リオンたち、別働隊の今日の宿泊地は、ニガータに続く街道沿いにある街マーバスだ。王都を出て北に向かう街道を進むと最初に辿り着く城塞都市だ。
千人程度の軍勢であれば、軽く収容出来る規模を持っているので、リオンはここを最初の集合地点と決めていた。つまり、訓練の状況が初めて明らかになる場所だ。
その結果は、見事に失敗。本隊が到着した時にはすでに黄の党が先に辿り着いていた。他の三党は、逆に本隊よりも随分と遅れて、しかもバラバラに到着。全くリオンの思った通りにはなっていない。
それが分かった時のアーノルド王太子の感情は複雑だった。残念に思う反面、ホッとしている自分も居る。ホッとした理由ははっきりしている。リオンの才能が、とても自分が及ぶものではないと思い知らされる羽目にならなかった事への安堵だ。
それが分かった時、アーノルド王太子は自分に怯える事になった。リオンへの嫉妬、それが又、自分の中に広がってしまう事を恐れたのだ。エアリエルとの関係に嫉妬した自分の中に生まれた狂気、その自覚がアーノルド王太子にはあり、その時の事を忘れていない。忘れられるものではなかった。
実は、この事がアーノルド王太子の精神を大人にしたのだが、それは本人には分からない。それにそうだからといって、忘れて良い事ではない。自分への恐れがあるからこそ、アーノルド王太子は謙虚になれると言える。リオンとエアリエルは決して納得しないし、許さないだろうが、挫折がアーノルド王太子を成長させていた。
内心の思いに揺れながらリオンを見ているアーノルド王太子。だが、今のリオンの意識はアーノルド王太子には全く向いていない。他の事で頭の中が一杯なのだ
「さて、失敗の原因を考えてみる」
一度の失敗で諦めるリオンではない。それ以前に今回の失敗は想定内の事だ。初めから上手く出来るとはリオンだって考えていなかった。
「まあ、考えるまでもない。行軍速度がバラバラだ。それで計画通りに移動出来るはずがない」
これは何度か伝令の報告を受けた時点で分かっていた。伝令からの報告と、リオンの計算での位置が常にずれていたのだ。それも前に進んでいたり、遅れていたりと完全にバラバラで。
「行軍の速さを一定にするのは簡単ではありません。どうしても誤差が出ます」
カシスは言い訳してきたが、それをリオンが許すはずがない。
「誤差の範囲じゃない。速かったり、遅かったり、本気で揃える気があったのか?」
「それはもちろんありました」
「じゃあ、どうやって揃えようとしていた?」
「はっ?」
「だから、どういう工夫をして揃えようとしていた?」
「工夫、ですか……」
カシスの声が小さくなる。つまり、何も工夫をしていなかったという事だ。
「太陽の位置で時間を測るとか、馬の歩数を数えるとか、工夫しようと思えば色々あるけど?」
これを聞いたカシスが、カシスだけでなく、他の三人も、なるほどと言った顔をしている。
「では次回からはそうします」
「お前らな、少しは頭を使え! 武人は馬鹿でも許されるなんて、どこにも書いてないからな!」
考える事を全てリオンに委ねているような態度に、リオンが切れた。実際にそうなのだ。カシスたちは、考える事はリオンの役目だと思っている。
「ご領主様はそう申されるが、人には得手不得手があります」
開き直った様子で、カシスがこんな言葉を吐いてきた。
「全く……これは言いたくなかったけど、マーキュリーたち、警備隊は出来るからな」
「なっ?」
「お前らよりも若い、お前たちにとって半人前であるはずの警備隊員は、行軍速度を調整出来る。しかも三段階だ」
「三段階?」
「並足、速足、駈足。まあ、呼び方は何でも良いけど」
「……どうして奴等にそれが?」
「練習させた。最初は領地をただグルグルと巡回するだけでは退屈だと思って、やらせたのだけど、いざ出来るようになると、これが便利で」
「もしかして、警備隊のそれを魔物との戦闘に使おうと?」
「もしかしてって、それ以外あるか? 俺だって、全く出来るか分からない事を実戦前に訓練しない。これで戦場がバンドゥ領で、率いるのが警備隊だったら訓練もいらなかった。常に、どの部隊がどこを走っているか、それこそわずかな誤差の範囲で分かるからな」
「……それは又」
この領主は、どれだけ一緒に居ても、自分たちを驚かせるネタを持っている。それがカシスの率直な感想だ。
「大人のお前たちなら、最初からもう少し出来るかと思ったけど、ちょっと甘かったな」
「……申し訳ありません」
怒鳴られるよりも、こういう言い方をされる方が堪える。カシスたちは全員が小さくなってしまった。
「まずはペースメーカーを作る」
「ペー?」
「周りの基準となる者だ。時間の感覚が優れている者、距離感に優れている者、そういう者を選んで、基本となる速さを叩き込む。その者たちを各部隊に配置して、部隊はその者の速さに合わせて移動する。そうして他の者も徐々に感覚を体に染み込ませていく」
「……それは最初からやって欲しかったですな」
今のリオンの説明はカシスにもよく分かった。確かにそれであれば出来るようになる、と思えたのだ。
「最初からこれをやらせたら、お前らは絶対に真面目に取り組まないだろ? こういうところで大人は面倒だ。マーキュリーたちは遊び感覚で、楽しみながら取り組んでいたのに」
「……申し訳ありません」
リオンの言う事に、心当たりがあり過ぎるカシスだった。
「各党から人選を。条件はさっき言った通りだ。分からなければ、時間を数えさせれば良い。十分も数えさせて、誤差が少なければ合格だ」
「はっ」
という事で、まずは基本から始める事となった。ただこうなると、実戦に間に合うのかという不安がアーノルド王太子には湧いてくる。
「現地までは一月だ。それで大丈夫なのか?」
その不安をアーノルド王太子が口にした。
「分かりません。ですが、やらないと出来ない。だから、やるだけです」
「だが、間に合わなければ?」
「別の方法を考えます。それも駄目なら又、別の方法を。それしかないと思いますが?」
「……そうだな。その通りだ」
出来ないと最初から諦めては出来るはずがない。出来なかったからといって、そこで諦めては何も解決しない。当たり前の事だが、それを実践出来る者は、実は少ない。リオンは、その数少ない人間の一人だ。
これも才能なのか、そうだとすれば、決して真似出来ない才能ではない。諦めない。この気持を持つだけなのだ。だが、案外、その気持を持ち続けている事が難しく、それこそが貴重な才能なのかもしれない。アーノルド王太子の頭の中で、こんな考えがグルグルと巡っている。
リオンの側に居て学べる事は、戦術などではなく、心の持ちようなのかもしれない。考えた結果、アーノルド王太子はこんな結論に辿り着いた。
◆◆◆
基礎訓練から始める事になったので、当面は全部隊が一緒に行動する事になった。そうなると、リオンにはやる事がある。
自分の剣の鍛錬だ。師匠であるキールと、いつもの様に立ち会い稽古を始める事にしたのだが、カシスたちも揃っている状況で、キールだけを相手にしている事が許されるはずがない。
四人と順番に立ち合いを行う事になった。
「相変わらず、速すぎだ!」
「はっ! 少しは腕を上げたようですが、まだまだですな!」
普段は大人しいモヒートも、この時ばかりは活き活きとしている。これはバンドゥの四党首は全員同じだ。
緑の党の剣の真髄は、その動きの速さにある。その党首であるモヒートの動きは、まさに風の如く。それなりに鍛えてきたつもりであったリオンも、付いて行くのが精一杯だ。
それもモヒートがまだ全力を出していないから、付いていけるだけの事。これは鍛錬であって、リオンを打ちのめす事が目的ではない。少なくとも、四党首はそう思っている。
「前に教えたはず!」
「足さばきだろ!? やってきたつもりだ!」
「全然出来ていない!」
「えっ!? 本当に!?」
「一旦止め! もう一度、おさらいです」
「あ、ああ」
誰からであろうと習った事は決して疎かにしないで、真面目に練習してきたつもりのリオンだったが、モヒートの指摘は、全くそれを否定するものだ。さすがにリオンも少し落ち込んでいる。
「一言にすると、ご領主様は欲張りなのです」
「欲張り?」
「四党の剣の違いは、今更説明する必要はありませんね?」
「攻めの赤、守りの青、速さの緑に、力の黄色」
「それぞれに特徴があり、剣の型も違う。そうであるのに、ご領主様はそれを全て身につけようとしている。だから、欲張りと言ったのです」
「……やっぱり無理か?」
モヒートの言う通り、リオンは全てを身につけようとしていた。出来るかどうかは、やってみないと分からない。何に対しても、リオンはこの考えで取り組んでいる。
ただ剣に関しては、これは間違いだ。
「ご領主様であれば、出来そうな気もしますが、今のやり方では駄目です」
「やり方?」
「剣の型はそれぞれ工夫に工夫を重ねて、一番良いとされる型が出来上がっています。これは分かりますか?」
「分かる」
「それなのに、ご領主様は、それぞれの型を混ぜようとしている。それは無理というものです。仮に出来たとしても、それは最上の型には成り得ません」
「……確かに」
各党の剣は、それぞれの特徴を最大限に発揮する為のもの、良い所取りのようなやり方は間違っているし、出来るはずがない。
「まずは、きちんと一つの型を修めた上で、他の剣の習得に移るというのが正しい方法と思います」
「そうだな」
「では、今日は立ち会いを終わりにして剣の型を確認してまいりましょう」
「ああ、分かった」
「さて、剣の型で大切なのは、足運びです。最小限の動きで、素早く、最短を選んで足を運ぶ。これにより、我らの剣の型は成ります」
リオンの同意を得て、剣の型を一から説明し始めたモヒートだが、それを許さない者たちが居た。他の三人の党首たちだ。
「ちょっと待て。どうして最初に学ぶ型が緑の党のものになる?」
カシスが納得いかない様子で口を挟んできた。
「そうですよ。リオン様の師匠は私。まずは師匠である私の型を学ぶのが正しい在り方ですね」
更に師匠を自認するキールも文句を言ってくる。
「いや、それもおかしい。ご領主様の師匠がキールだけに、いつなったのだ?」
そこに更にアペロールが異議を唱える。モヒートの抜け駆けが気に入らないのは、結局それぞれが、自分の型をこそリオンに最初に学ばせたいのだ。
「足運びは剣の基本。その基本において、最速である我らの型はもっとも優れている。それを身に付ければ、他の型を学ぶことは容易になる」
「いや、足運びで言うなら、我らの剣こそ優れておる。攻め続けるという事は、すなわち常に相手の先回りをするという事。足運びにおいては実は最速は赤の党の剣だ」
モヒートの主張に負けるものかと、カシスが持論を展開する。
「事が足運びとなれば、私も黙っていられませんね。どのような姿勢からでも、決してバランスを崩すことなく、足を動かす。これこそが守りの基本であり、剣の基本。まずは、青の剣の型こそ学ぶべきです」
キールも同じように、自分たちの剣における足運びの優位性を主張してくる。そして、意外にも。
「待ってもらおう。鋭く深い踏み込みこそが、剣に力を与えるのだ。我が剣における、この一歩こそが、全ての基本。まずは黄の剣の型を学ぶ事こそ大事」
足運びにおいては出る幕がないと思われた力の剣である黄の党のアペロールまでが、堂々と自分たちの型を学ぶべきだと主張してきた。
どの主張もそれなりに聞こえる。実際に、それぞれ、本気で話しているのだから当然だ。
「つまり、バンドゥの剣はどれも足運びに、その真髄があるという事か?」
導かれる答えはこれ。リオンは思い付いたことをそのまま口にした。
「なんと?」
それに驚いた様子を見せている四人。どの顔も初めて気がついたという様子だ。
「……何百年も同じ地に居て、考えなかったのか?」
「同じ地に住んでいたからといって、仲が良いとは限りません。共通の敵が現れれば協力もしますが、それ以外の時は、協力どころか競い合う、いえ、バンドゥの地の覇権を賭けて殺しあう仲でしたので」
白黒を除く四党は昔からバンドゥの盟主の座を争ってきた関係だ。剣の奥義など、それこそ、相手に知られてはいけない秘密と、お互いに隠しあってきていた。それが今の結果だ。
「案外、元は一つの剣術なのかもな。それが枝分かれして、逆か、派閥が出来て、それぞれが奥義を極めようとした結果、それぞれ特徴の違う剣になった」
「……その可能性は否定できませんな」
「そうであるなら、四党の剣には共通点もあるはずだ。何となく足運びである事は分かっている。その足運びの中のどの部分か。それこそが、基礎の基礎の型という事になる」
元が一つであるなら、大本となる剣の型というものがあるはず。リオンはその可能性を言っている。
「仮にあったとすると?」
「それを教えてほしい。後は、そこからの応用だ」
「やはり……」
結局、リオンの欲張りは変わらない。あくまでも四党の剣が持つ、全ての特徴を身につけたいのだ。速く、強く、そして攻守に優れた剣を。
「ではまず、私が青の剣の足運びの基本をもう一度説明しましょう。他の剣との共通点が何かを意識しながら行えば、何か分かるかもしれません」
キールが真っ先に名乗りでた。出来るか分からなくても、リオンが望む以上は、それに協力する。キールのスタンスがこれだ。
「……ちょっと待て。どうしてそうなる。我ら、緑の党の剣でも問題ないはずだ」
ただ別にそれはキールだけの考えではない。リオンとの関係に、ぎこちない部分が残っている他の三人も、協力を惜しむ気持ちはない。
「だから、黄の剣の真髄である一歩。これが全ての基本に決っているだろうが」
と結局、またしばらくは四党が、我こそはと競いあう事になる。
「……確執があるように聞いていたが」
その様子を見て、アーノルド王太子が呟いた。リオンとバンドゥの党首との微妙な関係について、アーノルド王太子は話に聞いている。実際に、前回の任務のあとの宴では、その党首たちから不満の声も聞いた。
だが目の前の光景は、考えていたものとは全く異なっている。確執どころか、リオンの取り合いを四人はしているのだ。
「リオンに認められたいのですわ」
「えっ?」
声の主は、答えをもらえるとは夢にも思っていなかった相手。エアリエルだった。
「……リオンが会話を認めた以上は、私もそれは受け入れますわ」
王太子に向かって、何とも不遜な言い様だが、アーノルド王太子はそれに文句を言うつもりはない。自分が仕出かした事は簡単に許してもらえるようなものではないと分かっている。それに、このはっきりとした物言いのエアリエルをアーノルド王太子は好んでいたのだ。
「認められたいか……」
エアリエルの言葉にアーノルド王太子は礼も謝罪も返さなかった。どちらも、エアリエルは望んでいない事が分かっているからだ。
「彼らの不満はリオンに認められないから。そうであれば、認められるような事をすれば良いのに、それが出来ないのですわ。自分たちは武人だからと、無駄に謙虚になるから」
「そうか。だが、それは仕方がないと俺は思う」
「仕方がない?」
「リオンは優秀過ぎるのだ。そのリオンを知って、自分を顧みると果たして何が出来るのかと不安になってしまう」
「……それは誰の話かしら?」
「あっ、いや……」
何気なく話したつもりの言葉。だが、その言葉の意味をエアリエルは正しく把握した。自分を見るエアリエルの厳しい目つきで、アーノルド王太子自身もそれに気が付いた。
「……彼らの気持ちは俺と同じだ。そして彼らとは立場が違う俺には、どうしても嫉妬が生まれてしまう」
バンドゥの者たちは、リオンの部下。リオンが優れている事で、それを恐れたり、自分を卑下する事になったりするが、そこまでだ。だが、アーノルド王太子は違う。このまま行けば、リオンの主となる立場だ。同じ思いからでも、生まれる感情は異なる。
それをアーノルド王太子は素直に認めた。否定すれば、より一層、エアリエルの自分への感情が悪化する事が分かっているからだ。
「だが、同じ間違いは起さないつもりだ。それは信じて欲しい」
「王太子殿下の願いでも、それは約束出来ないわ。その理由の説明は必要かしら?」
「……いや。信じろ、なんて言える立場ではなかったな」
「……リオンに嫉妬するのは、リオンを知らないからだわ」
信じてはもらえないが、エアリエルに次の言葉を口にさせる効果はあったようだ。
「それは、どういう事だ?」
「陰でリオンがどれだけ悩んでいるか、苦しんでいるか、誰も知らないわ。リオンの抱えている想いを知れば、羨ましいなんて決して思わないはずなのに」
「……それを君は知っている」
「苦しんでいる様子は知っているわ。でも、それでリオンの想いの全てを知っているとは言えないわ」
「そうか……」
この世界への復讐。これがリオンとエアリエルの共通の目的だ。だが、この世界の人間であるエアリエルには、リオンの言う世界、が本当の意味で理解出来ていない。エアリエルが考えられる範囲は、王国への復讐で留まってしまうのだ。
だから、エアリエルは、リオンの苦しみを完全には理解出来ない。世界に抗うという事への重圧を、リオンと同じレベルで感じる事が出来ない。
従者であった時に比べて、今のリオンが人に厳しく、イラつく事が多いのは、これが理由だ。
以前は、ヴィンセントやエアリエルの為にと思うことで、気持ちを奮い立たせる事が出来たが、今のリオンはそれが出来なくなっている。逆に自分の復讐に周りを巻き込んでいるという思いから、心を沈ませる事が多いのだ。
この事をエアリエルは気が付いている。気が付いていても、何も力になれない自分がエアリエルは悔しかった。
幸せそうに見える二人にも、人には見えない悲しみがある。だからこそ、エアリエルはリオンの側にいる。何も出来なくても、リオンの支えになりたいから。万一、リオンが倒れてしまう時は、自分も共に倒れたいから。
エアリエルを死なせてはならない。エアリエルよりも先に死んではならない。母がリオンに課した言葉をエアリエルは、エアリエルなりのやり方で守らせようとしていた。