていたようです。それでハンマー将軍に話したのかと聞かれれば、相手は話したと言うことになるのですね。単純ですが巧妙ですよ」
「確かに。じゃあ首謀者は操られていたにしろハンマー将軍ってこと?」
これだけの大事が起こって銀鷹傭兵団の中枢に踏み込めないのでは、グレンとしても満足できる結果ではない。
だが、クレインの説明はまだ終わりではなかった。
「いえ、まだあります。反乱に与した将軍のうち半分は動機が異なるのですよ。陛下をゼクソン王位につけるがその動機です」
「はあっ!?」
シュナイダーとは全く正反対の動機。グレンの全く予想していなかった動機だ。
「飛隼のイェーガー将軍、飛燕のジルベール将軍、鹿角のハスラー将軍がこの動機で動きました」
「どうしてそんなことに?」
「偽の情報を入れた者がいます。反乱が起これば、必ず陛下がその鎮圧に現れる。そして反乱が鎮圧された後は、ゼクソンの王位は陛下のものだと」
「それで反乱を。随分な賭けだ」
必ず鎮圧に現れる保証などない。実際にクレインの伝言がなければグレンは動かなかった可能性が高かった。
「陛下も知っているという話になっていたようで」
「俺までか」
間接的とはいえ、自分自信も謀略に組み込まれていた。グレンにとって気分の良いものではない。
「なかなか巧妙です。陛下は王位を望んでいるわけではない。だが息子がいるゼクソンで反乱となればさすがに重い腰を上げざるを得ない。そして結果として王位に就けば、必ず許されるとなっていたようですよ」
「確かに俺っぽい。でも許すとは限らないけどな。情報元は?」
「銀鷹。動いたのは末端ですが、堂々と銀鷹であることを名乗って話をしてきたようですよ」
「それを信じて?」
「将軍たちが信用する人物の名を出したそうです」
「……なるほど、分かった」
この先の話はこの場で聞くべきでないとグレンは思った。
「では整理致しますね。反乱の主犯と言えるのはハンマー将軍。そして、陛下の簒奪を防ぐ目的で動いたのがシュナイダー将軍、ギンガー将軍、荒鷲のクレメント将軍の三名。陛下をゼクソンの王位に就けようと動いたのは、先ほどの三人です」
クレインも話すつもりはない。
「ゼークト将軍は?」
「まだ完全に洗いきれておりません。ただ独自の動きだと思われます」
「……亡命か?」
銀鷹の働きかけで動いたのでなければ、ウェヌス王国本体との繋がりくらいしか考えられない。グレンの予想していた動機だ。
「エステスト城塞を引き渡す代わりにウェヌス王国での将軍位を得るというものではないかと思いますね。白状したわけではありませんが、証言中、何度もゼクソン王国へ見切りを付けたような言葉を発したようです」
「そうか」
ゼークト将軍は優秀な軍人だとグレンは思っていた。そういった人材を他国に追いやってしまう事態に、どうしてなってしまったのかと考えさせられてしまう。
「さて問題は処罰です。これは難しいと思います」
「簡単なところだとハンマー将軍は罪に落とす。許す余地はない。ヴィクトリア様、ゼクソンでの反乱に対する罰は?」
「様はいらない。俺はお前の妻だぞ」
「……ヴィクトリア。反乱に対する罰は何?」
もう何度も言われていること。ただグレンは、いきなり呼び捨てにすることに抵抗を感じている。
「一族郎党全て処刑だ」
ゼクソン王国でなくても、これが当たり前の処罰だ。
「一族はどれくらいいる?」
「それは……」
「両親、弟、親類も含めると二十程でしょうか?」
言葉につまったヴィクトリアの代わりにシャドウが答えてきた。
「その中で受け取った金の恩恵を受けたのは誰か」
「調べます」
「お願いします。ではその結果が出たら判断する」
「待て! まさか許すのか!?」
一族郎党全て処刑にするのであれば、調査の結果を待つ必要はない。グレンは全員を処刑にするつもりはないのだ。
「本人は許さない。でも一族郎党全てを処分するつもりはない。少なくとも郎党全てはあり得ない」
「甘いと思われる」
果断の処分は他の者に同じような考えを起こさせない為の脅しでもある。中途半端な処分は将来に禍根を残す可能性もある。
「反乱は王家の責任でもある。起こした方だけを一方的に処分する気にはなれない……まあ、甘いか」
それは分かっていても、グレンは処分を緩めるつもりだ。
「……良い。今はグレンが王だ。王の判断が絶対だ」
「悪い」
「俺の処分は?」
一方的な処分をしたくないとなればヴィクトリアも何らかの罰を受けなければならないはずだ。
「必要ない。国王を引退した。それで説明はつく」
「甘い」
「俺が決めたことだ。受け入れてもらう」
「……分かった」
少し不満そうな顔をしながらもヴィクトリアはグレンの言うことを受け入れた。処分を受けたいわけではない。ただヴィクトリアなりのけじめというものが、自分にも反乱を起こした者にも必要だと思っているだけだ。
「難しいのは他の六人か。イェーガー、ジルベール、ハスラーの三人は俺への忠誠があって、ゼクソン王国の為だと思って反乱に与した」
「では許せば良い」
「ゼクソンではそうはいかないと思う。彼等は国を乱し、兵を死なせた。兵が増えればルート王国へ連れて行くのも手だけど、それを受け入れるか……後回し」
「おい! 臣下に優しいのは良いが、それでは」
次々と処分を後回しにしていくグレン。何もするつもりがないのかとヴィクトリアは思ってしまう。
「ルート王国に流れる兵の数を確認する時間を取るだけ。ウェヌスの捕虜も結構残りそうだから」
「ああ、問答無用に味方であるはずの軍に攻められそうになったのだったな。それを恨んでか?」
「まあ……」
それだけではない。ウェヌス王国が講和にあたって捕虜の交換を申し出なかったと教えるなど、戦いに参加させる前から不信感を植え付けていた。
「わざとそうさせただろ?」
「たまに鋭い」
「やはりな。そんなことだろうと思った」
「それにハマった相手が悪い。普通は戦いを始める前にもう少し確認するはずだ」
「それをさせないようにしたくせに」
これも正解。ウェヌス王国軍が動き出すのを待ってから捕虜だと教えるなど、現地でも小細工をしている。
「それが策」
「……全く」
「その話はもう良いから。さて兵数の確保とそれを養う目途がつけば三人はルート王国に連れて行く。将軍位は剥奪。それでも一部隊程度は率いてもらうかな」
ゼクソン王国から追放した上でさらに降格、という形にはなっている。
「分かった。残りの三人は?」
「ギンガー、クレメントはゼクソンに残す。将軍位は剥奪。謹慎の後で、ランガー将軍とゲイラー将軍の副官に」
ギンガーとクレメントは降格だけだ。先の三名に比べると罰としては軽い。
「軽いな。副官というのは?」
「軍は再編する。兵団の数を増やして師団にする」
「……任せるが、理由は聞きたい」
「無駄が多すぎる。それは分かっているはずでは? 軍に注力するということで、文官は切れても武官の首を切れなかったってことかな」
「……それはあるかもしれない」
現在の体制はヴィクトリアの父が作ったもの。詳しい事情をヴィクトリアは分かっていなかった。
「駐屯地もまとめて軍務に関わる人数も減らす。軍事的にも一師団として単独で行動出来るようにしたほうが良い」
「しかし、再編には時間がかかる」
「その時間を稼ぐのが外交。今回のウェヌスの失態を最大限に利用する。ある意味、ゼクソンの再興はそれにかかっていると言えるけど、まあこれは後で」
「あのな……」
「今は処罰の話。最大の問題はシュナイダー。シュナイダーは俺を受け入れないと思う」
他の五人は実際のところ、どうでも良いのだ。次代の王はゼクソン王家の正統であるヴィクトルとなり、グレンが国王代行として支える形をとる。これを納得させて、権限を奪っておけばこの先も問題にならない。
逆に彼らの忠誠をもう一度引き寄せる努力をグレンなりヴィクトリアが行わなければならない。
だがシュナイダーはそうではない。
「……そうか」
「ヴィクトリアが気づくべきことだけど?」
シュナイダーが他の者と同じに出来ないのはヴィクトリアへの想いとそれが生んだグレンへの嫉妬があるからだ。簡単に言うとヴィクトリアのせいである。
「それに気が付けないから俺なのだ」
「ここで開き直るか。とにかく嫉妬心を持った男の扱い方を俺は知らない。殺すのも少し忍びない。だが恨みを持った相手を自由にするのも嫌だ。とういうことで良い処罰が思いつかない。死にたければ自分で死ね、は本心だったのだけどな。それも伝わらなかった」
「文官にするのは? シュナイダーは文官の責任者でもある」
「納得するとは思えない。それに頭が悪い。文官は不正を思いつくくらいずる賢い人間が良い。語弊があるか。そういう人間と真面目に与えられた仕事をする者との組み合わせが良い。シュナイダーはどちらにも当てはまらない」
「そうなのか?」
グレンのシュナイダーへの評価は低い。それは逆に高く評価していたヴィクトリアを驚かせた。
「ずる賢くないから反乱に祭り上げられる。真面目にただ仕事をするわけでもないから、余計な疑心を持つ。ただリアへの忠誠心だけを糧に働いていただけだ。それも下心ありの。ちょっと辛口か。でもそう思うな」
「何だ? もしかしてやきもちか?」
グレンがシュナイダーにヤキモチを焼いているのだと思って、ヴィクトリアは嬉しそうに笑みを浮かべている。
「どうして俺が。それと、ちょいちょいデレないで欲しい。今は真面目な話をしているのだから」
「分かっている。ではやはり処分だな。祭り上げられたとはいえ、反乱の首謀者だ」
「それで良い?」
「それは……信頼していた者だ。辛くはある。だが俺は王族で……」
ヴィクトリアがシュナイダーの処分を求めるのは王族としての義務感から。
「でも王ではない……良い、もう一度話してみる。要は俺を受け入れるかどうかの問題だ」
それが分かって、グレンはシュナイダーの処分を、これは本当に先送りにした。
「やはり甘い」
「これは甘いと言われても仕方がない。ただ、今回の反乱からは出来るだけ悲劇の要素を除きたいと思う。出来れば今回のことがあったからゼクソン王国は立ち直った。後々、そう思ってもらいたい」
「……そうだな」
そうならないと、ゼクソン王国はバラバラになってウェヌス王国など関係なく崩壊してしまう。ようやくグレンの甘さの理由がヴィクトリアにも少し分かった。
「結局、処分は決まらないか。まあ急ぐことはない。さてクレイン、最大の関心事に移ろう」
「はい。銀鷹傭兵団と知る知らないに関係なく協力していた者は、現時点で五十名を超えております。摘発した拠点は王都、荒鷹の駐屯地、それと西方の街ライラックの三箇所。当然、これ以外に個々が住んでいた家もあります」
銀鷹傭兵団関係者の摘発は徹底的に行われていた。グレンはこの機会に全ての膿を吐き出させるつもりだ。そうでなくては、この先も安心出来ない。
「多いと見るか少ないと見るか」
「普通です」
「そうなのか?」
「僕が知る限りはこの程度かと」
「あれ? クレインは初めから知っていたのか?」
もともと銀鷹傭兵団の一員であったクレインだ。知っていてもおかしくない。
「知っていた拠点は王都内だけですね。人数としては二十名ほど。でもそれが全てではないってことも分かっていました」
「その倍以上がいたということか」
クレインも全ての繋がりを知っているわけではない。恐らく、クレインだからではなく、銀鷹傭兵団のほとんどがそうなのだとグレンは思っている。実態を知っているのは極々限られた一部の人間なのだと。
「それだけ銀鷹傭兵団は見えない活動を広げていたということになりますね。不安があるとすれば王都にはもう一箇所、裏の拠点があるのではないかということですよ」
「確かに。王都に拠点がないはずがない」
「それをあぶり出すのは今の状況では困難です。何と言ってもハンマー将軍、それと大隊長であったラークも末端に過ぎなかったのですよ」
「あの男も?」
ラークはクレインの顔見知りだった男だ。銀鷹の中でもわりと中枢に近い位置にいるのではとグレンは少し期待していた。
「指示は受けていたようですね。でも相手の素性も知らず名も知らずで」
「頻度は?」
恐らくはその男が銀鷹傭兵団の裏側に繋がる人物。何としても素性を洗い出したい相手だ。
「割りと頻繁に。そうでなければ今回の様なことは起こせないのですよ」
「……では次は手付かずのもう一箇所だな」
「手付かず?」
「そもそも、今回の謀の中心は?」
「ああ、そうでしたね。そこは手付かずでした。でも、もうあぶり出せたようなものでは?」
「他にいる可能性がある」
「確かに。ではすぐに拘束に入りますか?」
「それはシャドウのところで人知れず身柄を押さえさせる。逃亡なんてさせない」
「分かりました」
「おい、俺にも分かるように説明しろ」
グレンとクレイン二人にしか分からない会話が終わったところでヴィクトリアが文句を言ってきた。
「侍女に情報を漏らされるような奴には教えない」
「……お前はたまに俺に対して意地悪になるな」
「意地悪じゃなくて、当然の対応。じゃあ反乱については引き続きということで、次だな」
クレインとの会話の中身をグレンは教えるつもりはない。話題を次に移してしまった。
「次は?」
「まずはさっき言った軍の再編。そうは言っても二将軍しかいない。二師団か。エステスト城塞の駐留軍を入れて三師団。まあ、そんなものか」
「エステスト城塞の駐留軍の将軍は誰にする?」
「……誰かいる?」
ゼークト将軍の代わりなどグレンに分かるはずがない。問いをそのままヴィクトリアに返した。
「俺には心当りがない。いるか?」
そのヴィクトリアは受けた質問をランガー将軍とゲイラー将軍に流してしまう。
「反乱が起こったのは絶対にヴィクトリアのせいだ。もっと自軍に興味を持て」
「人には得手不得手がある」
「……口はうまいな。それでいますか?」
結局、グレンもランガー将軍とゲイラー将軍に問いを向けた。
「将軍ですか……鍛えれば。私の答えはこれです」
「俺もですな」
「いないと……イェーガー、ジルベール、ハスラーの三人で守勢に強いのは?」
「その三人に任されるのですか?」
ついさっき処分として将軍位をはく奪して、ルート王国に連れていくと決めた三人だ。その三人に重要拠点であるエステスト城塞を任せるということにランガー将軍は驚いている。
「他にいなければです。考えてみれば悪くない。ゼクソン領の外れ、辺境に飛ばされた。でも大事な拠点を任されている。処罰のようで本人にとっては処罰ではない」
「そうですか……三人の中ではジルベールを推します」
「ゲイラー将軍は?」
「俺も同じですな」
「では決まり」
「しかし、他の二人が落ち込むのでは?」
相対的にルート王国に行く二人の処分は重いものになる。不公平感が生まれるのをランガー将軍は気にしている。
「一時的なものです。いつかは戻れるのですから、その時まで我慢してもらうしかない」
「そうですね」
「三人の処遇が決まった。さて領内に二師団、二人が将軍で拠点は王都と、西方の猛牛になる。遠すぎるような気もするな」
「それでも二週間もあれば」
「エステストから遠いって意味です」
猛牛兵団の駐屯地であるカウはもっとも西にある駐屯地だ。それでもエステスト城砦からはグレンの感覚では少し離れている。
「……国境の守りを固めるわけですか」
エステスト城塞と連携するにはカウは遠すぎる。グレンの言葉の意味をランガー将軍はこう捉えた。
「そう。ウェヌスが領内に入ってこれないように、そこをガチガチに固める。ただ本当はエステスト城砦なんて要らない」
「はっ?」
「領内に入ったばかりのところに同じかもっと固い城塞が欲しい。エステスト城砦は後詰に出るには不便です。出口が細すぎます」
「……なるほど」
「すぐには無理ですね。まずは軍の再編。それで予算を作る。それが出来たら城塞の構築。兵器類はエステスト城砦から全て移設して、エステストは小さな城塞に変える」
「残すのですか?」
国境の内側に城塞が出来ればエステスト城塞は不要になるとランガー将軍は考えたのだが、グレンはそうではなかった。
「エステスト城塞があるから、あそこまでがゼクソン領ってことです。何の収穫もない場所だけど、何もなければウェヌスはまた自領として城塞を作り直すでしょう」
「……はい。そうですね」
「国境を固めれば、ゼクソンは西方にもっと収穫地を伸ばせる。攻めこまれないという安心感があれば、それを望む民も出てくるでしょう」
「……はい」
グレンの説明を聞くうちにランガー将軍の声が少しずつ小さくなっていった。
「何ですか?」
「いえ。よくもまあ、そこまで考えが浮かぶものだと感心しておりました」
軍事の話から結局は農作地の拡張にまで話が広がった。このグレンの思考がランガー将軍には不思議だった。
「代行とはいえ国政を見るのです。普通ですよね?」
「……普通なのですか?」
ランガー将軍は思わず問いをヴィクトリアに向けてしまう。ヴィクトリアはそうではなかったという気持ちがその反応に表れている。
「俺を見るな。俺はもう王ではない」
それを察したヴィクトリアは不機嫌そうだ。
「はい……」
「さて、エステストの駐屯は千で十分だ。二師団はまずは四千づつ」
「もとの兵力から比べると千余ります。国王直轄軍ですか?」
「伝令、斥候部隊。全てを騎馬で揃えます。繋ぐ拠点間は広い。王都、猛牛の駐屯地、エステスト城塞、そしてルート王国の王都ルーテイジ」
グレンがもともと重要視していた一つの情報連携。この先、ゼクソン王国との様々な連携が必要になる中で、その重要度はますますあがった。その為に専用の部隊を作ろうとグレンは考えている。
「ルート王国の都までですか。しかし間にウェヌス領があります」
「実は山中に道があります。それを広げる予定です。もう広げてますけど、もう少し整備が進めば早馬で両国間を二週間……で行けるかな? とにかくこれまでよりも早く移動できるはず」
「……はい」
グレンの説明を聞いたランガー将軍は複雑な表情を見せている。
自分たちが知らない道が自国内にあった。ゼクソン王国はいつでも他国に奇襲を許す環境にあったということだ。
「その間を繋ぐ部隊です。ただ専任にはしません。それだけだと戦えなくなりますから。一定期間毎の交代制。これの隊長が必要か……。いいや、やっぱり、これはルート王国の管理にしよう。騎馬はルート王国の方が鍛えられているはずだ」
「はい……ちなみにルート王国の騎馬の練度は?」
「気になります?」
「それはもちろん。狼牙も騎馬ですから」
ランガー将軍が率いる狼牙兵団はゼクソン王国では唯一の騎馬部隊。銀狼兵団を率いていたグレンがどんな騎馬隊を作り上げたのかは大いに気になるところだ。
「そうですか……そのうち見れるようにします」
「よろしく御願いします」
「調練方法はルート王国軍のを渡します。共通の行動が出来る方が良いですから。すぐに取り寄せましょう」
「それはつまり銀狼兵団の?」
「それよりも少し変えました。あっ、そうか、いきなりは無理だな。じゃあ、銀狼兵団の時のを纏めておきます。そこから始めましょう」
「はい……」
自国軍とルート王国軍との力の差が、これだけでランガー将軍は分かった気がした。
「さて、とりあえず軍の方針はこんなところで。次は文官だな。元文官の名簿が欲しい」
文官の話に戻ったところで、グレンは話の向け先をヴィクトリアに変えた。他にいないのだ。
「用意はするが何をするのだ?」
「再勧誘。それに俺が国王代行になったことの挨拶も必要では?」
「しかし、雇う金が」
ゼクソン王国の国庫は、今現在は空に近い。新しく臣下を雇う余裕などない。
「それも交渉。上手くいくかは分からないけど、やってみないと出来るはずがない」
「……任せる」
「内政はその結果次第だな。次は……」
内政は担当者がいなければ具体的な話は出来ない。グレンはまた次の話題に移ることにした。
「まだあるのか?」
「外交。ウェヌスとの交渉と言って良い」
「ああ」
「全権をクレインに渡す」
「なっ?」「はっ?」
ヴィクトリアと指名されたクレイン本人も驚きの声をあげた。クレインはルート王国の臣だ。ゼクソンの外交を行う資格などない。
「今の外交担当は信用していない。疑っていると言っても良いな。だから今回の交渉は窓口を変える」
ただグレンにはゼクソン王国で信用出来る者が分からない。ヴィクトリアの人を見る目も信用出来ない。そうなるとクレインしかいない。
「それは分かります。しかし、僕なのですか?」
「何を得るかは分かっているはずだ?」
「……不可侵の約束」
「そう。永遠なんて言わない。却って信用出来ないからな。五年だ。五年間立て直しの時間が欲しい。いや、ウェヌス王国と全面戦争になっても負けない準備の時間だ」
「五年……それで出来るのですね?」
五年で大国ウェヌスと正面から戦える力をつけるなど、普通に考えれば出来ることではない。
「長ければ長い方が良い。でも、ウェヌスに時間を与える方が俺は問題だと思う」
「五年後には攻めて欲しいと?」
「ちょっと違う。俺は以前、ゼクソンを滅ぼしたければ数千の軍勢で何度でも攻めれば良いと言った。それをすればゼクソンの国庫は尽きて戦えなくなると」
「確かに」
「ただ何度か戦って、仕掛けて負ける方が被害が大きいと分かった。守るほうが支出が少なくて済むとも言える」
「それをウェヌスにさせる」
基礎となる国力差は大きい。何もなければ、その差は開くばかりだ。そうならない為には、ウェヌス王国に継続的に多大な支出を強いれば良い。理屈としてはそうだ。実際に出来るかは別にして。
「ゼクソンに手出し出来なければウェヌスの矛先は他国に向かう。ウェヌスはきっと戦い続ける。それに負け続けた時、ウェヌスは傾く」
「しかし勝てば?」
また国力差は大きく開く。そうなれば全てが無駄になる。
「今のような戦いを続ける限りは完全な勝ちはない。勇者が先頭に立って戦い続ける限りだな。五年で本格的な戦争は多くて三回。まあ二回だろう。俺が恐れているのは勇者が経験を積むことだ。二回で気づくか。ちょっとした賭けだな」
健太郎の戦いは自軍にも大きな消耗を強いる。そんな戦いであれば、それも他国相手であればいくらでもやってくれとグレンは思う。
だが健太郎もいつかは自分の間違いに気付く。そうなるとウェヌス王国は本来の強さを発揮することになる。
「それと、ゼクソンを立て直す為の期間のぎりぎりが五年。分かりました、全力で勝ち取ってきます」
「最悪は構わないから脅せば良い」
「はっ?」
ウェヌス王国を脅せる力はゼクソン王国にはない。
「脅すにも色々ある。ウェヌスが無法を続けるなら、ゼクソンは信義のある大国に従う方を選ぶ。これも脅し」
ゼクソン王国には力はないが、この大陸にはウェヌス王国に匹敵する力を持つ国がある。
「……なるほど。確かに脅しです」
「じゃあ、それで。とりあえずは解散だな。出来ることはすぐに進めて下さい」
「「はっ!」」
グレンが会議の解散を宣言したにもかかわらず、会議室を出て行ったのは、ランガー将軍とゲイラー将軍だけだった。
特に残ったクレインは真剣な表情でグレン見詰めている。
「外交の相談?」
「いえ、お話したいことがあるのですよ」
「リアは外した方が?」
グレンの言葉に少し考えこむ様子を見せるクレイン。やがて決心したように顔を上げた。
「……いえ、一緒に聞いて頂きましょう。少々、陛下の気持ちを動揺させるお話です。慰めは必要ないとは思いますが、それでも」
「そこまでの話?」
何とも思わせぶりな言い方。今、自分が動揺する話とはどういうものかグレンには見当がつかない。
「はい。まず、陛下に謝罪を。僕は話すべきことを隠していたのですよ」
「それを話すのだろ? 謝罪はいらないから話を」
「はい……話は陛下の母上であるセシルのことです」
「母親か」
話はグレンのプライベートに近い内容。それであれば、何かは分からないが納得はする。こう思えるくらいに、家族についてグレンはあまりに知らないことが多すぎた。
「失礼な物言いになるのはご容赦を」
「構わない」
「セシルは……セシルは狂っていました」
「えっ?」
失礼な物言いと聞き、身構えてはいたのだが、それでもグレンの口からは驚きの声が漏れた。
「気が触れているということではないのですよ。ただそう言えるだけのことをしてしまったのですよ」
「……母親は何を?」
狂っているとまで言われてしまう所業。聞くのが怖くもあるが、聞かないでいるわけにもいかない。
「以前お話した通り、セシルには謀略の才がありました。人を嵌め、思うように動かしていく。そんな才です」
「ああ、聞いた」
「それにセシルは飽きてしまったのですよ」
「飽きた?」
「何を謀っても自分の思う通りになってしまう。それがつまらなくなったのですね」
「……自分の母親ながら、やっぱり恐いな」
つまらなくなるほど謀略を成功させるというのがどういうことなのか。グレンには想像も出来ない。
「ただ本題はここからです。そこでセシルが行ったことは、自分が考えた謀略を銀鷹傭兵団の貴族方の者に教えることでした」
「はっ?」
「それを使って、本来敵である側は謀略を仕掛けていく。それもまた思うように進んでいく。そして最後の最後でセシルは逆転の手を打って、その謀略を防ぐ。そんなことを楽しむようになってしまったのですよ」
「馬鹿な……そもそも自分が考えた策なら破って当たり前。それの何が楽しい?」
それによって犠牲になった人がいるはずだ。グレンから見て、何の楽しみも感じられない愚かな所業のせいで不幸になった人々が。
「ですから、狂ったという言葉を使ったのですよ。自分の謀略が思うように進み、そしてまた、自分の逆転の策が思う通りに進む。二度楽しむというだけのことですね」
「……確かに狂ってる。でも、そんな素振りは全く見たことがない」
厳しい母親ではあった。だが、クレインの言うような異常さをグレンは母親から感じた記憶はない。
「元々、狂っていたのですね。これは僕の勝手な想像なのですが、ずっと屋敷に閉じ込められていたセシルは人を知らない。だから、人を人として見ていなかったのではないかと思うのですよ。謀略で動く人は人ではなく道具。だから、その人達がどんな目に遭おうと、どれだけ苦しもうと何も感じない」
「…………」
「それがセシルの謀略の才を支えていたのではないかと思うのですよ」
「それは……何の制約もない謀略なんて、不幸しか生まない」
グレンも謀略の類は使う。だが母が行ったそれは自分のとは別物だと思う。そうであって欲しい。
「そう、陛下はそう考える方なのですね。だから、これを話そうと思ったのですよ」
「それは……いや、何故それを今? それを聞いた俺に何をしろと?」
母親が悪逆非道の人間だと分かった。それはいつか知るべきことだとも思う。だが何故それを今、クレインが話そうとするのか。問いを発しているがグレンは答えを知っている。
「僕は思うのですよ。ゼクソンをめぐる一連の策略は、元はセシルが考えたことではないかと」
「……本当に俺の母親は死んだのか?」
予想通りの答えがクレインの口から語られた。予想通りではあるが、にわかには信じられない答えだ。
「それは間違いないですね。ただ、用意していた策が今動き出しただけだと」
「そんなことが出来るのか?」
「出来ないような策であれば、教えても意味がありません」
「確かにそうだけど……」
本人が存在しなければ動かせない策であれば、確かに他人に実行させることは出来ない。それはグレンにも分かる。ただ死んだ後に動く策というのが何だか不気味だった。
「まだ残っているかもしれません。まだ動き出していないセシルの謀略があるかもしれません」
「……まさか……それを俺に防げと?」
「はい」
「……自分の母親が考えた謀略を息子の俺に防げと? それでは……それでは俺は母親と同じじゃないか!?」
母親の所業を許す気になれない。そんな母親の所業を防ぐ行為は正義ではない。ただ身内の馬鹿げた道楽に付き合うだけにグレンには思えてしまう。
「違います! それは絶対に違います!」
クレインはグレンが発した言葉を必死で否定する。
「何が違う!? 今回の件も俺の謀略だ! 謀略を謀略で防ぐ! 同じだろ!?」
「違います! 陛下の謀略には血が通っているのです!」
「……血?」
謀略に血が通っている。クレインの不思議な表現にグレンは心を捕らわれた。
「本当に罪を犯した者以外は誰も不幸になっておりません」
「まだ途中。それに結果としてだ」
相手を思ってのことではない。そうすることがこの先の為になるという打算からの行動だ。
「結果としてであっても、陛下は反乱に与した者たちの犠牲を最小限に抑えようとしています。結果としてヴィクトリア様、そしてお二人の間の子供も幸福になると思います。結果として、ゼクソン王国は以前よりも良い国になります」
「……そんなことはまだ分からない」
「ですが、陛下はそうしようとされています。陛下の謀略は人の幸せを望んでおります」
「俺は……そんな善人じゃない」
たとえ幸せになる者がいるとしても、それは自分の味方であって、敵は不幸に叩き落とすことになる。そういう気持ちをグレンは持っているのだ。
「そう思えることが善人の証です。陛下は常に結果がどうであれ、自分が行った謀略を悔やまれているのではないのですか? 人を騙したことに後ろめたさを感じているのではないですか? 陛下は、常に自分だけを傷つけようとしていませんか?」
「…………」
「陛下はセシルと違います。陛下の謀略には人がいます。血の温かみがあります。僕は、そう思うのですよ」
「……そうだとしても。いや、これは良い。つまり全ての元凶、黒幕は俺の母親だということだ」
自分は決して善人ではない。それをここで訴えても意味はない。グレンにとって、そんなことは母親の真実の前には些細なことだ。
「はい。それを告げること。その罪を正すことを陛下に背負わすこと。これが僕が謝罪する理由なのですよ」
「……話は分かった。少し一人にしてくれないか?」
「はい……」
少し躊躇いながらも、クレインはグレンの言うとおり部屋を出て行った。こうなることは話を始める前から分かっていた。
「……俺は一人にと言った」
クレインは出て行ったがヴィクトリアは残ったままだ。
「断る」
ヴィクトリアにはグレンを一人きりにするつもりがないのだ。
「……すまない」
「謝る必要はない」
「でも俺の母親がゼクソンを無茶苦茶にした」
今回の策略が母親のものであるなら、ヴィクトリアの父親の暗殺にも関わっていた可能性がある。ここに至るまでの流れを考えれば間違いなくそうだとグレンは思う。
「そうだとしても母親は母親。お前ではない」
「……俺は俺が許せない。この体に流れる狂った母親の血も、異世界人である父親の血も嫌いだ」
「お前がお前を許せないなら、俺がお前を許そう」
「えっ……?」
ヴィクトリアの顔をまじまじと見つめるグレン。ヴィクトリアの発した言葉がグレンの心を震わせていた。
「俺は不幸になっていない。ゼクソン王国をお前は救ったのだ。それの何を恥じることがある?」
「母の尻拭いだ」
「では俺はお前の母に感謝しよう」
「なっ!?」
「お前の母上の謀略が俺にお前を会わせてくれたのだろ? だから俺はお前の母に感謝する」
ヴィクトリアの口から何度も発せられる救いの言葉。それはグレンのヴィクトリアに対する見方を変えるものだった。
「……ヴィクトリア。お前って」
「何だ?」
「良い女だ」
「ようやく分かったか」
嬉しそうに笑みを浮かべるヴィクトリア。今この時、共にいてくれたことをグレンは感謝した。
まだ気持ちの整理などついていない。簡単には整理出来ることではない。母親の悪行を全て知ったわけではないのだ。
それでもわずかに心に生まれた温かい気持ち。それを大切にしてみようかとグレンは思った。