ゼクソン王国で起きた反乱の情報はウェヌス王国にも届いていた。それを受けて集まった重臣たち。顔ぶれはグレンが知るそれではない。
上座に座るのは王太子であるジョシュア。既に国王は引退も同然だ。元々の怠け癖の上に、度重なる敗戦にすっかり嫌気がさしてしまったのだ。
重臣の筆頭に位置するのは宰相であるアルビン・ランカスター。ランカスター侯爵家の嫡子だ。
次席にあるのが軍の筆頭である健太郎だった。ここまで健太郎はウェヌス王国内での地位を上げていたのだ。爵位も子爵を得ている。
三番手以降もほぼ顔ぶれは一新されている。ジョシュア王太子の側近であった者たちが、王位を継承する前に先代の重臣に成り代わっていた。
王太子ジョシュアを頂点にした新生ウェヌス王国。そう言いたいところではあるが、内情はそれほど立派なものではない。
実際には貴族筆頭であり、重臣筆頭となったランカスター宰相の独裁に近いものだ。
これはジョシュア王太子にとっては驚きだった。
国政の全てをジョシュア王太子が見るようになるまでは、アルビン・ランカスターはジョシュア王太子にとっては最大の支援者であり、最高の忠臣だったのだ。だが今はそう思えない。それほど国政を壟断しているのだ。
「ゼクゾン王国にて反乱が起こりました。反乱の首謀者は重臣筆頭といえるハインツ・シュナイダーでございます」
「そうか……」
その報告を聞いたジョシュア王太子の顔が曇る。今やジョシュア王太子にとっても他人事とは思えない出来事だ。
「状況はかなり反乱軍側に傾いているようです。このまま行けば、ゼクソン王国は反乱軍のものとなってしまうでしょう」
「……それで?」
ランカスター宰相の「このまま行けば」という言葉がジョシュア王太子には気になった。
「我が国としては、ゼクソン国王の為に鎮圧軍を送るべきかと思います」
「それはゼクソン国王からの要請なのか?」
「いえ。ゼクソン国王は周りを反乱軍に囲まれて、それどころではないようです」
「では誰だ?」
「外交担当者からの依頼でございます」
「……それは正式なものか?」
国王の許しも得ずに外交担当が他国への援軍を頼むものなのか。ジョシュア王太子の疑念は強まるばかりだ。
「外交筋を通しての話でございます。正式ではないでしょうか?」
「ゼクソン国王の承諾を得れていないのではないのか」
ゼクソン国王は反乱軍に囲まれてそれどころではないとランカスター宰相は言った。
「王太子殿下。それを確認している余裕はございません。今、この瞬間にもゼクソン国王は簒奪の危機にさらされているのです」
「それはそうだが」
「王太子殿下。我が国とゼクソン王国は講和を結び、戦争の遺恨は無くなりました。それを更に進める為に婚姻の約束も結んだ関係です。すでに同盟国と言って良いゼクソン王家の危機にただ黙っているのは如何かと思います」
「そうは言うが、ゼクソン王が女性であることで婚姻は無効になったのであろう? 講和もやり直しではないのか?」
軍を出すことに胡散臭いものを感じているジョシュア王太子は、何とかそれを防ごうと、そこまででなくても、もう少し状況を明らかにしてからと思っている。
「何故?」
「何故? それはそうであろう。女性同士で婚姻など出来ん」
「お相手がメアリー王女殿下であればでございます。それはまだ決まっておりません」
ジョシュア王太子の反論にもランカスター宰相は涼しい顔だ。馬鹿にしているようにも見える顔で、さらっとこんな言葉を吐いた。
「……何を考えておる?」
「ゼクソン国王が女性であれば、我が国は男性を婚姻相手として選べば良いだけでは?」
「……待て、それではゼクソンの王位は誰のものになる?」
「それは婚姻相手でしょう。女王が立つなど認められることではございません」
「何と……」
ようやくジョシュア王太子にもランカスター宰相の意図が分かった。それはそうだ。これがランカスター宰相が、わずかなりとも自らが持つ野心を滲み出させた初めての機会なのだ。
「王太子殿下、良くお考え下さい。ゼクソンの王位が婚姻相手の物になる。その者が我が国の臣であれば、ゼクソン王国は我が国の臣従国も同様ではないですか?」
「それをゼクソン国王が認めるとは思えん」
ランカスター宰相が言っていることは反乱とは形が違うだけで、簒奪を目指していることに変わりない。
「認めようが認めまいが、女性である以上が王ではいられません」
「……最初から、そのつもりであったのだな?」
「まさか。ゼクソン国王が女性であったなど、どうして知ることが出来ましょう。勿論、メアリー王女殿下のお輿入れにより影響力を強めようという思惑はございました。しかし、それはウェヌス王国の宰相として当然の考えでございます」
「ちなみに誰を?」
「それはまだ。聞けばゼクソン国王は大層美しい御方のそうでございます。希望者は多すぎて困るくらいでしょう」
「馬鹿な」
相手の外見の話ではない。事は王位を手にするという話だ。少しでも野心があれば誰だってそれを望むに決まっている。
「さて、それはそれとして。鎮圧軍の派兵の件でございます。ケン大将軍、今すぐに派兵出来るとすれば、それはどの軍になりますか?」
「あっ、それは僕の直轄軍だ。すぐにでも出せるね」
「ではそうしますか?」
「反乱の鎮圧だろ? 楽勝だね。それにその王とやらにも会ってみたいし」
ランカスター宰相は見事に健太郎の興味を引いてみせた。難しいことではない。
「これは……勇者様は色を好まれるか」
「そういうことじゃない。困った人を助けるのが、勇者の使命だ。それは他国であろうと、同盟を結んだ相手ならやらなければいけないからね」
「さすがは勇者。さて、王太子殿下。大将軍はこう申されておりますが、宜しいですか?」
「待ってくれ。それで大国の信義は守れるのか? まるで弱みにつけ込むようではないか」
つけ込むようではない。つけ込むのだ。ゼクソン王国を奪い取る目的で軍を出すのはもう明らかになっている。
「それは違います。まずは助ける。婚姻の話は、これとは別の話でございます」
「そもそもどれだけの兵を出すのだ。我が国に更なる出兵をする余裕などあるのか?」
「ジョシュア様、平気だよ。出兵と言っても反乱の鎮圧だよ。敵は……どれくらい?」
「何と……」
敵の数も知らずに楽勝という健太郎。それで平気と思えという方が無理だ。
「情報では六兵団が反乱側にいるということ」
「……それって」
「六千」
「何だ。うちよりも少ないじゃないか。何なら半分で出ようか。それなら、安く済むよね?」
健太郎は強気だ。ゼクソン王国にはもうグレンがいないと分かっていてのこの態度だ。
「それで勝てますか?」
「半分でもほぼ同数。楽勝だね」
「……それで済むなら、その方が良いですね。では、そうしてもらいましょう。では、勇者直轄軍から五千。それを反乱鎮圧軍とします。ご裁可を」
「…………」
「殿下。これは我が国の為になる事でございます。ゼクソンを支配下におさめれば、現在の状況も一気に改善に向かうでしょう」
「やはり、それが目的ではないか」
「これのどこに問題があるのですか? 我が国が大きくなる為。大陸の覇権を握る為でございます。ご裁可を!」
「ジョシュア様、心配はいらないって。必ず勝って戻ってくるからさ」
「……許す」
こうしてゼクソン王国へのウェヌス軍の派兵が決定した。ウェヌス王家にとって,
更なる苦難の幕開けとなる派兵が。
◆◆◆
ゼクソン王国内。狼牙兵団の駐屯地。
今この場所はゼクソン王家と反乱軍の最前線。といっても、ここ以外には戦場は存在していない。
三千の兵が籠もる駐屯地は六千の反乱軍に包囲されている。
唯一、西方の正面が空いているが籠城側にそこから逃げ出そうという選択はない。野戦となれば、倍の数の反乱軍に勝てる見込みはないからだ。
それでも最悪の場合は、ゼクソン王だけでもその方向から脱出を試みる予定だ。その最悪の状況がいよいよ迫ってきていた。
「駐屯地内の備蓄はあとわずかとなりました。もって一週間。そろそろです」
「そうか。だが、ここを抜けだしたからといって、その先に何が待つ?」
「エステスト城塞までたどり着ければ。恐らくは、そこまで追っては来ないでしょう」
「それで俺はウェヌスにでも助けを求めるのか?」
「それも一つの手です」
「……同じだ。ゼクソンは他人の手に移る」
ウェヌス王国に逃げても、今度はウェヌス王国が自分を王位に戻すという大義名分を得て軍を進めるだけだ。当然、王位に戻すつもりなどない。
これくらいの予測はヴィクトリアにも出来る。
「それでも命は助かります」
「それを望んではいない。俺の望みはゼクソン王国を……いや、今は何も言えないか」
「それどころではありませんから」
「どうしてこうなった? 何故、シュナイダーが裏切るのだ?」
「……陛下の責任です」
「なっ?」
籠城してから何度も繰り返された愚痴。それに初めてランガー将軍は答えた。思いもよらぬ、その答えにヴィクトリアの顔が歪む。
「陛下はシュナイダーを寵愛しておりました。寵愛ではない。そう申されるかもしれませんが、明らかに周りから見れば特別扱いをしておりました」
「……ハインツは俺の秘密を知る数少ない」
「誰もが知っていた秘密です。そして誰もが知っていることもまた、誰もが知っておりました」
「俺は知らなかったがな」
横から不満そうな声が割り込んできた。
「ゲイラー。ここは余計な口出しはいらないよ」
「すまん……」
「その上で陛下はシュナイダーを特別扱いしたのです。それを受けたシュナイダーが自分を特別視しても不思議ではありません」
「だからといって反乱など」
ヴィクトリアはシュナイダー将軍を信頼していた。その信頼が裏切られたことが、未だに信じられない。
「自分のものであると思っていた王位がそうではなかった。少し野心を持つものであれば、それを恨んでもおかしくはありません」
「俺は……その野心を知らなかった」
「ですから陛下の責任です。それに陛下はシュナイダーに対して致命的な過ちを犯しました」
「何だ、それは?」
「銀狼の子供を玉座につけようとした事です」
「それが?」
ランガー将軍の話の意味がヴィクトリアには理解出来ない。これを理解出来ないことが反乱の原因なのだ。
「陛下は女性です。それが原因かは分かりませんが、男の嫉妬というものを理解されていない」
「嫉妬……それはシュナイダーがグレンにということか?」
「そうです。シュナイダーは銀狼に嫉妬しておりました。将として、恐らく文官の長としても銀狼には敵わない。そういう思いがあったのです」
「それが分かっていて何故!?」
ヴィクトリアが声を荒げる。こんな状況に置かれていても、まだヴィクトリアは分かっていない。ヴィクトリアが女性であっても、国王に相応しい才覚を見せていれば臣下は野心など持たなかったということを。
「陛下に注進しなかったか、ですか? それをして何か変わりましたか? 陛下は理解出来なかったでしょう」
「そうだとしても……」
「一応、シュナイダーには忠告しました。銀狼に嫉妬するなと。嫉妬するだけ無駄だと」
「……それは?」
「ここまでくれば少々の不遜を口にしても良いですね。銀狼はゼクソンに、陛下の臣で納まるような器ではない。そのような男と自分を比較するだけ無駄だと言いました」
「何だと!?」
「否定出来ますか? 陛下は銀狼をご自身の臣に出来る自信がおありですか?」
「それは……」
ランガー将軍にはもうヴィクトリアへの遠慮はない。最後に言いたいことを言ってやるという気持ちだ。
「実際に銀狼は王になった。小さな国であっても一国の王です。あれはそういう男なのです。銀狼には嫉妬ではなく憧憬を向けるべきです」
「……それほどグレンが良いならグレンに仕えれば良い」
「それを口に出すところが……。まあ、ここまでにしましょう。今更です。後はゼクソン王家に殉じて最後の戦いを挑むだけですね」
「本気でそう思っているか?」
「どうでしょう? それはクレイン殿に聞いてみないと」
「……どうなのだ?」
ヴィトリアの視線が何も言わずに黙って話を聞いていたクレインに向かう。それに笑みと言えない笑みを浮かべてクレインは返した。
「……質問しているのだが?」
「どれにお答えすれば良いのかと」
「何だと!?」
「短気。それは王としては良くない資質ですね。では面倒ですのでまとめてお答えします。ランガー将軍、諦めるのは数日待つべきです。まだ陛下がその日のうちに動いたとしても、ようやく到着するかどうかの日数です」
「グレンは来ると言うのか?」
クレインの助言でグレンに使者を送った。だがグレンが援軍にやってくるとはヴィクトリアは思っていない。
「返答は途中なのですよ。でも、お答えしましょう。僕が考える通りであれば陛下は来ます。ただ陛下の知謀は僕の及ぶものではないのですよ。来ないという選択肢もあるかもしれません」
「来るわけがない。たかが六百の兵でどうするというのだ?」
「それへの答えは陛下が来るかどうかで分かりますので控えさせて頂きます。次の返答は。ランガー将軍、いくらでもルート王国に逃げる方法はあるはずです。何と言っても狼牙はゼクソン軍で唯一の騎馬兵団なのですから。反乱軍を振り切ることなど簡単です」
「それを言うと」
クレインに指摘されてランガー将軍は苦笑いを浮かべている。クレインの指摘は事実だ。ヴィクトリアを置いて、馬の足の早い精鋭だけで逃げれば反乱軍を振り切ることは可能なのだ。
「それに気づかずに臣を責める王に最後まで忠誠ですか。それも良しですが、生き延びることで出来ることもありますよ」
クレインの言葉はヴィクトリアへの正面からの嫌味だ。それを聞いたヴィクトリアはさすがに青筋を立てることはなく、顔を朱に染めて恥じた。
「まだ質問はありましたか? 僕の王はグレン陛下ですので、何でも率直にお応えしますよ。ああ、もう一つ。もし陛下がゼクソン王の今の立場になったら」
「……どうだと言うのだ?」
「二将軍に降伏を勧めるでしょう。もちろん、ご自身は逃げると思います。逃げて復讐を誓うことでしょう。ちなみに降伏を勧めるのは善人だからではありません。二将軍の忠誠を自身に繋ぎ止めておくためです」
「…………」
グレンは善人ではない。善人の顔をして悪事が出来る分、かなり質の悪い悪党だ。だが人の上に立つにはそういう資質も必要だとクレインは言っている。
「さて、ゼクソン国王を虐めるのはここまでです。どうやら陛下が来たようです」
「何!?」
「そういう事ですね? 名前は知りませんが」
クレインの視線はヴィクトリアを通り越して、その背後に向いていた。それに気が付いたヴィクトリアが後ろを振り返ると同時に男の声が発せられた。
「陛下、お待たせ致しました」
現れたのはグレンにシャドウと名付けられた男だ。
「……来たのか?」
「はい。まもなく見えるでしょう」
「勝てるのか?」
「それは実際にご覧になるのが一番かと」
「……城壁に向かう」
「「はっ!」」
◆◆◆
大急ぎで城壁の上に昇ったヴィクトリアと二将軍。グレンが率いる軍勢が現れたのは、それとほぼ同時だった。
東方から近づいていくる軍勢。その軍勢が掲げているのは銀狼の旗。元銀狼兵団の軍旗であり、現在はルート王国軍の軍旗だ。
その旗が徐々にはっきりと見えるようになる。駐屯地を囲む反乱軍も気がついたのだろう。全軍に動揺が広がったのが、城壁の上からでもはっきりと分かった。
味方として頼もしく思っていた銀狼旗。それが敵として現れたのだ。兵の動揺は、とてつもなく激しいものだった。
「あの数は何だ?」
「ウェヌスの国軍兵士でしょうね」
ヴィクトリアの問いにクレインが答えた。
「ウェヌスだと?」
「捕虜ですよ。忘れていたのですか? ウェヌス軍の捕虜が自国にいることを」
「……そのような手を」
銀狼旗を掲げる軍勢の数は四千にも届こうかという数だ。採掘場に囚われていた捕虜の、実際はそれ以外も含めて、かなりの数を解放してきた結果だ。
「数は超えましたね。どうされますか?」
「……戦う。全軍で出撃だ」
「それでは。やはり分かっていないのですね。我が陛下というものを」
「何だと?」
「戦いにはしないと思いますよ。ほら、陛下のお出ましだ」
四千の軍勢の中から騎馬がただ一騎、悠々と前に出てくる。六千の反乱軍など眼中にもないという雰囲気だ。
漆黒の鎧に身を固めたグレン。兜は外しており、銀髪を風に靡かせている。
銀狼――そんなうめき声が反乱軍のあちこちから上がる。
『反乱軍に告ぐ! 投降する者は剣を置いて前に出ろ!』
戦場に朗々と流れるグレンの声。怒鳴っている訳ではない。それでも気持ちを圧する何かを感じるのは、兵たちのグレンへの畏れのせいか。
『歯向かう者は掛かって来い! ウェヌスが味わった恐怖を教えてやる!』
グレンの一言一言で反乱軍の兵の間に絶望が広がっていく。それを何とか押しとどめようと、反乱軍から声が上がった。
『恐れるな! あれは寄せ集めの兵だ! 銀狼など恐れるに足りん!』
シュナイダーの声だ。だが兵を叱咤するその声でさえ、震えているように聞こえてしまう。
『もう一度言う! 俺に従え! 従う者には寛容を! 逆らう者には剣をもって応えよう!』
『ふざけるな! 銀狼を討ち取れ! 奴さえ討ち取ってしまえば勝ちだ! 掛かれッ!!』
シュナイダーの声に反乱軍の兵士たちが全力と見える勢いで前に掛け出て行く。
「失敗」
それを見てクレインが笑みを浮かべて呟いた。
「当たり前だ! 軍を出撃させろ! 反乱軍の目は後ろに向いている! 急げ!」
「はっ!」
ヴィクトリアの命でゲイラー将軍が駆け出そうとする。だが、動いたのはゲイラー将軍だけだ。
「ランガー! 急げ!」
「不要」
「何だと!?」
「不要だ。失敗はシュナイダーの方だ」
「どういう事だ?」
一斉に前に駆けている兵たち。ただガムシャラに兵たちは前に駆けていた。多くの兵が途中で剣を放り出して、両手をあげて走っている。グレンに向かっていこうなどという兵士は一人もいない。
次々とグレンの横を通り過ぎていく兵たちは、グレンの後ろに着いたところで安心したように、その場にへたりこんだ。
「くっ、くっ、くっ」
グレンにとって聞き慣れた笑いでも、ヴィクトリアたちにとっては初めて聞く不気味な笑い声。
「……何が可笑しい?」
「凄い。やはり間違っていなかったのですよ。あの方こそ僕が仕える主なのですね」
「……お前?」
「分かりますか? あの方の凄さが」
「何を言っているのだ?」
「僕も今ようやく分かったのですよ。何故、あの方がウェヌスとの戦いで、あそこまで単独行動を行い、あそこまで圧倒的な力を見せつけたか」
「何だと? それはどういうことだ!?」
「この日の為です。この日の為に舞台を整えていたのですよ」
「馬鹿な!? 反乱が起こることなど分かるはずがない!」
「いえいえ。そうではありませんよ。確かに反乱などは想定していないでしょう。でも、いつかゼクソン軍と戦う日が来るかもしれない。それを考えていたのですよ」
「だから……だから何をしたというのだ?」
「理解が遅いですね。陛下は味方にしたい人との距離はかなり近く持とうとする方です。それが信頼関係を生み、いざという時の助けになると分かっているのですよ。でも、ゼクソン軍とはそれをするどころか、遠ざかることを選んだ。その上で圧倒的な強さを見せつけ、ある意味、虚像を生み出した。決して勝てない恐ろしい相手という虚像です」
「だが、実際に強い」
「分からない方だ。実際に強い、だから近づくのですよ。強さを恐れられないように。圧倒的な強者への恐れよりも、親しみが優るように」
「……そういうことか。だから銀狼兵団の兵にはあれ程気を使って」
グレンの銀狼兵団の兵士たちに対する気遣いをヴィクトリアは思い出した。異常とも思える気遣いと、それとは真逆の無関心さ。クレインの言う通りの行動をグレンはゼクソン王国で行っていた。
「ようやく分かったのですね。それをしないということは相手をただ恐れさせたかったのですよ。いつか来る戦いの為にですね」
「あの戦いの中で、そこまでのことを?」
「だから凄いと言っているのですよ。今ではない。その先のことまで考えて行動する。だから凄い。そう、凄いのです。あの方は、あの方であれば、きっとセシルが犯した間違いを正してくれるに違いない。その為には、僕は全身全霊をもってあの方に仕えなければならない」
「お前……」
まるで熱にうなされたように、ヴィクトリアたちにとって意味の分からない言葉をつぶやき続けるクレイン。それを薄気味悪く感じながらも、反乱軍を戦うことなく降伏させていくグレンへと自然に視線が向かう。
ゼクソン王国の反乱はグレンが現れただけで鎮圧された。その事実をヴィクトリアは恐ろしく感じてしまうのだった。