近衛騎士団長にまんまと嵌められて、納得いかないリオンだが、そのリオンより、もっと納得いかない様子の者が居る。軍議の席で、すっかり蚊帳の外に置かれる形となったマリアだ。
本来であれば、軍議の主人公はマリアなのだ。といってもゲームの中に軍議のシーンなどない。ナレーションが流れて、ボタンを押せばもう、そこは魔人との戦いの場だ。ゲームの後半パートは戦略編となっているが、戦略など何もない。ただ、次々と戦闘イベントをこなすだけだ。
但し、ただ倒せば良いというものではない。戦功ポイントというものがあって、戦いをいかにうまく進めたかによって、貰えるポイント数が変わってくる。
その戦功ポイントと、学院編や戦略編にもある戦闘以外のイベントをクリアする事で得られた好感ポイントの合計によって、名声値が決まるというゲーム設定になっている。
マリアにとって、戦闘イベントも疎かに出来ない大切なイベントだ。高ポイントが獲得出来る魔人討伐イベントに限っての話だが。
アーノルド王太子の妃、王妃になるには、一定以上の名声値が必要なのだ。民の絶大なる人気を得て、その後押しで、平民でありながら王妃になるというのが、ゲーム上の設定だった。
だが、今回の戦いでマリアは活躍など何もしていない。それどころか、間違った情報を与えたという事で、国王や重臣たちの信用は、大きく低下している。こんな状況では、王妃になどなれるはずがない。
何とか挽回しなければいけないところなのだが、その挽回の機会さえ、リオンによって奪われてしまいそうな雰囲気だ。
学院パートで消えたはずのリオンが、ゲームの舞台に戻ってきた。この事実はマリアに大きな焦りを生んでいる。マリアが知るゲームに、リオンなど登場しない。そのリオンが、明らかに戦略パートでのライバルキャラとして、マリアの前に立ち塞がっている。
マリアにはどうして良いのか分からない。ゲームに登場しなかった以上、何を争う事になり、何をどうすればリオンに勝てるのかという情報を全く持っていないのだ。
(不味い。何だか地雷を踏んだ感じじゃない。どうすれば良いのよ?)
レアキャラであるリオンを刺激した結果がこれ、とマリアは思っている。未だにリオンの正体に、全く気づいていないのだ。
(……次の戦いで何とか活躍しないと。その為には、リオンの作戦を失敗させる事ね)
次の戦いでの作戦において、リオンが真っ先に戦う事になるくらいは、マリアも分かっている。そこでリオンに全てを持って行かれては、マリアの出番はまた無くなってしまうのだ。
(でも、どうすれば良いのよ?)
作戦を失敗させるといっても、事は簡単ではない。マリアには、近衛騎士団への影響力などない。邪魔をしようにも、それを行う方法がないのだ。
(アーノルドね。何とか、リオンの邪魔をさせないと)
近衛への影響力となれば、王族であるアーノルド王太子しか伝手はない。マリアは、アーノルド王太子を頼る事にした。
それが更に自分の焦りを増大させる事になるなど、思いもしないで。
◆◆◆
王都に辿り着いてもリオンは忙しい。更に忙しさが増したくらいだ。何といっても王都には、リオンの来着を心待ちにしていた者たちが居る。貧民街の者たちだ。
「高級娼館への転換?」
「はい。そろそろ、変化が必要な時期かと思いまして」
報告をしているアインは実に嬉しそうだ。リオンと向い合って話をするなど、久しぶりなのだ。
「……それってニーズはあるのか?」
「に、にー?」
「えっと、需要でも言葉が難しいか。それを求める客、これだ」
「ああ、それはあります」
「儲けが出るくらいに? 高級にするという事は、それだけ経費もあがる。売値があがっても、それと同じくらい経費がかかると意味がない。では、ケチれば良いかとなると、中途半端な高級感じゃあ、客は呼べない」
「……確かに」
「ただ、変化が必要なのは確かだな。とりあえず、娼婦にランクを付けるところから始めるか?」
「ランク……順位でしたか?」
「そう。娼婦には失礼だけど、見た目や技術や人気によって、値段を変える」
「それはもうやっています」
「それをもっと極端に行う。娼婦が使う部屋もランクによって変える。あっ、そうだ。花魁だな」
リオンの頭の中のイメージは、時代劇などでみた遊郭だ。そうであるなら、徹底的に真似てみようと考えた。遊郭は元の世界での成功事例であるはずだ。
「えっと……」
「最高級の娼婦は中途半端にしない。一人か二人、とびっきりの娼婦を作って、その娼婦の相手は簡単には出来ないようにする」
「えっ? それってどういう事ですか?」
「確か……最初は少し話をするだけ。娼婦が気に入れば、次は酒の席。それも平気なら芸を見せ、更に、という具合に」
「それ客付きますかね?」
「どうだろ? でも、その娼婦の相手が出来たというだけで、周りに自慢出来るくらいであれば、金をつぎ込む客は出ると思うな」
「……なるほど。他にはない価値。それを店の中にも作るわけですか」
他店にないサービスで、リオンの組織は商売を広げてきた。その特別な場所の中に更に特別を作る。ようやくアインにも、イメージが掴めてきた。
「但し、それに相応しい娼婦が居るかだ。ただ美人というだけでは駄目。教養も貴族以上。さらに気位も貴族以上」
「えっ? 気位もですか?」
「高嶺の花ってそういうものだ。但し、一旦、相手を受け入れたら、逆にすごく尽くす女に変わる。前に話したツンデレってやつだ」
「ああ、姐さんみたいな」
「……エアリエルに娼婦はさせないから」
「いや、そんなこと言ってませんから。全く。相変わらず、ぞっこんですね?」
エアリエルの事となると、リオンは性格が変わる。それを久しぶりに目の当たりに出来て、アインは嬉しそうだ。
「でも、エアリエルみたいな女性だ。あくまでもみたいであって、同じような女性はいないけどな」
「だから……まあ、よく分かりました。同じは無理でも近い女性と。確かにいくらでも金をつぎ込む客はいそうですね」
そして、必要となる娼婦のイメージも固まった。ここまでくれば、あとのことはアインたちが自ら考えて、形にしていく。リオンにとって、アインたちは実に使いやすい、優秀な部下だった。
「王都内はこれで終わりか?」
「はい。次は拠点の拡張です。結論から言いますと、順調です。ほぼ制圧は終わりました」
「早くないか?」
まだ予定の期間を半分も過ぎていない。逆にリオンは不安になってしまう。
「それが、ほとんど争いにならなくて」
「吸収したのか?」
「吸収というか傘下に入った、ですかね。正直、この形で良いのかと思うところもありますが、傘下に入りたいと言うのを潰して、泥沼の戦いになるのが怖くて」
傘下という形だと、組織が元のままに温存される。それではいつ組織ごと裏切るか分からない、アインはそれを恐れている。
かといって傘下に入ること、つまり降伏を許さなければ、相手は戦うしかなくなる。追い込まれると、どんな者でも思わぬ反撃を見せるものだ。それはそれで恐ろしい。
「……まあ、仕方ないな。徐々に同化を図っていけば良い」
アインの考えをリオンは理解した。このリオンの言葉で、アインもホッとした様子を見せている。
「そうなると、今度は、それぞれの街でどう食っていくかだな」
「はい。商売らしい商売がない街もありますし、全ての街で同じ事をするわけにもいきません」
「そうだな。そうなると……」
「いくつかの街は非合法に重点を置くことになります」
「ああ、それでゴードンが居ないのか」
「ええ」
リオンが王都に来たとなれば、ゴードンが顔を見せないはずがない。ゴードンはアイン以上にリオンと会っていないのだ。
可哀想な事にゴードンは王都に居なかった。非合法系の商売は、ゴードンの方が詳しい。各街で何をするか、どう協力し合っていくかの調整の為に、ゴードンは支配下においた街を回っている最中だった。
「……あまり派手なのは、止めておけよ」
「はい。それは分かっています。街道の治安を悪くするような事はしません。逆に、他の悪党が変な事をしないようにさせますよ」
「ああ、頼む」
王都とバンドゥ結ぶ街道は、バンドゥの生命線だ。旅人にとって安全で安心出来る街道であるから、通行量も多くなり、バンドゥを含めた街道沿いの街に金が落ちるのだ。
「さて、次は」
話すことはまだまだある。だが、いつまでも話す事は許されなかった。
「大将、客が来てます」
「客? 部下じゃなくて?」
この場所は、こうした密談の為にレジスタが用意した宿屋だ。宿屋そのものがレジスタの持ち物で、実際には営業していない。従業員だけでなく宿泊客も全てレジスタの関係者だ。そこに客が訪れるなど、ある事ではない。
「へい。リオン・フレイ男爵をと言ってました」
「おい? それは何者だ?」
来客を伝えにきた部下に、アインが厳しい調子で問いただした。この場所にリオンが居る事を探り当てられた事に焦っているのだ。
「本人は近衛騎士だと言ってます」
「……ああ。あれだ、今度一緒に戦う事になる奴。さては誰かに聞いてきたな」
「そういう事ですか」
リオンの領地の部下に聞いてきたのだと分かって、アインも一安心だ。だが、安心は少し早かった。
「いや、自分で探し当てた」
「……誰が入って良いと言った?」
いきなり話に割り込んできたのは、リオンの知らない顔。だが、言っている事から、訪ねてきた近衛騎士である事は明らかだ。それ以前に、男が纏う騎士服はリオンも見たことがある近衛騎士の制服だった。
「良いとは言われていないが駄目とも言われていないな」
こんな屁理屈を言われて、引き下がるリオンではない。
「では駄目だ。俺は今、取り込み中だ。相手をしている暇はないので、とっとと帰れ」
これ以上ないほど、はっきりと拒否してみせた。ただ相手もそれで引き下がるつもりはなかった。
「何の話かは知らないが、お前にとって優先すべきは出陣の準備ではないか?」
「それはこちらの台詞だ。見習い騎士軍団の準備は出来たのか?」
「今、やらせている」
「じゃあ、それが終わってから来い」
「もう終わる。だから、そちらの準備を急ぐように言いに来たのだ」
どちらも一歩も引こうとしない。そもそも意地を張るような事ではないのに。
「準備と言われても、こちらは、いつ出発しても良い準備は出来ている」
「何だと?」
「今すぐと言われても平気だな。そっちが平気であればだけどな」
薄ら笑いを浮かべてリオンはこれを話している。普段はこういう態度を見せるリオンではない。相手を挑発しているのだ。
「……デタラメを言うな。バンドゥ領軍が準備をしている気配はない」
「準備は王都でしなければいけないとは決まっていない」
「出陣の準備だぞ?」
「戦場から戻ってきたばかりの俺たちに必要なのは糧食の補充くらいだ。それは進む先の街で行えば良い。その為の部隊は命令が下ったその日のうちに出発している」
別に勅命を受けて張り切っている訳ではない。本隊が同じ進路を取れば、そうでなくても大軍の出陣の話が広がれば、物の値段はあがる。そうならないうちに仕入れを済ませようという理由からだ。
「……では出発の準備をしろ。こちらも明日には出れる」
リオンの話を聞いて、近衛騎士の雰囲気が明らかに萎んだ。文句のつけようがなくなったのだ。だが、これで済むわけがない。リオンはこういう小さな諍いでも容赦がない。悪いクセだ。
「一緒に出て、追いついてこれるのか?」
「何だと?」
「こちらには糧食を運ぶ荷馬車などいない。移動する速さはそちらとは随分と違うと思うが?」
「……なるほど。前回の戦功はマグレではないか」
「いや、マグレだ」
「…………」
リオンはただ謙遜しているのではない。自分の評価を低くする事で、その自分に準備で負けている相手を貶めているのだ。
「出直してきたらどうだ? ああ、出直す必要もないか。そちらの出発を聞いてから、こっちは王都を出れば良い。それでも、こちらの方が早い」
「……王都を出る時に伝令を送る」
「それはバンドゥ領軍に送ってくれ。ちなみに、ここはバンドゥ領軍の宿舎ではない」
「……分かった」
これがリオンとソルの出会い。近衛騎士団長の期待とは正反対に、二人の互いへの印象は最悪で終わった。
◆◆◆
出陣の準備とはかなり違うが、次の戦いに向けてマリアも準備をしていた。何の準備かというと、リオンの邪魔をする為の準備だ。
まず最初に行ったのは、ランスロットを巻き込む事。エアリエルを追い落とした後、マリアとアーノルド王太子の仲は、恋人と言って良いくらいの関係で、二人きりで行動する事も当たり前になっていたのだが、時間が経つにつれて、徐々にその機会は少なくなり、学院を卒業してしまうと滅多に会わなくなった。
もっとも、これはマリアの感覚であって、王太子という身分であるアーノルド王太子と会う頻度としては、他者とは格別の違いがある。二人きりで会う機会となると、話は別だが。
とにかく、マリアは一人でアーノルド王太子を説得する自信がない。そこでランスロットの出番だ。アーノルド王太子にとって親友であるランスロットと二人であれば、説得は間違いない。そう思って、アーノルド王太子に会いに来たのだが。
「近衛騎士団の出兵を止めさせるべき? それはどうしてだ?」
「王族でない者に近衛を率いさせるなど異常だ。許して良い事ではない」
マリアが考えた口実はこれだ。確かに異常ではある。だが、これではアーノルド王太子は説得出来ない。
「父上が了承しての事だ。それに対して、今更、異議を唱える事など出来ない」
事は既に勅命として固まっている。それをアーノルド王太子が撤回出来るはずがない。これはランスロットも分かっているはずだ。
「だが、このまま、あの男が功を為すのを黙ってみていて良いのか?」
「どういう事だ?」
「魔人討伐は元々、我々が国王陛下から命を受けて進めていた事だ。それを後から出てきた奴に、その功を全て持っていかれるのは、おかしくないか?」
ランスロットの本命は、アーノルド王太子の嫉妬心を利用する事。リオンに対するアーノルド王太子の気持ちを考えれば、これは有効な策だ。あくまでも学院時代であれば。
「……ランスロット。フレイ男爵を討伐任務に入れる事にはお前も賛成していたではないか?」
「それは……」
まさか、リオンがあんな活躍を見せるとはランスロットは全く考えていなかった。辺境のお粗末な軍勢を率いて、右往左往するリオンを笑ってやろうくらいの軽い気持ちで賛成していたのだ。
「それに功をと言うが、大事なのは魔人を討つ事だ。誰がそれを行っても、結果として国に平穏が訪れるのであれば、それで良いのではないか?」
アーノルド王太子とマリアやランスロット、そしてエルウィンとの間には大きな考えの違いがある。三人が魔人討伐で名をあげて、自分の立場を固めたいと考えているのに対して、すでに王太子であるアーノルドは個人の功など求める必要はない。ちなみにシャルロットも功は必要としない。実家を継ぐ資格はなく、いずれ、どこかの誰かの妻になる身だ。その時が少しでも先になればと考えているくらいだ。
「あれは、主を踏み台にして出世したような男だ。それだけでなく、主筋であった女性も、まんまと妻にした。そのような男に功を与えて良いのか?」
功を奪われる事に嫉妬しないのであれば、功を得る相手に対する悪意を利用するしかない。ランスロットはすばやく切り替えた。
「……あの男の仕事ぶりを見ていなかったのか? きっかけは何であれ、リオンは領主として、きちんと働いている。いや、他の領主があれほど働いているとは俺は思えないな。そうではないか?」
「それは……そうかもしれないが」
「俺がこれを言うのは許されない事だと思うが……ヴィンセントは、リオンを世に送り出すために、亡くなったのではないかと思ったくらいだ」
ヴィンセントは死にたくて死んだわけではない。だが、逃げる事を拒んだ理由について、アーノルド王太子の考えは大きく外れてはいない。リオンの人生を自分の為だけで終わらせたくない。ヴィンセントはこう考えたのだ。
「それにエアリエルは幸せそうだ。幸せにしたのが俺ではないというのは正直悔しいが、こう思うことさえ、本来、許されないはずだ。本当は俺の愚かな行為がもたらした不幸を最小限にしてくれた事に感謝しなければならないのだろうな」
「アーノルド……」
「だが、悔しさが先に来てしまう。俺はまだまだ子供だ」
「……そうか」
これを口に出来るようになったアーノルド王太子は少し大人になった。自分の弱さを見せる勇気を持てたのだ。これはランスロットたちにとって、大きな誤算だ。アーノルド王太子は簡単に利用出来る人間ではなくなっていた。
「ランスロットには悪いが、俺は近衛騎士の出兵を止めるどころか、更に数を増やそうとしている」
「何だって?」
「自分の近衛を連れて、リオンに付いて行けないか交渉している」
「……どうして、そんな事を?」
「これも悔しいが、軍事も政治も、明らかに俺はリオンに負けている。だが、それは実務経験の差だと俺は信じている。リオンを見てやり方を学び、実際の現場を経験する事でリオンに追いついてみせる。これが俺の意地だ」
「そうか……」
以前とは違い、リオンへの嫉妬が良い方向に働いている。親友であれば喜ぶべき事だが、ランスロットはそう思っていない。結局、アーノルド王太子が自分に利をもたらすから側に居るだけなのだ。臣下の身では仕方なくもあるが、それであれば、臣としての一線は守るべきで、それもランスロットは出来ていない。
親友にも忠臣にも成りきれていないのが、ランスロットだった。
この日から、アーノルド王太子とランスロットの心の距離は大きく離れていく事になる。アーノルド王太子の側は、気づかないままに。